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瀬尾まいこ「そして、バトンは渡された」 [小説]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
そして、バトンは渡された.jpg
最近は小説というと、
映画の予習で読むことが多くて、
この小説は2019年本屋大賞受賞作ということで、
本屋大賞受賞作というのは、
基本的には僕向きではないことが多いので、
スルーすることにしているのですが、
映画が公開されるということで、
その予習として読むことにしました。

それと言うのも、
複雑な家庭環境の女子高生を主人公とした、
単純な家族の感動物語なのかと思っていたら、
映画の予告では、
「この家族には命懸けで守っている秘密がある」
みたいなナレーションがあって、
キャストが号泣したり茫然としたりしているので、
これはひょっとしたら、
誰かと誰かをこうした関係と思っていたら、
実は本当はこれこれであったのを、
何十年も隠していたのよ、
みたいな、驚いて感動みたいな話なのかしら、
東野圭吾の「秘密」みたいなあれかしら、
と妄想が膨らんでしまい、
それなら読まねばと思って、
連休を利用して、
結構じっくり読んでみました。

そうしたらね…

勿論悪くはなかったのですよ。
とても素晴らしい作品ではあって、
上白石萌音さん絶賛ということで、
それはさぞや感動されたことでしょう、
良かったですね、という感じなのですが、
あまり僕向きの話ではなくて、
つまり家族と人間の絆の素晴らしさを高らかに歌い上げるという、
本屋大賞受賞にふさわしい、
王道の作品であって、
特に内容にひねりなどはなく、
ラストは結婚式ですから「秘密」と同じなのですが、
別に秘密が明らかになるようなことはなく、
そのまま終わってしまいました。

オープニングだけ語り手が変わるんですね。
それって、如何にも叙述トリックがありそうでしょ。
意味もなく少し期待をしてしまったのですが、
別にそうした意味ではありませんでした。

ただ、勿論このお話はそれで良いのですよね。
映画の宣伝の仕方が酷いだけなのです。
こういうミスリードな宣伝は絶対しちゃいけないですよね。
まあ映画を見たら、原作にないどんでん返しがあって、
実は私が本当のお母さんなのよ、みたいに言われたり、
僕と君とは実は兄弟なんだよと言われたり、
僕はもう10年前に死んでいるんだよ、
みたいに言われたら、それはもうびっくりしますが、
多分そうしたことはないのだと思います。

以下少しネタバレがありますので、
これから読まれる予定の方は、
読了後にお読みください。

主人公は幼い時に母親に捨てられるのですね、
まあ義母ではあるのですが、
本当の母親は3歳の時に亡くなっているので、
母親と言って良い人に捨てられるんですね。
普通「その恨みを持ち続けて…」みたいなお話が定番でしょ。
それがそうならないんですね。
あのお母さんのおかげで、
いつも笑っていられる人になれた、
みたいに肯定しているんですね。
そんなことあるかよ、という気もチラリとするのですが、
主人公の造形に説得力があるので、
なるほど、と感じる部分もあるのです。

で、その主人公が、
高校生になって、
30代の男性を「父親」にして、
2人だけの家族で暮らしているんですね。
東大出のエリートサラリーマンで変人で、
一生結婚出来なさそうな人なんですが、
それを主人公を捨てた奔放な母親が、
敢えて選んで家族にしてしまったんですね。

なるほど。
評判になるだけあって、
その人間関係の捻り方と、
人物の配置の仕方に妙がありますね。
途中で主人公はイジメにあうのですが、
それを若い「父親」に全部話すんですね。
別に話したから解決する訳ではないのですが、
全て話しているうちに、
そう大したことのないことのように、
思えて来て、
そのうちに大したことなくなってしまうんですね。

これも、
「そんなことあるかよ。イジメってもっと底なし沼だぜ」
というようにチラリと思うのですが、
これはこれでいいんですね。
「隠さずに家族に話せばイジメも解決する」
というお話なので、
そのままだと、
そりゃないよ、と思うのですが、
その家族を何回目かのお父さんにして、
それも変人にしているのがクレヴァーなんですね。

つまり、不自然な設定を、
敢えて重ねることで自然に感じさせてしまう、
という結構な荒業なのです。

これ映画にするなら誰をキャスティングしますかね?

先に映画の予告を一度見てしまったのですが、
不思議と誰が出ていたのか忘れてしまったので、
もう一度考えてみました。

主人公は清原果耶さんか中山杏奈さん辺りかしら。
本当は本物の17歳を、
オーディションで選びたいところですね。
わざとらしくしたくないですもんね。
変人のお父さんは、
これはもう田村健太郎さんの一択なんですね。
読んでいてそのイメージしか浮かびませんでした。
二度目のお金持ちのお父さんは小日向文世さん。
奔放な義母が難しいのですが、
瀧内公美さんが今だと悪くないのじゃないかしら。
後は「Mother」の印象があるので、
長澤まさみさんも、
悪くないかも知れません。

