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ロッシーニ「セビリアの理髪師」(2020年新国立劇場レパートリー) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
セビリアの理髪師.jpg
これはもう何度も聴いているプロダクションですが、
新国立劇場のレパートリーとして上演されている、
ロッシーニの「セビリアの理髪師」を聴いて来ました。

これはロッシーニの代表作の1つで、
かつてはロッシーニと言えば、
殆ど「セビリアの理髪師」しか上演されない、
というような時代がありました。
それがロッシーニを得意とする歌手の登場や、
指揮者や学者などによるロッシーニ研究の高まりなどがあり、
多くのロッシーニの作品が復活され、
日本でも上演されるようになりました。

それでも、
矢張り上演頻度がダントツに多いのは、
「セビリアの理髪師」です。

多くのロッシーニ作品が復活上演された時には、
「セビリアの理髪師」は面白みに乏しいな、
というような印象を持ちました。
ロッシーニのアリアの特徴である、
アジリタなどの超絶技巧や装飾歌唱が、
人工的で不自然と考えられた時代には、
一番の聴き所でもあるラストのテノールの大アリアが、
カットされて上演されていたので、
尚更その印象がありました。

それが主に名テノール、ファン・ディエゴ・フローレスの功績により、
大アリアが実演でも復活し、
その抜群の高揚感とカタルシスが再認識されると、
この作品の魅力もまた、
再認識されることになったのです。

実際新国立劇場での「セビリアの理髪師」の上演も、
最近までは大アリアをカットしたもので、
確か前回の公演から、
漸く新国立版でも大アリアが歌われるようになりました。
今回も勿論歌われています。

ただし…

こうして大アリアが歌われることが通常になると、
かつては待望していたこの難曲が、
作品の中では少し余計者で蛇足のように、
感じられることがあるのも正直な感想です。

僕は実演で大アリアを含むヴァージョンを、
7回くらいは別キャストで聴いていると思いますが、
素晴らしいと感じたのは、
前述のフローレスと、
調子の良かった時のシラグーザの2回だけで、
後は「歌えてないなあ…高揚感…ないなあ(溜息)」
とガッカリするのが通例です。

そうしてみると、
そのすぐ後のフィナーレが、
抜群に優れて心が躍る名アンサンブルなので、
へっぽこ大アリアが、
フィナーレの印象を薄めてしまう、
というようにも思えます。

そこで、
「なるほど、これで大アリアをカットしたのね」
と先人の考えに一定の理解が出来たのです。

要するに大アリアが成立するのは、
この難曲を抜群の技巧と構成力を持って、
聴衆を文句なしの陶酔に招いてこそなのです。
それが無理ならやらない方が、
作品自体としては余程まし、
ということになる訳です。

そこで今回の舞台を見ると、
テノールのルネ・バルベラは、
美声ですしアジリタもなかなか上手いんですね。
ただ、高揚感のあるような、
盛り上げのある歌い方は出来ない感じで、
長いフレーズだと、
だんだん置いているという感じになって、
尻すぼみになるという欠点があります。
今回は大アリア以外は満点に近い出来で、
アンサンブルや二重唱は素晴らしかったんですが、
大アリアは駄目でしたね。

これならカットした方が、
全体のバランス的には良かったな、
というように思いました。

ただ、今回は美声の歌手が揃って、
アンサンブルは抜群に良かったですよ。
1幕の二重唱なんて本当にウキウキしました。
ロッシーニの快楽がありました。

そして、特筆するべきは、
ロジーナを歌った脇園彩さんですね。

凄かったですよ。
バルトリのロッシーニは、
リサイタルの時に聴いたことがありますが、
今回の脇園さんのロジーナは、
大袈裟でなく若い頃のバルトリみたいでしたよ。
自然に声がするすると出て、
それほど張っているのではないのですが、
声の1つ1つが粒立っていて、
しっかり客席に届きます。
演技も悪くないし、それなりにスター性もあって、
これは相当じゃないかしら。

絶対にこれからは追いかけようと思いました。

久しぶりに凄いコロラトゥーラを聴きました。

そんな訳で大アリアは脱力でしたが、
それ以外はなかなか聴き応えのある公演で堪能しました。

明日までですが、
お薦めです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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英国ロイヤル・オペラ日本公演2019 [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

1月10日の深夜に、
ヒイヒイ言いながらレセプトをオンラインで提出し、
昨日も昨日で結構バタバタしていたので、
今はちょっと放心状態という感じです。

今日は日曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
英国ロイヤルオペラ.jpg
昨年大物の海外歌劇場として、
英国ロイヤル・オペラが来日公演を行いました。

