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ロッシーニ「ウィリアム・テル」(新国立劇場2024/25レパートリー) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ウィリアムテル.jpg
新国立劇場のレパートリーとして、
ロッシーニの最後のオペラにして、
グランドオペラ形式の大作「ウィリアム・テル」が上演されています。

ロッシーニは心を躍らせる、
アジリタの超絶技巧が唯一無二の素晴らしさで、
上演頻度の高い「セヴィリアの理髪師」は、
凡庸な歌手での上演であれば、
眠気を誘うだらけた作品にしかなりませんが、
プロのロッシーニ歌いが集結すると、
その絢爛豪華な極上のアンサンブルとアリアは、
他の追随を許さない至福の音楽体験となります。

個人的にも全盛期のフローレスが伯爵を歌った「セヴィリアの理髪師」と、
ヴィヴィカ・ジュノーの「ラ・チェネレントラ」
新国立でのヴァサロヴァとシラグーザの「ラ・チェネレントラ」は、
その歌声の素晴らしさが、
今でも耳に焼き付いています。

ロッシーニは長いこと忘れられたオペラ作者で、
世界的にも「セヴィリアの理髪師」の、
それも難度の高いアリアを省略した不完全版が、
唯一上演されていた、という時代が長く、
今では他の多くの作品が完全版で上演されていますが、
日本では「セヴィリアの理髪師」以外の作品は、
かなり上演頻度が低いのが実際です。

僕が生で聴いているのも、
「セヴィリアの理髪師」と「ラ・チェネレントラ」以外には、
「タンクレディ」と「セミラーミデ」、「オテロ」、
「ランスの旅」くらいです。

ロッシーニは軽快な喜劇の印象が強く、
確かにぞのオペラ作者としての前半期には、
そうした作品が多いのですが、
後半期にはむしろ重厚なドラマ主体で、
その後のヴェルディを彷彿とさせるような作品を多く残しています。

この「ウィリアム・テル(ギョーム・テル)」も、
そうした作品の1つで、
合唱主体のドラマティックな展開は、
ほぼほぼヴェルディと言って良いくらいです。

今回の上演は新国立劇場の最近のレパートリーの中では、
かなりのヒットと言って良いもので、
今の戦争の時代を匂わせながらも、
それほどの改変をしなかった演出も良いですし、
オケの繊細さと躍動感を併せ持つ感じも高水準で、
何よりメインキャストの3人が、
充実した世界レベルの歌唱で、
このオペラの素晴らしさを、
十全に表現していたと思います。

オペラファンの方は是非是非聞き逃しなしよう。

ロッシーニの精髄を感じさせる上演でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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ベッリーニ「夢遊病の女」(新国立劇場2024/25レパートリー) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
夢遊病の女.jpg
ベッリーニのベルカントオペラの傑作「夢遊病の女」が、
新国立劇場のレパートリーとして先日上演されました。

「夢遊病の女」は名のみ高く、
あまり日本では上演はされないオペラの1つで、
装飾歌唱コロラトゥーラの、
代表的な演目の1つです。

僕はデセイ様が2004年に初来日のリサイタルを開いた時、
その最後のソプラノのアリアの前半のカバティーナを後半のパートで、
後半のカバレッタをアンコールで歌ったのを聴いたのが衝撃的で、
特にアンコールのカバレッタの超絶技巧と超高音は、
この素晴らしいリサイタルの中でも、
白眉と言って良いものでした。

すんばらしかったのです。

19世紀初頭の作品で、
物語の内容自体は、
正直かなり古色蒼然とした感じです。

主人公のアミーナは夢遊病のために、
婚約者のエルヴィーノから不貞を疑われて、
婚約指輪を投げ捨てられてしまうのですが、
ラストに夢遊病でのアリアで、
皆に真相が分かり、
その後2人は祝福されて、
歓喜の歌でオペラは終わります。

この作品はともかく、
ラストの夢遊病でのアリアから、
テノールとソプラノの掛け合い、
そして急転直下のハッピーエンドの、
ソプラノの超絶技巧と合唱との融合、
という部分が抜群にいいんですね。
このクライマックスのための、
それまでは壮大な前振り、と言っても良いくらい。

