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劇団「地蔵中毒」第13回公演 無教訓意味なし演劇vol.13『宴たけなわ 天高く円越える 孫世代』 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
地蔵中毒.jpg
ただ馬鹿馬鹿しいだけの演劇、を、
精力的に上演し続けている劇団「地蔵中毒」の、
新作公演に出掛けました。

この劇団は2年前に一度観に行って、
今回が2回目です。

松尾スズキさんをリスペクトしていて、
今回は松尾さんとのリモート対談の企画もあるようです。
そうしたこともあるのか、
今回の作品はかなり大人計画の初期作に近い雰囲気で、
怪しげなバーでダラダラした会話の続くところとか、
夏祭りの日のいたずらで少女を殺してしまった少年が、
少女を蘇らすために、
人生を賭けてデタラメに生き、
もう1つのデタラメな地球を創造して、
かつての夏祭りが再現されるという筋立てにしても、
松尾イズムの影響が強く感じられます。

今回は前回の公演と比較して、
演出はかなり洗練されていて、
ゆっくりと時間を掛けた暗転や、
暗転中のドタバタした音など、
ゆるい部分も残っているのですが、
オープニングの独白から、
映像とコラボした着ぐるみのイノシシとのアクション、
そしてスタイリッシュなダンスへの移行など、
とても洗練された段取りで感心しました。
ラストも巨大な観音様の作り物から、
電飾に輝く夏祭りの風景が現れるという奇想が素敵でした。

ただ、デタラメと言う割には展開は予定調和的で、
展開自体のデタラメさが、
予想外の方向に舞台を牽引する、
という感じがあまりないのが、
少し物足りない感じがします。
役者さんも皆面白くて楽しいのですが、
舞台の枠を超えたテンションという感じはないので、
そのおとなしい感じが、
こちらもちょっと物足りなく感じます。

そんな訳で不満もあるのですが、
個人的には「この社会を何とかしなきゃ」みたいなお芝居より、
こうした「無教訓意味なし」のお芝居の方が、
100倍くらいは好きなので、
変に頭の偏差値を上げることなく、
これからも頑張って欲しいと思います。

今後劇団がどういう方向に進むのか、
期待しつつこれからも劇場に足を運びたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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「帰還不能点」(劇団チョコレートケーキ第33回公演) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
帰還不能点.jpg
劇団チョコレートケーキの新作公演が、
今池袋のシアターイーストで上演されています。

最近は太平洋戦争を素材に扱うことが多いチョコレートケーキですが、
今回は日中戦争の泥沼から日米開戦に至る、
日本の指導層の政治判断の誤りを、
当時模擬内閣で政策研究に従事した、
当時のエリートの若者のその後を描いて、
「負けることの分かっている戦争を何故止められなかったのか」
という苦悩に収斂される物語です。

総力戦研究所や模擬内閣という、
あまり知られていない挿話から、
過去の失敗を実証的に突き詰めようとする辺り、
いつもながら作者の切り口は鮮やかです。

近衛文麿や東条英機、松岡洋右の行動を検証するのに、
当時の若手官僚が敗戦5年後の1950年に居酒屋に集まり、
そこで過去を回想して、
劇中劇として演じるという凝った構成です。
複数の俳優が同じ人物を演じたりもするので、
普通ゴタゴタとして観づらくなるところですが、
若手官僚としてもキャラが立っていて、
役者さんの芝居も非常にくっきりとしているので、
すんなりとその世界を咀嚼出来る点がさすがです。

この辺り、作者と演出、
演者のチームプレイの勝利という感じがします。

後半は戦争拡大を止められなかった責任を悔いて、
静かに死んで行った1人の官僚の死に収斂し、
ラストはもう一度模擬裁判が行われて、
模擬内閣として対米戦を止めるところで終わります。

戦後史の勉強にもなりますし、
工夫されていて面白く観られるお芝居です。

ただ、こうした作品ではいつものことですが、
今の感覚で当時を断罪しているようところがあり、
「戦争自体がより身近なものとして存在していた」
当時の現実をやや無視しているような感じはあります。
1950年を「現在」としている作品なのですから、
登場人物たちにもっと1950年に出来ることを、
模索して欲しかったように個人的には思いました。
確かに1人の官僚の死が描かれますが、
随分と象徴的な描かれ方で、
扱いもやや唐突でこなれていない印象はありました。

