KERA CROSS第五弾「骨と軽蔑」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ケラさんの新作がKERACROSSの第五弾として、
今シアタークリエで上演されています。
20世紀初頭くらいの設定で、
ヨーロッパ辺りの架空の内戦中の国が舞台となっています。
キャストはいずれも手練れの女性俳優陣7人のみで、
休憩を入れて前半と後半に分かれた、
3時間くらいのお芝居になっています。
ケラさんのお芝居はとても広いジャンルに渡り、
その独特の間合いやテンポ感、
非常に長い、という共通の特徴はありますが、
演劇そのものを俯瞰するかのような、
広大な領域で作品を残しています。
僕はナイロン100℃の旗揚げから観ていますが、
正直こんな風になるとは想像も出来ませんでした。
同世代のあこがれであり、
演劇界の巨人であることは間違いがありません。
今回の作品はケラさんとしては観易い部類で、
分かり難いところはあまりありません。
設定はベリズモオペラに近い感じで、
偽の手紙のやりとりや、
舞台には登場しない男性が、
敵と味方の国で寝返ることで、
女性の運命が一変する辺りなどは、
オペラの定番の設定と言って良い感じです。
作品の本質はかなり重く、
戦争の絶えない現代を意識していますし、
ラストはかなり踏み込んだものになっています。
伝えたいことをストレートに出した、
という感じがケラさんとしては珍しいと思います。
戦争に加担しているという側面がありながら、
戦争には無関心な主人公達の姿は、
「平和ボケ」と揶揄される私達の戯画と思われますが、
それを決して完全否定しているのではなく、
「平和ボケ」の良さも悪さと同時に描写している辺りに、
ケラさんらしさを感じました。
ケラさんの舞台に馴染みのない観客も多いことを意識して、
犬山イヌコさんに「日比谷の皆さん」と、
呼び掛ける場面を用意し、
観客の心理を解き解す趣向が巧みで、
後は次々と登場する手練れの女優さんの競演を、
心ゆくまで楽しむことが出来ました。
屋内と屋外を組み合わせた舞台セットや、
得意の音響やプロジェクションマッピングを組み合わせた演出など、
舞台効果のクオリティも非常に高く、
東京で現在望みうる、
最高水準の舞台に仕上がっていたと思います。
唯一物足りなかったのは小池栄子さんの扱いで、
充分主役を張れる大女優に成長しているのに、
最近の舞台では、
勿体ない役柄に甘んじていることが多く、
今回もそうであったことは少し残念でした。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ケラさんの新作がKERACROSSの第五弾として、
今シアタークリエで上演されています。
20世紀初頭くらいの設定で、
ヨーロッパ辺りの架空の内戦中の国が舞台となっています。
キャストはいずれも手練れの女性俳優陣7人のみで、
休憩を入れて前半と後半に分かれた、
3時間くらいのお芝居になっています。
ケラさんのお芝居はとても広いジャンルに渡り、
その独特の間合いやテンポ感、
非常に長い、という共通の特徴はありますが、
演劇そのものを俯瞰するかのような、
広大な領域で作品を残しています。
僕はナイロン100℃の旗揚げから観ていますが、
正直こんな風になるとは想像も出来ませんでした。
同世代のあこがれであり、
演劇界の巨人であることは間違いがありません。
今回の作品はケラさんとしては観易い部類で、
分かり難いところはあまりありません。
設定はベリズモオペラに近い感じで、
偽の手紙のやりとりや、
舞台には登場しない男性が、
敵と味方の国で寝返ることで、
女性の運命が一変する辺りなどは、
オペラの定番の設定と言って良い感じです。
作品の本質はかなり重く、
戦争の絶えない現代を意識していますし、
ラストはかなり踏み込んだものになっています。
伝えたいことをストレートに出した、
という感じがケラさんとしては珍しいと思います。
戦争に加担しているという側面がありながら、
戦争には無関心な主人公達の姿は、
「平和ボケ」と揶揄される私達の戯画と思われますが、
それを決して完全否定しているのではなく、
「平和ボケ」の良さも悪さと同時に描写している辺りに、
ケラさんらしさを感じました。
ケラさんの舞台に馴染みのない観客も多いことを意識して、
犬山イヌコさんに「日比谷の皆さん」と、
呼び掛ける場面を用意し、
観客の心理を解き解す趣向が巧みで、
後は次々と登場する手練れの女優さんの競演を、
心ゆくまで楽しむことが出来ました。
屋内と屋外を組み合わせた舞台セットや、
得意の音響やプロジェクションマッピングを組み合わせた演出など、
舞台効果のクオリティも非常に高く、
東京で現在望みうる、
最高水準の舞台に仕上がっていたと思います。
唯一物足りなかったのは小池栄子さんの扱いで、
充分主役を張れる大女優に成長しているのに、
最近の舞台では、
勿体ない役柄に甘んじていることが多く、
今回もそうであったことは少し残念でした。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
横山拓也「う蝕」(瀬戸山美咲演出) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
横山拓也さんの書き下ろし戯曲を、
瀬戸山美咲さんが演出した舞台が、
今三軒茶屋のシアタートラムで上演されています。
これは架空の島が「う蝕」という原因不明の災害(?)に見舞われ、
多くの島民が犠牲になった後に、
遺体の身元を確認するために歯科医師が島を訪れる、
という設定で、
殆ど生きている者のいない孤島を舞台に展開される物語ですが、
如何にも小劇場的な仕掛けによって、
災害によって失われた命に対する生者の鎮魂と責任という、
「今」を強く感じさせるテーマを掘り下げた力作で、
鋭い刃物のような切れ味のある戯曲も素晴らしいですし、
瀬戸山さんの小劇場的なコントラストの明確な演出も良く、
男性のみのキャストの芝居も、
ベテランから若手までバランスの取れた見応えのあるものでした。
「不条理劇」という表現が紹介文に使われていますが、
前衛演劇ではあっても、不条理演劇ではないと思います。
昔の劇団300などで使われていた、
小劇場演劇の1つのパターンを使っていて、
イキウメの初期の「関数ドミノ」を初演した辺りくらいの、
技巧的な作品の肌触りに近い感じもあります。
こういう作品が個人的には大好物なので、
いいな、いいな、と心の中で反芻しながら、
後半はじっくりと観ることが出来ました。
これ、3幕劇なのですが、
2幕で一旦時制が戻るんですね。
3幕劇というより、能の構成に近くて、
前場と後場があって、
その間に間狂言が挟まれている感じなのです。
多分能は意識はされているんですね。
何故時制が戻るのかと2幕を観ている時は不思議に感じるのですが、
それが3幕で鮮やかに意味を持つことが分かるのです。
極めて巧緻な構成だと思います。
瀬戸山さんの演出が良いですよね。
最初に折り紙のような舞台が開くところ、
アングラ的でワクワクしますよね。
あんなことやらなくてもいいのですが、
敢えてやるところに小劇場の心意気みたいなものを感じます。
鈴の音のような音に意味を持たせたり、
舞台の凹凸がまた極めて巧みに活かされていました。
キャストは皆好演でしたが、
特に坂東龍汰さんの熱演が印象的で、
正名僕臓さんと相島一之さんのベテランが、
要所を綺麗に閉める、
とても良い仕事をしていたと思います。
総じて如何にも小劇場演劇らしい、
仕掛けと企みに満ちながら、
深いメッセージ性も秘めた力作で、
是非是非劇場で体感して頂きたいと思います。
ただ、仕掛けのある作品で、
最初から結構緊張と集中を強いる感じがあるので、
寝不足だと佳境に入る前に寝落ちする可能性もあります。
せっかくの力作がそれではとても残念なので、
是非万全の体調で観劇して頂きたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
横山拓也さんの書き下ろし戯曲を、
瀬戸山美咲さんが演出した舞台が、
今三軒茶屋のシアタートラムで上演されています。
これは架空の島が「う蝕」という原因不明の災害(?)に見舞われ、
多くの島民が犠牲になった後に、
遺体の身元を確認するために歯科医師が島を訪れる、
という設定で、
殆ど生きている者のいない孤島を舞台に展開される物語ですが、
如何にも小劇場的な仕掛けによって、
災害によって失われた命に対する生者の鎮魂と責任という、
「今」を強く感じさせるテーマを掘り下げた力作で、
鋭い刃物のような切れ味のある戯曲も素晴らしいですし、
瀬戸山さんの小劇場的なコントラストの明確な演出も良く、
男性のみのキャストの芝居も、
ベテランから若手までバランスの取れた見応えのあるものでした。
「不条理劇」という表現が紹介文に使われていますが、
前衛演劇ではあっても、不条理演劇ではないと思います。
昔の劇団300などで使われていた、
小劇場演劇の1つのパターンを使っていて、
イキウメの初期の「関数ドミノ」を初演した辺りくらいの、
技巧的な作品の肌触りに近い感じもあります。
こういう作品が個人的には大好物なので、
いいな、いいな、と心の中で反芻しながら、
後半はじっくりと観ることが出来ました。
これ、3幕劇なのですが、
2幕で一旦時制が戻るんですね。
3幕劇というより、能の構成に近くて、
前場と後場があって、
その間に間狂言が挟まれている感じなのです。
多分能は意識はされているんですね。
何故時制が戻るのかと2幕を観ている時は不思議に感じるのですが、
それが3幕で鮮やかに意味を持つことが分かるのです。
極めて巧緻な構成だと思います。
瀬戸山さんの演出が良いですよね。
最初に折り紙のような舞台が開くところ、
アングラ的でワクワクしますよね。
あんなことやらなくてもいいのですが、
敢えてやるところに小劇場の心意気みたいなものを感じます。
鈴の音のような音に意味を持たせたり、
舞台の凹凸がまた極めて巧みに活かされていました。
キャストは皆好演でしたが、
特に坂東龍汰さんの熱演が印象的で、
正名僕臓さんと相島一之さんのベテランが、
要所を綺麗に閉める、
とても良い仕事をしていたと思います。
総じて如何にも小劇場演劇らしい、
仕掛けと企みに満ちながら、
深いメッセージ性も秘めた力作で、
是非是非劇場で体感して頂きたいと思います。
ただ、仕掛けのある作品で、
最初から結構緊張と集中を強いる感じがあるので、
寝不足だと佳境に入る前に寝落ちする可能性もあります。
せっかくの力作がそれではとても残念なので、
是非万全の体調で観劇して頂きたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
「テラヤマキャバレー」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
寺山修司が死の間際に最後の芝居を作る、
という構想の舞台が、
今日生劇場で上演されています。
寺山修司の天井桟敷は、
何とか最後に間に合った、という感じで、
1982年の紀伊国屋ホールの「レミング」を観ました。
同年には利賀山での「奴婢訓」もあったのですが、
それにはどうしても行けなかったのが、
今でも悔やまれてなりません。
同年には唐先生の紅テントも、
「二都物語(再演)」と「新二都物語」の同時公演で初体験し、
アングラの魅力に取り憑かれることになったのです。
「レミング」はその後に行われた横浜公演の録画が残っているのですが、
その時はもう寺山さん自身は立ち会っていなかったのだと思います。
正直かなり緊張感がない雰囲気が散見され、
こうした映像しか残っていない、
という点がとても残念に思います。
一生に一回だけ観た天井桟敷は、
本当に本当に素晴らしかったのですね。
特にオープニングに黒衣の異様な人物達が、
スローモーションを交えた独特の動きで集い、
その動きが次第に痙攣様の激しいものに変異して、
強烈なスモークと音楽と共に暗転する場面の素晴らしさは、
今でも脳裏に強く強く焼き付いています。
そして、暗転は完全暗転と言って、
全ての明かりを完全に消灯して、
劇場内は真の闇に包まれるのですね。
この完全暗転をあらゆる空間で実現させたのは、
これは空前絶後、唯一無二の寺山演劇のみの業績なのです。
完全な闇は、それだけで最高の舞台なんですね。
それも小さな空間ではなく、
ホールのような、普通は完全に闇になることのない大空間が、
完全な闇に包まれる、というのが素晴らしいのです。
そして、闇が去ると、
そこには奇蹟の如く、
それまでとは全く違った風景が出現しているのです。
最高です!
