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ゴッホ展 ー 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント [絵画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ゴッホ展.jpg
東京都美術館で開催されている、
「ゴッホ展」に足を運びました。

これは有名な個人コレクションを中心にして、
ゴッホの作品の変遷を一望出来る、
かなり充実した内容となっています。

ゴッホについては、
昔中学校の美術の先生だったか、
高校の倫理学の先生だったか、
少し前までそのどちらかの先生の発言だったと記憶していたのですが、
最近記憶を辿ると、
いやいやテレビで評論家か誰かが話しているのを、
聞いただけだったのじゃないかしら、
とどうも記憶が怪しくなっているのですが、
ある人から、
「ゴッホの絵だけは生で見た方がいいよ、
そのタッチの細かさが写真で見るのとは全然違うから」
と言っていたことを、
とても印象的に記憶しています。

ただ、これまで印象派以降の絵画は、
あまり好みではなかったので、
まとめてじっくりと見るような機会は、
あまりありませんでした。

それが最近 YouTubeで、
山田五郎さんの絵画解説を、
レセプト作業をしながら結構沢山聞いたので、
あっ、意外に印象派以降の絵画もいいかもね、
と思ったのと、
ルドンの「キュクロプス」を観たいと思って、
それが今回一緒に公開されると情報を得たので、
どちらかと言えば「キュクロプス」目当てで会場に足を運びました。
あっ、それからスーラの点描も気になりました。

コロナ以降の日時と時間指定のチケットなので、
気が付かないと売り切れてしまって後悔、
というストレスはあるものの、
鑑賞環境としてはとてもスムースです。

一番最後に有名な糸杉の絵である、
「夜のプロヴァンスの田舎道」が陳列されているのですが、
音声ガイドの時間の影響と、
皆さん最初は時間を掛けているけれど、
後半は疲れてしまうのか、
最初のゴッホ以外の絵のパートと、
初期の素描のパートは混雑しているのに、
最後の部屋は結構空いていたので、
かなりじっくり観ることが出来ました。
最後の部屋が矢張り圧倒的で、糸杉はもちろん、
「サン=レミの療養院の庭」も素晴らしかったですし、
「悲しむ老人」や「レモンの籠と瓶」の、
独特の色彩も素敵でした。

肝心の「キュクロプス」もなかなかでしたが、
混雑していたのであまりじっくりは観られませんでした。

ただ、昔先生から聞いたように記憶している、
「実物はタッチが細かい」という指摘は、
実物を観てもあまり同感はできませんでした。
ただ、写真では同じように見えても、
絵具の塗り重ね方やその圧力のようなものには、
表現によってかなりの差があって、
色彩の美しさを含めて、
そうしたタッチの多彩さについては、
これは確かに実物を観ないとわからないな、
というようには感じました。

日本の展覧会なので、
基本すべての絵がガラスケースに入っています。
ただ、昔と比べるとそのガラスの性能が非常に高くなっていて、
映り込みが少なく、ストレスなく見ることが出来ますし、
ぼんやり見ていると、
ガラスがないようにも感じます。
ただ、「サン=レミの療養院の庭」の前方に、
映像展示室があって、
そこの映像の映り込みが、
絵の隅に出現していたのが配慮に欠いた、
と感じました。
細かいことですが、
もっとライティングには気を配って欲しいと思いました。

いずれにしても充実した展覧会であったことは確かで、
しばし絵画藝術の世界に浸ることが出来ました。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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フェルメール「真珠の耳飾りの少女」 [絵画]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

診療所は8月16日まで休診期間に入っています。
ご迷惑をお掛けしますがご了承下さい。

今日からちょっと関西方面に出掛けます。
明日は更新もお休みさせて下さい。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
フェルメール.jpg
昨日フェルメールを上野に観に行きました。

1996年に学会でドイツとオーストリアに行った時に、
ベルリンの国立絵画館で「真珠の首飾り」を、
ウィーン美術史美術館で、
「画家のアトリエ」を観ました。

今回の展覧会に代表作の「真珠の耳飾りの少女」と、
初期の「ディアナとニンフたち」が出品されていたので、
僕が観たフェルメールは4点になりました。

フェルメールの絵は海外でも、
概ねガラスケースに入れられて展示されているので、
あまり実物を観た、
という感動には乏しく感じます。

大きさも小さいので、
尚更そうした感じが強いのです。

僕の観た中では、
今これも日本に来ている「真珠の首飾り」は、
そんな感じが強く、
「画家のアトリエ」は、
初期作を除けばフェルメール最大の大作で、
こちらはさすがに見事でした。