演目はヴェルディの「オテロ」とグノーの「ファウスト」です。

「オテロ」はこれまでに何度も聴いていますが、
フランスオペラの「ファウスト」は、
生で通しの上演を聴くのは今回が初めてでした。

演出はかなり対象的で、
「ファウスト」が古典的で豪華なものだったのに対して、
「オテロ」はキース・ウォーナーによる、
かなり前衛的なものでした。

「オテロ」はヴェルディの作品の中でも、
完成度の高い代表作の1つであると思いますが、
満足のゆく実演はそれほど多くはありません。

個人的にはクラシックな演出であるべきだと思うのですが、
シェイクスピア原作というのを意識するのか、
最近は殆どが時代を変えたり設定を変えたりする読み替え演出で、
それも殆どが不発に終わっていてガッカリします。
更には主役のオテロが、
強いカリスマ性と迫力と表現力の必要な難役で、
名テノール、プラシド・ドミンゴが当たり役として以来、
当代随一のオテロ、と言えるような歌手は、
未だ現れてはいない、という気がします。

今回の上演は、
これまでに何度もオテロを歌っている、
アメリカのグレゴリー・クンデのタイトルロールで、
これまでにも何度かクンデのオテロは聴いていますが、
その堂々とした押し出しと言い、
表現力と迫力を兼ね備えた歌声と言い、
勿論ドミンゴのような輝きはありませんが、
現在望みうる最高のオテロ歌手の1人と言って、
間違いはないところだと思います。
今回は演技も良かったですし、
歌も第一声などは少し弱いと感じましたが、
2幕以降は迫力充分の歌唱で堪能しました。

ただ、ウォーナーの演出は、
現代に読み替えているのではないのに、
妙に抽象的なセットで、
歌手の役者としての生理を全く無視したものなので、
彼の悪いところが出たな、
という印象がありました。
1幕の酒場での揉め事も、
全くそうした感じになりませんし、
イアーゴが寝転がってアリアを歌うような必要が、
一体何処にあるのでしょうか?

キャストはメインの3人は結構頑張っていたのに、
アンサンブルが悪い原因の殆どは、
この滅茶苦茶な演出にあったように思います。

酷いよ!

一方の「ファウスト」は一転クラシカルで、
これはこれでもう一工夫欲しいな、
という気はするのですが、
如何にもフランスのグランドオペラという雰囲気が豪華で、
なかなか良い舞台に仕上がっていました。

タイトルロールを歌ったヴィットリオ・グリゴーロが素晴らしくて、
僕は以前彼のリサイタルを聴きに行って、
声を張り上げるだけの雑な歌唱に、
何じゃこりゃ、とガッカリしたことがあるのですが、
今回は表現力も迫力も繊細さもある素晴らしい演技と歌唱で、
おみそれしました、という感じでした。

オペラ歌手の中には、
オペラの舞台は抜群に良いのに、
リサイタルは雑で適当という人もいますね。
勿論反対の人もいます。
グリゴーロは典型的に前者ですね。
ドタキャンした公演もあったようなので、
今回聴けたことは幸運でした。

このところ来日オペラは
比較的質の高い公演が多く、
一時と比べるとかなり予算は削減され、
大スターの来日も減りましたが、
これからも時々は足を運びたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

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2019年のオペラと声楽を振り返る [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

クリニックは今年末年始の休診期間です。
本日はそれでも終日レセプト作業の予定です。

休みの日は趣味の話題です。

今日は昨年聴いたオペラと、
声楽のコンサートを振り返ります。

昨年聴いたオペラはこちら。
①新国立劇場「タンホイザー」
②新国立劇場「ウェルテル」
③東京春音楽祭「さまよえるオランダ人」(演奏会形式)
④新国立劇場「ジャンニ・スキッキ」
⑤ボローニャ歌劇場「セビリアの理髪師」
⑥ボローニャ歌劇場「リゴレット」
⑦新国立劇場「トゥーランドット」
⑧英国ロイヤルオペラ「ファウスト」
⑨英国ロイヤルオペラ「オテロ」
⑩新国立劇場「エウゲニ・オネーギン」
⑪新国立劇場「椿姫」

