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ヴェルディ「椿姫」(ローマ国立歌劇場2023年来日公演) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ローマ椿姫.jpg
イタリアのローマ国立歌劇場の日本公演が、
NBSの主催で今上演されています。

そのヴェルディ「椿姫」の公演に足を運びました。

これはなかなか良かったです。

久しぶりに良いオペラを生で聴いた、
という気分になりました。

コロナ禍以降、最近になって幾つかの、
海外歌劇場の来日公演と題されたものはありましたが、
実際にはそれほど大掛かりなものではなかった印象でした。

今回の公演はオケも舞台装置も合唱もバレエもほぼ持ち込みで、
全体にクオリティは高く保たれていました。
その意味ではコロナ禍以降初めての、
海外歌劇場の本格的な来日公演、
という言い方をしてそれほど間違いではないと思います。

キャストはヴィオレッタ役のリセット・オロペサが、
ヴィジュアルも役柄にピッタリですし、
豪華な衣装の着こなしも美しく、
肝心の歌も装飾歌唱などは抜群とは言えないのですが、
それでもクオリティの高い歌唱で聴きごたえがありました。

テノールのフランチェスコ・メーリは、
以前よりかなり翳のある2枚目という感じになっていましたが、
今回は非常にフォルムの端正な見事な歌唱で、
僕は来日の度にメーリの声は聴いていますが、
今回が間違いなく一番良かったと思います。
絶好調と言っても言い過ぎではありません。

演出は2018年にも一度日本で上演されたもので、
その時も結構好印象でした。
https://rokushin.blog.ss-blog.jp/2018-09-17
今回も改めてこの演出の演劇的に優れた点を確認しました。
音楽の構成もその時とほぼ同じで、
3幕はかなりオリジナルに近いヴァージョンでしたが、
1幕と2幕1場はカットの多いヴァージョンでした。
音楽の完成度は間違いなく前回を凌いでいたと思いますが、
特に1幕の大アリアのカヴァレッタが、
短縮版だったのは少し残念でした。

ミケーレ・マリオッティの指揮は、
抑揚の豊かな表現が素晴らしく、
歌手に合わせて調整する職人芸もなかなかでした。

もう多分こうした引っ越し公演を、
日本で聴く機会は、
経済状況や将来の見通しを考えると、
あまりないのではないかと思われるので、
その少ない機会をしっかりと噛み締めて、
目と耳に残したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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シュトラウス「サロメ」(2023年新国立劇場上演版) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
サロメ.jpg
新国立劇場がレパートリー上演した、
シュトラウスの「サロメ」に足を運びました。

シュトラウスはプッチーニと共に、
古典的なオペラの最後の大家で、
プッチーニが良くも悪くも通俗的な魅力に満ちているのに対して、
シュトラウスはオペラの歴史の中でも、
最も複雑で高度な作品が並んでいます。
ただ、ハードルは高いのですが、
それを乗り越えた時の愉楽も大きく、
シュトラウスはオペラファンが、
最後に行きつくところ、という感もあるのです。

その作品は現代音楽への橋渡しとなる前衛的なものから、
古典の解体、再構築のような作品まで多岐に渡っています。

その中ではこの「サロメ」は、
前衛的なオペラの試みの最初に位置する作品ですが、
1時間半ほどの1幕で比較的ハードルは低く、
その旋律は意外にロマンチックで、
聴き慣れると結構耳に残ります。

最近では割とお気に入りの1作です。

今回の上演は新国立劇場では定番演出ですが安定感はあり、
サロメ役はアレックス・ペンダというドラマティックソプラノで、
通常の上演よりワーグナーに寄せているような、
スケール感のある演奏になっていました。
多少違和感はありましたが、
「トリスタンとイゾルデ」の抜粋を聴いているようで、
これはこれでありかな、というようには感じました。
ただ、その一方でビジュアル的にはサロメのようには見えず、
母親より年かさに見えるサロメとなっていました。

ここまで歌手や音楽によって印象の変わるオペラも面白く、
これが最高、というような上演にはまだ立ち会っていませんが、
それだけに楽しみの残る作品でもあるのです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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プッチーニ「ラ・ボエーム」(2023年新国立劇場上演版) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ラ・ボエーム.jpg
新国立劇場は今年は殆どキャストの変更もなく、
比較的安定感のある舞台が続いています。

