新型インフルエンザの鑑別出来る迅速診断キットのメカニズムと日本の医療ビジネスの話 [悪口]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
朝から健診結果の整理などして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
インフルエンザの所謂簡易検査のキットは、
数年前までは、
A型とB型との鑑別は可能でも、
そのA型が2009年の所謂新型インフルエンザなのか、
そうでないのか、
という点の鑑別は出来ないことが一般的でした。
それが昨年より、
新型インフルエンザとそうではないA型インフルエンザ、
そしてB型の、
3種類の鑑別が同時に出来るキットが、
幅広く流通しています。
しかし、何故この鑑別が可能となったのか、
という点については、
あまり明確な説明が何処にも書かれておらず、
僕は正直非常に疑問でした。
先日そのキットのメーカーの学術の方から、
その点についての説明を受け、
なるほどと思うと共に、
いつもながらの日本の医療技術の駄目さの源に、
改めて落胆の溜息を漏らすような思いがありました。
それで今日はインフルエンザのキットという切り口から、
何処かで聞いたような、
日本の停滞の構造的な問題を僕なりに考えたいと思います。
まずインフルエンザの迅速診断キットの歴史を振り返ります。
一番最初に発売された簡易検査のキットは、
A型インフルエンザのみしか、
診断の出来ないものでした。
それがその数年後に、
A型とB型の双方が鑑別可能なキットが販売されます。
これはウイルスの粒子の中にある、
核蛋白質という部分を検出して、
A型とB型とを鑑別していたのです。
A型インフルエンザには実際には多くの種類があります。
A香港型やAソ連型、
2009年の所謂新型などがそれです。
A香港型はH3N2というタイプのもので、
Aソ連型と新型はH1N1というタイプのものです。
このHとかNとかというのは、
表面抗原と言って、
ウイルスの粒子の表面から飛び出した、
一種の角のような突起の部分の名称を指しています。
Hはヘマグルチニンと呼ばれる抗原で、
Nはノイラミニダーゼという抗原の略称です。
タミフルなどの抗ウイルス剤は、
このノイラミニダーゼを阻害する作用があります。
そして、ヘマグルチニンには1~16までの16種類があり、
ノイラミニダーゼには1~9までの9種類があるのです。
さて、新しいキットが、
2009年の新型インフルエンザを検出可能となったのは、
新型インフルエンザのH抗原に対する、
特異的にくっつく蛋白質、
すなわちモノクローナル抗体を、
作製してキットに利用しているからです。
ただ、ここでちょっと疑問を感じる方が、
いらっしゃるかも知れません。
新型インフルエンザの抗原型は、
H1N1で、
季節性のAソ連型と同一です。
それでは、
何故新型に反応して、
Aソ連型には反応しないのでしょうか?
これは新型インフルエンザと季節性のAソ連型では、
そのヘマグルチニンの構造に、
若干の違いがあり、
その変異に対応するような、
すなわち新型インフルエンザのH抗原にはくっつくけれど、
季節性のH抗原にはくっつかないような、
そうしたモノクローナル抗体の、
作製に成功したからなのです。
こうした技術があるのですから、
本来は今流行している全てのインフルエンザの型分類を、
1枚の試験紙で行なうことも、
原理的には可能なのです。
しかし、コスト的な問題と、
臨床的にはそうした分類までは、
不要なのではないか、
というメーカー側の判断があり、
現行はそうしたキットは普及はしていない、
というのが実状のようです。
何度か過去に書いた話ですが、
2009年の新型インフルエンザの流行時に、
その遺伝子診断に時間の掛かることが問題視され、
より迅速で末端の医療機関で使用可能な、
診断法の開発に、
多額の研究費が税金から緊急的に拠出されたことがありました。
所謂いつもの「御用研究所」に、
いつものように税金がばら撒かれたのです。
勿論それで画期的な検査法が開発されれば、
そのお金は有効に活用された、
と言えるので問題はないのですが、
実際には少なくとも商品として、
販売出来るような装置やキットは、
今に至るまで開発はされていません。
当時僕が最もその開発を希望していたのは、
今回あるような新型インフルエンザの、
一般臨床での迅速診断を可能とするようなキットの開発です。
しかし、多額の税金が使われたにも関わらず、
それは日本では開発はされませんでした。
今使用されているキットは、
韓国のベンチャーが開発したものです。
親会社はアメリカですが、
製品は韓国で製造されています。
モノクローナル抗体の技術自体は、
別に日本でも開発は充分可能なのですが、
問題はその製作に欠かせない、
実際のウイルスの入手で、
韓国の企業は逸早くその入手に成功して、
製品化の道を開き、
日本でもウイルス株自体は、
「御用研究所」には存在しながら、
その「商品」としての開発には、
結び付くことはなかったのです。
何処かで聞いたような話が、
医療のベンチャーに関しても、
同じようにあるのです。
皆さんの税金から、
結構湯水の如く支出されている研究費は、
その多くが医療産業の進歩には、
結び付かない何処かに消えて行くのです。
もう1つ思うことは、
医療産業において、
メーカーは真の意味で、
「売れる商品」のニーズに気付いていない、
ということです。
数年前くらいのインフルエンザの臨床において、
僕が最も望んでいたのは、
A香港型とAソ連型の鑑別の出来る、
インフルエンザの迅速診断のキットでした。
これはその時点では存在すれば絶対に売れる商品だったのです。
そして、技術的にはその時点で充分可能でした。
しかし、実際には開発されなかったのです。
それは何故でしょうか?
今回お話をお聞きした学術の方の話では、
その時点ではA型の亜型が鑑別出来ることに、
ニーズがないとの判断だった、
との見解でした。
ニーズはあります。
それが見えないのは、
一般の臨床の医者が、
本当にどんな武器を求めているのか、
という観点に、
日本のメーカーが立っていないからなのです。
現場で患者さんを診ていない「権威のある方」の意見を、
医療者全体のニーズと誤解して、
商品開発を行なっているからに他ならない、
と僕は思います。
今日は日本の医療ビジネスの、
駄目さ加減の話を、
インフルエンザのキットから考えました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
朝から健診結果の整理などして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
インフルエンザの所謂簡易検査のキットは、
数年前までは、
A型とB型との鑑別は可能でも、
そのA型が2009年の所謂新型インフルエンザなのか、
そうでないのか、
という点の鑑別は出来ないことが一般的でした。
それが昨年より、
新型インフルエンザとそうではないA型インフルエンザ、
そしてB型の、
3種類の鑑別が同時に出来るキットが、
幅広く流通しています。
しかし、何故この鑑別が可能となったのか、
という点については、
あまり明確な説明が何処にも書かれておらず、
僕は正直非常に疑問でした。
先日そのキットのメーカーの学術の方から、
その点についての説明を受け、
なるほどと思うと共に、
いつもながらの日本の医療技術の駄目さの源に、
改めて落胆の溜息を漏らすような思いがありました。
それで今日はインフルエンザのキットという切り口から、
何処かで聞いたような、
日本の停滞の構造的な問題を僕なりに考えたいと思います。
まずインフルエンザの迅速診断キットの歴史を振り返ります。
一番最初に発売された簡易検査のキットは、
A型インフルエンザのみしか、
診断の出来ないものでした。
それがその数年後に、
A型とB型の双方が鑑別可能なキットが販売されます。
これはウイルスの粒子の中にある、
核蛋白質という部分を検出して、
A型とB型とを鑑別していたのです。
A型インフルエンザには実際には多くの種類があります。
A香港型やAソ連型、
2009年の所謂新型などがそれです。
A香港型はH3N2というタイプのもので、
Aソ連型と新型はH1N1というタイプのものです。
このHとかNとかというのは、
表面抗原と言って、
ウイルスの粒子の表面から飛び出した、
一種の角のような突起の部分の名称を指しています。
Hはヘマグルチニンと呼ばれる抗原で、
Nはノイラミニダーゼという抗原の略称です。
タミフルなどの抗ウイルス剤は、
このノイラミニダーゼを阻害する作用があります。
そして、ヘマグルチニンには1~16までの16種類があり、
ノイラミニダーゼには1~9までの9種類があるのです。
さて、新しいキットが、
2009年の新型インフルエンザを検出可能となったのは、
新型インフルエンザのH抗原に対する、
特異的にくっつく蛋白質、
すなわちモノクローナル抗体を、
作製してキットに利用しているからです。
ただ、ここでちょっと疑問を感じる方が、
いらっしゃるかも知れません。
新型インフルエンザの抗原型は、
H1N1で、
季節性のAソ連型と同一です。
それでは、
何故新型に反応して、
Aソ連型には反応しないのでしょうか?
これは新型インフルエンザと季節性のAソ連型では、
そのヘマグルチニンの構造に、
若干の違いがあり、
その変異に対応するような、
すなわち新型インフルエンザのH抗原にはくっつくけれど、
季節性のH抗原にはくっつかないような、
そうしたモノクローナル抗体の、
作製に成功したからなのです。
こうした技術があるのですから、
本来は今流行している全てのインフルエンザの型分類を、
1枚の試験紙で行なうことも、
原理的には可能なのです。
しかし、コスト的な問題と、
臨床的にはそうした分類までは、
不要なのではないか、
というメーカー側の判断があり、
現行はそうしたキットは普及はしていない、
というのが実状のようです。
何度か過去に書いた話ですが、
2009年の新型インフルエンザの流行時に、
その遺伝子診断に時間の掛かることが問題視され、
より迅速で末端の医療機関で使用可能な、
診断法の開発に、
多額の研究費が税金から緊急的に拠出されたことがありました。
所謂いつもの「御用研究所」に、
いつものように税金がばら撒かれたのです。
勿論それで画期的な検査法が開発されれば、
そのお金は有効に活用された、
と言えるので問題はないのですが、
実際には少なくとも商品として、
販売出来るような装置やキットは、
今に至るまで開発はされていません。
当時僕が最もその開発を希望していたのは、
今回あるような新型インフルエンザの、
一般臨床での迅速診断を可能とするようなキットの開発です。
しかし、多額の税金が使われたにも関わらず、
それは日本では開発はされませんでした。
今使用されているキットは、
韓国のベンチャーが開発したものです。
親会社はアメリカですが、
製品は韓国で製造されています。
モノクローナル抗体の技術自体は、
別に日本でも開発は充分可能なのですが、
問題はその製作に欠かせない、
実際のウイルスの入手で、
韓国の企業は逸早くその入手に成功して、
製品化の道を開き、
日本でもウイルス株自体は、
「御用研究所」には存在しながら、
その「商品」としての開発には、
結び付くことはなかったのです。
何処かで聞いたような話が、
医療のベンチャーに関しても、
同じようにあるのです。
皆さんの税金から、
結構湯水の如く支出されている研究費は、
その多くが医療産業の進歩には、
結び付かない何処かに消えて行くのです。
もう1つ思うことは、
医療産業において、
メーカーは真の意味で、
「売れる商品」のニーズに気付いていない、
ということです。
数年前くらいのインフルエンザの臨床において、
僕が最も望んでいたのは、
A香港型とAソ連型の鑑別の出来る、
インフルエンザの迅速診断のキットでした。
これはその時点では存在すれば絶対に売れる商品だったのです。
そして、技術的にはその時点で充分可能でした。
しかし、実際には開発されなかったのです。
それは何故でしょうか?
今回お話をお聞きした学術の方の話では、
その時点ではA型の亜型が鑑別出来ることに、
ニーズがないとの判断だった、
との見解でした。
ニーズはあります。
それが見えないのは、
一般の臨床の医者が、
本当にどんな武器を求めているのか、
という観点に、
日本のメーカーが立っていないからなのです。
現場で患者さんを診ていない「権威のある方」の意見を、
医療者全体のニーズと誤解して、
商品開発を行なっているからに他ならない、
と僕は思います。
今日は日本の医療ビジネスの、
駄目さ加減の話を、
インフルエンザのキットから考えました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
小児用肺炎球菌ワクチン及びヒブワクチン接種見合わせを憤る [悪口]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
朝からレセプトのチェックをして、
朝のニュースを見て目が点になり、
全身の血が頭に上りました。
ここ数日来、
ヒブワクチンと小児用肺炎球菌ワクチン(プレベナー)の、
主に同時接種による接種後死亡事例の報告がありましたが、
それを受けて厚生労働省は、
昨日(3月4日)に、
両ワクチンの接種を当面見合わせることを決めた、
と言うのです。
要するにヒブワクチンとプレベナーを、
昨日以降は打ってはならない、
ということになったのです。
死亡事例の評価は色々あるでしょうし、
同時接種の是非についても、
(診療所ではヒブとプレベナーの同時接種はしていません)
色々な意見が存在するでしょう。
この点については、
もう少し資料を吟味してから、
また記事にしたいと思います。
今日僕が言いたいことは、
予防接種が急に見合わせになるという重要事項が、
実際に接種をする立場の医療機関に、
まだこの5日の朝の時点において、
何らの報告も指示も、
一遍のファクスすら、
寄せられてはいない、
というこの呆れた現状についてです。
昨日は幸い、
診療所で行なった予防接種は、
3種混合とサーバリックス(新規でない方)のみでした。
ただ、もし知らずに打っていたら、
今日報道を見たお母さんに、
一体どのように説明すれば良いのでしょうか?
それどころか、
この通達がおそらくは生きている、
今日の時点においても、
新聞などの報道を見たり、
厚生労働省のサイトに目を通さなければ、
実際に接種をする医療機関の医療者が、
この事実を知る方法は何1つないのです。
知らずに接種希望の方がお出でになれば、
そのまま打ってしまいます。
薬害については多くの意見がありますが、
あまり指摘はされない非常に重要なことは、
安全性に関する緊急性の高い情報が、
本当にそれを必要としている末端の医療機関に、
最初に届くのではなく、
まず報道があり、
それから製薬会社や地方の行政の機関に伝えられ、
その後にようやく現場に伝えられる、
というこの呆れたシステムにあるのです。
こんな馬鹿なことがあるでしょうか?
予防接種見合わせの指示が、
最初に伝えられるべき場所は何処でしょうか?
それは実際に接種を行なう医療機関であるべきです。
しかし、通達は金曜日に報道され発表され、
多くのお役人の皆さんは土日はお休みで、
月曜日にならないと連絡すらないのです。
末端の医者としては、
自分の身は自分で守り、
患者さんに不利益を与えないように、
情報を必死で得る努力をするしか、
方法はないのかも知れません。
最後に1つ追加すれば、
プレベナーは記事に寄せられたコメントを読んでも、
その資料を読んでも、
実際に接種を行なってみても、
矢張り明らかにヒブワクチンより副反応の頻度は高い、
と思います。
勿論有用性はありますが、
そのワクチン自体まだ完成形ではなく、
その接種には他のワクチンより、
少し慎重に検討するべきではないか、
と個人的には思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんは良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
補足(2011年3月5日午後1時)
こんな悪口を午前8時に書いていたら、
診療中の午前10時に保健所から電話があり、
プレベナーとヒブワクチンを使用しないで欲しい、
また何かワクチンの副反応があれば、
即時報告を…、とのことでした。
「月曜日まで放置」は訂正します。
保健所の方は休日出勤で、
朝から渋谷区内の全ての医療機関に、
電話を掛けまくっている訳で、
その労力には頭が下がります。
でも、いつもこんな原始的なことで、
特定の人間にだけ大きな負担が掛かるようなシステムで、
本当に良いのでしょうか?
