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劇団「地蔵中毒」第14回公演 無教訓意味なし演劇vol.14『母さんが夜なべをしてJavaScript組んでくれた』 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
地蔵中毒.jpg
劇団地蔵中毒の新作公演に足を運びました。

この劇団は今回が観るのは3回目です。

最初に2年前に観た時は、
シュールなコントとドタバタとがない混ぜとなっていて、
面白いところもある一方で、
ダラダラと意味不明の場面が続くような感じもあったのですが、
今年の2月に観た作品では、
かなり演出も洗練されていて、
小劇場的な奇想から、
ダイナミックなラストに至る点も魅力的でした。

今回の作品では、演出はより洗練されていて、
以前は特徴の1つとされていた、
「ゆっくりと時間を掛けた間延びする暗転」も、
殆どありませんでした。

「カラマーゾフの兄弟」が原作とされていて、
ただ、題名を借りただけなのかしら、と思っていると、
意外に原作の骨格を使用した作品になっていて、
ラスト「カラマーゾフ万歳」という台詞も、
そのまま使われていました。

ただ、皿屋敷さんの真面目な感じが出すぎたかな、
という感じもあって、
感情を梃子にして物語が予想外の方向に動く、
というようなダイナミズムがないので、
原作のある分、今回は予定調和的に流れたかな、
という感じがしました。
もう少し物語自体で盛り上がるという感じがないと、
2時間という上演時間は長すぎると思います。

ラストの巨大な作り物も素敵なのですが、
前作の「観音様から夏祭り」という奇想と比べると、
ただ大きな物を出しただけ、という感じが否めなくて、
少し物足りなさは感じました。
最後に人間の時代が終わるというのは、
小劇場の物語としては定番過ぎるので、
もう一ひねりあっても良いのではないかとも感じました。

この作品で「神殺し」というのは、
ちょっとテーマ的に重過ぎると思いますし、
赤ちゃんをラストで無雑作に投げ捨てるのは、
確か「ファンキー」でしたか、松尾スズキさんもやっていましたが、
あまりやらない方が良かったと感じました。

前回も気になったのですが、
客席には中高年のおじさんが一定数生息していて、
かつての「毛皮族」の客席を彷彿とさせました。
この劇団にはちょっとエッチな部分があって、
必ずキャットファイトみたいな場面も用意されているので、
多分その空気感が、
こうしたおじさんやおじいさんを、
樹液の蜜のように引き付けるのかな、
というように感じました。

小劇場には昔から、
こうしたニーズがあるのですね。

面白い現象だと思います。

キャストはなかなか充実していて、
演技レベルも安定しているので安心して観ていられます。
ただ、もう少し破天荒な人が数人いた方が、
より盛り上がるという気もしました。

いずれにしても、
これぞ小劇場という気分を、
今最も感じさせてくれる劇団であることは確かで、
これからも新作を楽しみに待ちたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「物語なき、この世界。」(三浦大輔新作) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診ですが、
大井競馬場で新型コロナワクチン接種のお手伝いです。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
物語なき、この世界.jpg
ポツドールの三浦大輔さんの3年ぶりの舞台新作が、
今シアターコクーンで上演されています。

ポツドールの「愛の渦」の初演は、
大人計画の「愛の罰」の初演と並んで、
かつてないくらいの衝撃を受けた舞台で、
その後しばらくは大人計画とポツドールと共に生きている、
という感じすらあるほどでした。

ただ、それはもう当たり前ではあるのですが、
僕と同じように、大人計画の松尾スズキさんも、
ポツドールの三浦大輔さんも年を取り、
あのギラギラした小劇場のるつぼのような世界からは、
かなり遠くに来てしまいました。

三浦大輔さんは、
松坂桃李さんに舞台上で全裸の性行為を延々と演じさせた、
「娼年」という怪作がありましたが、
その後は映像に軸足を移した感じで、
舞台の仕事は企画公演がたまにあるだけ、
という感じになっています。

今回の作品は岡田将生さんと峯田和伸さんのダブル主演で、
どうしようもない駄目男の怠惰な世界を、
新宿歌舞伎町のゴジラ通りの一夜を舞台に描いた作品です。
星田英利さんが物語の「闇」の部分を体現し、
その地獄と死の世界に引き込まれそうになりながら、
最後は生還して朝を迎えるまでの物語です。

如何にも三浦さんらしい素材で、
主人公達のダメ男ぶりの表現や、
連鎖的に不運が訪れて、
闇の世界の入り口が開く感じなどは、
これまでの三浦さんの劇作に、
繰り返し描かれてきたものです。

ただ、今回の作品については、
これまでの作品と比較すれば相当マイルドで、
第一部の終わりで提示された「深刻な事態」も、
第二部の始めにはあっさりと解決され、
その後は何か傍観者的に、
主人公達の人生が俯瞰されます。

