SSブログ

「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ファブル.jpg
岡田准一さんが「殺さない殺し屋」を演じる、
コミック原作のアクション映画第二弾が、
今ロードショー公開されています。

これは前作も観たのですが、
出来は今回の方が数段上ですね。
前作は岡田さんがコミカルな演技をするのが、
とても合わない感じで、
全体のバランスが悪い感じがあったのですが、
今回はもうそうした岡田さんの演技は、
最小限に切り詰めて、
もっぱらアクションをつるべ打ちの様に見せることに、
徹した趣向が成功していたと思います。

アクションは凄いですよ。

まずオープニングのカーチェイスで観客の度肝を抜きますし、
クライマックスの団地のアクションシーンは、
映画史に残ると言っても過言ではない充実度です。
ここまでのことをしてしまって、
その後の堤真一さんとの対決は、
どうするつもりなのだろうと思っていると、
アクションではなくドラマと展開で見せるという趣向になっていて、
普通ラスボスとの対決を延々と見せることになるところを、
一切やらないというセンスの良さにも感心しました。

アクションは凄いのですが、
トータルな上映時間の中で、
それほどアクションシーンが多いということではないのですね。
端的に言えば、オープニングとクライマックスだけなのですが、
ダラダラ時間を使わないで、
見せ場を集中させるところにも、
作り手の自信のようなものを感じました。

ちょっとコマ落としが多すぎるかな、という気がしますが、
編集が非常に緻密ですよね。
同じ場面を複数の角度や、
接近と俯瞰で撮って、
それをパズルのように組み合わせているのですが、
その編集自体にもリズムがあって、
よくぞここまで練り上げた、という思いがします。
あのリズムは「フレンチコネクション」に近い感じですね。

内容はまあ、トータルには何ということもないものなのですが、
キャストはアクションスターとして圧倒的な、
岡田さんがいいですし、
周辺メンバーも良い仕事をしています。
堤真一さんの狂気もなかなかで、
その配下の安藤政信さんが、
物語の軸として、
とても良い仕事をしていました。
前作は安田顕さんの作品で、
今回は安藤さんの作品と言っても、
ドラマ的にはそう間違っていないと思います。

そんな訳で、
かつての東映アクション映画の、
良いところを再構成してリニューアルしたような素敵な娯楽映画で、
時間潰しに映画館に入って、
意外に充実した気分になって外に出るような、
そんなアクション映画の快作です。

お好きな方は是非。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも感染対策には充分留意しつつ、
良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
nice!(0)  コメント(0) 

「Arc アーク」(石川慶監督新作) [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
アーク.jpg
石川慶監督の待望の新作が、
今ロードショー公開されています。

石川慶監督は、
長編1作目の「愚行録」から、
尋常ならざる映像センスで注目され、
次の「蜜蜂と遠雷」は商業企画映画でありながら、
感性豊かな堂々たる傑作でとても感心しました。

次は何をしてくれるのかしらと、
とても楽しみであったのですが、
中国系アメリカ人作家ケン・リュウのSF短編、
「Arc アーク」を、
作者自身のプロデュースで映画化する、
という意表を突いた企画で驚きました。

不老不死の実験台になった女性の数奇な運命を描いたもので、
これまでの2作品とは、
内容的には全く違いますが、
そのスタイリッシュで技巧的な映像センスは健在です。

今回はよりヨーロッパ映画的な感じで、
特に前半のカラーの部分は、
登場するのは日本人キャストが殆どですが、
その肌触りは日本映画めいたところが殆どありません。

ただ、面白かったかと言われると、
今回は正直面白くはありませんでしたし、
はっきり失敗作という感じでした。

これ、ほぼ原作通りの内容なのですが、
原作自体内容はかなり薄いんですね。
SFと称してはいますけれど、
不老不死のメカニズムについても、
「老化のいろんな遺伝子を操作する」というくらいしか、
説明がないんですね。
その意味ではとても適当です。

ただ、映像化した方が面白そう、
という感じはするんですね。

死体にポーズを付けて保存する、
というユニークなビジネスや、
それを活用した不老不死の技術など、
一体実際にはどんなイメージなのだろう、
と想像の膨らむ部分があるからです。

ただ、原作を読んでそれを期待して映画を観ても、
あまり納得のゆく映像が提示されている、
という訳ではありません。

死体のポージングにしても、
不老不死の技術論にしても、
一応原作の描かれた通りにやってみました、
という程度のサラリとした描写で、
監督の個性を感じさせるところがありません。
舞踏に近いテイストのモダンダンスが使われていますが、
それが1つの個性的なスタイルとして、
作品に溶け合っているというレベルではなく、
舞踏の動きのなぞり、
という感じに留まっていたのは、
舞踏好きとしては残念でした。

不老不死の処置も、
殆ど注射をするだけ、という感じなので、
これでは詰まらないと思いました。
CGをあまり使わないというのは、
1つのポリシーであったのかも知れませんし、
予算的な問題が大きかったのかも知れませんが、
どんなビジュアルでも表現出来る時代に、
この貧相さは如何なものだろうと感じました。
もう少し工夫するべきではなかったでしょうか?

