M&Oplaysプロデュース「峠の我が家」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
毎年恒例と言って良い、
M&Oplaysプロデュースでの、
岩松了さんの新作公演が、
今下北沢の本多劇場で上演されています。
岩松さんは本当に多彩な作品を発表されていますが、
今回の作品は明確な終着には到らない、
重層的でファンタジー色の強いラストを持ち、
岩松さんなりの視点で、
庶民と戦争との関連を追及した作品でもあります。
「われわれは善なるものにすがろうとして、
結局は悪に加担しているだけじゃないのか?」
というような台詞は、
形を変えて何度も作品に登場しているものです。
舞台は峠にある古いホテルに設定され、
そこでは二階堂ふみさんと柄本時生さんの夫婦が、
岩松了さん演じる柄本さんの父親と、
ホテルを運営しながら暮らしています。
そこに、仲野太賀さん演じる青年が、
池津祥子さん演じる兄嫁と一緒に、
病気の兄の友人に、
軍服を届けるためにやって来ます。
そこに反戦運動の団体の代表者をしている、
岩松さんの友人の彫刻家と、
その運転手の男性が絡みます。
2組の偶然出逢った男女がいて、
それぞれに過去の闇を抱えています。
柄本さんは二階堂さんの姉を愛していたのですが、
スジバとい男を駆け落ちをして失踪。
スジバは戦地で命を落とします。
二階堂さんは姉の替わりとして柄本さんの妻となっています。
仲野さん演じる青年は、
兄の期待に応えられないという負い目があり、
その兄が戦場で負傷をして、
精神的にも荒廃した状態で戦地から戻り、
その悲惨さに思い余って、
兄嫁と共謀して兄を謀殺してしまいます。
軍服を兄の友人に届けるというのは口実で、
2人で死地を求めてさまよっていたのです。
二階堂さんは姉を誘惑したスジバの名を付けた亀を飼っていて、
ある時蛇がスジバを殺そうとしたので、
それを傘で突いて殺したのだと言いますが、
それが現実であるのか妄想であるのか、
蛇を殺したのは誰なのかも定かではなく、
その時の傷だけが床に残り、
それが今生きている登場人物達を、
実際に傷つけています。
2組の男女のドラマは、
基本的には無関係なのですが、
二階堂さんと仲野さんは次第に惹かれ合い、
仲野さんが胸に秘めた秘密を告白してしまった辺りから、
2つのドラマの境界は次第に不鮮明なものとなり、
どちらがどちらであるのかも判然としなくなります。
前半で軍服を届ける先は、
姉のところかも知れないと二階堂さんが言う時には、
それは仮定の話として捉えられていますが、
後半で軍服の主がスジバだと夢で語られる時には、
2つのドラマの境はもう溶けてしまっているようです。
全体は4場の構成になっていて、
3場の終わりまでは筋が辛うじて追える感じですが、
4場の初めで亀の夢の場面になると、
何処までが現実で何処までが夢であるのか、
亀の世界こそが現実であるのか、
二階堂さんが現実から逃避するために作った物語の世界に、
入り込んでしまっているのか、
全体が判然としない感じになり、
柄本さんは仲野さんの兄の役割を引き受けて、
命を絶ったようにも思われますが、
事実は判然としないまま、
ドールハウス的な亀の舞台に主人公2人は再生することで、
物語は終わります。
最近の岩松さんの作品の多くは、
ラストが今回のようなファンタジー色の強いものとなっていて、
その点を受け入れるかどうかで、
作品の受け入れや好みも変わるような気がします。
個人的には、
「市ヶ尾の坂ー伝説の虹の三兄弟」や「月光のつつしみ」、
「水の戯れ」辺りの、
鮮烈なラストがとても印象深いので、
今の岩松さんのラストには、
まだ抵抗感のあることは事実です。
ただ、今回の作品は物凄く精緻に組み立てられていて、
3場までは岩松さんの代表作の1つと言っても良い仕上がりです。
戦争というものの悲劇を、
人間関係の複雑なきしみの中に、
徐々に染み出す「毒」のように描いたのも見事ですし、
複雑な人間関係が、
次第に溶け合ってゆく辺りも、
岩松さんでしか成し得ない台詞劇の境地だと思います。
キャストの芝居がまた絶妙で、
岩松さんの台詞を深く理解した上で、
これ以外はないという台詞のやり取りが、
工芸品のように構築されていました。
そんな訳で晦渋なお芝居ではありますが、
台詞の1つ1つをその場で楽しむという気分で、
あまり考察的な筋追いはせず、
岩松さんの円熟した台詞劇の世界を、
楽しんで頂ければ吉だと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
毎年恒例と言って良い、
M&Oplaysプロデュースでの、
岩松了さんの新作公演が、
今下北沢の本多劇場で上演されています。
岩松さんは本当に多彩な作品を発表されていますが、
今回の作品は明確な終着には到らない、
重層的でファンタジー色の強いラストを持ち、
岩松さんなりの視点で、
庶民と戦争との関連を追及した作品でもあります。
「われわれは善なるものにすがろうとして、
結局は悪に加担しているだけじゃないのか?」
というような台詞は、
形を変えて何度も作品に登場しているものです。
舞台は峠にある古いホテルに設定され、
そこでは二階堂ふみさんと柄本時生さんの夫婦が、
岩松了さん演じる柄本さんの父親と、
ホテルを運営しながら暮らしています。
そこに、仲野太賀さん演じる青年が、
池津祥子さん演じる兄嫁と一緒に、
病気の兄の友人に、
軍服を届けるためにやって来ます。
そこに反戦運動の団体の代表者をしている、
岩松さんの友人の彫刻家と、
その運転手の男性が絡みます。
2組の偶然出逢った男女がいて、
それぞれに過去の闇を抱えています。
柄本さんは二階堂さんの姉を愛していたのですが、
スジバとい男を駆け落ちをして失踪。
スジバは戦地で命を落とします。
二階堂さんは姉の替わりとして柄本さんの妻となっています。
仲野さん演じる青年は、
兄の期待に応えられないという負い目があり、
その兄が戦場で負傷をして、
精神的にも荒廃した状態で戦地から戻り、
その悲惨さに思い余って、
兄嫁と共謀して兄を謀殺してしまいます。
軍服を兄の友人に届けるというのは口実で、
2人で死地を求めてさまよっていたのです。
二階堂さんは姉を誘惑したスジバの名を付けた亀を飼っていて、
ある時蛇がスジバを殺そうとしたので、
それを傘で突いて殺したのだと言いますが、
それが現実であるのか妄想であるのか、
蛇を殺したのは誰なのかも定かではなく、
その時の傷だけが床に残り、
それが今生きている登場人物達を、
実際に傷つけています。
2組の男女のドラマは、
基本的には無関係なのですが、
二階堂さんと仲野さんは次第に惹かれ合い、
仲野さんが胸に秘めた秘密を告白してしまった辺りから、
2つのドラマの境界は次第に不鮮明なものとなり、
どちらがどちらであるのかも判然としなくなります。
前半で軍服を届ける先は、
姉のところかも知れないと二階堂さんが言う時には、
それは仮定の話として捉えられていますが、
後半で軍服の主がスジバだと夢で語られる時には、
2つのドラマの境はもう溶けてしまっているようです。
全体は4場の構成になっていて、
3場の終わりまでは筋が辛うじて追える感じですが、
4場の初めで亀の夢の場面になると、