昨年は何と言っても、
ボローニャ歌劇場の来日公演の「リゴレット」が、
アルベルト・カザーレ、セルソ・アルベロ、
デジレ・ランカトーレという当代最高の布陣で、
とてもとても素晴らしい歌の競演、
と言うか歌の格闘技のような舞台で最高でした。
オペラってやりようでいくらでも面白くなるんだよね、
ということを再認識させてくれる舞台。
セットもしょぼいのですがセンスのあるものでした。
英国ロイヤルオペラは「オテロ」が変な演出で、
これはかなりガッカリでした。
「ファウスト」のグリゴーロは良かったですね。
ドタキャンではない日に聴けてラッキーでした。
彼はリサイタルはただの大声ショーで感心しませんが、
オペラは本領発揮という感じでした。
新国立劇場はいつも以上に行きましたが、
クオリティはいつも通りで、
低値安定という感じでしたね。
「椿姫」の演出は最悪なので、
とっととお蔵入りにして欲しいと思います。
「トゥーランドット」はかなり期待したのですが、
SF風の演出には脱力してしまいました。
ラストでトゥーランドットが自殺するのが斬新な演出なんて、
そんな訳ないじゃん。
誰でも思いつくけど、やっちゃいけないんだよ。
馬鹿馬鹿馬鹿…という感じでした。
大野和士さんは…どうなのかなあ。
僕はどうもあまり信用が出来ません。
でもリューは良かったですよ。
あれは大野さんの力だと思いました。

それから昨年は以下のような、
声楽のコンサートに足を運びました。
①シカゴ交響楽団「レクイエム」
②トーマス・ハンプソンとアンジェラ・ゲオルギュー デュオコンサート
③クールマン リサイタル
④東京春音楽祭ガラコンサート
⑤バルセロナ交響楽団 「第九」
⑥ウィーンフィルハーモニー「ブルックナー8番」
⑦ファン・ディエゴ・フローレス リサイタル

今回は何と言っても12月のフローレスの来日ですね。
2006年来日後2011年のドタキャンがあって、
それ以来待望の来日です。
アンコールも多くサービス精神は抜群でした。
サントリーホールとオペラシティで2回あり、
かなり曲は変えていました。
ただ、以前の超絶技巧のアジリタと超高音を期待すると、
いずれもほとんどありませんでした。
ベルカント歌手に変貌の途上であるようで、
仕方のないことなのでしょうが、
ちょっと期待とは違っていました。
サントリーホールでのみロッシーニを歌いましたが、
かつてのような高速アジリタも高音もありませんでした。
最後に「連隊の娘」をさわりだけ歌って盛り上げましたが、
多分もうきちんと歌うことはないのだろうな、
などと思うと複雑な心境でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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チェイコフスキー「エウゲニ・オネーギン」(新国立劇場レパートリー) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
エフゲニ・オネーギン.jpg
新国立劇場のレパートリーとして、
チャイコフスキーの「エウゲニ・オネーギン」が、
久し振りに新演出で上演されました。

これはいかにもロシア的な、
繊細でロマンチックで大人の味わいのメロドラマで、
今回はメインのキャストとスタッフを、
全てロシア出身のアーティストで固めて、
オーソドックスでロシアの香り漂うオペラに仕上げています。

これは、なかなか良かったですよ。

突出したところはなかったのですが、
歌手も丁寧な歌唱でしたし、
オケも繊細な響きでそれに応えていました。

セットもクラシックな美しさを狙ったもので、
以前と比べるとお金がないので、
「トスカ」や「アイーダ」のような豪華さはありませんが、
随所にセンスを感じさせる美しいものでした。

最近は大規模な引っ越し公演も減って、
新国立劇場も新制作は減りましたが、
新国立劇場に限って言えば、
むしろ質の高い舞台は増えているように思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごしください。

石原がお送りしました。
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プッチーニ「トゥーランドット」(オペラ夏の祭典2019ー20) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも中村医師が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
トゥーランドット.jpg
2020年に向けたプロジェクトの一環として、
新国立劇場と東京文化会館、
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールと札幌文化芸術劇場がタッグを組み、
大野和士さんが取りまとめに当たった、
「オペラ夏の祭典2019-20」の第一回公演として、
プッチーニの「トゥーランドット」が、
東京文化会館と新国立劇場で上演されました。
提携する地方公演も行われます。

大野和士さんの指揮で、
演出はバルセロナ・オリンピックの開会式を手掛けた、
スペインのアレックス・オリエ、
オケは大野さんが音楽監督を務めているバルセロナ交響楽団、
合唱には新国立劇場合唱団に加えて、
藤原歌劇団やびわ湖ホールアンサンブルも加わるという、
大規模な「混成」チームです。

上演される「トゥーランドット」は、
プッチーニの最後のオペラで、
そのラストは未完のままでプッチーニは亡くなり、
ラストの部分のみ他の作曲家による補作で完成した、
という特殊な作品です。