天井桟敷の映像は、
記録用に撮られたビデオが残ってはいるのですが、
それを見てもその雰囲気は全く分からないんですよね。
完全暗転とあの動きの感じ、
普通のスローモーションとは違う、
これはもう独自の動きなんですね。
今はもう当時の寺山芝居に実際に触れた人は、
高齢者しか残っていないので、
その情報自体がもう断絶し、
消滅しつつあるのだと思います。
さて、今回の舞台は寺山修司自身が主人公として登場して、
それを本人とは全くイメージの違う、
香取慎吾さんが演じています。
まあ生前の寺山さんに関わった人が、
寺山さん本人を登場人物として出演させよう、
というようなことはしないと思うのですね。
それはもうちょっと恐れ多いと言うか、
死後の世界から叱られそうな気がするからですね。
こうしたことが平気で出来るのは、
基本的に生前の寺山さんとは無関係で、
ある意味歴史上の人物としてしか、
寺山修司を感じていないからだと思います。
数年前に野田秀樹さんの作品でも、
寺山修司さんが役柄として登場して、
彼の未発表の作品を巡って物語が展開する、
というお芝居がありました。
これはある種野田さんとしての、
寺山さんへの決別宣言のように個人的には感じました。
寺山さんが生きていた時、
既に駒場小劇場での遊眠社の活動はあった訳ですが、
おそらく交流自体は殆どなかったと思います。
今回の作品はTPTでの活動で、
日本の演劇を変えたと言って良い、
デヴィット・ルヴォーさんが演出を勤めていて、
彼は「奴婢訓」のイギリス公演を観ているので、
寺山芝居に感銘を受けた1人であるルヴォーさんが、
どのように寺山演劇のエッセンスを再構成しようとするのか、
その点に一番の興味がありました。
その結果は…
うーん、言い方が難しいのですが、
寺山芝居的なものは、
あの興奮と驚きのようなものは、
今回の作品には全くありませんでした。
一番は台本を担当した池田亮さんという方が、
非常にお勉強をされた執筆されたのだと思うのですね。
それは良く分かるのです。
それから記録映像みたいなものにも全部目を通していると思うのですね。
それも理解は出来るのです。
でも、矢張り分かっていないんですね。
寺山芝居が本質的にどのようなものであったのか、
当時の観客が何を観て、何を感じ、何に興奮をしたのか、
それを全く理解はされていないんですね。
それからキャストの皆さんも、
寺山芝居の動きや演技、声の本質が、
どのようなものであったのかを、
矢張り理解はしていないんですね。
最初の方で黒衣の人達がスローモーションで集まって来るんですね。
あれは、明らかに「レミング」のビデオを見ての場面なのですが、
全然違うんだよね。
あれは言ってみれば、野田さんの芝居のスローモーションなんですね。
寺山芝居の動きはああしたものではないんですよ。
黒衣の人物がただ歩いているだけで、
「これはまともな人間の動きではない」という感じがするんですよ。
動きだけで観客の心に衝撃と戦慄を感じさせるのですね。
役者としても、もう命がけの動きなんですね。
それがああして再現されると、
もう切なくてたまらない気分になります。
一番はテンポかな、と思うんですね。
本物はもっと異常なスローテンポなんですね。
今の人が本物の寺山芝居を観ても、
多分そのテンポの遅さに、
耐えられないと思うのです。
でも、その異常な緊張、
現実離れしたスローテンポと異様な間合いこそが、
その本質の1つであったように思います。
その中に「大滅亡」のような激しい動きが挟み込まれるので、
その落差に衝撃性があった訳です。
舞踏の基本も「静止」でしょ。
これは能に通底するような考え方ですよね。
無限の動きが静止の中には含まれている、
というようなことなんですね。
それが今の人には絶対に分からないので、
「もっとテンポ良くやった方がいいじゃん」
ということになってしまうのだと思います。
ただ、こうして文句を言いましたが、
それはかつての寺山芝居の素晴らしさを、
是非分かって欲しいと思うからで、
今回のお芝居をけなしている訳ではないんですね。
これはこれでいいと思っているのです。
これは寺山演劇とは無関係です。
それを強調したいだけなのです。
今回のお芝居は、
オペラの「ホフマン物語」の雰囲気なんですね。
藝術家が過去を振り返る劇中劇の物語。
「死」という女性が登場して狂言回しになるのは、
「ホフマン物語」のミューズと一緒です。
最初に香取さんが1人で出て来て、
「レミング」の「世界の果てに連れてって」を歌い上げて、
それ以外にも寺山さんが作詞した曲の数々が、
歌われるのですね。
短歌も引用されますし、
縁の人物として三島由紀夫も登場し、
後半には唐先生も登場して、
「吸血姫」の劇中歌を歌いあげます。
唐先生には許可は取ったのかしら。
勿論取ったのでしょうが、
誰がどのように許可したのかに興味があります。
三島さんの遺族も、寺山さんの遺族も、
勿論許可したのでしょうが、
こんな風に扱われることを分かっていたのかしら。
その辺りにも興味はあります。
寺山さんのお母さんの挿話も出て来て、
寺山芝居を再現しようとした部分は、
見世物オペラの「身毒丸」がベースになっていますね。
舞台もそんな感じが少し匂っていて、
「お母さん、もう一度僕を妊娠して下さい」
という有名なフレーズも登場します。
ただ、寺山さんを巡る女性達を、
「ホフマン物語」のように再現して、
ラスボスとしてお母さんが登場する構図であるなら、
もっと踏み込んで欲しかった感じはあります。
多分分かっていても無理だったのかな。
今回の感じだと、寺山戯曲の母親の部分を、
ただなぞっただけのような感じがありました。
演出は総じてルヴォーさんとしては凡庸だな、
という印象はありました。
日本のスタッフや役者であれば、
もっと寺山修司のことを知っている筈だろう、
という思いがあったのかも知れません。
キャストは主役を演じた香取慎吾さんが、
とても良かったですね。
何度か香取さんの芝居は生で観ていますが、
今回が間違いなく一番気合が入っていたと思います。
意外にと言っては失礼ですが、
歌も上手いので驚きました。
そんな訳で寺山演劇がモチーフと言われると、
ちょっとイライラはしてしまうのですが、
そうしたことと無関係で鑑賞すれば、
舞台面はそれなりに美しく、
名曲の数々もノスタルジックで素敵なので、
これはこれで悪くないな、という思いで劇場を後にしました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごしく下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
寺山修司が死の間際に最後の芝居を作る、
という構想の舞台が、
今日生劇場で上演されています。
寺山修司の天井桟敷は、
何とか最後に間に合った、という感じで、
1982年の紀伊国屋ホールの「レミング」を観ました。
同年には利賀山での「奴婢訓」もあったのですが、
それにはどうしても行けなかったのが、
今でも悔やまれてなりません。
同年には唐先生の紅テントも、
「二都物語(再演)」と「新二都物語」の同時公演で初体験し、
アングラの魅力に取り憑かれることになったのです。
「レミング」はその後に行われた横浜公演の録画が残っているのですが、
その時はもう寺山さん自身は立ち会っていなかったのだと思います。
正直かなり緊張感がない雰囲気が散見され、
こうした映像しか残っていない、
という点がとても残念に思います。
一生に一回だけ観た天井桟敷は、
本当に本当に素晴らしかったのですね。
特にオープニングに黒衣の異様な人物達が、
スローモーションを交えた独特の動きで集い、
その動きが次第に痙攣様の激しいものに変異して、
強烈なスモークと音楽と共に暗転する場面の素晴らしさは、
今でも脳裏に強く強く焼き付いています。
そして、暗転は完全暗転と言って、
全ての明かりを完全に消灯して、
劇場内は真の闇に包まれるのですね。
この完全暗転をあらゆる空間で実現させたのは、
これは空前絶後、唯一無二の寺山演劇のみの業績なのです。
完全な闇は、それだけで最高の舞台なんですね。
それも小さな空間ではなく、
ホールのような、普通は完全に闇になることのない大空間が、
完全な闇に包まれる、というのが素晴らしいのです。
そして、闇が去ると、
そこには奇蹟の如く、
それまでとは全く違った風景が出現しているのです。
最高です!