何処までが現実で何処までが夢であるのか、
亀の世界こそが現実であるのか、
二階堂さんが現実から逃避するために作った物語の世界に、
入り込んでしまっているのか、
全体が判然としない感じになり、
柄本さんは仲野さんの兄の役割を引き受けて、
命を絶ったようにも思われますが、
事実は判然としないまま、
ドールハウス的な亀の舞台に主人公2人は再生することで、
物語は終わります。
最近の岩松さんの作品の多くは、
ラストが今回のようなファンタジー色の強いものとなっていて、
その点を受け入れるかどうかで、
作品の受け入れや好みも変わるような気がします。
個人的には、
「市ヶ尾の坂ー伝説の虹の三兄弟」や「月光のつつしみ」、
「水の戯れ」辺りの、
鮮烈なラストがとても印象深いので、
今の岩松さんのラストには、
まだ抵抗感のあることは事実です。
ただ、今回の作品は物凄く精緻に組み立てられていて、
3場までは岩松さんの代表作の1つと言っても良い仕上がりです。
戦争というものの悲劇を、
人間関係の複雑なきしみの中に、
徐々に染み出す「毒」のように描いたのも見事ですし、
複雑な人間関係が、
次第に溶け合ってゆく辺りも、
岩松さんでしか成し得ない台詞劇の境地だと思います。
キャストの芝居がまた絶妙で、
岩松さんの台詞を深く理解した上で、
これ以外はないという台詞のやり取りが、
工芸品のように構築されていました。
そんな訳で晦渋なお芝居ではありますが、
台詞の1つ1つをその場で楽しむという気分で、
あまり考察的な筋追いはせず、
岩松さんの円熟した台詞劇の世界を、
楽しんで頂ければ吉だと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
シベリアクラシックアーカイブス 「君がくれたラブストーリー2024」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
シベリア少女鉄道の公演が、
本日まで赤坂 RED/THEATERで上演されています。
今回は新作ではなく、
アーカイブと題して、
2016年に同じ劇場で上演された作品の再演です。
これは2016年の初演も観ています。
ワンアイデアで1時間15分程度の上演時間の、
中編と言って良いくらいの規模の作品でした。
派手さはありませんが、
設定と仕掛けはシンプルながら成功していて、
楽しめるシベ少らしい作品に仕上がっていました。
ただ、初演の不満は仕掛けが判明してからの後半が、
あまり盛り上がらなかったことで、
ラストは物足りなさを感じました。
今回の再演は基本的構成は変わらないのですが、
初演と同一キャスト2人を含むキャスト陣は、
今回の方が充実していて、
女優陣3人の個性もきれいに分かれていましたし、
ナカゴーの篠原正明さんが大暴れを見せてくれたので、
前回より明らかに盛り上がりました。
また、今ならではのネタの仕込みも上々で、
ラストは正直もうひと頑張りして欲しかったですし、
ビジュアルもラストは一新された感じが欲しかったのですが、
まずまず納得のゆく終盤になっていたと思います。
この作品は鴻上さんの、
「朝日のような夕日をつれて」と同じように、
素材を変えればいつでもリニューアル上演出来るスタイルなので、
今後も新しいキャストと素材で、
また新たな再演を期待したいと思います。
まだまだ面白くなりそうです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
シベリア少女鉄道の公演が、
本日まで赤坂 RED/THEATERで上演されています。
今回は新作ではなく、
アーカイブと題して、
2016年に同じ劇場で上演された作品の再演です。
これは2016年の初演も観ています。
ワンアイデアで1時間15分程度の上演時間の、
中編と言って良いくらいの規模の作品でした。
派手さはありませんが、
設定と仕掛けはシンプルながら成功していて、
楽しめるシベ少らしい作品に仕上がっていました。
ただ、初演の不満は仕掛けが判明してからの後半が、
あまり盛り上がらなかったことで、
ラストは物足りなさを感じました。
今回の再演は基本的構成は変わらないのですが、
初演と同一キャスト2人を含むキャスト陣は、
今回の方が充実していて、
女優陣3人の個性もきれいに分かれていましたし、
ナカゴーの篠原正明さんが大暴れを見せてくれたので、
前回より明らかに盛り上がりました。
また、今ならではのネタの仕込みも上々で、
ラストは正直もうひと頑張りして欲しかったですし、
ビジュアルもラストは一新された感じが欲しかったのですが、
まずまず納得のゆく終盤になっていたと思います。
この作品は鴻上さんの、
「朝日のような夕日をつれて」と同じように、
素材を変えればいつでもリニューアル上演出来るスタイルなので、
今後も新しいキャストと素材で、
また新たな再演を期待したいと思います。
まだまだ面白くなりそうです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
Bunkamura Production 2024 「台風23号」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
赤堀雅秋さんの新作が、
Bunkamura Productionとして、
新宿歌舞伎町のTHEATER MILANO-Zaで上演されています。
作演出の赤堀さんは、
現代を代表する劇作家の1人で、
常に今の時代と無骨にやや不器用に、
それでいて途方もない熱量で、
闘い組み合うような作品を発表されています。
また、役者としても非常に評価が高く、
その癖のある個性的な演技は、
松尾スズキさんや唐先生のような、
所謂「座長芝居」とは、
一線を画するリアルな演技の名手でもあります。
赤堀さんの実際に観た作品の中では、
「鳥の名前」と「流山ブルーバード」が好きです。
ちょっとオールビーを彷彿とさせるような、
少しブラックで暴力的な家庭劇がなかなかの完成度で、
ちょっと頭のネジが少し外れているような、
異様なキャラクターが魅力です。
ただ、それとは別に、
かなり前衛的でシュールで、
時事ネタや社会性のあるような作品も描いていて、
そちらは正直苦手ジャンルです。
2024年の春に本多劇場で「ボイラーマン」というお芝居があり、
少し新傾向と言うのか、
リアルに顕微鏡的な視点で食い詰めたような街の風景を描きながら、
現代社会を俯瞰的に表現したような作品でした。
今回の「台風23号」も、
基本的には「ボイラーマン」の系譜に連なるもので、
田舎の寂れた田舎町の風景をリアルに描きながら、
そこに崩壊する日本社会の縮図のようなものを、
浮かび上がらせるという作風でした。
かつてない規模の台風23号が上陸するという情報が流れ、
町の人はそのために精一杯の準備をし、
楽しみにしていた花火大会も中止にするのですが、
実際には台風の被害は起こることはなく、
楽しみも失った、虚しい日常が戻るだけです。
鬱屈した人間達の点描的なスケッチが、
一見無雑作に並べられ、
それが1つの死の引き金を引こうとした瞬間、
「花火」のような何かの音が町に響き渡ります。
それは救いの音だったのでしょうか?
それとも破滅への狼煙であったのでしょうか?