この作品は主役の芳根京子さんが、
ドラマチックな筈の人生を、
非常に淡々と演じているのですね。
師匠と恋人と息子を全て失うのですが、
そのいずれもが何か些細なことのように描かれています。

それはそれで1つの見識ではあると思うのですが、
そうであれば、芳根さんを取り巻く面々が、
もっと過剰であっても良いと思うのですね。
そうでないとバランスが悪いと思うのですが、
寺島しのぶさん、岡田将生さん、小林薫さんと、
いずれももっと過剰に大暴れの出来る手練れが揃っているのに、
激情する部分は最低限しか見せないという抑制的なタッチで、
正直物足りなさを感じます。
小林薫さんなど、秘密を隠した無骨な漁師というのが、
少し前にテレビドラマでも、
ほぼ同じような役をやっていましたよね。
もっと他の設定があっても良かったのではないかしら。
如何にも凡庸に感じてしまいました。
岡田将生さんもメフィストフェレス的役柄なのですから、
もっと悪魔的で異常な部分があってもいいでしょ。
あまりに淡々として詰まらないと思います。

たとえば内田英治監督なら、
もっと濃いキャラに大暴れをさせたような素材でしょ。
どうも作品とスタイルが乖離しているように、
今回は感じてしまいました。

前半がカラーで後半がモノクロ、
というのもテンションが下がるんですね。
多分モノクロがやりたっかったのだろうな、
というようには感じるのですね。
色合い自体もただの白黒ではない濃淡があるんですよ。
相当凝っていると思うのですが、
矢張り地味でまったりしてしまうなあ、
というようには思ってしまいます。

総じて意欲作とは思うのですね。
単なる企画先行の失敗作ではないんです。
相当映像にも細部にも凝って、
力を入れて作っているのは分かるんですね。
ただ、どうも心が浮き立つような感じ、
テンションが上がる感じが皆無なので、
「ああ、何か見たな」という感じで終わったしまったのが実際でした。

でも、トリュフォーやタルコフスキーのSF映画も、
こんな感じではありましたよね。
素材の割には淡々としていて、
映像は妙に凝っているけれどチープでもあって、
何がやりたかったのが意味不明、
というようなところはあるでしょ。
そうした映画と比べて、
そう遜色はない仕上がりになっているので、
これはこれで良いのかな、と思わなくもありません。

僕は石川監督は大好きなので、
観て後悔はしませんでしたが、
監督のファン以外の方には、
とてもお勧め出来る内容ではありませんでした。

興味と忍耐力のある方のみにお勧めです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
nice!(4)  コメント(0) 

「キャラクター」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
キャラクター.jpg
菅田将暉さん主役のサイコ・スリラーで、
デビュー出来ずに苦しむ漫画家の卵が、
偶然目撃した猟奇殺人事件とその犯人をモデルに、
描いた漫画が大ヒットするのですが、
そのモデルの殺人鬼が、
漫画家の前に登場して、
漫画通りの殺人を犯す、というお話です。

如何にも漫画原作という気がしますが、
これは漫画の原作などを多数手がける作者によるオリジナルで、
それを娯楽作品を多く手がける永井聡監督が演出しています。

殺人鬼をアーティストのFukaseさんが演じ、
脇は小栗旬さん、中村獅童さん、高畑充希さんが固める、
という豪華キャストで、
これは面白くなるのでは、という期待が高まります。

で、勿論期待通り面白かった、
という感想の方もいらっしゃると思いますが、
僕個人の感想としては、
かなりガッカリの出来映えで、
何でこんな風にしてしまったの、と、
疑問が幾つも浮かぶような作品でした。

以下、ネタばれを含む感想です。

鑑賞予定の方は鑑賞後にお読み下さい。
また、少し悪口の感想になりますので、
この作品を良かったと思われた方には、
不快に感じる部分があるかも知れません。
感想は人それぞれということで、
ご容赦頂ければ幸いです。

では続けます。

これね、
何のひねりもない話なんですよね。
同世代の凶悪犯と漫画家が対決するという、
ただそれだけの内容なのですが、
主人公の漫画家はそれなりに人物像が描写されているのですが、
殺人鬼の方はどんな人物なのか、
まるで分からないんですね。
行き当たりばったりに人を殺しているだけのようで、
4人家族に対するこだわりというのも、
宗教的な団体が絡んだりして、
何かありそうかな、と思うのですが、
結局放り出したまま、終わってしまう、
という印象なんですね。
警察が必死で捜査しても捕まらない、
というのもおかしいですよね。

僕はトリッキーな話が好きなので、
ははあ、これは別の真犯人がいるのかしら、とか、
別人が化けているだけなのかしら、とか、
サイコスリラーで、菅田将暉と犯人が同一人物だったり、
菅田将暉が最後に犯人を殺して、
今度は自分が殺人鬼を引き継ぐということなのかしら、
とか、色々考えるのですが、
そうしたことは一切なくて、
裁判で「私は誰でしょう?」みたいなことを言って、
それで終わってしまいます。

オープニングで結構じっくり主人公の生活を描くのですね。
それから殺人事件に遭遇して、
犯人を見てから、創作意欲が沸いて漫画を描いたところで、
物語は急に1年後に飛んで、
もう主人公は売れっ子漫画家になっている、
という展開なんですね。