台本自体はもう出来上がっていたので、
基本的には内容には変わりはない筈なのですが、
音楽は補作の部分は明らかにタッチが違うので違和感があり、
内容的にもカラフを愛するリューが、
自らカラフを守るために命を絶っているのに、
そのすぐ後にはリューを死に追い込んだトゥーランドットと、
カラフが結婚してめでたしということになるので、
おとぎ話とは言えあまりに「愛」をないがしろにしたような展開に、
「そりゃないだろう」という気分になるのです。

もともと騙しあいの末に王女と結婚して終わり、
というようなお話はおとぎ話の定番ではあるので、
それをどうこう言っても仕方がないのですが、
この物語ではカラフを慕う奴隷の女性が、
彼を守るために命を絶つ、
という部分に哀切な盛り上がりがあるので、
単純に家来が高貴な主人のために身を犠牲にする、
という枠組みからはみ出してしまい、
三角関係のメロドラマ的要素が入ってしまうので、
ややこしいことになってしまっているのです。

その意味では現代の価値観とはそぐわない作品です。

それでもこの未完成の上、
現代の価値観とは相いれない作品が、
今でも盛んに上演されているのは、
音楽の完成度がともかく素晴らしいからです。
プッチーニの全作品の中で最もスケールが大きく、
何処を切り取っても傑作と言える素晴らしい音楽です。
特に2つのアリアを歌って絶命するリューの最後の部分は、
これまでに書かれたあらゆる音楽の中で、
最も感情を哀切に強く揺さぶるものの1つと言って、
過言ではありません。

その後のあらゆる映画音楽やミュージカルで、
この作品の影響を受けていないものは1つもありません。

そんな訳で素晴らしい「トゥーランドット」なのですが、
現代に上演する場合には、
矛盾するラストをどう処理するか、
という大問題が常にあるのです。

今回の演出は、
今の価値観で作品を読み直す、という、
個人的にはあまり好きではない種類のもので、
「リューが目の前で死んだのに、トゥーランドットが結婚出来る訳がないだろう」
という考えから、
音楽はそのままにして、
ラストいきなりトゥーランドットが、
リューが自死した懐剣で、
自分も喉笛を搔き切って終わります。

駄目だよね、こんなことしちゃ。

この演出家は黒い壁がそそり立つ、
近未来みたいなセットを組んで、
絢爛豪華で色彩豊かな筈の物語を、
単色に染め上げてしまっています。
日本の観客のためにアニメのビジュアルも取り入れた、
とパンフレットには書かれていて、
攻殻機動隊的なトゥーランドットになっているのですが、
このおとぎ話は本来、
オペラ世界旅行的な性質のものなので、
もっと色彩感にあふれた古代の中国が、
再現されるのがやはり必要ではないかと思います。

比較的前方の席で観ると、
人物の動きや感情表現も、
まずまず工夫されていることが分かるのですが、
少し遠くの席から観ると、
誰が何処で歌っているのやら、
皆同じような暗い衣装なのでまるで分かりません。

これでは大劇場の演出としては落第ではないでしょうか?

音楽はなかなか迫力があり、
大野さんも緩急織り交ぜこの巨大な作品を、
壮麗にまとめていました。
歌手陣は理想的なトゥーランドットのテオリンが素晴らしく、
カラフのイリンカイも美声ですし、
リューの中村恵理さんも良かったと思います。

大野さんはいつもそうですが、
中村恵理さんクラスの歌手の方に、
細かく演出するのが得意ですよね。
あのアリアの感じというのは、
大野さんの美学であり完成度であると感じました。
その一方で大野さんは大物歌手のあしらいはそう上手くないというか、
ギクシャクすることが多いような印象があります。
今回はでも、皆気持ち良さそうに歌っていて、
アンサンブルもなかなかでした。

そんな訳で音楽的には満足の出来る「トゥーランドット」でしたが、
演出や作品のとらえ方には疑問が残りました。

ただ、大野さんとしては、
著明な演出家のオリエさんに、
日本で演出してもらう、ということ自体に、
意義を感じているようで、
戦略的にはおそらくそれで正しいのだろうな、
というようには感じました。

個人的には、
この「トゥーランドット」のラストの矛盾を解消するには、
群衆の心理の劇として見ることが、
唯一の解決策のように思います。

この作品は合唱が大きなパートを占めていて、
プッチーニの合唱というのは、
概ね情景描写としてあるのみ、
ということが多いのですが、
この作品の民衆の合唱は、
「殺せ!殺せ!」みたいに他人の死をもてあそんだり、
逆に気の毒がったり、権威を妄信したり、
恐れたり糾弾したりと、
1つの感情を持つ主体のように表現されています。