天井桟敷の映像は、
記録用に撮られたビデオが残ってはいるのですが、
それを見てもその雰囲気は全く分からないんですよね。
完全暗転とあの動きの感じ、
普通のスローモーションとは違う、
これはもう独自の動きなんですね。
今はもう当時の寺山芝居に実際に触れた人は、
高齢者しか残っていないので、
その情報自体がもう断絶し、
消滅しつつあるのだと思います。
さて、今回の舞台は寺山修司自身が主人公として登場して、
それを本人とは全くイメージの違う、
香取慎吾さんが演じています。
まあ生前の寺山さんに関わった人が、
寺山さん本人を登場人物として出演させよう、
というようなことはしないと思うのですね。
それはもうちょっと恐れ多いと言うか、
死後の世界から叱られそうな気がするからですね。
こうしたことが平気で出来るのは、
基本的に生前の寺山さんとは無関係で、
ある意味歴史上の人物としてしか、
寺山修司を感じていないからだと思います。
数年前に野田秀樹さんの作品でも、
寺山修司さんが役柄として登場して、
彼の未発表の作品を巡って物語が展開する、
というお芝居がありました。
これはある種野田さんとしての、
寺山さんへの決別宣言のように個人的には感じました。
寺山さんが生きていた時、
既に駒場小劇場での遊眠社の活動はあった訳ですが、
おそらく交流自体は殆どなかったと思います。
今回の作品はTPTでの活動で、
日本の演劇を変えたと言って良い、
デヴィット・ルヴォーさんが演出を勤めていて、
彼は「奴婢訓」のイギリス公演を観ているので、
寺山芝居に感銘を受けた1人であるルヴォーさんが、
どのように寺山演劇のエッセンスを再構成しようとするのか、
その点に一番の興味がありました。
その結果は…
うーん、言い方が難しいのですが、
寺山芝居的なものは、
あの興奮と驚きのようなものは、
今回の作品には全くありませんでした。
一番は台本を担当した池田亮さんという方が、
非常にお勉強をされた執筆されたのだと思うのですね。
それは良く分かるのです。
それから記録映像みたいなものにも全部目を通していると思うのですね。
それも理解は出来るのです。
でも、矢張り分かっていないんですね。
寺山芝居が本質的にどのようなものであったのか、
当時の観客が何を観て、何を感じ、何に興奮をしたのか、
それを全く理解はされていないんですね。
それからキャストの皆さんも、
寺山芝居の動きや演技、声の本質が、
どのようなものであったのかを、
矢張り理解はしていないんですね。
最初の方で黒衣の人達がスローモーションで集まって来るんですね。
あれは、明らかに「レミング」のビデオを見ての場面なのですが、
全然違うんだよね。
あれは言ってみれば、野田さんの芝居のスローモーションなんですね。
寺山芝居の動きはああしたものではないんですよ。
黒衣の人物がただ歩いているだけで、
「これはまともな人間の動きではない」という感じがするんですよ。
動きだけで観客の心に衝撃と戦慄を感じさせるのですね。
役者としても、もう命がけの動きなんですね。
それがああして再現されると、
もう切なくてたまらない気分になります。
一番はテンポかな、と思うんですね。
本物はもっと異常なスローテンポなんですね。
今の人が本物の寺山芝居を観ても、
多分そのテンポの遅さに、
耐えられないと思うのです。
でも、その異常な緊張、
現実離れしたスローテンポと異様な間合いこそが、
その本質の1つであったように思います。
その中に「大滅亡」のような激しい動きが挟み込まれるので、
その落差に衝撃性があった訳です。
舞踏の基本も「静止」でしょ。
これは能に通底するような考え方ですよね。
無限の動きが静止の中には含まれている、
というようなことなんですね。
それが今の人には絶対に分からないので、
「もっとテンポ良くやった方がいいじゃん」
ということになってしまうのだと思います。
ただ、こうして文句を言いましたが、
それはかつての寺山芝居の素晴らしさを、
是非分かって欲しいと思うからで、
今回のお芝居をけなしている訳ではないんですね。
これはこれでいいと思っているのです。
これは寺山演劇とは無関係です。
それを強調したいだけなのです。
今回のお芝居は、
オペラの「ホフマン物語」の雰囲気なんですね。
藝術家が過去を振り返る劇中劇の物語。
「死」という女性が登場して狂言回しになるのは、
「ホフマン物語」のミューズと一緒です。
最初に香取さんが1人で出て来て、
「レミング」の「世界の果てに連れてって」を歌い上げて、
それ以外にも寺山さんが作詞した曲の数々が、
歌われるのですね。
短歌も引用されますし、
縁の人物として三島由紀夫も登場し、
後半には唐先生も登場して、
「吸血姫」の劇中歌を歌いあげます。
唐先生には許可は取ったのかしら。
勿論取ったのでしょうが、
誰がどのように許可したのかに興味があります。
三島さんの遺族も、寺山さんの遺族も、
勿論許可したのでしょうが、
こんな風に扱われることを分かっていたのかしら。
その辺りにも興味はあります。
寺山さんのお母さんの挿話も出て来て、
寺山芝居を再現しようとした部分は、
見世物オペラの「身毒丸」がベースになっていますね。
舞台もそんな感じが少し匂っていて、
「お母さん、もう一度僕を妊娠して下さい」
という有名なフレーズも登場します。
ただ、寺山さんを巡る女性達を、
「ホフマン物語」のように再現して、
ラスボスとしてお母さんが登場する構図であるなら、
もっと踏み込んで欲しかった感じはあります。
多分分かっていても無理だったのかな。
今回の感じだと、寺山戯曲の母親の部分を、
ただなぞっただけのような感じがありました。
演出は総じてルヴォーさんとしては凡庸だな、
という印象はありました。
日本のスタッフや役者であれば、
もっと寺山修司のことを知っている筈だろう、
という思いがあったのかも知れません。
キャストは主役を演じた香取慎吾さんが、
とても良かったですね。
何度か香取さんの芝居は生で観ていますが、
今回が間違いなく一番気合が入っていたと思います。
意外にと言っては失礼ですが、
歌も上手いので驚きました。
そんな訳で寺山演劇がモチーフと言われると、
ちょっとイライラはしてしまうのですが、
そうしたことと無関係で鑑賞すれば、
舞台面はそれなりに美しく、
名曲の数々もノスタルジックで素敵なので、
これはこれで悪くないな、という思いで劇場を後にしました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごしく下さい。
石原がお送りしました。
加藤健一事務所vol. 116「サンシャイン・ボーイズ」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ニール・サイモンの名作「サンシャイン・ボーイズ」が、
加藤健一事務所版として上演されました。
その本多劇場での公演に足を運びました。
言わずと知れた名作コメディですが、
アメリカのコメディアンが主役で、
劇中で往年の名作コントを演じる、
というような内容なので、
翻訳劇として上演するのは難しいところがあります。
今回は演出を含めて非常に頑張っていたと思うのですが、
それでも名作として紹介されるコントを含めて、
作品のギャグ自体にはあまり笑えませんでした。
英語のコントを日本語でやって面白い訳がないので、
それはもう仕方のないことだと思います。
今回は仲の悪い老境のコメディアン2人を、
加藤健一さんと佐藤B作さんが演じていて、
加藤さんの円熟味も勿論良かったのですが、
何と言っても佐藤B作さんが絶品で、
B作さんの芝居を生で観ることが出来ただけで今回は大満足、
舞台演技というものの究極の1つを、
観ることが出来たという実感がありました。
佐藤B作さんのお芝居を初めて観たのは、
1983年の東京ヴォードビルショー結成10周年記念公演で、
この時は本当に腹を抱えて笑いました。
今に至るまで、あれだけ笑った舞台はありません。
ただ、座長のB作さんの芝居については、
独特のイントネーションで、
不器用な力押しの美学、という感じがありました。
その後折に触れてB作さんの舞台には接していますが、
1983年の時以上に面白いと思ったことはありません。
ただ、「おや」と思ったのは、
2007年の「社長放浪記」で、
伊東四朗さんや三宅裕司さんなど錚々たる喜劇役者の手練れの中で、
1人だけ異質な個性が際立っていて、
その異様なテンションのまま孤立無援に駆け抜ける姿が、
とても魅力的に感じました。
最近では大河ドラマの「鎌倉殿の13人」にも登場して、
