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極私的新型コロナウイルス感染症情報(2020年7月26日) [身辺雑記]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。
雨も降っていますし、
妻は外出しました。
今日は1人でステイホームの予定です。

それでは今日の話題です。

今日は新型コロナウイルス感染症の、
クリニック周辺での状況を踏まえたあれこれです。

このところ唾液のPCRでの振り分けを行なっているので、
今の感染状況の実際が見えてくるという部分があります。

患者さんは矢張り現時点では20代から30代が多く、
症状は初発は急な発熱と関節痛や倦怠感が多いという印象です。
鼻水や咳はあまりありません。咽頭痛もありません。
それから数日して嗅覚障害と味覚障害です。
勿論全例で出ているということではありませんが、
嗅覚障害と味覚障害は矢張りこの病気の大きな特徴で、
鼻閉などがないのに、
ある日急に臭いや味を感じなくなったら、
高い確率でこの病気を疑います。

これは僕だけが言っていることではなく、
症状のみから新型コロナウイルス感染症の診断をしようという、
診断ツールを検証している論文でも、
最も診断オッズ比の高い症候として、
嗅覚障害と味覚障害を挙げています。

これはある日急に感じなくなるということと、
一部の臭いや味だけではなく、
ほぼ全ての臭いや味を感じなくなる、
という点がポイントです。

こうした症状があった場合には、
それだけでPCR検査に進んで良いものと、
個人的には考えます。

これは実際の事例ですが、
最初に発熱が1日のみあって、翌日には平熱になり、
その2日後に嗅覚障害と味覚障害が出現した20代の女性がいました。
近医を受診したところ、
その時点では経過をみてよいと漢方のみが処方されましたが、
症状が改善しないため相談電話を介して、
クリニックに連絡がありました。
結果は陽性で新型コロナウイルス感染症と診断しています。
結果として症状出現後9日が既に経過しており、
唾液のPCRの施行としてはギリギリのタイミングでした。

こうしたケースはもっと早期の検査が望まれると考えます。

一方で今咽頭痛と発熱があって、
同時に鼻水は鼻閉もあり、
その後痰がらみの咳が出るというような経過の、
急性上気道炎症候群に関しては、
ほぼ症状のみで新型コロナウイルス感染症ではないと、
経験的には思われます。
特に咽頭所見において、
扁桃炎の所見が明らかである場合には、
ほぼそれだけで新型コロナウイルス感染症は否定されます。

ただ、これは今の時点で、
流行している上気道炎に限った話で、
また別の時期になれば判断は変わるという可能性があります。

6月に発熱が持続する患者さんで、
扁桃炎の所見があり、
抗菌剤を処方したものの経過が遷延するために、
新型コロナウイルス感染症診療の窓口の1つとなっている病院に、
ご紹介をしたのですが、
病院ではPCR検査はすることなく、
扁桃炎として診療を施行しました。

通常心配なのでPCR検査もして、
新型コロナウイルス感染のないことを確認したいところですが、
その病院の先生は新型コロナの患者を多数診察しているので、
経験的にその必要を認めなかったのだと思います。

僕も今では症状を1つの基準として、
すぐにPCR検査を行なうのか、
その可能性は低いとしてまずは経過をみるのかを、
考えるようにしています。

さて、クリニックでは新型コロナウイルスの診療自体は出来ないので、
PCR検査が陽性と判明した時点で、
患者さんには保健所からの連絡を待ってもらう、
という対応が通常です。

ただ、東京都の感染動向の資料を見て驚いたのですが、
入院患者が1000名強、宿泊療養が150名強(7月25日現在)であるのに対して、
自宅療養が400名強で、
入院療養調整中が1000名を超えています。

基本的には新型コロナウイルス感染症と診断されて、
症状のある患者さんについては、
入院もしくは宿泊療養が通常と理解していたのですが、
実際には入院もしくは医師看護師の観察下にある患者は、
陽性者の半数に満たないという現状であることが分かります。

僕が問題と考えるのは、
軽症の新型コロナウイルス感染症と診断され、
発生届が提出された患者さんが、
軽症と判断された場合には、
結果的に放置に近い状態となってしまい、
主治医もいない状態で自宅待機を強いられてしまう、
ということです。

医療的サポートなく多くの軽症患者さんが、
放置されてしまうような現状は、
好ましいものではないように思います。

今年の4月から5月くらいの時期には、
入院が必要でありながらベッドがなく、
自宅待機を長期強いられるというケースが問題となった訳ですが、
現状はそうではなく、
軽症ではありながら対応が決まらず結果として放置されている、
というような患者さんが多い、
という状況であるようです。

個人的にはもし自宅療養の方針なのであれば、
外来主治医が継続的に、
経過をみてゆくような態勢が望ましいように思いますが、
その線引きのようなものは、
現状は明確ではないようです。

今後はこうしたケースでは患者さんに現状を聞きつつ、
必要あれば連絡をしてもらうような態勢を、
取ってゆこうかと考えています。

今日は今思う新型コロナの現状についてのあれこれをお届けしました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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小劇場演劇は死ぬのか? [身辺雑記]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも須田医師が外来を担当する予定です。

それでは今日の話題です。

今日も身辺雑記的記事になります。

小劇場演劇は僕にとっては、
多くの娯楽の中でも最も愛していた世界で、
もし一度だけタイムスリップが可能であるとすれば、
状況劇場の「ベンガルの虎」の上野不忍池の初演を観る、
と決めているくらいです。
人生での一番の後悔は、
頑張れば行くことの出来た、
第七病棟の「ビニールの城」を東京で観なかったことです。