それに半日以上前には報道されているのです。
何かが大きく間違っている気がしますし、
非常に疑問です。
以上、3月5日午後の補足でした。
保健所の担当の方ご苦労様です。
悪口を言ってすいません。
六号通り診療所の石原です。
朝からレセプトのチェックをして、
朝のニュースを見て目が点になり、
全身の血が頭に上りました。
ここ数日来、
ヒブワクチンと小児用肺炎球菌ワクチン(プレベナー)の、
主に同時接種による接種後死亡事例の報告がありましたが、
それを受けて厚生労働省は、
昨日(3月4日)に、
両ワクチンの接種を当面見合わせることを決めた、
と言うのです。
要するにヒブワクチンとプレベナーを、
昨日以降は打ってはならない、
ということになったのです。
死亡事例の評価は色々あるでしょうし、
同時接種の是非についても、
(診療所ではヒブとプレベナーの同時接種はしていません)
色々な意見が存在するでしょう。
この点については、
もう少し資料を吟味してから、
また記事にしたいと思います。
今日僕が言いたいことは、
予防接種が急に見合わせになるという重要事項が、
実際に接種をする立場の医療機関に、
まだこの5日の朝の時点において、
何らの報告も指示も、
一遍のファクスすら、
寄せられてはいない、
というこの呆れた現状についてです。
昨日は幸い、
診療所で行なった予防接種は、
3種混合とサーバリックス(新規でない方)のみでした。
ただ、もし知らずに打っていたら、
今日報道を見たお母さんに、
一体どのように説明すれば良いのでしょうか?
それどころか、
この通達がおそらくは生きている、
今日の時点においても、
新聞などの報道を見たり、
厚生労働省のサイトに目を通さなければ、
実際に接種をする医療機関の医療者が、
この事実を知る方法は何1つないのです。
知らずに接種希望の方がお出でになれば、
そのまま打ってしまいます。
薬害については多くの意見がありますが、
あまり指摘はされない非常に重要なことは、
安全性に関する緊急性の高い情報が、
本当にそれを必要としている末端の医療機関に、
最初に届くのではなく、
まず報道があり、
それから製薬会社や地方の行政の機関に伝えられ、
その後にようやく現場に伝えられる、
というこの呆れたシステムにあるのです。
こんな馬鹿なことがあるでしょうか?
予防接種見合わせの指示が、
最初に伝えられるべき場所は何処でしょうか?
それは実際に接種を行なう医療機関であるべきです。
しかし、通達は金曜日に報道され発表され、
多くのお役人の皆さんは土日はお休みで、
月曜日にならないと連絡すらないのです。
末端の医者としては、
自分の身は自分で守り、
患者さんに不利益を与えないように、
情報を必死で得る努力をするしか、
方法はないのかも知れません。
最後に1つ追加すれば、
プレベナーは記事に寄せられたコメントを読んでも、
その資料を読んでも、
実際に接種を行なってみても、
矢張り明らかにヒブワクチンより副反応の頻度は高い、
と思います。
勿論有用性はありますが、
そのワクチン自体まだ完成形ではなく、
その接種には他のワクチンより、
少し慎重に検討するべきではないか、
と個人的には思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんは良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
補足(2011年3月5日午後1時)
こんな悪口を午前8時に書いていたら、
診療中の午前10時に保健所から電話があり、
プレベナーとヒブワクチンを使用しないで欲しい、
また何かワクチンの副反応があれば、
即時報告を…、とのことでした。
「月曜日まで放置」は訂正します。
保健所の方は休日出勤で、
朝から渋谷区内の全ての医療機関に、
電話を掛けまくっている訳で、
その労力には頭が下がります。
でも、いつもこんな原始的なことで、
特定の人間にだけ大きな負担が掛かるようなシステムで、
本当に良いのでしょうか?
それに半日以上前には報道されているのです。
何かが大きく間違っている気がしますし、
非常に疑問です。
以上、3月5日午後の補足でした。
保健所の担当の方ご苦労様です。
悪口を言ってすいません。
画期的な癌検診とは何?、という話 [悪口]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
少し前に某国営放送の、
落語家がMCをしている、
多分多くの医療者が虫酸が走るほど嫌いな番組で、
画期的な癌検診がある、
という話をしていました。
どういうものかと思っていたら、
紹介されていたのは2つで、
その1つは大腸の仮想内視鏡でした。
これはCTで大腸内視鏡と似たような画像を、
再構成するもので、
昨年オバマ大統領の健康診断が公表された時、
この検査が含まれていました。
つまり、金持ち向けの検査としては、
日本よりアメリカの方が普及しているようです。
検査自体はCTを撮るだけで、
ある程度の上位機種であれば、
その撮像は可能なのですが、
内視鏡と同じように、
下剤をかけたりお尻からガスを入れたりと、
通常のCTにはない処置が必要となるため、
採算の面で合わないのが、
日本で一番普及しない原因ではないかと思います。
また検査の精度が高くなければ、
見落としを生むだけの危険があります。
そうした意味で、
テレビで紹介されていた、
国立癌センターでの検査は、
確かに他よりは信頼が置けるのでは、
とは誰でも思うところです。
それで癌センターのサイトを見ると、
昨年の11月から仮想内視鏡による大腸癌検診の、
申し込みの受け付けを開始した、
という大々的な広告があり、
その値段は3万円+消費税です。
3万円という値段はその通りに番組でも紹介されていて、
なるほどこの番組は、
お茶の間ショッピングの医療版のようなものなのだな、
と合点がいきました。
他にも多くの医療機関で、
この検査自体は行なわれているようですが、
精度管理や比較が、
きちんと行われているとは考え難く、
現時点でこの検査を行なうとすれば、
癌センターに申し込みをするのが、
一番無難ではないかと思います。
もう1つ最先端の癌検診として紹介されていたのが、
肺癌の遺伝子診断です。
痰の中にたった1つの癌細胞があるだけでも、
それが検出される方法がある、というのです。
確かに、そうした技術のあることは事実です。
日本の研究者が、
この手法により癌遺伝子の一種である、
EML4-ALK という融合遺伝子を発見し、
2007年のNature誌に掲載されて大きな注目を集めました。
この遺伝子をマーカーとして、
画期的な分子標的薬のタイプの抗癌剤が開発され、
現在国内外で臨床試験中です。
しかし、それが癌検診でしょうか?
この検査は現時点では特定の施設でしか行うことが出来ず、
その目的は肺癌のうち、
特定の抗癌剤が有効かどうかを、
判断する基準として利用する、
というものです。
肺癌の患者さんのうち、
ある程度の比率でしか陽性にはならないのですから、
それが肺癌検診として、
使える訳がありません。
登場していた件の先生も、
多分それが「新しい癌検診」という取材であったとは、
理解はされていなかったのでは、
と僕は思いました。
これは肺癌の患者さんに行なう検査であって、
肺癌の発見のために行なう検査ではないからです。
番組の後半は結局市町村の癌検診を受けましょう、
というアピールになったのですが、
これだけ内容に格差があって、
それはないだろう、という感じです。
通常市町村の癌検診で行なうのは、
大腸は便の潜血反応の検査で、
肺癌はレントゲンと痰の細胞診の検査です。
それでは見つからないよ、
と言わんばかりの内容を説明しておいて、
最後はその不充分な検診を受けなさい、
と言うのですから、
何が言いたいのか本当に理解不能です。
あの番組は、
「餃子の画期的な焼き方」と同じスタンスで、
医療情報を扱うので、
本当に実害が大きいと思うのですが、
その影響力も大きく、
現時点で医療バラエティーとしては、
史上最悪と断言出来ます。
本当は受診料など払うのは嫌なのですが、
デセイ様の中継もあるのでそうも出来ず、
無念な思いは募るばかりです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
少し前に某国営放送の、
落語家がMCをしている、
多分多くの医療者が虫酸が走るほど嫌いな番組で、
画期的な癌検診がある、
という話をしていました。
どういうものかと思っていたら、
紹介されていたのは2つで、
その1つは大腸の仮想内視鏡でした。
これはCTで大腸内視鏡と似たような画像を、
再構成するもので、
昨年オバマ大統領の健康診断が公表された時、
この検査が含まれていました。
つまり、金持ち向けの検査としては、
日本よりアメリカの方が普及しているようです。
検査自体はCTを撮るだけで、
ある程度の上位機種であれば、
その撮像は可能なのですが、
内視鏡と同じように、
下剤をかけたりお尻からガスを入れたりと、
通常のCTにはない処置が必要となるため、
採算の面で合わないのが、
日本で一番普及しない原因ではないかと思います。
また検査の精度が高くなければ、
見落としを生むだけの危険があります。
そうした意味で、
テレビで紹介されていた、
国立癌センターでの検査は、
確かに他よりは信頼が置けるのでは、
とは誰でも思うところです。
それで癌センターのサイトを見ると、
昨年の11月から仮想内視鏡による大腸癌検診の、
申し込みの受け付けを開始した、
という大々的な広告があり、
その値段は3万円+消費税です。
3万円という値段はその通りに番組でも紹介されていて、
なるほどこの番組は、
お茶の間ショッピングの医療版のようなものなのだな、
と合点がいきました。
他にも多くの医療機関で、
この検査自体は行なわれているようですが、
精度管理や比較が、
きちんと行われているとは考え難く、
現時点でこの検査を行なうとすれば、
癌センターに申し込みをするのが、
一番無難ではないかと思います。
もう1つ最先端の癌検診として紹介されていたのが、
肺癌の遺伝子診断です。
痰の中にたった1つの癌細胞があるだけでも、
それが検出される方法がある、というのです。
確かに、そうした技術のあることは事実です。
日本の研究者が、
この手法により癌遺伝子の一種である、
EML4-ALK という融合遺伝子を発見し、
2007年のNature誌に掲載されて大きな注目を集めました。
この遺伝子をマーカーとして、
画期的な分子標的薬のタイプの抗癌剤が開発され、
現在国内外で臨床試験中です。
しかし、それが癌検診でしょうか?
この検査は現時点では特定の施設でしか行うことが出来ず、
その目的は肺癌のうち、
特定の抗癌剤が有効かどうかを、
判断する基準として利用する、
というものです。
肺癌の患者さんのうち、
ある程度の比率でしか陽性にはならないのですから、
それが肺癌検診として、
使える訳がありません。
登場していた件の先生も、
多分それが「新しい癌検診」という取材であったとは、
理解はされていなかったのでは、
と僕は思いました。
これは肺癌の患者さんに行なう検査であって、
肺癌の発見のために行なう検査ではないからです。
番組の後半は結局市町村の癌検診を受けましょう、
というアピールになったのですが、
これだけ内容に格差があって、
それはないだろう、という感じです。
通常市町村の癌検診で行なうのは、
大腸は便の潜血反応の検査で、
肺癌はレントゲンと痰の細胞診の検査です。
それでは見つからないよ、
と言わんばかりの内容を説明しておいて、
最後はその不充分な検診を受けなさい、
と言うのですから、
何が言いたいのか本当に理解不能です。
あの番組は、
「餃子の画期的な焼き方」と同じスタンスで、
医療情報を扱うので、
本当に実害が大きいと思うのですが、
その影響力も大きく、
現時点で医療バラエティーとしては、
史上最悪と断言出来ます。
本当は受診料など払うのは嫌なのですが、
デセイ様の中継もあるのでそうも出来ず、
無念な思いは募るばかりです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
チャンピックス消失! [悪口]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は水曜日なので、
診療は午前中で終わり、
午後は妻の病院に行って、
夜はちょっと遊びに出る予定です。
それでは今日の話題です。
糖尿病薬の副作用死の話の、
続きを書く予定だったのですが、
昨日呆れてびっくりしたので、
今日はその話を挟んで、
糖尿病薬の話の続きは明日に延ばします。
昨日某製薬会社の担当者の方がおいでになって、
チャンピックスが品薄で供給困難な状態のため、
当面年内は新規の処方は出来ません、
と言われました。
チャンピックスは禁煙治療の飲み薬で、
通常3ヶ月間連続して使用しますが、
初回は少量から開始するため、
最初の処方はスターターパックと言って、
初回用の2週間分の処方が使用されます。
そのスターターパックを、
製薬会社は今年はもう流通させない、
と言うのです。
それは想定外に処方が増加したため、
対応困難になった、ということのようです。
ただ、唐突なこの決定は、
如何にも某製薬会社のプランの杜撰さを感じさせます。
今年の10月からタバコが値上げになることは、
かなり前から分かっていたことですし、
その前には大物芸能人を使ったテレビCM等の宣伝を、
大々的に行なっていたのです。
当然それは処方の増加を見込んだ戦略の筈で、
それでいながらちょっと処方が増えると、
すぐに流通が困難になり、
数ヶ月間以上ストップしてしまう、
と言うのは、
尋常なこととは思えません。
その製薬会社は世界に冠たる企業の筈で、
薬剤の供給というのは、
単なる商品の流通とは、
また別個の意味合いを持つ公共性の高い事業の筈です。
確かにこれまでも、
インフルエンザワクチンの不足や、
インフルエンザの治療薬の不足など、
同様の事態はありました。
ただ、それは明らかに異常な疾患の流行と、
桁外れの需要拡大があったればこそです。
今回のように自分で宣伝を打って、
需要拡大を見込んでおきながら、
実際にちょっと需要が拡大すると、
すぐさま流通がストップするなど、
商品の公共性から考えて、
本来あってはならないことの筈です。
つまり公共性のある商品である、
と言う認識があるなら、
大宣伝のCMなど流すべきではないのです。
逆に流すなら、
ちょっとやそっとの需要拡大では、
ビクともしないだけの増産体勢があるべきです。
先週にも製薬会社の担当者がお見えになり、
その時の話では、
増産をかけているので、
薬剤自体は充分にあるのだが、
なかなか卸さんのレベルまで廻っていかないので、
もう1週間程度お待ち下さい、
というニュアンスの説明でした。
それが数日で掌を返した流通ストップの声明です。
正反対の説明が数日毎に上から降りてくるのですから、
担当の方も本当に気の毒です。
その昔セガという会社があって、
新しいゲーム機の「セガサターン」を、
大宣伝の後に発売したのですが、
それが流通せずにすぐに品切れになり、
会社も結局潰れました。
普通考えれば某製薬会社も、
死ぬ気で増産体勢を組み、
一刻も早く供給すべきではないかと思いますが、
そうしないところを見ると、
そんなことをするより、
「足りなくなったんだから仕方ねえだろ。
もうちょっと待ってろよ」
というような上から目線の対応で、
多分経営判断としては正解なのでしょうし、
それで潰れることもなく、
その方が儲かる仕組みになっているのかも知れません。
チャンピックスは結構高価な薬ですし、
それを飲んで禁煙をしよう、
と思う方の1人1人にも、
それなりの真面目な思いがあるのです。
僕もその思いに応えようと、
僕なりに真剣に禁煙治療に取り組んでいるつもりです。
ただ、その気持ちは多分、
巨大なカフカの城のような大企業の壁の向こうには、
何1つ届いてはいないのでしょうし、
彼らが考えていることは、
損得の計算と、
もう処方を始めた方の薬が供給出来なくなった時、
その患者さんから訴えられた時の、
対応策くらいのような気がします。
企業が本当に誰の側を向いて、
その公共性の高い商品を販売しているのかは、
その美辞麗句を連ねたCMより、
こうした時の対応にこそ、
顕れているような気がします。
製薬会社の顧客は、
その薬を使用する患者さんの筈です。
しかし、製薬会社と患者さんとの間には、
医者や薬剤師が入り、
それが製薬会社にとっては、
ある種の緩衝材になるので、
多少の不祥事があっても、
流通がへっぽこで確保されなくても、
直接謝るような必要は多くの場合なく、
流通がストップするような事態に対する、
危機意識が欠如しているように思えます。
CMでタレントやきれいなお姉さんが、
皆さんの健康やら幸せな明日のために何たらと、
歯の浮くような台詞を並べ立てるのは、
別に皆さんのためではなく、
多くは自分たちの利益と、
テレビ局の利益のためなのです。
僕はジェネリック薬品は大嫌いですが、
こうした事態を見ると、
こんな製薬会社の薬は、
逸早く全てジェネリックにしてもらって、
その流通を確保した方が、
どれだけましかとも思えます。
皆さんはどうお考えになりますか?
