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イベルメクチンの新型コロナウイルスに対する有効性 [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は午前午後ともいつも通りの診療になります。

それでは今日の話題です。
今日はこちら。
イベルメクチンとコロナウイルス論文.jpg
Antiviral Research誌に2020年4月3日ウェブ掲載された、
蟯虫症や疥癬の治療薬として使用されている、
イベルメクチン(商品名ストロメクトール)
の新型コロナウイルスへの効果を検証した、
細胞レベルの基礎実験の論文です。

イベルメクチンというのは、
日本の大村智先生が発見した、
クラリシッドやアジスロマイシンと同じ、
マクロライド系抗菌剤ですが、
他のマクロライドのような抗菌活性はない替わりに、
寄生虫に対する強い毒性を持ち、
1980年代から、
動物用の寄生虫症の治療薬として広く使用されています。

人間に対しては、
蟯虫症などの寄生虫症、そして、
ダニによる疥癬の治療薬として、
保険適応の上使用されています。

イベルメクチンは寄生虫の細胞に存在する、
クロライド(クロール)チャネルの阻害剤で、
細胞の過分極を引き起こして寄生虫を死滅させると考えられています。

その一方このイベルメクチンは、
培養細胞などを用いた基礎実験においては、
HIV-1やデング熱ウイルス、インフルエンザウイルスなど、
多くのウイルスに対する抗ウイルス作用を持つことが報告されています。

ただ、現状臨床において明確に抗ウイルス作用が実証された、
ということはないようです。

今回の研究はオーストラリアの研究者によるものですが、
培養細胞を使用した実験において、
細胞を新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)に感染させ、
その2時間後に5μMのイベルメクチンを培養液に添加したところ、
未使用と比較して24時間後のウイルスRNA量は93%減少し、
48時間後には5000分の1以下に減少したと報告されています。
イベルメクチン濃度を変えた検証により、
イベルメクチンの新型コロナウイルス感染に対するIC50(50%阻害濃度)は、
2から3μMと計算されています。

それではどのようなメカニズムで、
イベルメクチンは新型コロナウイルスの感染を抑制しているのでしょうか?

上記文献の著者らによると、
細胞の細胞質で合成されたタンパク質を、
核に運ぶインポーチンという乗り物のようなタンパク質があり、
このインポーチンの働きを妨害することにより、
ウイルス遺伝子の複製を抑えるのではないか、
と推測しています。

細胞に感染したウイルスタンパク質の一部は、
インポーチンの働きで核内に運ばれ、
それがSTAT1というシグナル伝達系を介した、
自然免疫の活性化を抑制するので、
ウイルスの増殖が止められなくなってしまうのですが、
そのウイルスタンパクの核内移行を妨害することで、
ウイルスの増殖を抑えるという、
やや回りくどいメカニズムです。

通常ウイルスなどが細胞に感染すると、
それを細胞側が察知し、
すぐに自然免疫系を活発にして、
感染を押さえ込むような働きがあるのですが、
コロナウイルスはその仕組みを抑えてしまうので、
感染が止められなくなるのです。
そこでウイルスが利用しているのがインポーチンなので、
それを阻害するイベルメクチンが、
ウイルスの増殖阻害に有効だ、
という理屈です。

お分かり頂けたでしょうか?

いずれにしても、
寄生虫に対して有効なクロールチャンネルの阻害とは、
全く異なる作用がイベルメクチンにはある、
ということになります。

ただ、問題なのはIC50で2.5μMという、
イベルメクチンの濃度です。

通常人間の寄生虫症や疥癬で使用されるのは、
体重1キロ当たり150から200μgという用量です。
血液濃度で2.5μMという濃度は、
イベルメクチンを通常量で使用した場合のピークの血液濃度の、
50から100倍という高用量です。

単純に考えると、
通常の使用量でクロールチャネルの阻害作用は、
生体でも認められるけれど、
インポーチンを阻害するとなると、
その50から100倍は使わないと役に立たない、
ということになります。

実際デング熱に対してイベルメクチンを使用する臨床試験が、
タイで行われたのですが、
そこでは体重1キロ当たり400μgで3日間という、
通常の倍以上の高用量が使用され、
結果として臨床的有効性は示されませんでした。

ここまででは、
イベルメクチン駄目じゃん、
という気がします。

しかし、その一方で、ひょっとしたら、
と思わせる臨床データが発表されています。
こちらです。
イベルメクチンのハーバード論文.jpg
これはユタ大学とハーバード大学が発表した、
短報みたいなもので、
まだしっかりした論文、
というようなものではなく、
学会のポスター発表、くらいの感じのものです。