ただ、現時点でこの数年くらいの期間における、
小劇場演劇の将来については、
悲観的に思わざるを得ません。

小劇場演劇というのは、
狭い場所に観客は閉じ込められたり、
変な場所(野外を含む)に誘導したりして、
汚い恰好で唾を飛ばし合って熱演する役者を、
その唾が降りかかるような状態で、
ドキドキしながら観劇するという娯楽なのです。

それが小劇場演劇の王道であるのです。

勿論そうでない小劇場演劇というものも存在はしていましたし、
今も存在しています。

モニターだけが舞台に並んでいて、
役者が存在しない、という舞台もありました。
地図を片手に野外を散策して、
そこで当時多発的に起こる事件を楽しむ、
というようなタイプの演劇もありました。

ただ、そうしたものは敢くまで「変化球」であって、
小劇場演劇の王道とは言えません。

王道は密閉空間で、
非常に近接した肉体の表現を体験する、
という性質のものなのです。

これは言ってみれば三密の最たるもので、
カラオケボックスに不特定多数の人間を閉じ込めて、
密接した空間で大声で歌を歌う、
というような状況と酷似しています。
つまり、濃厚接触の最たるものであり、
飛沫感染のリスクが非常に高まるような状態です。

演劇の上演時間は、
平均すれば2時間くらい。
長いものは3時間以上ありますし、
短いものでもまあ、時に30分以内という、
意図的に短くしているものもありますが、
少なくとも15分以上同じ閉鎖空間で、
飛沫感染の生じやすいような状態が続くことは事実で、
仮にその中に新型コロナウイルス感染症の、
患者さんが紛れていれば、
感染のリスクが非常に高いものになることは、
ほぼ間違いのないことなのです。

現状様々な感染対策を行って、
小劇場の公演を再開する試みが行われています。

観客やキャスト、スタッフに検温をする、
体調不良かどうかの確認をする、
入場時に手指消毒を行ってもらう、
客席を間引いて1メートル以上の距離を保つ、
定期的な会場の換気を行う、
観客にはマスク着用を義務化する、
などです。

上演される舞台自体も、
パーテーションを置いたり、
役者同士がなるべく距離を取って、
向き合って会話を交わさないようにしたり、
フェイスシールドを使用したりと、
工夫が凝らされています。

これは確かに感染リスクを減らす、
という意味では一定の有効性のある対策です。

しかし、感染をなくすという対策ではありません。

これまでに報告された、
最も信頼のおけるデータにおいても、
マスクや人間同士の距離をとる(Physical distancing)の有効性は、
8割程度のリスク低下とされています。
有効ではあるけれど、
感染自体は起こっておかしくはないのです。

感染していないことを確認するための検査、
というようなものが存在していれば、
それを皆でやればいい、
ということになりますが、
実際にはそんな検査はありません。

PCR検査にしても抗原検査にしても、
感染を疑う状況や症状があった時に、
それを鑑別診断するための検査であって、
陰性であれば大丈夫、
という免罪符のような意味はありません。

今陰性であっても、
1時間後の検査では陽性、
ということが当然あり得る訳ですし、
感染が拡大しているような現状では、
検査をして陰性だから大丈夫、
と考えた人が感染を広げてしまうというリスクが、
充分に想定されるからです。

抗体検査は免疫の有無を鑑別出来るのでは、
と一時期待をされたのですが、
現状測定されている抗体にそこまでの役割はなく、
現行の抗体検査は混乱を招くだけの可能性が高いので、
少なくとも不特定多数に感染予防目的で行うことは、
意味がないというのが現時点での判断です。

つまり、
現状やれば安心、というような検査はないのです。
検査は基本的に新型コロナウイルス感染症の、
リスクが高いと想定されるときにするもので、
その診断を補足する役割を持つものであって、
単独で診断可能という性質のものではないのです。

そうなると、
この病気に感染するリスクの高いような環境には、
極力身を置かないことが適切な判断である、
という帰結になります。

クルーズ船やカラオケボックス、
老人施設や病院、バーやライブハウス、
屋内でのセミナーや集会などは、
そうしたリスクが明らかに高い状況です。

そして実際にそうした状況下では、
感染の広がりが非常に強くなることが、
これまでの事例から確認されています。
1人から10人に感染というような状況も、
出現しておかしくはありません。

そして、小劇場はもちろん、
こうしたリスクの高い環境と言って良いのです。

このうちで病院や老人施設は、
その社会的な必要性が高く、
リスクはあっても運営は継続する必要のある施設です。
そのために通常より厳密な感染予防策を取りながら運営がされ、
1人でも感染者が出た時点で、
その機能の一部もしくは全部を、
一定期間停止するという措置が取られます。
患者の捕捉も行いやすいという性質があります。

それでは、
小劇場で病院と同じような感染予防策が取れるでしょうか?