そして、このドラマを一言で表現するなら、
「無知で残酷な民衆が無償の愛の尊さに目覚める物語」
とまとめることが出来ます。

こう考えれば、トゥーランドットもカラフも、
ただの民衆の背景であるに過ぎないので、
2人が結婚することの感情的な辻褄合わせは、
特に必要はないのです。
民衆の残酷な心を作ったのは権力装置や環境の過酷さであっても、
ドラマの本質は権力装置の感情にはないので、
高らかに愛を歌い上げる大団円と、
何ら矛盾はしないものなのです。

今後民衆の心の動きに主眼をおいた、
新たな「トゥーランドット」の誕生にも期待したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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ヴェルディ「リゴレット」(2019年ボローニャ歌劇場来日公演) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前中は中村医師が外来を担当し、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
リゴレット.jpg
震災の2011年にドタキャン続出の中で公演が行われ、
それ以来8年ぶりにボローニャ歌劇場が来日公演を行いました。

今回の演目はヴェルディの「リゴレット」と、
ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」で、
どちらも極めつきの名作ですが、
前回は3演目で舞台もとても豪華なものでしたから、
随分小粒になったなあ、というようには思いますが、
これも時代なのですから仕方がありません。

今回参加したソプラノのデジレ・ランカトーレと、
テノールのセルソ・アルベロは、
2011年の時にも「清教徒」で共演し、
凄味のある歌唱を披露してくれた名コンビで、
その時はファン・ディエゴ・フローレスがドタキャンしたことによる、
急遽の代打当番でした。

今回上演された「リゴレット」は、
ヴェルディ中期の名作で、
オープニングからエンディングまで、
1か所として音楽の緩みはなく、
全てが名曲の連続と言って過言ではない作品です。

内容は原作がユゴーの戯曲で、
せむし男の道化と傲慢で淫乱な国王との確執を描いた、
如何にもユゴーらしい物語です。
美と醜の対比に畸形を持ち出すところが、
「ノートルダム・ド・パリ」を彷彿とさせます。
全体にグロテスクでエロチックで危険な香りがしますし、
血みどろの復讐劇や倒錯的な部分も、
他のオペラ劇にはあまりない魅力です。

ただ、せむし男という設定が、
今ではあまり表現自体望ましくないものとされているので、
最近の上演では、
足や手が不自由というような設定にして、
せむしの演技はしないのが一般的です。

ただ、歌詞には「背中のこぶ」のような表現が複数ありますし、
そもそも身体的な障害をあざ笑って、
そうした人物を「道化」として娯楽の対象とする、
という行為のおぞましさ自体が、
作品のテーマの1つとなっているので、
それをやらないのでは、
この作品を「演劇として」上演することは、
放棄したと言って等しいようにも思います。

従って、通常で考えると、
現代の人権意識や倫理観からして、
容認できない性質の物語なので、
上演不可でも良いのですが、
それが今でも上演を重ねているのは、
その音楽があまりに素晴らしくて、
オペラ史上でも屈指の名作なので、
これを埋もれさせることは有り得ないからなのです。

勿論ユゴーは今の人権意識の元を作ったような作家なので、
「リゴレット」も決して身体障害者をあざ笑うような作品ではなく、
地位のある国王の方が、
人間としては下劣な存在として描かれているのですが、
現行は「せむし男」という設定自体が不可なので、
そこはいかんともしがたいところなのです。

リゴレットを手足の不自由なおじさん、
と表現する現行の演出では、
何故リゴレットがからかいの対象となっているのか、
「正常な人間」とリゴレットの違いが何なのか、
ということが分かりません。
リゴレットの娘が絶世の美少女で、
彼女を宝物のように家に閉じ込め秘匿している、
という倒錯的な設定も、
リゴレットの容貌があるからこそ意味を持つものです。

今回の演出は、
基本的には最近の流れを踏襲していて、
リゴレットは手足の少し不自由なおじさん、
のままなのですが、
全体的にはかなり倒錯的で退廃的な雰囲気が強く、
ゴスロリ風の衣装の美少女的ビジュアルのダンサーが複数登場して、
エロチックで倒錯的な雰囲気を盛り上げたり、
オープニングでは道化の珍妙な衣装で登場したリゴレットが、
畸形的な動きを少し見せて、
作品世界を可能な範囲で表現していました。

リゴレットの娘の美少女ジルダは、
コケティッシュなフランス人形の扮装をして、
本物の沢山の人形と共に、
化粧ダンスの中に棲んでいる、
という設定になっていて、
2幕では凌辱された下着姿で二重唱を歌い、
ラストはその姿のまま血みどろになって死んでゆきます。