おっぱいパブや風俗などの描写はありますが、
それほど突っ込んだものではなく、
寺島しのぶさんも人生の師匠的立ち位置で、
かつてのNGなしの大暴れを期待すると、
少し拍子抜けする感じもあります。

ただ、これがおそらく良くも悪くも、
今の三浦さんの世界で、
かつての衝撃的な小劇場の世界を、
期待する方がおそらく間違っているのだと思います。

舞台セットはリアルではありませんが、
複数のセットが複雑に絡み合い、
歌舞伎町の地獄巡りをスピード感をもって表現した労作でした。

キャストは皆好演で、
以前のように女性キャストが作品中で変貌するような趣向はないので、
昔のポツドールを知る者からは、
どうしても物足りない感じはあるのですが、
峯村さんの2曲の生歌のサービスもあり、
まずは納得、という気分で、
劇場を後にすることは出来ました。

基本的に寛容な三浦さんのファンであれば、
まずまず納得というレベルの作品で、
昔の過激さを愛する人には向きませんし、
引き締まった完成度の高いお芝居が観たい、
という向きには、
その真逆の作品ではあるので、
他の舞台を選んで頂いた方が賢明だと思います。
個々のキャストのファンの方には、
皆さんそれなりの見せ場が用意されていますから、
そう落胆することはないと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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三谷幸喜「日本の歴史」(2021年再演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
日本の歴史.jpg
2018年に初演された三谷幸喜さん作・演出のミュージカルが、
今新国立劇場中劇場で再演されています。

これは初演は観ていないので今回が初めてです。

これは一種の変化球なのですが、
幾つかの時代が歌でシンクロして行く辺りなどは、
さすが三谷幸喜さんという感じはします。
3時間弱の上演時間(休憩含む)を、
少しの緩みや眠気を感じさせることなく、
疾走するのは凄いですし、
7人のみの登場人物でこの壮大な絵巻物的世界を、
過不足なく成立させてしまう技巧も天才的です。
ただ、ベタな繰り返しや扮装で笑いを取るようなところは、
それが三谷さんの娯楽性なのだとは思いますが、
正直あまり好みではありませんし、
大の大人の役者の悪ふざけや悪のり的な部分も、
僕にはあまり楽しめませんでした。
ただ、その辺はまあ好みの問題だと思います。

三谷さんの作品の中では、
アイデアで強引に乗り切ったという感じのもので、
ラスト2つの世界の接点が、
兵士2人が出逢うだけ、というのも、
ちょっと弱いように感じました。

以下ネタばれを含む感想です。
鑑賞予定の方はご注意下さい。

これね、「日本の歴史」という題名なのに、
いきなり西部開拓時代のお話で始まるのですね。
それから歴史の先生が出て来て、
日本の歴史を解説するパートになり、
それが交互に展開されてラストは1つに結び付く、
という構成になっています。

アメリカの年代記的部分は、
昔のハリウッド映画の、
「わが谷は緑なりき」や「ジャイアンツ」、
「大いなる西部」みたいな世界なんですね。
農場経営にショービジネス、油田を掘り当てて一攫千金、
みたいなあれですね。
三谷さん、こういうのが1回やりたかったんでしょうね。
大真面目にやっている、という感じです。

「日本の歴史」の部分は細切れに人物を紹介して、
それがミュージカルの歌になっている、というような趣向なんですね。
赤報隊の話とか、秩父事件とか、信長に仕えた「弥助」とか、
歴史好きには今更感はありますが、
埋もれた人物も取り上げて居るのが特徴で、
さながら、三谷さんの没ネタ展示会、
みたいな感じもあります。
かなり、エピソードには出来不出来はあって、
面白いものもあるのですが、
有名人物についてはゲンナリするような、
ただの人物紹介という感じのものもありました。

ミュージカルとしては相当頑張っている感じはあって、
特にショービジネスの核になる一曲は、
バーンスタインばりの複雑な構成になっていました。

キャストもなかなか頑張っていたと思います。

この作品の一番の問題は、
日本とアメリカの2つの年代記が、
必ずしも上手くシンクロしない、
というところにあると思います。
多分最初は「日本の歴史」だけでやるつもりが、
かなり平板な感じになってしまったので、
それでもう1つの世界と同時進行しつつ、
互いに影響し合うような、
そうした趣向に変えたのかな、
というようにも思うのですが、
ラストがアメリカの登場人物が、
戦争で日本兵に殺されて終わり、
というのはちょっと後味も悪いですし、
2つの世界がもっと高いレベルでシンクロし共鳴するような、
そうした作品になって欲しかった、
というようには思いました。