残念ながらそれは不可能ですし、
仮に可能であるとして、
そこはもう小劇場ではないと思います。

従って、
小劇場ではクラスターは必ず発生します。
今のような感染の広がりにおいては、
それは仕方のないことなのです。
防ぎようのないことなのです。

ここからは僕の独自の見解ですが、
現状小劇場は全て閉めるべきだと思います。

ただ、それは小劇場演劇がなくなる、
ということを意味しているものではありません。

演劇は、
一旦今の王道のありかたを、
捨てる必要があるのです。

三密の空間で楽しむのが小劇場演劇なのですから、
それが一旦なくなるのは仕方のないことなのです。

いつまで、と言うと、
感染がコントロールされるまでです。

有益なワクチンによる集団免疫の賦与は、
その1つのゴールではあります。
ただ、別にワクチンがなくてもスペイン風邪が沈静化したように、
こうした新規の病原体による感染は、
一定期間広がった上で、
徐々には沈静化するのがこれまでの歴史的事実です。
これも1つのゴールでより自然な解決ですが、
おそらく数年は掛かると想定されます。
人間の生活の仕方を抜本的に改め、
人間同士の生身の接触を避けて、
インターネットなどを駆使しつつ、
ある意味個々の小集団がロックダウンしつつ、
経済を回すことが可能であれば、
そうした「新しい生活」に移行するのも、
もう1つの選択肢です。
感染の初期から使用可能で、
感染リスクを著明に軽減しつつ、
病気の快復も促進するような治療薬が開発される、
というのも選択肢ではありますが、
現状その可能性は低いように思います。

冷静にこの状況を見れば、
大人数のカラオケやバー、ライブハウス、
小劇場や屋内のセミナーなどを、
「感染対策を徹底して持続する」という今の方針は、
そう言うしか仕方がないということは分かりますが、
現実的な解決策ではなく、
クラスターを予防出来る方策ではないと考えます。

一旦そうした環境は、
ストップするしかないのです。
現状の認識では、
それは少なくとも年単位になる可能性が高い、
というように思われます。

それでは小劇場演劇に将来はないのでしょうか?

そんなことはないと個人的には思います。

以下はやや夢想に近い僕の考えです。

まず可能性があるのは野外劇です。

そもそも明かりのない昔において、
演劇は戸外でやるものでした。

野外劇こそ演劇の母であり父であるのです。

新型コロナウイルスが野外で集団発生した、
というような事例はこれまでになく、
通常のマスクや手指消毒のような感染対策さえ怠らなければ、
野外劇はいつでも可能です。

無言劇というのも1つの方向性です。

この場合役者のみならず観客も、
劇場に入ったら一切の言葉を発することを許されません。
言葉というコミュニケーション手段が奪われた、
という仮定から始まるフィクションの豊穣さを、
楽しむような芝居はどうでしょうか?

感染リスクを限りなく減らすための、
これは1つの実験的な試みです。

役者を無機物で代用したり、
遠隔の画像の組み合わせで表現することは、
現状でも試みられている1つの解決策で、
リモート演劇というような趣向です。

ただ、演劇というのは生身の肉体がそこにある、
ということが不可欠な要素であると、
個人的にはそう考えているので、
モニター同士が対話するような演劇は、
それはもう映像メディアであって、
劇場や観劇空間とは馴染まないものであるように、
個人的には思います。
それは演劇ではないのです。

反体制的な部分や反社会的な部分は、
それが藝術という意匠を纏っている範囲においては、
小劇場演劇の魅力の1つでもあります。

以下はそのための少し不謹慎なアイデアです。

クラスターの発生した劇場を舞台として、
その原因を時間を遡るようにして検証するような、
そうした「演劇」を創作します。
舞台は全ての扉が開かれ、
ほぼ戸外と化した劇場です。

観客も距離を取ってその様子を見守りますが、
時間が遡るにつれ、
劇場は密閉空間に近づき、
ラストは感染リスクのない短時間のみ、
劇場という密室が再現された瞬間に終わります。

それは最初に色々な可能性が示されながら、
予想外の「最初の感染者」が、
舞台に登場した瞬間でもあるのです。

これは感染という現実の恐怖を、
観客の安全が担保されるギリギリを狙って再現するという、
少し不謹慎な企画です。

今上演するには問題がありますが、
少し感染が収束に向かった段階であれば、
上演の意義があるように夢想します。

その昔アングラの最盛期に、
寺山修司は「疫病流行記」という密室劇を創作して上演しました。

この作品は密室を更にカーテンで仕切るという趣向ですから、
勿論現在上演は不可能です。

ただ、今演劇として最も上演すべきテーマは、
「疫病流行記」であることは間違いがなく、
演劇に関わる全ての方は、
今上演するべき「疫病流行記」の可能性を、
今は夢想にせよ追い求めるべきではないでしょうか?

現実のウイルスが生み出す、
不安や恐怖の連鎖に、
真の意味で対抗出来る人間の武器は、
藝術の夢想の力であり、
それは現実に疫病を防ぐような力は持たないけれど、
その未来の水先案内人になるべきものではないでしょうか?

僕の大好きな演劇の、
今こそ底力を見せて下さい。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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PCR検査の混乱と感染の現在 [身辺雑記]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

本日は祝日でクリニックは休診です。

今日は身辺雑記的な記事になります。

新型コロナウイルスの唾液のPCR検査が、
2週間くらい前には検体提出の翌日には結果が出ていたのですが、
ここ数日は遅れに遅れていて、
20日提出分については、
検査会社に何度も連絡を入れ、
お願いにお願いを重ねて、
ようやく22日の午後4時半にファックスが届きました。

詳細は言えませんが、
結果を受けてまた患者さんに来て頂いて説明したり、
あれやこれやがあり、
保健所とも何度も連絡を取って、
昨日午後は休診だったのですが、
事前の予定はほぼ全てつぶれました。

その間に品川区のPCRセンターがパンク状態で、
昨日の時点で次に検査の出来るのが27日ということになり、
依頼がこちらに廻って来て、
25日に数件の検査を受託しました。

25日に検査をしても、
現状の外注検査会社の混乱ぶりを見ると、
検査結果がいつ出るのか定かではありません。

その説明はしたのですが、
それでもまだこちらの方が早そう、
ということで検査は行う方針となりました。

21日に検査をした方が仮に陽性であると、
職場のクラスターになる可能性があり、
早く結果が欲しいのですが、
これもいつ結果が来るのか定かではありません。
これからクリニックに行って確認をする予定です。

