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「ケストナーの長ぐつをはいたねこ」 [小説]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診ですが、
死に物狂いでレセプトをやらなくてはいけない、
という感じです。

何かねえ、調子は良くないんですよね。
まず腰が痛くて仕方がありません。
色々な意味で人生のタイムリミットが近いのかな、
今どうにかしないともうどうにもならないのかな、
というようには思えるのですが、
なかなかどうも踏ん張りがききません。
でも毎日このまま過ぎて行くようでは、
無為に過ごすことにもうあまり意味がないな、
というようには強く思えるので、
どうにかこうにか、
エンジンを掛けてはゆきたいと思っています。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ケストナー 長ぐつをはいたねこ.jpg
最近の一番の喜びは、
この「ケストナーの長ぐつをはいたねこ」の絵本を、
古書で手に入れることが出来たことです。

これね、有名なエーリヒ・ケストナーが、
有名な古いお話しを自分の言葉で書き直して、
挿絵を特別に頼んで絵本にしたシリーズの1作なのですね。

本国ドイツで1950年に刊行され、
日本版は1967年に出版されています。

子供の時にこのシリーズの、
「長ぐつをはいたねこ」と「ほらふき男爵のぼうけん」が家にあって、
何度も何度も読んで、
その言い回しに、
その言葉に熱烈に恋をしたのです。

僕の読書の初体験で、
最初の愛読書になった1冊でした。

お話は勿論同じなんです。
同じ「長ぐつをはいたねこ」なんですが、
語り口が違うのです。
同じ話がその語り口だけでこれだけ変わるのかと思うと、
それはもう「言葉」の魔法を感じる思いがします。

それが当時の僕は大人になるにつれ、
この素晴らしい本に一時期興味を失って、
いつしか本は何処かに消えてしまったのです。

しまった、
あの宝物を取り戻さなくちゃ、
と思った時は後の祭りでした。

その後1993年に筑摩書房から、
ケストナーの「ほらふき男爵」という単行本が出て、
これは絵本6冊を新訳で再構成したものでした。
2000年には新書版でも再販されています。

これを新刊で本屋さんで見た時には興奮しました。

あの子供の日の感動に再会できると思ったからです。
その帯には「名訳で贈る」と書かれていたので、
その思いは更に高まりました。

ところが…

読んでみると、どうもおかしいのです。

その「名訳」と帯に書かれている新訳は、
明らかに僕の読んだ「長ぐつをはいたねこ」ではなくて、
まがい物の偽物でした。
僕の愛読書の文章とは別に、
新たに他の訳者が翻訳し直したものだったのです。

そう思ってみると、
自分で「名訳で贈る」というセンスが、
ちょっと傲慢で酷いとも思いました。

幾ら出版社から「こうした帯にしますよ」と言われたって、
「いやいや自分で名訳と言うのはちょっと…」
と言うのがまっとうな考え方ではないでしょうか?

今回多分50年ぶりくらいに「本物」と再会して、
その思いを強くしました。

ちょっと実例をお示しします。
物語のオープニングです。

まず、1993年の新訳から…

「むかし、ひとりの粉屋がいた。粉ひき小屋には風車があった。三人の息子がいた。あたりまえの話だが、息子たちは、ちいさいときから粉ひき小屋で働いてきた。食べさせてもらうのだ、給金はなし、三年に一度、新しい服がもらえる。こともなく毎日がすぎていった。それからもずっと、同じように日がすぎていくはずだった。ところが、そうはならなかった。ある日、粉屋であれ王であれ、だれにも訪れるおむかえがきた。病いの床について、そのうち、死んだ。」

どうでしょう。
これだけ読むと、
こんなものかな、と思いますよね。
可もなし不可もなし、という感じでしょ。

それでは1967年の僕が惚れ込んだ翻訳から…

「むかし、あるところに、粉屋がおりました。粉屋は、風車のついた粉ひき小屋に、三人のむすこといっしょに、住んでいました。三人のむすこは、あたりまえのことですが、小さいときから、父おやの粉ひき場ではたらいていました。そして、そのかわりに、父おやから、たべるものと、のむものと、そして、三年ごとに新しいようふくとをもらっていました。それで、みんなうまくいっていましたから、まだまだ、そのままやっていけそうでしたが、あいにく、そうはいきませんでした。というのは、ある日、粉屋は、粉屋だろうが王さまだろうが、人間ならだれでも、いつかは、めぐりあうことに、めぐりあったからです。つまり、粉屋は、とこについて、死んでしまったのです。」

どうかなあ。
それほど違いがないと思いますか?

僕の大好きな翻訳はね、
今思うと直訳ではなくて、
かなり饒舌なんですね。
繰り返しのリズムを大事にしていて、
語り聞かせでリズムを奏でるように出来ているんですね。

子供の時に、
「粉屋の生活がある日変わってしまった。誰にも訪れる何かが来た」
というところで、
「えっ、何が来たんだろう」
と思って、
「粉屋(父親)の死」というショッキングなどんでん返しがあって、
それでとてもショックを受けたんですね。

これね、
これだけで1つの作品、
1つのショートショートみたいにオチがついているんですね。

しかもそのオチが、
子供には底知れない謎である、
「死」なんですね。

素晴らしいセンスだな、と思います。

それに比べて新訳はね、
多分これが直訳なんですね。
その通りに訳しているのです。
でも、絶対に古い訳を読んでいますし、
それに影響を受けているでしょ。
「粉屋」とか「とこにつく」とか、
直訳で出て来る言葉ではなくて、
昔の訳を読んでいるから出ていますよね。
それでいて、なるべく旧訳を変えようという意図があるので、
文章にリズムがなくなっているんですね。