説明されないままに物語は終わります。
意欲的な作品でしたが、
THEATER MILANO-Zaという劇場は、
この濃密な人間ドラマの上演には、
やや大き過ぎるような感じはありました。
また、「ボイラーマン」のでんでんさんのような、
強烈なキャラクターがこの作品には不在で、
自分で捌け口のない怒りのためにばらまいたゴミが、
善意の住民たちによって回収されるというような、
決定的な場面も欠いていたので、
「ボイラーマン」に比べると、
そのインパクトにおいても弱いものがありました。
そんな訳で少しガッカリではあったのですが、
キャストは皆好演で、
港町の緻密でリアルなセットも見ごたえがありました。
キャストのファンの方であれば、
そう失望はしない仕上がりであったと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
赤堀雅秋さんの新作が、
Bunkamura Productionとして、
新宿歌舞伎町のTHEATER MILANO-Zaで上演されています。
作演出の赤堀さんは、
現代を代表する劇作家の1人で、
常に今の時代と無骨にやや不器用に、
それでいて途方もない熱量で、
闘い組み合うような作品を発表されています。
また、役者としても非常に評価が高く、
その癖のある個性的な演技は、
松尾スズキさんや唐先生のような、
所謂「座長芝居」とは、
一線を画するリアルな演技の名手でもあります。
赤堀さんの実際に観た作品の中では、
「鳥の名前」と「流山ブルーバード」が好きです。
ちょっとオールビーを彷彿とさせるような、
少しブラックで暴力的な家庭劇がなかなかの完成度で、
ちょっと頭のネジが少し外れているような、
異様なキャラクターが魅力です。
ただ、それとは別に、
かなり前衛的でシュールで、
時事ネタや社会性のあるような作品も描いていて、
そちらは正直苦手ジャンルです。
2024年の春に本多劇場で「ボイラーマン」というお芝居があり、
少し新傾向と言うのか、
リアルに顕微鏡的な視点で食い詰めたような街の風景を描きながら、
現代社会を俯瞰的に表現したような作品でした。
今回の「台風23号」も、
基本的には「ボイラーマン」の系譜に連なるもので、
田舎の寂れた田舎町の風景をリアルに描きながら、
そこに崩壊する日本社会の縮図のようなものを、
浮かび上がらせるという作風でした。
かつてない規模の台風23号が上陸するという情報が流れ、
町の人はそのために精一杯の準備をし、
楽しみにしていた花火大会も中止にするのですが、
実際には台風の被害は起こることはなく、
楽しみも失った、虚しい日常が戻るだけです。
鬱屈した人間達の点描的なスケッチが、
一見無雑作に並べられ、
それが1つの死の引き金を引こうとした瞬間、
「花火」のような何かの音が町に響き渡ります。
それは救いの音だったのでしょうか?
それとも破滅への狼煙であったのでしょうか?
説明されないままに物語は終わります。
意欲的な作品でしたが、
THEATER MILANO-Zaという劇場は、
この濃密な人間ドラマの上演には、
やや大き過ぎるような感じはありました。
また、「ボイラーマン」のでんでんさんのような、
強烈なキャラクターがこの作品には不在で、
自分で捌け口のない怒りのためにばらまいたゴミが、
善意の住民たちによって回収されるというような、
決定的な場面も欠いていたので、
「ボイラーマン」に比べると、
そのインパクトにおいても弱いものがありました。
そんな訳で少しガッカリではあったのですが、
キャストは皆好演で、
港町の緻密でリアルなセットも見ごたえがありました。
キャストのファンの方であれば、
そう失望はしない仕上がりであったと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
「動物園が消える日」(唐組・第74回公演) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
唐組の第74回公演として、
1993年に初演され、2017年に再演された、
「動物園が消える日」が再再演されました。
この作品は初演も再演も観ています。
再演時の感想はブログ記事にしていますが、
改めて読み返してみると、
今回鑑賞後と全く同じ感想だったので驚きました。
記事はこちらです。
https://rokushin.blog.ss-blog.jp/2017-11-05-1
この作品は唐組の初期、
最初の頃のメンバーが退団した後、
過渡期に上演された作品で、
その前の「桃太郎の母」とこの作品が、
それ以降の唐先生の作品のスタイルを、
決定付けたと言って良いと思います。
この時期の唐先生を代表する傑作の1つで、
群像劇としての面白さは卓越していますし、
唐イズムは濃厚に漂いながらも、
他の唐先生の作品にはない、
唯一無二の魅力のある作品です。
過去記事にも書いたように、
テネシー・ウィリアムスなどの、
アメリカ戯曲に近い味わいのある作品で、
場末のホテルのロビーという場所の設定も、
女性のサム・スペードが西陽を浴びて登場する、
というオープニングも、
勿論舞台は日本ですが、
如何にもアメリカという気分を醸しています。
経済的な理由で金沢の動物園が閉園して、
処分に困った一頭の河馬が、
密かに殺されてしまうのですが、
動物園を愛するかつての従業員達は、
それをなかったことにすることが出来ず、
妄想の中でホテルのバスタブに、
その河馬を隠します。
その妄想を先導するのが、
初演では唐先生本人が演じた灰牙という男ですが、
水に溶けて透明になった河馬が、
ホテルの天井を突き破って飛散し、
妄想は砕けて、
「動物園が消える日」が訪れるのです。
唐先生のお芝居の本質を一言で言うなら、
「見えないものを見せる」ということだと思うのですが、
この芝居はその1つの頂点として、
失いたくない夢を象徴する巨大な河馬が、
灰牙という男に降り注ぐ水の煌きの中に可視化される、
という奇跡的な光景に結実しているのです。
素晴らしいと思います。
今回の上演は2017年の再演を超えて素晴らしいもので、
久保井さんの精緻な演出と、
小規模ながら見事な舞台効果、
メインキャストの多くは2017年版と同じキャスト陣は、
円熟した見事な芝居で唐イズムを継承し、
若手の熱演も心躍らせるものがありました。
この弾丸のように放たれる台詞のリズムこそ、
小劇場の大いなる遺産なのです。
そんな傑作であった「動物園が消える日」ですが、
実は1993年初演を観た感想はあまり良いものではなく、
「唐先生はもう終わったか」というネガティブなものでした。
当時はまだ、
「状況劇場病」から、
多くの唐ファンは抜けていなかったのです。
要するにスペクタクルなものや大仕掛け、
善悪のはっきりしたダイナミックな設定と、
迫力のある人間離れした悪役の大暴れ、
みたいなものを渇望していたので、
そこで上演されたこの作品は、
そうしたものが全くなかったので、
僕には失望しか感じさせなかったのです。
ただ、今にして思えば、
それは新生唐芝居が、
誕生した瞬間でもあったのです。
テントはあまりホスピタリティの良い場所ではありませんが、
アングラ演劇、小劇場演劇の、
精髄を示すような傑作ですので、
ご興味のある方は、
是非是非テントに足をお運びください。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
唐組の第74回公演として、
1993年に初演され、2017年に再演された、
「動物園が消える日」が再再演されました。
この作品は初演も再演も観ています。