埼玉の方に救急専門の有床クリニックがあって、
PCR検査を積極的に受託していて、
メディアでも盛んに登場し宣伝をされています。

勿論意義のある試みではあろうかと思います。
熱意を持った医療機関であろうとも思います。

ただ、最近の宣伝はかなり過剰なもので、
特にPCR検査の無条件の受け入れのような姿勢には、
少なくとも品川区の現状とはかなり乖離した点があって、
正直腹立たしい気分になります。

まず、県外の方の検査も積極的に受け入れているので、
実際に品川区の方も、
その埼玉のクリニックで検査を受けていると、
実際に複数の事例を確認しています。

結果として感染している可能性のある都内の方が、
埼玉に移動することになり、
その往復で感染が拡大するリスクがあります。
それで陽性が判明すると、
結果として品川区の保健所に連絡が入り、
品川区で対処しなくてはいけないことになるのです。

患者数が都内で急増し、
保健所もPCRセンターも検査会社もパンク状態で、
このような対応が妥当でしょうか?

今週の日曜日のテレビであったと思いますが、
そのクリニックの先生は、
少しでも症状のある方は全て公費でPCR検査をします、
と言われていて、
朝に検体を提出すれば、
5時間後には結果が出せるとも言われていました。

それは確かにそのクリニックではそうなのでしょうが、
それは検査会社がそのクリニックの検査を最優先で行っているからで、
前述のように、
少なくとも今週の品川区の現状で言えば、
そのような状況は現実にはないのです。

こうしたテレビを見た方から、
「なんで、検査の出るのが遅いのだ。テレビでは5時間で出るといわれたぞ」
とお叱りを受けるこちらの身にもなって欲しい、
というのが今の正直な気持ちです。

そもそも少しでも疑いのある症状があれば、
無条件で公費のPCR検査を行ないます、
というアナウンスには問題はないのでしょうか?

PCR検査を増やせ、という意見があることは承知していますが、
闇雲の検査をすればそれで良い、
というものではないではないでしょうか?
現状最低でも16000円くらいの税金が、
PCR検査1件当たりで拠出されているのです。
それでも公費の検査をすると、
殆どは検査会社に支払うことになり、
医療機関はむしろ赤字になるのです。
財政は圧迫されますが、
その実誰も儲けてはいないという奇怪な仕組みになっています。

今この状況においては、
検査のパンクを避けつつ、
効率的な検査を行なって、
必要な人の検査結果が、
迅速に出せるということが重要なのです。

今のように無秩序に検査をすると、
全ての検査が遅れることで、
対応にも遅れが生じてしまうのです。

状況は常に変化をしていて、
数日前の正解が今は誤答になっているのです。

そのことを是非理解して頂きたいと思います。

やや混乱した文章になりました。

言わんとすることが伝わっているでしょうか?

それでは今日はこのくらいで。

これからクリニックに向かいます。

石原がお送りしました。
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PCR顛末記(2020年7月22日の現状) [身辺雑記]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今とても困っています。

7月の10日から唾液のPCR検査が可能となり、
ある大手の検査会社に検査を依頼しています。

7月11日に施行した検査の結果は、
12日にはファックスでクリニックに送付されました。
その後も概ねそのペースで結果が来たので、
患者さんにも概ね翌日か遅くても2日後には結果が出ます、
という説明をしていました。

ところが…

7月20日に数人の検査を行なって、
検体を3重に封をして提出しました。

翌日の朝に確認しましたがファックスは来ませんでした。

昼にもう一度確認しましたがファックスは来ません。

それで窓口となる検査会社の営業所に連絡をすると、
「正確には言えないが本日の午後5時までには届く予定です」
ということなので、
遅いなあ、と思いながら待っていました。
しかし、午後5時を過ぎても結果は届きません。

それでもう一度営業所に連絡すると、
「今日の夜には届く予定です。24時間体制で検査をしていますから」
というやや不安に感じる曖昧な答えでした。

それで当日は無理と考え、
検査をした患者さんにも、
結果が出次第連絡はするけれど、
今日になるか明日になるかは分からない、
というお話しをしました。

翌日朝クリニックに来ましたが、
まだファックスは届いていませんでした。

検査会社への連絡は午前10時にならないと出来ないので、
外来をしながら10時を待って連絡しました。
すると、「こちらでは確認出来ません」
というすげない返事です。
「何処に聞けばいいのですか?」
と聞くと、
「ラボのPCR受付に聞いて下さい」
と携帯の電話番号を教えられました。

それでラボに連絡すると、
20日1日だけで3000件以上の検体が集まっているとのことで、
検査はまだ半分程度しか済んでいない、ということでした。
「それではいつ結果が出るのですか?」
と聞くと、
「今日の昼の12時までには出すように最大限努力しています」
というやや語尾に不安を感じる返答です。

それで患者さんには、
「申し訳ありません。どうか、今日の昼まで待って下さい」
と個別に連絡し、
外来をしながら午後0時を待ちました。

午前11時55分です。
ファックスは来ません。

午後0時丁度です。
複合機はうんともすんとも言いません。

午後0時5分にファックスが来ましたが、
ただの宣伝でした。

午後0時10分です。
ファックスは来ません。

午後0時30分です。
ファックスは来ません。

幾らなんでも酷いじゃないかと思い、
もう一度営業所に連絡をしました。

すると営業担当の方の話では、
「午後0時に送信する筈のファックスの予定が、
午後2時くらいに遅れるという連絡が入っています」
という脱力するような返事でした。
「それは間違いがないのですか?午後2時には来るんですか?」
と再度尋ねると、
「午後2時から3時には…」という案の定の返事です。