これがなかなか良かったですよね。
B作さんの芝居が、
今1つの完成形に近づいているような気がして、
その熱演を是非一度、
脳裏に焼き付けて置きたかったのです。
そして今回…
本当に素晴らしかったですよ。
異様で鋭利な個性はそのままに、
役作りがとても繊細で完成度が高く、
何処の一瞬の動きや声を切り取っても、
その役柄の芝居として完成されています。
唯一、再現された往年のコントを演じる時のみ、
動きも声も違和感を感じるくらい若いのですが、
加藤さんも同様だったので、
これは多分演出なんですね。
「過去が戻ったようにやって欲しい」ということなのかも知れません。
ただ、これは絶対間違いで、
前後の芝居との一貫性が感じられなければ、
意味がないように感じました。
それを除けばまさに絶品の完成度で、
特にラストの2人のやり取りには心が震えました。
公演はもう地方を残すのみのようですが、
また再演されることがあれば、
是非是非足をお運び下さい。
B作さん最高です。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ニール・サイモンの名作「サンシャイン・ボーイズ」が、
加藤健一事務所版として上演されました。
その本多劇場での公演に足を運びました。
言わずと知れた名作コメディですが、
アメリカのコメディアンが主役で、
劇中で往年の名作コントを演じる、
というような内容なので、
翻訳劇として上演するのは難しいところがあります。
今回は演出を含めて非常に頑張っていたと思うのですが、
それでも名作として紹介されるコントを含めて、
作品のギャグ自体にはあまり笑えませんでした。
英語のコントを日本語でやって面白い訳がないので、
それはもう仕方のないことだと思います。
今回は仲の悪い老境のコメディアン2人を、
加藤健一さんと佐藤B作さんが演じていて、
加藤さんの円熟味も勿論良かったのですが、
何と言っても佐藤B作さんが絶品で、
B作さんの芝居を生で観ることが出来ただけで今回は大満足、
舞台演技というものの究極の1つを、
観ることが出来たという実感がありました。
佐藤B作さんのお芝居を初めて観たのは、
1983年の東京ヴォードビルショー結成10周年記念公演で、
この時は本当に腹を抱えて笑いました。
今に至るまで、あれだけ笑った舞台はありません。
ただ、座長のB作さんの芝居については、
独特のイントネーションで、
不器用な力押しの美学、という感じがありました。
その後折に触れてB作さんの舞台には接していますが、
1983年の時以上に面白いと思ったことはありません。
ただ、「おや」と思ったのは、
2007年の「社長放浪記」で、
伊東四朗さんや三宅裕司さんなど錚々たる喜劇役者の手練れの中で、
1人だけ異質な個性が際立っていて、
その異様なテンションのまま孤立無援に駆け抜ける姿が、
とても魅力的に感じました。
最近では大河ドラマの「鎌倉殿の13人」にも登場して、
これがなかなか良かったですよね。
B作さんの芝居が、
今1つの完成形に近づいているような気がして、
その熱演を是非一度、
脳裏に焼き付けて置きたかったのです。
そして今回…
本当に素晴らしかったですよ。
異様で鋭利な個性はそのままに、
役作りがとても繊細で完成度が高く、
何処の一瞬の動きや声を切り取っても、
その役柄の芝居として完成されています。
唯一、再現された往年のコントを演じる時のみ、
動きも声も違和感を感じるくらい若いのですが、
加藤さんも同様だったので、
これは多分演出なんですね。
「過去が戻ったようにやって欲しい」ということなのかも知れません。
ただ、これは絶対間違いで、
前後の芝居との一貫性が感じられなければ、
意味がないように感じました。
それを除けばまさに絶品の完成度で、
特にラストの2人のやり取りには心が震えました。
公演はもう地方を残すのみのようですが、
また再演されることがあれば、
是非是非足をお運び下さい。
B作さん最高です。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北村想「シラの恋文」(寺十吾演出 シスカンパニー公演) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
北村想さんの新作が、
今日本青年館ホールで上演されています、
北村想さんと演出の寺十吾さんのコラボは、
2013年の「グッドバイ」から中断はありながらも続いていて、
今回が多分8回目になるかと思います。
僕は初回の「グットバイ」にとても感銘を受けて、
そのうちの8作品は観ています。
昨年の「ケンジトシ」はチケットが取れませんでした。
当初はシアタートラムでの公演でしたが、
途中から人気者を主役に配するようになり、
次第に箱(劇場)が大きくなっています。
当初は古典文学作品を、
北村さんの視点で読み直す、
という感じのシリーズだったのですが、
途中からはもうあまり原作とは関連がなくなり、
昔の北村さんの劇団時代の作品に、
近い雰囲気のものになってきています。
今回の作品は主役に草彅剛さんを迎えて、
一応「シラノ・ド・ベルジュラック」が下敷きになっていますが、
舞台は近未来のサナトリウムに設定され、
剣劇もあるし落語もあるし、
胡散臭い活劇から時空を超えたラブロマンスと、
北村さんのかなり集大成的な作品となっています。
それでいてモチーフとなった「シラノ」の、
恋文代筆という趣向はそのまま残し、
もう1つのモチーフの「魔の山」の、
死と生とを知性で嚙み砕くような感じも、
しっかり残している、
という辺りに北村さんの円熟味を感じます。
このシリーズの準レギュラーと言えるのは、
段田安則さんで、
段田さんが出演する時の方が出来が良いのですが、
今回はサナトリウムの院長として、
実際にはシラノの役を振られているので、
そこは北村さんの段田さんへのご褒美であったように、
個人的には感じました。
寺十吾(じつなしさとる)さんの演出は、
いつも素晴らしくて、
僕はこの人が演出というだけで、
その芝居は観る価値があると思うくらい信頼しているのですが、
今回も素晴らしい腕の冴えを見せていて、
小説風の原作の長いト書きは全てナレーションにし、
ホリゾントをキャンバスに見立てて、
色々な風景の移ろいを繊細かつユーモラスに映し出しています。
それでいて、
主人公2人が出逢った瞬間に運命の人と感じる場面は、
音効とサスライトを徹底してアングラ的に仰々しく使用して、
超自然的な瞬間を盛り上げているのがさすがでした。
総じて映像には今の技術を使用しながら、
それをアナログな雰囲気に落とし込んで、
アングラ演出の手作り感の魅力も、
十全に活かしている点が素晴らしく、
最後のアングラ演出家と言っても、
過言ではないように思います。
キャストも非常に贅沢な布陣で、
草彅さんの自然体の魅力は、
ちょっと他に真似の出来ないものですし、
段田安則さん、鈴木浩介さん、田山涼成さんと手練れが周りを固めます。
特筆するべきは落語家を演じた宮下雄也さんで、
その外連味たっぷりの芝居は、
作品に話芸としての筋を通した感じがありました。
内容もさすが北村さんという感じで、
今回は北村想ワールド全開なのですね。
非常にふわふわした世界なので、
こうしたものだと思って観ないと、
しんどくなってしまうかも知れません。
正直僕自身も北村さんの作品は、
1980年代初頭から接してはいたのですが、
当時は「寿歌」にしても「碧い彗星の一夜」にしても、
あまり良いと思えませんでした。
当時はもっと力を入れまくったお芝居が、
時代の主流だったからなんですね。
開眼したのは「グットバイ」で、
それ以降は北村想さんの作品の見方が変わりました。
その世界は唯一無二で、
他の誰とも似ていないのです。
ただ、その作品の出来にはかなりムラが大きくて、
極限まで詰まらないような作品も結構あるのです。
今回は非常に素晴らしかったのですが、
一点後半になると、
中華大国(作品自体にある表現です)と北朝鮮らしき国が、
日本に侵略して来るという展開になっていて、
そうした設定というのは、
余程の覚悟がないとしてはいけないように、
個人的には考えているので、
ちょっと頭を抱えてしまいました。
北村さんにそこまでの覚悟があったとは思えませんし、
こうした台詞を発する、
役者さんにも気の毒だと思います。
結果としてこの展開は「魔の山」をやろうとした、
というだけのことだと思うので、
近未来の設定などにはせず、
大正時代や昭和初期のサナトリウムに舞台を設定すれば、
それで済んだことではないでしょうか?