控え目に言って、台無しだと思います。

しかもね、
新訳の訳者は、
この短い章が、
ショートショートだということに気づいていないんですね。
「父親の死」というオチが、
子供にとって意外でショッキングだということに、
気づいていないんですね。
だから最後の1文の前に、
「おむかえがきた」という言い方で、
先にネタを割ってしまっているのです。

そこが一番の違いだと思います。

最近は古い作品を今の言葉で訳し直して、
「新訳で面目を一新」みたいなのが多いですよね。
でも、どうなのかな。
日本語というのはどんどん劣化している言葉ですよね。
社会も劣化していてとても進歩しているとは思えませんが、
言葉も劣化してどんどん駄目になっていますよね。
そもそも古い作品は古い時代のものなのですから、
別に新しくすることが良いことではないのではないかしら。
それを翻訳した古い日本語に出逢うことも、
大切なことではないかしら。
そんな風に思いました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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佐木隆三「身分帳」 [小説]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも須田医師が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
身分帳.jpg
2021年に西川美和監督が、
「すばらしき世界」という題名で公開する新作映画の原作、
佐木隆三さんの「身分帳」を、
この間の連休に読みました。

これは不遇な生い立ちから10代から犯罪を繰り返し、
その半生の殆どを刑務所の中で過ごした、
実在の人物の満期出所後の人生を描いた作品で、
佐木隆三さんは実際にその人物と交流し、
取材を重ねてこの作品を書き、
モデルとなる人物が生きているうちに刊行されているのですが、
主人公の名前は変えられていますし、
実際には主人公に介入していた作者の存在は、
ないものとして書かれています。
つまり、事実を元にしてはいますが、
ノンフィクションではなく小説なのです。

主人公はかなり癖の強い人物ですし、
暴力沙汰や訴訟、恫喝は日常茶飯事ですから、
ある程度は本人を美化する部分がないと、
本を出すことに同意が得られるとは思えません。
従って恣意的に事実は改変された部分はありそうです。
こうした手法は、
現在ではおそらく成立しないもののように思います。

その是非についてはともかくとして、
作品自体は非常に魅力的です。
驚くほど純粋で理論的でもありながら、
直情的で暴力的で抜き身の刀のような部分のある主人公の造形は、
実在の人物ならではの凄みがあります。
周辺の市囲の住民との交流が、
また滋味深く素敵なのです。
清濁併せ飲むというのか、
個々の人物がとても人間的に、
良いところも悪いところもあり、
またその時々の気分によって、
相手に対する対応も変わる人物として、
良い意味でも悪い意味でもいつも態度の一貫している主人公と、
明瞭な対照を見せています。

映画版ではこの主人公を、
役所広司さんが演じるとのことで、
これはもう当代の役者さんの中では、
間違いなくベストのキャスティングなので、
とても愉しみです。

ただ、映画は原作の昭和61年という時代背景を、
現代に移すとしていて、
その点は非常に心配です。

果たしてこの、
如何にも昭和という物語が、
現代で成立するのでしょうか?

今の時点では、
とても成立しないように思いますが、
そこは手練れの西川美和監督のことですから、
見事に換骨奪胎された「身分帳」の世界を、
まずは期待して公開を待ちたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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大島真寿美「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」 [小説]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも中村医師が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
渦.jpg
第161回直木賞を受賞した、
大島真寿美さんの「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」を先日読了しました。

人形浄瑠璃の全盛期から少し遅れて登場して、
極めてマニアックで技巧的で複雑怪奇で魅力的な作品を多く残した、
希代の天才戯作者、近松半二の人生を、
連作短編的な形式で、
語り物的な上方訛りの軽快な文体で活写した作品です。

どんなものかなあ、と思いながら、
恐る恐る読み始めたのですが、
その文体のリズムに魅せられつつ、あら不思議、
2日掛からずにほぼ一気に読んでしまいました。

とても面白い小説であることは間違いがありません。

どちらかと言えば、
歌舞伎や文楽について一定の知識はあった方が、
楽しめる作品であることは確かです。

題名にもあるように、
近松半二の代表作の1つである「妹背山婦女庭訓」が、
完成するまでのいきさつが、
全編のクライマックスといって良いので、
それが実際にどのような作品であるのかを知っていた方が、
より作品の勘所が、
深く鑑賞出来ることは事実です。

近松半二は人形浄瑠璃の戯作者ですが、
「妹背山婦女庭訓」の後半部分は歌舞伎味が強く、
それがこの小説では、
後半の完成に歌舞伎の戯作者が加わるという設定を作って、
マニアがなるほどと思うような物語にしています。
さすがと感じました。

ただ、一読後に振り返ってみると、
少し疑問に思うようなところもあります。

近松半二の代表作の1つが、
「妹背山婦女庭訓」であることは間違いがありませんが、
その成立の2年前には、
「一ノ谷嫩軍記」をより複雑化して、
万華鏡のような唯一無二の壮絶な自己犠牲の連鎖を完成させた、
「近江源氏先陣館」と、
翌年にはその後編に当たる「鎌倉三代記」があり、
その3年前にはミステリー的構成に耽美趣味を絡めた、
「本朝廿四孝」という名作があります。
つまり、この間の8年余りは半二の全盛期で、
どれが代表作と言っても過言ではありません。

それを「妹背山婦女庭訓」1作に、
集約してしまったところに、
この小説の作為のようなものがあるのです。

この作品は演劇の戯作者というより、
小説家の苦悩と孤独を掘り下げたものだと言って良いと思います。

孤独な創作の現場という点では、
とても説得力を持ち、
人生と創作との葛藤のようなものに、
そのしみじみとした哀感に、
心が揺さぶられるのですが、
人形浄瑠璃の集団創作の現場として見ると、
いささか現実離れをしているようにも思えます。