また、敗戦が悪ということになると、
勝てば善ということになり、
戦争自体の否定には繋がらないのではないか、
というような疑問も感じました。
また、ラストには世論操作をして、
世間の戦争熱を冷まそう、
というような趣旨の台詞があり、
作者の考える「正義」の一貫性に、
ちょっと揺らぎを感じるような部分もありました。

昭和16年の南部仏印侵攻が仮に中止されたとして、
その時点でドイツと縁を切り、
中華民国と講和交渉をしていたらどうなったのか、
本当に米国との関係は改善した可能性があるのか、
仮想世界としてはその後がどうなったのか、
その後も描いて欲しかったというようにも感じました。

そんな訳で如何にも劇団チョコレートケーキらしい、
力感あふれる知的なお芝居でした。
ただ、最近の作品は以前と比べて、
内容の振り幅は小さく、
観客を選ぶ芝居になっているという点は、
ちょっと残念にも思いました。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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井上ひさし「薮原検校」(2021杉原邦生演出版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
薮原検校.jpg
井上ひさしさんの「薮原検校」が、
新生パルコ劇場のオープニングシリーズの一環として、
木ノ下歌舞伎の杉原邦生さんの演出と、
歌舞伎の市川猿之助丈の出演で上演されています。

この作品は非常に思い入れの強い芝居で、
唐先生の「吸血姫」、佐藤信の「阿部定の犬」、
などと並んで、僕にとっては特別な意味を持つ戯曲です。
なので、もう何度も観ていますし、
戯曲も読んで台詞も殆どは覚えているくらいですが、
それでも上演機会があると、
大したことはないだろうな、
どうせ過去の思い出を汚されるだけだろうな、
などとは思いながらも、
ついつい観に行ってしまいます。

井上ひさしさんの、
これは比較的初期の芝居で、
初演は1973年の西武劇場です。
要するに旧パルコ劇場ですね。
当時はアングラの全盛期で新劇は肩身の狭い感じであったのですが、
アングラ芝居のエッセンスや歌舞伎のエッセンスを取り込んで、
新劇ながらアングラに負けない面白さを持つお芝居、
を目指して作られたものです。

井上ひさしさんのお芝居としては、
暗黒時代劇として完成度の高いもので、
木村光一さんの演出がまた、
アングラへの憧憬に満ちた力の入ったものでした。

僕が最初に観たのは1979年の紀伊國屋ホールで、
高橋長英さんがタイトルロールを演じ、
財津一郎さんや金内喜久夫さんも初演と同じキャストでした。

これは最初から最後まで興奮の連続で、
最後に巨大にデフォルメされた薮原検校の人形が、
舞台上に高々と吊り上げられ、
それが切断される場面の衝撃は、
今でも鮮烈に記憶しています。
これは実際にはアングラのパロディ的なもので、
その物真似的なものでもあったのですが、
僕にとってはこれがアングラ初体験と言って良いものだったので、
素直にその演出や手法の全てに感動し興奮したのです。

その後この作品は木村光一演出の傑作として、
再演を繰り返しましたが、
次第に経年劣化といって良い状態となりました。
1990年代に一度再演を観ましたが、
これは酷くて本当にガッカリしました。

それから蜷川幸雄さんがシアターコクーンで、
蜷川流の「薮原検校」を上演しました。
主役は古田新太さんでした。
この上演は確かに新鮮なところはあったのですが、
古典の語り物をパロディで語る場面などは、
古田さんの藝質には合っていませんでした。

その後2012年に野村萬斎さんが主役を演じた上演があり、
これは木村演出を意識した上で、
その上を狙った意欲的な上演で、
「薮原検校復活」を強く感じた素敵な舞台でした。
語り手の盲太夫には浅野和之さんで、
塙保己一役には小日向文世さんというキャストも強力で、
初演のトリオに匹敵するものでした。
この演出は再演もされましたが、
浅野和之さんが出たのは初演のみだったので、
再演はかなりボルテージは低いものになりました。

そして今回の上演は、
歌舞伎に造詣の深い杉原邦生さんの演出で、
歌舞伎の市川猿之助丈が主役を演じるというもので、
何を今更、という感じもあったのですが、
どんなものだろうと思って出掛けました。