それなら、アリアだけ歌えばいいじゃないか、
と思うところですが、
合唱やテノールの歌声を楽器にしてしまうと、
途端にその魅力はかなり失われてしまう感じになるのです。

今回は歌手陣はまあまあ頑張っていたのですが、
演出はかなり原作を改変していて、
アミーナは最後小屋の高台に現れ、
歓喜のアリアは歌うものの、
恋人や村人と交わることは最後までなく、
どうやらラストは高台から身を投げて死んだ、
ということを示唆して終わります。

うーん。

勿論意図は分かるのです。
原作はあまりに恋人が身勝手で自己中心的で、
その誤解に主人公は振り回され、
最後に急に「悪かった」と言われても、
それでまた婚約してハッピーエンド、
というのはあまりに男の身勝手な理屈です。

それは分かるのですが、
この作品はラストの、
絶望から急転直下のハッピーエンド、
というのが一番の聴きどころなので、
そこを演出で捻ってしまうと、
作品の性質が変わってしまうんですよね。

こんなことをするくらいなら、
この作品は上演しない方がいい、
上演するにしても演奏会形式の方がいい、
というように思ってしまいました。

歌手陣は主人公のアミーナに、
イタリアの新進気鋭のソプラノ、クラウディア・ムスキオ、
エルヴィーラに往年の名テノール、アントニオ・シラグーザという布陣で、
ムスキオは非常に丁寧な歌唱で好感が持てましたが、
コロラトゥーラは抜群、とまではいかない感じでした。
あのラストのアリアは、
たとえば絶頂期のデセイ様が歌えば、
あんなものではなく、
これを聴ければその場で死んでも構わないと、
本気でそう思えるほどの絶品なのです。
対するシラグーザは、
いつも通りの手を抜かない熱演であり熱唱でしたが、
正直矢張りかつての絶頂期の声の輝きはありませんでした。

そんな訳で、
この作品を生で聴けて良かった、
という感慨はありながら、
演出には不満があり、
また歌手陣にも曲が素晴らしいだけに、
どうしてもより高いものを期待してしまいました。

オペラはなかなか難しいですね。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「トゥーランドット」英国ロイヤル・オペラ2024年日本公演 [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
英国ロイヤルオペラ.jpg
2024年の6月に英国ロイヤル・オペラの、
来日公演が行われました。

演目はヴェルディの「リゴレット」と、
プッチーニの「トゥーランドット」
その「トゥーランドット」の舞台に足を運びました。

「トゥーランドット」はプッチーニの遺作で、
最高傑作と言って良い素晴らしい音楽なのですが、
ラストを作曲することなくプッチーニは亡くなったので、
プッチーニとしては未完の作品です。
それで通常は、後にプッチーニの弟子筋の作曲家が、
ラストの音楽を付けたものが上演されます。

ただ、中には別のヴァージョンが上演されることもあり、
プッチーニが作曲したリューの死の場面で、
そのまま演奏が中止される、
という上演が行われることもあります。

今回は通常の、別作曲のエンディングを付けた上演でした。

この作品は音楽が本当に素晴らしくて、
オープニングからワクワクしますし、
そのワクワク感、音楽と感情のうねりのようなものは、
プッチーニの絶筆のリューの死まで、
一瞬たりとも途切れることはありません。
主要人物は非常に少ないのですが、
大規模な合唱にスケール感があり、
オケも非常に大規模で絢爛豪華です。

この作品は大規模なセットを組んだ上演が行われることもあり、
それはそれでスケール感があって良いのですが、
そうなると、トゥーランドット姫が舞台の後方や上方で歌うことが多くなり、
オペラとしては欲求不満的な感じが強くなります。

今回の演出は古いものですが、
グローブ座的なセットを組んで、
仮面劇的なスタイルが成功しており、
古典劇のスタイルと取ることで、
こじんまりとしたセットで、
それなりのスケール感を出しているのが面白く、
歌手も合唱も基本的に舞台上で正面を向いての歌唱なので、
演奏会形式に近いスタイルで、
音楽そのものの魅力に浸ることが出来ました。

歌手はタイトルロールが急病キャンセルで、
それはそれで残念ではあったのですが、
代役のおそらくはアンダーで同行したソプラノも、
なかなか頑張っていましたし、
カラフとリューも美声が素晴らしく、
滅多にない充実した「トゥーランドット」になっていたと思います。