それで映画のサイトで答え合わせをすると、
「ああーっ…」という感じでしたね。
特に主人公と義母のキャストは、
気持ちは分かりますが、
無理がありますよね。

そんな訳であまり僕向きの小説ではなかったのですが、
それなりに楽しむことが出来ました。
この小説がお好きな方には、
失礼があったかも知れません。
個人の好みということで、
お許し頂ければ幸いです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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佐藤正午「ジャンプ」 [小説]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ジャンプ.jpg
佐藤正午さんの2000年刊行の傑作「ジャンプ」です。

佐藤正午さんはこの作品を最初に読んで、
ちょっと仰天するくらいの感銘を受けました。

それで今度は処女作から順番に全ての作品を読もうと思いました。

これまでそうやって全作品を読んだのは、
トルストイ(翻訳のみ)、芥川龍之介、松本清張(沢山あり過ぎて大変)、
村上春樹、西加奈子、万城目学(少ししかないので楽)、
くらいなので滅多にはないことなのですが、
これが結構大変で、すぐ挫折しました。
初期作はともかく読みにくくて、
文章のリズムが合わないんですね。
それで大分飛ばして「Y」を読んだら、
これはまあ、あまり良くはないけど、
そう悪くもないな、と思って、
「ジャンプ」以降の作品を読むと、
こちらはもう抜群なんですね。
「5」も「アンダーレポート」もとても素晴らしくて、
こりゃ大事に読まないと勿体ない、
という気分になって、
本は一通り買ってあるのですが、
「鳩の撃退法」も「月の満ち欠け」も、
まだ読まないで大切に取ってあります。
どうせ傑作でしょ。
読まなくても分かります。

でも、「鳩の撃退法」が映画化されるとのことなので、
その公開までには「鳩の撃退法」も読まなければいけなくなりました。
こうした時には映画化やドラマ化というのは、
こちらのリズムを乱すので、
とても迷惑です。

「ジャンプ」はね、
主人公のガールフレンドが、
ある夜にリンゴを買いに行ったまま失踪してしまって、
その原因が全く分からなくて、
彼女を探し続けるという話なんですね。

タッチとしてはハードボイルドなんですね。
チャンドラーにしてもロス・マクドナルドにしても、
ハードボイルドの物語の始まりは失踪ですよね。
それも圧倒的に女性の失踪で、
それを男が探そうとするうちに、
犯罪事件に巻き込まれ、
「これ以上あの女を探すな!」みたいに、
ギャングの用心棒に脅されて、
リンチを受けて死に掛けるのですが、
それでも主人公は女を探すのを止めない、
というようなお話です。
そしてラストでは決まって主人公は愛する誰かを失い、
意外で悲しい真相が露わになるのです。

この「ジャンプ」もその感じで物語は進むのですが、
別に主人公は殺されかけるということもなく、
比較的のんびりとした捜索劇が続きます。
でも、何故彼女はあの時姿を消して、
そしてずっと自分から姿を隠したままでいるのか、
という謎は、
かつての名作ハードボイルドに引けを取らない、
魅力的な人生の難問であり続けるのですね。

平凡な人生の謎が魅力的な物語に姿を変える、
これが多分佐藤正午さんの作品の、
根幹にある面白さです。
そして、それが最もシンプルな形で、
最初に姿を見せた傑作が、
この「ジャンプ」なんですね。

ラストに主人公はこの物語の解決を手にするのですが、
それは人生そのもののように、
切なくて苦いものなのですね。

この作品は決してミステリーではないのですが、
ミステリーの原型を見るような、
そうした凄みのある意外な結末が、
「ジャンプ」のラストにはあります。

ただ、どうなのかな、
このラストは読者を選ぶところがあって、
とても感銘と衝撃を受ける人もいれば、
「ふーん、それで…?」
というくらいの感想しか持たない人もいると思います。
そうした人にとってはこの作品は、
駄作ではないけれど、
もったいぶっている割に左程面白くはない、
というような評価になりそうです。

これはもうその人の人生の考え方による違いだと思うので、
勿論どちらが正解ということではなくて、
僕はとても感銘を受けたのですが、
そうした読み手によって印象は変わるタイプの作品なのだと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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「ケストナーの長ぐつをはいたねこ」 [小説]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診ですが、
死に物狂いでレセプトをやらなくてはいけない、
という感じです。

何かねえ、調子は良くないんですよね。
まず腰が痛くて仕方がありません。
色々な意味で人生のタイムリミットが近いのかな、
今どうにかしないともうどうにもならないのかな、
というようには思えるのですが、
なかなかどうも踏ん張りがききません。
でも毎日このまま過ぎて行くようでは、
無為に過ごすことにもうあまり意味がないな、
というようには強く思えるので、
どうにかこうにか、
エンジンを掛けてはゆきたいと思っています。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ケストナー 長ぐつをはいたねこ.jpg
最近の一番の喜びは、
この「ケストナーの長ぐつをはいたねこ」の絵本を、
古書で手に入れることが出来たことです。

これね、有名なエーリヒ・ケストナーが、
有名な古いお話しを自分の言葉で書き直して、
挿絵を特別に頼んで絵本にしたシリーズの1作なのですね。

本国ドイツで1950年に刊行され、
日本版は1967年に出版されています。

子供の時にこのシリーズの、
「長ぐつをはいたねこ」と「ほらふき男爵のぼうけん」が家にあって、
何度も何度も読んで、
その言い回しに、
その言葉に熱烈に恋をしたのです。