ジルダ自身もまともなキャラではない、
ということをかなり明確に示している訳で、
あまりこれまでにない発想だと思いました。

2幕と3幕は幕間がなく、
2幕のラストでボロボロになったリゴレットとジルダが、
そのまま舞台に残ると、
背後から貨物船のようなボロ船が、
幽霊船のように現れて、
そこが3幕の売春宿になるという趣向です。
3幕において水が結構象徴的な意味を持つので、
それを船と海で表現しようという、
なかなか巧みな読み替え演出だと思いました。

全体に舞台装置はチープですが、
かなり考え抜かれた演出で、
B級怪奇映画的な趣向が、
全体の雰囲気に結構調和していました。
良い意味で上品さや気取ったところのない、
娯楽作風の「リゴレット」でした。

歌手陣は…凄かったですよ。

リゴレット役のアルベルト・カザーレと、
マントヴァ公爵役のセルソ・アルベロが抜群でした。

どちらもこれまでに聴いた、
最高の歌唱と言って大袈裟ではなく、
カザーレは迫力押しでありながら、
アジリタなどの精度も高く、
何より演技が説得力のあるものでした。
2幕の二重唱はアンコールに応えて、
ラストの部分を2回歌う大サービスでした。

セルソ・アルベロは、
伸びる高音と精度の高い端正な歌唱が素晴らしく、
今回はその演技においても、
退廃的な貴族の魅力を十全に表現していました。
楽譜にはないハイCを連発し、
それがバッチリ決まっていて、
極めて痛快で心浮き立つものがありました。

メインキャストの一角ソプラノのランカトーレは、
その未熟な感じを残したビジュアルが、
今回の演出のコケティッシュな感じに良く合っていました。
倒錯的でやや変態的で、これまでにないジルダ像です。
その歌唱も他の2人に負けずと、
とてもとても頑張っていました。

彼女が踏ん張ったからこそ、
この作品の眼目である多くの二重唱が、
高いレベルで実現されたのだと思います。

ただ、ジルダのアリアなどは、
正直そのアジリタなどの精度において、
不安定なところがあり、
以前と比べると高音も出ていませんでした。
それが一時的な調子の問題であったのかどうかは、
良く分かりません。

今回特に感銘を受けた歌唱は、
3幕の4重唱で、
通常は生で聴いてあまり良いと思ったことはないのですが、
今回はその精度の高いアンサンブルで、
とても素晴らしかったと感じました。

そんな訳で、
バブルの頃の引っ越し公演と比べると、
色々な部分でチープになったな、
というようには思うのですが、
密度と精度の高い「リゴレット」で、
久しぶりにオペラは良いな、
と思った舞台でした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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「ジャンニ・スキッキ」(2019年新国立劇場レパートリー) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前中は石田医師が外来を担当し、
午後は石原が担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ジャンニ・スキッキ.jpg
新国立劇場のレパートリーとして、
ツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」と、
プッチーニの「ジャンニ・スキッキ」が二本立て(ダブル・ビル)として、
先日新国立劇場で上演されました。

これは以前二期会が同じ組み合わせの上演をしていますが、
上演自体はかなり珍しくて、
僕自身はどちらの作品も今回生で聴くのは初めてです。

「ジャンニ・スキッキ」はプッチーニが比較的後期に作曲した、
60分くらいの上演時間の短い1幕劇です。
中に出て来る「私のお父さん」があまりにも有名で、
マリア・カラス以来リサイタルのアンコールの定番ですが、
全体が上演されることは非常に稀です。

これはプッチーニ唯一の喜劇で、
遺産相続の遺言状を巡る騒動を、
伴奏に乗った合唱主体で軽快に描いた作品です。
ほぼ鳴り止む瞬間のない音楽は、
全編が快適なリズムとスピード感を持っていて、
心地良く一気に聴くことが出来る完成度の高い作品です。
「私のお父さん」を初めとする、
間に挟まれたアリアがあまりに美しいメロディなので、
ちょっと浮いている感じもするのが、
唯一の瑕というのが面白いところです。

ただ、この20世紀初頭の、
古典的オペラの最後の時代の作品は、
ほぼミュージカルと言って良い構造になっていて、
ここまで来ると、必然的にミュージカルと映画の時代になり、
古典的オペラは終焉を迎えるのです。

今回の上演は1幕で同じ程度の上演時間の悲劇である、
「フィレンツェの悲劇」との二本立てで、
こちらもシュトラウス的音楽をベースとした、
現代音楽と演劇の融合に繋がる、
こちらも古典的オペラの最後の時期の作品です。

