日本のアングラ(その1) [フィクション]
今日から始まるこの、
愚痴のような自伝のような、
小説のような、エッセイのような、
得体の知れない断章は、
おそらく週に1回くらいこのブログに混ざると思うのですが、
「日本のアングラ」という、
今はもう失われてしまった、
僕にとっては本当に愛おしい存在に対する、
一種のレクイエムのようなものだとご理解下さい。
「日本のアングラ」は一般名詞であると共に、
固有名詞でもあり、
その時にはこの言葉は、
ある1人の人、かけがえのない1人の人のことを示す、
1つの暗号のようなものでもあるのですが、
そのことは追追また、
説明したいと思います。
どうしてこのようなものを、
唐突に書こうと思ったかと言うと、
アングラというのは、
要するにある種の「変容」のことであって、
常に変容し続けることこそが、
アングラの本質でもあるのですが、
年末から今年の初めに掛けて、
僕の身体には異変が起き、
全身に酷い湿疹が湧いて、
一向に収まる気配を見せず、
その最初の兆候を辿って行くと、
どうやら去年の10月19日に、
神保町の紅テントに、
唐組の「紙芝居の絵の町で」という、
芝居を観に行った時からのことで、
あの時に季節外れの蚊に、
両の腿をしたたかに刺され、
その時に出来た赤く膿んだ傷が、
この不調のそもそもの始まりのように、
強く思われたのです。
唐組を主催する唐十郎は、
僕は勝手に「唐センセイ」と呼んでいるのですが、
1960年代から今日までの、
「日本のアングラ」を結ぶ赤い糸の1本であって、
その糸がこの事態を呼び込んだのだとすれば、
多分ある種の変容が、
僕の身体に起こりつつあることの、
1つの兆しなのではないか、
僕の身体は今ゆっくりと何かに変わりつつあり、
もう今までの自分に戻ることはなく、
それがこの湿疹の正体のように、
密かに思われたのです。
僕はもっと早く変わるべきであった、
もっと早くに何かに回帰するべきであった、
と思いながらも、
これは変容ではなく滅びではないか、
という思いも一方では強くあり、
僕の肉体は既にその維持するべき何かを失い、
最終的には抗えない死という滅びに向かって、
その引き返せない一歩を踏み出したのが、
今回の出来事なのであって、
そこにはロマンもなければ甘い追憶もなく、
仄かな希望すらないのではないか、
という思いもまた、
影のように差すのです。
もしそうであるとすれば、
老いを意識して仄かな絶望を感じた男の、
これは単なる振り返りの感傷に過ぎないものなのかも知れません。
しかし、仮にそうであっても、
僕は今ここで書かなければならないと思うのです。
僕の頭の中に、
今確かに「日本のアングラ」は存在していて、
それはこのまま書くことをしないでいれば、
すぐに消去されてしまって、
僕の神経回路は、
決してもう、同じ信号を発することはなく、
次第にその機能を停止するように思われるからです。
前置きが長くなりました。
僕のいつもの悪い癖です。
「日本のアングラ」を、
今こそ語らなければなりません。
お手本はブローディガンの「アメリカの鱒釣り」です。
そうなると、
「日本のアングラ」も、
それを象徴するような、
1枚の写真から始めないといけません。
それがこちらです。
この写真には僕が映っていて、
それからもう2人の人物が映っています。
強い光が逆光気味に差していて、
実際には画面の外から照らされた1キロライトによって、
舞台は赤く染められています。
左端に映っている亡霊のような座った影は、
チェーホフの登場人物が間違って迷い込んだようにも見えますが、
僕が知る限り最高のアングラ女優で、
実名は伏せますが加奈子さんと呼ばせて下さい。
そして、中央に立つ異形の人物のポーズこそが、
「日本のアングラ」の、
ある種の象徴的な姿なのです。
この裸体でありながら、
何かを塗りたくったり、何かをぶら下げたりして、
過剰を装い、
恥ずかしげもなく屹立するその姿、
何よりその大きな疑問符としてのXを、
大きく虚空に刻み付けるが如きそのポーズが、
アングラの魂そのものなのです。
僕はあの時「日本のアングラ」と同じ舞台に立ち、
多分生涯で初めて、
アングラとは何かの象徴や記号でなく、
1つの実体のことだと、
知った気がしたのです。
たかが学生劇団の舞台でしたが、
僕はあの時本当に大切なものを見た気がして、
さっそく舞台が終わった後の飲み会の席で、
劇団の照明をやっていた下総さんにその話をしました。
下総さんはお猪口を手に、
ちょっと考え込むような表情をして、
「誰にも言っちゃだめだよ」
と言ったのです。
(次項に続く…)
愚痴のような自伝のような、
小説のような、エッセイのような、
得体の知れない断章は、
おそらく週に1回くらいこのブログに混ざると思うのですが、
「日本のアングラ」という、
今はもう失われてしまった、
僕にとっては本当に愛おしい存在に対する、
一種のレクイエムのようなものだとご理解下さい。
「日本のアングラ」は一般名詞であると共に、
固有名詞でもあり、
その時にはこの言葉は、
ある1人の人、かけがえのない1人の人のことを示す、
1つの暗号のようなものでもあるのですが、
そのことは追追また、
説明したいと思います。