「もし午後3時を過ぎるようなら、
僕の携帯に連絡して下さい」
と言って電話を切ると、
再び検査をした患者さんに連絡を取り、
もう一度説明をして、
午後3時にこちらから電話をすると説明しました。

午後は予定があったのですが、飛びました。

それで今、ファックスを待っているところです。

現状はこんな感じで、
PCR検査はあちこちでパンク状態になっているようです。

品川区のPCRセンターも予約がパンクに近い状態で、
6月には殆ど陽性者はいなかったのですが、
先週1週間の陽性率は12.2%となっています。

これで明日から連休突入ですか…

僕は比較的楽天的な方ですが、
それでもかなりまずい状況であることは、
ひしひしと感じています。

ファックスは…まだ来ません。
(2020年7月22日午後2時5分)
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曜変天目ニ椀 [身辺雑記]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

この間京都と奈良に行って、
丁度公開されていた国宝の曜変天目(ようへんてんもく)
茶碗を2椀鑑賞しました。

完品での現存が3椀のみで全て国宝という、
お茶碗好き以外にも広く知られている作品です。

まず最初に行ったのが、
京都から勢いでレンタカーを飛ばして、
滋賀のミホ・ミュージアムで鑑賞したこちらです。
ようへんてんもく1みほ.jpg
ミホ・ミュージアムは新興宗教の運営する美術館で、
その指導者の方のコレクションが母体となっているのですが、
一般にも公開されて観光地になっています。

山の中にあって、
トンネルを潜り、
巨大な吊り橋のようなものを渡って館内に入ります。
収蔵品そのものより、
その圧倒的な景色の美観が印象的です。

今回は特別展として、
大徳寺の子院に収蔵されている曜変天目が出品されています。

曜変天目のガラスケースまで長い列を並び、
30分ほどで鑑賞出来ました。
係り員の方が1分を測っていて、
その1分間のみは最前列で鑑賞出来るという方法です。
1分が過ぎてまた鑑賞したい方は、
再び列の後ろに並びます。

ストレスが掛かりますが、
仏像と違って茶碗にはそう執着はないので、
物見遊山的には1分で充分な感じです。

正倉院展の時やフェルメール展の時には、
そうした時間制限はないので、
同じ作品の前に、
同じ人が10分でも15分でも陣取って、
そのまま動かないのでいつまで経っても観ることが出来ません。
「こいつめ!」と思わず頭を叩きたくなります。
その人の後頭部を、
「ははあ、この辺りに少し問題がありそうね」
とじっくり鑑賞してため息を吐きます。
「早く去れ!」と念じますが、
どうやら僕にはそうしたスペックはないようです。
それと比べればこの形式の方が、
余程ましかな、と思いました。

茶碗は3椀の中で一番小さく、
外側には文様がありません。
清楚で楚々とした感じでした。

それから奈良に行って、
毎年3回以上は訪問している、
奈良国立博物館に足を運びます。

特別展がこちらです。
ようへんてんもく2なら.jpg
こちらは今リニューアル中で閉館している、
大阪の藤田美術館からの出張展示です。

矢張り曜変天目のみ列の後ろに並びます。
こちらも30分くらいで最前列に着きます。

らせん状の通路の真ん中にガラスケースがあるので、
そこまでの通路で並びながら解説のパネルを読むことが出来ます。

この博物館はライティングが良く、
陳列もセンスがあると思います。
同じ国立でも京都国立博物館はセンスもライティングも最低で、
これはもう人間の問題なのだと思います。

こちらは1分という制限はありませんが、
時計回りにケースの周りを一周し、
それでお終いという方法です。
前後に促されるので、
同じ親父が15分粘る、
ということは出来ないのです。

大徳寺のお椀より大ぶりで、
模様は外側にもありとても華やかです。
仏像と違って守備範囲ではありませんが、
それでも良いな、とは思いました。

肝心の仏像は、今の時期はあまり目玉がありませんでした。

今日は曜変天目の訪問記でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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フェルメール展(フェルメールと私) [身辺雑記]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は中村医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
フェルメール展.jpg
先日終了間近の東京のフェルメール展に足を運びました。

フェルメールの絵を初めて実際に観たのは、
1994年に循環器の学会でベルリンに行った時で、
今回も来日したベルリン国立美術館の「真珠の首飾りの女」でした。

今はどうか分かりませんが、
あの美術館は学校に併設されたようなギャラリーで、
結構のんびり鑑賞することが出来ました。
レンブラントやカラヴァッジオの作品も印象的な美術館でした。

その後でウィーンに行って、
ウィーン美術史美術館で「絵画芸術(画家のアトリエ)」を観ました。
この美術館は2日間掛けてじっくりと鑑賞しました。
ここも当時は特にフェルメールの絵の前が、
賑わっているという感じはありませんでした。

通常海外の美術館では、
多くの絵はガラスケースなどなくそのまま鑑賞することが出来ますが、
当時からフェルメールの絵に関しては、
ヨーロッパの美術館でもガラスケースに入っていて、
ガラス越しの鑑賞でした。

そんな訳で、
フェルメールは当時から伝説的な画家でしたが、
絵は小さいしガラス越しだしと、
あまり良い印象はありませんでした。

次は2度目に来日した「真珠の耳飾りの少女」の時で、
この時は勿論非常に混雑していたのですが、
1列に並んでゆっくり動きながら鑑賞する、
という様式で、
何度か列に並ぶことで、
比較的じっくりと鑑賞することが出来ました。