僕の読書の初体験で、
最初の愛読書になった1冊でした。

お話は勿論同じなんです。
同じ「長ぐつをはいたねこ」なんですが、
語り口が違うのです。
同じ話がその語り口だけでこれだけ変わるのかと思うと、
それはもう「言葉」の魔法を感じる思いがします。

それが当時の僕は大人になるにつれ、
この素晴らしい本に一時期興味を失って、
いつしか本は何処かに消えてしまったのです。

しまった、
あの宝物を取り戻さなくちゃ、
と思った時は後の祭りでした。

その後1993年に筑摩書房から、
ケストナーの「ほらふき男爵」という単行本が出て、
これは絵本6冊を新訳で再構成したものでした。
2000年には新書版でも再販されています。

これを新刊で本屋さんで見た時には興奮しました。

あの子供の日の感動に再会できると思ったからです。
その帯には「名訳で贈る」と書かれていたので、
その思いは更に高まりました。

ところが…

読んでみると、どうもおかしいのです。

その「名訳」と帯に書かれている新訳は、
明らかに僕の読んだ「長ぐつをはいたねこ」ではなくて、
まがい物の偽物でした。
僕の愛読書の文章とは別に、
新たに他の訳者が翻訳し直したものだったのです。

そう思ってみると、
自分で「名訳で贈る」というセンスが、
ちょっと傲慢で酷いとも思いました。

幾ら出版社から「こうした帯にしますよ」と言われたって、
「いやいや自分で名訳と言うのはちょっと…」
と言うのがまっとうな考え方ではないでしょうか?

今回多分50年ぶりくらいに「本物」と再会して、
その思いを強くしました。

ちょっと実例をお示しします。
物語のオープニングです。

まず、1993年の新訳から…

「むかし、ひとりの粉屋がいた。粉ひき小屋には風車があった。三人の息子がいた。あたりまえの話だが、息子たちは、ちいさいときから粉ひき小屋で働いてきた。食べさせてもらうのだ、給金はなし、三年に一度、新しい服がもらえる。こともなく毎日がすぎていった。それからもずっと、同じように日がすぎていくはずだった。ところが、そうはならなかった。ある日、粉屋であれ王であれ、だれにも訪れるおむかえがきた。病いの床について、そのうち、死んだ。」

どうでしょう。
これだけ読むと、
こんなものかな、と思いますよね。
可もなし不可もなし、という感じでしょ。

それでは1967年の僕が惚れ込んだ翻訳から…

「むかし、あるところに、粉屋がおりました。粉屋は、風車のついた粉ひき小屋に、三人のむすこといっしょに、住んでいました。三人のむすこは、あたりまえのことですが、小さいときから、父おやの粉ひき場ではたらいていました。そして、そのかわりに、父おやから、たべるものと、のむものと、そして、三年ごとに新しいようふくとをもらっていました。それで、みんなうまくいっていましたから、まだまだ、そのままやっていけそうでしたが、あいにく、そうはいきませんでした。というのは、ある日、粉屋は、粉屋だろうが王さまだろうが、人間ならだれでも、いつかは、めぐりあうことに、めぐりあったからです。つまり、粉屋は、とこについて、死んでしまったのです。」

どうかなあ。
それほど違いがないと思いますか?

僕の大好きな翻訳はね、
今思うと直訳ではなくて、
かなり饒舌なんですね。
繰り返しのリズムを大事にしていて、
語り聞かせでリズムを奏でるように出来ているんですね。

子供の時に、
「粉屋の生活がある日変わってしまった。誰にも訪れる何かが来た」
というところで、
「えっ、何が来たんだろう」
と思って、
「粉屋(父親)の死」というショッキングなどんでん返しがあって、
それでとてもショックを受けたんですね。

これね、
これだけで1つの作品、
1つのショートショートみたいにオチがついているんですね。

しかもそのオチが、
子供には底知れない謎である、
「死」なんですね。

素晴らしいセンスだな、と思います。

それに比べて新訳はね、
多分これが直訳なんですね。
その通りに訳しているのです。
でも、絶対に古い訳を読んでいますし、
それに影響を受けているでしょ。
「粉屋」とか「とこにつく」とか、
直訳で出て来る言葉ではなくて、
昔の訳を読んでいるから出ていますよね。
それでいて、なるべく旧訳を変えようという意図があるので、
文章にリズムがなくなっているんですね。

控え目に言って、台無しだと思います。

しかもね、
新訳の訳者は、
この短い章が、
ショートショートだということに気づいていないんですね。
「父親の死」というオチが、
子供にとって意外でショッキングだということに、
気づいていないんですね。
だから最後の1文の前に、
「おむかえがきた」という言い方で、
先にネタを割ってしまっているのです。