今回は大野和士芸術監督が東京フィルを指揮した、
プッチーニの人気作「ラ・ボエーム」に足を運びました。

「ラ・ボエーム」はバルバラ・フリットリのミミを、
トリノ王立歌劇場の来日の時に2回、
それからメトロポリタン・オペラの震災の時の来日で1回聴いていて、
サントリーホールのホールオペラは、
直前でエヴァ・メイがドタキャンだったのですが、
3回の公演とも聴いているので、
それ以外に新国立の舞台も聴いていますし、
結構耳慣れたオペラの1つです。

プッチーニはまあ、古典オペラの最後に位置していて、
その後の映画とミュージカルの、
橋渡しをしたような存在ですよね。
ミュージカルの構成はその多くが、
プッチーニを参考にして成立していると思いますし、
映画音楽もプッチーニがベースになっている部分が大きいのです。

数あるオペラの旋律の中でも、
プッチーニが耳慣れた感じがするのは、
それが映画音楽とミュージカルの母体であるからに他なりません。

「ラ・ボエーム」は名作ですが、
実際の上演では軽く流れてしまう傾向があって、
その繊細なニュアンスは実際の舞台では再現されにくく、
完成度はあまり高くないのが通例です。

ただ、大野芸術監督は非常に緻密な音楽作りが特徴なので、
この通俗的人気作に、
どのようなアプローチをするのかに興味がありました。

聴いた感想としては、
さすが大野芸術監督というところは随所に見られる、
非常に計算された緻密な作品になっていました。
何気ない1つ1つの歌詞の意味がクリアでしたし、
感情がどのように音に乗って、
歌との相乗効果をもたらすのかも、
視覚的にも聴覚的にも体感出来る作品に仕上がっていました。

ただ、これもいつものことですが、
大野芸術監督はあまり歌手との相性は良くないですね。
自由に歌うようなベテランとは大抵合いませんし、
技術レベルが低い歌手でも妥協をしないので、
結果的にオケと歌手とが乖離してしまうような感じになることも多いのです。
今回は、中堅どころの歌手が主体で、
割と真面目な方が多かったようで、
比較的きっちりと芸術監督の指示を守って、
フォルムの整った歌に仕上げていたと思います。
ただ、欲を言えばソプラノもテノールも、
もっと高音には特別な輝きが欲しかった、
というようには思いました。

セットや演出はクラシカルで、
それほどの面白みはないものですが、
歌をしっかり聞かせるという、
基本に忠実な点は好印象でしたし、
プッチーニの作品は幕の始まりに、
まず情景描写の音楽が入るのですが、
2幕も3幕もその情景描写の後で一度セットに動きを与えていて、
これはなかなかクレヴァーな工夫だと思いました。

総じて、こじんまりした上演ではありましたが、
通常より音楽の緻密な計算が、
しっかりと感じ取れる優れた上演で、
大野芸術監督の資質が、
充分に活かされていたように思いました。
歌手はボチボチ。
ミミとムゼッタが似すぎているのは減点ポイントでした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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ヘンデル「シッラ」(神奈川県立音楽堂室内オペラプロジェクト第5弾) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
シッラ.jpg
神奈川県立音楽堂の室内オペラプロジェクト第5弾として、
2020年に一旦予定されながらコロナ禍のため中止となった、
ヘンデルの初期のオペラ「シッラ」が、
今回2年ぶりに上演が実現しました。

神奈川県立音楽堂は、
横浜の丘の上にある古いホールで、
上野の文化会館をうんと小ぶりにしたような雰囲気ですが、
時々思い切った魅力的な企画を実現させてくれます。

中でも2006年にたった1回のみ上演された、
ヴィヴァルディの「バヤゼット」は、
イタリアの気鋭のバロック音楽アンサンブル「エウローパ・ガランテ」が、
音楽監督ファビオ・ビオンディの采配による、
ワクワクするような躍動感ある演奏を聴かせ、
ジュノーやバルチェローナを始めとする、
綺羅星の如き歌手陣が、
名唱を披露しました。

