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「バベットの晩餐会」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
バベットの晩餐会.jpg
1987年のデンマーク映画でアカデミー外国語映画賞も受賞した、
名作「バベットの晩餐会」です。

これは本当に素晴らしい映画です。
僕は作り手の深い企みに感心し、
とても感動してかなり泣きました。

ただ、ちょっと特殊な設定と思想がベースにあるので、
その点で好みが分かれるところはあると思います。

それでですね、
もしこの映画をまだ観ていない方がいたら、
絶対あらすじなど読まないで、
このブログもここまでしか読まないで、
是非映画を観て下さい。
これね、ちょっと先入観を裏切るんですよ。
それがある意味感動のツボなので、
予備知識はない方が絶対いいんですね。

良かったと思われたら、後を読んで下さい。

面白いと思わなかったら、
そうですね、
1年後くらいにもう一度観て見て下さい。
ひょっとしたら、今度は感動するかも知れません。

これはそんな映画です。

この映画はね、多分年寄り向きなんですよ。
舞台も限界集落で、
老人が年を重ねるばかりで先がないでしょ。
その年寄りがね、
「ああ、無駄に年を重ねてしまった。やりたいことは出来なかった。
本当に好きな人とは一緒になれなかった。
もう身体も自由に動かない。俺って駄目じゃん」
と思うでしょ。
その後悔がね、
別に「コクーン」みたいに若返るのではなく、
何の奇跡も起こらないのに、
すっと一瞬とは言え、消えてしまう。
「ああ、人生って良かったな」と思ってしまう、
そうした出来事を描いた映画なんです。

これ、どういうお話にしますか?

ちょっと想像してみて下さい。
超自然的なことなしでやるんですよ。
とても出来るとは思えないでしょ。

それを易々とやっているのがこの映画です。

凄いですよね。

貴族のおぼっちゃんの軍人の若者がいて、
高名で女たらしのオペラ歌手がいるんですね。
お金持ちで世俗の名声もあるという立場の人。
もう一方にデンマークの海辺の寒村があって、
清貧の中厳格なキリスト教の戒律を守って暮らしている、
美しい姉妹がいるんですね。

2つの世界は全く相容れないし、
2つの世界の住人が、
同じ感情に結ばれるというようなことは、
現実には無理なんですよね。
でも、お互いに相手を求めているようなところ、
いいなあ、と思っているようなところはあるんですね。
丁度肉体と精神のように、
対立しながら惹かれ合っているんですね。
その2つが奇跡的に1つになるのですが、
それを可能にしたのが、
宝くじと高級料理という、
どちらも清貧な世界とは真逆の存在、
というところがこの作品の発想の素晴らしさです。
こんなこと、普通思いつきません。

2つの階層や社会の対立と融和を描きながら、
それを惹かれ合いながら、
結局添い遂げることなく終わった男女の物語に、
重ね合わせている点が感動的で素敵ですよね。
オペラという藝術、高級料理という藝術、
いずれも金持ちの道楽で金持ちに奉仕するという側面がある訳ですが、
その2つの藝術が清貧な生活にある種の価値を与え与え合うという辺りも、
その深い洞察に感心する思いがあります。

映画の最初に描かれる2人の若者、
いずれも俗物でこんな男に姉妹が引っかからなくて良かった、
と観ていて思いますよね。
それが違うんですよね。
この辺りの作劇も絶妙だと思います。

北欧の神秘的なムードも活きていますよね。
食事も古典のフランス料理を再現した本物で、
途中でドン・ジョバンニの二重唱が歌われますが、
これもなかなかいいんですよ。

ラストは色々な捉え方があると思いますが、
もともと最後の晩餐ですし、
「1つの時代」が終わった、
ということでいいのではないでしょうか。

原作は中編というくらいの分量で、
後から読んだのですが、
映画はほぼ忠実に原作を映像化しています。

ただ、受ける印象は少し違います。
原作はもう少し厳しい内容で、
孤高の藝術家の矜持のようなものが強く描かれているのですが、
映画はその点はもっとウェルメイドな感じで、
立場や世界の違う登場人物達が、
一時的には気持ちを通わせているように描かれています。
ただ、小説と映画の立ち位置ということで考えると、
このくらいが丁度良い、という気もします。
台詞はほぼそのまま原作のものが使用されているので、
映画では不明の台詞の意味は、
原作を読むと分かります。