そこが一番の違いだと思います。

最近は古い作品を今の言葉で訳し直して、
「新訳で面目を一新」みたいなのが多いですよね。
でも、どうなのかな。
日本語というのはどんどん劣化している言葉ですよね。
社会も劣化していてとても進歩しているとは思えませんが、
言葉も劣化してどんどん駄目になっていますよね。
そもそも古い作品は古い時代のものなのですから、
別に新しくすることが良いことではないのではないかしら。
それを翻訳した古い日本語に出逢うことも、
大切なことではないかしら。
そんな風に思いました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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佐木隆三「身分帳」 [小説]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも須田医師が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
身分帳.jpg
2021年に西川美和監督が、
「すばらしき世界」という題名で公開する新作映画の原作、
佐木隆三さんの「身分帳」を、
この間の連休に読みました。

これは不遇な生い立ちから10代から犯罪を繰り返し、
その半生の殆どを刑務所の中で過ごした、
実在の人物の満期出所後の人生を描いた作品で、
佐木隆三さんは実際にその人物と交流し、
取材を重ねてこの作品を書き、
モデルとなる人物が生きているうちに刊行されているのですが、
主人公の名前は変えられていますし、
実際には主人公に介入していた作者の存在は、
ないものとして書かれています。
つまり、事実を元にしてはいますが、
ノンフィクションではなく小説なのです。

主人公はかなり癖の強い人物ですし、
暴力沙汰や訴訟、恫喝は日常茶飯事ですから、
ある程度は本人を美化する部分がないと、
本を出すことに同意が得られるとは思えません。
従って恣意的に事実は改変された部分はありそうです。
こうした手法は、
現在ではおそらく成立しないもののように思います。

その是非についてはともかくとして、
作品自体は非常に魅力的です。
驚くほど純粋で理論的でもありながら、
直情的で暴力的で抜き身の刀のような部分のある主人公の造形は、
実在の人物ならではの凄みがあります。
周辺の市囲の住民との交流が、
また滋味深く素敵なのです。
清濁併せ飲むというのか、
個々の人物がとても人間的に、
良いところも悪いところもあり、
またその時々の気分によって、
相手に対する対応も変わる人物として、
良い意味でも悪い意味でもいつも態度の一貫している主人公と、
明瞭な対照を見せています。

映画版ではこの主人公を、
役所広司さんが演じるとのことで、
これはもう当代の役者さんの中では、
間違いなくベストのキャスティングなので、
とても愉しみです。

ただ、映画は原作の昭和61年という時代背景を、
現代に移すとしていて、
その点は非常に心配です。

果たしてこの、
如何にも昭和という物語が、
現代で成立するのでしょうか?

今の時点では、
とても成立しないように思いますが、
そこは手練れの西川美和監督のことですから、
見事に換骨奪胎された「身分帳」の世界を、
まずは期待して公開を待ちたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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大島真寿美「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」 [小説]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも中村医師が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
渦.jpg
第161回直木賞を受賞した、
大島真寿美さんの「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」を先日読了しました。

人形浄瑠璃の全盛期から少し遅れて登場して、
極めてマニアックで技巧的で複雑怪奇で魅力的な作品を多く残した、
希代の天才戯作者、近松半二の人生を、
連作短編的な形式で、
語り物的な上方訛りの軽快な文体で活写した作品です。

どんなものかなあ、と思いながら、
恐る恐る読み始めたのですが、
その文体のリズムに魅せられつつ、あら不思議、
2日掛からずにほぼ一気に読んでしまいました。

とても面白い小説であることは間違いがありません。

どちらかと言えば、
歌舞伎や文楽について一定の知識はあった方が、
楽しめる作品であることは確かです。

題名にもあるように、
近松半二の代表作の1つである「妹背山婦女庭訓」が、
完成するまでのいきさつが、
全編のクライマックスといって良いので、
それが実際にどのような作品であるのかを知っていた方が、
より作品の勘所が、
深く鑑賞出来ることは事実です。

近松半二は人形浄瑠璃の戯作者ですが、
「妹背山婦女庭訓」の後半部分は歌舞伎味が強く、
それがこの小説では、
後半の完成に歌舞伎の戯作者が加わるという設定を作って、
マニアがなるほどと思うような物語にしています。
さすがと感じました。

ただ、一読後に振り返ってみると、
少し疑問に思うようなところもあります。

近松半二の代表作の1つが、
「妹背山婦女庭訓」であることは間違いがありませんが、
その成立の2年前には、
「一ノ谷嫩軍記」をより複雑化して、
万華鏡のような唯一無二の壮絶な自己犠牲の連鎖を完成させた、
「近江源氏先陣館」と、
翌年にはその後編に当たる「鎌倉三代記」があり、
その3年前にはミステリー的構成に耽美趣味を絡めた、
「本朝廿四孝」という名作があります。
つまり、この間の8年余りは半二の全盛期で、
どれが代表作と言っても過言ではありません。

それを「妹背山婦女庭訓」1作に、
集約してしまったところに、
この小説の作為のようなものがあるのです。

この作品は演劇の戯作者というより、
小説家の苦悩と孤独を掘り下げたものだと言って良いと思います。

孤独な創作の現場という点では、
とても説得力を持ち、
人生と創作との葛藤のようなものに、
そのしみじみとした哀感に、
心が揺さぶられるのですが、
人形浄瑠璃の集団創作の現場として見ると、
いささか現実離れをしているようにも思えます。