これはあくまで作家の想像力の範疇の物語で、
集団創作の実際とは異なる世界なのです。

そうした不満は少しあるのですが、
人形浄瑠璃という語りの世界を、
現代的な語り物の技巧の中で再現した、
一気読み必死のリーダビリティに溢れた1作で、
小説ファンと文楽・歌舞伎ファンのいずれにも、
自信を持ってお薦め出来る逸品です。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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本谷有希子「静かに、ねえ、静かに」 [小説]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
静かに、ねえ、静かに.jpg
本谷有希子さんが2018年に刊行した、
3つの短編からなる作品集を読みました。

これはつい先日この本の巻頭にある、
「本当の旅」という作品を元にした、
本谷さん自身の演出によるお芝居を、
鑑賞したので興味を持って読んでみたものです。

本谷さんは演劇の人という思いがありましたし、
食わず嫌いで小説は読んだことがなかったのですが、
この作品はとても面白くて一気に読んでしまいました。

以下少しネタバレしますので、
作品を読了後にお読み下さい。
面白いです。

これは3つの連作的な短編集なのですが、
いずれも比較的最近世間を賑わした、
「事件」を想定して、
そこに至るまでの当事者の心理を、
繊細かつやや扇情的に綴ったものです。

海外であまりに無防備な旅をした若者が、
被害に遭ってしまうお話と、
酔っ払って車の下で寝ていた家族を、
ひき殺してしまう話、
そしてファミレスで不潔な行為をわざわざして、
それを動画で拡散してしまうという話。

そのいずれもが、
テレビやネット、週刊誌で記事を見れば、
「なんでまあ、そんな馬鹿なことを」とか、
「ちょっと考えれば駄目だと分かりそうなものなのに」
と条件反射的に思ってしまうような、
DQNネタ的なものです。

それを心理的に丹念に分析し解きほぐして、
ひょっとしたら自分の人生にも、
こうした落とし穴が掘られているのかも知れない、
と思わせてしまうのが本谷さんの技巧の鮮やかさです。

特に「本当の旅」の、
他人の善意を信じる、という執着、
そして「でぶのハッピーバースデー」の、
自分は幸福になってはいけない、という執着は、
読了後に生々しく後を引きます。

こうして読むと傑作と言って良い「本当の旅」なのですが、
この間観た舞台版は、
何か無理に若者の気持ちを理解しようとして、
それを老人に対して、
「ほら、今の若者というのはこうした奴らですよ、馬鹿でしょ」
と媚びているようで、
ちょっと鼻持ちならない感じがしたのです。

小説は決してそんな感じはしないのに、
生の役者が演じる舞台というのは不思議だなあと、
見比べてそんなことを思いました。

こうしたところが、
芝居と小説の本質的な違いなのかも知れません。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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村上春樹「騎士団長殺し」 [小説]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも、
石原が外来を担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
騎士団長殺し.jpg
村上春樹さんの新作長編小説を読みました。

村上春樹さんの小説は、
「海辺のカフカ」以前のものについては、
長編、短編、エッセイ、ノンフィクションを含めて、
一応全て出版されたものは読んでいて、
その後も「1Q84」などの長編は読んでいます。

僕の好みは一番は「羊をめぐる冒険」で、
次が「ノルウェイの森」、
そして「羊をめぐる冒険」の続編に当たる、
「ダンス、ダンス、ダンス」です。

今回の作品は「顔のない男」のプロローグが、
とても意味ありげで良く出来ていて、
その後の何かが起こるような予感だけがあって、
結局何も起こらないまま時間が過ぎてゆくような前半が、
ちょっと「ダンス、ダンス、ダンス」を思わせて、
悪くない感じです。

今回は語り口としては、
単一視点で作者を思わせるような主人公が出て来て、
妻がどうして浮気しただの何だのと、
喪失感を絡めたいつもの愚痴が連発するので、
「ああ、懐かしいなあ」という感じに囚われます。

それが中段で話が動き出すと、
話の底がとてつもなく浅くて何の工夫もないので、
「まさかこの調子で終わりになってしまうのかしら」
と読みながら不安に駆られるのですが、
結局そのまま大ガッカリで作品は終わってしまいます。

プロローグの「顔のない男」は、
確かに後半で登場するのですが、
ほんのちょっぴりの登板であまり活躍はなく、
「バイオハザードにローラが登場!」
と同じくらいのインパクトです。
プロローグにそうちゃんと繋がる訳でもなく、
単純につかみのためのオープニングだったようです。

読了後の感想としては、
結果的には「1Q84」よりかなり質が低く、
変てこりんな「色彩を持たない、多崎つくると、彼の巡礼の年」より、
読みやすいのですが内容には乏しいように感じました。

単純に出来が悪いということよりも、
村上さんの脳内劣化というか、
ひょっとしたら今の村上さんの頭の中は、
この程度のことが渦巻いているだけの荒野なのかしら、
と思うととてもつらい気持ちになりました。

村上さんと言えば、
凝ったレトリックが身上と思うのですが、
今回の作品では、
「カントが時間通りの散歩をしていて、
カントを見て村の人が時計を合わせた」
というような、
教科書に載っているような話をわざわざ出して来たりして、
何処か、おかしくなってしまわれたのだろうか、
と不安に感じるようなところもありました。

またオペラの話が結構出て来るのですが、
「ドン・ジョバンニ」にしても「薔薇の騎士」にしても、
これなら僕の方がもう少しは詳しいよ、
というくらいの知識が披露されたりしていて、
かつて村上さんの博識とディテールに、
とても感心しのめり込んでいた者としては、
その辺りもとても切なく感じました。