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は水曜日なので、
診療は午前中で終わり、
午後は妻の病院に行って、
夜はちょっと遊びに出る予定です。
それでは今日の話題です。
糖尿病薬の副作用死の話の、
続きを書く予定だったのですが、
昨日呆れてびっくりしたので、
今日はその話を挟んで、
糖尿病薬の話の続きは明日に延ばします。
昨日某製薬会社の担当者の方がおいでになって、
チャンピックスが品薄で供給困難な状態のため、
当面年内は新規の処方は出来ません、
と言われました。
チャンピックスは禁煙治療の飲み薬で、
通常3ヶ月間連続して使用しますが、
初回は少量から開始するため、
最初の処方はスターターパックと言って、
初回用の2週間分の処方が使用されます。
そのスターターパックを、
製薬会社は今年はもう流通させない、
と言うのです。
それは想定外に処方が増加したため、
対応困難になった、ということのようです。
ただ、唐突なこの決定は、
如何にも某製薬会社のプランの杜撰さを感じさせます。
今年の10月からタバコが値上げになることは、
かなり前から分かっていたことですし、
その前には大物芸能人を使ったテレビCM等の宣伝を、
大々的に行なっていたのです。
当然それは処方の増加を見込んだ戦略の筈で、
それでいながらちょっと処方が増えると、
すぐに流通が困難になり、
数ヶ月間以上ストップしてしまう、
と言うのは、
尋常なこととは思えません。
その製薬会社は世界に冠たる企業の筈で、
薬剤の供給というのは、
単なる商品の流通とは、
また別個の意味合いを持つ公共性の高い事業の筈です。
確かにこれまでも、
インフルエンザワクチンの不足や、
インフルエンザの治療薬の不足など、
同様の事態はありました。
ただ、それは明らかに異常な疾患の流行と、
桁外れの需要拡大があったればこそです。
今回のように自分で宣伝を打って、
需要拡大を見込んでおきながら、
実際にちょっと需要が拡大すると、
すぐさま流通がストップするなど、
商品の公共性から考えて、
本来あってはならないことの筈です。
つまり公共性のある商品である、
と言う認識があるなら、
大宣伝のCMなど流すべきではないのです。
逆に流すなら、
ちょっとやそっとの需要拡大では、
ビクともしないだけの増産体勢があるべきです。
先週にも製薬会社の担当者がお見えになり、
その時の話では、
増産をかけているので、
薬剤自体は充分にあるのだが、
なかなか卸さんのレベルまで廻っていかないので、
もう1週間程度お待ち下さい、
というニュアンスの説明でした。
それが数日で掌を返した流通ストップの声明です。
正反対の説明が数日毎に上から降りてくるのですから、
担当の方も本当に気の毒です。
その昔セガという会社があって、
新しいゲーム機の「セガサターン」を、
大宣伝の後に発売したのですが、
それが流通せずにすぐに品切れになり、
会社も結局潰れました。
普通考えれば某製薬会社も、
死ぬ気で増産体勢を組み、
一刻も早く供給すべきではないかと思いますが、
そうしないところを見ると、
そんなことをするより、
「足りなくなったんだから仕方ねえだろ。
もうちょっと待ってろよ」
というような上から目線の対応で、
多分経営判断としては正解なのでしょうし、
それで潰れることもなく、
その方が儲かる仕組みになっているのかも知れません。
チャンピックスは結構高価な薬ですし、
それを飲んで禁煙をしよう、
と思う方の1人1人にも、
それなりの真面目な思いがあるのです。
僕もその思いに応えようと、
僕なりに真剣に禁煙治療に取り組んでいるつもりです。
ただ、その気持ちは多分、
巨大なカフカの城のような大企業の壁の向こうには、
何1つ届いてはいないのでしょうし、
彼らが考えていることは、
損得の計算と、
もう処方を始めた方の薬が供給出来なくなった時、
その患者さんから訴えられた時の、
対応策くらいのような気がします。
企業が本当に誰の側を向いて、
その公共性の高い商品を販売しているのかは、
その美辞麗句を連ねたCMより、
こうした時の対応にこそ、
顕れているような気がします。
製薬会社の顧客は、
その薬を使用する患者さんの筈です。
しかし、製薬会社と患者さんとの間には、
医者や薬剤師が入り、
それが製薬会社にとっては、
ある種の緩衝材になるので、
多少の不祥事があっても、
流通がへっぽこで確保されなくても、
直接謝るような必要は多くの場合なく、
流通がストップするような事態に対する、
危機意識が欠如しているように思えます。
CMでタレントやきれいなお姉さんが、
皆さんの健康やら幸せな明日のために何たらと、
歯の浮くような台詞を並べ立てるのは、
別に皆さんのためではなく、
多くは自分たちの利益と、
テレビ局の利益のためなのです。
僕はジェネリック薬品は大嫌いですが、
こうした事態を見ると、
こんな製薬会社の薬は、
逸早く全てジェネリックにしてもらって、
その流通を確保した方が、
どれだけましかとも思えます。
皆さんはどうお考えになりますか?
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
ジェネリック薬品をちょっと深く考える [悪口]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
昨日はデセイ様の「夢遊病の娘」が、
NHKで放映されたので、
今日はちょっと良い気分。
ただ、歌はボチボチで、
絶頂期の陶酔感には距離があります。
まあ、仕方がないですね。
朝から事務仕事をして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
少し前に取り上げたジェネリック薬品の理不尽について、
前回を補足する情報を幾つかご紹介し、
その闇を考えます。
今日お話することの多くは、
診療所にご訪問頂いた、
製薬会社の情報担当者の方から、
お聞きしたものです。
製薬会社の多くは、
現在外資とのグループ企業になっています。
しかし、ジェネリックの会社は全て国内の企業です。
それも多くは中小の企業ですね。
それはどうしてでしょうか?
これは言うまでもなく、
国が規制をしているからです。
つまり海外のジェネリック企業を、
日本の市場から締め出している訳です。
世界的なシェアを持つジェネリック企業というものもあって、
その1つはインドが本社の大企業です。
なるほどな、という感じですね。
厚生労働省の戦略は、大方先が見えていて、
まず「ジェネリックやりなよ。優遇するよ。儲かるよ」
と言って国内の中小企業を募ります。
甘い餌に釣られて、多くの企業が参入します。
その多くは、自力で薬品を開発するような、
技術も体力もない企業です。
そしてしばらく甘い汁を吸わせておいて、
ある日規制を撤廃します。
すると、インドの大企業のような、
世界的なジェネリック企業が、
うわっと日本に入って来て、
日本の市場を席巻します。
当然、殆どの国内のジェネリック企業は、
潰れて跡形もなくなる、という仕組みです。
ちょっと新しい書類を作り、
ひょいひょいとサインをするだけで、
ある日からジェネリックの企業が出現し、
そこに多くの利権が群がり、
ジェネリック村が繁栄をするのですが、
またしばらくして、同じ権力者が、
また別の書類に、
ひょいひょいとサインをすると、
今度は海外から黒船が煙を上げてやって来て、
瞬く間にジェネリック日本村は消滅します。
ちょっとした手先の運動で、
1つの産業が興隆したり、
衰退したり、自由自在な訳ですから、
さぞかし権力者の皆さんは楽しいことかと推測します。
しかし、振り回される下々は、
本当にいい迷惑です。
健康保険の適応となる、
全ての薬の値段である薬価は、
2年毎に改定となり、
概ね6~8%は自動的に下がります。
皆さんは薬の値段はジェネリックが出るからこそ下がるのだ、
と思われるかも知れませんが、
実際には2年毎に先発品の値段も、
国家の名の下に、強制的に下げられているのです。
ちなみに今年は7%程度、
全ての薬価が引き下げになりました。
たとえば1錠300円の薬があるとします。
発売2年後にはそれが279円になり、4年後には259円になり、
6年後には241円になり、8年後には224円になります。
先発品の値段としては10年後に208円になるのですが、
その年に同時に、特許が切れると、
208円の8割、すなわち167円のジェネリックが発売されます。
これは1つのサンプルで、
必ずしも全てがその通りになる訳ではありませんが、
概ねこのように、お上の手によって値付けが行なわれ、
国家レベルのデフレ政策が取られている、ということになります。
こんな数字のマジックで帳尻を合わせることが、
本当に医療を良くすることに繋がるのでしょうか?
僕には到底そうは思えません。
薬も商品である以上、
その適切な価格、というものがある筈です。
常に新しい商品を出し続けなければ経営が成り立たず、
ようやく開発した新薬にも関わらず、
それが数年で他の「小判鮫企業」に盗られ、
発売した商品も2年毎に強制的に価格を下げられるなど、
そんな理不尽な決まりがあるでしょうか?
その結果として、
新薬には最初は法外な値段が付けられるのです。
特許期間中に利潤を出し、
開発に掛かった巨額の費用を回収するには、
そうせざるを得ないからです。
たとえば今年、数十年ぶりに痛風の新薬が発売されるそうですが、
これは別に大して前の薬と変わらないのです。
にも関わらず何故薬が出るのかと言えば、
以前の薬はもう、
採算の取れないような薬になってしまっているからです。
画期的な新薬など、
100に1つもないでしょう。
にも関わらず毎年じゃんじゃん新薬もどきが発売されるのは、
古くて良い薬が採算の取れなくなるような仕組みがあるからです。
高血圧で一番有効性があり、データの蓄積があり、
安全性も確立されている薬はなんでしょうか?
サイアザイド系利尿剤です。
しかし、現在ではゴミのような薬価のために、
その代表のダイクロトライドは、
先発品はこの3月で姿を消し、
ジェネリックのみが流通することになります。
これがあるべき姿でしょうか?
良い薬を開発した企業が、
その自社で開発した良い薬を作り続けることが出来ず、
「なんちゃって新薬」を出し続けなければ潰れてしまうような状況は、
果たして健全なものでしょうか?
そのくらいなら、新薬の値段自体はもっと安くして、
その代わりもっと特許期間を長くすると共に、
自動的に薬価を下げるような、
愚劣な規則は廃した方が、
ずっと理に適っているように僕には思えます。
良い薬がその開発者の手によって、
長く使い続けられるような仕組みを作るべきなのです。
薬の値段が発売からの時間だけで値付けをされる、
今の仕組みは間違っています。
ジェネリックはグローバルスタンダードなのだ、
というような意見があります。
しかし、本当にそうでしょうか?
ジェネリックや薬の特許期間のような制度は、
国毎に勝手に決めている制度に過ぎません。
その証拠に少し前まで、
日本に後発品は存在しても、
現在のようなジェネリックの制度はありませんでした。
お手本とされたアメリカでは、
確かにジェネリックが出現すると、
一気に先発品の売り上げは10分の1になるそうです。
しかし、それで別に医療費がトータルで減る、
という訳ではなさそうですし、
アメリカでやっているから、
素晴らしい制度だと、
思う必要もない筈です。
アメリカ信仰は良くない、というのが、
最近の一般的風潮ですが、
こと医療の世界では、
ジェネリック信仰といい、ワクチン信仰といい、
アメリカ一国崇拝主義はまだ続いているようです。
今回の新型インフルエンザ騒動でも、
ワクチンこそ善、という考え方は、
アメリカの信仰であって、世界全体のそれではない、
という事実は明らかだと僕は思います。
他にもアメリカにはおかしな点は沢山あります。
たとえば、糖尿病の新薬は、
同じ薬効のアメリカの製薬会社の商品は、
逸早く承認されたのに、
日本の大手の製薬会社の商品は、
審査の途中で、
臨床試験の結果に不備があったからと、
難癖を付けられ、
試験のやり直しを命じられて、
承認が大きく遅れました。
特許の期間には臨床試験の期間も含まれるため、
承認が遅れれば、それだけ不利になり、
収益も減る仕組みです。
何処かで聞いたような話ですよね。
そう、トヨタのリコールと同じです。
どちらもそれなりの落ち度や不備はあるのですが、
明らかな差別があり、
自国の製品を守るためのイジメなのです。
つまりこうした取り決めの裏には、
利益誘導があり、
公正さとは無縁の世界なのです。
そもそも現在の世界に、
グローバルスタンダードなどあるでしょうか?
イランはイランのスタンダードを主張し、
アメリカはアメリカの、中国は中国の、
インドはインドの、エゴを剥き出しに、
自分達のスタンダードの、
押し付け合戦をしているだけの世の中です。
これは医療制度に限らないと思いますが、
外を見ても意味はなく、
むしろ内向きにあるべき姿を、
模索するべきではないのでしょうか?
皆さんはどうお考えになりますか?
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
昨日はデセイ様の「夢遊病の娘」が、
NHKで放映されたので、
今日はちょっと良い気分。
ただ、歌はボチボチで、
絶頂期の陶酔感には距離があります。
まあ、仕方がないですね。
朝から事務仕事をして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
少し前に取り上げたジェネリック薬品の理不尽について、
前回を補足する情報を幾つかご紹介し、
その闇を考えます。
今日お話することの多くは、
診療所にご訪問頂いた、
製薬会社の情報担当者の方から、
お聞きしたものです。
製薬会社の多くは、
現在外資とのグループ企業になっています。
しかし、ジェネリックの会社は全て国内の企業です。
それも多くは中小の企業ですね。
それはどうしてでしょうか?
これは言うまでもなく、
国が規制をしているからです。
つまり海外のジェネリック企業を、
日本の市場から締め出している訳です。
世界的なシェアを持つジェネリック企業というものもあって、
その1つはインドが本社の大企業です。
なるほどな、という感じですね。
厚生労働省の戦略は、大方先が見えていて、
まず「ジェネリックやりなよ。優遇するよ。儲かるよ」
と言って国内の中小企業を募ります。
甘い餌に釣られて、多くの企業が参入します。
その多くは、自力で薬品を開発するような、
技術も体力もない企業です。
そしてしばらく甘い汁を吸わせておいて、
ある日規制を撤廃します。
すると、インドの大企業のような、
世界的なジェネリック企業が、
うわっと日本に入って来て、
日本の市場を席巻します。
当然、殆どの国内のジェネリック企業は、
潰れて跡形もなくなる、という仕組みです。
ちょっと新しい書類を作り、
ひょいひょいとサインをするだけで、
ある日からジェネリックの企業が出現し、
そこに多くの利権が群がり、
ジェネリック村が繁栄をするのですが、
またしばらくして、同じ権力者が、
また別の書類に、
ひょいひょいとサインをすると、
今度は海外から黒船が煙を上げてやって来て、
瞬く間にジェネリック日本村は消滅します。
ちょっとした手先の運動で、
1つの産業が興隆したり、
衰退したり、自由自在な訳ですから、
さぞかし権力者の皆さんは楽しいことかと推測します。
しかし、振り回される下々は、
本当にいい迷惑です。
健康保険の適応となる、
全ての薬の値段である薬価は、
2年毎に改定となり、
概ね6~8%は自動的に下がります。
皆さんは薬の値段はジェネリックが出るからこそ下がるのだ、
と思われるかも知れませんが、
実際には2年毎に先発品の値段も、
国家の名の下に、強制的に下げられているのです。
ちなみに今年は7%程度、
全ての薬価が引き下げになりました。
たとえば1錠300円の薬があるとします。
発売2年後にはそれが279円になり、4年後には259円になり、
6年後には241円になり、8年後には224円になります。
先発品の値段としては10年後に208円になるのですが、
その年に同時に、特許が切れると、
208円の8割、すなわち167円のジェネリックが発売されます。
これは1つのサンプルで、
必ずしも全てがその通りになる訳ではありませんが、
概ねこのように、お上の手によって値付けが行なわれ、
国家レベルのデフレ政策が取られている、ということになります。
こんな数字のマジックで帳尻を合わせることが、
本当に医療を良くすることに繋がるのでしょうか?