内容は2020年1月から3月に北米、ヨーロッパ、アジアの、
169の病院のデータから、
イベルメクチンを使用した新型コロナウイルス感染症の、
704名の患者データを抽出して、
イベルメクチン未使用のコントロール群704名と、
他の条件をマッチングさせてその予後を比較検証したものです。
イベルメクチンは体重キロ当たり150μgが、
1回のみ使用されているのが標準です。

その結果、
総死亡のリスクはイベルメクチン使用群が1.4%に対して、
未使用群は8.5%で、
イベルメクチンは総死亡のリスクを、
80%(95%CI: 0.11から0.37)有意に低下させていました。

この内容が報道などもされていて、
イベルメクチンに画期的効果、
というようなニュアンスなのですが、
このレベルのデータなら、
クロロキンとアジスロマイシンも凄いし、
レムデシビルもアビガンも凄いんですよね。
患者さんを登録したような臨床試験ではなく、
ただ、症例を集めて比較しただけのもので、
それも治療法の確立していない感染症なのですから、
条件など合わせられる訳もないし、
本当に何とも言えないと思います。

今後日本でも臨床使用が行われるようですが、
厳密な臨床試験のようなスタイルではなさそうなので、
その有効性が確認されるかどうかは、
極めて疑問のように思います。

イベルメクチンは確かに面白い作用の薬なのですが、
寄生虫への有効性は確立しているものの、
抗ウイルス作用は通常の50から100倍くらいの用量でないと、
成立はしない可能性が高く、
タイでのデング熱の臨床試験も失敗していることから考えて、
それほどの期待は持てないように、
個人的には考えています。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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「ファントム・オブ・パラダイス」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ファントム・オブ・パラダイス.jpg
これは僕の大好きな映画「ファントム・オブ・パラダイス」です。
一種のカルト映画で、
お好きな方も多い作品です。

監督のブライアン・デ・パルマは、
今も活躍するアメリカの映画監督ですが、
本当に冴えていたのは、
デビューから1976 年の「愛のメモリー(最悪の邦題!)」までで、
その後「アンタッチャブル」でメジャーになりますが、
あれも悪い映画ではなかったものの、
以前の「悪魔的」な冴えは、
すっかり消え失せていました。

僕はデ・パルマの初期の作品が大好きで、
それはピーター・ジャクソンや、
ロマン・ポランスキーの初期作品に似ていますが、
両者と同じようにあまり万人向きとは言えません。
要するに趣味全開でやり過ぎなのです。

デ・パルマの初期作品は、
1973年の「悪魔のシスター」から始まり、
1974年の「ファントム・オブ・パラダイス」、
1976年の「キャリー」と「愛のメモリー」に続きます。
僕はこのうち「キャリー」と「愛のメモリー」は名画座で観ていて、
他の2本はテレビとビデオが初見です。
(実際には1973年以前の監督作品もありますが、
僕は観ていませんし、
一部はソフト化されていますが、
日本で劇場公開はされていません)

この全てが好き嫌いはありますが、
他に類のない作品であることは間違いがありません。

中でも最高なのが、
この「ファントム・オブ・パラダイス」です。

この作品は脚本・監督がデ・パルマで、
要するに彼のやりたい放題の、
プライヴェートフィルムの色彩が強いものです。
ロック・ミュージカルと紹介されることが多いのですが、
その先入観で観るとちょっと違います。

オープニングからエンディングまで、
ともかくセンスに溢れ、
楽しくてワクワクし、
ラストは切なくて、
別の次元に誘われる気分がするのです。
ヒッチコックからキューブリック、コッポラまで、
映画の引用も満載です。

題名で分かる通り、
この映画は「オペラ座の怪人」のパロディです。
元ネタは醜い顔を持つ作曲家が、
パリオペラ座の地下深くに潜み、
不遇の歌姫を見初めて、
彼女をスターにするために、
暗躍する話ですが、
こちらは、
自分の音楽作品を、
音楽プロデューサーに騙し取られた冴えない作曲家が、
レコードのプレス機に挿まれて顔面を負傷し、
仮面の怪人となって、
音楽プロデューサーに、
復讐しようとする話です。
勿論不遇の歌姫も登場します。

ただ、その悪徳プロデューサーが実は…
という捻りがあり、
後半は「オペラ座の怪人」とは、
次元の違う物語に昇華してゆくのです。

その謎の悪徳プロデューサーを演じているのが、
ソングライターのポール・ウィリアムスで、
その筋では非常に高名な方ですが、
彼が作品の全ての楽曲をプロデュースしています。
僕はサントラも持っていますが、
これは最高で、
レセプトのチェック作業をする時には、
デセイ様の「フランスオペラアリア集」と、
交互に聴きながら作業をしています。