再演時の感想はブログ記事にしていますが、
改めて読み返してみると、
今回鑑賞後と全く同じ感想だったので驚きました。
記事はこちらです。
https://rokushin.blog.ss-blog.jp/2017-11-05-1
この作品は唐組の初期、
最初の頃のメンバーが退団した後、
過渡期に上演された作品で、
その前の「桃太郎の母」とこの作品が、
それ以降の唐先生の作品のスタイルを、
決定付けたと言って良いと思います。
この時期の唐先生を代表する傑作の1つで、
群像劇としての面白さは卓越していますし、
唐イズムは濃厚に漂いながらも、
他の唐先生の作品にはない、
唯一無二の魅力のある作品です。
過去記事にも書いたように、
テネシー・ウィリアムスなどの、
アメリカ戯曲に近い味わいのある作品で、
場末のホテルのロビーという場所の設定も、
女性のサム・スペードが西陽を浴びて登場する、
というオープニングも、
勿論舞台は日本ですが、
如何にもアメリカという気分を醸しています。
経済的な理由で金沢の動物園が閉園して、
処分に困った一頭の河馬が、
密かに殺されてしまうのですが、
動物園を愛するかつての従業員達は、
それをなかったことにすることが出来ず、
妄想の中でホテルのバスタブに、
その河馬を隠します。
その妄想を先導するのが、
初演では唐先生本人が演じた灰牙という男ですが、
水に溶けて透明になった河馬が、
ホテルの天井を突き破って飛散し、
妄想は砕けて、
「動物園が消える日」が訪れるのです。
唐先生のお芝居の本質を一言で言うなら、
「見えないものを見せる」ということだと思うのですが、
この芝居はその1つの頂点として、
失いたくない夢を象徴する巨大な河馬が、
灰牙という男に降り注ぐ水の煌きの中に可視化される、
という奇跡的な光景に結実しているのです。
素晴らしいと思います。
今回の上演は2017年の再演を超えて素晴らしいもので、
久保井さんの精緻な演出と、
小規模ながら見事な舞台効果、
メインキャストの多くは2017年版と同じキャスト陣は、
円熟した見事な芝居で唐イズムを継承し、
若手の熱演も心躍らせるものがありました。
この弾丸のように放たれる台詞のリズムこそ、
小劇場の大いなる遺産なのです。
そんな傑作であった「動物園が消える日」ですが、
実は1993年初演を観た感想はあまり良いものではなく、
「唐先生はもう終わったか」というネガティブなものでした。
当時はまだ、
「状況劇場病」から、
多くの唐ファンは抜けていなかったのです。
要するにスペクタクルなものや大仕掛け、
善悪のはっきりしたダイナミックな設定と、
迫力のある人間離れした悪役の大暴れ、
みたいなものを渇望していたので、
そこで上演されたこの作品は、
そうしたものが全くなかったので、
僕には失望しか感じさせなかったのです。
ただ、今にして思えば、
それは新生唐芝居が、
誕生した瞬間でもあったのです。
テントはあまりホスピタリティの良い場所ではありませんが、
アングラ演劇、小劇場演劇の、
精髄を示すような傑作ですので、
ご興味のある方は、
是非是非テントに足をお運びください。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
マクドナー「ピローマン」(2024年新国立劇場 小川絵梨子演出版) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
マクドナーが2003年に発表した傑作「ピローマン」が、
新国立劇場のレパートリーとして、
芸術監督の小川絵梨子さんの台本・演出で、
今上演されています。
この作品は長塚圭史さんがパルコ劇場で、
2004年にいち早く上演しています。
長塚さんはその前に、
「ウィートーマス」という怪作を上演していて、
その印象が強烈だったので、
今回もそんな感じかしらと思って観に行くと、
後藤ひろひとさんや、中島らもさんがパルコ劇場でやっていた、
童話タッチのホラー芝居みたいなタッチのもので、
延々と童話の語りの芝居が続くので、
「なんじゃこりゃ」という感じで、
ほぼほぼ後半は睡魔と闘った、
という恥ずかしい鑑賞でした。
ただ、その後マクドナーの作品が次々と上演され、
それがまた抜群に面白いので、
これは絶対「ピローマン」も面白かった筈だ、
僕の理解が足りなかったのだと反省。
再演の機会を窺っていたのですが、
2022年に演劇集団円の上演があって、
そこで初めてこの作品の真価を知った、
というような流れがあります。
ただ、その時の上演もややモヤモヤする部分はあり、
寺十吾さんの演出は僕は大好きなのですが、
「ピローマン」の演出としては、
もう一工夫あるべきではないか、
この作品はもっと衝撃的で、
もっと感動的なものなのではないか、
という感じが抜けませんでした。
それで今回、翻訳もされ、
マクドナー演劇を知り尽くしている小川さんの演出で、
この作品が再演されることを知って、
「これは絶対行かなければ」と思い、
劇場に駆け付けた、という感じで足を運びました。
戯曲も買いました。
鑑賞後の感想としては、
これまで僕が観た上演の中では、
今回が抜群だったと思います。
ただ、これが完成形かと言うと、
そうではないという気持ちもあります。
この作品はある全体主義的国家が舞台となっていて、
時も処もあまり明確ではない設定になっています。
明確でないのはそればかりではなくて、
メインのキャストは4人の男性ですが、
その年齢も明らかではありません。
カトゥリアンとミカエルという兄弟がいて、
幼少期に両親による悪夢的な実験を受けた結果、
兄のミカエルは知的障害が残り、
弟のカトゥリアンは、
動物処理場の仕事をしながら、
その多くで子供が酷い目に遭う、
残酷な童話を書いています。
その残酷な童話そっくりに、
2人の子供が連続して殺されるという事件が起き、
更に少女が行方不明となったため、
警察は童話と殺人との関連を疑い、
作者のカトゥリアンを捕らえて尋問します。
残りの2人のメインキャストは、
トゥポルスキとアリエルという刑事で、
この2人の刑事が、
拘留されたカトゥリアンを尋問するところから、
この舞台は始まります。
こうした設定から、
サイコスリラーみたいなものを期待して、
多くの観客は観始めるのですが、
最初から本筋にはなかなか入らない、
かなりまわりくどい対話が続き、
事件の元になったらしい童話を、
ほぼ全文語りで説明する、という描写が続くので、
何だか予想とは違うぞ、
という空気が漂います。
その後で、今度は兄弟の悲惨な生い立ちが語られるのですが、
それもカトゥリアンが書いた、
事実を改変した童話という形で語られ、
後半では今度は刑事の1人が、
自分の小説を1人語りするパートまであります。
事件の真相は明らかにはなるものの、
別に捻りがあるという訳ではなく、
それは無雑作に途中で提示されるだけです。
お分かりのように、
これはサイコスリラーではなくて、
悲惨で残酷な世界の中で、
「物語」はどういう価値を持つのか、
というテーマの作品なのです。
猟奇的な事件が起こると、
そのヒントとなったと思われる小説やドラマが、
やり玉に挙げられることがありますよね。
残酷な世界には、残酷な物語も満ちている訳ですが、
その物語は現実世界に、
どのような影響を与え、
それがあることは、
どのような意味を持つのでしょうか?
暴力の連鎖というものが言われることがあります。
親の暴力が子供に影響を与え、
その子供の暴力に繋がるというような概念ですが、
悲惨な出来事を物語化することで、
物語の影響も連鎖するのでしょうか?
それが現実を改変する可能性はあるのでしょうか?