これね、ニューヨークの裏町みたいなセットが外枠にあるので、
何か嫌だなあ、という気分になったのですが、
始まってみると意外にオーソドックスな演出でした。

最初に「緑内障」を「あおそこひ」と言う台詞があるのですが、
これを「りょくないしょう」と読んでいました。
「こんなことしちゃ駄目じゃん」と思ったのですが、
語り手は川平慈英で、
どうやら語り手は現代人で、
過去の物語を語るという趣向にしているようなのですね。
それでも如何なものかな、という気はしましたが、
意図はまあ分かりました。

この芝居は多くの役を6人の役者が、
代わる代わる演じるという趣向で、
どの役は誰、という指定は何もないのですね。
原作にはキャストは6人と書いてありますが、
今回の上演では6人以上出演しているので、
まあ何でもありなのです。
上演によってその割り振りが違うのですが、
今回は三宅健さんが出演するので、
通常より多くの役柄を、
三宅さんに割り振っています。
頑張っていましたが、
塙保己一役を三宅さんがやるのは、
猿之助丈より明らかに若く見えるので、
失敗であったように思います。
松雪泰子さんは抜群に良かったですね。
とてもとても良い舞台役者になったと思います。

演出は…うーん。
もっと工夫が欲しかったようには感じました。
ラストは木村演出のように人形を吊して切断するのですが、
リアルな大きさのマネキンみたいな人形なので、
あまりショッキングではなく詰まらないのですね。
これは原作には「人形を使う」なんて何処にも書いてはいないので、
もっと別の演出を、
せっかくだから見せて欲しかったと思いました。
また、誰がどの役をやってもいいのですから、
猿之助丈が早変わりで数役を演じてもいいと思いますし、
もっと盛り上げる部分は盛り上げて欲しかったですね。
せっかくだからもっと歌舞伎に振り切ったバージョンを、
見せて欲しかったと思いました。
出自の全く違う役者のぶつかり合いを見せたかったんだと思いますが、
結果的には猿之助丈が力押しに押しきって、
松雪泰子さん以外は一歩引いた感じになってしまいましたよね。
これではバランス的に詰まらないなと感じました。

トータルに、
これまでのこの作品の演出を、
特に木村演出を変えたかったのか変えたくなかったのか、
よく分からないという感じの上演で、
やや中途半端に終わった、という感じがありました。

「薮原検校」は僕の最愛の戯曲の1つには間違いがないのですが、
今回改めて見なおして、
さすがに古くなったな、とも感じました。
初演当時はとても衝撃的で斬新であった作品のテーマが、
今は矢張り色あせて感じます。
現代のように過去の考えや文化を全否定しても平気、
という世の中では、
時代を超えて残る作品というのは、
不可能に近いものなのかも知れません。

切ないですね。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「1986年:メビウスの輪」(福島三部作第二部 TPAM2021年再演) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

日曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
福島三部作.jpg
谷賢一さんが綿密な取材を元に、
福島原発事故に至る福島の軌跡を、
三部作としてそれぞれ2時間ほどの3本の芝居にまとめ、
2018年に第一作が発表され、
2019年には東京でも3部作の一挙上演が行われました。

僕は第一部はアゴラ劇場での初演を観て、
第三部は池袋芸術劇場での公演を観ましたが、
第二部のみは観ることが出来ませんでした。

特に第三部には非常な感銘を受けたので、
第二部を観られていないことが悔やまれてなりませんでした。

今回国際舞台芸術ミーティング in 横浜2021の一環として、
再演が行われたので、
これは是非、と思い劇場に駆けつけました。

この三部作は、
第一部が原発誘致を決めた1961年を、
第二部がチェルノブイリの事故が起きた1986年を、
そして第三部が福島原発事故の2011年を舞台にしています。
それを双葉町の町長を務めた人物の一家の、
年代記的に構成した構成がなかなかユニークで、
3作とも異なったスタイルが取られています。

このうち第三部は敢えて事故が少し落ち着いた、
2011年の暮れ頃を舞台にして、
双葉町周辺の多くの生の「声」を、
詩集のようにまとめた最もシリアスな作風で、
第一部は犬が喋ったりダンスを踊るような、
児童劇的手法も取りながら、
まだ原発が「科学の夢」であった時代の、
牧歌的な世界と将来の悲劇の落差を描いています。
そして、この第二部は、
RCサクセションの「サマータイム・ブルース」をテーマ曲として、
そこで揶揄された「原発は安全だ」の発言をした町長の、
そこに至った道程を、
やや戯画的に描いています。