「真珠の耳飾りの少女」は、
さすが人気のあるだけあって素敵な作品で、
勿論大きな絵ではありませんが、
所謂実物大で、
過不足のないサイズで迫力があります。

フェルメールの作品は、
かなり変てこなバランスのものも多いのですが、
この作品は文句の付けようのない完璧な構図で、
色彩も抜群です。
画集の写真などは、
ひび割れたような画像になっているのですが、
現物(おそらくは…)を観ると、
少なくとも肉眼ではそうした傷などは、
殆ど見えません。

展示は「モナリザ方式」で、
絵自体は素で掛け、
それがショーウインドーのような、
ガラスケースに入っています。
ガラス越しは気分が萎えるのですが、
まあ仕方のないことなのだと思います。

開場時間の40分くらい前に行くと、
それほどの列でもなく、
30分前には予定より早く開場されたので、
比較的ゆったりした気分で観られて、
ラッキーでした。

小学校の頃に、
祖母と一緒によく上野の美術館に行きましたが、
その時も今と同じくらい、
いや今より感覚的には混んでいたと思います。

ゴヤの「着衣のマハ」と「裸のマハ」が来たことがあって
(比較的最近も来たようですが、
これはもっと昔の話です)、
その時に死ぬほど並んだことは、
今でもよく覚えています。
そして、大阪万博で月の石を見るのと同じ気分で、
ゴヤの絵を見ました。
後年プラド美術館に行くと、
別にゴヤの前に大行列ということもなく、
「黒い絵」に囲まれて、
静かな時間を過ごすことが出来ました。

僕も絵を観るのは決して嫌いではありませんが、
ただ1枚の紙っぺらの前に、
目の色を変えた老若男女が、
群れを成す姿は、
少し距離を置いて見ると、
不思議なものに思えます。

これは「見世物」に群集の群がる、
古代から綿々と続く伝統的な景色で、
藝術に触れるということとは、
おそらくは相容れないものだと思うからです。

しかし、それは仕方のないことで、
藝術とは本質的に特権的なものですが、
僕のような大衆には、
そうした特権性はないので、
ある種の水増しされた藝術の前に、
群がって何かの欠片を、
感じることしか出来ないのかも知れません。

誤解のないように補足しますが、
フェルメールが水増しというのではなく、
本来こうした絵画は、
このようにして大衆に見られることを想定されていないので、
そうした見られ方をした瞬間に、
作品自体も大衆化されるのだろうな、
という意味合いです。

武井咲が同じ絵画の少女のポーズで、
写真を撮って宣伝に使われましたが、
こうした行為は初めてのことではなく、
海外でもあったようですが、
それを藝術の冒涜とは感じない心性の中に、
おそらくはフェルメールなどいないのです。

それではそろそろ出掛けます。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

エル・グレコとトレドの話 [絵画]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は診療所は休みで、
午後はちょっと出掛ける予定です。

昨日は外来終了間際にお子さんが急変して、
ちょっと慌てました。
こういう時は僕のような医者は無力ですね。
救急車を要請して、
患者さんも搬送時には回復していましたので、
ことなきを得たのだとは思いますが、
救急隊や救急医には、
本当に頭が上がりません。
ちょっと救急医を悪く言うような記事を、
書いたのがいけなかったのでしょうか?
本当に御免なさい。
病院に向かって頭を垂れます。
常に感謝の気持ちを忘れないようにしないといけないですね。

今日は僕の好きな絵の話です。

エル・グレコはお好きな方も多いと思います。
ギリシャ生まれでスペインで活躍した画家です。

その作品の多くは教会などに依頼された宗教画ですが、
ちょっとデフォルメされた独特の画風で、
16世紀の後半の作品とは思えないような、
現代性を持っています。

その代表作がこちら。
アルガス伯爵の埋葬.jpg
「オルガス伯爵の埋葬」という1枚で、
トレドの聖堂から依頼を受けたグレコ最大の大作です。
素晴らしいでしょ。
人間界から天空を含むこの世界の全体が、
巨大な画面に見事に切り取られています。
この作品は実は僕は実見していません。
以前も書きましたが、
この作品はトレドの聖堂に、
未だに大切に飾られていて、
僕は一度だけ1994年にトレドに行ったのですが、
行きの列車の到着が遅れ、
この作品を見ることが叶わなかったのです。