食事の話題も村上作品の定番ですが、
かつてはカリフラワーのソースのパスタとか、
サンドイッチとオムレツが美味しいバーなどに、
僕も食べたいなあ、お洒落だなあ、と思っていたのですが、
今回の作品でも主人公は、
パスタとサンドイッチばかりを食べているので、
それはあまりに芸がないし、
何より栄養バランスもひどいじゃないか、
と凡庸さにもガッカリしてしまいました。

以下内容にも少し踏み込みます。
未読の方はご注意下さい。

主人公は36歳の肖像画家で、
妻から一方的に別れを申し渡され、
「ノルウェーの森」のように、
東北から北海道を1人で彷徨った後で、
友人の父親で日本画の大家が暮らしていた古い小田原の家に、
1人で暮らすようになります。

その大家の画家は、
かつては洋画家であったのですが、
留学先のドイツで丁度オーストリアを併合したナチスの「悪」と対峙し、
挫折して日本に戻り日本画家に転身して成功したという経歴があり、
今は認知症で老人ホームに入っています。

家の谷を隔てた向かい側には、
免色渉という謎の大金持ちの男がいて、
彼から突然自分の肖像画を描いて欲しいという依頼を受けます。
同じ時期に家の屋根裏から、
老大家が秘密にしていた「騎士団長殺し」という絵が見つかり、
そこには日本古代の装飾で、
オペラの「ドン・ジョバンニ」の最初の場面、
ドン・ジョバンニが愛人の父親である騎士団長を殺す、
という場面が描かれています。
それから、家の外の祠から謎の鉦の音が聞こえてくる、
という怪異があり、
祠の後ろの石の塚を掘ると、
その底に石室のような空間が現れます。
これは春雨物語の「二世の縁」を元にした趣向です。

ここまではまあまあ悪い感じでもなく読み進めました。
「二世の縁」は鈴木清順監督が怪奇劇場アンバランスで撮った、
「ミイラの恋」という作品がカルトとして心に残っていて、
これは凄みのある現代怪談でした。
中に入れ子のように「二世の縁」が挟まっているのです。
村上さんが見ているのかどうかは分かりません。
「ドン・ジョバンニ」は馴染みのあるオペラで、
それほど好きな作品ではありませんが、
結構回数は聴いています。

物語の構造的には「ねじまき鳥クロニクル」に近く、
何も起こらず何かの予感だけが続く感じは、
「ダンス、ダンス、ダンス」に近いのです。

ただ、どうなるのかと思うと、
石室を開放した後で、
身長60センチくらいの騎士団長の姿をした人物が、
主人公にしか見えない幻覚として登場し、
自分はイデアである、と名乗るので、
オヤオヤという感じになります。

日本軍とナチスが過去の邪悪なものとして登場しますが、
それと対決する、という感じの話にはなりません。
その後もまったりと平坦に話は続き、
免色の娘かもしれないという少女が登場して、
その少女が姿を消す、
というのが全編のクライマックスになります。

実際にはただ免色の屋敷に忍び込んで、
数日出られなくなっただけの顛末なのですが、
主人公は騎士団長に命じられるまま、
老人ホームに老大家を見舞って、
その眼前で騎士団長を包丁で刺し殺し、
それによって異次元の扉が開くと、
メタファーの世界と言う何だか分からない世界を彷徨います。
最終的にはその旅は石室に出ておしまいで、
少女はそのまま帰って来てそれでおしまいです。

ラストになって身重の妻が戻って来て、
主人公は復縁し、
娘に何かを伝えようとするところで物語は終わります。

ラストは2011年の震災の時ということになっていて、
プロローグの意味もはっきりしませんから、
「1Q84」のように第3部があるような嫌な予感もします。

村上さんは「アンダーグラウンド」でオーム事件を描き、
それをフィクション化した試みが「1Q84」だったと思うのですが、
今回も多分2011年の震災を村上さんなりにフィクション化したい、
と言う思いがあって、
その前段としてこの作品を書いたのかな、
というようにも感じるのです。

トータルには色々な怪異が登場しますが、
「となりのトトロ」と同じように、
最終的には少女が行方不明になって、
怪異が総動員して少女を探し、
見つかるとそれで終わり、という具合になっています。

石室は「ねじまき鳥クロニクル」の井戸と同じで、
別空間への出入り口になっていて、
今回は「1Q84」と同じ病室が、
もう1つの出入り口と繋がっているという趣向です。
ただ、村上さんのこれまでの作品とも共通する特徴として、
異空間に入ってもあまり大したことは起こらず、
今回はそのイメージもかなり平凡な上に、
数日間行方不明だった少女が出て来るだけのことなので、
読んでいても脱力してしまうのです。

まあ、これまでの村上作品のエッセンスが、
色々な意味で詰まった作品であることは確かで、
その意味でとても懐かしい作品ではあるのですが、
かなり劣化して総登場するという具合になると、
かつてのファンの1人としては、
何か空しく切ない思いにとらわれてしまうのです。

毎回村上作品を読まれているファンのみにお勧めです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

伊藤計劃「ハーモニー」 [小説]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。
今日も遅い更新になってしまいました。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
ハーモニー.jpg
34歳で癌のために亡くなったSF作家、
伊藤計劃さんの作品を、
遅ればせながらまとめ読みしました。