僕には到底そうは思えません。
薬も商品である以上、
その適切な価格、というものがある筈です。
常に新しい商品を出し続けなければ経営が成り立たず、
ようやく開発した新薬にも関わらず、
それが数年で他の「小判鮫企業」に盗られ、
発売した商品も2年毎に強制的に価格を下げられるなど、
そんな理不尽な決まりがあるでしょうか?
その結果として、
新薬には最初は法外な値段が付けられるのです。
特許期間中に利潤を出し、
開発に掛かった巨額の費用を回収するには、
そうせざるを得ないからです。
たとえば今年、数十年ぶりに痛風の新薬が発売されるそうですが、
これは別に大して前の薬と変わらないのです。
にも関わらず何故薬が出るのかと言えば、
以前の薬はもう、
採算の取れないような薬になってしまっているからです。
画期的な新薬など、
100に1つもないでしょう。
にも関わらず毎年じゃんじゃん新薬もどきが発売されるのは、
古くて良い薬が採算の取れなくなるような仕組みがあるからです。
高血圧で一番有効性があり、データの蓄積があり、
安全性も確立されている薬はなんでしょうか?
サイアザイド系利尿剤です。
しかし、現在ではゴミのような薬価のために、
その代表のダイクロトライドは、
先発品はこの3月で姿を消し、
ジェネリックのみが流通することになります。
これがあるべき姿でしょうか?
良い薬を開発した企業が、
その自社で開発した良い薬を作り続けることが出来ず、
「なんちゃって新薬」を出し続けなければ潰れてしまうような状況は、
果たして健全なものでしょうか?
そのくらいなら、新薬の値段自体はもっと安くして、
その代わりもっと特許期間を長くすると共に、
自動的に薬価を下げるような、
愚劣な規則は廃した方が、
ずっと理に適っているように僕には思えます。
良い薬がその開発者の手によって、
長く使い続けられるような仕組みを作るべきなのです。
薬の値段が発売からの時間だけで値付けをされる、
今の仕組みは間違っています。
ジェネリックはグローバルスタンダードなのだ、
というような意見があります。
しかし、本当にそうでしょうか?
ジェネリックや薬の特許期間のような制度は、
国毎に勝手に決めている制度に過ぎません。
その証拠に少し前まで、
日本に後発品は存在しても、
現在のようなジェネリックの制度はありませんでした。
お手本とされたアメリカでは、
確かにジェネリックが出現すると、
一気に先発品の売り上げは10分の1になるそうです。
しかし、それで別に医療費がトータルで減る、
という訳ではなさそうですし、
アメリカでやっているから、
素晴らしい制度だと、
思う必要もない筈です。
アメリカ信仰は良くない、というのが、
最近の一般的風潮ですが、
こと医療の世界では、
ジェネリック信仰といい、ワクチン信仰といい、
アメリカ一国崇拝主義はまだ続いているようです。
今回の新型インフルエンザ騒動でも、
ワクチンこそ善、という考え方は、
アメリカの信仰であって、世界全体のそれではない、
という事実は明らかだと僕は思います。
他にもアメリカにはおかしな点は沢山あります。
たとえば、糖尿病の新薬は、
同じ薬効のアメリカの製薬会社の商品は、
逸早く承認されたのに、
日本の大手の製薬会社の商品は、
審査の途中で、
臨床試験の結果に不備があったからと、
難癖を付けられ、
試験のやり直しを命じられて、
承認が大きく遅れました。
特許の期間には臨床試験の期間も含まれるため、
承認が遅れれば、それだけ不利になり、
収益も減る仕組みです。
何処かで聞いたような話ですよね。
そう、トヨタのリコールと同じです。
どちらもそれなりの落ち度や不備はあるのですが、
明らかな差別があり、
自国の製品を守るためのイジメなのです。
つまりこうした取り決めの裏には、
利益誘導があり、
公正さとは無縁の世界なのです。
そもそも現在の世界に、
グローバルスタンダードなどあるでしょうか?
イランはイランのスタンダードを主張し、
アメリカはアメリカの、中国は中国の、
インドはインドの、エゴを剥き出しに、
自分達のスタンダードの、
押し付け合戦をしているだけの世の中です。
これは医療制度に限らないと思いますが、
外を見ても意味はなく、
むしろ内向きにあるべき姿を、
模索するべきではないのでしょうか?
皆さんはどうお考えになりますか?
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
ジェネリック薬品という思考停止を糾弾する [悪口]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
ある製薬会社がある新薬を開発します。
たとえば、インフルエンザウイルスの増殖を抑える薬です。
この開発には、会社は莫大なお金を使っています。
資本主義の世の中ですから、
当然その開発費は薬を売ったお金で、
回収しなければなりませんし、
それに上乗せして利益がなければ、
薬を開発する会社など存在しなくなり、
いつまで待っても、新薬が造られることはなくなります。
薬には特許があります。
従って、開発された新薬は、
その開発した企業か、
そこから委託された企業で、
独占的に製造販売されます。
これはおかしなことでしょうか?
別にそうではありませんよね。
本来開発された薬の値段は、
開発した製薬会社が決定して、
何の問題もない筈のものです。
これがたとえば、薬ではなく、
コンピューターのソフトのようなものであれば、
それこそ何の問題もありません。
ただ、ことが医薬品であると、
ちょっとそのニュアンスは異なります。
ある病気があって、それに苦しんでいる人がいて、
その新薬がその治療になるものであるなら、
その薬がその人に届けられ、使われるということは、
国家なり社会なりが、
ある程度責任を持つべき事項でもあるからです。
その共同体の持つ決まりによっても、
そのニュアンスは若干異なるでしょうが、
その成員の健康や安全を守るという義務が、
社会にはある、という文言が定められているからです。
従って、新薬の製造や販売には、
自ずと公共的な性格があり、
新薬の研究に税金が使われることがあると共に、
その販売のあり方にも、
一定の制限が加えられることになります。
その制限は、概ね次のような形で掛けられます。
まず、新薬の値段は、製薬会社の希望のみでは決定されず、
何らかの形で行政が介入します。
製薬会社側が1000円で売りたいと主張しても、
行政は、いやいやそれでは一般の人の手に届かなくなるので、
ここは500円まで下げてくれ、というような交渉をします。
製薬会社もせっかくの新薬で、
却って会社が潰れては無意味の極みですから、
そう簡単に値は下げられません。
そんな交渉の結果として、
結果的にたとえば700円という価格が決まります。
もう1つの制限は、特許の期間です。
通常の商品であれば、
自分達で開発した商品なのですから、
別に特許は100年有効でも何の問題もない筈です。
それに、どちらかと言えば、
そうあるべきじゃないでしょうか?
「ヤクルト」という商品があり、
それには特許のある乳酸菌が使われています。
「養命酒」と言う商品があり、
それは漢方のような生薬を、
特定の割り合いで配合したものですが、
もう何十年も販売されているにも関わらず、
他の会社が「ジェネリックヤクルト」や、
「ジェネリック養命酒」を、
販売するような事例はありませんし、
僕も法律に詳しくはありませんが、
そうしたことをすれば、
その会社はおそらく訴えられて負けるのではないでしょうか?
つまり普通なら製薬会社の商品である薬にも、
そのブランドとしての独自性は、
存在する筈で、その独自性は基本的には、
永久に守られるべき性質のものです。
しかし、現実には新薬は公共のものでもあるため、
一定の期間でその成分の特許が、
消滅するという仕組みが、
多くの国家で作られています。
その特許期間が消滅すると、
その新薬は開発した会社以外の企業でも、
自由に造ることが可能となります。
そうして自社では薬を開発することなく、
他の企業が開発した薬の特許を頂いて、
同じ薬を製造する、
「小判鮫」のような商売が成立し、
そうして売られた薬のことを、
「ジェネリック医薬品」と呼んでいます。
僕は決してジェネリック薬品に特化した企業を、
悪く言うつもりはありません。
ただ、仮に全ての製薬会社がジェネリック薬品の会社になれば、
新薬は開発されなくなり、製薬の進歩も止まります。
特許を頂いて、その薬を作って儲けるだけ、というのは、
必要なことではあっても、あまり誇るようなことではありません。
自慢げに社会に貢献しているという、
テレビコマーシャルをじゃんじゃん流し、
コネで自分の娘をテレビ局に入社させて、
鼻の下を長くしているような大御所俳優を起用して、
どうだ、といばるようなことではない筈です。
そのお金も、結局は社会保障費の一部です。
自分の会社で多大な労力を払って開発された、
血と汗の結晶のような新薬が、
10年も経つと却って、自分の企業の経営を悪化させ、
社会からも非難されるようになるのです。
これは何処かが間違っているのではないでしょうか?
ジェネリック導入の見本となった、
アメリカの例を見てみましょう。
アメリカの場合、
特許期間は20年間ですが、
それは治験などの期間も含むため、
現実には独占販売の期間は10年前後です。
それが過ぎると、品質の面で問題がなければ、
どの会社が同じ成分の薬を売っても、
問題はない、ということになります。
そこからは自由競争になるため、
通常は薬の価格は低下します。
ただ、重要なポイントは、
これは自由競争になるから価格が自然に下がる、
という意味合いで、
必ず価格が下がる、という意味でもないし、
最初の開発企業の薬が、
全く売れなくなる、という意味でもありません。
これはまあ、それなりに理に適った制度だと、
僕も思います。
ただ、日本ではその事情は、
アメリカとは全く違います。
日本は皆保険制度がその建前で、
薬の値段は医療費の一部であり、
従って、健康保険で使用の認められる薬については、
全て厚生労働省がその価格を決定しています。
つまり自由競争は存在せず、
私企業の商品を国が全て値付けをしているのです。
同じことはジェネリック薬品にも当て嵌まります。
特許期間が過ぎると、
ジェネリック薬品を販売しようという企業は、
国に申請を出します。
すると、国がそのジェネリックの価格を決定するのです。
ある薬が100円という価格に決定されたとしましょう。
その薬の特許期間が過ぎると、
ジェネリックが解禁され、
概ね70円くらいの値段で販売が許可されます。
しかし、この70円という価格には、
一体どのような意味があるでしょうか?
言い方を変えれば、どのような値付けの根拠が存在するでしょうか?
答えは簡単で、何の根拠もありません。
最初の値段が100円だから、
3割くらい安くすればいいだろう、
というだけの判断です。
この判断は完全に密室で決められ、
その検証の方法は全くありません。
これはアメリカの制度とは全く違います。
自由競争ではないからです。
先発品の値段もジェネリックの値段も、
いずれも勝手に厚労省の役人が付けた値段です。
説明によれば、先発品もジェネリックも、
その成分には何の違いもない、ということのようです。
しかし、もしそうなら、どうして同じ成分で、
同じ薬効の商品、すなわち、同一の商品に、
異なる公定価格が決定されるのでしょうか?
こうした決め方をするなら、
本来価格も同一であるべきです。
おかしくはないですか?
おかしいですよね。
何故おかしいかと言えば、
ジェネリックという制度と、
国が全ての薬の薬価を決め、
自由競争を許さない、という制度とが、
本来は両立しないものだからです。
ジェネリックという制度は、
そもそも自由競争を促して、
価格を低下させよう、という仕組みなのです。
自由競争がその前提なのです。
それを、薬の値段が完全に統制され、
資本主義が排除された日本の仕組みの中で導入する、
というところに、大いなる自己矛盾があるのです。
ジェネリックを推進するなら、
薬の価格を完全に固定するべきではなく、
ある程度の自由競争の余地を残すべきです。
価格は無理に下げるのではなく、
市場原理で自然に下がるのがあるべき姿であり、
同じ商品に強引に違う価格を付けるのは間違っています。
しかし、こんなおかしな仕組みが、
絶対に推進すべきもの、として、
国家を挙げて賛意が示され、
反対すると「お前は非国民か」と袋叩きに遭う始末です。
先日診療所を受診された患者さんから、
こんな話を聞きました。
その方は慢性膵炎があり、
フォイパンという薬を使っているのですが、
大きな病院、特に公的な病院を受診すると、
主治医から一方的にフォイパンをそのジェネリックに変える、
との宣告を受けます。
しかし、フォイパンのジェネリックは、
明らかに先発品よりその効果は劣るのです。
それは、実際にそれを飲んでいる患者さんの実感です。
それで患者さんは、
「私はジェネリックは嫌です。フォイパンを出して下さい」
と言うのですが、
主治医は聞き入れず、
「うちの病院の方針だから」
の一点張りです。
ジェネリックと先発品とは、
全く同一の商品ではありません。
その主成分は同一であっても、
添加物は個々に異なっており、
その吸収の仕方も違うからです。
しかし、現在では実際にそれを飲む患者さんが希望しても、
先発品が排除されるような事態になっているのです。
主治医の気持ちは分かります。
公立の病院では、
その赤字を減らすことが至上命題となっており、
そのためには国の援助が必要で、
国に睨まれることを何より怖れているのです。
ジェネリックを増やすことはもう国策で、
それをすることによって医療費が減ることも、
疑いようのない事実とされています。
そんなに薬の値段を下げたいのなら、
先発品の値段を全部半分にすればいいではないか、
と思うところですが、
これはもう理屈ではなく、
一種の観念になっているので、
誰も逆らうことは許されません。
そして、公立の病院で、
ジェネリックの処方率が低いと、
国から「査問委員会」のような場所に呼ばれ、
袋叩きのような目に遭うのです。
しかし、患者さん自身が希望しても、
ジェネリックしか出せない、という事態は、
何か間違ってはいないでしょうか?
本来おかしいのは「薬価制度」です。
同じ薬効のものは同じ価格にするか、
それとも自由競争を導入するか、
どちらかに決定するべきなのです。
この仕組みの再検討と再構築こそが、
現時点での急務であり、
「ジェネリック推進」も「メタボ健診」と同じく、
ただの「小泉改革」の亡霊であるのに、
誰もその事実を指摘はしません。
あらゆる既存の秩序は破壊され、
あらゆる権威は引き摺り下ろされ、
その代わりに、
僕達にはその正体は決して明かされない、
汚物のような権力が跳梁跋扈して、
日本という国は、
おそらく実際にはもう既に滅んでいるのではないかと、
僕は密かに思いますが、
それにしては、薬価制度やジェネリック推進のような部分は、
古い日本人の悪い体質が現われているように思えてなりません。
「ジェネリック推進」という目標が強引に立ってしまうと、
その根底の矛盾に対する議論はまるでなくなり、
ジェネリック薬品さえ飲み続ければ、
健康も医療財政も薔薇色の未来が待っているようです。
そんな思考停止をしては絶対にいけません。
その先に明るい未来などはないと、
僕は信じて疑いません。
皆さんはどうお考えになりますか?