そんな訳でこれさえなければ、
北村想さんの集大成的傑作と、
素直に言えた作品であったのですが、
最後は少しモヤモヤとしてしまいました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
北村想さんの新作が、
今日本青年館ホールで上演されています、
北村想さんと演出の寺十吾さんのコラボは、
2013年の「グッドバイ」から中断はありながらも続いていて、
今回が多分8回目になるかと思います。
僕は初回の「グットバイ」にとても感銘を受けて、
そのうちの8作品は観ています。
昨年の「ケンジトシ」はチケットが取れませんでした。
当初はシアタートラムでの公演でしたが、
途中から人気者を主役に配するようになり、
次第に箱(劇場)が大きくなっています。
当初は古典文学作品を、
北村さんの視点で読み直す、
という感じのシリーズだったのですが、
途中からはもうあまり原作とは関連がなくなり、
昔の北村さんの劇団時代の作品に、
近い雰囲気のものになってきています。
今回の作品は主役に草彅剛さんを迎えて、
一応「シラノ・ド・ベルジュラック」が下敷きになっていますが、
舞台は近未来のサナトリウムに設定され、
剣劇もあるし落語もあるし、
胡散臭い活劇から時空を超えたラブロマンスと、
北村さんのかなり集大成的な作品となっています。
それでいてモチーフとなった「シラノ」の、
恋文代筆という趣向はそのまま残し、
もう1つのモチーフの「魔の山」の、
死と生とを知性で嚙み砕くような感じも、
しっかり残している、
という辺りに北村さんの円熟味を感じます。
このシリーズの準レギュラーと言えるのは、
段田安則さんで、
段田さんが出演する時の方が出来が良いのですが、
今回はサナトリウムの院長として、
実際にはシラノの役を振られているので、
そこは北村さんの段田さんへのご褒美であったように、
個人的には感じました。
寺十吾(じつなしさとる)さんの演出は、
いつも素晴らしくて、
僕はこの人が演出というだけで、
その芝居は観る価値があると思うくらい信頼しているのですが、
今回も素晴らしい腕の冴えを見せていて、
小説風の原作の長いト書きは全てナレーションにし、
ホリゾントをキャンバスに見立てて、
色々な風景の移ろいを繊細かつユーモラスに映し出しています。
それでいて、
主人公2人が出逢った瞬間に運命の人と感じる場面は、
音効とサスライトを徹底してアングラ的に仰々しく使用して、
超自然的な瞬間を盛り上げているのがさすがでした。
総じて映像には今の技術を使用しながら、
それをアナログな雰囲気に落とし込んで、
アングラ演出の手作り感の魅力も、
十全に活かしている点が素晴らしく、
最後のアングラ演出家と言っても、
過言ではないように思います。
キャストも非常に贅沢な布陣で、
草彅さんの自然体の魅力は、
ちょっと他に真似の出来ないものですし、
段田安則さん、鈴木浩介さん、田山涼成さんと手練れが周りを固めます。
特筆するべきは落語家を演じた宮下雄也さんで、
その外連味たっぷりの芝居は、
作品に話芸としての筋を通した感じがありました。
内容もさすが北村さんという感じで、
今回は北村想ワールド全開なのですね。
非常にふわふわした世界なので、
こうしたものだと思って観ないと、
しんどくなってしまうかも知れません。
正直僕自身も北村さんの作品は、
1980年代初頭から接してはいたのですが、
当時は「寿歌」にしても「碧い彗星の一夜」にしても、
あまり良いと思えませんでした。
当時はもっと力を入れまくったお芝居が、
時代の主流だったからなんですね。
開眼したのは「グットバイ」で、
それ以降は北村想さんの作品の見方が変わりました。
その世界は唯一無二で、
他の誰とも似ていないのです。
ただ、その作品の出来にはかなりムラが大きくて、
極限まで詰まらないような作品も結構あるのです。
今回は非常に素晴らしかったのですが、
一点後半になると、
中華大国(作品自体にある表現です)と北朝鮮らしき国が、
日本に侵略して来るという展開になっていて、
そうした設定というのは、
余程の覚悟がないとしてはいけないように、
個人的には考えているので、
ちょっと頭を抱えてしまいました。
北村さんにそこまでの覚悟があったとは思えませんし、
こうした台詞を発する、
役者さんにも気の毒だと思います。
結果としてこの展開は「魔の山」をやろうとした、
というだけのことだと思うので、
近未来の設定などにはせず、
大正時代や昭和初期のサナトリウムに舞台を設定すれば、
それで済んだことではないでしょうか?
そんな訳でこれさえなければ、
北村想さんの集大成的傑作と、
素直に言えた作品であったのですが、
最後は少しモヤモヤとしてしまいました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
三谷幸喜「オデッサ」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
三谷幸喜さんの新作「オデッサ」が、
今ホリプロステージとしての舞台で上演されています。
その東京芸術劇場での公演に足を運びました。
これは1時間45分ほどのキャストは3人のみの1幕劇です。
舞台は1999年のアメリカの田舎町オデッサに設定されていて、
宮澤エマさんが日系アメリカ人の警察官を、
迫田孝也さんが現地の老人を殺した容疑で、
重要参考人として聴取を受ける、
英語の全く話せない日本人男性を演じ、
主役と言って良い柿澤勇人さんは、
日本人の通訳がいないオデッサで、
地元で働いていた、
日本語と英語を話せる青年を演じます。
宮澤さんの依頼で、
柿澤さんは迫田さんの聴取の通訳をするのですが、
良かれと思った柿澤さんの暴走をきっかけとして、
事件は意外な方向に転がり始めます。
三谷さんとしては久しぶりの新作で、
かなり力を入れて書かれていることが分かります。
三谷さんの演劇好きが伝わって来る感じで、
ミステリーや刑事ドラマのニュアンスもありますし、
結構つかさんの「熱海殺人事件」を意識している感じもあり、
また言語とアイデンティティの関係を追求しているのは、
明らかに井上ひさしさんの名作「雨」が意識されていますよね。
何より全ての観客に面白く観て欲しい、
1人も置いてけぼりにはしたくない、
という強いサービス精神が感じられ、
小劇場を見慣れている観客には、
ややくどいなあ、そこまで丁寧にゆっくりやらなくても、
と思えるような部分もあります。
でも、それが三谷幸喜さんのお芝居ですよね。
これは割とオーソドックスな推理劇なんですね。
なので、鑑賞予定の方は予備知識なく鑑賞されるのが吉です。
以下ネタバレはありませんが、
何となく匂わせるような記述はありますので、
これ以降は是非鑑賞予定の方は鑑賞後にお読み下さい。
よろしいでしょうか?
それでは先に進みます。
三谷さんは古畑任三郎という、
推理ドラマの傑作シリーズを書いていますが、
演劇作品で本格的な推理劇というのは、
それほど多くありません。
多分オーソドックスなものは殆どないですよね。
今回はかなり純粋な推理劇に近いものになっていて、
犯人を示す伏線の隠し方や、
最後に犯人に罠を掛けるところなど、
古畑任三郎(更には元ネタの刑事コロンボ)を、
彷彿とさせる部分があります。
推理劇としては、あまりにオーソドックスなので、
ミステリー好きの方なら、
大半はこうした流れになるのだろうな、
と先読み出来てしまうようなところがありますし、
実際に物語はその通りに進んで行きます。
その点はちょっと物足りない部分ではあります。
ただ、この作品は単純な推理劇ではなくて、
言語とコミュニケーションの問題がテーマとなっていて、
それが複合的に提示されるという面白みがあります。
三谷さんらしくその辺りの仕掛けは非常に精妙で、
日本語も標準語と鹿児島の方言が対比されますし、
英語しか理解できない人物と、
日本語しか理解できない人物、
両方とも表層的な理解はできるけれど、
真に理解できているかは微妙という人物が、
同じ場所で対話を行うとどうなるのか、
という思考実験的な知的興奮があります。
それを活かすための演出も、
いつもながらとても念が入っていて、
英語を話す人物が2人だけの時は、
翻訳劇のように日本語で台詞が話され、
英語と日本語の飛び交う場面では、
両方の言語が入り混じりながら、
背景に大きく字幕が登場し、
その字幕も色々と演技をして場面を盛り上げます。
ただ、今回それが大成功であったのかと言うと、
ちょっと微妙な感じではありました。
まず、設定に無理があると思うのですね。
最初の設定として迫田さんの役柄は、
英語を全く解さないのに、
1人でアメリカを旅している、
ということになっているんですね。
1999年にそれはちょっとあり得ないでしょ。
少しは分かるけれど複雑なニュアンスは分からない、
ということなら納得なのですが、
一言も分からないというのは、
幾ら何でも無理矢理な設定と感じました。
鹿児島の方言もそれほど標準語と差がなく聞こえるので、
これもあまり有効に機能している、
という感じがありません。
たとえば、架空の東欧かアジアなどの国を舞台にして、
全く意味不明の言語と標準語、そして津軽方言が登場する、
というような設定にした方が、
作品の意図はより明確になったような気がします。
英語と日本人との関係が重要ということであるのなら、
もっとリアルな設定にして、
片言で理解した気になっていて、
実は全く別の内容だった、というような展開であった方が、
より説得力があったのではないでしょうか?
勿論三谷さんほどの人ですから、
そんなことは百も承知の上で、
色々試行錯誤はした上で、
こうした作品になったのだと思うのですが、
それが何故なのかは、
是非聞いてみたいという気がします。
それから、シンプルな生演奏が伴奏になっていて、
効果音のように機能しています。
まあ井上ひさしさんのお芝居から導入された、
いつもの手口ですが、
今回に関しては、
あまり有効でなかったように思うのです。
大声でキャストがオチの台詞を言って、
客席の笑いを待つ間があって、
それから音効が合いの手みたいに鳴る、
というようなリズムで進むんですね。
何と言うのかな、
吉本新喜劇みたいな間合いなんですね。
そこで起こる笑いが作品の主題であるのなら、
それで良いのだと思いますが、
この作品は基本的には推理劇で、
笑いの要素はアクセント程度のものなのに、
そこでいちいち笑いを待って、
チャンチャンみたいな音効を入れるのは、
全体のテンポを悪くするだけで、
あまり良い演出ではないように思いました。
今回の芝居は、もっとシャープに、
ストイックに展開させるべきではなかったのでしょうか?