このスケールの作品が、
このレベルで生で上演されることは稀なことで、
まずはオペラの愉楽に酔うことが出来ました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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ヤニック・ネゼ=セガン指揮 METオーケストラ来日公演2024 [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
metオーケストラ.jpg
6月のことですが、
メトロポリタンオペラのオーケストラが来日し、
日本でコンサートを開きました。

そのプログラムAに足を運びました。

眼目はコンサート形式で上演された、
バルトークの「青ひげ公の城」で、
当代を代表するメゾソプラノの1人、
エリーナ・ガランチャが来日して、
その見事な歌唱を響かせました。

「青ひげ公の城」はその昔、
山海塾の天児さんが演出した上演で、
一度聞いたことがあります。
今回は演奏会形式ですが、
もともとこの作品は2人の歌手しか登場せず、
舞台の動きもほぼないという作品なので、
演奏会形式の方がその音楽の魅力を堪能し易いと思います。

歌手はソプラノとバリトンで、
それを今回はメゾのガランチャと、
バスバリトンのクリスチャン・ヴァン・ホーンが歌います。

これがまあ、2人とも圧倒的な歌唱で、
非常に驚きましたし感銘を受けました。
ドラマチックなオケも素晴らしく、
ちょっと今これ以上の「青ひげ公の城」は望めないのではないか、
というくらいの完成度の上演でした。

ガランチャはその昔、
一度だけ新国立劇場に来日して、
「ホフマン物語」のミューズを歌ったのですね。
それほど歌いどころのない役ですが、
その人間離れした美しさは、
まさに本物のミューズという感じで強く印象に残っています。
その後は、コロラトゥーラも歌うし、
カルメンも歌うし、という感じで、
世界的なスターとなりましたが、
なかなか日本には来てくれませんでした。
2022年に何度からコロナで延期されたリサイタルがあって、
勿論チケットも購入してたのですが、
ピンポイントで入院してしまい、行くことが叶いませんでした。
今回本当に待望の生歌に接して、
感慨は大きかったのですが、
もう少し前にコロラトゥーラを聴きたかったな、
というのが永久に叶わない夢ですね。

でも今回は最高でした。

まあ日本の国力も落ち、
今後オペラの大規模な引っ越し公演は、
滅多には望めないな、という昨今ですが、
数少ない機会を大切に、
一期一会の志で臨みたいとは思っています。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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ヴェルディ「椿姫」(ローマ国立歌劇場2023年来日公演) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ローマ椿姫.jpg
イタリアのローマ国立歌劇場の日本公演が、
NBSの主催で今上演されています。

そのヴェルディ「椿姫」の公演に足を運びました。

これはなかなか良かったです。

久しぶりに良いオペラを生で聴いた、
という気分になりました。

コロナ禍以降、最近になって幾つかの、
海外歌劇場の来日公演と題されたものはありましたが、
実際にはそれほど大掛かりなものではなかった印象でした。

今回の公演はオケも舞台装置も合唱もバレエもほぼ持ち込みで、
全体にクオリティは高く保たれていました。
その意味ではコロナ禍以降初めての、
海外歌劇場の本格的な来日公演、
という言い方をしてそれほど間違いではないと思います。

キャストはヴィオレッタ役のリセット・オロペサが、
ヴィジュアルも役柄にピッタリですし、
豪華な衣装の着こなしも美しく、
肝心の歌も装飾歌唱などは抜群とは言えないのですが、
それでもクオリティの高い歌唱で聴きごたえがありました。

テノールのフランチェスコ・メーリは、
以前よりかなり翳のある2枚目という感じになっていましたが、
今回は非常にフォルムの端正な見事な歌唱で、
僕は来日の度にメーリの声は聴いていますが、
今回が間違いなく一番良かったと思います。
絶好調と言っても言い過ぎではありません。

演出は2018年にも一度日本で上演されたもので、
その時も結構好印象でした。
https://rokushin.blog.ss-blog.jp/2018-09-17
今回も改めてこの演出の演劇的に優れた点を確認しました。
音楽の構成もその時とほぼ同じで、
3幕はかなりオリジナルに近いヴァージョンでしたが、
1幕と2幕1場はカットの多いヴァージョンでした。
音楽の完成度は間違いなく前回を凌いでいたと思いますが、
特に1幕の大アリアのカヴァレッタが、
短縮版だったのは少し残念でした。