完成された長編は2編のみで、
「虐殺器官」とこの「ハーモニー」です。

僕は「虐殺器官」の方は、
あまり乗らなくて、かなりしんどい思いで読了したのですが、
この「ハーモニー」はなかなか面白くて感銘を受けました。

健康がテクノロジーで管理された世界で、
何故か突然に集団自殺事件が起こるというストーリーが魅力的で、
「人間の意識そのものが悪である」というテーマも斬新です。

医療ネタの一種でもありますし、
僕の大好物の話です。

「虐殺器官」の方は、
「虐殺言語」という、
内戦や民族紛争、
それに伴う集団殺戮を自動的に生じさせるような、
言語の体系がある、という話で、
それはそれで面白いのですが、
シリアの内戦やISの脅威などの今の世の中を見ると、
そうした「暴力」の説明には、
それはなっていないので、
その意味で違和感をもってしまうのです。
その一方「ハーモニー」のの、
「自我の誕生こそ不幸の本質で生命の正統な進化を脅かす」
という主張は、
今の社会においても、古びてはいないと思うのです。

この両作品において、
ラストでは「究極の未来」が実現してしまうので、
その辺りの構想力は面白いなあ、
と思います。

いずれにしても、
「人間がテクノロジーの粋を集めて建造した、
100%安全なユートピアに、
何故か自殺やシリアルキラーが横行する」
というのは僕が非常に魅力を感じる筋立てで、
何かこうした方向で新しい物をひねり出せないかと、
日々頭をひねっているところなのです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

品田遊「止まりだしたら走らない」 [小説]

こんにちは。
石原藤樹です。

今日から診療所は夏季の休診になります。
今日はこれから奈良に行く予定です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
止まりだしたら走らない.jpg
ツィッターで有名なダヴィンチ・恐山さんが、
別名で書いた処女小説です。

これはある方が、
後半にどんでん返しのある、
素晴らしく技巧的な小説、
のように褒めていたので、
叙述トリックには目がない方なので、
読んでみたのです。

中央線沿線を舞台にした、
人生スケッチ的な短編が続き、
それと並行して、
2人の大学生が高尾山に向かう、
もう1つの物語が挟み込まれます。

短編には面白いものもあり、
昔SFを読んでいた者としては、
筒井康隆さんや星新一さんの諸作を、
思わせるものがあるのが、
微笑ましい感じがします。

それと並行する物語の方は、
何か謎めいた感じはするのですが、
的が絞れそうで絞れません。

もう少しで終わりというところまで読み進めましたが、
天地がひっくり返るような大どんでん返しが、
待っているようには到底思えません。

これでどうなのかしら、
と思ったところで、
おや、という感じの小ネタがあり、
脇筋の方にちょっと捻りが入ります。

これが何とかして、
外の短編の世界とも結び付き、
驚天動地の結末に結び付くことを期待したのですが、
実際にはそうしたことはなく、
脇筋自体も無難な終わり方をして、
全編の終了となってしまいました。

才気は確かに感じるのですが、
短編の方にも出来不出来の差が激しく、
それほどバランスの良い感じにはなっていません。
そして、どんでん返しらしきものについても、
ミステリーでは定番の古いネタなので、
新味は全くありませんでした。

最初に読んだ絶賛の批評は、
読み返すと何となく宣伝の匂いがしました。

amazonの書評も絶賛のみでした。

どうも最近の読書事情はそうしたもののようですね。

それではそろそろ出掛けます。

お仕事の方は頑張って下さい。
お休みの方は良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

中村文則集成(その1) [小説]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日まで診療所は休診です。

休みの日は趣味の話題です。

最近中村文則さんの作品をまとめ読みしているので、
その作品を僕なりにご紹介します。

中村さんは芥川賞や大江健三郎賞、
野間文芸新人賞などを立て続けに受賞した、
新進気鋭の若手作家で、
ノワール(暗黒小説)としてはアメリカでも評価されています。

最近の作品の評価については、
色々な考えがあり、
また緻密な描写のものと、
良く言えば軽いタッチの、
通俗味に傾斜した作品とがあり、
その質にはかなりの差があります。

僕が自信を持ってお勧め出来るのは、
海外での評価も高い暗黒小説の「掏摸」と、
芥川賞を受賞した「土の中の子供」で、
初期作の「銃」と「遮光」も密度の高い力作ですが、
ラストの処理には疑問が残ります。

今日は初期作品を概説します。

①「銃」
銃.jpg
新潮新人賞を受賞した、
中村さんのデビュー作で、
破滅願望のある大学生が、
曰くのある拳銃を拾ったことから、
狂気へと傾斜する様が、
説得力を持った筆致で描かれます。

呪われた刀を拾った主人公が、
刀に支配されて人斬りになるような話は、
歴史物などで昔からあり、
それを換骨奪胎したような物語なのですが、
その主人公の破滅への軌跡が、
出鱈目で一貫性のない心理でありながら、
かなりの説得力を持っていて、
初出時に批判を受けて修正されたという、
かなり読みづらいオープニングを抜けると、
後は一気呵成に読むことが出来ます。

銃を撃ってしまえば、
捕まることはほぼ間違いがないのですし、
わざわざ普段から持ち歩いていれば、
見付かるリスクも高いのは明らかなのですが、
一面ではそう分かっていながら、
悪い方へ悪い方へと向かう心理が、
あまり作為的な感じではなく、
奇妙な歪みを持って続くのが心地良いのです。

ただ、主人公は衝動的で暴力的なので、
お友達には絶対になりたくないタイプです。

文章は決して上手くはないと思うのですが、
山場の張り方が上手くて、
拳銃の試し撃ちをするところと、
最初に人間を撃とうとするシークエンスは、
見事なタッチだと思いました。