それでは今日はこのくらいで。
ちょっと勢いに任せて書いたので、
不正確な部分があるかも知れません。
何かありましたら、「優しく」ご教授頂ければ幸いです。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
ある製薬会社がある新薬を開発します。
たとえば、インフルエンザウイルスの増殖を抑える薬です。
この開発には、会社は莫大なお金を使っています。
資本主義の世の中ですから、
当然その開発費は薬を売ったお金で、
回収しなければなりませんし、
それに上乗せして利益がなければ、
薬を開発する会社など存在しなくなり、
いつまで待っても、新薬が造られることはなくなります。
薬には特許があります。
従って、開発された新薬は、
その開発した企業か、
そこから委託された企業で、
独占的に製造販売されます。
これはおかしなことでしょうか?
別にそうではありませんよね。
本来開発された薬の値段は、
開発した製薬会社が決定して、
何の問題もない筈のものです。
これがたとえば、薬ではなく、
コンピューターのソフトのようなものであれば、
それこそ何の問題もありません。
ただ、ことが医薬品であると、
ちょっとそのニュアンスは異なります。
ある病気があって、それに苦しんでいる人がいて、
その新薬がその治療になるものであるなら、
その薬がその人に届けられ、使われるということは、
国家なり社会なりが、
ある程度責任を持つべき事項でもあるからです。
その共同体の持つ決まりによっても、
そのニュアンスは若干異なるでしょうが、
その成員の健康や安全を守るという義務が、
社会にはある、という文言が定められているからです。
従って、新薬の製造や販売には、
自ずと公共的な性格があり、
新薬の研究に税金が使われることがあると共に、
その販売のあり方にも、
一定の制限が加えられることになります。
その制限は、概ね次のような形で掛けられます。
まず、新薬の値段は、製薬会社の希望のみでは決定されず、
何らかの形で行政が介入します。
製薬会社側が1000円で売りたいと主張しても、
行政は、いやいやそれでは一般の人の手に届かなくなるので、
ここは500円まで下げてくれ、というような交渉をします。
製薬会社もせっかくの新薬で、
却って会社が潰れては無意味の極みですから、
そう簡単に値は下げられません。
そんな交渉の結果として、
結果的にたとえば700円という価格が決まります。
もう1つの制限は、特許の期間です。
通常の商品であれば、
自分達で開発した商品なのですから、
別に特許は100年有効でも何の問題もない筈です。
それに、どちらかと言えば、
そうあるべきじゃないでしょうか?
「ヤクルト」という商品があり、
それには特許のある乳酸菌が使われています。
「養命酒」と言う商品があり、
それは漢方のような生薬を、
特定の割り合いで配合したものですが、
もう何十年も販売されているにも関わらず、
他の会社が「ジェネリックヤクルト」や、
「ジェネリック養命酒」を、
販売するような事例はありませんし、
僕も法律に詳しくはありませんが、
そうしたことをすれば、
その会社はおそらく訴えられて負けるのではないでしょうか?
つまり普通なら製薬会社の商品である薬にも、
そのブランドとしての独自性は、
存在する筈で、その独自性は基本的には、
永久に守られるべき性質のものです。
しかし、現実には新薬は公共のものでもあるため、
一定の期間でその成分の特許が、
消滅するという仕組みが、
多くの国家で作られています。
その特許期間が消滅すると、
その新薬は開発した会社以外の企業でも、
自由に造ることが可能となります。
そうして自社では薬を開発することなく、
他の企業が開発した薬の特許を頂いて、
同じ薬を製造する、
「小判鮫」のような商売が成立し、
そうして売られた薬のことを、
「ジェネリック医薬品」と呼んでいます。
僕は決してジェネリック薬品に特化した企業を、
悪く言うつもりはありません。
ただ、仮に全ての製薬会社がジェネリック薬品の会社になれば、
新薬は開発されなくなり、製薬の進歩も止まります。
特許を頂いて、その薬を作って儲けるだけ、というのは、
必要なことではあっても、あまり誇るようなことではありません。
自慢げに社会に貢献しているという、
テレビコマーシャルをじゃんじゃん流し、
コネで自分の娘をテレビ局に入社させて、
鼻の下を長くしているような大御所俳優を起用して、
どうだ、といばるようなことではない筈です。
そのお金も、結局は社会保障費の一部です。
自分の会社で多大な労力を払って開発された、
血と汗の結晶のような新薬が、
10年も経つと却って、自分の企業の経営を悪化させ、
社会からも非難されるようになるのです。
これは何処かが間違っているのではないでしょうか?
ジェネリック導入の見本となった、
アメリカの例を見てみましょう。
アメリカの場合、
特許期間は20年間ですが、
それは治験などの期間も含むため、
現実には独占販売の期間は10年前後です。
それが過ぎると、品質の面で問題がなければ、
どの会社が同じ成分の薬を売っても、
問題はない、ということになります。
そこからは自由競争になるため、
通常は薬の価格は低下します。
ただ、重要なポイントは、
これは自由競争になるから価格が自然に下がる、
という意味合いで、
必ず価格が下がる、という意味でもないし、
最初の開発企業の薬が、
全く売れなくなる、という意味でもありません。
これはまあ、それなりに理に適った制度だと、
僕も思います。
ただ、日本ではその事情は、
アメリカとは全く違います。
日本は皆保険制度がその建前で、
薬の値段は医療費の一部であり、
従って、健康保険で使用の認められる薬については、
全て厚生労働省がその価格を決定しています。
つまり自由競争は存在せず、
私企業の商品を国が全て値付けをしているのです。
同じことはジェネリック薬品にも当て嵌まります。
特許期間が過ぎると、
ジェネリック薬品を販売しようという企業は、
国に申請を出します。
すると、国がそのジェネリックの価格を決定するのです。
ある薬が100円という価格に決定されたとしましょう。
その薬の特許期間が過ぎると、
ジェネリックが解禁され、
概ね70円くらいの値段で販売が許可されます。
しかし、この70円という価格には、
一体どのような意味があるでしょうか?
言い方を変えれば、どのような値付けの根拠が存在するでしょうか?
答えは簡単で、何の根拠もありません。
最初の値段が100円だから、
3割くらい安くすればいいだろう、
というだけの判断です。
この判断は完全に密室で決められ、
その検証の方法は全くありません。
これはアメリカの制度とは全く違います。
自由競争ではないからです。
先発品の値段もジェネリックの値段も、
いずれも勝手に厚労省の役人が付けた値段です。
説明によれば、先発品もジェネリックも、
その成分には何の違いもない、ということのようです。
しかし、もしそうなら、どうして同じ成分で、
同じ薬効の商品、すなわち、同一の商品に、
異なる公定価格が決定されるのでしょうか?
こうした決め方をするなら、
本来価格も同一であるべきです。
おかしくはないですか?
おかしいですよね。
何故おかしいかと言えば、
ジェネリックという制度と、
国が全ての薬の薬価を決め、
自由競争を許さない、という制度とが、
本来は両立しないものだからです。
ジェネリックという制度は、
そもそも自由競争を促して、
価格を低下させよう、という仕組みなのです。
自由競争がその前提なのです。
それを、薬の値段が完全に統制され、
資本主義が排除された日本の仕組みの中で導入する、
というところに、大いなる自己矛盾があるのです。
ジェネリックを推進するなら、
薬の価格を完全に固定するべきではなく、
ある程度の自由競争の余地を残すべきです。
価格は無理に下げるのではなく、
市場原理で自然に下がるのがあるべき姿であり、
同じ商品に強引に違う価格を付けるのは間違っています。
しかし、こんなおかしな仕組みが、
絶対に推進すべきもの、として、
国家を挙げて賛意が示され、
反対すると「お前は非国民か」と袋叩きに遭う始末です。
先日診療所を受診された患者さんから、
こんな話を聞きました。
その方は慢性膵炎があり、
フォイパンという薬を使っているのですが、
大きな病院、特に公的な病院を受診すると、
主治医から一方的にフォイパンをそのジェネリックに変える、
との宣告を受けます。
しかし、フォイパンのジェネリックは、
明らかに先発品よりその効果は劣るのです。
それは、実際にそれを飲んでいる患者さんの実感です。
それで患者さんは、
「私はジェネリックは嫌です。フォイパンを出して下さい」
と言うのですが、
主治医は聞き入れず、
「うちの病院の方針だから」
の一点張りです。
ジェネリックと先発品とは、
全く同一の商品ではありません。
その主成分は同一であっても、
添加物は個々に異なっており、
その吸収の仕方も違うからです。
しかし、現在では実際にそれを飲む患者さんが希望しても、
先発品が排除されるような事態になっているのです。
主治医の気持ちは分かります。
公立の病院では、
その赤字を減らすことが至上命題となっており、
そのためには国の援助が必要で、
国に睨まれることを何より怖れているのです。
ジェネリックを増やすことはもう国策で、
それをすることによって医療費が減ることも、
疑いようのない事実とされています。
そんなに薬の値段を下げたいのなら、
先発品の値段を全部半分にすればいいではないか、
と思うところですが、
これはもう理屈ではなく、
一種の観念になっているので、
誰も逆らうことは許されません。
そして、公立の病院で、
ジェネリックの処方率が低いと、
国から「査問委員会」のような場所に呼ばれ、
袋叩きのような目に遭うのです。
しかし、患者さん自身が希望しても、
ジェネリックしか出せない、という事態は、
何か間違ってはいないでしょうか?
本来おかしいのは「薬価制度」です。
同じ薬効のものは同じ価格にするか、
それとも自由競争を導入するか、
どちらかに決定するべきなのです。
この仕組みの再検討と再構築こそが、
現時点での急務であり、
「ジェネリック推進」も「メタボ健診」と同じく、
ただの「小泉改革」の亡霊であるのに、
誰もその事実を指摘はしません。
あらゆる既存の秩序は破壊され、
あらゆる権威は引き摺り下ろされ、
その代わりに、
僕達にはその正体は決して明かされない、
汚物のような権力が跳梁跋扈して、
日本という国は、
おそらく実際にはもう既に滅んでいるのではないかと、
僕は密かに思いますが、
それにしては、薬価制度やジェネリック推進のような部分は、
古い日本人の悪い体質が現われているように思えてなりません。
「ジェネリック推進」という目標が強引に立ってしまうと、
その根底の矛盾に対する議論はまるでなくなり、
ジェネリック薬品さえ飲み続ければ、
健康も医療財政も薔薇色の未来が待っているようです。
そんな思考停止をしては絶対にいけません。
その先に明るい未来などはないと、
僕は信じて疑いません。
皆さんはどうお考えになりますか?
それでは今日はこのくらいで。
ちょっと勢いに任せて書いたので、
不正確な部分があるかも知れません。
何かありましたら、「優しく」ご教授頂ければ幸いです。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
メタボ健診腹囲変更の異常 [悪口]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は祝日で診療所は休診です。
久しぶりに1日家にいるつもりです。
先週から今週は、
正直ちょっと疲れました。
それでは今日の話題です。
先日、ちょっと尋常とは思えない、
こんなニュースがありました。
【メタボ腹囲「女性80センチ以上」10センチ厳しく…厚労省研究班】メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群、メタボ)の考えに基づき、腹囲測定などを行う特定健診(メタボ健診)の診断基準を検証している厚生労働省研究班(主任研究者=門脇孝・東京大教授)は、腹囲の基準は男性85センチ以上、女性80センチ以上が妥当とする研究成果を明らかにした。現行の診断基準では、男性85センチ以上、女性90センチ以上となっており、女性の基準値がこれより10センチ下回る結果となった。研究班は、メタボ健診の対象となる全国の40~74歳の男女約3万6000人を対象に、メタボの条件となる高血糖、脂質異常、高血圧と腹囲の関係を調べた。その結果、腹囲が男性85センチ前後、女性80センチ前後になると、メタボの条件のうち2項目以上の異常を併せ持つ人の割合が高くなった。現在の基準は2005年、日本肥満学会など8学会が合同で決めた。コンピューター断層撮影法(CT)で腹部の内臓脂肪面積を測り、100平方センチ以上になると、高血糖や脂質異常、高血圧のいずれかを持つ人が増えるとし、それに該当する基準値が男性85センチ以上、女性90センチ以上だとした。
メタボ健診というのは、
小泉改革の恐るべき負の遺産とも言うべきものです。
国民全員に、役に立つかどうかも分からない、
お腹周りの測定と簡単な血液検査、
血圧測定だけの健診を強要し、
それ以外の健診とは別の位置付けにしました。
その健診で「メタボ」と判定されると、
それを改善するための指導、
すなわちお腹周りを減らすための指導が、
これも強制的に施行され、
5年後にその状態が改善しないと、
健康保険組合に、
補助金カットなどのペナルティが課される、
という地獄のような決まりです。
たかだかお腹周りが少し平均より多く、
血圧が僅かに高かったり、
中性脂肪が僅かに高かったりする、というだけで、
別に病気でもないのに、「異常者」のレッテルが貼られ、
ベルトコンベアーで「矯正工場」に運ばれ、
徹底した教育が行なわれます。
そのための費用は、
全て健康保険組合が負担します。
健康とは果たしてこのようにして強制される性質のものでしょうか?
北の国の独裁者だって、
ここまで人間性を無視した法律は作りません。
そんなに健康が大事なら、
まずタバコを廃止しなさい。
お酒も売るのを止めなさい。
清涼飲料水も一切廃止して、
健康食品以外の食品は、
スーパーの棚から撤去すればいいではないですか。
週に1回は運動しなければ、
罰金を取ったらどうでしょう。
睡眠時間を削って働いたり勉強したりしたら、
それでも即罰金です。
健康は別に強制するものではありません。
そんなことは人間社会のイロハのイではないですか。
人類の歴史上、未だかつてこのような法律が存在したことはなく、
こんな馬鹿な健診を、
国民全体に強要しているような国家も存在しません。
メタボ健診で苦境に喘いでいるのは、
まず第一は健康保険組合であり、
第二には医療機関です。
健診の費用は健康保険組合が負担し、
その後の指導の費用も同じように健康保険組合が負担します。
健診の項目は結果としてメタボ以外は貧弱なものになり、
指導の機会も医療機関から奪われます。
得をしたのは、健診に掛かる費用を削減出来た、
自治体であり、企業であり、
健康指導を受注した企業です。
つまりこの仕組みは、
中小の健康保険組合や医療機関を潰し、
統合再編することを目的として、
作られたものだと思われます。
さて、それで今回の改訂ですが、
何とこれまで90センチだった女性のメタボの基準腹囲が、
10センチ減って80センチとされています。
研究班の代表の門脇先生は、
糖尿病研究の日本の第一人者です。
学問的にはそれなりの正しさのある基準変更なのだとは、
僕も思います。
しかし、仮に改定されたとしたら、
一体どれだけの「異常者」が、
女性で増えることになるでしょうか?