登場する姉妹の父親の牧師は、
キリスト教、プロテスタントのルター派なんですね。
清貧な生活こそ信条なのですが、
有名オペラ歌手が訪ねて来て、
「宗派は?」と訊くと、
「カトリックです」と答えるでしょ。
普通なら、「それなら娘と会うのはお断りだ」と言ってもいいのに、
何も言わずに受け入れてしまうでしょ。
これはね、この人たちは排他的ではないんですよ。
むしろ、カトリックでお金持ち、みたいな人が来ると、
どう接していいのか分からなくて困ってしまうんですね。
「お友達にはなれない人だな。困ったな」
という感じなんですね。
こういう宗教の描き方というのも、面白いですよね。
普通もっと排他的に描きますよね。
そうではない、というところが、
融和的な存在の強さと弱さを同時に描いているというところが、
この作品の1つの肝である、
というようにも思います。

いずれにしても、
好きな方にとっては、
一生の宝物になる映画です。
好き嫌いはあると思いますが、
一度は観る値打ちがあると思いますし、
その人の人生経験によっても、
印象は変わる映画だと思います。

アメリカでリメイクされるそうですが、
ほぼ間違いなく酷いことになると思うので、
封切られても絶対観には行かないつもりです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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「北北西に進路をとれ」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
北北西に進路をとれ.jpg
ヒッチコックの代表作の1つ「北北西に進路をとれ」です。

ヒッチコックは言わずと知れたサスペンスの巨匠ですが、
その作品のどれが好きか、というのは、
好みが分かれるところだと思います。

1960年に「サイコ」が公開されて、
この映画はサスペンスやホラーの歴史を、
大きく塗り替えた訳ですが、
作品自体はヒッチコックとしては凄い異色作ですね。
ホラーに近いタッチのものですが、
「サイコ」以外にそうしたタッチのものは、
「フレンジー」がそれに近い感じはありますが、
成功はしていませんし、
他にはあまりありません。

また意外性のあるミステリーのようなものを期待しても、
それも「サイコ」以外にはあまり類例がありません。

まあ「めまい」があるのですが、
これも唯一無二といった感じの作品で、
意外性のあるミステリーというのとは違うのですね。
心理的スリラーというのか、
異常心理映画とでも言うべきものです。

「鳥」というのがまだ独自のタッチのパニック映画で、
これも映画界に大きな影響を与えた、
唯一無二の映画ですね。

そう考えると、
「サイコ」も「めまい」も「鳥」も、
他の何にも似ていない、孤高の映画、
という感じです。
そのどれもが多くの模倣作を生み、
間違いなく現在の映画に強い影響を与えています。
この3本がなければ、
今の娯楽映画の殆どは成立していない、
と言っても良いくらいです。

ただし…

ヒッチコックの本領が何処にあるかと言うと、
戦前の「逃走迷路」辺りから始まる、
善良な主人公がなんだか分からないうちに、
悪者に追われるようになり、
それから追いつ追われつの逃避行が繰り返される、
というようなパターンの、
ヒッチコック流活劇娯楽映画です。

こっちは「海外特派員」とか「知り過ぎた男」とか、
ともかく沢山作っているんですよね。

どれも似たり寄ったりと言えなくもないし、
今の感覚から言うと、
まったりのったりとしていて、
スリルとかサスペンスというようなイメージとは、
かなり異なっています。

でもヒッチコックならではの技巧があり、
他の誰にも真似出来ない映像表現があって、
一旦その世界に囚われると、
同じ映画を何度観ても面白い、
という感じはあります。

カルト的な癖になる世界なんですね。

その中でも最高傑作と言って、
そう文句が出ないのがこの「北北西に進路をとれ」で、
これはヒッチコック型娯楽映画の総集編的な作品です。
ともかく最初から最後まで、
あれよあれよという感じで絢爛たる映画技巧が繰り出され、
その意味ではマニアにとっては息を吐く暇もありません。
それでいて映画の物語自体は、
さして語るほどのものもないし、
内容ものんびりしていて、
観終われば取り立てて何も残らない、
という感じの映画です。

これで映画として良いのか、
というのは疑問に感じる部分もありますが、
ヒッチコックの代表作として推奨出来る名作で、
内容はほぼないに等しく、
ひたすら映画技巧に酔うという、
ヒッチコックならではの世界が堪能出来ます。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも須田医師が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ブルジョワジーの秘かな愉しみ.jpg
ルイス・ブニュエルの代表作、
「ブルジョワジーの秘かな楽しみ」です。

ルイス・ブニュエルはスペイン出身の映画監督で、
独特のアクの強さとブラックユーモアに彩られた作風は、
中毒性があり、唯一無二の個性があります。

何度か回顧上映や特集が日本でも行われていて、
そのうち千石の三百人劇場で行われた回顧上映に、
何度か足を運びました。
これも多分高校生の時だったと思います。

「皆殺しの天使」と「銀河」が初上映だったのかな?