ミケーレ・マリオッティの指揮は、
抑揚の豊かな表現が素晴らしく、
歌手に合わせて調整する職人芸もなかなかでした。

もう多分こうした引っ越し公演を、
日本で聴く機会は、
経済状況や将来の見通しを考えると、
あまりないのではないかと思われるので、
その少ない機会をしっかりと噛み締めて、
目と耳に残したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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シュトラウス「サロメ」(2023年新国立劇場上演版) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
サロメ.jpg
新国立劇場がレパートリー上演した、
シュトラウスの「サロメ」に足を運びました。

シュトラウスはプッチーニと共に、
古典的なオペラの最後の大家で、
プッチーニが良くも悪くも通俗的な魅力に満ちているのに対して、
シュトラウスはオペラの歴史の中でも、
最も複雑で高度な作品が並んでいます。
ただ、ハードルは高いのですが、
それを乗り越えた時の愉楽も大きく、
シュトラウスはオペラファンが、
最後に行きつくところ、という感もあるのです。

その作品は現代音楽への橋渡しとなる前衛的なものから、
古典の解体、再構築のような作品まで多岐に渡っています。

その中ではこの「サロメ」は、
前衛的なオペラの試みの最初に位置する作品ですが、
1時間半ほどの1幕で比較的ハードルは低く、
その旋律は意外にロマンチックで、
聴き慣れると結構耳に残ります。

最近では割とお気に入りの1作です。

今回の上演は新国立劇場では定番演出ですが安定感はあり、
サロメ役はアレックス・ペンダというドラマティックソプラノで、
通常の上演よりワーグナーに寄せているような、
スケール感のある演奏になっていました。
多少違和感はありましたが、
「トリスタンとイゾルデ」の抜粋を聴いているようで、
これはこれでありかな、というようには感じました。
ただ、その一方でビジュアル的にはサロメのようには見えず、
母親より年かさに見えるサロメとなっていました。

ここまで歌手や音楽によって印象の変わるオペラも面白く、
これが最高、というような上演にはまだ立ち会っていませんが、
それだけに楽しみの残る作品でもあるのです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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プッチーニ「ラ・ボエーム」(2023年新国立劇場上演版) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ラ・ボエーム.jpg
新国立劇場は今年は殆どキャストの変更もなく、
比較的安定感のある舞台が続いています。

今回は大野和士芸術監督が東京フィルを指揮した、
プッチーニの人気作「ラ・ボエーム」に足を運びました。

「ラ・ボエーム」はバルバラ・フリットリのミミを、
トリノ王立歌劇場の来日の時に2回、
それからメトロポリタン・オペラの震災の時の来日で1回聴いていて、
サントリーホールのホールオペラは、
直前でエヴァ・メイがドタキャンだったのですが、
3回の公演とも聴いているので、
それ以外に新国立の舞台も聴いていますし、
結構耳慣れたオペラの1つです。

プッチーニはまあ、古典オペラの最後に位置していて、
その後の映画とミュージカルの、
橋渡しをしたような存在ですよね。
ミュージカルの構成はその多くが、
プッチーニを参考にして成立していると思いますし、
映画音楽もプッチーニがベースになっている部分が大きいのです。

数あるオペラの旋律の中でも、
プッチーニが耳慣れた感じがするのは、
それが映画音楽とミュージカルの母体であるからに他なりません。

「ラ・ボエーム」は名作ですが、
実際の上演では軽く流れてしまう傾向があって、
その繊細なニュアンスは実際の舞台では再現されにくく、
完成度はあまり高くないのが通例です。

ただ、大野芸術監督は非常に緻密な音楽作りが特徴なので、
この通俗的人気作に、
どのようなアプローチをするのかに興味がありました。

聴いた感想としては、
さすが大野芸術監督というところは随所に見られる、
非常に計算された緻密な作品になっていました。
何気ない1つ1つの歌詞の意味がクリアでしたし、
感情がどのように音に乗って、
歌との相乗効果をもたらすのかも、
視覚的にも聴覚的にも体感出来る作品に仕上がっていました。