キャストは3人とも勿論好演でしたが、
特に迫田さんの七変化は素晴らしかったと思います。
正直中段はかなりぼんやりしてしまいましたが、
後半の迫田さんの芝居で一気に覚醒させられました。
そんな訳で期待が大きかっただけに、
やや落胆を感じた今回のお芝居でしたが、
ホリプロのことですから再演もあると思うので、
よりブラッシュアップされて、
この作品が変貌する姿に期待をしたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
三谷幸喜さんの新作「オデッサ」が、
今ホリプロステージとしての舞台で上演されています。
その東京芸術劇場での公演に足を運びました。
これは1時間45分ほどのキャストは3人のみの1幕劇です。
舞台は1999年のアメリカの田舎町オデッサに設定されていて、
宮澤エマさんが日系アメリカ人の警察官を、
迫田孝也さんが現地の老人を殺した容疑で、
重要参考人として聴取を受ける、
英語の全く話せない日本人男性を演じ、
主役と言って良い柿澤勇人さんは、
日本人の通訳がいないオデッサで、
地元で働いていた、
日本語と英語を話せる青年を演じます。
宮澤さんの依頼で、
柿澤さんは迫田さんの聴取の通訳をするのですが、
良かれと思った柿澤さんの暴走をきっかけとして、
事件は意外な方向に転がり始めます。
三谷さんとしては久しぶりの新作で、
かなり力を入れて書かれていることが分かります。
三谷さんの演劇好きが伝わって来る感じで、
ミステリーや刑事ドラマのニュアンスもありますし、
結構つかさんの「熱海殺人事件」を意識している感じもあり、
また言語とアイデンティティの関係を追求しているのは、
明らかに井上ひさしさんの名作「雨」が意識されていますよね。
何より全ての観客に面白く観て欲しい、
1人も置いてけぼりにはしたくない、
という強いサービス精神が感じられ、
小劇場を見慣れている観客には、
ややくどいなあ、そこまで丁寧にゆっくりやらなくても、
と思えるような部分もあります。
でも、それが三谷幸喜さんのお芝居ですよね。
これは割とオーソドックスな推理劇なんですね。
なので、鑑賞予定の方は予備知識なく鑑賞されるのが吉です。
以下ネタバレはありませんが、
何となく匂わせるような記述はありますので、
これ以降は是非鑑賞予定の方は鑑賞後にお読み下さい。
よろしいでしょうか?
それでは先に進みます。
三谷さんは古畑任三郎という、
推理ドラマの傑作シリーズを書いていますが、
演劇作品で本格的な推理劇というのは、
それほど多くありません。
多分オーソドックスなものは殆どないですよね。
今回はかなり純粋な推理劇に近いものになっていて、
犯人を示す伏線の隠し方や、
最後に犯人に罠を掛けるところなど、
古畑任三郎(更には元ネタの刑事コロンボ)を、
彷彿とさせる部分があります。
推理劇としては、あまりにオーソドックスなので、
ミステリー好きの方なら、
大半はこうした流れになるのだろうな、
と先読み出来てしまうようなところがありますし、
実際に物語はその通りに進んで行きます。
その点はちょっと物足りない部分ではあります。
ただ、この作品は単純な推理劇ではなくて、
言語とコミュニケーションの問題がテーマとなっていて、
それが複合的に提示されるという面白みがあります。
三谷さんらしくその辺りの仕掛けは非常に精妙で、
日本語も標準語と鹿児島の方言が対比されますし、
英語しか理解できない人物と、
日本語しか理解できない人物、
両方とも表層的な理解はできるけれど、
真に理解できているかは微妙という人物が、
同じ場所で対話を行うとどうなるのか、
という思考実験的な知的興奮があります。
それを活かすための演出も、
いつもながらとても念が入っていて、
英語を話す人物が2人だけの時は、
翻訳劇のように日本語で台詞が話され、
英語と日本語の飛び交う場面では、
両方の言語が入り混じりながら、
背景に大きく字幕が登場し、
その字幕も色々と演技をして場面を盛り上げます。
ただ、今回それが大成功であったのかと言うと、
ちょっと微妙な感じではありました。
まず、設定に無理があると思うのですね。
最初の設定として迫田さんの役柄は、
英語を全く解さないのに、
1人でアメリカを旅している、
ということになっているんですね。
1999年にそれはちょっとあり得ないでしょ。
少しは分かるけれど複雑なニュアンスは分からない、
ということなら納得なのですが、
一言も分からないというのは、
幾ら何でも無理矢理な設定と感じました。
鹿児島の方言もそれほど標準語と差がなく聞こえるので、
これもあまり有効に機能している、
という感じがありません。
たとえば、架空の東欧かアジアなどの国を舞台にして、
全く意味不明の言語と標準語、そして津軽方言が登場する、
というような設定にした方が、
作品の意図はより明確になったような気がします。
英語と日本人との関係が重要ということであるのなら、
もっとリアルな設定にして、
片言で理解した気になっていて、
実は全く別の内容だった、というような展開であった方が、
より説得力があったのではないでしょうか?
勿論三谷さんほどの人ですから、
そんなことは百も承知の上で、
色々試行錯誤はした上で、
こうした作品になったのだと思うのですが、
それが何故なのかは、
是非聞いてみたいという気がします。
それから、シンプルな生演奏が伴奏になっていて、
効果音のように機能しています。
まあ井上ひさしさんのお芝居から導入された、
いつもの手口ですが、
今回に関しては、
あまり有効でなかったように思うのです。
大声でキャストがオチの台詞を言って、
客席の笑いを待つ間があって、
それから音効が合いの手みたいに鳴る、
というようなリズムで進むんですね。
何と言うのかな、
吉本新喜劇みたいな間合いなんですね。
そこで起こる笑いが作品の主題であるのなら、
それで良いのだと思いますが、
この作品は基本的には推理劇で、
笑いの要素はアクセント程度のものなのに、
そこでいちいち笑いを待って、
チャンチャンみたいな音効を入れるのは、
全体のテンポを悪くするだけで、
あまり良い演出ではないように思いました。
今回の芝居は、もっとシャープに、
ストイックに展開させるべきではなかったのでしょうか?
キャストは3人とも勿論好演でしたが、
特に迫田さんの七変化は素晴らしかったと思います。
正直中段はかなりぼんやりしてしまいましたが、
後半の迫田さんの芝居で一気に覚醒させられました。
そんな訳で期待が大きかっただけに、
やや落胆を感じた今回のお芝居でしたが、
ホリプロのことですから再演もあると思うので、
よりブラッシュアップされて、
この作品が変貌する姿に期待をしたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
シベリア少女鉄道 vol.37「持続可能彼女」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は金曜日でクリニックは休診ですが、
老人ホームの診療などで都内を廻る予定です。
それでは今日の話題です。
今日はこちら。
大好きなシベリア少女鉄道の新作が、
2023年12月に上演されました。
シベリア少女鉄道のお芝居は、
ネタバレ厳禁なので、
公演が終わってからのご紹介としています。
今回は女性のみのキャストで、
宇宙船を舞台として近未来のサスペンスフルな物語が展開されますが、
それが実は…というようなことになってゆきます。
安定感のある作劇で、
キャストは華やかで良かったのですが、
正直メインのネタはここ最近ほぼ同一のもので、
演劇の枠組みが崩れそうになるのを、
キャストが一丸となって食い止める、
というような路線です。
今回は芝居を壊す側にも事情があり、
そのやり取りに妙味があるのですが、
どうも毎回こればかりではなあ、
という感じが最後まで抜けませんでした。
特に今回はラストのクライマックスに向けての、
疾走感のようなものが弱く、
舞台にもそれほどの変化が現れないので、
盛り上がりに欠けたまま、
ラストに至った、という感じがありました。
個人的な好みとしては、
演劇の作法など無視して、
世界観が根底から覆るようなお芝居が、
また観たいなあ、というのが切なる願いで、
正直演劇の枠組みを維持する試みなど、
どうでも良いという思いが抜けませんでした。
それでも大好きな劇団ですし、
かつての破天荒なお芝居が忘れ難いので、
また新作には足を運び続けたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は金曜日でクリニックは休診ですが、
老人ホームの診療などで都内を廻る予定です。
それでは今日の話題です。
今日はこちら。
大好きなシベリア少女鉄道の新作が、
2023年12月に上演されました。
シベリア少女鉄道のお芝居は、
ネタバレ厳禁なので、
公演が終わってからのご紹介としています。
今回は女性のみのキャストで、
宇宙船を舞台として近未来のサスペンスフルな物語が展開されますが、
それが実は…というようなことになってゆきます。
安定感のある作劇で、
キャストは華やかで良かったのですが、
正直メインのネタはここ最近ほぼ同一のもので、
演劇の枠組みが崩れそうになるのを、
キャストが一丸となって食い止める、
というような路線です。
今回は芝居を壊す側にも事情があり、
そのやり取りに妙味があるのですが、
どうも毎回こればかりではなあ、
という感じが最後まで抜けませんでした。
特に今回はラストのクライマックスに向けての、
疾走感のようなものが弱く、
舞台にもそれほどの変化が現れないので、
盛り上がりに欠けたまま、
ラストに至った、という感じがありました。
個人的な好みとしては、
演劇の作法など無視して、
世界観が根底から覆るようなお芝居が、
また観たいなあ、というのが切なる願いで、
正直演劇の枠組みを維持する試みなど、
どうでも良いという思いが抜けませんでした。