尋常な人数ではないことは、
当然想定されます。
たとえ「医学的に正しい」見解でも、
「厚生労働省研究班」というのは、
多分に政治的な結論を出す役目を持っている筈です。
そうであるなら、軽率にこのような結論は、
発表して欲しくはなかった、
というのが僕の率直な感想です。
お腹周りの数字のゲームではなく、
天下の愚行であるメタボ健診は、
即刻廃止するべきです。
健康とは強制される性質のものではない筈です。
しかも、この健診は、
中小の健康保険組合を苛め潰すために、
ただそれだけのために施行されているのです。
健康を強制すれば、
医療費が減って、国家の財政が安定する、
などという臍が茶を沸かすような法螺話は、
「永久機関」や「裸の王様」並みの詐欺師の口説です。
だって一方で、人間を不健康にするものが、
世の中には溢れ、それが利潤を生み、
経済を回転させているからです。
あなたの健康を切り売りすることによって、
あなたは仕事を確保し、生活を確保しているのです。
当然あなたは体調を崩し、
不健康になり、今度は健康を求めて、
健康産業に搾取される仕組みです。
それがまた経済を回転させるのです。
本質的な問題はこの循環であって、
あなたのお腹がちょっぴり大きい、
ということではありません。
門脇先生には是非この制度の廃止をこそ、
提言して頂きたいと切に願います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
補足です。
今(11日午後9時)たまたま土曜日の新聞を見たら、
メタボ健診は科学的根拠なし…線引き困難
という見出しが一面に躍っていました。
内容を読むと、要するに、
昨年の研究班の報告で、
女性は80センチ以上を超えると、
データの異常が多くなるという結果が示されたが、
今回発症との関係を調べたところ、
腹囲と病気の発症との間には、
あまりはっきりとした関係が見られなかった、
ということのようです。
ひょっとして、昨年の古い記事を見てしまったのかしら、
と思ってググッてみると、
そうではなく、最初に紹介した記事も、
残ってはいます。
それも昨日の2月10日の更新です。
しかし、それが同じ新聞社の記事なのですから、
非常に奇怪です。
どうも門脇先生の説明は、
最初の記事と今の記事との中間のニュアンスなのだ、
とは何となく推測が付きました。
最初にうっかり「腹囲80センチに!」という記事が、
一時的に流れ、
それが慌てて、今度は、
「腹囲当てにならず」に差し変わったようです。
門脇先生、先生を非難するようなことを書いて、
本当に済みませんでした。
先生は正しい意見を述べたのに、
それが無知な誰かさんの頭の中で、
歪められてしまったのですね。
でも、全く同じ情報が、
正反対の結果として同時に報道されるのですから、
何と言うか、本当に世の中は怖ろしいですね。
今回の内容をまとめるとこういうことです。
36000人を調べたところ、
女性の腹囲が80センチを超えると、
メタボの他の基準である、血圧やや高めや、
血糖やや高めの人数が増えることが分かった、
というのが第一段階。
次に同じ人で脳梗塞や心筋梗塞の発症と、
腹囲との関係をみると、
そこには女性の80センチで急に病気が増える、
というような関係はなかった、
というのが第二段階です。
ただ、これは難しいんですよ。
病気の発症とお腹周りとの関係なんて、
どう考えてもクリアな結果が出る訳がありません。
ですから、以上の内容から、
「メタボの腹囲はインチキ」とも言えないし、
「メタボの腹囲をもっと厳しくしろ」
とも言えないのです。
発表された内容は以上で、
このデータを叩き台にして、
今後のメタボの基準を議論すべきだよ、
というのがおそらく門脇先生の発言で、
それから正反対の見出しが、
次々と作成されたという訳です。
それでは皆さんお休みなさい。
石原が今日は追加でお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は祝日で診療所は休診です。
久しぶりに1日家にいるつもりです。
先週から今週は、
正直ちょっと疲れました。
それでは今日の話題です。
先日、ちょっと尋常とは思えない、
こんなニュースがありました。
【メタボ腹囲「女性80センチ以上」10センチ厳しく…厚労省研究班】メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群、メタボ)の考えに基づき、腹囲測定などを行う特定健診(メタボ健診)の診断基準を検証している厚生労働省研究班(主任研究者=門脇孝・東京大教授)は、腹囲の基準は男性85センチ以上、女性80センチ以上が妥当とする研究成果を明らかにした。現行の診断基準では、男性85センチ以上、女性90センチ以上となっており、女性の基準値がこれより10センチ下回る結果となった。研究班は、メタボ健診の対象となる全国の40~74歳の男女約3万6000人を対象に、メタボの条件となる高血糖、脂質異常、高血圧と腹囲の関係を調べた。その結果、腹囲が男性85センチ前後、女性80センチ前後になると、メタボの条件のうち2項目以上の異常を併せ持つ人の割合が高くなった。現在の基準は2005年、日本肥満学会など8学会が合同で決めた。コンピューター断層撮影法(CT)で腹部の内臓脂肪面積を測り、100平方センチ以上になると、高血糖や脂質異常、高血圧のいずれかを持つ人が増えるとし、それに該当する基準値が男性85センチ以上、女性90センチ以上だとした。
メタボ健診というのは、
小泉改革の恐るべき負の遺産とも言うべきものです。
国民全員に、役に立つかどうかも分からない、
お腹周りの測定と簡単な血液検査、
血圧測定だけの健診を強要し、
それ以外の健診とは別の位置付けにしました。
その健診で「メタボ」と判定されると、
それを改善するための指導、
すなわちお腹周りを減らすための指導が、
これも強制的に施行され、
5年後にその状態が改善しないと、
健康保険組合に、
補助金カットなどのペナルティが課される、
という地獄のような決まりです。
たかだかお腹周りが少し平均より多く、
血圧が僅かに高かったり、
中性脂肪が僅かに高かったりする、というだけで、
別に病気でもないのに、「異常者」のレッテルが貼られ、
ベルトコンベアーで「矯正工場」に運ばれ、
徹底した教育が行なわれます。
そのための費用は、
全て健康保険組合が負担します。
健康とは果たしてこのようにして強制される性質のものでしょうか?
北の国の独裁者だって、
ここまで人間性を無視した法律は作りません。
そんなに健康が大事なら、
まずタバコを廃止しなさい。
お酒も売るのを止めなさい。
清涼飲料水も一切廃止して、
健康食品以外の食品は、
スーパーの棚から撤去すればいいではないですか。
週に1回は運動しなければ、
罰金を取ったらどうでしょう。
睡眠時間を削って働いたり勉強したりしたら、
それでも即罰金です。
健康は別に強制するものではありません。
そんなことは人間社会のイロハのイではないですか。
人類の歴史上、未だかつてこのような法律が存在したことはなく、
こんな馬鹿な健診を、
国民全体に強要しているような国家も存在しません。
メタボ健診で苦境に喘いでいるのは、
まず第一は健康保険組合であり、
第二には医療機関です。
健診の費用は健康保険組合が負担し、
その後の指導の費用も同じように健康保険組合が負担します。
健診の項目は結果としてメタボ以外は貧弱なものになり、
指導の機会も医療機関から奪われます。
得をしたのは、健診に掛かる費用を削減出来た、
自治体であり、企業であり、
健康指導を受注した企業です。
つまりこの仕組みは、
中小の健康保険組合や医療機関を潰し、
統合再編することを目的として、
作られたものだと思われます。
さて、それで今回の改訂ですが、
何とこれまで90センチだった女性のメタボの基準腹囲が、
10センチ減って80センチとされています。
研究班の代表の門脇先生は、
糖尿病研究の日本の第一人者です。
学問的にはそれなりの正しさのある基準変更なのだとは、
僕も思います。
しかし、仮に改定されたとしたら、
一体どれだけの「異常者」が、
女性で増えることになるでしょうか?
尋常な人数ではないことは、
当然想定されます。
たとえ「医学的に正しい」見解でも、
「厚生労働省研究班」というのは、
多分に政治的な結論を出す役目を持っている筈です。
そうであるなら、軽率にこのような結論は、
発表して欲しくはなかった、
というのが僕の率直な感想です。
お腹周りの数字のゲームではなく、
天下の愚行であるメタボ健診は、
即刻廃止するべきです。
健康とは強制される性質のものではない筈です。
しかも、この健診は、
中小の健康保険組合を苛め潰すために、
ただそれだけのために施行されているのです。
健康を強制すれば、
医療費が減って、国家の財政が安定する、
などという臍が茶を沸かすような法螺話は、
「永久機関」や「裸の王様」並みの詐欺師の口説です。
だって一方で、人間を不健康にするものが、
世の中には溢れ、それが利潤を生み、
経済を回転させているからです。
あなたの健康を切り売りすることによって、
あなたは仕事を確保し、生活を確保しているのです。
当然あなたは体調を崩し、
不健康になり、今度は健康を求めて、
健康産業に搾取される仕組みです。
それがまた経済を回転させるのです。
本質的な問題はこの循環であって、
あなたのお腹がちょっぴり大きい、
ということではありません。
門脇先生には是非この制度の廃止をこそ、
提言して頂きたいと切に願います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
補足です。
今(11日午後9時)たまたま土曜日の新聞を見たら、
メタボ健診は科学的根拠なし…線引き困難
という見出しが一面に躍っていました。
内容を読むと、要するに、
昨年の研究班の報告で、
女性は80センチ以上を超えると、
データの異常が多くなるという結果が示されたが、
今回発症との関係を調べたところ、
腹囲と病気の発症との間には、
あまりはっきりとした関係が見られなかった、
ということのようです。
ひょっとして、昨年の古い記事を見てしまったのかしら、
と思ってググッてみると、
そうではなく、最初に紹介した記事も、
残ってはいます。
それも昨日の2月10日の更新です。
しかし、それが同じ新聞社の記事なのですから、
非常に奇怪です。
どうも門脇先生の説明は、
最初の記事と今の記事との中間のニュアンスなのだ、
とは何となく推測が付きました。
最初にうっかり「腹囲80センチに!」という記事が、
一時的に流れ、
それが慌てて、今度は、
「腹囲当てにならず」に差し変わったようです。
門脇先生、先生を非難するようなことを書いて、
本当に済みませんでした。
先生は正しい意見を述べたのに、
それが無知な誰かさんの頭の中で、
歪められてしまったのですね。
でも、全く同じ情報が、
正反対の結果として同時に報道されるのですから、
何と言うか、本当に世の中は怖ろしいですね。
今回の内容をまとめるとこういうことです。
36000人を調べたところ、
女性の腹囲が80センチを超えると、
メタボの他の基準である、血圧やや高めや、
血糖やや高めの人数が増えることが分かった、
というのが第一段階。
次に同じ人で脳梗塞や心筋梗塞の発症と、
腹囲との関係をみると、
そこには女性の80センチで急に病気が増える、
というような関係はなかった、
というのが第二段階です。
ただ、これは難しいんですよ。
病気の発症とお腹周りとの関係なんて、
どう考えてもクリアな結果が出る訳がありません。
ですから、以上の内容から、
「メタボの腹囲はインチキ」とも言えないし、
「メタボの腹囲をもっと厳しくしろ」
とも言えないのです。
発表された内容は以上で、
このデータを叩き台にして、
今後のメタボの基準を議論すべきだよ、
というのがおそらく門脇先生の発言で、
それから正反対の見出しが、
次々と作成されたという訳です。
それでは皆さんお休みなさい。
石原が今日は追加でお送りしました。
「ヴォイス」の嘘 [悪口]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
朝からカルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
以前もちらっと取り上げたのですが、
少し前に終わったフジテレビの、
「ヴォイス」というドラマがありました。
大学病院の医学部の法医学ゼミの学生が、
解剖された不審死の事例を、
警察もどきに自分達で捜査する、
という非現実の極みのようなドラマです。
まあ、別に設定が非現実的でも、
ドラマなのですから、
そんなことは構わないのですが、
毎回出て来る医療情報が、
尋常ではないくらい誤りが多く、
昨日録画してあった後半をまとめ見したら、
あまりに酷い部分があったので、
今日は敢えてそれを取り上げます。
(放送は少し前なので、
何処か別のところでも、
問題にされているのかも知れません。
ただ、余りに酷過ぎるので、
書かずにはいられません)
ある回で、
ゼミの学生が焼死した男性の解剖を手伝います。
その時に男性の肝臓の一部を切り取って、
それをシャーレに入れて運ぶのですが、
その途中でシャーレを落として割ってしまい、
指を傷付けて出血します。
ところが、遺体の男性はB型肝炎に感染していたことが、
すぐに分かります。
「B型肝炎という死に至ることもある怖ろしい病気」
に感染してしまったのでは、
と学生は恐れおののき、
その当日に病院に入院して、
「謎の注射」をされ、
点滴を繋がれて数日入院します。
その当日か、もしくはそのせいぜい数日後に、
「感染しているかどうかを調べる」血液検査が施行され、
その結果が分かるのも、
その数日後のことだと説明されます。
その数日間に学生は苦悩し、
もう法医学も大学も辞めて、
田舎に帰って父親の歯科医を継ごう、
と決心します。
「気軽な気持ちで今まで解剖をしていたが、
今回の事故で、自分が死に直面して、
解剖の怖さが身に染みた」
と言うのです。
いよいよ結果の判明する日が来ます。
仲間は神社でお守りを買い、
感染がありませんように、
と願を掛けます。
結果は「セーフ」でした。
感染はなかったのです。
学生は小躍りして喜び、
「恐怖から開放された」と語り合って、
ラストになります。
おそらく、ハッピーエンドのつもりなのでしょう。
以上のあらすじだけで、
一体どれだけの間違いがあるでしょうか。
皆さんに計算してもらいたいくらいです。
これはひょっとしたら、ドラマに見せ掛けた、
間違い探しの啓蒙目的のクイズなのかも知れません。
まず、B型肝炎に対しての、
深刻な事実誤認があります。
B型肝炎のウイルスが血液から侵入したとして、
その人はすぐに肝炎になる訳ではありません。
通常早くて2ヶ月、場合によっては半年くらい経たないと、
肝炎に感染したのかどうかの診断は付かないのです。
ですから、血液に触れる事故があった場合、
通常すぐに行なう血液の検査は、
その時点で以前の感染がないかどうか、
他の原因での肝障害がないかどうか、
の確認のために行なうものです。
決してドラマにあるように、
数日で結果が出て大喜び出来るものではありません。
これがまず1つの嘘です。
次に通常医学部の学生は、
B型肝炎の抗体があるかどうかの検査をして、
免疫のない人はB型肝炎のワクチンを打っているのが、
常識的な理解です。
特に感染の可能性のある解剖の補助をするのであれば、
そうして感染防御しているのはイロハのイです。
もし仮にそうしたことすらしていなかったのなら、
問題に問われるのは大学の体質そのものです。
B型肝炎にはHBs抗体という、
治癒抗体が存在します。
ごく特殊な例外を除けば、
ワクチンでこのHBs抗体が陽性になっていれば、
B型肝炎には決してなりません。
その情報がこのドラマには微塵もなく、
B型肝炎が「防ぐことの出来ない悪魔の病気」、
のように扱われています。
これがまあ、第2の嘘です。
更には、B型肝炎の血液に接触したからといって、
その日に体調が悪くなることはありませんし、
入院して点滴するような必要性はありません。
もしこの学生のHBs抗体が陰性であれば、
接触から48時間以内に、
免疫グロブリンを注射し、
同時にワクチンの投与も行ないます。
この処置によって、100パーセントではないものの、
かなりの確率で感染は予防されるのです。
これが第3の嘘です。
まあ、こうして一々上げていけばきりがありません。
殆ど間違っていない部分がないのですから、
呆れて何も言いたくなくなります。
何よりも問題なのは、
予防法も治療法も存在し、
その一方で症状に苦しんでいる患者さんが多く存在する、
現実の病気を、
「死に至る悪魔の病」のように扱い、
それに感染していなかったことが分かると、
それが幸せであるかのように表現した、
異常な感覚と倫理観です。
このドラマの展開の流れでいくならば、
不幸にして学生は感染したことにして、
それでも前向きに治療もし、
医療も続けてゆく、
という設定にするべきです。
病気をテーマとして取り上げるのであれば、
それを「不幸を演出する道具」のように扱ってはいけません。
最後にこの番組には、
医療監修として錚々たる先生がクレジットされています。
この先生方は一体このような嘘を、
どういう感覚で監修されたのでしょうか。
こんな監修をされた先生に、
果たして責任はないのでしょうか。
罪はないのでしょうか。
こういうことこそ、
問題にされ、場合によっては、
罪に問われてしかるべきだと思いますが、
皆さんはどうお考えになりますか。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
朝からカルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
以前もちらっと取り上げたのですが、
少し前に終わったフジテレビの、
「ヴォイス」というドラマがありました。
大学病院の医学部の法医学ゼミの学生が、
解剖された不審死の事例を、
警察もどきに自分達で捜査する、
という非現実の極みのようなドラマです。
まあ、別に設定が非現実的でも、
ドラマなのですから、
そんなことは構わないのですが、
毎回出て来る医療情報が、
尋常ではないくらい誤りが多く、
昨日録画してあった後半をまとめ見したら、
あまりに酷い部分があったので、
今日は敢えてそれを取り上げます。
(放送は少し前なので、
何処か別のところでも、
問題にされているのかも知れません。
ただ、余りに酷過ぎるので、