矢張りしっくり来ないのは唐突なラストで、
これはないのじゃないか、
という感じで脱力を覚えることは確かです。

②「遮光」
遮光.jpg
野間文芸新人賞を取った第2作で、
基本的には処女作と同じ、
1つのものに執着する主人公の狂気への道程を、
執拗なタッチで描いた作品です。

ただ、主人公の造形はより深く描かれていて、
その狂気の描写を含めて、
間違いなく処女作より進化した作品になっています。

象徴的な白いワゴンの禍々しさを含めて、
ディテールも非常に磨かれています。

サイコスリラー的な感じもあり、
クックの異常心理小説に近い雰囲気もあります。
通常日本のこうした小説では、
脇役はあまり壊れていないことが多いのですが、
この作品では歪なキャラが周囲を固めていて、
その辺りもアメリカの犯罪小説に近い感覚なのです。
後年アメリカのミステリー界で、
彼の作品が評価されたのは、なるほどと思います。

性格の壊れ方にも、
母胎回帰的なウェットさがなく、
要するにマザコン的ではなく、
頭の中でウジウジと悩むより、
行動で壊れて行く感じなので、
日本的なドロドロを読み慣れていると新鮮に感じるのです。

ただ、中心となる主人公の、
死んだ恋人への異常心理については、
あまり説得力を持って感じられず、
取って付けたような印象があります。

また、ラストの暴力的なカタストロフは、
処女作と同様、かなり唐突で違和感があります。

ラストさえ変わっていれば、
強くお勧め出来る作品なのですが、
その点が個人的には惜しまれます。

③「悪意の手記」
悪意の手記.jpg
これは年代的には3作目の長編ですが、
これまでの2作品とは趣を異にしていて、
私小説では定番の手記の設定を取り、
難病で死に掛けた主人公が、
生死に対する屈折した心情の元に、
友人を殺してしまい、
その罪の意識と相対する、
という、今時どうしちゃったの、
というような作品です。

3つの手記からなる構成は、
太宰治の「人間失格」を彷彿とさせ、
ドストエフスキーの「罪と罰」や「地下室の手記」、
三島由紀夫の「仮面の告白」を思わせる部分もあります。

作者としてはこうした作品を書く事に、
意義があったのだと思いますが、
読む側としては平板で退屈で、
最後まで行き着くのに苦労しました。

ちなみに、
主人公が罹患する難病は、
初出時にはTTP(血栓性血小板減少性紫斑病)であったのですが、
実在の病名を使用することは問題があったようで、
文庫版ではTRP(血栓性血小板縮減性肥大紫斑病)
という架空のものに書き改められています。

医療知識はない作者だと思うので、
仕方のないことですが、
この架空の病名のセンスのなさは、
恥ずかしい感じがします。
ヘモグロビンの基準値がmg/dlになっているなど、
他にも誤りは所々に残っています。

④「土の中の子供」
土の中の子供.jpg
作者4作目のこの作品は、
芥川賞受賞作です。

これは「銃」、「遮光」の流れを、
より推し進めたような作品で、
主人公が前の2作品では抗うことなく放置していた、
過去のトラウマに真正面から向き合い、
それを克服する姿を、
感動的に描いています。

ややお行儀の良い、優等生的な作品ではあるのですが、
ダークで自滅的で暴力的な部分は、
しっかり残っていますし、
その上で前2作のような破滅的なラストではなく、
曙光の垣間見えるような終わりにしている点に、
作者の成長を見る思いがします。

この中編から短い長編くらいのボリュームの作品には、
およそ無駄な描写や展開というものがなく、
全ては計算されてそこにある、という気がしますし、
クライマックスの主人公が死に最接近するパートの、
盛り上げ方も凡手ではありません。

芥川賞に相応しい質感の作品だと思いますし、
初期の作者の代表作であることは間違いがありません。

これはお勧めです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

桜庭一樹「私の男」 [小説]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。
雨なので駒沢公園へは行けず、
朝食を摂って、今PCに向かっています。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
私の男.jpg
今まとめ読みしている桜庭一樹さんの、
直木賞受賞作で、
つい先日映画化もされた作品です。

昨日ご紹介した「赤朽葉家の伝説」とはうって変わって、
1人の男と1人の女の、
社会性無視の本当に滅茶苦茶な性愛を、
川端康成的な文体で、
妙に格調高く綴った、
ある種の怪作です。

いつもの桜庭さんの得意技ですが、
これもともかくオープニングが素晴らしくて、
詩的で格調が高いのに、
官能小説めいた胡散臭さも散りばめられていて、
一気に作品の世界に惹き付けられます。

それが視点を変えながら、
進むにつれて時間を遡る、
という構成になっていて、
24歳の主人公の女性が、
どんどん若くなって最後は小学生になります。

一種の連作短編のように読むのが適切なのかも知れませんが、
進むに連れて、
もう既に分かっていることを確認するような作業になるので、
徐々に興味が薄れて来て、
ラストはさすがに一ひねりあるのだろう、
と少し期待して読み進むと、
何のひねりもなく終わってしまうので驚きます。

これで本当に良いのでしょうか?