これはあくまで作家の想像力の範疇の物語で、
集団創作の実際とは異なる世界なのです。

そうした不満は少しあるのですが、
人形浄瑠璃という語りの世界を、
現代的な語り物の技巧の中で再現した、
一気読み必死のリーダビリティに溢れた1作で、
小説ファンと文楽・歌舞伎ファンのいずれにも、
自信を持ってお薦め出来る逸品です。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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本谷有希子「静かに、ねえ、静かに」 [小説]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
静かに、ねえ、静かに.jpg
本谷有希子さんが2018年に刊行した、
3つの短編からなる作品集を読みました。

これはつい先日この本の巻頭にある、
「本当の旅」という作品を元にした、
本谷さん自身の演出によるお芝居を、
鑑賞したので興味を持って読んでみたものです。

本谷さんは演劇の人という思いがありましたし、
食わず嫌いで小説は読んだことがなかったのですが、
この作品はとても面白くて一気に読んでしまいました。

以下少しネタバレしますので、
作品を読了後にお読み下さい。
面白いです。

これは3つの連作的な短編集なのですが、
いずれも比較的最近世間を賑わした、
「事件」を想定して、
そこに至るまでの当事者の心理を、
繊細かつやや扇情的に綴ったものです。

海外であまりに無防備な旅をした若者が、
被害に遭ってしまうお話と、
酔っ払って車の下で寝ていた家族を、
ひき殺してしまう話、
そしてファミレスで不潔な行為をわざわざして、
それを動画で拡散してしまうという話。

そのいずれもが、
テレビやネット、週刊誌で記事を見れば、
「なんでまあ、そんな馬鹿なことを」とか、
「ちょっと考えれば駄目だと分かりそうなものなのに」
と条件反射的に思ってしまうような、
DQNネタ的なものです。

それを心理的に丹念に分析し解きほぐして、
ひょっとしたら自分の人生にも、
こうした落とし穴が掘られているのかも知れない、
と思わせてしまうのが本谷さんの技巧の鮮やかさです。

特に「本当の旅」の、
他人の善意を信じる、という執着、
そして「でぶのハッピーバースデー」の、
自分は幸福になってはいけない、という執着は、
読了後に生々しく後を引きます。

こうして読むと傑作と言って良い「本当の旅」なのですが、
この間観た舞台版は、
何か無理に若者の気持ちを理解しようとして、
それを老人に対して、
「ほら、今の若者というのはこうした奴らですよ、馬鹿でしょ」
と媚びているようで、
ちょっと鼻持ちならない感じがしたのです。

小説は決してそんな感じはしないのに、
生の役者が演じる舞台というのは不思議だなあと、
見比べてそんなことを思いました。

こうしたところが、
芝居と小説の本質的な違いなのかも知れません。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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村上春樹「騎士団長殺し」 [小説]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも、
石原が外来を担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
騎士団長殺し.jpg
村上春樹さんの新作長編小説を読みました。

村上春樹さんの小説は、
「海辺のカフカ」以前のものについては、
長編、短編、エッセイ、ノンフィクションを含めて、
一応全て出版されたものは読んでいて、
その後も「1Q84」などの長編は読んでいます。

僕の好みは一番は「羊をめぐる冒険」で、
次が「ノルウェイの森」、
そして「羊をめぐる冒険」の続編に当たる、
「ダンス、ダンス、ダンス」です。

今回の作品は「顔のない男」のプロローグが、
とても意味ありげで良く出来ていて、
その後の何かが起こるような予感だけがあって、
結局何も起こらないまま時間が過ぎてゆくような前半が、
ちょっと「ダンス、ダンス、ダンス」を思わせて、
悪くない感じです。

今回は語り口としては、
単一視点で作者を思わせるような主人公が出て来て、
妻がどうして浮気しただの何だのと、
喪失感を絡めたいつもの愚痴が連発するので、
「ああ、懐かしいなあ」という感じに囚われます。

それが中段で話が動き出すと、
話の底がとてつもなく浅くて何の工夫もないので、
「まさかこの調子で終わりになってしまうのかしら」
と読みながら不安に駆られるのですが、
結局そのまま大ガッカリで作品は終わってしまいます。

プロローグの「顔のない男」は、
確かに後半で登場するのですが、
ほんのちょっぴりの登板であまり活躍はなく、
「バイオハザードにローラが登場!」
と同じくらいのインパクトです。
プロローグにそうちゃんと繋がる訳でもなく、
単純につかみのためのオープニングだったようです。

読了後の感想としては、
結果的には「1Q84」よりかなり質が低く、
変てこりんな「色彩を持たない、多崎つくると、彼の巡礼の年」より、
読みやすいのですが内容には乏しいように感じました。

単純に出来が悪いということよりも、
村上さんの脳内劣化というか、
ひょっとしたら今の村上さんの頭の中は、
この程度のことが渦巻いているだけの荒野なのかしら、
と思うととてもつらい気持ちになりました。