主役の怪人はデ・パルマのお友達のフィンレイで、
不遇の歌姫には後に「サスペリア」の主役を演じる、
ジェシカ・ハーパーがキャスティングされています。

この作品の素晴らしさの1つは、
藝術とそれが商品化されるということとの葛藤が、
結構深い次元で捉えられている、
ということで、
その溝を軽々と飛び越える悪徳プロデューサーが実は…
というところで、
その本質的な部分に切り込んでいるのです。
また、もう1つの魅力は勿論、
怪人の歌姫に寄せる切ない愛情で、
ラストの永遠が無限に引き伸ばされたような瞬間が、
無残に観る者の胸をかきむしるのです。

所謂「カルト・ムービー」なので、
万人向きではありませんが、
お好きな方にとっては、
一生忘れられない映画になることは間違いありません。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「フェリーニのカサノバ」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
カサノバ.jpg
1976年に製作されたイタリア映画の巨匠、
フェデリコ・フェリーニ監督の「カサノバ」です。
これも大好きな映画です。

フェリーニは幻想的でセクシャルでグロテスクで豊穣なイメージを、
巨大なセットで仰々しく描く一方、
ノスタルジックな監督の幼少期の原風景を、
こちらは繊細かつ叙情的に綴り、
また実質的処女作の「道」から続く、
芸人達の生活を哀感を持って描く手法も味があります。

イタリア映画は戦後すぐのネオ・リアリズムの諸作
(たとえはデ・シーカの「自転車泥棒」)から、
1960年代には不条理映画として、
時代を先取りしたアントニオーニや、
ヨーロッパ的文化の豊穣さを感じさせる、
藝術的なモニュメントのようなヴィスコンティなど、
多くの監督の名品を輩出して、
一時は「高級映画」の代表としてブランド的イメージがありました。

その一角を間違いなく担っていたのが、
フェデリコ・フェリーニ監督で、
封切りで観たのは、
この「カサノバ」と、
「女の都」、「そして船は行く」、「ジンジャーとフレッド」など、
数作品だけでしたが、
名画座では特集上映がしばしば行われ、
「サテリコン」、「フェリーニのアマルコルド」、
「フェリーニのローマ」、「魂のジュリエッタ」など、
多くの作品を幸いなことにスクリーンでフィルムで観ることが出来ました。

「甘い生活」と「道」は、
京橋のフィルムセンターで「映画史上の名作」で観ました。

一番多く映画を観ていた、
高校時代のことです。

フェリーニの作品は当時はその幻想性が僕の好みで、
多くの作品では幻想的な巨大セットの撮影画面と、
ロケ撮影のリアルな場面とが混在していて、
それがトータルにはギクシャクした感じに思えて、
幻想場面は大満足であったものの、
映画全体としてはいつも不満が少し残りました。

「道」はリアリズムに徹して素晴らしかったのですが、
フェリーニの本領発揮とは言えない部分もありました。
カラー撮影となった「魂のジュリエッタ」以降では、
この「カサノバ」が、
全ての場面をセットで描き、
非常に退行的で閉鎖的ではありますが、
巻頭からラストまで一貫した幻想世界を展開して、
公開当時にスクリーンで観た時には、
「これぞフェリーニ」と、
膝を打つような思いがありました。

内容は中世の色事師カサノバの一代記を、
性豪のホラ吹き絵巻として、
幻想的かつグロテスクに、
また一抹の哀感を持って描いたもので、
フェリーニの脳内世界をそのまま見させられているような怪作です。

公開時に観て特に印象的だったのは、
巨大な鯨に呑まれる夢を見る場面と、
自動人形に恋をする場面です。

音楽は勿論ニーノ・ロータで、
この作品では擬似オペラまで作曲しています。
これがまた魅力的なのです。

ただ、一時期偏愛していたこの「カサノバ」ですが、
本当に久しぶりにWOWOWで再見すると、
性描写がややステレオタイプで凡庸に感じました。

その一方でかつてはダメだと思っていた、
「フェリーニのアマルコルド」や「フェリーニのローマ」が、
意外に良かったのだと再認識しました。

映画というのは、
観る時期によってもその印象は変わるようです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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新型コロナウイルス感染時のACE2受容体と免疫との関連について [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は金曜日でクリニックは休診ですが、
老人ホームの診療には廻って、
それからレセプト作業に入る予定です。

それでは今日の話題です。
今日はこちら。
ACE2とインターフェロンγの論文.jpg
Cell誌に2020年4月27日ウェブ掲載された、
新型コロナウイルスの感染様式についての論文です。

基礎実験のデータなので、
ここで示される知見が、
臨床でも成り立つとは言えないことに注意が必要ですが、
内容は非常に興味深いものです。

新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の人体への感染では、
ウイルスの突起が細胞のACE2を受容体として結合し、
それからセリンプロテアーゼ(TMPRSS2)という酵素の働きを借りて、
細胞の中に入ります。
感染経路がこれだけなのか、
という点については別の知見もありますが、
いずれにしてもACE2とTMPRSS2が発現している細胞では、
感染が成立し得る、ということは間違いがありません。