これはテーマ的には一番重いもので、
原発反対の活動家であった主人公が、
町長選挙に「原発賛成派」として立候補して当選する、
という「変節」の奥にあるものを描いています。
その後すぐにチェルノブイリの事故が起こるので、
自分が最もそれまで軽蔑していた筈の行為を、
「原発は安全だ」と旗振りをする行為をするに至るのです。

日本の演劇史上を振り返っても、
これ以上に興味深く魅力的な人物像はなく、
そこには人間の持つ業のようなものが、
刻印されているように思えます。

特にラストで主人公が語ることの出来なかった思いを、
妻を前にして語ろうとする瞬間に、
孫が出来たという知らせが届いて、
その「家族の幸せ」の前に、
「福島の将来」が葬り去られてしまうという苦さは、
この三部作の中で最も深く心を抉る場面です。

このように非常に深く魅力的なテーマを持つ本作ですが、
その演劇としての見せ方というか、演出方針というか、
その点についてはかなり疑問を持ちます。

演技はかなりカリカチュアされていて、
リアルさは乏しく、
死んだ犬が語り手になって、
ダンスを踊ったりするのは、
個人的にはあまり作品の内容に合った演出とは思えません。

「サマータイム・ブルース」は、
確かに内容を象徴するような楽曲ではありますが、
音楽としての力が強すぎるので、
それが大音響で流れた瞬間に、
主人公の心理のような繊細な描写は、
全て観客の頭からは消えてしまいます。

記者会見の前に主人公が隈取りの化粧をする、
という趣向はどうでしょうか?
意図は勿論分かりますが、
これも内容の繊細さを、
大雑把な演出で消してしまう行為であったように、
個人的には思いました。

この作品はシリアスな会話劇としても、
充分そのままで成立する芝居だと思うので、
これはこれとして、
また別個の演出とキャストで、
是非上演を続けて欲しいと思いました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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唐十郎「少女都市からの呼び声」(2021年唐組第66回公演) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
少女都市からの呼び声.jpg
唐組は昨年は新型コロナ禍のため、
春予定されていた「さすらいのジェニー」を秋に上演しただけでした。
その代りということではないのでしょうが、
通常は本公演は行わない1月に、
下北沢駅前劇場で「少女都市からの呼び声」を上演しました。

本公演ですが、
演出の久保井さんの前説では、
「若手公演」という位置づけでもあるようです。

この「少女都市からの呼び声」は、
僕にとってはかなり特別な作品です。

初演は1985年の秋の、
状況劇場若衆公演で、
珍しくテントを離れて、
新宿のスペース・デンという、
密室性の高い小劇場での公演でした。

これはねえ、本当に素晴らしい珠玉の作品で、
とてもとても感銘を受けました。
唐先生のお芝居で生で観劇したものの中では、
間違いなくベストワンでしたし、
これまでに観た全ての芝居の中でも、
ベストワンと言っても悔いはない、
というくらいの作品でした。

内容的には同年に初演された「ジャガーの眼」の、
姉妹編的な設定の中に、
劇中劇のように唐先生の旧作である、
「少女都市」が入っている、
というような構造のお芝居です。

舞台装置は段ボールと蚊帳だけ、
ライトはブリキのバケツの中に入っていて、
照明は白と赤のみという、
シンプルを極めたお芝居でしたが、
シンプルでありながら、
唐先生のお芝居の特徴である、
猥雑さや過剰さにも満ちていました。
役者は素晴らしく演出も細部まで完成度が高く、
何より唐先生のロマンチズムが、
極めて高純度に迸っている点が魅力でした。

その後この戯曲は状況劇場解散後、
唐先生が1年だけ立ち上げた下町唐座で再演されました。
唐先生自身が婦長として登場し、
フランケ醜態博士役には、
「少女都市」の初演キャストである、
麿赤児さんが復活するという豪華版で、
とても期待して観に行ったのですが、
仮設劇場の大きな舞台に作品が合わず、
麿さんも久しぶりの唐芝居本格復帰の舞台に、
あまり調子が出ないという感じで、
ギクシャクした芝居でした。
(麿さんはその後唐組の「電子城2」で、
本領発揮の見事なお芝居を見せました)

この作品は新宿梁山泊でも度々上演され、
それ以外の企画公演のような舞台も複数ありましたが、
唐先生が直接関わったもの以外は、
僕は基本的に観ないと決めていたので、
そうした舞台には足を運びませんでした。