書かずにはいられません)
ある回で、
ゼミの学生が焼死した男性の解剖を手伝います。
その時に男性の肝臓の一部を切り取って、
それをシャーレに入れて運ぶのですが、
その途中でシャーレを落として割ってしまい、
指を傷付けて出血します。
ところが、遺体の男性はB型肝炎に感染していたことが、
すぐに分かります。
「B型肝炎という死に至ることもある怖ろしい病気」
に感染してしまったのでは、
と学生は恐れおののき、
その当日に病院に入院して、
「謎の注射」をされ、
点滴を繋がれて数日入院します。
その当日か、もしくはそのせいぜい数日後に、
「感染しているかどうかを調べる」血液検査が施行され、
その結果が分かるのも、
その数日後のことだと説明されます。
その数日間に学生は苦悩し、
もう法医学も大学も辞めて、
田舎に帰って父親の歯科医を継ごう、
と決心します。
「気軽な気持ちで今まで解剖をしていたが、
今回の事故で、自分が死に直面して、
解剖の怖さが身に染みた」
と言うのです。
いよいよ結果の判明する日が来ます。
仲間は神社でお守りを買い、
感染がありませんように、
と願を掛けます。
結果は「セーフ」でした。
感染はなかったのです。
学生は小躍りして喜び、
「恐怖から開放された」と語り合って、
ラストになります。
おそらく、ハッピーエンドのつもりなのでしょう。
以上のあらすじだけで、
一体どれだけの間違いがあるでしょうか。
皆さんに計算してもらいたいくらいです。
これはひょっとしたら、ドラマに見せ掛けた、
間違い探しの啓蒙目的のクイズなのかも知れません。
まず、B型肝炎に対しての、
深刻な事実誤認があります。
B型肝炎のウイルスが血液から侵入したとして、
その人はすぐに肝炎になる訳ではありません。
通常早くて2ヶ月、場合によっては半年くらい経たないと、
肝炎に感染したのかどうかの診断は付かないのです。
ですから、血液に触れる事故があった場合、
通常すぐに行なう血液の検査は、
その時点で以前の感染がないかどうか、
他の原因での肝障害がないかどうか、
の確認のために行なうものです。
決してドラマにあるように、
数日で結果が出て大喜び出来るものではありません。
これがまず1つの嘘です。
次に通常医学部の学生は、
B型肝炎の抗体があるかどうかの検査をして、
免疫のない人はB型肝炎のワクチンを打っているのが、
常識的な理解です。
特に感染の可能性のある解剖の補助をするのであれば、
そうして感染防御しているのはイロハのイです。
もし仮にそうしたことすらしていなかったのなら、
問題に問われるのは大学の体質そのものです。
B型肝炎にはHBs抗体という、
治癒抗体が存在します。
ごく特殊な例外を除けば、
ワクチンでこのHBs抗体が陽性になっていれば、
B型肝炎には決してなりません。
その情報がこのドラマには微塵もなく、
B型肝炎が「防ぐことの出来ない悪魔の病気」、
のように扱われています。
これがまあ、第2の嘘です。
更には、B型肝炎の血液に接触したからといって、
その日に体調が悪くなることはありませんし、
入院して点滴するような必要性はありません。
もしこの学生のHBs抗体が陰性であれば、
接触から48時間以内に、
免疫グロブリンを注射し、
同時にワクチンの投与も行ないます。
この処置によって、100パーセントではないものの、
かなりの確率で感染は予防されるのです。
これが第3の嘘です。
まあ、こうして一々上げていけばきりがありません。
殆ど間違っていない部分がないのですから、
呆れて何も言いたくなくなります。
何よりも問題なのは、
予防法も治療法も存在し、
その一方で症状に苦しんでいる患者さんが多く存在する、
現実の病気を、
「死に至る悪魔の病」のように扱い、
それに感染していなかったことが分かると、
それが幸せであるかのように表現した、
異常な感覚と倫理観です。
このドラマの展開の流れでいくならば、
不幸にして学生は感染したことにして、
それでも前向きに治療もし、
医療も続けてゆく、
という設定にするべきです。
病気をテーマとして取り上げるのであれば、
それを「不幸を演出する道具」のように扱ってはいけません。
最後にこの番組には、
医療監修として錚々たる先生がクレジットされています。
この先生方は一体このような嘘を、
どういう感覚で監修されたのでしょうか。
こんな監修をされた先生に、
果たして責任はないのでしょうか。
罪はないのでしょうか。
こういうことこそ、
問題にされ、場合によっては、
罪に問われてしかるべきだと思いますが、
皆さんはどうお考えになりますか。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
お金のための研究の話 [悪口]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
今日は昨日の補足的な話です。
医学研究費のことについて、
最近ちょっと面白い話を聞きました。
ある製薬会社が某大学の医学部の教授に、
毎年高額の研究費を出していました。
まあ、この意味合いは、
政治家に対する政治献金と一緒なのですね。
自分の所の薬の効果を立証するような研究成果を、
発表してもらうことを、
暗に期待している訳です。
ただ、勿論大っぴらにそうは言えません。
言えば政治家と同じで、
贈収賄事件になってしまいます。
ただ、何を研究するのも、
その教授先生の自由ですから、
たまたま結果として、
その製薬会社の薬にメリットになる、
結果が出るのは問題はない訳です。
で、この教授先生は何年もお金をもらっていて、
その製薬会社の薬に関わる研究は、
ただの1つもやっていなかったのです。
これはまあ、正当なことですよね。
そんな義務はないんですから。
ただ、人間的に見ると、
ちょっと変わった人ではあるな、
と言うことは出来ます。
何も相手に対しての見返りもなく、
それに対しての労働もなく、
ただお金をもらうことは、
何となく後ろめたく感じることの方が、
一般的な人間の心理だからです。
製薬会社の方はあまり面白くはありません。
それで暗にその教授先生に言いました。
「先生、○○という薬の効果については如何お考えになりますか?」
「ああ。いい薬だと思っとるよ」
「最近、この薬が腎機能を保護するのではないか、と言われておりまして」
「そのようだね」
「ただ、あまり良いデータがないんですよ」
「そりゃ、なかなかね」
「先生の研究室で、そうした実験をされるご予定は」
「しかし、露骨にそれはまずいだろ」
「勿論です、先生。
でも、私どもも、経営環境の厳しい中で、
先生にご協力させて頂いている訳で、
それを継続するためには、
それなりのことがございませんと、
上への説得もどうも…」
「それは来年は金を出さんという意味か?」
「いえ、そうと決まった訳では」
「分かった、すぐ取り掛かるぞ」
概ねこのような遣り取りがあり、
その半年後、
唐突に大新聞に記事が載ります。
「○○の腎機能保護のメカニズムが解明さる」
記事を読むと、
その教授先生の研究により、
○○という薬の画期的作用が解明された、
と書かれています。
ところが、学会で発表された訳でもなく、
論文になったとも書かれていません。
要するに出所が何も書いていない記事なのです。
このような形で、
この教授先生は、
製薬会社からの研究費の継続に成功したのです。
細部は変えていますが、
これは事実です。
マスメディアの医学記事の中には、
結構こうした誰かに当てた暗号のようなものが、
含まれているのです。
そう考えると、報道とは奥深いものですね。
同時に愚劣で、馬鹿馬鹿しいものでもあります。
皆さんはどうお考えになりますか?
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
今日は昨日の補足的な話です。
医学研究費のことについて、
最近ちょっと面白い話を聞きました。
ある製薬会社が某大学の医学部の教授に、
毎年高額の研究費を出していました。
まあ、この意味合いは、
政治家に対する政治献金と一緒なのですね。
自分の所の薬の効果を立証するような研究成果を、
発表してもらうことを、
暗に期待している訳です。
ただ、勿論大っぴらにそうは言えません。
言えば政治家と同じで、
贈収賄事件になってしまいます。
ただ、何を研究するのも、
その教授先生の自由ですから、
たまたま結果として、
その製薬会社の薬にメリットになる、
結果が出るのは問題はない訳です。
で、この教授先生は何年もお金をもらっていて、
その製薬会社の薬に関わる研究は、
ただの1つもやっていなかったのです。
これはまあ、正当なことですよね。
そんな義務はないんですから。
ただ、人間的に見ると、
ちょっと変わった人ではあるな、
と言うことは出来ます。
何も相手に対しての見返りもなく、
それに対しての労働もなく、
ただお金をもらうことは、
何となく後ろめたく感じることの方が、
一般的な人間の心理だからです。
製薬会社の方はあまり面白くはありません。
それで暗にその教授先生に言いました。
「先生、○○という薬の効果については如何お考えになりますか?」
「ああ。いい薬だと思っとるよ」
「最近、この薬が腎機能を保護するのではないか、と言われておりまして」
「そのようだね」
「ただ、あまり良いデータがないんですよ」
「そりゃ、なかなかね」
「先生の研究室で、そうした実験をされるご予定は」
「しかし、露骨にそれはまずいだろ」
「勿論です、先生。
でも、私どもも、経営環境の厳しい中で、
先生にご協力させて頂いている訳で、
それを継続するためには、
それなりのことがございませんと、
上への説得もどうも…」
「それは来年は金を出さんという意味か?」
「いえ、そうと決まった訳では」
「分かった、すぐ取り掛かるぞ」
概ねこのような遣り取りがあり、
その半年後、
唐突に大新聞に記事が載ります。
「○○の腎機能保護のメカニズムが解明さる」
記事を読むと、
その教授先生の研究により、
○○という薬の画期的作用が解明された、
と書かれています。
ところが、学会で発表された訳でもなく、
論文になったとも書かれていません。
要するに出所が何も書いていない記事なのです。
このような形で、
この教授先生は、
製薬会社からの研究費の継続に成功したのです。
細部は変えていますが、
これは事実です。
マスメディアの医学記事の中には、
結構こうした誰かに当てた暗号のようなものが、
含まれているのです。
そう考えると、報道とは奥深いものですね。
同時に愚劣で、馬鹿馬鹿しいものでもあります。
皆さんはどうお考えになりますか?
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
病院は誰のための場所か? [悪口]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
朝から事務仕事をして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
今日は久しぶりにちょっと悪口を書きます。
国の役所の方針で、
医療費を削減することを目的として、
病院に入院する期間を短縮するための、
診療報酬の改定が行なわれました。
もう何年も前のことです。
長い入院だと強制的に退院させられる、とか、
病院をたらい回しにされる、
とかと言われるあれですね。
こうした表現は正確とは言えませんが、
概ね事実を反映しています。
ただ、役所のやることというのは巧妙で、
たとえば「1ヶ月以上の入院は原則として禁ずる」、
と言えばそれでいいのに、
決してそうは言いません。
言えば役所の責任になるからです
その代わりに、
診療報酬を入院後1ヶ月で減額することを決めます。
病院の収入は現実的には国が管理しています。
それを減らしてしまう訳です。
たとえば、半額にするとします。
すると、そのまま患者さんを入院させていれば、
病院は赤字になってしまいます。
わざわざ赤字になる金額を、
逆算して決めているのだから、
これは当然のことです。
しかも、入院の期間の短いことを、
良い病院の条件として規定するのです。
そうすれば、嫌でも病院は患者さんを1ヶ月以内に、
退院させようとします。
でも、無理矢理退院させられた、
患者さんが恨むのは病院で、
そのシステムを決めた、
顔の見えない役所ではありません。
(1ヶ月に半額というのは、
分かり易くするためのレトリックです。
実際にはもっと複雑怪奇で、
14日後、30日後と、
加算点数が減額される、
という形を取って、
病院への収入が減らされます)
資本主義の世界における権力は、
このようにお金で仕事を縛ることで行使されます。
そして、この世に「悪」というものが存在するとすれば、
その純粋な形の1つが、ここにあると僕は思います。
仮にその政策で医療費が削減されたとして、
それに何の意味があるでしょう。
目的もお金で、手段もお金です。
お金のバランスだけが存在し、
人間は消えてしまいます。
人間のない医療費とは一体何でしょう。
生き物が全て死に絶えた病院の中で、
医療器械だけが永遠に動き続けている姿を、
僕は想像します。
最近僕が患者さんのご家族からお聞きした、
1つの事例をお示ししましょう。
患者さんはAさん。
軽い認知症のある、70代の女性です。
高血圧で定期的に通院をしていましたが、
ある冬の日の朝、
朝食を食べた直後に、
言葉が出なくなり、冷や汗が出て、
それから意識を失いました。
一緒に暮らしていた息子さんが、
すぐに救急車を呼び、
Aさんは都内の救急病院に運ばれました。
病院でベットに移された時には、
Aさんの意識はかなり回復していました。
しかし、言葉はうまく喋れず、
右手と右足がスムースに動きません。
血圧は上が200を超えていました。
すぐに撮った頭のCTには異常はありませんでしたが、
脳梗塞が強く疑われ、
Aさんは緊急入院となりました。
翌日のMRI検査で、
脳の左側の比較的大きな梗塞が見付かりました。
これで診断は確定。
年齢や全身状態を考慮して、
血の塊を溶かすような治療は行なわず、
安静にして、全身状態を管理し、
自然な回復を待つ方針となりました。
Aさんは徐々に回復され、
言葉も少しずつ出るようになりましたが、
右の麻痺は残ったため、
数日後には早くもリハビリが始まりました。
お見舞いに来た息子さんは、
リハビリを始めたAさんの様子を見て、
ちょっと不安を感じました。
顔色は悪く、何処となく辛そうな様子です。
麻痺のあることは仕方がないとしても、
少なくとも以前の母親の様子とは、
随分違っています。
こんなに辛そうなのに、
果たしてリハビリを無理に進めていいのだろうか、
と息子さんは不安に感じ、
主治医に相談しようとしますが、
忙しくて、あまり取り合ってはもらえません。
看護師さんに聞くと、
「いつまでも寝ていたら、すぐに寝たきりになってしまいます。
今はこうするのが常識なんですよ」、
と息子さんの無知を笑うような言い方です。
それから2週間ほどで、
主治医から話があり、
経過は順調なので、
もういつでも退院出来ますよ、
と息子さんは告げられます。
言葉はソフトですが、
明日にでも退院を、
と有無を言わさぬ調子です。
でも、Aさんの具合の悪そうな様子は、
息子さんの見る限り、
大して変化はありません。
食事も漸く自分で食べられるようになったばかりです。
リハビリもそれほど進んでいるとは思えません。
脳梗塞というのは重病なのだ、
というのが息子さんの感覚です。
何ヶ月も入院するのかと思っていたのに、
1ヶ月も経たないのに家に戻って、
本当に大丈夫なのか、
と不安は膨らみます。
ただ、「今の医療は進歩しているので、
治療も進み、昔のように長く入院する必要はないんですよ。
そんなことをすれば、却って悪くなってしまうんですよ。
患者さんにとってはお家が一番なんですから」、
と看護師さんに言われれば、
確かにそうかな、と思わなくもありません。
いずれにしても自分は素人です。
何となく不安を感じても、
専門家が揃っていいと言うのですから、
反論する訳にもいきません。
息子さんは自分の仕事をやりくりして、
2日後の退院を決めました。
退院の前日の夜、
息子さんはいつものように仕事帰りに、
お見舞いに病室を訪れました。
すると、Aさんは常になく興奮した様子で、
「苦しい。お迎えが来た」などと言います。
顔には玉の汗が浮かび、
目もうつろで何処を見ているのか分かりません。
息子さんはすぐに看護師さんを呼びました。
心配してくれるかと思いの外、
看護師さんは冷静な様子で、
「ああ。最近いつも夜はこうなんですよ。
病院の生活で、昼と夜が逆転して、
それで夜に興奮されるんですね」
と言います。
息子さんは主治医には是非連絡してくれるように言います。
看護師はしばらくして戻って来て、
「電話で連絡をしましたが、
そのまま様子を見ていいとのことでした」
と言います。
診察をすることもなく、
翌日の退院も予定通りです。
退院を伸ばして欲しいと再三息子さんは言いましたが、
「もう次の患者さんが決まっているんです。
お家に帰れば落ち着きますよ」、
の一点張りです。
その翌日、
目がうつろでふらつく様子のまま、
息子さんに支えられて、
Aさんは退院されました。
その夜です。
Aさんは再び意識を失い、
救急車で同じ病院に運ばれました。
翌日のMRI検査で、
今度は前回とは反対側の、
脳の右側の梗塞が見付かったのです。
その2週間後にAさんは亡くなりました。
Aさんの脳の血管は、高度の動脈硬化に伴い、
非常に不安定な状態にあったと推測されます。
詰まりかかっていた場所は1箇所だけではなかったのです。
それを、「右中大脳動脈の閉塞に伴う脳梗塞」、
のような1つの括りで、
処理したところに問題がありました。
最初の判断が誤っていると、
後はベルトコンベアーに乗ったように、
いつからリハビリ、いつに退院、と、
1つのマニュアルだけが優先されてしまい、
人間は消え、いつまでに処理されるべき物、
として対応されてしまうのです。
脳梗塞直前の状態にあったのに、
リハビリを無理強いしたことで、
病状は不安定になり、
Aさんの体調は悪化しました。
ただ、心臓の血管の場合のように、
痛みが出る訳ではないので、
はっきりした症状がないと、
「入院に伴う精神症状」とか、
「認知症が進行した」、
とかと見過ごされてしまうことが往々にあるのです。
そして、その裏にあるのが、
「早く退院させるのが良い病院である」、
という役所の方針です。
Aさんにとっての最良の医者は、
本当は息子さんでした。
息子さんだけが、
Aさんの本当の病状を直感的に見抜いていたのです。
病院は誰のためのものでしょうか?