僕がこれまで生で聴いた中では、
日本のオペラ上演で最高の舞台だったと断言出来ます。

続いて2015年にヴィヴァルディの「メッセニアの神託」が、
同じビオンディの「エウローパ・ガランテ」が音楽監督を務め、
「バヤゼット」で最高の歌唱を聴かせたヴィヴィカ・ジュノーが、
2006年以来の再登板。
それに、若手では最高のアジリタ歌いと世評の高い、
ロシアのメゾ、ユリア・レーシネヴァが加わって再度上演されました。

これも物凄く期待して音楽堂に足を運びました。

ただ、「バヤゼット」がほぼ演奏会形式であったのと比較して、
「メッセニアの信託」は能を模した演出がされていて、
それがやや中途半端なものに感じました。
「バヤゼット」はストーリーはあるものの、
それは二の次の歌合戦的妙味があって、
見事なアリアの後は拍手喝采でカーテンコールという感じで、
それでとても楽しかったのですが、
「メッセニアの信託」では物語がどうも中途半端で、
その高揚感を邪魔していました。
レーシネヴァの超絶技巧のアリアは抜群で、
それだけで元は取ったという気分にはなったのですが、
ジュノーは主役ではあるものの、
超絶技巧のアリアなどはなく、
その点も物足りなく感じました。

そして今回の「シッラ」ですが、
今回はヘンデルの最初期のオペラで、
実際には上演されたかどうかも不明という、
かなりレアな作品です。

音楽監督はこれまでと同じファビオ・ビオンディで、
演奏も勿論エウローパ・ガランテです。
歌手陣もヴィヴィカ・ジュノーが再登板。
他のキャストも実力派揃いです。

一度は2020年に上演が予定されたものの、
新型コロナの再拡大のために直前で中止となり、
今回奇跡的に再上演がかないました。

期待に胸を膨らませて会場入りしたのですが、
プレトークを聞いてみたところ、
衣装は歌舞伎スタイルで顔は白塗りの隈取、
演技も歌舞伎を取り入れてスペクタクル化する、
ということだったので、
「ええっ! 演奏会形式の方がいいんじゃないの?」
と非常に危惧を感じました。

ただ、結果的には「バヤゼット」の興奮はありませんでしたが、
前回の「メッセニアの信託」よりは満足感の高い公演でした。

歌舞伎風の派手な極彩色の衣装とメイクが、
舞台面を華やかにしてくれて悪くないのと、
歌手陣も歌舞伎風の衣装とメイクに喜んで、
ノリノリでやっている感じが良かったと思います。

特に独裁者シッラを歌った、
コントラルトのソニア・プリナと、
護民官を演じたジュノーは、
歌舞伎の感情表現もかなり研究した跡が見え、
格調のある雰囲気が、
作品世界ともマッチしていて感心させられました。
ジュノーはアジリタを駆使したアリアを1幕で歌ってくれて、
絶好調の時よりスピードは落ちたかなあ、
という感じはありましたが、
その絶妙な技巧には興奮させられました。

聴きどころが多かったのは、
シッラのソニア・プリナと、
軍人を演じたヒラリー・サマーズの2人のコントラルトで、
1幕のフィナーレのサマーズのアリアは、
管楽器との絶妙な掛け合いも相俟って、
全編で最も印象的な場面になっていたと思います。

いずれにしても、
コロナ禍以降では間違いなく、
最も音楽の素晴らしさに浸れた公演で、
この試みが、
これからも是非継続されることを期待したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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ロッシーニ「チェネレントラ」(新国立劇場2021シーズンオープニング) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。
レセプトももう出したので、
一時的ですが少しほっとしているところです。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
チェネレントラ.jpg
新国立劇場2021/22年のシーズンオープニングとして、
ロッシーニの傑作「チェネレントラ」が上演されています。

新国立劇場の「チェネレントラ」と言えば、
前回の2009年のシラグーザとカサロヴァによる舞台が、
演出は海外の歌劇場の借り物でしたが、
素晴らしい歌の競演で心に焼き付いています。
特にテノールのシラグーザはあの時は抜群に調子が良くて、
そのアリアの興奮は忘れることが出来ません。

この作品はともかく「歌」を聴くためのオペラで、
その意味では最初から最後まで、
素晴らしい聴き所が連続して息吐く暇のない傑作なのです。

ただ、実際の上演では、抜群の技量の歌手が揃わないと、
何じゃこりゃ、という結果に終わってしまいます。

今回の上演は「セビリアの理髪師」でも見事なコロラトゥーラを聴かせてくれた、
脇園彩さんのタイトルロールに、
アメリカのテノール、ルネ・バルベラさんのドン・ラミーロという組み合わせで、
結果的にはなかなか聴き応えのある舞台でした。

特に脇園さんは良かったですね。
堂々たる主役の歌唱で、
声量もありますし、装飾歌唱の技巧も確かで、
演技力もあります。
これはもう新国立劇場を代表するプリマドンナ、
という言い方をして良いのではないでしょうか?