村上さんと言えば、
凝ったレトリックが身上と思うのですが、
今回の作品では、
「カントが時間通りの散歩をしていて、
カントを見て村の人が時計を合わせた」
というような、
教科書に載っているような話をわざわざ出して来たりして、
何処か、おかしくなってしまわれたのだろうか、
と不安に感じるようなところもありました。

またオペラの話が結構出て来るのですが、
「ドン・ジョバンニ」にしても「薔薇の騎士」にしても、
これなら僕の方がもう少しは詳しいよ、
というくらいの知識が披露されたりしていて、
かつて村上さんの博識とディテールに、
とても感心しのめり込んでいた者としては、
その辺りもとても切なく感じました。

食事の話題も村上作品の定番ですが、
かつてはカリフラワーのソースのパスタとか、
サンドイッチとオムレツが美味しいバーなどに、
僕も食べたいなあ、お洒落だなあ、と思っていたのですが、
今回の作品でも主人公は、
パスタとサンドイッチばかりを食べているので、
それはあまりに芸がないし、
何より栄養バランスもひどいじゃないか、
と凡庸さにもガッカリしてしまいました。

以下内容にも少し踏み込みます。
未読の方はご注意下さい。

主人公は36歳の肖像画家で、
妻から一方的に別れを申し渡され、
「ノルウェーの森」のように、
東北から北海道を1人で彷徨った後で、
友人の父親で日本画の大家が暮らしていた古い小田原の家に、
1人で暮らすようになります。

その大家の画家は、
かつては洋画家であったのですが、
留学先のドイツで丁度オーストリアを併合したナチスの「悪」と対峙し、
挫折して日本に戻り日本画家に転身して成功したという経歴があり、
今は認知症で老人ホームに入っています。

家の谷を隔てた向かい側には、
免色渉という謎の大金持ちの男がいて、
彼から突然自分の肖像画を描いて欲しいという依頼を受けます。
同じ時期に家の屋根裏から、
老大家が秘密にしていた「騎士団長殺し」という絵が見つかり、
そこには日本古代の装飾で、
オペラの「ドン・ジョバンニ」の最初の場面、
ドン・ジョバンニが愛人の父親である騎士団長を殺す、
という場面が描かれています。
それから、家の外の祠から謎の鉦の音が聞こえてくる、
という怪異があり、
祠の後ろの石の塚を掘ると、
その底に石室のような空間が現れます。
これは春雨物語の「二世の縁」を元にした趣向です。

ここまではまあまあ悪い感じでもなく読み進めました。
「二世の縁」は鈴木清順監督が怪奇劇場アンバランスで撮った、
「ミイラの恋」という作品がカルトとして心に残っていて、
これは凄みのある現代怪談でした。
中に入れ子のように「二世の縁」が挟まっているのです。
村上さんが見ているのかどうかは分かりません。
「ドン・ジョバンニ」は馴染みのあるオペラで、
それほど好きな作品ではありませんが、
結構回数は聴いています。

物語の構造的には「ねじまき鳥クロニクル」に近く、
何も起こらず何かの予感だけが続く感じは、
「ダンス、ダンス、ダンス」に近いのです。

ただ、どうなるのかと思うと、
石室を開放した後で、
身長60センチくらいの騎士団長の姿をした人物が、
主人公にしか見えない幻覚として登場し、
自分はイデアである、と名乗るので、
オヤオヤという感じになります。

日本軍とナチスが過去の邪悪なものとして登場しますが、
それと対決する、という感じの話にはなりません。
その後もまったりと平坦に話は続き、
免色の娘かもしれないという少女が登場して、
その少女が姿を消す、
というのが全編のクライマックスになります。

実際にはただ免色の屋敷に忍び込んで、
数日出られなくなっただけの顛末なのですが、
主人公は騎士団長に命じられるまま、
老人ホームに老大家を見舞って、
その眼前で騎士団長を包丁で刺し殺し、
それによって異次元の扉が開くと、
メタファーの世界と言う何だか分からない世界を彷徨います。
最終的にはその旅は石室に出ておしまいで、
少女はそのまま帰って来てそれでおしまいです。

ラストになって身重の妻が戻って来て、
主人公は復縁し、
娘に何かを伝えようとするところで物語は終わります。

ラストは2011年の震災の時ということになっていて、
プロローグの意味もはっきりしませんから、
「1Q84」のように第3部があるような嫌な予感もします。

村上さんは「アンダーグラウンド」でオーム事件を描き、
それをフィクション化した試みが「1Q84」だったと思うのですが、
今回も多分2011年の震災を村上さんなりにフィクション化したい、
と言う思いがあって、
その前段としてこの作品を書いたのかな、
というようにも感じるのです。

トータルには色々な怪異が登場しますが、
「となりのトトロ」と同じように、
最終的には少女が行方不明になって、
怪異が総動員して少女を探し、
見つかるとそれで終わり、という具合になっています。

石室は「ねじまき鳥クロニクル」の井戸と同じで、
別空間への出入り口になっていて、
今回は「1Q84」と同じ病室が、
もう1つの出入り口と繋がっているという趣向です。
ただ、村上さんのこれまでの作品とも共通する特徴として、
異空間に入ってもあまり大したことは起こらず、
今回はそのイメージもかなり平凡な上に、
数日間行方不明だった少女が出て来るだけのことなので、
読んでいても脱力してしまうのです。