当初下気道の細胞のみに主に感染が起こる、
という見解が主体でしたが、
その後上気道や腸管の感染が成立しないと、
説明の付かないような現象が認められ、
研究が重ねられて知見は修正されました。
ただ、そうしたデータの多くは、
ACE2受容体の発現のみを見ているものなので、
それが感染することと同じではありません。

今回の研究では、
人間の細胞のうち、
鼻の粘膜のゴブレット細胞と、
2型肺胞上皮細胞、
そして腸管上皮細胞の3種類の細胞が、
ACE2とTMPRSS2の両者の遺伝子を発現していて、
新型コロナウイルスの感染を受ける可能性があると、
確認されました。

この知見は、
新型コロナウイルスが、
実際に上気道症状と肺炎などの下気道症状、
そして下痢などの消化器症状の3つを主に示すという、
臨床的な知見とも合致するものです。

新型コロナウイルスはそれぞれ独立に、
鼻粘膜と肺と腸に感染し、そこで増殖するのです。
その増殖の仕方により、
出現する症状には差がある訳です。

ウイルスの侵入に対して身体の細胞は、
インターフェロンなどのサイトカインを産生して、
ウイルスを撃退しようとします。

ただ、今回の研究では意外なことに、
インターフェロンにより気道の内皮細胞において、
ACE2の遺伝子発現が刺激され増加する、
ということが明らかになりました。

インターフェロンは、
ウイルスを退治するための武器のようなものですが、
それがACE2を増加させることによって、
結果的に感染を促進しているのではないか、
というのが上記文献の著者らの推測です。

ただ、ACE2自体には肺障害を抑制するような働きがあり、
細胞がウイルスに感染するとACE2の発現は抑制されますから、
そうした仕組みによりバランスが保たれている、
というようにも考えられます。

単純にこの知見から、
ACE2の善悪を論じるのは行き過ぎではないでしょうか?

こちらをご覧下さい。
ACE2とインターフェロンγ.jpg
今回の知見をまとめた図がこちらになります。
ネズミの実験が行われることがしばしばありますが、
この図にあるように、
インターフェロンによるACE2の増加は、
ネズミでは認められない現象で、
ネズミでこうした実験を行うと、
その結果を見誤る可能性がありそうです。

これは1つの実験結果としては興味深いものですが、
複雑な感染と免疫応答の、
1つの側面を示しただけのものとも言え、
今後の知見の更なる積み重ねにより、
感染の詳細なメカニズムが、
明らかになることを期待したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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レムデシビルの臨床試験結果(Lancet) [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は午前午後ともいつも通りの診療になります。

それでは今日の話題です。
今日はこちら。
レムデシビルの臨床試験.jpg
Lancet誌に2020年4月29日にウェブ掲載された、
新型コロナウイルス治療薬として、
最も注目されている薬の1つ、
レムデシビルの中国での臨床試験の結果をまとめた論文です。

レムデシビルはDNAの原料となる核酸の誘導体で、
ウイルスが細胞内で核酸(RNA)の合成を行う、
RNAポリメラーゼの阻害剤です。

これはアビガン(ファビピラビル)と同様のメカニズムです。

この薬はアメリカの製薬会社ギリアドサイエンシズ社の開発品で、
現行はまだ世界的に未承認薬、治験薬の扱いです。
エボラ出血熱に対しては研究的使用が行われ、
一定の有効性が確認されています。
SARSやMERSなどのコロナウイルスに関しても、
基礎実験では一定の有効性が確認されています。

新型コロナウイルス感染症に対するレムデシビルへの期待は、
この薬の新型コロナウイルスに対するEC50という、
ウイルスの感染細胞での増殖を50%抑制する濃度が、
0.77μMという低さであることが影響しています。

実験的にはここまで効果の高い薬は他にないからです。

その実際の有効性はどうなのでしょうか?

先日New England…誌のレムデシビルについての論文をご紹介しましたが、
それはこれまでに試験的に投与された61例を解析したもので、
コントロール群が設定された、
厳密な臨床試験ではありませんでした。

今回の臨床試験は、
中国の10カ所の病院において、
偽薬を使用した厳密な方法で施行されたものです。

対象は湖北省で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に感染した、
年齢は18歳以上でCTで肺炎像が認められ、
酸素飽和度が94%以下の237名の患者で、
登録は症状出現後12日以内に行われ、
PCR検査での陽性も条件となっています。

登録者を本人にも主治医にも分からないように、
くじ引きで2対1に分けると、
多い群はレムデシビルを10日間注射し、
少ない群は偽薬の注射を施行して、
その予後を比較検証しています。
試験は2020年の2月6日から3月12日の間に開始されています。