ルネ・バルベラさんも実力のあるテノールで、
今回はメインのアリアでbis(アンコールの2回目)もやっていました。
ただ、ちょっと端正過ぎて熱狂を呼ぶという感じの歌唱ではないのですね。
でも良かったです。

問題はアンサンブルで、
この作品は3重唱や4重唱に聴き所が多いのですが、
そうした部分は音のバランスは今ひとつでしたね。
それでも悪くはなかったと思います。

演出は映画界に舞台を移した読み替え演出で、
冒頭などは「何じゃこりゃ」という感じだったのですが、
大半の舞台は「劇中劇」として、
それほどオリジナルと変わりない格好で進んだので、
そこまで酷い感じにはならなくて胸をなで下ろしました。

大道具はでかいポップな山車のような装置が移動するという、
新国立劇場の演出ではありがちなものでしたが、
色彩的には美しくてこれも作品の世界は壊していませんでした。

総じて今のコロナ禍の状況では、
これ以上は望み得ないような充実した舞台で、
それはもう15年くらい前のことを考えると、
レベルと華やかさの低下は明らかではあるのですが、
懐古趣味に浸っても仕方がないので、
今のオペラをそれなりに楽しみたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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チャイコフスキー「イオランタ」(2021年新国立劇場上演版) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
イオランタ.jpg
新国立劇場で、
2本の短いオペラを同時上演する、
ダブルビルの試みが行われています。

今回上演されたのは、
ストラヴィンスキーの「夜鳴きうぐいす」と、
チャイコフスキーの「イオランタ」で、
どちらも有名な作品ではありますが、
実際に国内で上演される頻度は、
決して多くはありません。

元々は海外から招聘された歌手が、
メインの役柄にキャスティングされていましたが、
コロナ禍で来日は適わず、
ほぼ国内キャストの布陣での上演です。

これね、それほど期待せずに足を運んだのですが、
チャイコフスキーの「イオランタ」が絶妙に面白くて、
ちょっと感動的でオペラには珍しく少し泣いてしまいましたし、
もっと上演して欲しいなと思いました。

これはチャイコフスキーの晩年のオペラで、
全1幕95分ほどの短い作品なのですが、
物語もとてもユニークで面白いですし、
曲も得意のドラマチックな盛り上げまくりで充実しています。

途中の長大な二重唱はワーグナーみたいですし、
最後にはロッシーニみたいなフィナーレが付いているでしょ。
オペラの色々な魅力がぎゅっと詰まっていて、
途中は感動しますしラストは盛り上がって、
それでいて短いのですから言うことがありません。

お話はね、フランスのプロヴァンスのお姫様が、
絶世の美女だけれど盲目、という設定なんですね。
生まれついて目が見えないのですが、
それを周囲の臣下の人達がサポートして、
不自由なく暮らせるような「秘密の国」を作っているんですね。

面白いのはお姫様に、
見るという行為などはなくて、
人間は触れて感じるのが当然、
と信じ込ませているのです。

だから、そこでは「見る」とか「見える」とか、
「色」というのは禁句なんですね。

そこに青年貴族がやって来て、
何も知らずに「君目が見えないの?」とかと言ってしまうので、
さあ大変、という展開になります。

丁度世界的名医という人がやって来て、
王様に「お姫様の治療をしたい」と言うのですが、
そのためには本人が自分が目が見えていない、
ということを認めて治療を強く希望しないといけない、
と言うので、
王様は「今更そんなことを告げて、ショックを与える訳にはいかない」
と拒否するのです。
そんなときに娘が真実を知ってしまうので、
結果的にお姫様は治療を受け入れ、
目が見えるようになったお姫様は貴族と結婚して、
祝祭的なエンディングになります。