両方ともその時に観たのですが、
これはあまりピンと来なかったですね。

キリスト教がベースになった奇想なので、
キリスト教に馴染みがないと、
どうもピンと来ない部分があるんですね。

「皆殺しの天使」というのは、
パーティーの後で何故か屋敷から、
外に出ることが出来なくなってしまう参加者の話で、
ラストは一旦外に出られたものの、
今度は教会から出られなくなってしまう、
というオチでした。

シュールで面白そうでしょ。
でも、実際にはそう面白くはなかったんですね。
割とリアルな描写なので、
不条理に外に出られないという現象が、
映像的に面白くないんですね。
思いつきは面白いんだけど映像的には面白くならなかった、
という感じの作品でした。

「銀河」の方はモロにキリスト教のパロディなので、
これもちょっと駄目でしたね。

ブニュエル駄目かな…と思っていたのですが、
この「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」は面白かったですね。
こんなに面白くていいのかしら、
と思うくらい面白くて、
ブニュエルの真価を感じました。

これね、あるお金持ちの一家が、
食事をしようとすると、結局食べることが出来ない、
というエピソードを連ねた映画なんです。

その都度色々な理由で、色々なものを食べられないのですが、
それを変奏曲のように繰り返してゆくのです。

まあ、発想は「皆殺しの天使」とも同じなんですね。
欲望は常に満たされない、
という人生の本質を描いているのですが、
「皆殺しの天使」の方はシチュエーションが1つしかなくて、
描写もリアルなので面白くならないんですね。

この映画の場合は、
「美味しいものがあるのに食べられない」という状況が、
ビジュアルにも訴え掛けるものがあることと、
オムニバスの形式で演出もバラエティに富んでいるので、
飽きさせないですし、
後半になると相乗効果で物語が膨らんでゆくんですね。
この類稀な面白さは、
是非観て体験して下さい、としか言えません。

モンティ・パイソンのコントにも似たセンスですが、
同じ時代ですし、
おそらくヨーロッパにはその頃、
こうした自虐的に自分達を嗤うような、
そうしたセンスがあったんですね。
モンティ・パイソンに、
ちょっと「藝術」というスパイスを振りかけると、
この映画になる、という感じです。

アイデア自体は誰でも一度は思いつくようなものなのですが、
それを1本の長編映画として成立させるのは、
それはもう生半可な腕では出来ないですね。
映画史を眺めても、
こうした発想の映画が、
これだけ高いレベルで作られたことは、
あまり類がないと思います。

あまりこれまで観たことのない、
不思議で面白い映画が観たいという方には、
とてもお勧めの1本です。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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「2001年宇宙の旅」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
2001年宇宙の旅.jpg
1968年に製作されたSF映画の金字塔にして、
鬼才スタンリー・キューブリック監督の最高傑作、
「2001年宇宙の旅」です。

これは1968年の公開当時には、
その映像の当時としては信じられない完成度と高度な技術自体は、
画期的な映像表現として評価されたのですが、
その内容はあまりに難解とされ、
一部のSF作家やマニア以外には、
殆どまともな批評はなされませんでした。

宇宙から飛来したモノリスという謎の黒い物体が、
人間の進化の引き金を弾き、
猿を人間に、そして人間を超人類に進化させる、
という純粋SF的ドラマは、
当時の感覚ではとても一般には理解されなかったのです。

ただ、SF作家アーサー・C・クラークによる原作は、
内容は同じでももっと分かり易く平明なものです。
それをいささか意地の悪いキューブリックは、
徹底して台詞を減らし、
サイレント映画に近い技巧を駆使、
イメージ優先の大胆な省略や抽象化を取り入れて、
意図的に観客を煙に巻く映画作りをしたのです。

一例を挙げると、
この映画は人類誕生前、近未来の月面の出来事、
探査船ディスカバリー号におけるコンピューターの反乱、
宇宙の彼方への旅と新人類の誕生、
というオムニバスの年代記のような構成になっているのですが、
人類誕生前のパートは一切台詞やナレーションはない、
サイレント映画の趣向で、
そこから近未来のパートへの移行は、
猿が放り投げた骨が、
そのまま宇宙を航海する宇宙船に繋がるという、
「ジャンプショット」で処理されています。
これが公開当時には殆ど理解はされず、
「猿の話がどうして急に宇宙船になるの?」
と殆どの観客の煙を巻き、
多くの批評家も理解していなかったので、
内容には触れない意味不明の批評しかありませんでした。

僕はこの映画は高校生の時にリバイバルで観ました。
これは待望のリバイバルであったと思います。
劇場は京橋のテアトル東京です。
この映画は映像の前に「前奏曲」が付くんですね。
その時の上映では、
スクリーンに光りを当てただけで、
音楽のみを流していました。
それからおもむろにスクリーンが開くと、
「ツァラトゥストラはかく語りき」が流れて、
太陽と月と地球が一直線に並ぶという、
絶妙の圧倒的ファーストカットがあって、
どうなるかと思うと次は原始時代のサイレント劇ですから、
何と言うか壮大な実験映画という趣きです。