まあ、これまでの村上作品のエッセンスが、
色々な意味で詰まった作品であることは確かで、
その意味でとても懐かしい作品ではあるのですが、
かなり劣化して総登場するという具合になると、
かつてのファンの1人としては、
何か空しく切ない思いにとらわれてしまうのです。

毎回村上作品を読まれているファンのみにお勧めです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

伊藤計劃「ハーモニー」 [小説]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。
今日も遅い更新になってしまいました。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
ハーモニー.jpg
34歳で癌のために亡くなったSF作家、
伊藤計劃さんの作品を、
遅ればせながらまとめ読みしました。

完成された長編は2編のみで、
「虐殺器官」とこの「ハーモニー」です。

僕は「虐殺器官」の方は、
あまり乗らなくて、かなりしんどい思いで読了したのですが、
この「ハーモニー」はなかなか面白くて感銘を受けました。

健康がテクノロジーで管理された世界で、
何故か突然に集団自殺事件が起こるというストーリーが魅力的で、
「人間の意識そのものが悪である」というテーマも斬新です。

医療ネタの一種でもありますし、
僕の大好物の話です。

「虐殺器官」の方は、
「虐殺言語」という、
内戦や民族紛争、
それに伴う集団殺戮を自動的に生じさせるような、
言語の体系がある、という話で、
それはそれで面白いのですが、
シリアの内戦やISの脅威などの今の世の中を見ると、
そうした「暴力」の説明には、
それはなっていないので、
その意味で違和感をもってしまうのです。
その一方「ハーモニー」のの、
「自我の誕生こそ不幸の本質で生命の正統な進化を脅かす」
という主張は、
今の社会においても、古びてはいないと思うのです。

この両作品において、
ラストでは「究極の未来」が実現してしまうので、
その辺りの構想力は面白いなあ、
と思います。

いずれにしても、
「人間がテクノロジーの粋を集めて建造した、
100%安全なユートピアに、
何故か自殺やシリアルキラーが横行する」
というのは僕が非常に魅力を感じる筋立てで、
何かこうした方向で新しい物をひねり出せないかと、
日々頭をひねっているところなのです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

品田遊「止まりだしたら走らない」 [小説]

こんにちは。
石原藤樹です。

今日から診療所は夏季の休診になります。
今日はこれから奈良に行く予定です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
止まりだしたら走らない.jpg
ツィッターで有名なダヴィンチ・恐山さんが、
別名で書いた処女小説です。

これはある方が、
後半にどんでん返しのある、
素晴らしく技巧的な小説、
のように褒めていたので、
叙述トリックには目がない方なので、
読んでみたのです。

中央線沿線を舞台にした、
人生スケッチ的な短編が続き、
それと並行して、
2人の大学生が高尾山に向かう、
もう1つの物語が挟み込まれます。

短編には面白いものもあり、
昔SFを読んでいた者としては、
筒井康隆さんや星新一さんの諸作を、
思わせるものがあるのが、
微笑ましい感じがします。

それと並行する物語の方は、
何か謎めいた感じはするのですが、
的が絞れそうで絞れません。

もう少しで終わりというところまで読み進めましたが、
天地がひっくり返るような大どんでん返しが、
待っているようには到底思えません。

これでどうなのかしら、
と思ったところで、
おや、という感じの小ネタがあり、
脇筋の方にちょっと捻りが入ります。

これが何とかして、
外の短編の世界とも結び付き、
驚天動地の結末に結び付くことを期待したのですが、
実際にはそうしたことはなく、
脇筋自体も無難な終わり方をして、
全編の終了となってしまいました。

才気は確かに感じるのですが、
短編の方にも出来不出来の差が激しく、
それほどバランスの良い感じにはなっていません。
そして、どんでん返しらしきものについても、
ミステリーでは定番の古いネタなので、
新味は全くありませんでした。

最初に読んだ絶賛の批評は、
読み返すと何となく宣伝の匂いがしました。

amazonの書評も絶賛のみでした。

どうも最近の読書事情はそうしたもののようですね。

それではそろそろ出掛けます。

お仕事の方は頑張って下さい。
お休みの方は良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

中村文則集成(その1) [小説]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日まで診療所は休診です。

休みの日は趣味の話題です。

最近中村文則さんの作品をまとめ読みしているので、
その作品を僕なりにご紹介します。

中村さんは芥川賞や大江健三郎賞、
野間文芸新人賞などを立て続けに受賞した、
新進気鋭の若手作家で、
ノワール(暗黒小説)としてはアメリカでも評価されています。

最近の作品の評価については、
色々な考えがあり、
また緻密な描写のものと、
良く言えば軽いタッチの、
通俗味に傾斜した作品とがあり、
その質にはかなりの差があります。

僕が自信を持ってお勧め出来るのは、
海外での評価も高い暗黒小説の「掏摸」と、
芥川賞を受賞した「土の中の子供」で、
初期作の「銃」と「遮光」も密度の高い力作ですが、
ラストの処理には疑問が残ります。