演出は最初の「フィレンツェの悲劇」は、
テーマを具現するような、
中央で破壊された巨大な屋敷のオブジェが舞台中央に陣取り、
その家の外の舞台前方に、
家の内部が拡大されて表現されている、
というかなり抽象的なものです。
2本目の「ジャンニ・スキッキ」になると、
紗幕の向こうでオブジェが左右に割れて、
その向こうから全ての家具や小道具が、
巨大に作られたポップな舞台が姿を現します。

「フィレンツェの悲劇」は原作と同じ時代設定で、
「ジャンニ・スキッキ」では1950年代が舞台の読み替え演出です。

舞台面はなかなか美しくて良いのですが、
「フィレンツェの悲劇」はオブジェが舞台を狭くしているだけで、
最後まで何ら動きがないのが詰まらないと思います。
舞台が動くのは紗幕の向こうの転換というのは、
これも如何にも詰まらないのです。
「ジャンニ・スキッキ」をポップな舞台にしたのは、
2つの作品の対比を明確にしたかったのだと思いますが、
この作品が上演される機会は、
そう多くはないのですから、
原作通りの設定で上演して欲しかったな、
というのが正直なところでした。

キャストはまずまずの充実度で、
特に「ジャンニ・スキッキ」は、
一点豪華主義でタイトルロールにカルロス・アルバレスを導入し、
後は実力派の日本人歌手で固めて、
絶妙のアンサンブルを実現しています。
砂川涼子さんの「私のお父さん」は抜群の完成度ですし、
村上敏明さんとの二重唱も日本人歌手の良さが出ていたと思います。
押しは強くありませんが、完成度が高く繊細です。

そんな訳でなかなか楽しめる上演でした。

もう日本のオペラは、
新国立を楽しむくらいしかないですからね。

バブルは遠くなりにけり、という感じです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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ワーグナー「さまよえるオランダ人」(東京・春・音楽祭2019) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。

さまよえるオランダ人.jpg
東京春音楽祭のワーグナーシリーズとして、
今回は「さまよえるオランダ人」が演奏会形式で上演されました。

この作品はワーグナーの初期作で、
彼のキャリアの中では、
初めてその後のワーグナーのオペラのスタイルが、
確立された作品とされています。

実際現行上演されるワーグナー作品は、
「さまよえるオランダ人」以降のものが殆どで、
それ以前の作品も数作残っていますが、
僕も生で聴いたことはありません。

また、この「さまよえるオランダ人」自体も、
ワーグナー作品としてはそれほど上演頻度は多くなく、
僕は生で聴くのは新国立劇場での上演以来2回目です。

不死の呪いを掛けられたオランダ人の船長が、
夢見がちな少女の自己犠牲によって救済されるという物語で、
その後何度もリフレインされるワーグナー生涯のテーマが、
最もシンプルな形で表現されています。

構成も比較的シンプルで、
上演時間も他のワーグナー作品と比較すると短いので、
ワーグナー作品としては比較的聴きやすい部類です。

ただ、指輪4部作のとてつもない仰々しさや、
「タンホイザー」後半の深刻さのつるべ打ちのような重厚さ、
また「トリスタンとイゾルデ」のいつ果てるともなく続く、
二重唱の長大さなどと比較すると、
少し淡泊で物足りなさを感じることも確かです。

今回の上演は演奏会形式で、
場面のイメージが浮かびにくいというきらいはあるのですが、
キャストはブリン・ターフェル、リカルダ・メルビート、
ペーター・ザイフェルトと一流のワーグナー歌いが顔を揃え、
新進気鋭のドイツ人指揮者に、
オケはNHK交響楽団という豪華版で、
ワーグナーの音楽の醍醐味を、
心ゆくまで味わうことが出来ました。

現在はその充実度において、
1年に1回の東京・春・音楽祭が、
オペラ好きとしては一番の楽しみであることは間違いがなく、
今後も良い演奏を期待したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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マスネ「ウェルテル」(2019年新国立劇場レパートリー) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ウェルテル.jpg
新国立劇場のレパートリーとして上演された、
マスネの「ウェルテル」を聴いて来ました。

これはゲーテの「若きウェルテルの悩み」を原作として、
マスネが作曲したフランスオペラの代表的な作品の1つで、
マスネの作品としても「マノン」に次いで上演頻度の高いものだと思います。