これどうなのかしら。
普通はその漫画が大ヒット、というところが、
とても内容的に大事な部分でしょ。
それを描かないのは駄目なのじゃないかしら。

漫画と現実の事件との関連も良く分からないですね。
第二の事件が1年後に起こるのですが、
それは最初に漫画で描かれた事件を、
殺人鬼が自分で模倣する、という展開なのですね。
でも、それだと4人家族に対する偏愛を、
既に主人公が知っていた、ということになりますよね。
それおかしいでしょ。
それに連載漫画が1年続いていて、
事件が1つしか起こっていない、というのはどうなのかしら。
ちょっとおかし過ぎないか、
という気がします。

漫画は「34(さんじゅうし」というタイトルで、
3人の仲間が殺人鬼に対決する、
というお話だと説明されるのですが、
その設定が現実に全くリンクしていないですよね。
それだったら、現実にも主人公の仲間が2人いるのが定石でしょ。
その設定がまるでないのもモヤモヤします。

2回目の殺人が漫画を模倣していたので、
警察官の小栗旬さんが主人公にその疑問を尋ねると、
菅田さんはすぐに真実を話してしまうんですね。
その後で犯人と遭遇しますが、
それもすぐ警察にその通りに話してしまうんですね。

これも普通はない展開ですよね。
普通はね、主人公は警察にすぐ話したりしないでしょ。
自分1人で犯人に立ち向かおうとするから、
こうしたお話にはサスペンスが生まれるので、
すぐに警察に話してしまって一緒に協力してしまったら、
犯人は1人(もしくは2人)だけなのですから、
全然犯人側が不利になってしまって、
スリルもサスペンスもないですよね。
定石を敢えて変えようとしたのかも知れないのですが、
結果としては大失敗であったように思います。

主人公が犯人に遭う場面も酷いんですよ。
飲み屋でまず主人公と小栗さんの刑事が話しをしてるんですね。
そこで小栗さんが席を外して外に出ると、
入れ替わりに犯人が入って来て、主人公をびっくりさせて、
それで犯人が去ると、
今度は小栗さんが戻って来るのです。

こんな展開はちょっと不自然過ぎるでしょ。
演劇なら仕方がないですけれど、映画でこれはない、
という気がします。
これだと刑事と犯人が同一人物か仲間ではないかと、
疑ってしまうところですが、
勿論そんなことはなく、
この展開は単なる偶然で終わるのです。

キャストはFukaseさんが弱いんですね。
顔を歪めて、如何にもサイコ、という感じを表現しているのですが、
怖さや迫力はあまり感じません。
ミスキャストとは思わないんですね。
脚本が弱いんですよ。
もっとこの人物の背景に、
不気味な闇みたいなものが描かれていないと、
ただの道化にしか見えないんですね。
とても残念に感じました。

そんな訳で、
引き締まった「ファーザー」のすぐ後で観たせいもあるのですが、
ダラダラと長い2時間余りで、
切ない気分で映画館を後にしました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
nice!(2)  コメント(0) 

「ファーザー」(フロリアン・ゼレール作 映画版) [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ファーザー.jpg
フランスのフロリアン・ゼレールによる戯曲を、
本人が脚色して監督も務めた、
2020年の英仏合作映画が、
今日本公開されています。

フランスの原作を舞台はイギリスに移し、
主役は名優アンソニー・ホプキンスで、
この作品でアカデミー賞の主演男優賞も受賞しています。
脇を固めるのもイギリスの実力派キャストです。

これは面白いですよ。
傑作だと思います。
上映時間が1時間37分というのもとてもいいですね。
物足りない感じは全然ありませんし、
映画というのはこのくらい引き締まっていた方がいいと思います。

これはアンソニー・ホプキンス演じる老齢の主人公が、
認知症を患って進行し、
娘さんが自宅での介護は困難と決断して、
老人ホーム(ナーシングホーム)に入居させるまでの話です。

認知症というのは高齢者社会における、
最大の社会問題ですから、
映画でも勿論多く取り上げられています。
比較的最近でも「アリスのままで」というのがありましたし、
日本では「明日の記憶」や「長いお別れ」などもありましたね。
ただ、テーマがあまりに重いし、それに身近過ぎるでしょ。
映画というのは基本的に娯楽の要素がないと成立しないので、
認知症を娯楽にする、ということは、
そう簡単なことではなく、
上記の3作品も、その点で成功しているとは言えません。

昔は認知症の患者の奇矯な言動を、
笑いものにして娯楽化する、
というようなことが普通に行われていましたが、
勿論今ではそんな演出はあり得ません。

それから演技の問題がありますね。
認知症に限らず、健常者が病気を演技する、
ということ自体が、
今の感覚ではあまり評価をされなくなっています。

でも今回の作品はね、
如何にもフランスらしい知的な方法論で、
認知症という問題を娯楽化することに成功しているんですね。

それがまずとても凄いことです。

どのようにしたかと言うと、
認知症の高齢者の心象風景、その意識の流れを、
そのままに映像化する、という手法を取っているんですね。

最初に娘が1人暮らしの父親を訪れて、
ヘルパーを追い返してしまったことを怒るんですね。
それが次の場面になると、
今度は1人暮らしの筈の父親の家の中に、
傲慢で尊大な男が現れて、
自分は娘の夫だと言い、
それから娘が現れるのですが、
それは最初の場面の娘とは別人なのです。