それでも大好きな劇団ですし、
かつての破天荒なお芝居が忘れ難いので、
また新作には足を運び続けたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2023年の演劇を振り返る [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
クリニックは年末年始の休診期間中です。
今日は昨年の演劇を振り返ります。
昨年は以下の公演に足を運びました。
1.彩の国シェイクスピア・シリーズ「ジョン王」
2.根本宗子「宝飾時計」
3.月影番外地その7「暮らしなずむばかりで」
4.三谷幸喜「笑の大学」(2023年再演版)
5.岡田利規「掃除機」(KAATプロデュース 本谷有希子演出)
6.ナイロン100℃「Don't freak out」
7. 赤信号劇団「誤餐」
8. 「帰ってきたマイ・ブラザー」
9.COCOON PRODUCTION 2023「シブヤデマタアイマショウ」
10.「ブレイキング・ザ・コード」(2023年稲葉賀恵演出版)
11.ウーマンリブvol.15「もうがまんできない」
12.「ハリー・ポッターと呪いの子」
13.KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「虹む街の果て」
14.た組「綿子はもつれる」
15.ダウ90000「また点滅に戻るだけ」
16. イキウメ「人魂を届けに」
17.唐組「透明人間」(2023年春公演上演版)
18.岩松了「カモメよ、そこから銀座は見えるか?」
19. シベリア少女鉄道「当然の結末」
20. NODA・MAP「兎、波を走る」
21. デヴィッド・ヘア「ストレイト・ライン・クレイジー」(2023年燐光群上演版)
22. ゴキブリコンビナート第37回公演「痙攣!瘡蓋定食」
23. 井上ひさし「闇に咲く花」(こまつ座第147回公演)
24. 加藤拓也「いつぞやは」(シス・カンパニー公演)
25. 2023年劇団☆新感線43周年興行・秋公演 いのうえ歌舞伎「天號星(てんごうせい)」
26. 唐組「糸女郎」(2023年秋公演上演版)
27. 太陽劇団「金夢島」
28. 前川知大「無駄な抵抗」
29. M&Oplaysプロデュース「リムジン」
30. □字ック 「剥愛」
31. KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「SHELL」
32. 木ノ下歌舞伎「勧進帳」(2023年再演版)
33. 穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュース 「たわごと」
34. 城山羊の会 「萎れた花の弁明」
35. 「海をゆく者」(2023年再演版)
36. シベリア少女鉄道「持続可能彼女」
以上の36本です。
今年もあまり頻繁には劇場に行けず、
観落としている作品が多いので、
ベストを選ぶことはせず、
特に素晴らしかった作品を幾つか順不同でご紹介したいと思います。
①穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュース 「たわごと」
https://rokushin.blog.ss-blog.jp/2023-12-10-1
間違いなく昨年最も感銘を受けた1本で、
「荒れ野」に匹敵する桑原裕子さんの傑作戯曲が、
充実した役者陣によって見事に肉付けされていました。
新しい古いと言うより、これはもう古典の域で、
こういう物があるので、
劇場通いは止められません。
②M&Oplaysプロデュース「リムジン」
https://rokushin.blog.ss-blog.jp/2023-11-18-1
所謂「忖度」に結び付く人間関係の心理の綾を、
日常生活の中に浮かび上がらせた
倉持裕さんの傑作台詞劇で、
3年前にコロナで中止となった作品ですが、
その年月が良い意味に作用して、
熟成感のある作品に仕上がっていました。
かなり出来にはムラの多い倉持さんですが、
これは抜群の当たりでした。
③ウーマンリブvol.15「もうがまんできない」
https://rokushin.blog.ss-blog.jp/2023-05-14
この作品は厳密には新作ではありませんが、
矢張りコロナのためにほぼ配信のみであったので、
今回が初演に近いものとしてリストに入れました。
クドカンの本領発揮の力作で、
人間の切なさと残酷さ、
それを超えた奇妙な爽快感に満ちた作品でした。
そんな訳で昨年も本数は少なかったのですが、
この3本の傑作に出逢えただけで、
昨年は充実した観劇体験になりました。
また、「ブレイキング・ザ・コード」と「ストレイト・ライン・クレイジー」の2本の翻訳劇は、
非常に素晴らしい仕上がりで感銘を受けました。
戯曲の出来のみで言えば、
日本の劇作家の新作より数段上の完成度でした。
関係者の皆様本当にありがとうございました。
今年何本くらいの舞台に出逢えるでしょうか?
感染防御には留意しつつ、
一期一会の思いで作品に対したいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い年末年始をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
クリニックは年末年始の休診期間中です。
今日は昨年の演劇を振り返ります。
昨年は以下の公演に足を運びました。
1.彩の国シェイクスピア・シリーズ「ジョン王」
2.根本宗子「宝飾時計」
3.月影番外地その7「暮らしなずむばかりで」
4.三谷幸喜「笑の大学」(2023年再演版)
5.岡田利規「掃除機」(KAATプロデュース 本谷有希子演出)
6.ナイロン100℃「Don't freak out」
7. 赤信号劇団「誤餐」
8. 「帰ってきたマイ・ブラザー」
9.COCOON PRODUCTION 2023「シブヤデマタアイマショウ」
10.「ブレイキング・ザ・コード」(2023年稲葉賀恵演出版)
11.ウーマンリブvol.15「もうがまんできない」
12.「ハリー・ポッターと呪いの子」
13.KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「虹む街の果て」
14.た組「綿子はもつれる」
15.ダウ90000「また点滅に戻るだけ」
16. イキウメ「人魂を届けに」
17.唐組「透明人間」(2023年春公演上演版)
18.岩松了「カモメよ、そこから銀座は見えるか?」
19. シベリア少女鉄道「当然の結末」
20. NODA・MAP「兎、波を走る」
21. デヴィッド・ヘア「ストレイト・ライン・クレイジー」(2023年燐光群上演版)
22. ゴキブリコンビナート第37回公演「痙攣!瘡蓋定食」
23. 井上ひさし「闇に咲く花」(こまつ座第147回公演)
24. 加藤拓也「いつぞやは」(シス・カンパニー公演)
25. 2023年劇団☆新感線43周年興行・秋公演 いのうえ歌舞伎「天號星(てんごうせい)」
26. 唐組「糸女郎」(2023年秋公演上演版)
27. 太陽劇団「金夢島」
28. 前川知大「無駄な抵抗」
29. M&Oplaysプロデュース「リムジン」
30. □字ック 「剥愛」
31. KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「SHELL」
32. 木ノ下歌舞伎「勧進帳」(2023年再演版)
33. 穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュース 「たわごと」
34. 城山羊の会 「萎れた花の弁明」
35. 「海をゆく者」(2023年再演版)
36. シベリア少女鉄道「持続可能彼女」
以上の36本です。
今年もあまり頻繁には劇場に行けず、
観落としている作品が多いので、
ベストを選ぶことはせず、
特に素晴らしかった作品を幾つか順不同でご紹介したいと思います。
①穂の国とよはし芸術劇場PLATプロデュース 「たわごと」
https://rokushin.blog.ss-blog.jp/2023-12-10-1
間違いなく昨年最も感銘を受けた1本で、
「荒れ野」に匹敵する桑原裕子さんの傑作戯曲が、
充実した役者陣によって見事に肉付けされていました。
新しい古いと言うより、これはもう古典の域で、
こういう物があるので、
劇場通いは止められません。
②M&Oplaysプロデュース「リムジン」
https://rokushin.blog.ss-blog.jp/2023-11-18-1
所謂「忖度」に結び付く人間関係の心理の綾を、
日常生活の中に浮かび上がらせた
倉持裕さんの傑作台詞劇で、
3年前にコロナで中止となった作品ですが、
その年月が良い意味に作用して、
熟成感のある作品に仕上がっていました。
かなり出来にはムラの多い倉持さんですが、
これは抜群の当たりでした。
③ウーマンリブvol.15「もうがまんできない」
https://rokushin.blog.ss-blog.jp/2023-05-14
この作品は厳密には新作ではありませんが、
矢張りコロナのためにほぼ配信のみであったので、
今回が初演に近いものとしてリストに入れました。
クドカンの本領発揮の力作で、
人間の切なさと残酷さ、
それを超えた奇妙な爽快感に満ちた作品でした。
そんな訳で昨年も本数は少なかったのですが、
この3本の傑作に出逢えただけで、
昨年は充実した観劇体験になりました。
また、「ブレイキング・ザ・コード」と「ストレイト・ライン・クレイジー」の2本の翻訳劇は、
非常に素晴らしい仕上がりで感銘を受けました。
戯曲の出来のみで言えば、
日本の劇作家の新作より数段上の完成度でした。
関係者の皆様本当にありがとうございました。
今年何本くらいの舞台に出逢えるでしょうか?