ともかくテノールが歌いっぱなしという感じの作品で、
テノールが良くないと話にならないオペラです。

僕はこれまでに生では2回聴いていて、
最初は2002年に新国立劇場が初めて上演した時。
テノールはジョゼッペ・サバティーニでした。
歌唱は素晴らしかったのですが、
年上の女性に失恋して自殺する青年、
という役柄には違和感はありました。
2回目はリヨン歌劇場が演奏会形式で上演し、
大野和士さんが指揮した舞台でしたが、
これは若手のテノールが確か代役だったと思うのですが、
とてもウェルテルを歌う水準には達しておらず、
学生の練習に立ち会っているような悲惨な舞台でした。
大野さんの指揮するオペラは、
これまで何故か歌手との連携の悪い、
ギクシャクしたものが多いという印象があります。
何故なのかしら?
ひょっとしたら、
たまたまそうした舞台ばかりを聴いているのかも知れません。

今回の演出は2016年が初演ですが、
その時は聴いていません。

演出はクラシックなものですが、
細部に安普請の感じはあるものの、
なかなか美しくて好印象でした。

さて、今回は主役のテノール以外は日本人というキャスト、
ただし相手役のシャルロットは、
ヨーロッパで活躍されている藤村実穂子さんです。

テノール役はサイミール・ピルグという若手で、
ハンサムでビジュアルも役柄にどんぴしゃりですし、
声も伸びがあって声量と繊細さを兼ね備えた、
なかなかの逸材でした。
対する藤村さんはビジュアル的には微妙ですが、
歌は非常に素晴らしくかつ堂々としていて、
世界の第一線で活躍している凄みが感じられました。
ただ、彼女の歌い方はワーグナーのヒロインのようなので、
あまりに堂々としていて、
この作品の持つある種軟弱な優しさのようなものが、
陰に隠れてしまった感はありました。

テノールは藤村さんほどではないのですが、
矢張りかなり堂々とした歌いっぷりなので、
マスネの繊細さが、あまり表現されず、
「なんでこんなウジウジした話なのに、
そんなに堂々と歌い上げちゃってるの?」
という違和感が伴うような印象がありました。

本当のマスネは多分、
もっと繊細で弱々しくないと、
物語の切実さに届かないのではないでしょうか?

そんな訳でこれまで聴いた「ウェルテル」の舞台の中では、
最もクオリティの高い素敵で音楽的に優れた舞台でしたが、
その表現自体にはマスネの繊細さはあまりなかったようにも感じました。
音は素敵で情感に溢れていて、
何も起こらない1幕が、
個人的には一番気に入りました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「タンホイザー」(2019年新国立劇場レパートリー) [オペラ]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
今日は東京も雪ですね。
受診予定の方はお気を付け下さい。

それでは今日の話題です。
今日はこちら。
タンホイザー.jpg
新国立劇場の2018/2019シーズンのレパートリーとして、
ワーグナーの「タンホイザー」が上演されました。

「タンホイザー」はワーグナーの作品の中では、
比較的上演時間が短く、
それでいてワーグナーらしい聴き所も豊富で、
ワーグナーの思想が、
簡明に表現されているようなところもあるので、
初めてワーグナーを聴く方にはお薦めの作品です。

これまでに生で聴いたのは、
新国立劇場のレパートリーで2回くらい、
ドイツの歌劇場の引っ越し公演で3パターンくらい、
東京オペラの森とその後継の東京春音楽祭の公演と、
都合7回くらいで、
今回が多分8回目くらいになります。

演出として印象に残っているのは、
ロベルト・カーセンが演出した東京春音楽祭の舞台と、
鬼才コンヴィチュニーが、
それほど前衛的でなかった時期に演出した、
バイエルン歌劇場(そうでなかったかも…)の舞台です。
カーセンの舞台は魔女は殆ど全裸で登場して、
白い布のセットを赤いペンキで塗りたくるような舞台。
コンヴィチュニーのものは、
大人の童話という雰囲気の、
彼としては前衛に走りすぎない、
見やすい舞台でした。

今回の新国立のプロダクションは、
新国立らしい比較的オーソドックスで、
セットや美術は構想は悪くないものの、
大味で細部が雑なものでしたが、
あまり変わったことはしていないので、
まあまあ音楽を聴くには支障のないものです。

オケは最初の管楽器の響きなど、
何とかならないものかな、とガッカリするレベルでしたが、
その後は堅実で後半はまずまずでした。
歌手陣はメインの3人がなかなか頑張っていて、
ビジュアルも役柄に合っていましたし、
声が美しいので良かったと思います。

例によって良い演奏でも観客は終わるとすぐに帰り出して、
アンコールをじっくり待たない慌ただしい新国立クオリティですが、
今や日本のオペラの屋台骨は、
新国立劇場のみが支えているので、
応援は是非し続けたいと思っています。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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