こうした矛盾した人間関係が続き、
時には時間は円環のように同じ場面を何度も繰り返したり、
過去に不規則に戻ったりもするのですが、
最初は「えっ、これどうなってるの?」と思った観客も、
やがて、これは主人公の老人の心象風景で意識の流れなのだと気づき、
それから「一体何が幻想で何か真実なのか」と、
考えながらドラマを見守ることになるのです。

ミステリーではないのですが、
ミステリー的に観ることが出来るのですね。
最後にはきちんと伏線は回収され、
1つの真実が浮かび上がります。

心理的な裏付けもとても精緻なんですね。
一例を挙げると、
主人公は娘の夫から暴言と暴力を受けるのですが、
その衝撃を受け止めることが出来ないので、
それを最初は別人の行為として再現するんですね。
その後ではその暴力に至る時間を、
何度も何度もループ状に再生し、
そして漸く現実の理解に至るのです。

この映画の原作戯曲は、
2019年に橋爪功さんの主演で、
翻訳劇として上演されています。
ただ、認知症のお芝居で新劇でしょ、
正直とても観に行こうとは思いませんでした。

観劇レポートを読むと、
頻回の暗転でエピソード的に場を繋いでいる演出のようで、
それであると意識の流れを描くという観点からは、
暗転が時間の経過を感じさせてしまうので、
映画の方が向いているようにも感じました。
ただ、同じ人物を複数の人間が演じて、
同じ舞台で入れ替わるような演出は、
映画より舞台の方が効果的、
という気もします。

翻訳劇の時の評論家の文章に、
認知症が進行して、
最後には自分の名前すら言えない状態になり…
というような表現があったのですが、
舞台はともかくとして、
映画版で観る限り、
その解釈は間違っていると思うんですね。

この作品は認知症の進行を見せているのではなく、
主人公が老人ホームに入った時点での、
意識の流れが描かれているんですね。
その証拠に最初に出て来る謎の人物は、
老人ホームの職員であったという伏線があります。
つまり、この映画は主人公の一瞬の時間を、
永遠に拡大して見せているものなのだ、
という言い方が出来ると思います。

これね、認知症の話である割には、
主人公は結構理知的で明晰な部分がありますよね。
アンソニー・ホプキンスの演技も、
当惑はしていても、
進行した認知症という感じはしないですよね。

それがおかしいのではないか、
という意見もあると思うのですが、
そうではないんですね。

これは魂がある、という立場での認知症論なんですね。
魂があるとしたら、それが劣化してボケる、
ということはない筈でしょ。
だから、明晰な魂が、
認知症のために現実と適合することが出来ずに、
シュールな世界で苦悩している、
というのが今回描かれている世界なんですね。

そうした目で見ると、
アンソニー・ホプキンスの演技は、
その本質を理解した見事なものだと言えるのです。

今回の映画は、
認知症の心象世界を娯楽化した、
非常に精緻でユニークな作品で、
理知的な世界が際立っていながら、
ラストの抒情的な雰囲気も素晴らしく、
全ての映画ファンにお勧めしたい傑作だと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
nice!(1)  コメント(1) 

「顔のない眼」(1960年フランス映画) [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
顔のない眼.jpg
怪奇映画の名作を振り返る3連発の第3弾は、
フランス怪奇映画の大傑作「顔のない眼」です。

1960年のこれはモノクロ映画で、
当時はモノクロとカラーの映画が半々くらいですかね。
内容によりモノクロの方が気分が出るものはモノクロで、
というのが当時のスタイルだったと思います。

これは物凄く即物的な映画で、
怪奇映画なのですが、
超自然的な怪物や現象などは皆無です。
では何が怖いのかと言うと、
それは勿論「人間」なのですね。

天才外科医の美しい娘が、
事故に遭って二目と見られぬ顔に、
なってしまうんですね。
それで娘は仮面を付けて、
古城のような家の中に引き籠っているのですが、
その娘の顔を元に戻そうと、
天才外科医は昔自分が手術した部下の女性に命じて、
娘と同じ年代の少女をさらって来て、
殺してその顔の皮を剥がし、
それを自分の娘に移植しようとする、
という話です。

酷いでしょ。

その手術がなかなか上手くいかなくて、
最初は良くても移植した皮膚が、
どんどん壊死してしまうんですね。
それでまた別の娘をいけにえに…
ということを繰り返しているのですが、
外科医の娘も精神に異常を来して、
獰猛な犬に父親を食い殺させると、
仮面を付けて森の中に消えてゆくのです。

思わず呆然として、
自分も死にたくなってしまうようなラストです。

ともかく救いの欠片もないような非情な話で、
非人間的過ぎて却って清々しい感じすらします。
こうしたムードはフランス映画以外ではまずないですね。

これ、当時としては非常に生々しい手術場面があって、
モノクロである分凄みがあるのと、
下品になり過ぎないんですね。
日本公開当時にはそれが残酷過ぎるとして問題になり、
手術場面をカットした短縮版が作られたようです。

この映画はテレビなどでは殆ど見る機会がなくて、
僕は初見はフィルムセンターの「フランス映画特集」だったのですが、
フィルムセンンターであるにも関わらず、
上映されたのは手術シーンのない短縮版でした。