そんな訳で大満足というようには思わなかったのですが、
さすが三谷さんの天才を感じさせる部分は随所にあり、
キャストの豪華さも含めて、
三谷さんをもってしかなし得ない、
斬新なミュージカルにはなっていたと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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「母と暮せば」(2021年再演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診ですが、
大井競馬場で新型コロナワクチン集団接種のお手伝いです。

日曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
母と暮せば.jpg
井上ひさしさんの置き土産とでも言うべき作品の1つで、
先に公開された映画版を元にして、
新たに畑澤聖悟さんが戯曲化し、
初演され好評を博した「母と暮せば」が、
今紀伊國屋ホールで再演されています。

これは戯曲自体は後述のように、
首を傾げるような部分が多いのですが、
演劇の密度としては非常に水準の高い充実した作品です。
何より富田靖子さんと松下洸平さんという初演と同じコンビが、
本当に完成度の高い素晴らしい「純」な芝居を見せ、
栗山民也さんの演出も、
栗山さんとしては珍しく非常に色彩感が豊かで、
緻密な段取りが作品の完成度を高めていました。

栗山さんは地味で色彩感のない、
抽象的な舞台を作ることが多く、
「父と暮せば」の舞台もそのパターンでとても失望したのですが、
今回は舞台となった民家自体も、
非常にリアルかつ緻密に出来ていて、
中央の窓硝子に映る影に時間の移ろいを感じさせたり、
上手の階段で生の世界と死の世界の往来を表現したりと、
細かいところも手が込んでいます。

これね、2人芝居なのですが、
富田さんも松下さんも、ある意味我が道を行くという感じで、
あまり相手に合わせるということはなく、
自分の表現を磨く、というタイプなんですね。
芝居のスタイル自体もかなり違います。
それを、栗山さんが非常に巧みに交通整理をしていて、
特に前半はとても細かく動きや間合いも固めていると感じました。
それにより、ある意味水と油の様な2人が、
実に見事に舞台上で融合することが出来たのです。

栗山さんはこの作品で、
本当に良い仕事をしたと思います。

これは「父と暮せば」と対になる作品で、
いずれも1幕1時間半程度の2人芝居として作られています。
どちらも死者が生者を励ますという構造になっていて、
死者が生者に生きる希望を伝えるということを通して、
人間が死ぬことの無念と、それでも生きることに意味がある、
という普遍的なテーマを、
原爆投下による大量無差別虐殺という、
重い事実を背景に描いたものです。

元になった「父と暮せば」は、
一連の「庶民と戦争」を描いた井上さんの諸作の中で、
その1つの到達点となっている戯曲です。

多くの死者が1人の若い生者を励ますというテーマは、
「頭痛肩こり樋口一葉」という評伝劇の傑作に、
既にその萌芽があり、
ネタばれになるので題名は出しませんが、
後に書かれたある有名作も、
そのテーマの変奏曲として成立していました。

「母と暮せば」はその設定を逆転させている、
という点に特徴があり、
主人公は長崎の原爆で息子を失った母親で、
それから3年後に、生きる希望を失いかけていた母親の元に、
息子の幽霊が出現する、という筋立てになっています。

どうでしょうか?

ちょっと無理がありますよね。

如何にも井上ひさしさんの遺志を継ぐ劇作、
という体裁ですが、
井上さんは矢張りこうした作品は書かないと思うのですね。

構造上、命が次に引き継がれてゆく、
というところに意味があったからです。
死んだのが息子で母親が生き残っていたら、
そういうお話にはなりようがないでしょ。
親を残して子供が死ぬというのは、
これ以上の悲劇はない訳ですが、
それは井上さんが描いてきた世界とは、
またちょっと別物だという気がするのですね。
悲劇の頂点は息子が死んだ瞬間にあって、
それ以降は死者が復活でもしない限りは、
どうしても「後日談」になってしまうからです。

トータルに見て「母と暮せば」は「父と暮せば」と比較して、
戯曲としての結晶度が弱いと思うのですが、
それはこうした点に一番の理由があるような気がします。

エピソードも弱いんですよね。

息子の死も、ただ大学の講義の時に原爆が落ちた、
というだけでは印象が弱いですし、
登場しない息子の恋人の造形も、
ただ「待つ女」という感じで弱く、
身体の不自由な年上の男と結婚したというのも、
何だかなあ、という感じがします。

そんな訳で戯曲自体には不満もあるのですが、
2人のキャストの芝居は絶妙で演出も素晴らしく、
これからも上演を続けて欲しい、
素晴らしい芝居であることは間違いがありません。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「森フォレ」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当しました。

レセプトでギリギリの攻防があり、
更新は夜となってしましました。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
森フォレ.jpg
レバノン出身の劇作家ワジディ・ムワワドが、
2006年に描いた戯曲「森フォレ」が、
今三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで上演されています。