これね、
「光が見えないことは神に近づけないことだ」
みたいな台詞もあるので、
昔の話だし、
ちょっと差別的ではあるのですね。
ただ、テーマ的にはそうしたことではなくて、
貴族は王様に、
「娘さんの目が見えても見えなくても、私は彼女を愛する」
と言うんですね。
それで最終的には王様も治療を決断するのです。

要するに、
困難から目を背けて、
それがないことにして良しとしていても、
それでは絶対に解決はしない、
ということを言っているんですね。
それを認めた上でリスクを取ることにより、
未来は開けるのだ、と言っているんですね。

今の感覚から言うと、
その困難の例として視覚障害を取り上げるのは、
不適切ではあるのですが、
それは昔の話なので仕方がないのです。
本質はそれに意味を強く置いているということではないのですね。

その意味でとても今日的なテーマでもあると感じました。

キャストは王様のベテラン妻屋秀和さんと、
主人公のイオランタ役の大隅智佳子さんが良かったですね。
特に大隅さんは抜群の歌唱で引込まれました。

先日の「ワルキューレ」でも、
ジークリンデとブリュンヒルデは良かったですし、
日本のドラマチックソプラノは、
とてもレベルが高いなあ、と感心しました。

今回の大隅さんの歌唱は、
海外のスター歌手と比較しても、
全然遜色はないと思いました。

一方でテノールは弱いですよね。
「ワルキューレ」の時もこれじゃなあ、と感じましたし、
今回もあ「あれれっ」という感じでしたね。

それでもこうした事態を逆手にとって、
「日本のオペラ」が成熟することを期待したいと思いますし、
今回はとても感銘を受けた公演でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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ワーグナー「ワルキューレ」(2021年新国立劇場上演版) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ワルキューレ.jpg
今月新国立劇場でワーグナーの「ワルキューレ」が上演されました。

これはフィンランド歌劇場からの借り物のプロダクションなのですが、
2016年に新国立劇場で上演されていて、
実際に聴いていますが、
非常に感動的かつ官能的な素晴らしい上演でした。
ラストの岩山の演出の素晴らしさも脳裏に焼き付いています。

その時は主要な役柄には、
海外の一流歌手がキラ星の如く揃っていて、
圧倒的な迫力で至福の時間でした。

2016年はワーグナー上演の当たり年で、
4月には東京・春・音楽祭が、
ヤノフスキの指揮にNHK交響楽団の演奏、
そして世界的な第一線の歌手が揃う豪華な布陣で、
「ジークフリード」の見事な演奏を聴かせ、
それから新国立劇場の「ワルキューレ」があり、
11月にはウィーン国立歌劇場の同じ「ワルキューレ」、
そしてザルツブルグ・イースター音楽祭の来日公演として、
ティーレマンが「ラインの黄金」を振ったという、
奇跡的な舞台もありました。

凄かったですよね。
その時はそうも思わなかったのですが、
今思うともう夢のようですよね。

もう二度とあんなことはないのだなあ、
と思うと感慨もひとしおです。

さて、今回の上演も、
当初はお馴染みイレーネ・テオリンなど、
世界的なワーグナー歌いを招聘していたのですが、
コロナ禍によって来日は不可能となり、
フリッカの藤村実穂子さんのみがオリジナルキャストで、
それ以外は主だった役柄は全て変更となりました。

ヴォータンには1月から来日していたドイツ出身のバリトン、
ミヒャエル・クプファー=ラデツキーさんが急遽出演となり、
他は全員日本人キャストの中で、
作品全体の核になっていたのは不幸中の幸いでした。

僕が聴いたのは14日の公演ですが、
指揮は大野和士さんで東京交響楽団の演奏でした。

うーん。
矢張り2016年の上演と比べてしまうと、
あちこちに綻びのある上演ではありました。
まあでもそれはこんな状況ですから仕方がないですね。
ジークムントを1幕と2幕で2人の歌手が別々に演じていて、
これはメトロポリタン歌劇場が来日した時の、
ドミンゴもそうでしたね。
相当スタミナがないと、
2幕通して歌うのはきついようです。
1幕の村上敏明さんが、勿論第一人者なのですが、
後半の盛り上がりでちょっと失速していて、
ラストは音楽は怒濤の盛り上がりなのに、
声は付いてこない、という、
ちょっと残念な仕上がりでした。

総じて良いところもあるのですが、
随所にポカッと間があるような感じなんですね。
色々と調整不足もあるのかな、とも感じました。
残念ながら初演の官能的な盛り上がりは、
今回は感じられなかったですね。