ただ、これもいつものことですが、
大野芸術監督はあまり歌手との相性は良くないですね。
自由に歌うようなベテランとは大抵合いませんし、
技術レベルが低い歌手でも妥協をしないので、
結果的にオケと歌手とが乖離してしまうような感じになることも多いのです。
今回は、中堅どころの歌手が主体で、
割と真面目な方が多かったようで、
比較的きっちりと芸術監督の指示を守って、
フォルムの整った歌に仕上げていたと思います。
ただ、欲を言えばソプラノもテノールも、
もっと高音には特別な輝きが欲しかった、
というようには思いました。

セットや演出はクラシカルで、
それほどの面白みはないものですが、
歌をしっかり聞かせるという、
基本に忠実な点は好印象でしたし、
プッチーニの作品は幕の始まりに、
まず情景描写の音楽が入るのですが、
2幕も3幕もその情景描写の後で一度セットに動きを与えていて、
これはなかなかクレヴァーな工夫だと思いました。

総じて、こじんまりした上演ではありましたが、
通常より音楽の緻密な計算が、
しっかりと感じ取れる優れた上演で、
大野芸術監督の資質が、
充分に活かされていたように思いました。
歌手はボチボチ。
ミミとムゼッタが似すぎているのは減点ポイントでした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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ヘンデル「シッラ」(神奈川県立音楽堂室内オペラプロジェクト第5弾) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
シッラ.jpg
神奈川県立音楽堂の室内オペラプロジェクト第5弾として、
2020年に一旦予定されながらコロナ禍のため中止となった、
ヘンデルの初期のオペラ「シッラ」が、
今回2年ぶりに上演が実現しました。

神奈川県立音楽堂は、
横浜の丘の上にある古いホールで、
上野の文化会館をうんと小ぶりにしたような雰囲気ですが、
時々思い切った魅力的な企画を実現させてくれます。

中でも2006年にたった1回のみ上演された、
ヴィヴァルディの「バヤゼット」は、
イタリアの気鋭のバロック音楽アンサンブル「エウローパ・ガランテ」が、
音楽監督ファビオ・ビオンディの采配による、
ワクワクするような躍動感ある演奏を聴かせ、
ジュノーやバルチェローナを始めとする、
綺羅星の如き歌手陣が、
名唱を披露しました。

僕がこれまで生で聴いた中では、
日本のオペラ上演で最高の舞台だったと断言出来ます。

続いて2015年にヴィヴァルディの「メッセニアの神託」が、
同じビオンディの「エウローパ・ガランテ」が音楽監督を務め、
「バヤゼット」で最高の歌唱を聴かせたヴィヴィカ・ジュノーが、
2006年以来の再登板。
それに、若手では最高のアジリタ歌いと世評の高い、
ロシアのメゾ、ユリア・レーシネヴァが加わって再度上演されました。

これも物凄く期待して音楽堂に足を運びました。

ただ、「バヤゼット」がほぼ演奏会形式であったのと比較して、
「メッセニアの信託」は能を模した演出がされていて、
それがやや中途半端なものに感じました。
「バヤゼット」はストーリーはあるものの、
それは二の次の歌合戦的妙味があって、
見事なアリアの後は拍手喝采でカーテンコールという感じで、
それでとても楽しかったのですが、
「メッセニアの信託」では物語がどうも中途半端で、
その高揚感を邪魔していました。
レーシネヴァの超絶技巧のアリアは抜群で、
それだけで元は取ったという気分にはなったのですが、
ジュノーは主役ではあるものの、
超絶技巧のアリアなどはなく、
その点も物足りなく感じました。

そして今回の「シッラ」ですが、
今回はヘンデルの最初期のオペラで、
実際には上演されたかどうかも不明という、
かなりレアな作品です。

音楽監督はこれまでと同じファビオ・ビオンディで、
演奏も勿論エウローパ・ガランテです。
歌手陣もヴィヴィカ・ジュノーが再登板。
他のキャストも実力派揃いです。

一度は2020年に上演が予定されたものの、
新型コロナの再拡大のために直前で中止となり、
今回奇跡的に再上演がかないました。

期待に胸を膨らませて会場入りしたのですが、
プレトークを聞いてみたところ、
衣装は歌舞伎スタイルで顔は白塗りの隈取、
演技も歌舞伎を取り入れてスペクタクル化する、
ということだったので、
「ええっ! 演奏会形式の方がいいんじゃないの?」
と非常に危惧を感じました。