その後も骨から宇宙船のジャンプショットに、
クラシックなワルツに乗せて、
宇宙旅行が描かれるという構想。
巨大な月基地のビジュアルと、
圧倒的な映像詩が続きます。
ドラマとして優れているのは、
後半のディスカバリー号の部分ですが、
一番の役者はコンピューターのHALというのも、
この破格な映画にふさわしい趣向です。
そしてクライマックスは宇宙のかなたへのトリップシーンで、
新人類の誕生を多くの記号で綴ったラストも、
その後多くの模倣を生みました。

好き嫌いはともかくとして、
歴史に残る映画であることは間違いがないですね。
キューブリックは天才と言われますが、
大したことのない映画も多いですよね。
何を描いても物凄くドライな描写で、
普通の人間ドラマでそれをやられると、
ちょっと持たないな、という感じになるのですが、
この映画はその徹底してドライな部分が素材にマッチしていて、
唯一無二の作品になったのだと思います。
普通の人間同士の対話やドラマなんて、
殆どないですもんね。

またよくこのクオリティで完成にこぎつけましたよね。
これはもう奇跡的な感じがします。
大作映画というのは勿論沢山ある訳ですが、
こういうオリジナルで完成形の予測が付かないような映画の場合、
往々にして途中で予算がなくなり頓挫したり、
逆に途方もなく予算オーバーして、
それでいて撮り切れていないとか、
現場でもめて何度もスタッフやキャストが交代するなど、
トラブルが続出することが多いからです。
その点この映画は、
お金も勿論掛かったと思いますが、
ほぼ完璧に全ての場面が撮り切れていて、
その点でも映画史に特筆するべき映画だと思います。

この映画は未来を舞台にしていて、
それも2001年と明記してしまっているでしょ。
こういう映画は本当に2001年になったら、
ゴミ箱行きではないかと昔は想像されていたんですよね。
「未来は1つしかない」という感覚が、
常識としてあったからなんですね。
でも、実際に2001年が過去になってしまっても、
この映画は観続けられていますし、
その価値が失われるということもないですよね。
これも映画史において画期的な出来事であったと思います。
今ではこういうことは全然言われないでしょ。
「並行世界」と言ってしまえばそれまでですね。
エヴァンゲリオンだって舞台は2015年とされていますが、
それを過ぎても全然平気ですよね。
何故平気かと言えば、
その始まりはこの映画にあった、
というように思います。

そんな訳で映画史に燦然と輝く、
金字塔のような映画であることは間違いがなく、
気力が充実している時に、
映画館の大画面で御覧頂ける機会があれば、
必見であることは間違いがありません。
これはテレビやモニターの小さい画面では、
ほぼほぼ作り手の意図通りのものは、
感じることの出来ない種類の映画であるからです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「卒業」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
卒業.jpg
1967年のアメリカ映画で、
結婚式場から花嫁をさらうラストが、
あまりにも有名な青春映画です。

これは僕にとっては、
一時期一番好きな映画の1本だったんですよね。
高校生から大学に入ったくらいの時まで。
今は別にそんな風には思えないのですが、
昔を思い出して何かほろ苦い気分にはなります。

これね、最初に観たのが高校生の時かな。
京橋のテアトル東京でリバイバル上映があったんですね。

当時の洋画のロードショーは、
ビデオもDVDもネット配信もなかったので、
2から3割は旧作のリバイバルだったんですよね。
高校生の時には僕的には一番映画にのめり込んでいて、
映画史上の名作と呼ばれるものを、
全て観尽くしてやろう、
くらいの気分でいたのですが、
なかなか旧作はやってくれないのです。

だから、念願の作品を観ることが出来た、
というような時には、
観られた、というだけでもう感動するんですね。
映画自体の出来は二の次で、
「観ることが出来て良かった!」という気分に満たされるのです。

当時はまたテレビでね、
「映画の名シーン100」みたいな番組を、
ゴールデンタイムのスペシャルでやっていたんですよね。
ただ、映画の場面をランキング形式で流すだけの、
何の工夫もない番組なのですが、
そこで「感動のラストベスト10」みたいな時には、
必ずこの「卒業」の、
結婚式から花嫁を連れ出すところを流すんですね。
観たいなあ、と思いながら、
観られないという時間が続いて、
ようやく…という感じでリバイバルがあったので、
これはもう、観る前から感動することは決まっていたようなものなのです。