そして、今回本家の唐組として、
初めて「少女都市からの呼び声」が上演されました。

久保井研さんの唐作品演出は、
もう名人芸の域に達していますから、
今回は非常に期待をして出掛けました。

ただ、今回は正直今ひとつでした。

一番の問題は舞台となった駅前劇場と、
唐組の演出との相性の悪さですね。

あの劇場は小劇場である割に、
舞台の幅がかなり大きいのですね。
横長の劇場なのですが、
その舞台が上手く使えていませんでした。
群衆シーンは人間で舞台が埋まっていないといけないのですが、
とてもスカスカの感じでした。
それからフランケ醜態博士を全原徳和さんが演じていたのですが、
非常に実力のある魅力的な役者さんで、
今回の顔ぶれでは他にないな、
ということは分かっていたのですが、
今回はやや手に余るという感じでした。
もう少し存在自体の凄味のようなものが感じられないと、
この役は持ちません。

良い点を言うと、
ヒロインを演じた大鶴美仁音さんが抜群でした。
硝子化される少女のあの狂気と鮮烈!
彼女のこうした芝居は、
「吸血姫」を超えて、
ほぼ完成に到達した、という感がありました。

そんな訳で今回は不満の残る「少女都市からの呼び声」でしたが、
それでもヒロインの見事な芝居を観るだけで値打ちはあり、
今回は端役の稲荷卓央さんと久保井研さんの芝居も円熟の極みでしたから、
観た価値は充分にあるものでした。

今年は春に「ビニールの城」の再演になるようですから、
これはもう気合いを入れて待ちたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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「東京原子核クラブ」(2020年本多劇場上演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診ですが、
夜にはRT-PCR結果の連絡を、
15件ほどしないといけないのでクリニックには行く予定です。
結果を電話で説明して、
陽性であれば、
保健所に連絡をして…という一連の段取りがあり、
最近は25から50%くらいが陽性なので、
1時間から1時間半くらい毎日掛かっています。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
東京原子核クラブ.jpg
1997年に初演されたマキノノゾミさんの代表作の1つ、
「東京原子核クラブ」がマキノさんの演出で、
今下北沢の本多劇場で上演されています。

この作品は生で観るのは今回が初めてです。

公演は本日までですが、
客席は半分のみが使用され、
19時開始の公演が何回か中止となっていました。

客席はほぼ埋まっていましたが、
どちらかと言うと身内の方が多いかな、
という感じの印象でした。
多少ダレ場もある芝居ですが、
寝ているような方は殆どいませんでした。

これね、井上ひさしさんの「きらめく星座」や「闇に咲く花」のように、
軍人や政治家以外の日本人の戦争責任を扱った内容で、
ノーベル賞を受傷した朝永振一郎博士をモデルにした、
友田晋一郎という科学者が主人公です。

お分かりのように、
名前はモデルになった人物が、
明確に分かるように書かれているんですね。

第二次大戦中にはアメリカのマンハッタン計画以外にも、
各国で「原子爆弾」の開発が、
しのぎを削っていたのですね。
日本でも旧帝大の物理学教室を中心にして、
そうした研究が実際に行われていました。
朝永振一郎博士も湯川秀樹博士も、
その関わり方は様々であっても、
関わり自体があったことは確かであるようです。

原爆に関わった科学者の話は、
「コペンハーゲン」とか海外には有名な戯曲がありますが、
日本ではあまり取り上げられないテーマではないかと思います。
通常演劇作品は文系の方が執筆されるので、
科学者の内面に踏み入るのは、
結構難しい作業なのではないかと思います。
井上ひさしさんにも、そうした作品はないですよね。

その問題に真っ向から取り組んだという意味で、
「東京原子核クラブ」は非常に画期的な作品であると思いますし、
評価されるのも納得、という感じの作品ではあります。

ただ、
理系の端くれの意見としては、
あまり主人公達に理系の研究者という感じはしないですね。
新劇青年やピアノ弾き、レビューの踊り子などが登場しますが、
そちらの描写はリアルである一方で、
科学者同士の会話はあまりリアルには感じません。

天才科学者の心理や倫理観というのは、
多分もっと別種のものですよね。
ラスト近くで戦争に関わった責任について、
絶叫的に懺悔する場面があるのですが、
ちょっとそれは違うのじゃないかな、
と少し醒めた感じで観てしまいました。