ガラスケースには勿論入っていたのですが、
一見では直に展示してあるように見えます。

この時はさすがに良かったですね。
とても感銘を受けました。

今回は一度に10点近いフェルメールの真作が一堂に会する、
という日本ではかつてない企画展で、
実際には小ぶりな美術館の、
一番最後の部屋のみにフェルメールが集められています。

勿論大混雑ではあるのですが、
日時と時間を指定したチケットを買うという方式なので、
それほどのストレスなく会場に入ることは出来ます。

ただ、フェルメールの部屋では、
ゆっくり動きながら鑑賞するという方式ではなく、
そのまま幾らでも絵の前に止まれるので、
いつまでも絵の正面で動かないような人がいると、
かなりストレスに感じてしまいます。
もともととても小さな絵ばかりなので尚更です。

当日は最後に飾られていた「牛乳を注ぐ女」の前に、
長身の外国の方が真正面に仁王立ちをしていて、
15分くらいねばりましたが、
ビクとも動かないので、
うんざりしてあきらめて帰りました。

今回もとても反射の少ないガラスケースが使われていて、
ちょっと見にはガラスがないように見えます。
鑑賞環境はまずまずだったと思います。

ヨーロッパの美術館はいいですよね。

それほど行っているという訳ではありませんが、
ウィーン美術史美術館もプラド美術館も良かったですし、
ウィーンもスペインも、
田舎にさりげなくあるような、
小さな美術館がまたムードがあって良いのです。

また行きたいな、とは思いますが、
今の仕事環境ではなかなか難しそうです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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ナイツ独演会「ワッショイ」でないことだけは確か [身辺雑記]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ナイツ.jpg
ナイツの独演会に足を運びました。

ナイツにはそれほど興味はなかったのですが、
最近レセプト作業をしている時に、
you tubeで唐先生の状況劇場時代の音声と、
ナイツの漫才のまとめ音源を、
交互に聞きながらエンドレスでやっているので、
だんだんと好きになって来ました。

まとめて聞いていると、
お馴染みの「ヤホー漫才」以外にも、
色々なバリエーションがあって、
シュールなものからベタな楽屋落ち、
技巧的に練り上げられたミステリー的なものまで、
とても面白くかつ完成度が高いのです。
塙さんの奇想とボケも良いのですが、
土屋さんがとても良い仕事をしています。
歌も物まね芝居も抜群の完成度です。

それで今回は是非と思い舞台に足を運びました。

漫才の独演会というのは、
あまり行ったことはなかったのですが、
ナイツが漫才を7本披露し、
その合間にゲストがネタを披露してメリハリを作ります。
途中には土屋さんが演歌のオリジナルの新曲を歌う、
という企画があり、
最後にはお楽しみとして、
塙さんが出演した刑事ドラマのパロディ芝居が付きます。

漫才も作家さんが書いたものが3本に、
ナイツ自身のオリジナルが4本で、
内容にも幅があり堪能出来ました。
欲を言えば伏線を張り巡らしたマニアックなものも、
生で聴きたかったな、というようには思いました。

いずれにしてもとても楽しい2時間を過ごすことが出来ました。

これからも藝を磨いて頑張って欲しいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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カンニング竹山単独ライブ「放送禁止2018」 [身辺雑記]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
カンニング放送禁止2018.jpg
もう1ヶ月ほど前になりますが、
毎年恒例のカンニング竹山さんの単独ライブに足を運びました。

このライブは6年くらい前からは、
気に入って毎年足を運んでいます。

このライブは鈴木おさむさんが構成をしていて、
いつも一ひねりあるんですね。
最初に見たのが結構完成度の高い回で、
行き当たりばったりに話を広げているように見えて、
最初から随所に伏線が引かれ、
それが最後に収斂して、
意外なクライマックスに結び付くのです。
その良く出来たミステリーのような舞台に、
なるほど、たった1人のトーク・ライブを、
こうして構造化することが可能なのだ、
と感銘を受けたのです。

当時のそこまでビッグではないけれど、
芸能界の一角にはしっかりと踏みとどまっている、
でもそれほどしがらみはないので、
言いたいこともまだ言えるし、
一般の人との距離も、
それほど開いていない、
という感じの竹山さんの立ち位置が、
またとても良い感じではあったのです。

ただ、ここ数年の内容は、
正直付け焼き刃的なものが多くて、
以前であれば1年がかりで準備をして、
という感じであったのに、
最近のものはちょこちょこ取材しただけ、
というようなものが多くて、
お忙しいので仕方がないのかな、
と思うものの、
少しガッカリすることが多かったのが、
正直な感想です。

特に今回は、
実際に準備されたアクションが、
3日だけの張り込みというもので、
それから1つのインタビューのみから構成されていたので、
それは幾ら何でも手抜きではないかしら、
と感じてしまったのと、
インタービューも敵対するべき相手に、
簡単に丸め込まれているような感じがあったので、
個人的には「それはないだろう」
という気分になってしまいました。