公的な役目を間違いなく担っている病院では、
入院も退院も、医療者側の一方的な判断のみで、
決定されるべきではないのではないか、
と僕は思います。
病を治すとはどういうことでしょう。
患者さん本人とご家族も含めた、
ある種の共同作業ではないでしょうか。
このケースの場合、
退院に関しては、
ご家族は明らかにご不安を持たれ、
伸ばして欲しい、という希望があったのですから、
主治医ももう一度相談の機会を持ち、
もう少し経過を見る方針にしていれば、
こうした不幸な転帰を取ることが、
阻止出来た可能性があったのでは、
と思われます。
ただ、以前であればこうしたことで、
退院が延びるケースは結構あったのです。
それがなくなったのは、
明らかに国の役所の方針と、
それを「お金」で暗に強制する、
悪魔的な計略の効果です。
勿論医療者にも責任はあります。
治療計画とそれに掛かる入院期間は、
1つの目安であって、
生身の人間にそれが常に、
適応される訳ではないからです。
僕が現時点で言いたいことはこうです。
もしあなたの本当に大切な人が、
病気で入院されたとしたら、
主治医の1人はあなた自身であることを、
心に刻んで下さい。
病院にその責任を丸投げしてしまったら、
絶対にいけません。
治療方針も退院の時期も、
あなたが決めるのです。
それを拒否することは、
誰にも出来ない筈です。
制度上利用すること自体にリスクのある、
病院という場所で、
あなたの大切な人を守る方法は、
それしかないのです。
そこでは、
医療費を削減することのみが正義とされる、
冷酷無比なシステムが、
厳に存在するという事実を、
忘れてはなりません。
皆さんはどうお考えになりますか。
あっ、
上の事例は患者さんからお聞きした事実を元にしていますが、
基本的には伝聞の情報であることをお断りしておきます。
また、いつものことですが、
患者さんの特定がされないように、
細部は敢えて変えた部分のあることも、
ご承知の上お読み下さい。
ただ、僕の家族自身の事例も含めて、
同様の事例は多く経験していて、
こうした事例が決して珍しいものではないことは、
確信を持ってお伝え出来ることと思っています。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
朝から事務仕事をして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
今日は久しぶりにちょっと悪口を書きます。
国の役所の方針で、
医療費を削減することを目的として、
病院に入院する期間を短縮するための、
診療報酬の改定が行なわれました。
もう何年も前のことです。
長い入院だと強制的に退院させられる、とか、
病院をたらい回しにされる、
とかと言われるあれですね。
こうした表現は正確とは言えませんが、
概ね事実を反映しています。
ただ、役所のやることというのは巧妙で、
たとえば「1ヶ月以上の入院は原則として禁ずる」、
と言えばそれでいいのに、
決してそうは言いません。
言えば役所の責任になるからです
その代わりに、
診療報酬を入院後1ヶ月で減額することを決めます。
病院の収入は現実的には国が管理しています。
それを減らしてしまう訳です。
たとえば、半額にするとします。
すると、そのまま患者さんを入院させていれば、
病院は赤字になってしまいます。
わざわざ赤字になる金額を、
逆算して決めているのだから、
これは当然のことです。
しかも、入院の期間の短いことを、
良い病院の条件として規定するのです。
そうすれば、嫌でも病院は患者さんを1ヶ月以内に、
退院させようとします。
でも、無理矢理退院させられた、
患者さんが恨むのは病院で、
そのシステムを決めた、
顔の見えない役所ではありません。
(1ヶ月に半額というのは、
分かり易くするためのレトリックです。
実際にはもっと複雑怪奇で、
14日後、30日後と、
加算点数が減額される、
という形を取って、
病院への収入が減らされます)
資本主義の世界における権力は、
このようにお金で仕事を縛ることで行使されます。
そして、この世に「悪」というものが存在するとすれば、
その純粋な形の1つが、ここにあると僕は思います。
仮にその政策で医療費が削減されたとして、
それに何の意味があるでしょう。
目的もお金で、手段もお金です。
お金のバランスだけが存在し、
人間は消えてしまいます。
人間のない医療費とは一体何でしょう。
生き物が全て死に絶えた病院の中で、
医療器械だけが永遠に動き続けている姿を、
僕は想像します。
最近僕が患者さんのご家族からお聞きした、
1つの事例をお示ししましょう。
患者さんはAさん。
軽い認知症のある、70代の女性です。
高血圧で定期的に通院をしていましたが、
ある冬の日の朝、
朝食を食べた直後に、
言葉が出なくなり、冷や汗が出て、
それから意識を失いました。
一緒に暮らしていた息子さんが、
すぐに救急車を呼び、
Aさんは都内の救急病院に運ばれました。
病院でベットに移された時には、
Aさんの意識はかなり回復していました。
しかし、言葉はうまく喋れず、
右手と右足がスムースに動きません。
血圧は上が200を超えていました。
すぐに撮った頭のCTには異常はありませんでしたが、
脳梗塞が強く疑われ、
Aさんは緊急入院となりました。
翌日のMRI検査で、
脳の左側の比較的大きな梗塞が見付かりました。
これで診断は確定。
年齢や全身状態を考慮して、
血の塊を溶かすような治療は行なわず、
安静にして、全身状態を管理し、
自然な回復を待つ方針となりました。
Aさんは徐々に回復され、
言葉も少しずつ出るようになりましたが、
右の麻痺は残ったため、
数日後には早くもリハビリが始まりました。
お見舞いに来た息子さんは、
リハビリを始めたAさんの様子を見て、
ちょっと不安を感じました。
顔色は悪く、何処となく辛そうな様子です。
麻痺のあることは仕方がないとしても、
少なくとも以前の母親の様子とは、
随分違っています。
こんなに辛そうなのに、
果たしてリハビリを無理に進めていいのだろうか、
と息子さんは不安に感じ、
主治医に相談しようとしますが、
忙しくて、あまり取り合ってはもらえません。
看護師さんに聞くと、
「いつまでも寝ていたら、すぐに寝たきりになってしまいます。
今はこうするのが常識なんですよ」、
と息子さんの無知を笑うような言い方です。
それから2週間ほどで、
主治医から話があり、
経過は順調なので、
もういつでも退院出来ますよ、
と息子さんは告げられます。
言葉はソフトですが、
明日にでも退院を、
と有無を言わさぬ調子です。
でも、Aさんの具合の悪そうな様子は、
息子さんの見る限り、
大して変化はありません。
食事も漸く自分で食べられるようになったばかりです。
リハビリもそれほど進んでいるとは思えません。
脳梗塞というのは重病なのだ、
というのが息子さんの感覚です。
何ヶ月も入院するのかと思っていたのに、
1ヶ月も経たないのに家に戻って、
本当に大丈夫なのか、
と不安は膨らみます。
ただ、「今の医療は進歩しているので、
治療も進み、昔のように長く入院する必要はないんですよ。
そんなことをすれば、却って悪くなってしまうんですよ。
患者さんにとってはお家が一番なんですから」、
と看護師さんに言われれば、
確かにそうかな、と思わなくもありません。
いずれにしても自分は素人です。
何となく不安を感じても、
専門家が揃っていいと言うのですから、
反論する訳にもいきません。
息子さんは自分の仕事をやりくりして、
2日後の退院を決めました。
退院の前日の夜、
息子さんはいつものように仕事帰りに、
お見舞いに病室を訪れました。
すると、Aさんは常になく興奮した様子で、
「苦しい。お迎えが来た」などと言います。
顔には玉の汗が浮かび、
目もうつろで何処を見ているのか分かりません。
息子さんはすぐに看護師さんを呼びました。
心配してくれるかと思いの外、
看護師さんは冷静な様子で、
「ああ。最近いつも夜はこうなんですよ。
病院の生活で、昼と夜が逆転して、
それで夜に興奮されるんですね」
と言います。
息子さんは主治医には是非連絡してくれるように言います。
看護師はしばらくして戻って来て、
「電話で連絡をしましたが、
そのまま様子を見ていいとのことでした」
と言います。
診察をすることもなく、
翌日の退院も予定通りです。
退院を伸ばして欲しいと再三息子さんは言いましたが、
「もう次の患者さんが決まっているんです。
お家に帰れば落ち着きますよ」、
の一点張りです。
その翌日、
目がうつろでふらつく様子のまま、
息子さんに支えられて、
Aさんは退院されました。
その夜です。
Aさんは再び意識を失い、
救急車で同じ病院に運ばれました。
翌日のMRI検査で、
今度は前回とは反対側の、
脳の右側の梗塞が見付かったのです。
その2週間後にAさんは亡くなりました。
Aさんの脳の血管は、高度の動脈硬化に伴い、
非常に不安定な状態にあったと推測されます。
詰まりかかっていた場所は1箇所だけではなかったのです。
それを、「右中大脳動脈の閉塞に伴う脳梗塞」、
のような1つの括りで、
処理したところに問題がありました。
最初の判断が誤っていると、
後はベルトコンベアーに乗ったように、
いつからリハビリ、いつに退院、と、
1つのマニュアルだけが優先されてしまい、
人間は消え、いつまでに処理されるべき物、
として対応されてしまうのです。
脳梗塞直前の状態にあったのに、
リハビリを無理強いしたことで、
病状は不安定になり、
Aさんの体調は悪化しました。
ただ、心臓の血管の場合のように、
痛みが出る訳ではないので、
はっきりした症状がないと、
「入院に伴う精神症状」とか、
「認知症が進行した」、
とかと見過ごされてしまうことが往々にあるのです。
そして、その裏にあるのが、
「早く退院させるのが良い病院である」、
という役所の方針です。
Aさんにとっての最良の医者は、
本当は息子さんでした。
息子さんだけが、
Aさんの本当の病状を直感的に見抜いていたのです。
病院は誰のためのものでしょうか?
公的な役目を間違いなく担っている病院では、
入院も退院も、医療者側の一方的な判断のみで、
決定されるべきではないのではないか、
と僕は思います。
病を治すとはどういうことでしょう。
患者さん本人とご家族も含めた、
ある種の共同作業ではないでしょうか。
このケースの場合、
退院に関しては、
ご家族は明らかにご不安を持たれ、
伸ばして欲しい、という希望があったのですから、
主治医ももう一度相談の機会を持ち、
もう少し経過を見る方針にしていれば、
こうした不幸な転帰を取ることが、
阻止出来た可能性があったのでは、
と思われます。
ただ、以前であればこうしたことで、
退院が延びるケースは結構あったのです。
それがなくなったのは、
明らかに国の役所の方針と、
それを「お金」で暗に強制する、
悪魔的な計略の効果です。
勿論医療者にも責任はあります。
治療計画とそれに掛かる入院期間は、
1つの目安であって、
生身の人間にそれが常に、
適応される訳ではないからです。
僕が現時点で言いたいことはこうです。
もしあなたの本当に大切な人が、
病気で入院されたとしたら、
主治医の1人はあなた自身であることを、
心に刻んで下さい。
病院にその責任を丸投げしてしまったら、
絶対にいけません。
治療方針も退院の時期も、
あなたが決めるのです。
それを拒否することは、
誰にも出来ない筈です。
制度上利用すること自体にリスクのある、
病院という場所で、
あなたの大切な人を守る方法は、
それしかないのです。
そこでは、
医療費を削減することのみが正義とされる、
冷酷無比なシステムが、
厳に存在するという事実を、
忘れてはなりません。
皆さんはどうお考えになりますか。
あっ、
上の事例は患者さんからお聞きした事実を元にしていますが、
基本的には伝聞の情報であることをお断りしておきます。
また、いつものことですが、
患者さんの特定がされないように、
細部は敢えて変えた部分のあることも、
ご承知の上お読み下さい。
ただ、僕の家族自身の事例も含めて、
同様の事例は多く経験していて、
こうした事例が決して珍しいものではないことは、
確信を持ってお伝え出来ることと思っています。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。