ムワワド原作、上村聡史さん演出の舞台は、
前作の「岸リトラル」は観ているのですが、
正直その時はこの作品の真価が分からず、
苦痛なだけの観劇でした。

今回も、どうなのかしら、僕向きではないかな、
と思っていたのですが、
最初の1幕はちょっと抵抗もあったものの、
お話が進むにつれグイグイと引き付けられ、
特に3幕は最初から最後まで壮絶な場面の連続で、
演劇の快楽に酔いしれる時間となりました。

これね、2010年のモントリオールを舞台にして、
若い2人が自分達の血筋を過去へと遡る、
という物語なのですが、
次々と極彩色の絵巻物のように展開する歴史物語は、
何と19世紀中頃の普仏戦争まで遡り、
都合8から9世代に渡る多種多様なキャラが登場します。

普通こんな話、ごちゃごちゃするだけで、
とても成功しないと思うでしょ。

それがそうではないんですね。

歴史が遡るにつれ、
ゴシックロマンス的雰囲気が、濃厚に立ち上り、
現代には想像もつかない、
得体の知れない怪物が闊歩する異世界が、
立ち上がるのですね。

特にドイツアルデンヌの森に暮らす、
狂気の一家の物語は、
松尾スズキさんのかつてのアングラ芝居を彷彿とさせるような、
尋常ならざる凄味があり、
僕は大好きな松尾さんの「キレイ」を鑑賞しているような気分で、
この芝居の3幕前半を味わいました。

この芝居にはそうしたグランギニョール的な魅力があるのですが、
その後半には生涯出逢わなかった筈の親子が、
実は物語の前半で出逢っていた、
という極め付けの感動があり、
後半になって物語の本当に伝えたい部分が露わになると、
凡百の演劇では到底辿り着けないような、
深い感動が待っています。

これね、若い女性が自分の血筋を辿り、
そのルーツを辿るというお話なのですが、
結果的には人間にとって血筋や肉親、家族というものは、
実はあまり意味のないもので、
本当に重要なのは人間が共有している思いで、
それが世代や環境を越えて伝わり広がるところにこそ、
人間の本質があるという思想に至るのですね。

それを、2人の人間の性別を超えた魂の交流の中に、
具現化していると言う点に、
この作品の素晴らしさがあるのです。

凄い芝居だと思います。

演出もキャストもこの芝居の素晴らしさを、
十全に知っていることの分かる布陣で、
とても安定感がありますし、
現在日本で望みうる、
最高純度の演劇を見せてくれます。

キャストは全て素晴らしいのですが、
良い意味で無国籍性があって、
たとえば2幕で瀧本美織さんと麻美れいさんが出会うところなど、
国籍の違和感がまるでないのに感心します。

主役の瀧本美織さんは、
良くも化けたなあ、という、
ちょっと見には本人とはとても分からない見事な芝居で、
彼女が核になったことが、
この作品に華やかさを添えて、
その質を1段高いものにしていたと思います。

休憩を入れて3時間40分、
堂々たる大作で、
観賞に不安を覚える方もいるかと思いますが、
演劇の興趣に満ち、高い志を持った間違いのない傑作で、
日本で望みうる翻訳演劇の頂点として、
全ての演劇ファンに自信を持ってお勧めしたい傑作です。

凄いですよ、最高です。

ご興味のある方は是非!

石原がお送りしました。
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「3年B組皆川先生~2.5時幻目~」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
3.jpg
細川徹さんの作・演出で、
皆川猿時さんと荒川良々さんがメインの舞台が、
今下北沢の本多劇場で上演されています。

これはもともと企画公演の「男子はだまってなさいよ」で、
皆川猿時さんと荒川良々さんが、
刑事のコンビをやるというコントがあり、
それが面白かったので、
独立して「あぶない刑事」のパロディが、
2回上演されました。
面白かったのですが、少人数で刑事ドラマのパロディをやる、
という設定に少し無理があり、
面白くもあり、ダレるところもあり、
というような内容でした。

今回は基本的にその刑事ドラマのメンバーが、
今度は学園ドラマのパロディに挑戦する、
というもので、
作品は構成も練られていて、
クライマックスが2.5次元ミュージカルになり、
ラストは卒業式というベタな展開も楽しく、
キャストの大暴れも充分に楽しめる、
とても楽しい作品に仕上がっていました。

細川作品としては久しぶりの大ヒットと言って良い内容で、
最初から最後までとても楽しい気分で、
爆笑というようよりニヤニヤしまくりの2時間で、
ウキウキする気分で劇場を後にしました。

何か楽しいお芝居を、という向きには、
今一番のお勧めです。

キャストは皆川さんと荒川さんが抜群の安定感で、
皆川さんは座長として前説まで手がける活躍です。
荒川さんは映像出演が多くなってから、
以前の「狂気」が影を潜めている感じがあったのですが、
今回はかつての「狂気」全開で、
これぞ良々という芝居で堪能しました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「首切り王子と愚かな女」(蓬莱竜太新作) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも須田医師が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
首切り王子と愚かな女.jpg
パルコ劇場のプロデュース公演として、
蓬莱竜太さんの新作が、
今パルコ劇場で上演されています。