上演時間は休憩15分を入れて2時間50分。
前半は人物紹介から始まって、
東大野球部の偽部員の話がメインになるので、
ちょっと長いな、という感じがします。
後半は戦時中の話になって本筋になるので、
こちらは力感もあって集中して観ることが出来ます。
ベースの雰囲気は井上ひさしさんの「闇に咲く花」に近いですし、
野球を絡める辺りは影響もあると思うのですが、
ラスト、シリアスな場面の後で、
コミカルに振って終わりにするでしょ。
これはちょっとどうかな、というように感じました。
この重いテーマでラストにコミカルなオチを付けるのは、
計算違いであると個人的には思います。

キャストは皆さん熱演でしたが、
主人公が矢張りとても科学者には見えないんですよね。
これは役者さんにも責任はありますが、
戯曲自体がそう書けていない、と言う点が、
一番の問題であるように感じました。

そんな訳で生で観ることが出来て良かった、
と感じられた名作でしたが、
内容的には全面的に納得、
というようには思いませんでした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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岩松了「そして春になった」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

昨日は相当バタバタで更新は無理でした。
今一段落という感じではあるのですが、
色々と不安なことがあって落ち着きません。

また新型コロナのことなど含め、
少し整理してから記事にはしたいと思っています。

今日は休みの日で趣味の話題です。
今日はこちら。
そして春になった.jpg
もう公演は終わっていますが、
昨年の12月に岩松了さんの新作2人芝居を、
下北沢の本多劇場で鑑賞しました。

これはダブルキャストでの上演で、
ある映画監督の妻とその愛人が登場しますが、
妻が松雪泰子さんで愛人がソニンさんというペアと、
妻が片桐はいりさんで愛人が瀧内公美さんのペアの2組での上演です。

僕は松雪さんとソニンさんのペアを実際に観て、
それから映像配信があったので、
片桐さんと瀧内さんの舞台を2回観て、
それで「あれ、ここはちょっと台詞が違っているのじゃないかしら」
と気になってしまったので、
結局松雪さんの舞台も配信で観直しました。
結局2回ずつ観たことになります。

岩松了さんの作品はいつも非常に難解で、
とても意地悪に書かれています。
台詞は全て平易な言葉で書かれているのですが、
通常期待されるようなドラマチックな展開は全く起こらないか、
ラストに唐突に起こります。
大抵ラストに至って「えっ!」と驚き、
もしくは「もうこれで終わりなの?」と愕然として、
「今まで2時間を掛けて観させられていたものは何だったのかしら」と、
これまでの展開を遡ろうとするのですが、
時既に遅し、という感じになるのです。

今回の作品は岩松さんの中では、
比較的平易なものですが、
それでも最初に実際の舞台を1回観た時には、
初めから台詞がなかなか頭に入って来ず、
中段で舞台の動きが入ると、
「あっ、これはもう締めに向かっているな」
と予測はしながらも、紛らわしい台詞に翻弄され、
結局欲求不満のまま劇場を後にしました。

配信というのは便利なもので、
実際に観た舞台を、
その記憶がそれほどぼやけない前に、
何度も確認出来るという利点があります。
特に今回の作品は全編で50分程度という短さなので、
それほどのストレスなく確認することが出来ます。
今回は12月に観た舞台を、
レセプト作業をしながら、
電子カルテの隣のパソコンで流しっ放しにしました。

今回の作品は女性の2人芝居で、
2人は読み合わせみたいに台本を手に持っていて、
ある時は互いに台本に目を落としたまま台詞を喋り、
またある時は台本を読みながら、
それについて議論をする、
という感じにもなります。

舞台は湖の畔の映画監督の男性の別荘で、
そこに監督の妻とその愛人の女性がいて、
更に実際には登場しないものの、
より若い新進女優が、
監督の新しい愛人として居合わせているようです。

時制としては、
そのパーティーの夜が「現在」で、
そこで愛人の女性が新進女優(新しい愛人)を、
湖にボートで連れ出して、
ボートから落として殺してしまい、
その瞬間を別荘の窓越しに、
監督の妻が目撃している、
という場面がまず描かれます。

そこから時間は遡って、
監督の妻とその愛人との最初の出会いから、
監督の心が妻から愛人への動く様子、
互いに憎みながら、
同じ男性を支点としている関係性から、
2人の女性が心の繋がりを持つ様子、
そして題名でもある「そして春になった」という映画で、
愛人が「妻」の役をキャスティングされ、
ヒロインを新進女優が演じることで、
愛人もかつての妻のように捨てられることが明らかになります。
そこに至って、妻と愛人の立場はほぼ同じになり、
2人にはある種の共犯関係が生まれます。