その結果、
症状が改善するまでに期間には、
レムデシビル群と偽薬群との間で、
明確な差は認められませんでした。
その予後にも明確な差は認められていません。
ちなみに試験開始28日後の時点で、
レムデシビル群の15%、
偽薬群の13%が死亡されています。

ただ、症状出現後早期に投与が開始されたケースでは、
有意ではないものの改善が早い傾向は認められていて、
もう少し事例が多く、
より早期に投与が開始されていれば、
また別の結果が出た可能性もあります。

この結果からレムデシビルが無効、
というようには言えません。
ただ、著効する夢の薬、ということではないのも、
また間違いのないことだと思います。

先日アメリカのFDAがレムデシビルの緊急使用を認可した、
という報道がありましたが、
その主な裏付けとしているデータは、
アメリカのNIHが主導した上記論文とは異なる臨床試験結果で、
こちらはまだ論文化はされていません。
1000例を超える規模のもので、
一定の有効性が認められているようですが、
今出ている情報の範囲では、
著効という感じでは矢張りなさそうです。

この薬はこれまでの臨床試験において、
一定の安全性は確認されているので、
今のような緊急事態で早期に認可されること自体については、
問題のあるものではないと思いますが、
その効果は現時点で必ずしも満足のゆくものではなく、
今後も慎重に検証する必要がありそうです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は振り替え休日でクリニックは休診です。
今日はレセプト作業などするつもりです。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
おかしなふたり.jpg
これは「ハウス」、「さびしんぼう」と並んで、
僕が最も好きな大林宣彦監督の映画、
「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」です。

この映画は監督が故郷を舞台にした、
「転校生」から始まる尾道シリーズの、
一応の完結編という位置づけの作品です。

ただ、監督はその後「新尾道三部作」を作ったりもするので、
前言は撤回され、グズグズの感じになってしまっています。

しかし、個人的にはこの作品が完結編、
というように思っています。

監督が好き勝手をやった作品というのは、
他にも沢山あるのですが、
この映画はその「遊び」の部分の完成度が高くて、
それがストーリー全体と巧みに融合しています。

作品の核としては、
南果歩さん演じる女性と、
三浦友和さんと永島敏行さんという、
2人の男性を巡るドラマがあり、
それを見守る傍観者的で作者のような、
まだ好青年だった頃の竹内力さん演じる、
謎の狂言回しの青年がいて、
最後は燃え尽きる映画館と、
そこに潜む銀幕のスターという亡霊がいて、
諧謔を演じる悲しい影法師と、
それを受け止める尾道の、
胸をノスタルジーでかきむしるような風景があります。
絶妙の撮影とKANによる音楽が、
そこに素敵な彩りを添えています。

この映画では尾道にいる人は不幸になるか、
ノスタルジックな幻想の中で滅んでゆきます。
そして最後に主人公達は尾道を出てゆくのです。
その意味でこの映画は間違いなく、
尾道シリーズという、
大林監督の尾道への執着のようなものからの、
解放を描いた作品なのです。
(これは勿論虚構としての「尾道」の話であって、
実際の尾道という場所の話ではないことをお断りしておきます。
念のため…)

この映画は最初お蔵入りになりかけ、
特別上映的な短期間上映しか行われていないので、
あまり多くの方に観られていないのが残念ですが、
大林監督の全てが込められた代表作として、
お薦めしたいと思います。

ただ、大林監督のしつこさやや幼児性、
多くの偏見やあくどさにも満ちた世界なので、
好き嫌いはとてもあることを、
予めお断りしておきます。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「あん」(河瀬直美監督映画版) [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日で休診です。
今日も1日家にいる予定です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
あん.jpg
2015年にロードショー公開された日本映画「あん」です。
世界的に高い評価を得ている河瀬直美監督が、
詩人のドリアン助川さんの原作を、
原作者本人の依頼を受けて映画化したものです。

これも以前ネットの連載に書いたことがあるので、
少しそれを引用しています。

河瀬監督はそれまで芸術性は高いけれど、
一般の面白い映画が見たい、
という観客には、
やや敷居の高い映画を作っていました。

それがこの「あん」では、
それ自体平明な原作を再現することに重きを置いたためか、
良い意味で通俗的な作品となり、
多くの一般の観客の支持を集めました。

更に河瀬作品に初主演の樹木希林さんが、
そのキャリアの中でも最高の演技の1つを披露して、
観客に大きな感銘を与えたのです。

どら焼き屋の雇われ店長をしている、
前科者の千太郎(永瀬正敏)は、
手の不自由な徳江(樹木希林)という老女に、
店を手伝いたいと話しかけられます。

最初は断った千太郎ですが、
彼女が持参したどら焼きのあんが、
あまりに美味しいのに驚き、
試しに自分の店のあん作りを任せます。

すると、そのどら焼きが大評判となり、
それまで閑古鳥が鳴いていた店は、
一気に長蛇の列の評判店になります。

しかし、実は徳江はハンセン病の患者で、
療養所から店に通っていたのです。
その変形した手を見た人から、
心ない噂が広まり、
徳江は自分からひっそりと姿を消してしまいます。