今最も脂が乗っていて、
現代と真正面から対峙している劇作家と言えば、
赤堀雅秋さんと並んで双璧と言えるのが、
蓬莱竜太さんだと思います。

ただ、お2人ともかなり作品の出来にはムラがあって、
素晴らしい作品が多くある一方で、
時間を無駄にした、としか思えないような、
観る値打ちを到底見いだせないような作品も、
少なからずあるのが特徴です。

今回は申し訳ないのですが、
その後者の部類であったように感じました。

最初から、これはちょっと駄目なパターンだな、
という感じがあって、
なんでこんなお話をこのレベルで作ろうと思ったの?
と疑問符ばかりが頭に浮かび、
後半になるとほぼほぼ展開も読めてしまって、
そのまま予定調和的に、
脱力系のラストに至り、
盛り上がるような場面も殆どありませんでした。

これね、何処か分からない王国を舞台にした、
純然たるファンタジーなんですよね。

お芝居でこうした素材を取り上げる時には、
そのまま上演しても、ハリウッドの映画みたいなものには、
リアリティの面でとても敵わないですよね。
それで、
通常はそれを描いている作者と作品世界とが交錯するようにしたり、
実はそれはゲームで、
それをプレイしている現実の登場人物が登場したり、
誰かの脳内妄想であったりと、
そうした仕掛けによって、
現実との接点を作って多視点で誤魔化すことが多いでしょ。

今回の作品は、そうしたことは全くしていないんですね。
ある意味王道のフィクションです。
でも、そうであれば、
もっと作品世界の構造が強固で、
観客をその世界に呑み込むような、
虚構としてのリアリティがないといけないと思うんですね。

でも、この作品はそういうものはないんですね。
首切り王子という名前の通り、
マザコンの王子が民衆を適当な罪状で死刑にしまくって、
それで恨みをかって暴動が起こるというだけの筋立てです。
周辺のキャラクターもそれなりに愛憎劇が盛り込まれてはいますが、
特に印象に残るものはありませんでした。

舞台がまた、具象的な装置なしで、
ただの稽古場でやる、という感じなんですね。
キャストは全員常に舞台上にいて、
楽屋みたいなブースに陣取るという設定です。

こういうのも本当に今更という感じでしょ。
野田秀樹さんはこうした演出の大家で、
最初は本当に稽古場みたいなセットなんですが、
ある瞬間に、それが別のリアルな虚構に見えるような、
「変貌の瞬間」が用意されているんですね。
今回の作品はそれがないんですよ。
だからただの予算削減の手抜きにしか見えないのです。

多分、予算を掛けられないとか色々な事情もあって、
こうした結果になったのだと思うのですが、
企画公演には時々こうしたことがありますよね。
とても残念な観劇でした。

キャストも主役級はともかくとして、
6人くらいのコロス的役割の人達が、
状況説明の台詞を喋るのですが、
それがとても質が低くて、
台詞を聞き取れなくて閉口しました。

でも蓬莱さんが現代を代表する劇作家であることは間違いがないので、
また次の傑作の出現を心待ちにしたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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タニノクロウ「虹む街」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
にじむ町.jpg
庭劇団ペニノを率いる、
演劇界きっての大変態(褒めています)、
タニノクロウさんの新作が、
今日までKAAT神奈川芸術劇場の中スタジオで上演されています。

今度は何をするのか分からない、
というような演劇人は今はあまりいませんが、
タニノクロウさんはその数少ない一人で、
毎回想像もつかないような企画を立て、
異常とも思えるような実行力で、
それを演劇という形にして実現させてしまいます。

その姿勢はかつての寺山修司と天井桟敷を彷彿とさせますが、
天井桟敷のお芝居が意外に分かりやすく、
素人にも間口の広いものであったのに対して、
タニノクロウさんの世界はその文体にしても内容にしても、
読解は非常に困難で、
「今この場で表現されていること自体は理解は出来ても、
何故何のためにこうしたことをしているのか、
何の意味があるのか、という点については、
全く理解出来ない」
という気分にさせられます。

台詞の内容やテンポ、リズムについてもそれはあって、
「何故こんなに生理的な心地よさを排して、
無理矢理のように変なリズムと間合いにするんだろう」
とこれも良く分からないのですが、
おそらくタニノさんの脳内リズムは、
僕達とは全く違う部分があるのだろうなあ、
とは思っています。

いずれもしても何が見られるのかと、
毎回楽しみなタニノクロウさんの作品ですが、
こちらにもその理解のためには、
相当な覚悟が必要なのです。

さて、今回の作品は、
KAAT神奈川芸術劇場と提携して、
中スタジオにリアルな横浜の飲み屋街を再現し、
その奥にあるコインランドリーが、
閉店する最後の日を描いたお芝居です。