そして、ラストにはもう一度最初の場面が描かれるのですが、
殺人を目撃した妻が、
その時に手を切って血をにじませることで、
2人の心理的な共犯関係が確認されて終わるのです。

岩松さんとしては結構クリアなお芝居ですが、
それでも分かりにくいのは、
読み合わせという様式で代名詞が多いので、
「この台詞は誰のことを言っていて、誰に向かって話しているのかしら?」
という点が意図的に不明瞭にされていることが主な原因です。

これは実は「あなた」と言うのは、
その全てが舞台上の相手役のことのみを示しているのですね。
そっぽを向いていても、
呼びかけは全て相手に向かっているのです。
それを理解すると、
比較的すっと、台詞が頭に入ってくるようになります。

読み合わせ形式というのは一種の冒険で、
観ていてそう面白いものではないのですが、
単純な朗読ではなく、
それでいて記憶した台詞を、
あたかも今自発的に発せられたもののように表現する、
普通の台詞劇とも違っているので、
新型コロナ対策の苦肉の策という側面もある一方で、
舞台の新しい可能性を感じさせるものでもありました。

今後は実際の舞台を補足する配信との相乗効果が、
舞台芸術鑑賞の1つの新しい形になっていくような気もしました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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2020年の演劇を振り返る [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

お正月、皆さん如何お過ごしでしょうか?

今日は昨年の演劇を振り返ります。

昨年は以下の公演に足を運びました。

1.明石家さんま「七転抜刀!戸塚宿」
2.川村毅「クリシェ」
3.別冊根本宗子第8号「超、Maria」
4.シベリア少女鉄道「ビギンズリターンズアンドライジングフォーエバー」
5.桑原裕子「往転」 
6.「縛られたプロメテウス」
7. 三谷幸喜「大地」(配信で鑑賞)
8.「イヌビト~犬人~」
9.KAKUTA「ひとよ」
10.シェーファー「わたしの耳」
11.ケラ「ベイジルタウンの女神」
12.ねずみの三銃士「獣道一直線!!!」
13.唐組「さすらいのジェニー」
13.松尾スズキ「フリムンシスターズ」
14. シベリア少女鉄道「メモリーXメモリー」
15.岩松了「そして春になった」(松雪泰子&ソニン)
16.三谷幸喜演出「23階の笑い」
17.タニノクロウ秘密クラブ「MARZO VR」
以上の17本(配信1本含む)です。

これはもう新型コロナの影響でガクッと減りました。
今年の3月からはほぼすべての公演が中止となりましたし、
7月以降は徐々に小劇場も再開はされましたが、
仕事上密になるような劇場はなるべく避けようと思っていたので、
今までのように小劇場に足を運ぶことはなくなりました。

そんな訳で今回はベストを選ぶほど作品を観ていないので、
ベストの選出は特にしません。

今の感染状況を見ている限り、
再度緊急事態となる可能性は高く、
演劇の上演も再度困難な状況にはなりそうです。

傾向としては、
一定の数の演劇のファンというのはいますから、
今の形での上演も続くとは思いますが、
それはもう今後のトータルな数の増える性質のものではなく、
長期的には減少するものだと思いますから、
今の形の演劇の上演は、
もう衰退するジャンルと考えて間違いはないと思います。
その中で配信とVRの活用というのは、
演劇と映像メディアの融合の1つの流れと思われ、
映像と生身の演劇の中間のようなジャンルが、
今後はより進歩してむしろエンタメの主流となっていくように、
個人的には考えているところです。

今年何本くらいの舞台に出逢えるでしょうか?
感染防御には留意しつつ、
一期一会の思いで作品に対したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良いお正月をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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タニノクロウ秘密クラブ「MARZO VR」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日はクリニックは休診ですが、
午後は発熱外来を担当する予定です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
MARZO.jpg
12月22日から27日まで、
北千住のBUoYというカフェの一部で、
庭劇団ペニノのタニノクロウさんによる、
番外公演的な公演が行われました。

これは専用に製作された30分ほどの映像作品を、
VRゴーグルとヘッドホンを装着して体感する、
というものです。

内容は以前上演された「アンダーグラウンド」という、
外科手術をエンターティンメント化したようなお芝居を、
そのベースにしていて、
看護師の扮装をしたスタッフに、
病室めいた場所に案内されて、
横になってゴーグルを装着すると、
映像は病室で自分が患者として寝かされている、
という状態から物語がスタートする、
という趣向になっています。