これね、奥手の青年の筆下ろしものなのですね。
セックスシーンをフィーチャーすれば、
B級ポルノになるようなお話なんですね。
それがレコードのA面とB面みたいに(これ自体レトロな喩えですね)、
途中で夢から覚めるように変換されるのです。
性的な空想の物語が、
現実の恋愛に変換されるのですが、
それがまたラストで現実をちょっと超える、
という感じになる訳です。
この「最後にちょっと超える」という辺りが、
この映画が公開当時多くの観客の心に、
強く響いた理由だと思います。

前半はただの筆下ろし物語なのに、
物憂げな表情のダスティ・ホフマンがいて、
そこにオープニングで「サウンド・オブ・サイレンス」が流れると、
何かちょっと深淵で、不思議な雰囲気が醸成されるでしょ。
当時の僕にとってはそれだけで、
何だろう、青春というものの陰の部分が、
クローズアップされたような気分になりました。

この映画はサイモン&ガーファンクルのこの曲がなければ、
成功しなかったと思います。
ただ、サイモン&ガーファンクル自体も、
この映画がなければそこまでビッグにはならなかったのですね。
両者にとって相互補完的な名曲なのです。
ある意味薄っぺらな物語が、
その謎めいた曲のおかげで、
深淵な何かを感じさせたのだと思います。

世間知らずのインテリ青年が、
社会の仕組みと本物の恋愛を知るまで、
みたいなお話でしょ。
高校生の頃はこの主人公を、
自分に重ね合わせて観ていたんですよね。
今にして思うと、
傲慢というのか恥ずかしい感じがしますが、
青春というのはそうしたものかも知れません。

ネットの感想など見ると、
今の人はこのくらいのお話でも、
倫理的に抵抗を感じるみたいなんですね。
まあ、時代は変わっているということなのだと思います。
そんな訳で今では成立しないようなお話なのかも知れませんが、
僕にとっては一時期この映画が、
間違いなく偏愛の対象ではあったのです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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「ファントム・オブ・パラダイス」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ファントム・オブ・パラダイス.jpg
これは僕の大好きな映画「ファントム・オブ・パラダイス」です。
一種のカルト映画で、
お好きな方も多い作品です。

監督のブライアン・デ・パルマは、
今も活躍するアメリカの映画監督ですが、
本当に冴えていたのは、
デビューから1976 年の「愛のメモリー(最悪の邦題!)」までで、
その後「アンタッチャブル」でメジャーになりますが、
あれも悪い映画ではなかったものの、
以前の「悪魔的」な冴えは、
すっかり消え失せていました。

僕はデ・パルマの初期の作品が大好きで、
それはピーター・ジャクソンや、
ロマン・ポランスキーの初期作品に似ていますが、
両者と同じようにあまり万人向きとは言えません。
要するに趣味全開でやり過ぎなのです。

デ・パルマの初期作品は、
1973年の「悪魔のシスター」から始まり、
1974年の「ファントム・オブ・パラダイス」、
1976年の「キャリー」と「愛のメモリー」に続きます。
僕はこのうち「キャリー」と「愛のメモリー」は名画座で観ていて、
他の2本はテレビとビデオが初見です。
(実際には1973年以前の監督作品もありますが、
僕は観ていませんし、
一部はソフト化されていますが、
日本で劇場公開はされていません)

この全てが好き嫌いはありますが、
他に類のない作品であることは間違いがありません。

中でも最高なのが、
この「ファントム・オブ・パラダイス」です。

この作品は脚本・監督がデ・パルマで、
要するに彼のやりたい放題の、
プライヴェートフィルムの色彩が強いものです。
ロック・ミュージカルと紹介されることが多いのですが、
その先入観で観るとちょっと違います。

オープニングからエンディングまで、
ともかくセンスに溢れ、
楽しくてワクワクし、
ラストは切なくて、
別の次元に誘われる気分がするのです。
ヒッチコックからキューブリック、コッポラまで、
映画の引用も満載です。

題名で分かる通り、
この映画は「オペラ座の怪人」のパロディです。
元ネタは醜い顔を持つ作曲家が、
パリオペラ座の地下深くに潜み、
不遇の歌姫を見初めて、
彼女をスターにするために、
暗躍する話ですが、
こちらは、
自分の音楽作品を、
音楽プロデューサーに騙し取られた冴えない作曲家が、
レコードのプレス機に挿まれて顔面を負傷し、
仮面の怪人となって、
音楽プロデューサーに、
復讐しようとする話です。
勿論不遇の歌姫も登場します。