高校生の時でしたが、
とてもとてもがっかりしました。

その後ビデオテープでソフト化されて、
こちらは完全版だったので、
その時に初めて全うな形で鑑賞した、
ということになります。
大学生の時でした。

この映画はバランスがいいんですね。
即物的な狂気の世界を描いているのですが、
それでいて高い幻想性があるんですね。
舞台を古城に設定していて、
ゴシックホラーの現代版を狙っているんです。
少女が白いマスクで顔を隠して、
古城を彷徨う場面とか、
ラスト森の中に消えてゆくところとか、
ゴシックホラーそのものなのですが、
それでいて「怪物」ではなく、
事故に遭った悲しい少女であるに過ぎない、
というところがとても複雑な味わいを出しています。

このマスクもとても印象的で、
後に「犬神家の一族」の助清のマスクは、
これが元ネタなんですね。

マッドサイエンティストものの変形ですが、
まあ実に上手く考えましたよね。
公開当時も多くの亜流を生んで、
二番煎じの「顔のない眼」みたいな映画が世界中で量産されました。
今でも似たような映画はあるでしょ。
全てオリジナルはこの映画で、
それも今に至るまでこの映画を超えた作品は、
1本もないと断言出来ます。

古典であり、カルトである、
という凄い映画です。

フランジュ監督の映画は、
他にも怪奇映画めいたものもあり、
それから屠殺場のドキュメンタリーとか、
変なものもあるのですが、
幾つか見ましたがそれほど冴えたところはないのですね。
この映画のみ突然変異的に良く出来ている、
というのが実際であるようです。

この映画に関してはそれほど多くのヴァージョンはなく、
手術場面のない短縮版がある、
というだけであるようです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
nice!(3)  コメント(1) 

「血とバラ」(1961年ロジェ・ヴァディム監督作品) [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は連休でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
血とバラ.jpg
昨日に続き、
怪奇映画の名作を振り返ります。

完全にマニアックな趣味の世界なので、
ご興味のない方はスルーして下さい。

1957年から1963年くらいの間が、
怪奇映画の最大の黄金時代です。

旗振り役は昨日ご紹介したハマーフィルムで、
「フランケンシュタインの逆襲」と「吸血鬼ドラキュラ」が、
世界的に大ヒットしたので、
それを真似た怪奇映画があちこちで作られたのです。
本国イギリスでも多くの映画が作られましたし、
アメリカは表現規制の問題があって、
まだSFの時代が続くのですが、
ロジャー・コーマンがポーの作品を、
自由自在に脚色して色彩映画として成功。
同時期にイタリアで巨匠マリオ・ヴァ―ヴァが、
英国製とはまた変わった世界を確立しましたし、
フランスではまた独自の感性を持った怪奇映画が作られました。
その代表的な傑作が、
このロジェ・ヴァディムの「血とバラ」と、
明日ご紹介するフランジェの「顔のない眼」です。

昨日の「吸血鬼ドラキュラ」は、
長くテレビでも見ることが出来なかった作品ですが、
この「血とバラ」は、
東京では当時の東京12チャンネルで昼や夜に繰り返し放映され、
何度も見る機会がありました。

フランスの古城を舞台に、
現代に過去の女吸血鬼が、
孤独なミラルカという若い女性の姿を借りて蘇る、
という話で、
直接的な吸血鬼の描写などは皆無で、
心理的なほのめかしのみに終始して、
唯一の吸血シーンも、
象徴的な夢の場面に変換されて表現される、
というかなり異色の映画でした。

ただ、全体が妙に艶めかしく、
むせかえるような官能の表現に満ちていて、
「そうか、吸血鬼になると、
人間である時には抑えられていた何かが解放されるのね」
と初見は小学生4年生くらいの時だったと思いますが、
そう感じたことを覚えています。

映画全体の謎めいた感じ、
1時間半もないという短さ、
バラの棘に刺されて指先から垂れた、
1滴の血を唇から舐めとるなどの、
ヴァディム監督独特の官能的な描写、
ひたすら美しく撮られた女性達、
当時流行の精神分析的解釈と、
モノクロの幻想シーンに真紅の血が溢れたり、
ラスト赤いバラが見る見る萎れるような、
遊び心のある象徴的な映像などが、
絶妙にブレンドされて唯一無二の傑作に昇華されたのです。

大林宜彦監督はこの映画を愛して、
何度も自分の映画に引用していますし、
映画評論家の石上三登志さんは、
その幻想シーンの解釈などについての、
如何にもインテリ好みの解説を発表しています。

しかし…

実はこの映画は、
どうやらヴァディム監督のオリジナルそのものでは、
ないようなのですね。

ドイツ版というDVDが販売されていて、
それを見ると画格もシネスコサイズで、
今まで見慣れていたスタンダードではありませんし、
何より映画を代表する筈の、
吸血の幻想シーンがありません。
その代わり血まみれの乳房が露わになるような、
当時は成人映画でないと許されないような描写もあり、
全体に重く沈んだ映像は、
当時のヨーロッパ官能映画そのものでした。

おそらくこちらの方がオリジナルの「血とバラ」で、
僕が見慣れていた、
そして石上三登志さんや大林宜彦さんが絶賛したあの「血とバラ」は、
アメリカや日本などの海外用に、
短縮版として再編集された別物だったのです。

娯楽映画は当時はあまり独立した創作と、
見做されていないような部分があり、
プロデューサーや興行主が、
適当に再編集して別の映画にしてしまう、
ということが通常としてあったのですね。