タニノクロウさん自身を含めて、
プロの役者さんが6人出演し、
それ以外に多国籍の街の実際の住民が、
複数出演して、虚構と現実の境を曖昧にしています。

今回の作品は特に難解な部分はないんですね。
無言劇ではないのですが、
演劇的なやりとりのようなものも殆どなく、
大量のタオルを黙々と洗濯し続けている、
金子清文さんがメインで、
コインランドリーの主である安藤玉恵さんに、
仄かな恋心を寄せているようなのですが、
それは全く成就も進行もしないまま、
明かりが消えて舞台は終わります。

舞台の中で最も演技らしい演技をしているのは、
乾燥機や自動販売機などのコインランドリーの機械達で、
絶妙の間合いでアナウンスが流れたり、
乾燥が始まったり、止まったり、壊れたりします。
人間より機械の方に芝居をさせて、
人間の方はほぼほったらかしで、
台詞らしい台詞も見せ場らしい見せ場も殆どない、
という辺りに、
タニノさんの意地悪さが覗いている気がします。

正直もっと大掛かりなセットや、
細部に異常なほど手の込んだ作り込みをした小道具や装飾、
奇想天外な大仕掛けなどを何度も観た後なので、
少し物足りない感じはするのですが、
通常のレベルからすれば充分手が込んでいますし、
「笑顔の砦」と同じ傾向の、
タノニさんなりの市井の人間ドラマとして、
まずは楽しむことが出来ました。

次は何を見せてくれるのか、
果たして観ても理解が出来るのか、
戦々恐々としながらも、
次の作品を待ちたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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イキウメ「外の道」(前川知大新作) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。

土曜日はは趣味の話題です。
今日はこちら。
外の道.jpg
独特の難解で哲学的な世界を得意とするイキウメの新作が、
今三軒茶屋のシアタートラムで上演されています。

これはかなり重く終末観に満ちた作品で、
タルコフスキーの「サクリファイス」辺りに似た雰囲気です。

とても美しく、
ラストの描写なども、
あまりこれまでの演劇にない意欲的なものですが、
ちょっとしんどい観劇体験で、
体調のせいもあり、
少し集中の維持には苦労しました。

幼なじみの中年の男女が、
同じ町に暮していて出逢うのが発端で、
そのうちの1人は手品をきっかけとして、
世界の見え方が変わってしまい、
仕事も首になって妻とも別れてしまいますし、
もう1人は闇が世界を侵食するのが見えるようになり、
自分の家族はおろか、自分という存在すら、
見失うようになってしまいます。

ラストは照明と音響の効果によって、
舞台と客席が闇に覆われ、
2人の妄想だけにより世界が再生されることが暗示されて終わります。

舞台はカフェのような待合室のような病院のような謎の空間で、
そこにキャスト全員が集合し、
1時間55分程度の上演時間中、
キャストは一度も舞台を離れることはありません。
外からは獣のような咆哮が響いたりもして、
説明のされない不気味さが漂います。

これはまあ、前川さんのいつもの演出ではあるのですね。

スタイリッシュで抽象的な感じ。
台詞は回想が多いので、
舞台上の時制がどうなのか、
台詞と動きとがどのように連携しているのかが、
特に初見の人には分かりにくいと思います。

僕は正直こうした演出は苦手です。

勿論こうした演出が、
効果的なお芝居というのもあると思うのですね。

それは多分台詞による情景の喚起力が高いというか、
生活に密着したリアルな表現が取られている場合ですね。

たとえば、つかこうへいさんの昔の事務所時代のお芝居は、
殆ど素舞台で上演されるんですね。
それでも生々しい実感があるのは、
台詞に具体性が強くて、
人物だけで観客のイメージが喚起されるからなんですね。

野田秀樹さんのお芝居は、
キャストが全員舞台上に並んでいたり、
セットがただの紙だったりと、
一見抽象性が強いのですが、
台詞は具象的で昔の偉人やピーターパンなど、
登場人物も具体的で、
その衣装などにも遊びはないので、
矢張りセットの抽象性が邪魔にならないのばかりか、
むしろ観客の創造力を刺激する、
というメリットがある訳です。

前川さんのお芝居は、
地方都市などを舞台にして、
その日常の中に異界への扉が開き、
現実が異界に吞み込まれる、
というような設定が定番で、
それを活かすためには、
最初の現実の描写は、
もっとリアルで具象的であった方が、
異界の扉が開いた以降との落差を、
感じやすいように思うんですね。