物語は千太郎と徳江、
そして、
2人を慕っていたワカナという少女を軸にして展開します。
3人の人生はどのように結びつき、
徳江の人生にはどのようなフィナーレが訪れるのでしょうか?
河瀬監督らしい、
自然の風景と人間の生とが結び付いた感動の結末が待っています。

この映画はともかく樹木希林さんがいいんですよね。
樹木さんは勿論多くの映画に出演していますが、
正直自然体に見えて、
その役より樹木さんにしか見えない、
という感じの作品も多いのですが、
この映画の樹木さんは本当に役柄そのものに見えます。
こちらも樹木さんは樹木さんとして観てしまうので、
それ以外の印象を持ちにくいのですが、
この映画ではその僕達の先入観を超えて、
樹木さんはハンセン病のあん作り名人にしか見えません。
見事な芝居ですし、
何より魂の籠もっていることを感じます。

河瀬監督の演出も、
原作を忠実に観客に伝えようという姿勢があり、
自然描写や長瀬さんの生活描写には、
河瀬さんらしさを出しつつも、
平明な作品が意図され成功していると思います。

この辺りはテリー・ギリアム監督の
「フィッシャー・キング」に似ています。
どちらも色々なバランスが巧みに融合して、
監督本人はおそらくそう思っていないと思うのですが、
奇跡的な傑作になっているのです。

河瀬監督の映画は、
この間の「Vision」など、
「勘弁してよ」という感じの作品も多いので、
観る側にも一定の覚悟が必要なのですが、
この「あん」に関しては、
あまり普段映画を観ない、という方を含めて、
多くの方に自信を持ってお薦め出来る作品で、
是非ご覧頂ければと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「隠された記憶」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。
今日も1日家に籠もっている予定です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
隠された記憶.jpg
ヨーロッパの鬼才ミヒャエル・ハネケ監督が、
フランスで2005年に撮ったスリラーで、
カンヌ国際映画祭の監督賞に輝くなど、
世界的に評価された映画ですが、
「結局どういう話なの?」と困惑必死の問題作です。

主人公の人気テレビキャスターのところに、
自分の家を据え置きカメラで数時間録画した、
謎のビデオが送りつけられて来ます。
その後も同様のビデオが次々と送りつけられ、
少年や鶏が血を吐く光景を描いた不気味な子供の絵や、
主人公の生家の画像、
そして有るアパートの風景などが送られて来ます。
どうやら犯人は、
主人公をそのアパートに秘められた、
彼自身の過去に繋がる何かに、
誘導しようとしているようなのです。

主人公はテレビの世界の成功者ですが、
妻は仕事先の友人と不倫関係にあり、
息子は両親に心を開こうとはしません。
仕事自体も「大衆の人気」という、
あやふやなものに左右されていて、
仕事先にビデオを送りつけられると、
それもダメージになってしまいます。

主人公は孤立無援の中で、
見えない脅迫者に対峙し、
自分の過去の罪に向き合うことになるのです。

あらすじだけ読むと心理スリラーのような雰囲気です。
ただ、主人公はかなり独善的な性格に描かれているので、
観ている側としては、
とても主人公に肩入れするような気分にはなれません。
ワンカットが多く台詞のない余白が多く、
音楽もなく淡々と、
極めてスローなペースで物語は展開され、
次第に睡魔に襲われそうになります。

と、いきなり全体の3分の2くらいのところで、
唐突で非常にショッキングな場面が出現します。
このスローテンポでまさか、と思うので、
これは相当に驚きます。

ただ、その衝撃の場面の後も、
同じように淡々と物語は進み、
結局ビデオテープを送りつけた犯人は不明のまま、
尻切れトンボ的に映画は終わってしまいます。

この映画が物議をかもすのは、
ポスターの画像にもあるように、
「衝撃のラスト」という文言が宣伝に使われていたからです。

衝撃の場面はあるのですが、
中程でラストではないので、
これを「衝撃のラスト」と言うのは無理があります。
実際のラストは主人公の子供が通う学校の出入り口を、
固定カメラでただ長回ししただけの、
衝撃とは真逆のカットなので、
観客は尚更戸惑うことになるのです。