まあ、絶賛される方もいるので、
良いのかも知れません。

主人公の女性が24歳の第1章で、
ほぼ全ての伏線が張られているので、
充分全体の構成を吟味した上で、
書き進められたのが分かるのですが、
その割には第2章で幽霊が出たりして、
リアルさから距離を取るのかと思いの外、
幽霊のパートはそこだけで終わってしまうので、
何だかなあ、という気分になります。
その後も主人公の男女の本当の関係を、
第4章で割ってしまったりと、
わざわざ先を読む興味を減弱されるような、
逆回転の構成には疑問が残ります。

ただ、構成の下手糞な純文学として捉えれば、
これでありなのかも知れません。
志賀直哉の「暗夜行路」だって構成は目茶苦茶ですが、
オープニングを読むだけで名作ですし、
島尾敏雄の「死の刺」も、
起承転結など欠片もありませんが、
狂気の妻の情念だけで、
名作となっているからです。

この作品に描かれている執拗な情念も、
昔からある、別に目新しい素材ではないのですが、
それがここまでねちっこく描出されたことは、
おそらく日本文学史上初めてのことだと思うからです。

とても万人向けではありませんが、
良い人ぶった「赤朽葉家の伝説」よりも、
僕は桜庭さんらしくて面白く読みました。
でも、後半は結構苦痛になります。

以下ネタばれを含む感想です。
必ず読了後にお読み下さい。

母親に心理的な虐待を受けて育った男が、
親戚の年上の女性と、
まだ高校生の時に一夜限りの情事で生んだ自分の娘を、
震災孤児として自分の養女にもらいうけ、
9歳の初潮の時から、
お母さんと呼びながら凌辱することを繰り返します。
そのまま客観的に見れば娘への性的虐待なのですが、
女の方が男を虜にする魔性のようにも見え、
また「血」というものに対する、
人間の反逆のようにも思えます。
この2人が一旦出逢ってしまえば、
こうした愛欲の海に沈み、
人間であることを止めてしまうのが、
抗いようのない宿命であるかのようです。
女は2人の秘密を知り、
引き離そうとした世間の大人を殺し、
北の果ての街から東京まで逃げるのですが、
追って来た警察官を今度は男が殺します。
死んだ男が腐って行く部屋の中でも、
2人は愛し合い月日を過ごすのですが、
女が24歳で結婚すると、
男は姿を消します。

この物語を結婚式の直前から語り起こし、
視点を変えながら徐々に時間を遡って、
最後は女が9歳の時の2人の出逢いで終わります。

川端康成を思わせるような、
格調のある、それでいて何処か胡散臭さもある、
オープニングの描写からの展開が絶妙で、
北の海の情景描写がまた美しく卓越しています。
その一方、2人の絡みはひたすらねちっこく、
作品の半分は濡れ場ではないか、
と思えるほどのボリューム感です。
それも唾液を何度も相手の口に落として喜んだりするので、
僕にはちょっと苦手のジャンルです。
正直官能的というより、
時々生理的に気分が悪くなります。

プロットは緻密に構成されているのですが、
結婚式から時間を遡るという構成は、
前述のようにその効果は甚だ疑問です。

ただ、桜庭さんの初期の代表作の1つとされる、
「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」でも、
最初にバラバラ事件の被害者を明示してしまう、
と言う構成が、
とても効果的とは思えなかったので、
桜庭さんと僕の感覚が、
合わないだけの話なのかも知れません。

また、犯罪事件についてのディテールも、
被害者の遺品のカメラのフィルムが、
大事な証拠の筈なのに現像されないなど、
細部がかなり杜撰に出来ていて、
犯罪物語としての側面には、
あまり力の入っていない作品になっています。

いずれにしてもかなり奇怪な作品で、
一種の官能小説を書こうとしたのか、
真面目に純文学をしようとしたのか、
ある種の悪ふざけなのか、
いささか判然としないところがあるのですが、
前半の凄みだけでも、
読む価値はある1作だとは思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。

健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

  • 作者: 石原藤樹
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
  • 発売日: 2014/05/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)





桜庭一樹「赤朽葉家の伝説」 [小説]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日の2本目の記事は、
土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
赤朽葉家の伝説.jpg
最近まとめ読みしている、
桜庭一樹さんの代表作の1つ「赤朽葉家の伝説」です。

これは2006年に刊行された作品で、
評判になったので、
発刊当時もちょっと気にはなったのですが、
マルケスの「百年の孤独」をモロにパクったように感じたので、
あまり読もうという気が起きませんでした。

ただ、最近意外にそうでもないのかな、
と思ったので、
読んでみることにしました。

読後の感想としては、
確かにマルケスの「百年の孤独」や、
アジェンデの「精霊たちの家」、
アーヴィングの「ガープの世界」や「ホテル・ニューハンプシャー」などの、
影響は明確にあるのですが、
こうした作品に影響を受けた映画の「フォレスト・ガンプ」や、
ジブリの「もののけ姫」と「千と千尋の神隠し」の影響の方が、
より大きいように感じました。

桜庭さんの作品全てに共通することですが、
オープニングの魅力が抜群で、
いきなりの場外ホームランで、
これは物凄いぞ、と思うのですが、
最終的にはちょっと途中で凡打も混じるので、
トータルな感想はボチボチ、という感じになります。

今回の作品は後半でいきなりミステリータッチになるので、
その辺りをどう評価するかで作品の好き嫌いが分かれると思うのですが、
着地はかなり奇麗に決まっているので、
多くの方は一定の満足を感じたのではないかと思います。

以下ネタばれがあります。
必ず読了後にお読みください。

鳥取の旧家である赤朽葉家の女系3代の物語が、
幻想と現実をないまぜにした、
所謂「マジックリアリズム」を意識したタッチで描かれます。

オープニングは戦後すぐくらいから始まり、
未来を幻視することの出来る、
古代の山の民の末裔の捨て子の女性が、
旧家のカリスマ的女主に見染められて、
嫁入りをする、というところから始まるので、
ああ如何にもマジックリアリズム、という印象です。

ただ、中段にその娘の時代になると、
レディースのトップが売れっ子漫画家に転身する、
という話になるので、
これは桜庭さんがそれまでにも多く描いていた、
アウトローの少女もののパターンになり、
大分タッチが変わるので違和感があります。