それが今回のような演出では、
最初から様式的で、得体の知れない待合室のような、
カフェのような空間が出現するので、
「ここは何だろう?」とどうしても思ってしまうでしょ。
そうしたらね、
その場所が具体的に何であるか、
示されないといけないと思うんですね。
でも、結局示されないんですよ。
それはそこが具体的な何かではなくて、
象徴的な場所であるからですね。

でも、それじゃまずいのではないかなあ。
作品の現実感を、大きく削いてしまう結果になるからです。

演技プランとしてもね、
1人の人物の台詞を、
途中で別の人物が引き継いで話したりするんですよね。

このお話でそんなことしちゃ駄目だよね。

どうしてこんな風に、
自分で書いた作品の現実感を、
削ぐような演出をするのか理解が出来ません。

勿論前川さんは凡人及ばぬ天才だと思うので、
そこには天才の理屈があるのだとは推察するのですが、
この作品の活かし方という点で考えると、
今回は失敗であったように思いました。

内容的にもどうなのかしら。
2人の人物の現実感が、
別の形で喪失されてゆくのですが、
それが上手くリンクして、
現実の崩壊に繋がってゆくというロジックが、
上手く機能していないような感じがしました。

ただ、そこもおそらく天才の理屈があるのだと思うので、
現時点では僕には分からなかったのですが、
また再演などの機会に観直せば、
なるほど、と膝を打つような感じになるのかも知れません。

そんな訳で期待して行ったのですが、
ちょっとモヤモヤした感じで劇場を後にしました。

それでも分からないなりにイキウメと前川さんは好きなので、
今後もその舞台には足を運びたいと思います。

最後は規制退場でしたが、
カオスはありませんでした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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「フェイクスピア」(NODA・MAP第24回公演)(ネタばれ注意) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
フェイクスピア.jpg
NODA・MAPの第24回公演として、
野田秀樹さんの新作「フェイクスピア」が、
今池袋の東京芸術劇場プレイハウスで上演されています。

これは素晴らしいですよ。

この20年くらいの野田さんの作品の中では、
間違いなく一番良かったですし、
野田さんの芝居を観て泣いたのは、
多分「赤鬼」の初演以来だと思います。

久しぶりに芝居を観られて至福の時間を過ごしました。

控え目に言って必見です。

以下少しネタばれがあります。

この作品は先入観なく観て頂いた方が絶対に良いので、
鑑賞予定の方は、
必ず鑑賞後にお読み下さい。

よろしいですか?

絶対ですよ。

それでは続けます。

これね、
1985年の日本航空123便墜落事故をテーマにしたお芝居なんですね。

例の御巣鷹山のあれです。

何を今更、という感じがあるでしょ。

この事件はこれまでにも多くのフィクションで、
取り上げられていますよね。
小説では「沈まぬ太陽」や「クライマーズ・ハイ」がありますし、
演劇では劇団離風霊船の「赤い鳥逃げた…」が、
ラストに茶の間が一瞬で事故現場に変わる、
という一種の衝撃的屋台崩しで話題になりました。
ナイロン100℃の「ナイス・エイジ」も、
事件に1つの幸福な時代の終わりを重ねた、
叙情的な力作でした。

海外の芝居ですが日本でも燐光群が2002年から2003年に上演した、
「CVR チャーリー・ビクター・ロメオ」というお芝居は、
複数の事件のボイスレコーダーの音声を、
そのままコックピットを舞台にしたドラマに構成する、
という斬新な趣向の傑作でした。
その中にはこの事件も含まれています。
事故になった瞬間、強烈な爆裂音と共に暗転するんですね。
あそこまでショッキングな暗転というのは、
他にはまず体験したことがありません。
何度か墜落事件が続いて、
その後で奇跡的に助かる事例があるんですね。
「本当に助かって良かった!」という気持ちに観ていてなるのです。
面白いことを考えるものだととても感心しました。

多くの作家がこの事件に衝撃を受けるのは、
一瞬にして失われた多くの命のドラマに、
フィクションではとても太刀打ち出来ない、
という無力感を感じるからですね。
それもコックピットの音声がブラックボックスの中の、
ボイスレコーダーに残っているんですね。
間違いのない「最後の声」が、
そこに「真実」として存在している、
そのドラマにどのようにしてフィクションが立ち向かえるのか、
というのが創作者にとっての大きな壁なのです。

1985年は野田さんは劇団夢の遊眠社の人気のピークで、
神話に材を取った壮大な3部作を創作し、
大規模な会場での上演も行われていました。
ただ、その後は目立った新作は少なく、
再演や原作ものが主体となって、
そのまま遊眠社は解散に向かうのです。

この変化の1つの要因として、
御巣鷹山の事故があったと考えると、
少し腑に落ちる感じがします。

野田さんのお芝居は、
「走れメルス」のオープニングなどから既に、
「声」に対する偏愛のようなものがあって、
そこにNODA・MAPの時代以降は、
より新しいニュアンスが加わっているように思います。
おそらくその背景にも、
ボイスレコーダーの音声の存在があったのではないか、
それをいつか自分なりにフィクションに取り込んで、
その現実に一矢報いるような作品を作ろう、
というような思いが秘められているのではないか、
というようにも今回の作品を観て感じました。