ただ、結果的には「バヤゼット」の興奮はありませんでしたが、
前回の「メッセニアの信託」よりは満足感の高い公演でした。

歌舞伎風の派手な極彩色の衣装とメイクが、
舞台面を華やかにしてくれて悪くないのと、
歌手陣も歌舞伎風の衣装とメイクに喜んで、
ノリノリでやっている感じが良かったと思います。

特に独裁者シッラを歌った、
コントラルトのソニア・プリナと、
護民官を演じたジュノーは、
歌舞伎の感情表現もかなり研究した跡が見え、
格調のある雰囲気が、
作品世界ともマッチしていて感心させられました。
ジュノーはアジリタを駆使したアリアを1幕で歌ってくれて、
絶好調の時よりスピードは落ちたかなあ、
という感じはありましたが、
その絶妙な技巧には興奮させられました。

聴きどころが多かったのは、
シッラのソニア・プリナと、
軍人を演じたヒラリー・サマーズの2人のコントラルトで、
1幕のフィナーレのサマーズのアリアは、
管楽器との絶妙な掛け合いも相俟って、
全編で最も印象的な場面になっていたと思います。

いずれにしても、
コロナ禍以降では間違いなく、
最も音楽の素晴らしさに浸れた公演で、
この試みが、
これからも是非継続されることを期待したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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ロッシーニ「チェネレントラ」(新国立劇場2021シーズンオープニング) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。
レセプトももう出したので、
一時的ですが少しほっとしているところです。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
チェネレントラ.jpg
新国立劇場2021/22年のシーズンオープニングとして、
ロッシーニの傑作「チェネレントラ」が上演されています。

新国立劇場の「チェネレントラ」と言えば、
前回の2009年のシラグーザとカサロヴァによる舞台が、
演出は海外の歌劇場の借り物でしたが、
素晴らしい歌の競演で心に焼き付いています。
特にテノールのシラグーザはあの時は抜群に調子が良くて、
そのアリアの興奮は忘れることが出来ません。

この作品はともかく「歌」を聴くためのオペラで、
その意味では最初から最後まで、
素晴らしい聴き所が連続して息吐く暇のない傑作なのです。

ただ、実際の上演では、抜群の技量の歌手が揃わないと、
何じゃこりゃ、という結果に終わってしまいます。

今回の上演は「セビリアの理髪師」でも見事なコロラトゥーラを聴かせてくれた、
脇園彩さんのタイトルロールに、
アメリカのテノール、ルネ・バルベラさんのドン・ラミーロという組み合わせで、
結果的にはなかなか聴き応えのある舞台でした。

特に脇園さんは良かったですね。
堂々たる主役の歌唱で、
声量もありますし、装飾歌唱の技巧も確かで、
演技力もあります。
これはもう新国立劇場を代表するプリマドンナ、
という言い方をして良いのではないでしょうか?

ルネ・バルベラさんも実力のあるテノールで、
今回はメインのアリアでbis(アンコールの2回目)もやっていました。
ただ、ちょっと端正過ぎて熱狂を呼ぶという感じの歌唱ではないのですね。
でも良かったです。

問題はアンサンブルで、
この作品は3重唱や4重唱に聴き所が多いのですが、
そうした部分は音のバランスは今ひとつでしたね。
それでも悪くはなかったと思います。

演出は映画界に舞台を移した読み替え演出で、
冒頭などは「何じゃこりゃ」という感じだったのですが、
大半の舞台は「劇中劇」として、
それほどオリジナルと変わりない格好で進んだので、
そこまで酷い感じにはならなくて胸をなで下ろしました。

大道具はでかいポップな山車のような装置が移動するという、
新国立劇場の演出ではありがちなものでしたが、
色彩的には美しくてこれも作品の世界は壊していませんでした。