今日は初期作品を概説します。

①「銃」
銃.jpg
新潮新人賞を受賞した、
中村さんのデビュー作で、
破滅願望のある大学生が、
曰くのある拳銃を拾ったことから、
狂気へと傾斜する様が、
説得力を持った筆致で描かれます。

呪われた刀を拾った主人公が、
刀に支配されて人斬りになるような話は、
歴史物などで昔からあり、
それを換骨奪胎したような物語なのですが、
その主人公の破滅への軌跡が、
出鱈目で一貫性のない心理でありながら、
かなりの説得力を持っていて、
初出時に批判を受けて修正されたという、
かなり読みづらいオープニングを抜けると、
後は一気呵成に読むことが出来ます。

銃を撃ってしまえば、
捕まることはほぼ間違いがないのですし、
わざわざ普段から持ち歩いていれば、
見付かるリスクも高いのは明らかなのですが、
一面ではそう分かっていながら、
悪い方へ悪い方へと向かう心理が、
あまり作為的な感じではなく、
奇妙な歪みを持って続くのが心地良いのです。

ただ、主人公は衝動的で暴力的なので、
お友達には絶対になりたくないタイプです。

文章は決して上手くはないと思うのですが、
山場の張り方が上手くて、
拳銃の試し撃ちをするところと、
最初に人間を撃とうとするシークエンスは、
見事なタッチだと思いました。

矢張りしっくり来ないのは唐突なラストで、
これはないのじゃないか、
という感じで脱力を覚えることは確かです。

②「遮光」
遮光.jpg
野間文芸新人賞を取った第2作で、
基本的には処女作と同じ、
1つのものに執着する主人公の狂気への道程を、
執拗なタッチで描いた作品です。

ただ、主人公の造形はより深く描かれていて、
その狂気の描写を含めて、
間違いなく処女作より進化した作品になっています。

象徴的な白いワゴンの禍々しさを含めて、
ディテールも非常に磨かれています。

サイコスリラー的な感じもあり、
クックの異常心理小説に近い雰囲気もあります。
通常日本のこうした小説では、
脇役はあまり壊れていないことが多いのですが、
この作品では歪なキャラが周囲を固めていて、
その辺りもアメリカの犯罪小説に近い感覚なのです。
後年アメリカのミステリー界で、
彼の作品が評価されたのは、なるほどと思います。

性格の壊れ方にも、
母胎回帰的なウェットさがなく、
要するにマザコン的ではなく、
頭の中でウジウジと悩むより、
行動で壊れて行く感じなので、
日本的なドロドロを読み慣れていると新鮮に感じるのです。

ただ、中心となる主人公の、
死んだ恋人への異常心理については、
あまり説得力を持って感じられず、
取って付けたような印象があります。

また、ラストの暴力的なカタストロフは、
処女作と同様、かなり唐突で違和感があります。

ラストさえ変わっていれば、
強くお勧め出来る作品なのですが、
その点が個人的には惜しまれます。

③「悪意の手記」
悪意の手記.jpg
これは年代的には3作目の長編ですが、
これまでの2作品とは趣を異にしていて、
私小説では定番の手記の設定を取り、
難病で死に掛けた主人公が、
生死に対する屈折した心情の元に、
友人を殺してしまい、
その罪の意識と相対する、
という、今時どうしちゃったの、
というような作品です。

3つの手記からなる構成は、
太宰治の「人間失格」を彷彿とさせ、
ドストエフスキーの「罪と罰」や「地下室の手記」、
三島由紀夫の「仮面の告白」を思わせる部分もあります。

作者としてはこうした作品を書く事に、
意義があったのだと思いますが、
読む側としては平板で退屈で、
最後まで行き着くのに苦労しました。

ちなみに、
主人公が罹患する難病は、
初出時にはTTP(血栓性血小板減少性紫斑病)であったのですが、
実在の病名を使用することは問題があったようで、
文庫版ではTRP(血栓性血小板縮減性肥大紫斑病)
という架空のものに書き改められています。

医療知識はない作者だと思うので、
仕方のないことですが、
この架空の病名のセンスのなさは、
恥ずかしい感じがします。
ヘモグロビンの基準値がmg/dlになっているなど、
他にも誤りは所々に残っています。

④「土の中の子供」
土の中の子供.jpg
作者4作目のこの作品は、
芥川賞受賞作です。

これは「銃」、「遮光」の流れを、
より推し進めたような作品で、
主人公が前の2作品では抗うことなく放置していた、
過去のトラウマに真正面から向き合い、
それを克服する姿を、
感動的に描いています。

ややお行儀の良い、優等生的な作品ではあるのですが、
ダークで自滅的で暴力的な部分は、
しっかり残っていますし、
その上で前2作のような破滅的なラストではなく、
曙光の垣間見えるような終わりにしている点に、
作者の成長を見る思いがします。

この中編から短い長編くらいのボリュームの作品には、
およそ無駄な描写や展開というものがなく、
全ては計算されてそこにある、という気がしますし、
クライマックスの主人公が死に最接近するパートの、
盛り上げ方も凡手ではありません。

芥川賞に相応しい質感の作品だと思いますし、
初期の作者の代表作であることは間違いがありません。

これはお勧めです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。