ただ、2幕前半の、
ラデツキーさんと藤村さんの神様夫婦喧嘩の部分は、
これぞ本物という感じがありましたし、
ブリュンヒルデの池田香織さんは良かったと思います。
日本を代表するワーグナー歌いですね。
演出もラストは矢張り素晴らしいと思います。

そんな訳でちょっとモヤモヤのワルキューレでしたが、
今後はもう来日公演も望めないですし、
当面は新国立劇場頼りという感じのオペラですが、
ここから日本人のオペラが新たな進化を遂げ、
新たなスターが出現することも期待しつつ、
舞台には足を運びたいと思っています。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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ブリテン「夏の夜の夢」(2020新国立劇場) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当します。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
夢夏の夜の.jpg
新国立劇場がしばらくぶりにオペラ公演を再開しました。

前シーズンの後半はコロナ禍で全滅となり、
今回がシーズンオープニングということになります。

ただ、チケットの売り出しの際には、
外国人キャストの名前があったのですが、
渡航制限のため結果としてはオール日本人キャストとなっています。

勿論そんなことだろうな、
と思ってはいたのですが、
チケットを売っておいてから変更するというのは、
ほぼほぼ来日はない話なのですから、
ちょっと詐欺的だな、という気はします。

次回は「アルマゲドンの夢」と「こうもり」が11月に予定されていて、
今月変則的に「こうもり」から発売となり、
一応来日キャストも記載はされていますが、
多分無理ですよね。
色々契約の問題などでややこしいことになっているのかな、
と推察はされますが、
聴きに行く方としては、
何やらモヤモヤとしてしまいます。

今回は客席を半分にしてのスタートです。
ただ、同じグループは隣合わせもOKのようです。
最前列の3列はお客さんは入れていません。
ロビーの売店はプログラム販売のみで、
コーヒーも飲めません。

最初に連絡先や氏名を書かされる長い列が出来ていて、
それをしないと会場に入れないという感じです。
その後はまた熱を測定するために長蛇の列になっています。
あまりスマートな感じではなく、
結果として密になっているので、
もう少し考えた方が良いのではないでしょうか?
チケットは客が自分でもぎって半券を箱に入れるよう指示されるのですが、
日時の確認などは時間が掛かり、
結構執拗な感じで行われるので、
これも結果としては時間が掛かって列が長くなりますし、
何かもっと効率的な方法があっても良さそうです。

演目はブリテンの「夏の夜の夢」で、
生で聴くのは初めてです。
シェイクスピアの原作を適度に圧縮した上で、
ほぼ原作通りにオペラ化しています。

「夏の夜の夢」の原作の方は、
シェイクスピアの中でも日本での上演頻度は高い作品で、
原作通りの上演もありますし、
大幅に設定を入れ替えたり、
時代を入れ替えたような舞台も多く上演されています。

僕はこの作品はあまり好きではありません。
何が良いんですかね?
雰囲気かしら?
人間世界と妖精の世界を対比させて、
妖精の世界から人間がイマジネーションを得るみたいな、
藝術の本質を描いたところが良いのかも知れませんね。

ただ、妖精の悪戯による恋愛喜劇という部分が、
大したドタバタにならないで、
格別面白くないですよね。
それで劇中劇がダラダラと長いでしょ。
その部分はいつも退屈で、
途中で帰りたい誘惑にさらされます。

結構色々な上演を観ているのですが、
本家のイギリスの舞台もゲンナリの感じでしたし、
翻訳劇を分かりやすく上演することでは天才的な蜷川演出も、
この作品に関しては声と肉体を分離したり小細工をして、
あまり面白い仕上がりにはならなかった、
という印象があります。
歌舞伎もあったしミュージカルもありましたね。
小劇場版みたいなものも幾つか観ましたが、
変えている割に原作の核の部分の詰まらなさはそのままなので、
面白いと感じたことはありません。
唯一野田秀樹さんがリライトしたヴァージョンは、
パック以外にメフィストフェレスという悪の妖精を付け足して、
ラストは少女の内面世界にまで切り込んだ、
野田さんらしい才気に溢れた傑作でした。
ただ、原作を大きく変えているので、
野田さんのオリジナルとして、
評価した方が良いようにも思います。