ただ、その悪徳プロデューサーが実は…
という捻りがあり、
後半は「オペラ座の怪人」とは、
次元の違う物語に昇華してゆくのです。

その謎の悪徳プロデューサーを演じているのが、
ソングライターのポール・ウィリアムスで、
その筋では非常に高名な方ですが、
彼が作品の全ての楽曲をプロデュースしています。
僕はサントラも持っていますが、
これは最高で、
レセプトのチェック作業をする時には、
デセイ様の「フランスオペラアリア集」と、
交互に聴きながら作業をしています。

主役の怪人はデ・パルマのお友達のフィンレイで、
不遇の歌姫には後に「サスペリア」の主役を演じる、
ジェシカ・ハーパーがキャスティングされています。

この作品の素晴らしさの1つは、
藝術とそれが商品化されるということとの葛藤が、
結構深い次元で捉えられている、
ということで、
その溝を軽々と飛び越える悪徳プロデューサーが実は…
というところで、
その本質的な部分に切り込んでいるのです。
また、もう1つの魅力は勿論、
怪人の歌姫に寄せる切ない愛情で、
ラストの永遠が無限に引き伸ばされたような瞬間が、
無残に観る者の胸をかきむしるのです。

所謂「カルト・ムービー」なので、
万人向きではありませんが、
お好きな方にとっては、
一生忘れられない映画になることは間違いありません。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「フェリーニのカサノバ」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
カサノバ.jpg
1976年に製作されたイタリア映画の巨匠、
フェデリコ・フェリーニ監督の「カサノバ」です。
これも大好きな映画です。

フェリーニは幻想的でセクシャルでグロテスクで豊穣なイメージを、
巨大なセットで仰々しく描く一方、
ノスタルジックな監督の幼少期の原風景を、
こちらは繊細かつ叙情的に綴り、
また実質的処女作の「道」から続く、
芸人達の生活を哀感を持って描く手法も味があります。

イタリア映画は戦後すぐのネオ・リアリズムの諸作
(たとえはデ・シーカの「自転車泥棒」)から、
1960年代には不条理映画として、
時代を先取りしたアントニオーニや、
ヨーロッパ的文化の豊穣さを感じさせる、
藝術的なモニュメントのようなヴィスコンティなど、
多くの監督の名品を輩出して、
一時は「高級映画」の代表としてブランド的イメージがありました。

その一角を間違いなく担っていたのが、
フェデリコ・フェリーニ監督で、
封切りで観たのは、
この「カサノバ」と、
「女の都」、「そして船は行く」、「ジンジャーとフレッド」など、
数作品だけでしたが、
名画座では特集上映がしばしば行われ、
「サテリコン」、「フェリーニのアマルコルド」、
「フェリーニのローマ」、「魂のジュリエッタ」など、
多くの作品を幸いなことにスクリーンでフィルムで観ることが出来ました。

「甘い生活」と「道」は、
京橋のフィルムセンターで「映画史上の名作」で観ました。

一番多く映画を観ていた、
高校時代のことです。

フェリーニの作品は当時はその幻想性が僕の好みで、
多くの作品では幻想的な巨大セットの撮影画面と、
ロケ撮影のリアルな場面とが混在していて、
それがトータルにはギクシャクした感じに思えて、
幻想場面は大満足であったものの、
映画全体としてはいつも不満が少し残りました。

「道」はリアリズムに徹して素晴らしかったのですが、
フェリーニの本領発揮とは言えない部分もありました。
カラー撮影となった「魂のジュリエッタ」以降では、
この「カサノバ」が、
全ての場面をセットで描き、
非常に退行的で閉鎖的ではありますが、
巻頭からラストまで一貫した幻想世界を展開して、
公開当時にスクリーンで観た時には、
「これぞフェリーニ」と、
膝を打つような思いがありました。

内容は中世の色事師カサノバの一代記を、
性豪のホラ吹き絵巻として、
幻想的かつグロテスクに、
また一抹の哀感を持って描いたもので、
フェリーニの脳内世界をそのまま見させられているような怪作です。

公開時に観て特に印象的だったのは、
巨大な鯨に呑まれる夢を見る場面と、
自動人形に恋をする場面です。

音楽は勿論ニーノ・ロータで、
この作品では擬似オペラまで作曲しています。
これがまた魅力的なのです。

ただ、一時期偏愛していたこの「カサノバ」ですが、
本当に久しぶりにWOWOWで再見すると、
性描写がややステレオタイプで凡庸に感じました。

その一方でかつてはダメだと思っていた、
「フェリーニのアマルコルド」や「フェリーニのローマ」が、
意外に良かったのだと再認識しました。

映画というのは、
観る時期によってもその印象は変わるようです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は振り替え休日でクリニックは休診です。
今日はレセプト作業などするつもりです。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
おかしなふたり.jpg
これは「ハウス」、「さびしんぼう」と並んで、
僕が最も好きな大林宣彦監督の映画、
「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」です。