この映画にもそんな訳で多くのヴァージョンがあり、
何かインテリぶった深淵で、
ほのめかしの藝術のように見えた世界は、
誰かがお金儲けのために、
適当にフィルムを切り張りして作った、
二次創作に過ぎないものであったのかも知れません。
名だたるインテリが感動した幻想シーンも、
実はヴァディム監督自身は、
全く関与していない可能性もある訳です。

それを知った時にはちょっと愕然としましたが、
映画というのは所詮はそうしたもので、
僕達はその出会いを、
そのままに感じ味わうのが正解であるのかも知れません。

この映画は未だに日本でソフト化されておらず、
海外版もオリジナルはあるのですが、
僕達が感動した再編集短縮版は、
どれだけのヴァージョンがあるのかも分からず、
まっとうな形で観るのは難しいのが実際です。
(最近確認した訳ではないので、
実は発売されているのかも知れませんが…)

でも、僕の魂の一部は、
今もあのフランスの古城の中を、
何かを探して彷徨っているような気がします。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
nice!(2)  コメント(0) 

「吸血鬼ドラキュラ」(1958年ハマーフィルム) [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
吸血鬼ドラキュラ.jpg
かつてのイギリス、ハマーフィルムの最高傑作にして、
映画史上最高の怪奇映画の1つ、
「吸血鬼ドラキュラ」の日本公開時のポスターです。

この頃のポスターは素敵ですね。
これ、昔の見世物小屋や芝居小屋の、
「絵看板」の技術を応用しているんですね。
本国やアメリカのポスターとは全く別物なんですよね。
これは現物は物凄い高価に取引をされていると思いますが、
とてもとても魅力的です。

実は昔「怪奇映画」に嵌っていて、
今はもうそれほどの執着はないのですが、
一時は輸入のレーザーディスク(懐かしいですね)を買い漁ったりして、
相当入れ込んでいました。

今の人はもう、
物に対する執着というのはあまりないでしょ。

映画も別にDVDやブルーレイなどで、
コレクションとして形で残さなくても、
ストリーミングでその時だけ見られれば、
それで満足なんですよね。

そのこと自体が一時は信じられない気持ちがしましたが、
今では大分物への執着が抜けて来て、
「残さなくてもいいかな」と思う気持ちが強くなって来ています。

物への執着というのは、
多分次第に人間の心の中から、
なくなってゆく概念である、
という気がします。

さて、怪奇映画というのは映画の始まりの頃からあって、
サイレントの時代には藝術の1ジャンルでもあったのですね。
フランス映画の「アッシャー家の末裔」とか、
ドイツ表現主義の「カリガリ博士」とか、
ドライヤーの「吸血鬼」とか、
音のない世界ならではの純粋さがあって、
トーキー以降より明らかに藝術性の高い作品なんですね。
端的に言えば、
トーキー以降映画は藝術から娯楽になったのです。
ただ、その一方でロン・チャニイの「オペラ座の怪人」など、
サイレントでも娯楽映画に振れた作品もあって、
それがトーキーになってアメリカで、
ユニヴァーサルのモンスター映画として、
一大ブームを巻き起こします。
吸血鬼ドラキュラ、狼男、ミイラ男、フランケンシュタイン(の怪物)は、
4大モンスターと呼ばれて次々と続編が製作されました。
これが1930年代のことで、
その後1940年代からはSFブームになり、
ユニヴァーサルの怪奇映画は、
モンスター映画としてマンネリ化して下火になったのです。
そこで第二次世界大戦が挟まり、
戦後になってユニヴァーサル映画のかつてのモンスターを、
色彩映画(ユニヴァーサル映画はほぼ全てモノクロでした)として復活させたのが、
イギリスの弱小プロダクションのハマーフィルムだったのです。

ハマーフィルムの黄金時代は、
1957年から1965年くらいまで。
1960年代後半になると、
もうだいぶ活力は落ちた感じになって、
1960年代後半にロメロのゾンビ映画第一作、
「ナイト・オブ・リビング・デッド」が公開されると、
怪奇映画は今のホラー映画に徐々に姿を変えることになるのです。

これがざっくりとした歴史の流れですね。

さて、ハマーフィルムの本格的色彩怪奇映画の第1作が、
「フランケンシュタインの逆襲」で、
第2作がこの「吸血鬼ドラキュラ」です。

ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」はかなり長い小説で、
原作に近い映画化もない訳ではないのですが、
通常はこれを原作にした舞台劇があって、
それを元にして映画化されることが常道です。

ただ、この「吸血鬼ドラキュラ」は、
舞台劇より原作を元にして、
それを大きくリライトした脚本になっています。

監督のテレンス・フィッシャーはハマーを代表する名匠で、
ドラキュラ役はクリストファー・リー、
対決するヴァン・ヘルシングはピーター・カッシングで、
当時のゴールデンコンビです。

この映画は色彩が美しく、
一世一代の当たり役であったリーのドラキュラ以外にも、
吸血鬼に変貌する女優さんの演技が、
非常に素晴らしいんですね。
CGも何もない時代ですから、
本当に表情の演技勝負なのですが、
十字架をヘルシングに突きつけられて醜悪な怒りを見せるところなど、
こちらも一世一代の怪物演技が素敵です。

この映画には1つの逸話があって、
ラストのドラキュラの最後に幾つかの違ったヴァージョンがあり、
そのうち最も長尺のものが日本公開版だったのですね。
ただ、その後テレビで放送された時も、
海外公開の短縮版が放送され、
その後ビデオやDVDになっても、
その元になっていたのは短縮版でした。