実はラストシーンでさりげなく、
それまで関係が不明確であった2人の人物が、
話し合っているのですが、
それで2人が犯人ということにはなりませんし、
それが衝撃と言えるのでしょうか?
分かっても意味は分かりません。

これね、宣伝がおかしいんですよね。
正確には「中程の衝撃の場面と予想を裏切るラスト」
という感じだと思います。

ハネケ監督はインタビューで、
「この映画はやましさが主題で、
ビデオを誰が送ったのかは、
大きな問題ではない」
というようなニュアンスの発言をしています。

その意味では主人公のやましさの正体については、
劇中で十全に語られているので、
監督の意図通りに作られた作品だ、
と言って間違いはないのです。

特に優れているのは、
映画後半にあるエレベーターを使った長いワンカットシーンで、
監督もインタビューで
「撮るのに苦労したが、良い場面になった」
と語っている通り、
とても技巧的で完成度が高く、
作品のテーマを圧縮して示した名シーンでした。
でもね、監督に言われないと、
ここがポイント、なんてちょっと分からないですね。

個人的な推測としては、
おそらくラストの意味は世代を超えた「和解」という趣旨で、
過去の立場の違う人間の対立の悲劇は、
結局その世代では解決せず、
新たな悲劇を生んだだけに終わったのですが、
その隠された真実が明らかにされたことにより、
その次の世代においては、
和解の種が播かれた、
ということではないでしょうか?

意地悪監督がひねりにひねった心理スリラーで、
面白いと素直に言えるような作品ではないのですが、
観た後で強く心に刻まれる映画であることは確かで、
心身ともに体力のある時にご覧下さい。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「フィッシャー・キング」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。
1日家にいる予定です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
フィッシャー・キング.jpg
1991年にアメリカ公開、翌1992年に日本公開された、
テリー・ギリアム監督としては珍しい、
現代を舞台にした人間ドラマで、
おそらくテリー・ギリアム作品としては、
一般には最も成功した映画です。

ジェフ・ブリッジスとロビン・ウィリアムス演じる2人の男性が、
ある猟奇事件でそれぞれに身を持ち崩し、
一方は女性のヒモのようになって飲んだくれの日々を過ごし、
もう一方は狂気に陥って、
自分を聖杯伝説の騎士と信じてホームレス生活をしています。

そのどん底の2人がある日ひょんなことから出逢い、
奇妙な友情を育むようになります。
物語は聖杯伝説をなぞるようにして展開され、
誰もが望む、幸福なエンディングが待っているのです。

この映画はキャストが抜群にいいんですね。
ジェフ・ブリッジスもロビン・ウィリアムスも、
2人とも他にもキラ星の如く数々の名作に出演していますが、
この作品が代表作だと言っても、
別に何処からも文句は出ないのではないかと思います。
2人の個性がそれぞれにしっかり活きているのが、
何よりいいですね。
そして、対するアマンダ・プラマーとマーセデス・ルールの、
2人の女優さんが、
非常に個性的で魅力的な相手役のヒロインを演じて、
その見事な演技の競演が、
この作品の最大の魅力です。

テリー・ギリアムと言えば、
破天荒で壮大なファンタジーが代名詞で、
独創的な反面、空中分解しているような作品も多かったのですが、
この作品ではリチャード・ラグラベネーズによる脚本が、
完成度高く既に存在していて、
監督はその物語を活かしながら、
自分のテイストを盛り込んで、
やり過ぎない作品に仕上げています。

多分他にギリアム監督の作品で、
このように抑制的な映画は他にないと思いますし、
ある意味ここまで成功した作品も他にないと思います。

監督、普通の映画も作れるんじゃん!
という感じです。

ただ、ギリアム監督の個性自体は健在で、
広角レンズの斜め構図やスモーク、逆光使いまくり、
「赤い騎士」のゴミの中から姿を現したようなビジュアルなど、
これはもうギリアム監督の世界そのものです。

監督は女性を描くことは基本的に苦手で、
登場する時は「男の夢を妨害する存在」と、
「妄想の中の理想の恋人」の2択になります。
今回もその2つのパターンの女性が登場するのですが、
その造形は役者さんの芝居の見事さも相俟って、
他のギリアム作品とは比べものにならないレベルに達しています。

ただ、ギリアム作品はあくまで男性目線の世界なので、
基本的に「男にとっての女性」しか出て来ません。
それを批判される方もいますし、
それはその通りなのですが、
これはもうこうしたものとして、
許容して楽しめるかどうか、
という個々人の問題なのではないかと思います。

いずれにしてもギリアム監督にしてなし得た、
現代の理想郷を旅する映画で、
ギリアム作品の入門編としても、
その1つの到達点としても、
ひととき、ニューヨークという過去の理想郷に遊ぶことの出来る、
素敵な映画であることは間違いがありません。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「ミスト」(映画版) [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ミスト.jpg
これはWOWOWで撮ってあったものを最近観ました。