この落胆というのは、
おそらくは竹山さんがそれだけ以前よりビッグになり、
ステイタスが上がっていることの証明なのだと思います。

だから、竹山さんにとっては良いことなので、
1人のファンとしては素直に、
「良かったですね」と言うべきなのだと思います。

こうしたことは以前にも何度かあって、
中学生から高校生くらいまで、
タモリのオールナイトニッポンが大好きで、
毎回テープに録音して何度も聴いていたのですが、
ある時から「素晴らしい人に会った、感激した」
みたいな普段は毒舌ばかりなのに、
社会的にステイタスのある人に対して、
素直に感激して崇拝する、みたいな感じの話が多くなって、
それから今度は自分の自慢というのか、
「俺は金はあるんだ」みたいなことを、
勿論ギャグとして言うのですが、
聞いている方はそうは感じないので、
だんだんその自分との距離感に嫌になって、
聞くのを止めてしまったことがありました。

また、高校から大学にかけての時期は、
ビートたけしのオールナイトニッポンが大好きで、
これもつらい生活を乗り切るために、
これだけが楽しみ、という感じで心の支えであったのですが、
フライデイ事件の前くらいの時期は、
矢張り「俺は偉いんだ、お前らには見えない世界を見ているんだ」
というような感じが漂うようになって、
少し「兄さんも遠くに行ってしまったのね」
という残念さはあったのでした。

ファンにも卒業はあるものですから、
これはこれで世の常ではあるのですが、
人生に一度くらい、
そうした段階を乗り越えて、
一生のファンであるようなあり方が、
あればいいのに、とは思うのです。

でもこれは、僕の側の成長が未熟なためかも、
知れませんね。

多分来年はもう行かないと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

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遺伝子検査はそれほど役に立たないこともある、という話 [身辺雑記]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は金曜日でクリニックは休診ですが、
老人ホームなどの診療には出掛ける予定です。

それでは今日の話題です。

今日はちょっとした雑談です。

数年前に風疹の若年層の流行が、
大きな問題になったことがありました。

その時に20代の女性で、
発熱と共に全身に米粒大の赤い皮疹が、
出現した患者さんが外来を受診されました。
場所は勿論今の品川ではありません。

頸部のリンパ節の腫脹も認められ、
風疹を疑って保健所に連絡を入れました。

通常全ての事例で個別に検査をしてくれる、
ということはないのですが、
たまたま風疹の流行が問題になっていた、
ということもあったのでしょう、
保健所の担当者の方がクリニックを訪れ、
風疹の遺伝子検査をして頂けることになりました。

同時に採血をして、
風疹の感染初期に上昇するIgM抗体と、
以前の感染の場合に上昇するIgG抗体を測定しました。

その結果…

血液検査ではIgM抗体、IgG抗体ともに陰性でした。

これは判断に迷う結果です。

そして、数日後に遺伝子検査の結果が判明しましたが、
その結果も陰性とのことでした。

要するに風疹はほぼ否定されたのです。

ただ、僕はどうも納得がいきませんでした。
患者さんは麻疹ははっきりした既往がありましたが、
風疹についてはそれはなく、
症状経過からも風疹が強く疑われたからです。

それで、
1か月後に再度検査をする機会があったので、
もう一度IgG抗体価を測定しました。

すると、
1280倍と明確な抗体価の上昇があり、
風疹であったことがほぼ確定しました。

それでは、遺伝子検査では何故陰性だったのでしょうか?

これは何とも言えませんが、
検体を採取するタイミングもあったと思いますし、
ウイルス量などの問題もあったのかも知れません。

いずれにしても、
遺伝子検査も万能ということではなく、
抗体価の測定や臨床症状などと、
適宜比較対照して、
その信頼性を高める必要があるのだと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

お猿のシャーロット [身辺雑記]

思い付きでもう1つ雑談を記事にします。

何処かの国で女の子が生まれたという、
格段ニュースにもならなさそうな話題が、
大騒ぎで報道され、
その女の子の名前の一部がシャーロットである、
ということがまた、
驚天動地の如くに報じられると、
たまたまその時に、
日本の南の方の町で、
動物園の猿の赤ちゃんの名前が公募されていて、
騒がれれば、
そりゃ、シャーロットという名前が多く書かれるのは、
理の当然でしょ。

それで多数決により、
お猿の赤ちゃんの名前がシャーロットになると、
それがまた面白ニュースとして報道されます。

すると、
今度は「猿に外国の王女の名前を付けるとは失礼だ」
という抗議の声が動物園に殺到し、
それがまた扇情的に報道されます。

この段階では、
お猿にシャーロットという名前を付けるという行為は、
「悪」として排斥される流れになりました。

しかし…

これですまないのが、
今の世の中の恐ろしさです。

ネットで幅を利かせているようなご意見番的な人物の多くは、
「お猿のシャーロット」の是非について、
様子見をしてあまり積極的な発言をすぐにしませんでした。

まずは、
「本当にかの国がお猿の名前を気にするのかな?」というような、
観測気球的な発言がチラチラと飛ばされます。

それから、
動物園を管轄する地方都市が、
王女様のお国にお伺いを立てる、
という報道があり、
これに対しては、
「こんなことで外国様に迷惑を掛けるのは恥ずかしい」
という揶揄するようなコメントを出し、
またも様子見の姿勢を取ります。

最終的には「我関せず」という、
大使館からの返事とも言えないようなコメントを持って、
行政はシャーロットという名前を変えない、
という決定をし、
「当然だ。お猿の名前など外国様が気にするものか」
という主張が今度は大勢を占め、
「お猿のシャーロット」を批判して、
炎上を画策したり、その尻馬の乗った人の方が、
「悪」や「愚劣」のレッテルを貼られる事態になりました。

もう一度この流れが反転することが、
絶対ないとは言えませんが、
おそらく「外国のお墨付き」という錦の旗を手に入れた以上、
これを覆すことは困難なように、
現状は思われます。

これが理に適った結論なのでしょうか?