では次を。
トレド全景.jpg
スペインの城砦都市、トレドの風景です。
魅力的ですよね。
生きているうちにもう一度だけ行きたいですね。
二度はいいからもう一度だけ。
中世から近世に掛けてのヨーロッパの建築や都市というのは、
それ自体が思想であり、
大地に書かれた書物なのですね。
そう思うと、このトレドは、
人間の脳の構造に、
極めて良く似ている、という気がします。
地下の闇には泉があって、
その夢判断をユング博士は論文にしています。

日本の都市の多くは、
醜く変貌し続けていますが、
それは結局そこに暮らす人間の、
考えの荒廃を露に示しているような気がします。

ちょっと話が逸れました。
では最後にこれを。
聖衣剥奪.jpg
「聖衣剥奪」と題された1枚で、
これはトレド大聖堂の聖具室に飾られています。

これは本当に僕は一瞬だけ実見しました。
大聖堂に行くと閉門の数分前で、
聖具室の扉は、
その時係りの大男の手によって、
今まさに閉じられようとしていたのです。
そこに僕は駆け込んで、
もう終わりだよ、とばかりに追い出されたのですが、
その刹那、
壁に掛けられたこの絵のキリストの真紅の聖衣が、
何かの人生の暗号のように、
僕の視界に嵌め込まれ、
僕の記憶に鮮やかに刻印されたのです。

それではそろそろ出掛ける準備をします。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

ムリーリョ「無原罪の御宿り」 [絵画]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は休みだった筈なのですが、
昨日急遽勉強会に行くことになったので、
6時起きになりました。
ちょっとしんどいです。

上の写真はムリーリョの「無原罪の御宿り」という絵画です。

ムリーリョは17世紀スペインの画家で、
セビリアを中心に活躍。
心の奥底が疼くような、
多くの情緒に訴える絵を残しました。

この絵はムリーリョの最高傑作の1つで、
画像で見てもご覧の通りの素晴らしい作品ですが、
勿論現物はもっと美しく心を揺さぶる名作です。
スペインのプラド美術館の所蔵品ですね。

「無原罪の御宿り」というのは、
17世紀後半にスペインの民衆の間で流行した、
「マリア信仰」を表現した題材です。
ムリーリョ自身同じ題材で多くの絵を描き、
そのうちの何枚かが、
現在まで残されています。

上の1枚は王室に贈られたものと考えられていますが、
それ以外に祭壇画として描かれた作品も、
複数残されています。

僕は1993年(1994年だったかも知れません)に、
一度だけスペインに行きました。
まだ大学にいた時で、
スペインで学会があり、
その前後に観光でマドリードやトレド、
そしてセビリアを廻ったのです。

セビリアには多くのムリーリョの絵が残されています。
特に感銘を受けたのは、
県立美術館で見た、
この画像とは違う「無原罪の御宿り」でした。

セビリアの美術館というのは、
中世の修道院を改築した建物で、
それ自体非常に風情のある空間です。
順路の最後に吹き抜けのホールが用意されていて、
そこに、祭壇を思わせる装飾の元に、
「無原罪の御宿り」が展示されています。

見上げた瞬間に心がときめいて、
懐かしい誰かに再会したような、
甘酸っぱく切ない気分になりました。

僕はこういう「偶像としての」藝術が好きです。
作る側の覚悟も違いますし、
多くの時を経て、
その本来の宗教的な意味合いからは離れ、
人間の祈りの集積としての何かが、
そこに宿るような気がするからです。
こうした作品は多くの人間が、
外界に投影した「神」の姿です。
それを見る人間は、
そこに自ずと自分の内なる神を見る訳です。

またスペインに行きたいなとは思いますが、
無理かも知れません。
でもセビリアの旧市街の隘路と、
トレドの坂の多い街並みの石畳の感触は、
僕の心の底に、
染み付いて離れることはないような気がします。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。