フランク・ダラボン監督はフランス生まれのハンガリー人で、
「ショーシャンクの空に」と「グリーンマイル」という、
いずれもスティーブン・キング原作の作品を脚本・監督し、
非常に高い評価を得ました。
両方とも感動的な作品です。
ちょっと優等生的な感じもします。

ただ、経歴を見ると、
「エルム街の悪夢3/惨劇の舘」や、
「ブロブ/宇宙からの不明物体」などの台本を書いていて、
いずれもホラーをマニアの視点から再構成したような、
面白いB級娯楽映画の快作でした。

なので、感動映画の大家となってからも、
こういう世界をもう一回ホラーでひっくり返してやろう、
というような思いがあったのではないかと思います。

そして、出来上がった作品は、
「ブロブ/宇宙からの不明物体」を思わせるような、
奇怪な霧の中から正体不明の怪物が襲い来る中、
スーパーマーケットに閉じ込められた、
アメリカの田舎町の住民のドラマで、
「ショーシャンクの空」のような脱出と逆転劇があるのでは、
という多くの観客の期待と希望を裏切って、
ある種映画史に残る壮絶なエンディングが待っています。

これね、怪物からのサバイバルのホラーとしては、
物凄く良く出来ているんですね。
怪物は何種類かいて、
基本的な造形には目新しさはないのですが、
細部の造形に個性があって、
生理的な嫌悪感を巧みに煽るのが上手いと思います。
全体像はしっかり見せないような怪物もいて、
そのバランスも巧みだと思います。
一番巨大な怪物は、
シルエットしか見せないでしょ。
見せられないのではなく、見せないのです。
その一方で見せるべきものは、
じゃんじゃん見せています。
このバランスが素晴らしいのです。
おどかしもあるのですが、
基本的には人間の側の圧倒的な無力感が、
この作品の恐怖を作り出しているんですね。
「とても助からない」という雰囲気が、
じわじわと感じられ、
徐々に膨らんでくるのが怖いのです。

そして、スーパーマーケットでの人間ドラマは、
現実をちょっとデフォルメして、
性格を少し醜悪方向にアレンジした住民達が、
怪物への恐怖に精神の均衡を失い、
混乱の中に自滅してゆきます。

ここはアメリカ映画が得意とする、
パニック映画の典型的なパターンなんですね。
典型的な名作を1つ挙げるなら、
リメイクもされた「ポセイドン・アドベンチャー」です。
この映画では転覆して上下が逆になった豪華客船の、
船内の下方に残された乗客が、
そこを脱出して上方を目指すか、
それともその場に留まって助けを待つかの二手に分かれ、
ジーン・ハックマン扮する主人公に率いられた一派が、
待たずに脱出しようという、
アメリカ的な行動主義を提示して、
犠牲者は出すものの最後には脱出に成功します。
その一方でそこに残った人たちは、
すぐに何か爆発して死んでしまいます。

積極的行動こそ善という、これはハリウッドの正義です。

今回の作品でも同じような対立が起こるのですが、
その結末は同じにはなりません。
ここに作り手たちの狙いの1つがある訳です。
登場する主人公は如何にも行動主義の主役に見えますが、
その性格はやや行き当たりばったりで、
不安になると前言を翻したりもしますし、
カッとすると理性を失って騒ぐような側面も描かれています。
これが周到な伏線になっているのです。
拳銃の使い方なども非常に上手いですね。
本当の家族がバラバラになり、
ラストに疑似家族が成立する、
というのも巧みな構成です。

狂信的な女性が登場して、
黙示録が暗唱されたり、
聖書のモチーフに似通った人物が登場したりと、
作品には聖書とキリスト教が裏テーマとして使われています。
ラストも聖書の通りのことが起こったのだと、
思えなくもないところが、
これも何処まで真剣なのか分からない部分はありますが、
この映画の一筋縄ではゆかないところを示しています。

そんな訳でこの作品は、
ホラーというジャンルを熟知しているダラボン監督が、
これまでのホラーを超える作品を生み出そうとした意欲作だと、
言って良いように思います。

ただ、ラストのあまりの後味の悪さと身も蓋もないところが、
映画の印象をかなり固定化してしまい、
監督の意図とはかなり違った作品として、
捉えられてしまったことは少し残念な気はします。

この作品の後ダラボン監督はあまり作品を撮っていませんし、
ホラーのジャンルにも近づこうとしていないように思えるのは、
監督にとってもこの作品が、
ある種のトラウマになってしまったからかも知れません。

僕は嫌いな映画ではありませんし、
一見の価値は間違いなくありますが、
鑑賞後に沈んだ気分になることは間違いがないので、
TPOを選んで観る必要はある映画です。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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