今回の演出は名手マクヴィカーのものが元になっているので、
屋根裏部屋から妄想が広がるという、
趣味の良いものになっています。
ただ、こうした引っ越し演出の常で、
せっかく舞台機構の優れた新国立劇場での上演なのに、
動きのない地味なセットでその点は物足りなく感じます。

妖精の王オーべロンを、
カウンターテナーに歌わせるという構想が面白く、
パックは歌手が演じていますが、
歌はなく動きと台詞のみです。
キャストとしてもオーべロンの藤木大地さんが、
スケールの大きなカウンターテナーで魅力的でした。

全体に小粒な舞台でしたが、
アンサンブルが良く安定感のある点は長所で、
これからしばらくは、
新国立劇場はこうした舞台が続くことになるようです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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ロッシーニ「セビリアの理髪師」(2020年新国立劇場レパートリー) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
セビリアの理髪師.jpg
これはもう何度も聴いているプロダクションですが、
新国立劇場のレパートリーとして上演されている、
ロッシーニの「セビリアの理髪師」を聴いて来ました。

これはロッシーニの代表作の1つで、
かつてはロッシーニと言えば、
殆ど「セビリアの理髪師」しか上演されない、
というような時代がありました。
それがロッシーニを得意とする歌手の登場や、
指揮者や学者などによるロッシーニ研究の高まりなどがあり、
多くのロッシーニの作品が復活され、
日本でも上演されるようになりました。

それでも、
矢張り上演頻度がダントツに多いのは、
「セビリアの理髪師」です。

多くのロッシーニ作品が復活上演された時には、
「セビリアの理髪師」は面白みに乏しいな、
というような印象を持ちました。
ロッシーニのアリアの特徴である、
アジリタなどの超絶技巧や装飾歌唱が、
人工的で不自然と考えられた時代には、
一番の聴き所でもあるラストのテノールの大アリアが、
カットされて上演されていたので、
尚更その印象がありました。

それが主に名テノール、ファン・ディエゴ・フローレスの功績により、
大アリアが実演でも復活し、
その抜群の高揚感とカタルシスが再認識されると、
この作品の魅力もまた、
再認識されることになったのです。

実際新国立劇場での「セビリアの理髪師」の上演も、
最近までは大アリアをカットしたもので、
確か前回の公演から、
漸く新国立版でも大アリアが歌われるようになりました。
今回も勿論歌われています。

ただし…

こうして大アリアが歌われることが通常になると、
かつては待望していたこの難曲が、
作品の中では少し余計者で蛇足のように、
感じられることがあるのも正直な感想です。

僕は実演で大アリアを含むヴァージョンを、
7回くらいは別キャストで聴いていると思いますが、
素晴らしいと感じたのは、
前述のフローレスと、
調子の良かった時のシラグーザの2回だけで、
後は「歌えてないなあ…高揚感…ないなあ(溜息)」
とガッカリするのが通例です。

そうしてみると、
そのすぐ後のフィナーレが、
抜群に優れて心が躍る名アンサンブルなので、
へっぽこ大アリアが、
フィナーレの印象を薄めてしまう、
というようにも思えます。

そこで、
「なるほど、これで大アリアをカットしたのね」
と先人の考えに一定の理解が出来たのです。

要するに大アリアが成立するのは、
この難曲を抜群の技巧と構成力を持って、
聴衆を文句なしの陶酔に招いてこそなのです。
それが無理ならやらない方が、
作品自体としては余程まし、
ということになる訳です。

そこで今回の舞台を見ると、
テノールのルネ・バルベラは、
美声ですしアジリタもなかなか上手いんですね。
ただ、高揚感のあるような、
盛り上げのある歌い方は出来ない感じで、
長いフレーズだと、
だんだん置いているという感じになって、
尻すぼみになるという欠点があります。
今回は大アリア以外は満点に近い出来で、
アンサンブルや二重唱は素晴らしかったんですが、
大アリアは駄目でしたね。