僕は疑問に思います。

この問題に正解はないように思うからです。

お猿にシャーロットという名前を、
このタイミングで付けることは、
やや軽率な行ないであったように、
個人的には思います。

動物園が名前を公募する、ということの意味は、
こうしたことではない、と思うからです。
その時代を象徴するような名前を選んだり、
一番愛されているキャラクターの名前を選んだりして、
これからも末永く、
そのお猿さんの成長に、
地域の人に興味を持ってもらおう、
というくらいの意味ではないでしょうか。

そこに、一番ニュースになっている、
海外の王女様の名前を付けることは、
別に分不相応というような意味ではなく、
単純にちょっと場違いな感じがします。

ニュースはただのニュースであって、
本当に一時的な人気であり、
それほどの興味を多くの人が、
長く持ち続けるとは想定出来ないからです。

公募に対して、
「シャーロット」という名前を書いた方も、
多分殆どの方は、
その時のニュースダネで条件反射的に書いたのであって、
これが数日でも時間がずれれば、
結果は全く変わっていたのではないかと思います。

もう1つの微妙な点は、
「猿」に人間が勝手に命名する、
という行為についてのものです。

SNSやネットで権力を持っている方の少なからぬ方は、
猫などの動物の愛好家です。

たとえばこの話が、
特別な血統の猫に、
シャーロットという名前を付ける、
という話でしたら、
多分こうした問題にはならなかったと思います。
微笑ましいニュースとして、
終わったのではないでしょうか?

それでは何故今回は問題が発生したのかと言えば、
端的に言って「猿」という動物が持つイメージが、
影響をしていることは間違いがありません。

今回「お猿のシャーロット」を、
不謹慎なものとして攻撃し炎上を図った人達も、
これが猫の名前なら躊躇した筈です。

猫の背後には「猫好き」がいて、
巨大な権力と勢力とを持っていて、
その「猫好き」がどのような反応をするのかが、
俄かには判断出来ないからです。

彼らに一斉に牙を剥かれれば分が悪いのは明らかです。

しかし、それが猿なので攻撃は行なわれました。

それは、猿という動物自体の問題ではなく、
「猿」という言葉に付いたこれまでのイメージが、
「不謹慎」という事実を補強するもののように、
攻撃する側には感じられたからではないかと思います。

これは勿論一種の差別です。

悪いイメージを持つ猿とシャーロット様を同一視するのはけしからん、
という攻撃の趣旨は、
「断りもなくそうしたことをする礼儀知らずめ」
というニュアンスと共に、
猿は愚かしいものや愚劣なものというイメージがあり、
そうしたものとシャーロット様を同一視するのはけしからん、
という意味であるからです。

「猫好き」もちょっと迷ったと思うのです。

猫と猿を同一視することに、
おそらくは少し抵抗があるからです。

それが、今回様子見のような現象が生じた、
主な要因と思われます。

猿と猫と人間とを、
全く同じものとして並列に扱うのか、
それともどれか1つを特別なものとして扱うのか、
この問題が闘いに発展したような場合、
その根本にある心理が、
炙り出される可能性があるからです。

「好き」というのは、
つまりは相手を特別視する心理なので、
それは差別感情と極めて良く似ているのです。

今の世界においては、
「差別」というものが絶対悪です。

それも特に人種などの血統に属する差別、
男女や出自、職業など、
人間の属性に関する差別は、
そうしたレッテルを一旦貼られることにより、
地位や名誉や肩書の、
全てを失いかねないような重みを持ちます。

実際に些細なことでつるし上げを受け、
一生挽回不可能なようなダメージを受けた事例は、
最近では枚挙に暇がありません。

しかし、その一方で人間というのは、
いやより広く生物というのは、
基本的に差別をする性質があり、
差別は人間を含む生物の本性のようなものです。

全ての行為は差別的で、
全ての言葉は差別意識を内包しています。

それが生物というものであり、
だからこそ競争が生まれ、
進歩が生まれ、愛が生まれるのです。

要するに差別感情というのは、
他の動物を押しのけて、
人間がエラそうな顔をしていられる源泉のようなもので、
ある種の必要悪なのですが、
生物の中でそうした良い思いをしていることへの、
一種の疾しさのようなものが人間にはあるので、
「人種差別は良くない」
というような綺麗事を言い、
そのために争いまで起こすことによって、
その疾しさを相殺しようとしているのです。

ですから、
一番問題があるのは、
シャーロットという名前を付けたことではなく、
動物に相手の意思を確認することなく、
勝手に名前を付けてラべリングする、
という行為そのものの差別性にこそある訳です。

しかし、それを言いだせば、
全ての命名行為とはそうしたものなので、
全ての人間がそうしたことをしているのが実際で、
偽善で生きて威張っているような人も
火の粉を被りかねないので、
今回はそうした皆さんにも躊躇があり、
結局は「外国の大使館のご意見」という、
錦の御旗が出るまで、
表立った発言がなかったのではないかと思います。

最後に僕の考えるシンプルな正解は、
動物園が以下のような発表をする、
というものです。

担当者が猿山の猿の皆さんによくよく相談をしたところ、
「まあ、お前ら人間が勝手に俺達に名前を付けるのは、
気に入らねえけど、
今に始まったことじゃないし、
好きにすればいいさ。
でも、シャーロットってのは何か馴染めない名前だから、
変えてくれよ」
という回答を得たので、
「○○」という名前に変えることにしました、

要するに相談するのはかのお国の大使館ではなく、
お猿の皆さんであるのが筋ではないか、
ということです。

皆さんはどうお考えになりますか?
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