この日本(極東)ヴァージョンは、
京橋のフィルムセンターに保存されていて、
極稀に「怪奇幻想映画特集」のような上映会があった時のみ、
フィルムセンター内の映画館で公開されていました。

それが、フィルムセンターの保管庫が火事になり、
ドラキュラのフィルムも焼けてしまったんですね。
これでもう万事休すかと思われたのですが、
実は後半の何巻かのフィルムリールは無傷で残されていて、
イギリスからの依頼により、
本国で日本版のフィルムがブルーレイ化されることになったのです。
これが2013年のことで、
多くの怪奇映画ファンにとって、
何と50年以上夢でしかなかったことが、
本当に最近になって現実になったのです。

その伝説の映像がこちら。
(厳密にはオリジナルの極東版ではない画像です)
https://www.youtube.com/watch?v=ssvgMHCa45s

ただ、日本での極東版のソフト化は、
今のところまだないようです。

僕はこの映画は、
キネマ旬報の怪奇幻想映画特集に、
シナリオ採録があって、
それを何度も読み込んで、
「見たいなあ」と思いながら果たせず、
実際に見ることが出来たのは、
大学時代にNHKBSで放映された時が最初でした。
勿論短縮版です。
今はyoutubeで簡単に見ることが出来るのですが、
それが本当の意味で「見る」と言っていいのか、
疑問に思う部分もあります。
でもそれはもう世の流れなので仕方がなく、
多くの「伝説の名作」も、
こうして動画サイトでさらされて、
ドラキュラの土くれになる最後のように、
消費され摩耗して滅んでゆくのかも知れません。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
nice!(4)  コメント(0) 

「るろうに剣心 最終章 The Final」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
るろうに剣心.jpg
るろうに剣心の実写映画化のシリーズ完結編が、
2部作として製作され、
その前編「最終章 The Final」が今公開中です。

4月23日公開なのに、
25日から非常事態宣言で上映中止です。
昨年から公開をずらしてこれですから、
本当に無念だろうなあ、とは思います。

これは予告では前編と後編で完結する、
という感じに思えますが、
「京都大火編」のような感じではなくて、
今回の作品はそれはそれで完結していて、
後編は「The Beginning」と題されて、
今回の物語の源流にある過去の物語になる、
という趣向であるようです。

これは19世紀後半のヨーロッパ娯楽小説のパターンで、
当時のミステリー小説は、
2部に分かれていて、
1部は現代の事件とその解決を描き、
2部はその原因となった過去の事件を描く、
というのが定番だったのですね。
名探偵ホームズの長編も、
多くはこのパターンで書かれています。

今回の映画の2部作というのは、
それをそのままやっているんですね。
前半が結果として失敗に終わる復讐劇の顛末で、
これから公開される後半は、
その復讐劇の原因となった事件を描く、
という、もうもろに典型的な構成です。

今回の前半はなかなか楽しく鑑賞しました。

アクションがいいですね。
物凄く目まぐるしいのですが、
静と動のコントラストが巧みに構成されているので、
動体視力の落ちた僕のような年寄りにも、
それほどストレスなく観ることが出来ます。

ただ、お話はかなり薄っぺらで安っぽく、
特に意外な展開などはないので、
全ては予定調和的に展開して心が沸き立つことがありません。

まあでも、これは僕のような観客向きに、
作られた映画ではないので、
文句を言うのが野暮であるのかも知れません。

また、予算的な問題だと思いますが、
セットは殆どが「映画村」という感じで、
もっと映画を象徴するような風景というか、
俯瞰の堂々たる絵が、
もう少し欲しかったな、という気がしました。
ドラマの部分は基本的に「テレビサイズ」という感じでした。

いずれにしても、
日本での漫画の実写化を代表するシリーズであることは確かで、
後編の公開も楽しみに待ちたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
nice!(4)  コメント(0) 

「パーム・スプリングス」(ネタバレ注意) [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
パーム・スプリングス.jpg
これは2020年HULU製作の映画で、
アメリカと香港の合作です。
おそらく配信が主体の作品だと思いますが、
日本ではロードショー公開されています。

砂漠のリゾートを舞台にしたタイムループもので、
同じ1日を永遠に繰り返す、という設定のお話です。

その昔の古典SFに良くあったネタで、
どれがオリジナルかと言うのは、
ちょっと思いつきません。
これは一種の時間テーマなのですが、
それとは別個に、
「死の1日前を何度も繰り返す」という設定も、
怪奇小説のジャンルでは昔からあって、
実際には死んでいて、成仏出来ずにループに入る、
というようなオチが定番でした。

「世にも奇妙な物語」などでも、
何度も取り上げられたネタですね。
単独でその設定だけでは、
長編映画1本は支えられない、という感じですが、
それをホラーと組み合わせて、
殺人鬼に殺されると前日に戻る、
という設定や、
恋愛ドラマと組み合わせる、
というような設定を付加して、
長編劇映画として1つのジャンルになった、
という感じもあります。

今回の映画は設定をちょっとひねっていて、
タイムループを繰り返している男がいて、
その人と一緒にある行動をすると、
他の人も巻き込まれてループに入る、
という趣向になっています。