どうしてこのようなものを、
唐突に書こうと思ったかと言うと、
アングラというのは、
要するにある種の「変容」のことであって、
常に変容し続けることこそが、
アングラの本質でもあるのですが、
年末から今年の初めに掛けて、
僕の身体には異変が起き、
全身に酷い湿疹が湧いて、
一向に収まる気配を見せず、
その最初の兆候を辿って行くと、
どうやら去年の10月19日に、
神保町の紅テントに、
唐組の「紙芝居の絵の町で」という、
芝居を観に行った時からのことで、
あの時に季節外れの蚊に、
両の腿をしたたかに刺され、
その時に出来た赤く膿んだ傷が、
この不調のそもそもの始まりのように、
強く思われたのです。
唐組を主催する唐十郎は、
僕は勝手に「唐センセイ」と呼んでいるのですが、
1960年代から今日までの、
「日本のアングラ」を結ぶ赤い糸の1本であって、
その糸がこの事態を呼び込んだのだとすれば、
多分ある種の変容が、
僕の身体に起こりつつあることの、
1つの兆しなのではないか、
僕の身体は今ゆっくりと何かに変わりつつあり、
もう今までの自分に戻ることはなく、
それがこの湿疹の正体のように、
密かに思われたのです。
僕はもっと早く変わるべきであった、
もっと早くに何かに回帰するべきであった、
と思いながらも、
これは変容ではなく滅びではないか、
という思いも一方では強くあり、
僕の肉体は既にその維持するべき何かを失い、
最終的には抗えない死という滅びに向かって、
その引き返せない一歩を踏み出したのが、
今回の出来事なのであって、
そこにはロマンもなければ甘い追憶もなく、
仄かな希望すらないのではないか、
という思いもまた、
影のように差すのです。
もしそうであるとすれば、
老いを意識して仄かな絶望を感じた男の、
これは単なる振り返りの感傷に過ぎないものなのかも知れません。
しかし、仮にそうであっても、
僕は今ここで書かなければならないと思うのです。
僕の頭の中に、
今確かに「日本のアングラ」は存在していて、
それはこのまま書くことをしないでいれば、
すぐに消去されてしまって、
僕の神経回路は、
決してもう、同じ信号を発することはなく、
次第にその機能を停止するように思われるからです。
前置きが長くなりました。
僕のいつもの悪い癖です。
「日本のアングラ」を、
今こそ語らなければなりません。
お手本はブローディガンの「アメリカの鱒釣り」です。
そうなると、
「日本のアングラ」も、
それを象徴するような、
1枚の写真から始めないといけません。
それがこちらです。
この写真には僕が映っていて、
それからもう2人の人物が映っています。
強い光が逆光気味に差していて、
実際には画面の外から照らされた1キロライトによって、
舞台は赤く染められています。
左端に映っている亡霊のような座った影は、
チェーホフの登場人物が間違って迷い込んだようにも見えますが、
僕が知る限り最高のアングラ女優で、
実名は伏せますが加奈子さんと呼ばせて下さい。
そして、中央に立つ異形の人物のポーズこそが、
「日本のアングラ」の、
ある種の象徴的な姿なのです。
この裸体でありながら、
何かを塗りたくったり、何かをぶら下げたりして、
過剰を装い、
恥ずかしげもなく屹立するその姿、
何よりその大きな疑問符としてのXを、
大きく虚空に刻み付けるが如きそのポーズが、
アングラの魂そのものなのです。
僕はあの時「日本のアングラ」と同じ舞台に立ち、
多分生涯で初めて、
アングラとは何かの象徴や記号でなく、
1つの実体のことだと、
知った気がしたのです。
たかが学生劇団の舞台でしたが、
僕はあの時本当に大切なものを見た気がして、
さっそく舞台が終わった後の飲み会の席で、
劇団の照明をやっていた下総さんにその話をしました。
下総さんはお猪口を手に、
ちょっと考え込むような表情をして、
「誰にも言っちゃだめだよ」
と言ったのです。
(次項に続く…)
2015-01-11 08:23
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コメント(4)
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あっしが演劇に興味を持ったのは1970年代だったので
アングラというのは新劇と双璧の王道の演劇ジャンルなのだと何の疑いもなく思ってやした。
正しく知ったのは 遥か後になってからでやす。
もう少し前に生まれて アングラ全盛期をリアルに体感してみたかったでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2015-01-11 13:39)
アングラは理解しがたいところもありますが、表現の一つだと思います。
by Silvermac (2015-01-12 06:16)
胸がふるえています。この幕開け素敵です。次項を心待ちに・・・
by akemi (2015-01-12 13:21)
いつも演劇レビューを楽しみに読んでいます。
この記事題は、最近の自分の関心事と重なる部分があり、
とても興味深いです。
更新を楽しみに、お待ちしています。
by 路傍 (2015-01-14 22:01)