その創作するものにとって根源的な問いかけを作品化したのが、
この「ピローマン」なのです。
虐待され閉じ込められた兄弟とか、
残酷な物語が現実化する恐怖とか、
この作品は松尾スズキさんの劇作に、
非常に近い部分があるんですね。
ほぼ同じじゃないか、と思えるような部分もあります。
ただ、僕は松尾さんの作品も大好きなのですが、
今松尾さんの過去作を上演しても、
この作品のような感銘を与えることは難しいと思います。
それは松尾さんの作品が、
それが書かれた時代にかなり強く結びついていて、
今ではどうしても古く見えてしまうんですね。
許容される表現の範囲が、
発表当時と今とではかなり違っているため、
そのままの上演は難しかったり、
観客の拒否反応を招く、
という点もハードルとなっています。
その点この「ピローマン」は、
敢えて設定に多くの余白を作ることで、
空間や時間を超えた、
極めて普遍的な作品に昇華されている点が、
素晴らしいのですね。
ただ、このように傑作であることは間違いのない「ピローマン」ですが、
実際に日本で翻訳劇として上演して、
その真価を観客に伝えることは、
それほど簡単な作業ではありません。
この作品の主題は「物語」なので、
役者が「物語」を語り、
それを可視化することが、
ストーリーの中心にあるんですね。
最初は尋問でカトゥリアンに語られるだけの物語が、
その後のパートでは演劇的に可視化され、
それが現実と対話することで、
現実も動き始めます。
そして、物語が1つの命を救うという、
感動的なパートがあり、
ラストは非常に残酷なものでありながら、
「死者の語り」という様式を持つことで、
物語が現実を超えて生きる可能性を示唆して終わるのです。
この物語を観客に理解してもらうには、
残酷な童話の語りを、
しっかりと集中して聞いてもらわないといけません。
ただ、そのために物語を可視化するような演出をすると、
その後のパートで物語が可視化されることの、
印象を弱めてしまうので、
そうしたことは出来ないのです。
つまり、敢えて前半を退屈にする必要がある訳です。
日本初演の長塚圭史さんの演出では、
最初から残酷な童話の中に入り込んだような、
グロテスクでポップな世界が展開されましたが、
特に前半台詞の雰囲気とのギャップが違和感を感じさせました。
「如何にも凄いことが起こりそうなのに、左程のことが起こらない」
という印象がどうしても残ってしまったのです。
2022年の寺十吾さんの演出では、
全てが闇に包まれたようなダークな世界が展開され、
特に尋問の場面は良かったと思うのですが、
後半はもっと残酷演劇的なポップさや色彩感が、
欲しいように思いました。
今回の小川絵梨子さんの演出は、
翻訳もしてこの作品を熟知しているだけあって、
シンプルな舞台装置の中央ステージに、
語りをしっかりと伝えられる技量を持つ、
4人のキャストを配し、
この作品の台詞劇としての豊饒さを、
シンプルに伝えることに力点を置いた、
高レベルのものでした。
ただ、それでも不満もあります。
まずキャストが地味ですよね。
勿論実力重視で悪い訳ではないのです。
でもこの作品は、オールスターキャストでも、
悪くないと思うんですよね。
メインの4人は物凄い個性のぶつかり合いで、
キャラ設定も非常に明確でしょ。
このキャラならこの人がベスト、
というような人に、
演じてもらいたい気持ちもあるのです。
それから後半の悪夢的な光景は、
もっと極彩色の感じが欲しいんですね。
今回のものは、まあ新国立劇場という枠もあるので、
あまりグロテスクな描写は、
出しにくかったのだと思いますが、
本来はもっと凄味のあるものにして欲しかった、
という部分はあります。
いずれにしても、
松尾スズキさんのこれまでの劇作の全てを、
煮詰めて蒸留して1つに結晶させたような傑作で、
今後もまた新しいアプローチでの上演に、
是非期待をしたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
マクドナーが2003年に発表した傑作「ピローマン」が、
新国立劇場のレパートリーとして、
芸術監督の小川絵梨子さんの台本・演出で、
今上演されています。
この作品は長塚圭史さんがパルコ劇場で、
2004年にいち早く上演しています。
長塚さんはその前に、
「ウィートーマス」という怪作を上演していて、
その印象が強烈だったので、
今回もそんな感じかしらと思って観に行くと、
後藤ひろひとさんや、中島らもさんがパルコ劇場でやっていた、
童話タッチのホラー芝居みたいなタッチのもので、
延々と童話の語りの芝居が続くので、
「なんじゃこりゃ」という感じで、
ほぼほぼ後半は睡魔と闘った、
という恥ずかしい鑑賞でした。
ただ、その後マクドナーの作品が次々と上演され、
それがまた抜群に面白いので、
これは絶対「ピローマン」も面白かった筈だ、
僕の理解が足りなかったのだと反省。
再演の機会を窺っていたのですが、
2022年に演劇集団円の上演があって、
そこで初めてこの作品の真価を知った、
というような流れがあります。
ただ、その時の上演もややモヤモヤする部分はあり、
寺十吾さんの演出は僕は大好きなのですが、
「ピローマン」の演出としては、
もう一工夫あるべきではないか、
この作品はもっと衝撃的で、
もっと感動的なものなのではないか、
という感じが抜けませんでした。
それで今回、翻訳もされ、
マクドナー演劇を知り尽くしている小川さんの演出で、
この作品が再演されることを知って、
「これは絶対行かなければ」と思い、
劇場に駆け付けた、という感じで足を運びました。
戯曲も買いました。
鑑賞後の感想としては、
これまで僕が観た上演の中では、
今回が抜群だったと思います。
ただ、これが完成形かと言うと、
そうではないという気持ちもあります。
この作品はある全体主義的国家が舞台となっていて、
時も処もあまり明確ではない設定になっています。
明確でないのはそればかりではなくて、
メインのキャストは4人の男性ですが、
その年齢も明らかではありません。
カトゥリアンとミカエルという兄弟がいて、
幼少期に両親による悪夢的な実験を受けた結果、
兄のミカエルは知的障害が残り、
弟のカトゥリアンは、
動物処理場の仕事をしながら、
その多くで子供が酷い目に遭う、
残酷な童話を書いています。
その残酷な童話そっくりに、
2人の子供が連続して殺されるという事件が起き、
更に少女が行方不明となったため、
警察は童話と殺人との関連を疑い、
作者のカトゥリアンを捕らえて尋問します。
残りの2人のメインキャストは、
トゥポルスキとアリエルという刑事で、
この2人の刑事が、
拘留されたカトゥリアンを尋問するところから、
この舞台は始まります。
こうした設定から、
サイコスリラーみたいなものを期待して、
多くの観客は観始めるのですが、
最初から本筋にはなかなか入らない、
かなりまわりくどい対話が続き、
事件の元になったらしい童話を、
ほぼ全文語りで説明する、という描写が続くので、
何だか予想とは違うぞ、
という空気が漂います。
その後で、今度は兄弟の悲惨な生い立ちが語られるのですが、
それもカトゥリアンが書いた、
事実を改変した童話という形で語られ、
後半では今度は刑事の1人が、
自分の小説を1人語りするパートまであります。
事件の真相は明らかにはなるものの、
別に捻りがあるという訳ではなく、
それは無雑作に途中で提示されるだけです。
お分かりのように、
これはサイコスリラーではなくて、
悲惨で残酷な世界の中で、
「物語」はどういう価値を持つのか、
というテーマの作品なのです。
猟奇的な事件が起こると、
そのヒントとなったと思われる小説やドラマが、
やり玉に挙げられることがありますよね。
残酷な世界には、残酷な物語も満ちている訳ですが、
その物語は現実世界に、
どのような影響を与え、
それがあることは、
どのような意味を持つのでしょうか?
暴力の連鎖というものが言われることがあります。
親の暴力が子供に影響を与え、
その子供の暴力に繋がるというような概念ですが、
悲惨な出来事を物語化することで、
物語の影響も連鎖するのでしょうか?
それが現実を改変する可能性はあるのでしょうか?