以下ネタバレがありますので、
鑑賞予定の方は鑑賞後にお読み下さい。

まずある男性が目覚めるところから始まって、
友人の結婚式の日を過ごし、
新婦の妹の女性と良い雰囲気になるのですが、
その夜にいきなり男は謎の老人に襲われ、
それを追って洞窟に入ると、
その女性は同じ1日を繰り返すようになります。

男の方がタイムループの先輩で、
何千回もその同じ1日を繰り返しているのですが、
一緒に時空のねじれが生じている洞窟に入ると、
入った人も巻き込まれて同じ日を送るようになるのです。

男を襲った謎の老人も、
かつて男のタイムループに巻き込まれた1人で、
それを恨んで毎回襲撃を繰り返している、ということなのです。

タイムループを続けるカップルは、
次第にその環境に慣れ、
男の方はこの「永遠の繰り返し」を愛するようになるのですが、
女性の方は、元の世界に戻りたい、
という希望を捨てることが出来ません。

最後は特定の時間に洞窟の中の爆破に巻き込まれることで、
2人はループを脱出して、
元の世界に戻ります。

まあ、タイムループに見せかけた、
これは恋愛物なのですが、
人生を前向きに生きることをあきらめ、
愛する女性との現状維持の生活に、
充足と安らぎを見出している男と、
その男を愛してはいながら、
自分はその現状維持に生活には耐えられない、
と思う女性との恋の顛末についてのお話です。

タイムループの設定と、
この恋愛ドラマの設定が、
一致していると言う点がこの脚本の巧みさで、
オープニングは男が主人公と思わせて、
すぐに主客を逆転させたり、
殺人鬼に襲われる繰り返しと見せかけて、
謎の老人が実は男の犠牲者だという逆転など、
観客の予想を裏切る展開がなかなかで、
お金の取れる台本として、
映画祭で評価されたのも納得です。

ただ、殺人鬼も結局は出てこないので、
スリルの要素は希薄になりますし、
こうした作品の常で、
途中でループを繰り返すのが単調で眠気を誘います。

そんな訳で配信で充分かな、
という感じもあるのですが、
かなり頭を使って作り上げたB級映画の快作で、
こうした映画のお好きな方にはお勧めの1本です。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
nice!(4)  コメント(0) 

「騙し絵の牙」(2021年映画版) [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
騙し絵の牙.jpg
三島由紀夫の怪作「美しい星」や、
カルト漫画の「羊の木」を映画化するなど、
スタイルは80年代のテレビドラマのような雰囲気ながら、
一癖も二癖もあるいびつで奇妙な映画を作る吉田大八監督が、
塩田武士さんの「騙し絵の牙」を映画化し、
今ロードショー公開されています。

これね、大泉洋さんをイメージモデルにした原作は、
刊行時に読んだのですが、
申し訳ないのですが物凄く詰まらない小説でした。
出版界の内幕ものなのですが、
目新しいところは全くないし、
ラストのどんでん返しと称するものは、
こちらも何の驚きもないものでした。

なのでこの作品を吉田大八監督が映画化すると聞いて、
これは大泉洋さんが映画にスライドするという話題優先の企画で、
この原作ではとても面白くなる筈がない、
と思い、あまり期待はせずに映画館に足を運びました。

ところがどうして、
これがなかなかの力作でした。

これね、全く原作とは別物なんですね。
大泉洋さんの役柄と雑誌の名前が一緒であるだけで、
後は全く別のオリジナルなストーリーが展開されます。

ここまで変えてしまって、
果たして原作者の塩田さんは、
納得されているのかしら、と、
その点は少し不安になりますが、
結果としては大正解で、
吉田監督の世界が自由自在に展開されています。

これは活字好きの人、
本好きの人のための映画なんですね。

「花束のような恋をした」は、
サブカル愛に満ちたその葬列のような映画でしたが、
この「騙し絵の牙」は、
本と創作への愛に満ちた、
矢張りその葬列のような映画です。

こうした文化はね、
もう瀕死の状態にあるという認識なんですね。
それを美しく飾って、
送り出してあげよう、というような映画なんです。

舞台は傾き掛けた老舗の出版社で、
廃刊の危機にあるエンタメ情報誌の編集長の大泉洋さんが、
本好きの若手編集者、松岡茉優さんと組んで、
埋もれていたサブカルや文学のアングラな才能達を、
闇の中から次々と掘り起こしてゆきます。
ベテランのたかり作家をたらし込むのは序の口で、
1作のみで姿を消した天才作家を、
奇想天外な方法で捜索したり、
アイドルが実はガンマニアで変態小説の名手だったりと、
発想も素敵ですし、
1つ1つのエピソードが実に手が込んでいます。
何度か思わず手を叩きたくなるような場面がありますし、
その裏に本や小説への愛が、
息づいているのがいいんですよね。

勿論得体の知れない大泉さんも良いのですが、
若手編集者役の松岡茉優さんが、
いつものことながらとても素晴らしくて、
時々散漫にもなりがちなストーリーに、
1つの大きな核を作っています。

ラストは甘い展開になるのが減点ポイントですが、
多分僕の観た吉田作品では最も心に残る力作で、
特に本好きの方には絶対の贈り物と言って良い映画です。

お時間があれば是非。
これは見逃したら勿体ないですよ。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
nice!(3)  コメント(0)