感染防御には留意しつつ、
一期一会の思いで作品に対したいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い年末年始をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
「海をゆく者」(2023年再演版) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
2009年と2014年に旧パルコ劇場で上演され、
好評を博した翻訳劇、
「海をゆく者」が今9年ぶりに再演されています。
この作品は初演は観ていないのですが、
2014年の再演は観ていて、非常に感銘を受けました。
その時の感想記事がこちらです。
https://rokushin.blog.ss-blog.jp/2014-12-21
これは中年男5人だけが登場する、
少人数の2幕劇で、
所謂「クリスマスストーリー」です。
初演と2014年の再演ではその5人を、
平田満さん、浅野和之さん、大谷亮介さん、吉田鋼太郎さん、
小日向文世さんという、
小劇場的には豪華絢爛な役者さん達が演じ、
演劇ファンに至福の時間を過ごさせてくれました。
それで今回の上演も非常に楽しみにして出掛けたのですが、
今回前半はまずまず良かったものの、
肝心の後半のポーカーの場面が意外に弾まず、
正直少しモヤモヤした気分で劇場を後にしました。
ちょっと残念です。
何が悪かったのかと色々考えたのですが、
矢張り吉田鋼太郎さんがいないのが大きいのかな、
というように感じました。
吉田鋼太郎さんが演じたのは、
このお芝居の主役である、
人生に深く絶望している平田満さんの兄で、
平田さんがネガティブ思考であるのに対して、
吉田さんの方は対象的にポジティブ思考で、
突然失明してしまったにも関わらず、
「何とかなるさ」と全然意に介する様子がありません。
そして死神に魅入られ、
死の瀬戸際にある弟を、
そのポジティブ思考が生の世界に取り戻す、
というのがこの作品の主筋です。
小日向文世さん演じる悪魔が平田さんを誘惑しますが、
平田さんはアル中でお酒を数日絶っているので、
それが本当に悪魔なのか、
単なるアル中の妄想なのかは、
実際には分からないのです。
キャストは比較的「陰性」の役者さんが多く、
その中で吉田鋼太郎さんの天真爛漫な「陽性」が、
前回までの上演では際立っていました。
正直吉田さんの演技はかなり雑で好い加減なものですが、
意外に真面目に演じる役者さんの多い翻訳劇では、
その存在がスパイスとして効いていて、
吉田さんが登場すると舞台にリズムが生まれて、
やや退屈な翻訳劇も面白く観られることが多いのです。
今回の再演では吉田さんの代わりに高橋克実さんが登場し、
勿論高橋さんも素晴らしい役者さんなのですが、
割合にその資質は平田さんに似ていて、
基調音はちょっと陰性の感じなんですね。
今回は特に吉田さんの後任ということを、
かなり意識して緊張されていた感じがあり、
吉田さんをなぞるようなお芝居に硬さがありました。
また、平田さんのお兄さんが高橋克実さんというのは、
ビジュアル的にもかなり無理のある感じで、
設定自体に違和感があったのも減点ポイントだったと思います。
他のキャストも前回と比べると、
さすがに少し疲れた感じがあって、
舞台の活力が損なわれるきらいがあったのが残念でした。
中では小日向文世さんの「悪魔」は、
以前と変わらず抜群の破壊力の見事な芝居で、
今回もとても感服しました。
この見事な芝居を観るだけで、
チケットの値打ちがあります。
個人的にはこの「海をゆく者」の悪魔と、
三谷幸喜さんの「国民の映画」で演じたゲッペルスが、
小日向さんのこれまでのベストプレイであったように思います。
そんな訳で正直少し残念な今回ですが、
舞台は生ものなのでこれは仕方のないことなのかも知れません。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
2009年と2014年に旧パルコ劇場で上演され、
好評を博した翻訳劇、
「海をゆく者」が今9年ぶりに再演されています。
この作品は初演は観ていないのですが、
2014年の再演は観ていて、非常に感銘を受けました。
その時の感想記事がこちらです。
https://rokushin.blog.ss-blog.jp/2014-12-21
これは中年男5人だけが登場する、
少人数の2幕劇で、
所謂「クリスマスストーリー」です。
初演と2014年の再演ではその5人を、
平田満さん、浅野和之さん、大谷亮介さん、吉田鋼太郎さん、
小日向文世さんという、
小劇場的には豪華絢爛な役者さん達が演じ、
演劇ファンに至福の時間を過ごさせてくれました。
それで今回の上演も非常に楽しみにして出掛けたのですが、
今回前半はまずまず良かったものの、
肝心の後半のポーカーの場面が意外に弾まず、
正直少しモヤモヤした気分で劇場を後にしました。
ちょっと残念です。
何が悪かったのかと色々考えたのですが、
矢張り吉田鋼太郎さんがいないのが大きいのかな、
というように感じました。
吉田鋼太郎さんが演じたのは、
このお芝居の主役である、
人生に深く絶望している平田満さんの兄で、
平田さんがネガティブ思考であるのに対して、
吉田さんの方は対象的にポジティブ思考で、
突然失明してしまったにも関わらず、
「何とかなるさ」と全然意に介する様子がありません。
そして死神に魅入られ、
死の瀬戸際にある弟を、
そのポジティブ思考が生の世界に取り戻す、
というのがこの作品の主筋です。
小日向文世さん演じる悪魔が平田さんを誘惑しますが、
平田さんはアル中でお酒を数日絶っているので、
それが本当に悪魔なのか、
単なるアル中の妄想なのかは、
実際には分からないのです。
キャストは比較的「陰性」の役者さんが多く、
その中で吉田鋼太郎さんの天真爛漫な「陽性」が、
前回までの上演では際立っていました。
正直吉田さんの演技はかなり雑で好い加減なものですが、
意外に真面目に演じる役者さんの多い翻訳劇では、
その存在がスパイスとして効いていて、
吉田さんが登場すると舞台にリズムが生まれて、
やや退屈な翻訳劇も面白く観られることが多いのです。
今回の再演では吉田さんの代わりに高橋克実さんが登場し、
勿論高橋さんも素晴らしい役者さんなのですが、
割合にその資質は平田さんに似ていて、
基調音はちょっと陰性の感じなんですね。
今回は特に吉田さんの後任ということを、
かなり意識して緊張されていた感じがあり、
吉田さんをなぞるようなお芝居に硬さがありました。
また、平田さんのお兄さんが高橋克実さんというのは、
ビジュアル的にもかなり無理のある感じで、
設定自体に違和感があったのも減点ポイントだったと思います。
他のキャストも前回と比べると、
さすがに少し疲れた感じがあって、
舞台の活力が損なわれるきらいがあったのが残念でした。
中では小日向文世さんの「悪魔」は、
以前と変わらず抜群の破壊力の見事な芝居で、
今回もとても感服しました。
この見事な芝居を観るだけで、
チケットの値打ちがあります。
個人的にはこの「海をゆく者」の悪魔と、
三谷幸喜さんの「国民の映画」で演じたゲッペルスが、
小日向さんのこれまでのベストプレイであったように思います。
そんな訳で正直少し残念な今回ですが、
舞台は生ものなのでこれは仕方のないことなのかも知れません。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
城山羊の会 「萎れた花の弁明」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
大好きな城山羊の会の新作公演が、
今三鷹市芸術文化センター星のホールで上演されています。
このホールは僕の守備範囲からは足場が悪いので、
あまり好んでは行きたくないのですが、
城山羊の会なので仕方がありません。
昨年はKAATでしたし、
次回は新宿や下北沢でやって欲しいな、
というのが今の希望です。
毎年少しずつ傾向の違う作品となる城山羊の会ですが、
昨年の別役風不条理劇とは打って変わって、
今回は思いつくままに展開される、
自由度の高いエッセイという感じのスタンスでした。
ただ、奇想天外なラストは、
題名にもピッタリとマッチしていて、
ここが発想の原点だったのかなとも思うのですが、
シュールでエロチックで予測不能で、
この数年の作品では、
最も秀逸なラストだったと思います。
パンフレットの山内さんの言葉を読むと、
ナカゴーの鎌田さんの死去について書いていて、
なるほど、今回は鎌田さんへのオマージュなのね、
と得心がゆきました。
神様が登場して、
ぼそぼそとほぼ客席に聞こえない声で駄目出しをするのですが、
あの神様は鎌田さんなんですね。
鎌田さんが天国から駄目出しをすることで、
山内さんが妄想で構築したエロチックで奔放で出鱈目な世界が、
何かもっと変梃りんで異様で、
真面目な人には嫌悪感を抱かせる一方で、
何処か愛おしくもある鎌田ワールドに、
変容してゆくというのが、
今回の作品だったような気がします。
キャストは岡部たかしさんと岩谷健司さんの、
今や一般にも人気者になった2人の円熟した演技が楽しく、
特に岡部さんは最近数作では出番が少なかったり、
とても無理筋な感じのする岩谷さんの父親役を振られたりして、
ファンとしては少しガッカリであったのですが、
今回は如何にもの役柄を絶好調で演じていて、
これだよね、という感じで堪能しました。
初出演の石黒麻衣さんが今回は推しの芝居になっていて、
その独特の個性が作品の説得力を増し、
シュールな作品世界に巧みに観客を誘導していました。
そんな訳でナカゴーの鎌田ワールドを、
山内さんなりに咀嚼した奇怪な世界は、
こうした物がお好きな方には、
恰好の今年の芝居収めになっていたと思います。
お好きな方のみにお勧めです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
大好きな城山羊の会の新作公演が、
今三鷹市芸術文化センター星のホールで上演されています。
このホールは僕の守備範囲からは足場が悪いので、
あまり好んでは行きたくないのですが、
城山羊の会なので仕方がありません。
昨年はKAATでしたし、
次回は新宿や下北沢でやって欲しいな、
というのが今の希望です。
毎年少しずつ傾向の違う作品となる城山羊の会ですが、
昨年の別役風不条理劇とは打って変わって、
今回は思いつくままに展開される、
自由度の高いエッセイという感じのスタンスでした。
ただ、奇想天外なラストは、
題名にもピッタリとマッチしていて、
ここが発想の原点だったのかなとも思うのですが、
シュールでエロチックで予測不能で、
この数年の作品では、
最も秀逸なラストだったと思います。
パンフレットの山内さんの言葉を読むと、
ナカゴーの鎌田さんの死去について書いていて、
なるほど、今回は鎌田さんへのオマージュなのね、
と得心がゆきました。
神様が登場して、
ぼそぼそとほぼ客席に聞こえない声で駄目出しをするのですが、
あの神様は鎌田さんなんですね。
鎌田さんが天国から駄目出しをすることで、
山内さんが妄想で構築したエロチックで奔放で出鱈目な世界が、
何かもっと変梃りんで異様で、
真面目な人には嫌悪感を抱かせる一方で、
何処か愛おしくもある鎌田ワールドに、
変容してゆくというのが、
今回の作品だったような気がします。
キャストは岡部たかしさんと岩谷健司さんの、
今や一般にも人気者になった2人の円熟した演技が楽しく、
特に岡部さんは最近数作では出番が少なかったり、
とても無理筋な感じのする岩谷さんの父親役を振られたりして、
ファンとしては少しガッカリであったのですが、
今回は如何にもの役柄を絶好調で演じていて、
これだよね、という感じで堪能しました。
初出演の石黒麻衣さんが今回は推しの芝居になっていて、
その独特の個性が作品の説得力を増し、
シュールな作品世界に巧みに観客を誘導していました。
そんな訳でナカゴーの鎌田ワールドを、
山内さんなりに咀嚼した奇怪な世界は、
こうした物がお好きな方には、
恰好の今年の芝居収めになっていたと思います。
お好きな方のみにお勧めです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。