その創作するものにとって根源的な問いかけを作品化したのが、
この「ピローマン」なのです。
虐待され閉じ込められた兄弟とか、
残酷な物語が現実化する恐怖とか、
この作品は松尾スズキさんの劇作に、
非常に近い部分があるんですね。
ほぼ同じじゃないか、と思えるような部分もあります。
ただ、僕は松尾さんの作品も大好きなのですが、
今松尾さんの過去作を上演しても、
この作品のような感銘を与えることは難しいと思います。
それは松尾さんの作品が、
それが書かれた時代にかなり強く結びついていて、
今ではどうしても古く見えてしまうんですね。
許容される表現の範囲が、
発表当時と今とではかなり違っているため、
そのままの上演は難しかったり、
観客の拒否反応を招く、
という点もハードルとなっています。
その点この「ピローマン」は、
敢えて設定に多くの余白を作ることで、
空間や時間を超えた、
極めて普遍的な作品に昇華されている点が、
素晴らしいのですね。
ただ、このように傑作であることは間違いのない「ピローマン」ですが、
実際に日本で翻訳劇として上演して、
その真価を観客に伝えることは、
それほど簡単な作業ではありません。
この作品の主題は「物語」なので、
役者が「物語」を語り、
それを可視化することが、
ストーリーの中心にあるんですね。
最初は尋問でカトゥリアンに語られるだけの物語が、
その後のパートでは演劇的に可視化され、
それが現実と対話することで、
現実も動き始めます。
そして、物語が1つの命を救うという、
感動的なパートがあり、
ラストは非常に残酷なものでありながら、
「死者の語り」という様式を持つことで、
物語が現実を超えて生きる可能性を示唆して終わるのです。
この物語を観客に理解してもらうには、
残酷な童話の語りを、
しっかりと集中して聞いてもらわないといけません。
ただ、そのために物語を可視化するような演出をすると、
その後のパートで物語が可視化されることの、
印象を弱めてしまうので、
そうしたことは出来ないのです。
つまり、敢えて前半を退屈にする必要がある訳です。
日本初演の長塚圭史さんの演出では、
最初から残酷な童話の中に入り込んだような、
グロテスクでポップな世界が展開されましたが、
特に前半台詞の雰囲気とのギャップが違和感を感じさせました。
「如何にも凄いことが起こりそうなのに、左程のことが起こらない」
という印象がどうしても残ってしまったのです。
2022年の寺十吾さんの演出では、
全てが闇に包まれたようなダークな世界が展開され、
特に尋問の場面は良かったと思うのですが、
後半はもっと残酷演劇的なポップさや色彩感が、
欲しいように思いました。
今回の小川絵梨子さんの演出は、
翻訳もしてこの作品を熟知しているだけあって、
シンプルな舞台装置の中央ステージに、
語りをしっかりと伝えられる技量を持つ、
4人のキャストを配し、
この作品の台詞劇としての豊饒さを、
シンプルに伝えることに力点を置いた、
高レベルのものでした。
ただ、それでも不満もあります。
まずキャストが地味ですよね。
勿論実力重視で悪い訳ではないのです。
でもこの作品は、オールスターキャストでも、
悪くないと思うんですよね。
メインの4人は物凄い個性のぶつかり合いで、
キャラ設定も非常に明確でしょ。
このキャラならこの人がベスト、
というような人に、
演じてもらいたい気持ちもあるのです。
それから後半の悪夢的な光景は、
もっと極彩色の感じが欲しいんですね。
今回のものは、まあ新国立劇場という枠もあるので、
あまりグロテスクな描写は、
出しにくかったのだと思いますが、
本来はもっと凄味のあるものにして欲しかった、
という部分はあります。
いずれにしても、
松尾スズキさんのこれまでの劇作の全てを、
煮詰めて蒸留して1つに結晶させたような傑作で、
今後もまた新しいアプローチでの上演に、
是非期待をしたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
ロベール・トマ「罠」(2024年深作健太演出版) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ロベール・トマの推理劇の古典的傑作「罠」が、
この作品の演出では定評のある深作健太さんの演出で、
大手町よみうりホールで上演されています。
僕は推理劇が大好きで、
推理劇だけを毎日上演している劇場があれば、
毎日通い詰めても良いと思っているのですが、
実際には優れた推理劇というものは、
滅多に存在しているものではありません。
過去有名な傑作推理劇と言えば、
アガサ・クリスティーの「ねずみとり」と「検察側の証人」、
トマの「罠」、
シェーファーの「スルース」、
アイラ・レヴィンの「デストラップ」くらい。
そして、その中でも孤高の傑作と言って良いのが、
この「罠」なのです。
失踪した新妻を探し求める男の前に、
別人の女性が、
自分が失踪した妻だと名乗って現れ、
その後二転三転するという物語で、
その見事なプロットは、
多くの小説やドラマ、映画などに流用されています。
僕自身もこのプロットは、
1980年代に製作されたアメリカのTVムービーで、
観たのが最初です。
舞台をアメリカに移して、
時代も新しくしたヴァージョンでしたが、
とても驚かされたことを鮮やかに覚えています。
如何にもフランスミステリ的な趣向で、
この作品が最初とは言い切れないのですが、
先行作があったとしても、
歴史的に最も有名なのがこの「罠」であることは間違いがありません。
今回初めて、オリジナルの舞台を、
生で観ることが出来ました。
非常に面白かったですし、
演出もキャストも良く、
勿論筋書きは最初から知っていたのですが、
それでもとても面白く観ることが出来ました。
これ、イタリアのジャーロを思わせるような、
とても煽情的でドロドロするスタイルの作品なんですね。
発表された1960年というのは、
イタリアやフランスの、
ミステリーと残酷趣味のホラー映画の全盛時代なので、
そのムードを濃厚に受け継いでいる作品だと思います。
全編物凄く芝居掛かっていて、
段取りもとても仰々しく凝っているんですね。
ラストのネタばらしがあっても、
「そうだとしても、何もそこまでやるかな」と思うところですが、
こうした作品はそれを言ってはお終いで、
その芝居掛かった仰々しさを、
実際に生の役者がお芝居で目の前で演じる、
という醍醐味を味わうのが主眼なのです。
そのため、この作品のプロットを流用した多くの関連作では、
プロット構成はもっとスッキリしていて、
オリジナルのような仰々しさはありません。
それはそれでリアリティは増しているのですが、
その一方でこのオリジナルの持つ大時代的な感じは、
個人的にはとても楽しく好ましく感じました。
今回演出の深作さんはそうした点を熟知していて、
舞台を古城のような雰囲気に設定し、
後ろの引き戸を重々しく開く感じなど、
最初からジャーロの雰囲気を演出しているのが素晴らしく、
途中で拳銃が移動する段取りなども、
非常に巧緻に再現していました。
役者は出来には濃淡はあるものの、
皆作品の本質を理解したお芝居で、
内容を予め知っていても、
充分に楽しめる仕上がりになっているのはさすがでした。
そんな訳で大いに楽しめる「罠」になっているので、
推理劇のお好きな方は、
是非足をお運びください。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ロベール・トマの推理劇の古典的傑作「罠」が、
この作品の演出では定評のある深作健太さんの演出で、
大手町よみうりホールで上演されています。
僕は推理劇が大好きで、
推理劇だけを毎日上演している劇場があれば、
毎日通い詰めても良いと思っているのですが、
実際には優れた推理劇というものは、
滅多に存在しているものではありません。
過去有名な傑作推理劇と言えば、
アガサ・クリスティーの「ねずみとり」と「検察側の証人」、
トマの「罠」、
シェーファーの「スルース」、
アイラ・レヴィンの「デストラップ」くらい。