この映画は監督が故郷を舞台にした、
「転校生」から始まる尾道シリーズの、
一応の完結編という位置づけの作品です。

ただ、監督はその後「新尾道三部作」を作ったりもするので、
前言は撤回され、グズグズの感じになってしまっています。

しかし、個人的にはこの作品が完結編、
というように思っています。

監督が好き勝手をやった作品というのは、
他にも沢山あるのですが、
この映画はその「遊び」の部分の完成度が高くて、
それがストーリー全体と巧みに融合しています。

作品の核としては、
南果歩さん演じる女性と、
三浦友和さんと永島敏行さんという、
2人の男性を巡るドラマがあり、
それを見守る傍観者的で作者のような、
まだ好青年だった頃の竹内力さん演じる、
謎の狂言回しの青年がいて、
最後は燃え尽きる映画館と、
そこに潜む銀幕のスターという亡霊がいて、
諧謔を演じる悲しい影法師と、
それを受け止める尾道の、
胸をノスタルジーでかきむしるような風景があります。
絶妙の撮影とKANによる音楽が、
そこに素敵な彩りを添えています。

この映画では尾道にいる人は不幸になるか、
ノスタルジックな幻想の中で滅んでゆきます。
そして最後に主人公達は尾道を出てゆくのです。
その意味でこの映画は間違いなく、
尾道シリーズという、
大林監督の尾道への執着のようなものからの、
解放を描いた作品なのです。
(これは勿論虚構としての「尾道」の話であって、
実際の尾道という場所の話ではないことをお断りしておきます。
念のため…)

この映画は最初お蔵入りになりかけ、
特別上映的な短期間上映しか行われていないので、
あまり多くの方に観られていないのが残念ですが、
大林監督の全てが込められた代表作として、
お薦めしたいと思います。

ただ、大林監督のしつこさやや幼児性、
多くの偏見やあくどさにも満ちた世界なので、
好き嫌いはとてもあることを、
予めお断りしておきます。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「あん」(河瀬直美監督映画版) [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日で休診です。
今日も1日家にいる予定です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
あん.jpg
2015年にロードショー公開された日本映画「あん」です。
世界的に高い評価を得ている河瀬直美監督が、
詩人のドリアン助川さんの原作を、
原作者本人の依頼を受けて映画化したものです。

これも以前ネットの連載に書いたことがあるので、
少しそれを引用しています。

河瀬監督はそれまで芸術性は高いけれど、
一般の面白い映画が見たい、
という観客には、
やや敷居の高い映画を作っていました。

それがこの「あん」では、
それ自体平明な原作を再現することに重きを置いたためか、
良い意味で通俗的な作品となり、
多くの一般の観客の支持を集めました。

更に河瀬作品に初主演の樹木希林さんが、
そのキャリアの中でも最高の演技の1つを披露して、
観客に大きな感銘を与えたのです。

どら焼き屋の雇われ店長をしている、
前科者の千太郎(永瀬正敏)は、
手の不自由な徳江(樹木希林)という老女に、
店を手伝いたいと話しかけられます。

最初は断った千太郎ですが、
彼女が持参したどら焼きのあんが、
あまりに美味しいのに驚き、
試しに自分の店のあん作りを任せます。

すると、そのどら焼きが大評判となり、
それまで閑古鳥が鳴いていた店は、
一気に長蛇の列の評判店になります。

しかし、実は徳江はハンセン病の患者で、
療養所から店に通っていたのです。
その変形した手を見た人から、
心ない噂が広まり、
徳江は自分からひっそりと姿を消してしまいます。

物語は千太郎と徳江、
そして、
2人を慕っていたワカナという少女を軸にして展開します。
3人の人生はどのように結びつき、
徳江の人生にはどのようなフィナーレが訪れるのでしょうか?
河瀬監督らしい、
自然の風景と人間の生とが結び付いた感動の結末が待っています。

この映画はともかく樹木希林さんがいいんですよね。
樹木さんは勿論多くの映画に出演していますが、
正直自然体に見えて、
その役より樹木さんにしか見えない、
という感じの作品も多いのですが、
この映画の樹木さんは本当に役柄そのものに見えます。
こちらも樹木さんは樹木さんとして観てしまうので、
それ以外の印象を持ちにくいのですが、
この映画ではその僕達の先入観を超えて、
樹木さんはハンセン病のあん作り名人にしか見えません。
見事な芝居ですし、
何より魂の籠もっていることを感じます。

河瀬監督の演出も、
原作を忠実に観客に伝えようという姿勢があり、
自然描写や長瀬さんの生活描写には、
河瀬さんらしさを出しつつも、
平明な作品が意図され成功していると思います。