これね、高橋一生さんが死んだ機長で、
35年後に橋爪功さん演じる自分の息子に、
その思いを伝えるために戻って来るというお話なんですね。
死んだ機長はブラックボックスの中にある最後の言葉を、
自分の息子に伝えるために持って来るのですが、
それはフィクションの世界に「死」をもたらすものなので、
「演劇の神」であるシェイクスピアが奪おうと狙っているのです。

最初に白石加代子さんがイタコの見習いとしてとして出て来て、
ダブルブッキングしたという高橋さんと橋爪さんが出逢うのですね。
親子の感動的な出逢いが最初にあるのですが、
通行人同士のようにしか見えない、
という辺りが面白いですよね。
橋爪さんがシェイクスピアの4大悲劇を、
次々と演じると、
そのヒロインが憑依した高橋さんと掛け合いをする、
という発想も冴えていますし、
そこに見習いイタコの白石さんが絡むのですから、
これはもう演劇好きには、
野田さんと併せて至福のカルテットです。
そこから野田さん演じるシェイクスピアと、
その息子のフェイクスピアが召喚され、
白石さんの母親の伝説のイタコとして、
前田敦子さんが召喚されると、
年齢が逆の親子関係が重層的に構成される、
ということになります。

神々の世界と人間世界の対立というのは、
野田さんの東大駒場小劇場時代からのお得意の構図ですが、
それが現実と虚構(フィクション)との対立という構図になり、
しいては現実の観客と劇作者である野田秀樹の対決になる、
という辺りがこの作品の巧妙さで、
それをアングラの女王であった白石加代子さんの口寄せを媒介とさせ、
「新劇の巨人」である橋爪功さんを主役に据えて、
そこに野田秀樹さんがシェイクスピア役で対立の軸になる、
という念には念の入った虚実ない交ぜの構成がこの作品の超絶的な凄みです。

この作品は如何にも野田芝居的と言うか、
遊眠社的な演出や趣向を多く取り入れ、
前半は野田芝居の総集編的な感覚があるのですが、
クライマックスはボイスレコーダーを忠実に再現した、
事故の再現になります。
こうした趣向は以前にも東南アジアの虐殺の再現など、
試みられたことはあったのですが、
それまでの野田芝居のレトリックに溢れた雰囲気とマッチせず、
あまり成功とは言えませんでした。

しかし、今回は違いました。
それまでの構成も非常に巧みにその場面に繋がっていて、
群舞的と言葉による演出も良く、
何より高橋一生さんと橋爪功さんのお芝居が素晴らしくて、
心が打ち震えるような衝撃と感動がありました。
この場面で航空機の尾翼に、
シェイクスピアと星の王子様がしがみつくのですが、
この破綻ギリギリの構図こそが、
最もこのお芝居の、
野田秀樹さんらしい瞬間であったと感じました。

星の王子様は初期の遊眠社のお芝居にも、
どれかは忘れましたが登場していたと思います。
ピーターパンなどと並んで、
野田さん幼少期のおもちゃ箱のヒロインで、
永遠の少年というのが初期野田芝居のアイコンでした。
シェイクスピアも、
野田さん自身何度も題材にし、
「野田版真夏の夜の夢」などの傑作を生み出した、
言わば「演劇の神様」です。
その2人の神様が壮絶な現実の尻尾にしがみついて、
必死で虚構に現実を絡め取ろうとする姿こそ、
野田さんの生涯の姿勢なのであり、
それがこの名シーンを生み出したのです。

キャストはともかく、
高橋一生さん、白石加代子さん、橋爪功さんのトリオが抜群で、
高橋さんも本当にいい役者になったと思います。
橋爪功さんも今回の芝居は一球入魂の新劇の奇跡で、
白石さんは以前は違和感を感じた「抜いた芝居」が、
今回は作品世界に膨らみを与えていました。
唯一違和感があったのは、
野田芝居初期の典型的キャラクターを演じた前田敦子さんですが、
多分野田さんは前田さんのことが好きなのですね。
そう言えば、昔の大竹しのぶさんに、
ちょっと似た雰囲気があります。

そんな訳でこの作品については、
語りたいことは沢山あって、
こうして書いていると幾ら時間があっても終わらないのですが、
野田秀樹さんの多くの仕事の中でも、
間違いなく代表作の1本になる大きな仕事で、
今年のベストともう既に断言してもいい、
演劇の素晴らしさに満ちた傑作だったと思います。

皆さんも是非。

ただ、観劇の際はかなり密な状況ですので、
感染対策にはご注意下さい。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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