そして、その中でも孤高の傑作と言って良いのが、
この「罠」なのです。
失踪した新妻を探し求める男の前に、
別人の女性が、
自分が失踪した妻だと名乗って現れ、
その後二転三転するという物語で、
その見事なプロットは、
多くの小説やドラマ、映画などに流用されています。
僕自身もこのプロットは、
1980年代に製作されたアメリカのTVムービーで、
観たのが最初です。
舞台をアメリカに移して、
時代も新しくしたヴァージョンでしたが、
とても驚かされたことを鮮やかに覚えています。
如何にもフランスミステリ的な趣向で、
この作品が最初とは言い切れないのですが、
先行作があったとしても、
歴史的に最も有名なのがこの「罠」であることは間違いがありません。
今回初めて、オリジナルの舞台を、
生で観ることが出来ました。
非常に面白かったですし、
演出もキャストも良く、
勿論筋書きは最初から知っていたのですが、
それでもとても面白く観ることが出来ました。
これ、イタリアのジャーロを思わせるような、
とても煽情的でドロドロするスタイルの作品なんですね。
発表された1960年というのは、
イタリアやフランスの、
ミステリーと残酷趣味のホラー映画の全盛時代なので、
そのムードを濃厚に受け継いでいる作品だと思います。
全編物凄く芝居掛かっていて、
段取りもとても仰々しく凝っているんですね。
ラストのネタばらしがあっても、
「そうだとしても、何もそこまでやるかな」と思うところですが、
こうした作品はそれを言ってはお終いで、
その芝居掛かった仰々しさを、
実際に生の役者がお芝居で目の前で演じる、
という醍醐味を味わうのが主眼なのです。
そのため、この作品のプロットを流用した多くの関連作では、
プロット構成はもっとスッキリしていて、
オリジナルのような仰々しさはありません。
それはそれでリアリティは増しているのですが、
その一方でこのオリジナルの持つ大時代的な感じは、
個人的にはとても楽しく好ましく感じました。
今回演出の深作さんはそうした点を熟知していて、
舞台を古城のような雰囲気に設定し、
後ろの引き戸を重々しく開く感じなど、
最初からジャーロの雰囲気を演出しているのが素晴らしく、
途中で拳銃が移動する段取りなども、
非常に巧緻に再現していました。
役者は出来には濃淡はあるものの、
皆作品の本質を理解したお芝居で、
内容を予め知っていても、
充分に楽しめる仕上がりになっているのはさすがでした。
そんな訳で大いに楽しめる「罠」になっているので、
推理劇のお好きな方は、
是非足をお運びください。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
「夫婦パラダイス~街の灯はそこに~」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
北村想さんの新作が、
寺十吾(じつなしさとる)さんの演出で新宿紀伊国屋ホールで上演されています。
北村想さんと演出の寺十吾さんのコラボは、
2013年の「グッドバイ」から中断はありながらも続いていて、
今回が多分9回目になるかと思います。
「日本文学シアター」シリーズ第7弾ということなのですが、
どれが番外であったのかよく分かりません。
僕は初回の「グットバイ」にとても感銘を受けて、
そのうちの8作品は観ています。
昨年の「ケンジトシ」はチケットが取れませんでした。
当初はシアタートラムでの公演でしたが、
途中から人気者を主役に配するようになり、
次第に箱(劇場)が大きくなっています。
当初は古典文学作品を、
北村さんの視点で読み直す、
という感じのシリーズだったのですが、
途中からはもうあまり原作とは関連がなくなり、
昔の北村さんの劇団時代の作品に、
近い雰囲気のものになってきています。
正直出来には結構ばらつきがあって、
一時の作品はオヤオヤという感じもあったのですが、
前作の「シラの恋文」はなかなかの作品で感銘を受けました。
ただ、劇場は草彅剛さんが主役ということで、
大きな会場になったことがやや不満でした。
今回は文句なしの傑作で、
しかも小劇場のメッカ、紀伊国屋ホールの公演ですから、
箱も申し分なく楽しむことが出来ました。
前作と同じく、現代もしくは近未来設定なのに、
ビジュアルと設定の多くは、
1956年の映画「洲崎パラダイス赤信号」をベースにしているので、
前作と同様、時空が歪んだような、
不思議な感じになっています。
そこに更に歌舞伎の「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」が絡み、
北村想さんらしい、
妙に力の抜けた、
怪異で幻想的で人情味もある、
独特の世界が展開されます。
今回は主役が歌舞伎本職の尾上松也さんなので、
本物の歌舞伎味が横溢し、
クライマックスのだんまりも、
なかなか本格的でしたし、
他のキャストも段田安則さん、高田聖子さんを初めとして、
抜群の手練れが揃っていて、
全ての芝居が一級品なので、
見事な骨董品を愛でるような気分で、
作品世界を十全に楽しむことが出来ました。
また現役唯一のアングラ演出家と言って良い、
寺十吾さんの硬軟取り混ぜた名人芸のような演出が、
この芝居をより格調の高いものとしているのです。
そんな訳で北村想さんと寺十吾さんのタッグによる、
この豊饒な小劇場演劇のシリーズの中でも、
屈指の名品の1つで、
演劇ファンの皆さんには、
是非是非お見逃しにならないようにして頂きたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
北村想さんの新作が、
寺十吾(じつなしさとる)さんの演出で新宿紀伊国屋ホールで上演されています。
北村想さんと演出の寺十吾さんのコラボは、
2013年の「グッドバイ」から中断はありながらも続いていて、
今回が多分9回目になるかと思います。
「日本文学シアター」シリーズ第7弾ということなのですが、
どれが番外であったのかよく分かりません。
僕は初回の「グットバイ」にとても感銘を受けて、
そのうちの8作品は観ています。
昨年の「ケンジトシ」はチケットが取れませんでした。
当初はシアタートラムでの公演でしたが、
途中から人気者を主役に配するようになり、
次第に箱(劇場)が大きくなっています。
当初は古典文学作品を、
北村さんの視点で読み直す、
という感じのシリーズだったのですが、
途中からはもうあまり原作とは関連がなくなり、
昔の北村さんの劇団時代の作品に、
近い雰囲気のものになってきています。
正直出来には結構ばらつきがあって、
一時の作品はオヤオヤという感じもあったのですが、
前作の「シラの恋文」はなかなかの作品で感銘を受けました。
ただ、劇場は草彅剛さんが主役ということで、
大きな会場になったことがやや不満でした。
今回は文句なしの傑作で、
しかも小劇場のメッカ、紀伊国屋ホールの公演ですから、
箱も申し分なく楽しむことが出来ました。
前作と同じく、現代もしくは近未来設定なのに、
ビジュアルと設定の多くは、
1956年の映画「洲崎パラダイス赤信号」をベースにしているので、
前作と同様、時空が歪んだような、
不思議な感じになっています。
そこに更に歌舞伎の「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」が絡み、
北村想さんらしい、
妙に力の抜けた、
怪異で幻想的で人情味もある、
独特の世界が展開されます。
今回は主役が歌舞伎本職の尾上松也さんなので、
本物の歌舞伎味が横溢し、
クライマックスのだんまりも、
なかなか本格的でしたし、
他のキャストも段田安則さん、高田聖子さんを初めとして、
抜群の手練れが揃っていて、
全ての芝居が一級品なので、
見事な骨董品を愛でるような気分で、
作品世界を十全に楽しむことが出来ました。
また現役唯一のアングラ演出家と言って良い、
寺十吾さんの硬軟取り混ぜた名人芸のような演出が、
この芝居をより格調の高いものとしているのです。
そんな訳で北村想さんと寺十吾さんのタッグによる、