この辺りはテリー・ギリアム監督の
「フィッシャー・キング」に似ています。
どちらも色々なバランスが巧みに融合して、
監督本人はおそらくそう思っていないと思うのですが、
奇跡的な傑作になっているのです。

河瀬監督の映画は、
この間の「Vision」など、
「勘弁してよ」という感じの作品も多いので、
観る側にも一定の覚悟が必要なのですが、
この「あん」に関しては、
あまり普段映画を観ない、という方を含めて、
多くの方に自信を持ってお薦め出来る作品で、
是非ご覧頂ければと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「隠された記憶」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。
今日も1日家に籠もっている予定です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
隠された記憶.jpg
ヨーロッパの鬼才ミヒャエル・ハネケ監督が、
フランスで2005年に撮ったスリラーで、
カンヌ国際映画祭の監督賞に輝くなど、
世界的に評価された映画ですが、
「結局どういう話なの?」と困惑必死の問題作です。

主人公の人気テレビキャスターのところに、
自分の家を据え置きカメラで数時間録画した、
謎のビデオが送りつけられて来ます。
その後も同様のビデオが次々と送りつけられ、
少年や鶏が血を吐く光景を描いた不気味な子供の絵や、
主人公の生家の画像、
そして有るアパートの風景などが送られて来ます。
どうやら犯人は、
主人公をそのアパートに秘められた、
彼自身の過去に繋がる何かに、
誘導しようとしているようなのです。

主人公はテレビの世界の成功者ですが、
妻は仕事先の友人と不倫関係にあり、
息子は両親に心を開こうとはしません。
仕事自体も「大衆の人気」という、
あやふやなものに左右されていて、
仕事先にビデオを送りつけられると、
それもダメージになってしまいます。

主人公は孤立無援の中で、
見えない脅迫者に対峙し、
自分の過去の罪に向き合うことになるのです。

あらすじだけ読むと心理スリラーのような雰囲気です。
ただ、主人公はかなり独善的な性格に描かれているので、
観ている側としては、
とても主人公に肩入れするような気分にはなれません。
ワンカットが多く台詞のない余白が多く、
音楽もなく淡々と、
極めてスローなペースで物語は展開され、
次第に睡魔に襲われそうになります。

と、いきなり全体の3分の2くらいのところで、
唐突で非常にショッキングな場面が出現します。
このスローテンポでまさか、と思うので、
これは相当に驚きます。

ただ、その衝撃の場面の後も、
同じように淡々と物語は進み、
結局ビデオテープを送りつけた犯人は不明のまま、
尻切れトンボ的に映画は終わってしまいます。

この映画が物議をかもすのは、
ポスターの画像にもあるように、
「衝撃のラスト」という文言が宣伝に使われていたからです。

衝撃の場面はあるのですが、
中程でラストではないので、
これを「衝撃のラスト」と言うのは無理があります。
実際のラストは主人公の子供が通う学校の出入り口を、
固定カメラでただ長回ししただけの、
衝撃とは真逆のカットなので、
観客は尚更戸惑うことになるのです。

実はラストシーンでさりげなく、
それまで関係が不明確であった2人の人物が、
話し合っているのですが、
それで2人が犯人ということにはなりませんし、
それが衝撃と言えるのでしょうか?
分かっても意味は分かりません。

これね、宣伝がおかしいんですよね。
正確には「中程の衝撃の場面と予想を裏切るラスト」
という感じだと思います。

ハネケ監督はインタビューで、
「この映画はやましさが主題で、
ビデオを誰が送ったのかは、
大きな問題ではない」
というようなニュアンスの発言をしています。

その意味では主人公のやましさの正体については、
劇中で十全に語られているので、
監督の意図通りに作られた作品だ、
と言って間違いはないのです。

特に優れているのは、
映画後半にあるエレベーターを使った長いワンカットシーンで、
監督もインタビューで
「撮るのに苦労したが、良い場面になった」
と語っている通り、
とても技巧的で完成度が高く、
作品のテーマを圧縮して示した名シーンでした。
でもね、監督に言われないと、
ここがポイント、なんてちょっと分からないですね。

個人的な推測としては、
おそらくラストの意味は世代を超えた「和解」という趣旨で、
過去の立場の違う人間の対立の悲劇は、
結局その世代では解決せず、
新たな悲劇を生んだだけに終わったのですが、
その隠された真実が明らかにされたことにより、
その次の世代においては、
和解の種が播かれた、
ということではないでしょうか?

意地悪監督がひねりにひねった心理スリラーで、
面白いと素直に言えるような作品ではないのですが、
観た後で強く心に刻まれる映画であることは確かで、
心身ともに体力のある時にご覧下さい。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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