最初は普通に血圧チェックなどをされているのですが、
そのうちにエロチックな看護師に、
誘惑されるようなパートがあり、
その後豹変した看護師に身体の自由を奪われると、
生きながら解剖されてバラバラにされてしまうのです。

これは相当ビックリしました。

さすがタニノクロウさんは頭のイカれた変態です。
(半分は呆れつつ、半分は感心しているという表現です)

勿論偽物であることは分かっているのですが、
映像で見せられている肉体が、
次第に自分の肉体と同一視されてしまうので、
そこにメスを入れられたりすると、
矢張り「うわっ!」という気分になります。

意図的に解体される肉体は、
偽物の人形のようにしか見えないので、
それでかろうじて耐えられましたが、
これでもっとリアルな人体が映っていたら、
リタイアしてしまったかも知れません。

VRに向いたテーマはエロとホラーだから、
それを臆面もなく複合してやった、
ということのようですが、
このある意味悪趣味の極地のような即物的な世界を、
綿密に作り込んで真面目に成立させてしまうという辺りが、
タニノクロウさんの変態たる所以なのだと思います。
(半分呆れつつ半分は褒めています)

3月に「縛られたプロメテウス」というVR演劇作品を観たのですが、
もっと藝術性のある作品でしたが、
VRの画像はかなり稚拙で没入感は乏しいものでした。
それに比べると今回のものは極めてリアルで、
その現実との融合は、
演劇と映像のコラボの、
新たな可能性を感じさせるものでした。

ただ、観客には女性もいましたが、
映像は明らかに男性目線で作られているので、
この点は幾つかのヴァージョンを用意するなど、
改良の余地があるようには感じました。

このジャンルが今後どのように進歩するのかは分かりませんが、
間違いなく小劇場演劇という領域においては、
1つの大きな潮流になるように思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い年末をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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シベリア少女鉄道「メモリーXメモリー」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
メモリー×メモリー.jpg
先日までシベリア少女鉄道の新作公演が、
青山の草月ホールで上演されました。

ちょっと寺山修司の天井桟敷を思わせるような、
演劇の枠組みを超えて大胆な仕掛けのある作品作りと、
徹底したオタク趣味で異色の存在でしたが、
初期はかなり「演劇」の部分が稚拙で、
後半の仕掛けが始まるまでが、
もたない、という感じもありました。

休止期間を経て復活してからは、
主宰の土屋さんがアイドルの舞台を手がけるなど、
メジャーな仕事もするようになっって、
作品にプロの視点が加わり、
客演した俳優さんが定着するようになると、
「演劇」としてのレベルが格段に高くなり、
仕掛け前の部分も立派に演劇として鑑賞可能になって、
作品のトータルな質も格段に高くなりました。

ただ、最近の作品はほぼ全てが、
「演劇を成立させようとする力と壊そうとする力との戦い」
というテーマの繰り返しになり、
その枠組み自体を否定したり、
根底から改変するような部分は、
殆どなくなるようになりました。

再演もされた代表作の1つ、
「遙か遠く同じ空の下で君に送る声援」の、
恋愛物語がレースになる部分の衝撃、
「残酷な神が支配する」でのアントニオ猪木の登場の異常さ、
舞台が高速回転して世界が終わってしまうという虚無感、
「永遠かも知れない」での永遠という哲学的テーゼを、
終わらない漫才で成立させようという力技、
こうしたかつての世界が崩壊するときの衝撃のようなものは、
今の「シベリア少女鉄道」にはありません。

それが昔からのファンにとっては、
物足りない部分ではあります。

今回の作品に関しては、
演劇を支配しようとする役者同士の戦いの中、
後半で「観客」という存在が乱入し、
それを超えた存在として、
最後に「アイドル」が降臨する、
という部分に土屋イズムの真価を見た、
という感じはありました。

ただ、若干残念なのは、
最後に降臨するアイドルに、
有無を言わさぬ説得力がなかったことで、
ここは演出も全力を集中させて、
もっと力技を成立させて欲しかったと感じました。

そんな訳で僕の希望とは、
少しずれた進化をしている「シベ少」ですが、
それでも大好きな劇団であることには変わりなく、
今後も上演が続く限り足を運びたいと思っています。

頑張って下さい!

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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