そして現代に繋がる3代めになると、
何も決めずにモラトリアムでウジウジしているだけなのですが、
祖母の時代の謎を解くという、
ミステリーのタッチになり、
それが比較的奇麗に着地すると、
オープニングに繋がるという、
叙事詩的なラストが待っています。

文庫版のあとがきを読むと、
当初は3つのパートを、
全然別のタッチで描き分けるという趣向だったようで、
中段の部分はモロにアウトロー少女物であったのが、
編集との話し合いにより、
「百年の孤独」的な雰囲気で、
作品に軸を通す、という方針に変わったということのようです。

ただ、それでも矢張り中段のレディースの部分が、
明らかに他とタッチが異なるので、
何となく無理矢理に部品を1つにしたような、
辻褄の合わなさを感じることも事実です。

美点としては、
骨太の構成に乱れがないのが第一で、
桜庭さんの作品としては珍しく、
大長編であるのに比較的着地が綺麗に決まっています。
リーダビリティは充分にあり、
描写も後の「私の男」ほど詩的ではありませんが、
絵画的でなかなか達者です。
更にはこれまでの作品に多くある、
かなり刹那的で暴力的でダークな感じが、
相当抑えられているので、
広い読者層に受け容れられやすい内容になっています。

個人的にあまり乗れなかったのは、
オープニングが「百年の孤独」のような、
大風呂敷を期待させるのに、
時代が移るにつれ尻すぼみ的になることです。

「百年の孤独」は、
ラテンアメリカの庶民の歴史を描いているのですが、
現実の出来事をそのままで描写するのではなく、
一種の幻想的な出来事に置換させる形で、
想像力を駆使して描いています。

伝説や民話というのは、
要するに昔の出来事が想像力で変容した姿ですから、
そうした変容を今に繋がる時代にも応用しよう、
というのがマジックリアリズムの1つの趣旨です。

「百年の孤独」では、
鉄の貞操帯を付けられた女性や、
空に舞い上がって消えてしまう人間、
妖しい物売りや物忘れの奇病などが登場しますが、
それはそのままで描かれながら、
実際の出来事が置換された姿でもあるのです。

現実を幻想化して歴史を語る、
というのがこうした物語の魅力です。

一方で「フォレスト・ガンプ」という映画があって、
これはアメリカの戦後史を、
マジックリアリズム的な雰囲気で描いた物語ですが、
現実のニュースフィルムを多用したりして、
歴史的出来事自体を、
想像力で置換しているのではありません。

「赤朽葉家の伝説」は、
如何にも「百年の孤独」っぽい感じで始まるのですが、
実際にはその手法は「フォレスト・ガンプ」に近くて、
鳥取にある紅緑村という架空の村を舞台としていながら、
東京オリンピックや石油ショック、
バブルとその崩壊、受験戦争やいじめなどの世相が、
大新聞の解説みたいな口調で、
随所で並行して語られます。
「あの頃の人は愚かなので、こうしたことに気付きませんでした」
のような「少年H」的な解説もあります。

それでいて、
山の上にそそり立つ、
赤い大邸宅が製鉄業を営み、
山の民の末裔の女性が、
未来を見通す千里眼を持っている、
というような伝奇的な設定で物語は展開されるので、
幻想的な物語と現実の戦後の歴史が、
非常にちぐはぐな感じになって、
読んでいると違和感があります。

たとえば、相続の問題などは、
旧家の存続に関わる筈ですが、
完全にスルーされていて、
リアルさが皆無です。
それでいて、時代の説明などは具体的でリアルなものなので、
どうもへんてこな感じになるのです。

更には伝奇的な部分に、
あまり面白みがありません。

主人公の1人の万葉という女性には、
千里眼があって、
最初の生んだ子供が生まれた瞬間に、
その死までの一生を全て見通してしまい、
その子が20歳余で早逝することに苦悩するのですが、
謎めいた感じで未来が見える割には、
それが「謎」として物語に絡むのは、
最初に登場する「飛ぶ男」だけで、
後は別に未来の情景が現実化しても、
何の驚きもなければ謎もないのでガッカリします。
「未来視」や「予言」というものの持つ、
ワクワクするような感じがまるでないのです。
山や旧家の持つ神秘的なパワーのようなものが、
もっと魅力的に描写され、
それが無くなって行く経緯も、
もっと説得力を持って示されないと、
こうした設定を作った意義が乏しいように思います。

端的に言えば、
今回の作品のようなストーリーラインであれば、
別に幻想的な要素や神秘的な要素は必要なく、
もっとリアルな田舎の旧家の話にした方が、
より良いように思われるのです。

現実と不可分の幻想を描くことに、
桜庭さんはあまり長けていないように、
個人的には思いました。

もう1つ読んで強く感じたのは、
前半に濃厚に漂うジブリ作品の影響で、
得体の知れない丸顔のおばあさんとか、
たたら場としての製鉄の描写とか、
山の神との対立とか、
山の裾からボンボリが点灯して行くところとか、
ジブリ映画そのものです。

どうも懐かしい日本というようなイメージは、
ジブリに汚染され刷り込まれてしまって、
他のイメージは滅んでしまったかのようです。
戦後は映画の黄金時代で、
幾らでも当時の画像は残っているのですから、
もっと別箇のイメージが、
あるべきではないでしょうか?

総じて非常な力作で意欲作だと思いますし、
僕自身も久しぶりに一気読みしました。
ただ、家族劇としての密度も、
西加奈子さんの「さくら」に遠く及ばないような気がしますし、
過激さを抑えて万人向けのテーマを展開したことで、
何処か借りて来た猫のような作品になったことも、
否めないように思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。

健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣

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  • 作者: 石原藤樹
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
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