これならカットした方が、
全体のバランス的には良かったな、
というように思いました。

ただ、今回は美声の歌手が揃って、
アンサンブルは抜群に良かったですよ。
1幕の二重唱なんて本当にウキウキしました。
ロッシーニの快楽がありました。

そして、特筆するべきは、
ロジーナを歌った脇園彩さんですね。

凄かったですよ。
バルトリのロッシーニは、
リサイタルの時に聴いたことがありますが、
今回の脇園さんのロジーナは、
大袈裟でなく若い頃のバルトリみたいでしたよ。
自然に声がするすると出て、
それほど張っているのではないのですが、
声の1つ1つが粒立っていて、
しっかり客席に届きます。
演技も悪くないし、それなりにスター性もあって、
これは相当じゃないかしら。

絶対にこれからは追いかけようと思いました。

久しぶりに凄いコロラトゥーラを聴きました。

そんな訳で大アリアは脱力でしたが、
それ以外はなかなか聴き応えのある公演で堪能しました。

明日までですが、
お薦めです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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英国ロイヤル・オペラ日本公演2019 [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

1月10日の深夜に、
ヒイヒイ言いながらレセプトをオンラインで提出し、
昨日も昨日で結構バタバタしていたので、
今はちょっと放心状態という感じです。

今日は日曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
英国ロイヤルオペラ.jpg
昨年大物の海外歌劇場として、
英国ロイヤル・オペラが来日公演を行いました。

演目はヴェルディの「オテロ」とグノーの「ファウスト」です。

「オテロ」はこれまでに何度も聴いていますが、
フランスオペラの「ファウスト」は、
生で通しの上演を聴くのは今回が初めてでした。

演出はかなり対象的で、
「ファウスト」が古典的で豪華なものだったのに対して、
「オテロ」はキース・ウォーナーによる、
かなり前衛的なものでした。

「オテロ」はヴェルディの作品の中でも、
完成度の高い代表作の1つであると思いますが、
満足のゆく実演はそれほど多くはありません。

個人的にはクラシックな演出であるべきだと思うのですが、
シェイクスピア原作というのを意識するのか、
最近は殆どが時代を変えたり設定を変えたりする読み替え演出で、
それも殆どが不発に終わっていてガッカリします。
更には主役のオテロが、
強いカリスマ性と迫力と表現力の必要な難役で、
名テノール、プラシド・ドミンゴが当たり役として以来、
当代随一のオテロ、と言えるような歌手は、
未だ現れてはいない、という気がします。

今回の上演は、
これまでに何度もオテロを歌っている、
アメリカのグレゴリー・クンデのタイトルロールで、
これまでにも何度かクンデのオテロは聴いていますが、
その堂々とした押し出しと言い、
表現力と迫力を兼ね備えた歌声と言い、
勿論ドミンゴのような輝きはありませんが、
現在望みうる最高のオテロ歌手の1人と言って、
間違いはないところだと思います。
今回は演技も良かったですし、
歌も第一声などは少し弱いと感じましたが、
2幕以降は迫力充分の歌唱で堪能しました。

ただ、ウォーナーの演出は、
現代に読み替えているのではないのに、
妙に抽象的なセットで、
歌手の役者としての生理を全く無視したものなので、
彼の悪いところが出たな、
という印象がありました。
1幕の酒場での揉め事も、
全くそうした感じになりませんし、
イアーゴが寝転がってアリアを歌うような必要が、
一体何処にあるのでしょうか?

キャストはメインの3人は結構頑張っていたのに、
アンサンブルが悪い原因の殆どは、
この滅茶苦茶な演出にあったように思います。

酷いよ!

一方の「ファウスト」は一転クラシカルで、
これはこれでもう一工夫欲しいな、
という気はするのですが、
如何にもフランスのグランドオペラという雰囲気が豪華で、
なかなか良い舞台に仕上がっていました。

タイトルロールを歌ったヴィットリオ・グリゴーロが素晴らしくて、
僕は以前彼のリサイタルを聴きに行って、
声を張り上げるだけの雑な歌唱に、
何じゃこりゃ、とガッカリしたことがあるのですが、
今回は表現力も迫力も繊細さもある素晴らしい演技と歌唱で、
おみそれしました、という感じでした。

オペラ歌手の中には、
オペラの舞台は抜群に良いのに、
リサイタルは雑で適当という人もいますね。
勿論反対の人もいます。
グリゴーロは典型的に前者ですね。
ドタキャンした公演もあったようなので、
今回聴けたことは幸運でした。

このところ来日オペラは
比較的質の高い公演が多く、
一時と比べるとかなり予算は削減され、
大スターの来日も減りましたが、
これからも時々は足を運びたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

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