総じて今のコロナ禍の状況では、
これ以上は望み得ないような充実した舞台で、
それはもう15年くらい前のことを考えると、
レベルと華やかさの低下は明らかではあるのですが、
懐古趣味に浸っても仕方がないので、
今のオペラをそれなりに楽しみたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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チャイコフスキー「イオランタ」(2021年新国立劇場上演版) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
イオランタ.jpg
新国立劇場で、
2本の短いオペラを同時上演する、
ダブルビルの試みが行われています。

今回上演されたのは、
ストラヴィンスキーの「夜鳴きうぐいす」と、
チャイコフスキーの「イオランタ」で、
どちらも有名な作品ではありますが、
実際に国内で上演される頻度は、
決して多くはありません。

元々は海外から招聘された歌手が、
メインの役柄にキャスティングされていましたが、
コロナ禍で来日は適わず、
ほぼ国内キャストの布陣での上演です。

これね、それほど期待せずに足を運んだのですが、
チャイコフスキーの「イオランタ」が絶妙に面白くて、
ちょっと感動的でオペラには珍しく少し泣いてしまいましたし、
もっと上演して欲しいなと思いました。

これはチャイコフスキーの晩年のオペラで、
全1幕95分ほどの短い作品なのですが、
物語もとてもユニークで面白いですし、
曲も得意のドラマチックな盛り上げまくりで充実しています。

途中の長大な二重唱はワーグナーみたいですし、
最後にはロッシーニみたいなフィナーレが付いているでしょ。
オペラの色々な魅力がぎゅっと詰まっていて、
途中は感動しますしラストは盛り上がって、
それでいて短いのですから言うことがありません。

お話はね、フランスのプロヴァンスのお姫様が、
絶世の美女だけれど盲目、という設定なんですね。
生まれついて目が見えないのですが、
それを周囲の臣下の人達がサポートして、
不自由なく暮らせるような「秘密の国」を作っているんですね。

面白いのはお姫様に、
見るという行為などはなくて、
人間は触れて感じるのが当然、
と信じ込ませているのです。

だから、そこでは「見る」とか「見える」とか、
「色」というのは禁句なんですね。

そこに青年貴族がやって来て、
何も知らずに「君目が見えないの?」とかと言ってしまうので、
さあ大変、という展開になります。

丁度世界的名医という人がやって来て、
王様に「お姫様の治療をしたい」と言うのですが、
そのためには本人が自分が目が見えていない、
ということを認めて治療を強く希望しないといけない、
と言うので、
王様は「今更そんなことを告げて、ショックを与える訳にはいかない」
と拒否するのです。
そんなときに娘が真実を知ってしまうので、
結果的にお姫様は治療を受け入れ、
目が見えるようになったお姫様は貴族と結婚して、
祝祭的なエンディングになります。

これね、
「光が見えないことは神に近づけないことだ」
みたいな台詞もあるので、
昔の話だし、
ちょっと差別的ではあるのですね。
ただ、テーマ的にはそうしたことではなくて、
貴族は王様に、
「娘さんの目が見えても見えなくても、私は彼女を愛する」
と言うんですね。
それで最終的には王様も治療を決断するのです。

要するに、
困難から目を背けて、
それがないことにして良しとしていても、
それでは絶対に解決はしない、
ということを言っているんですね。
それを認めた上でリスクを取ることにより、
未来は開けるのだ、と言っているんですね。

今の感覚から言うと、
その困難の例として視覚障害を取り上げるのは、
不適切ではあるのですが、
それは昔の話なので仕方がないのです。
本質はそれに意味を強く置いているということではないのですね。

その意味でとても今日的なテーマでもあると感じました。

キャストは王様のベテラン妻屋秀和さんと、
主人公のイオランタ役の大隅智佳子さんが良かったですね。
特に大隅さんは抜群の歌唱で引込まれました。

先日の「ワルキューレ」でも、
ジークリンデとブリュンヒルデは良かったですし、
日本のドラマチックソプラノは、
とてもレベルが高いなあ、と感心しました。

今回の大隅さんの歌唱は、
海外のスター歌手と比較しても、
全然遜色はないと思いました。

一方でテノールは弱いですよね。
「ワルキューレ」の時もこれじゃなあ、と感じましたし、
今回もあ「あれれっ」という感じでしたね。

それでもこうした事態を逆手にとって、
「日本のオペラ」が成熟することを期待したいと思いますし、
今回はとても感銘を受けた公演でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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