この豊饒な小劇場演劇のシリーズの中でも、
屈指の名品の1つで、
演劇ファンの皆さんには、
是非是非お見逃しにならないようにして頂きたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
月刊「根本宗子」第19号 『共闘者』 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
根本宗子さんの新作公演が、
本日まで東京FMホールで上演されています。
これは女性のみの5人芝居で、
根本宗子さんも俳優で出演し、
ヒロインに前田敦子さん、
何かと話題のAマッソのお二人、
そしてお馴染みの長井短さんの5人です。
この5人が高校の演劇部の仲間を演じ、
絶対的ヒロインであった前田敦子さん演じる少女が、
根本宗子さん演じる同級生に、
最後まで明かされることはないある秘密を告げて、
それをきっかけに逃げるように姿を消し、
その後波乱万丈の人生を送って、
5人が再開するまでの物語です。
これはもう間違いのないネモシューの世界、
これまでにも何度も綴られて来た、
女性同士の誤解と友情と愛の物語を、
王道のストーリーと小劇場的演出、
そして鉄壁のキャストで描きます。
キャスティングのあざとさ、
野田秀樹や松たか子などの虚実ないまぜのアイテム、
あまりにも強い「演劇愛」と、
自分の人生を作家として肯定したニュアンス、
最後の無理矢理の時間戻しの力業まで、
これぞ今のネモシューというエネルギーが、
最初から最後までくどいくらいに漲る2時間余は、
根本さんが自分の全てをさらけ出したような、
潔さに満ちた世界でした。
キャストは抜群で、
根本さんの小劇場座長芝居、
前田さんの圧倒的ヒロイン感、
Aマッソのお二人が予想以上に達者なところを見せ、
長井短さんは、
映像のお仕事も多く経験して、
驚くほど上手い役者になっていました。
これ多分同じ時期に上演している、
「朝日のような夕日をつれて」を、
ちょっと意識していると思うのですね。
どちらも同性のみの5人芝居で、
ノンストップで小劇場的を遊びまくり、
1人のヒロインを救うため、
永遠の一瞬に回帰するというお話でしょ。
いずれにしても最近の根本さんのお芝居の中では、
間違いなく突出した出来栄えで、
ある意味根本さんの現時点での集大成と言っても、
過言ではない作品だったと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
根本宗子さんの新作公演が、
本日まで東京FMホールで上演されています。
これは女性のみの5人芝居で、
根本宗子さんも俳優で出演し、
ヒロインに前田敦子さん、
何かと話題のAマッソのお二人、
そしてお馴染みの長井短さんの5人です。
この5人が高校の演劇部の仲間を演じ、
絶対的ヒロインであった前田敦子さん演じる少女が、
根本宗子さん演じる同級生に、
最後まで明かされることはないある秘密を告げて、
それをきっかけに逃げるように姿を消し、
その後波乱万丈の人生を送って、
5人が再開するまでの物語です。
これはもう間違いのないネモシューの世界、
これまでにも何度も綴られて来た、
女性同士の誤解と友情と愛の物語を、
王道のストーリーと小劇場的演出、
そして鉄壁のキャストで描きます。
キャスティングのあざとさ、
野田秀樹や松たか子などの虚実ないまぜのアイテム、
あまりにも強い「演劇愛」と、
自分の人生を作家として肯定したニュアンス、
最後の無理矢理の時間戻しの力業まで、
これぞ今のネモシューというエネルギーが、
最初から最後までくどいくらいに漲る2時間余は、
根本さんが自分の全てをさらけ出したような、
潔さに満ちた世界でした。
キャストは抜群で、
根本さんの小劇場座長芝居、
前田さんの圧倒的ヒロイン感、
Aマッソのお二人が予想以上に達者なところを見せ、
長井短さんは、
映像のお仕事も多く経験して、
驚くほど上手い役者になっていました。
これ多分同じ時期に上演している、
「朝日のような夕日をつれて」を、
ちょっと意識していると思うのですね。
どちらも同性のみの5人芝居で、
ノンストップで小劇場的を遊びまくり、
1人のヒロインを救うため、
永遠の一瞬に回帰するというお話でしょ。
いずれにしても最近の根本さんのお芝居の中では、
間違いなく突出した出来栄えで、
ある意味根本さんの現時点での集大成と言っても、
過言ではない作品だったと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
「朝日のような夕日を連れて2024」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
鴻上尚史さんの原点にして代表作の「朝日のような夕日をつれて」が、
今小劇場のかつてのメッカ、
新宿紀伊国屋ホールで上演されています。
これはとても良かったですよ。
そこまで期待をしていなかったのですが、
あまりに素晴らしかったので、
帰りがけに受付にいた鴻上さんに、
「良かったです」と一言声を掛けてしまいました。
この作品は鴻上さんの言わずと知れた代表作で、
何度も再演されているのですが、
毎回違った見どころがあって、
前回は大高洋夫さんと小須田康人さんの、
最後の熱演が感動的でした。
アングラ以降の小劇場演劇というのは、
あまり再演が得意ではないんですね。
大体同時代性があって、
その当時の事件などを織り込むことが多かったですし、
役者もあて書きで、
別の役者が同じ役をやることを、
あまり想定していなかったからです。
中ではつかこうへいさんは、
「熱海殺人事件」などにおいて、
つかこうへい事務所時代から、
上演毎に頻繁に役者を入れ替え、
特定の定番の場面以外は、
台詞も大幅に入れ替えて、
再演を繰り返していました。
ただ、それは同じテーマの別ヴァージョンと言うべきもので、
厳密な意味では、
再演ではなかったように思います。
この「朝日のような夕日を連れて」は、
立花トーイという会社が、
新製品を開発するという筋自体は、
再演においても変わっていないのですが、
その新製品が再演の時の最先端の技術を反映したものに変わっている、
という点では、
ニューヴァージョンになっているんですね。
それでいて、作品の根幹の部分は変わっていなくて、
オープニングとエンディングを含めて、
この作品を有名にした演出の大部分は、
台詞や音効を含めてそのままに保たれています。
今回の再演はキャストを総入れ替えなのですが、
新製品をAI関連にしていて、
それはもう目新しさはないのですが、
永遠の一瞬を再現して、
自死した舞台には登場しないヒロインを蘇らせよう、という、
作品の根本部分に非常に合致していて、
今回初めて数十年の歳月を経て、
ある意味この作品の理想的な結末が降臨した、
という感慨に捉われました。
キャストは5人とも、
この作品への愛がビシビシと伝わる熱演でしたが、
特に長く小須田さんが演じていた社長役を引き継いだ、
小松準弥さんが抜群に良くて、
この作品の新しい可能性を感じさせてくれました。
僕は正直この作品の良いファンとは言えないのですが、
今回の作品には時代を超えた感銘を受けましたし、
それはこの作品がこうした形で再演を続けてきたからこその、
小劇場の奇蹟であったように思うのです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
鴻上尚史さんの原点にして代表作の「朝日のような夕日をつれて」が、
今小劇場のかつてのメッカ、
新宿紀伊国屋ホールで上演されています。
これはとても良かったですよ。
そこまで期待をしていなかったのですが、
あまりに素晴らしかったので、
帰りがけに受付にいた鴻上さんに、
「良かったです」と一言声を掛けてしまいました。
この作品は鴻上さんの言わずと知れた代表作で、
何度も再演されているのですが、
毎回違った見どころがあって、
前回は大高洋夫さんと小須田康人さんの、
最後の熱演が感動的でした。
アングラ以降の小劇場演劇というのは、
あまり再演が得意ではないんですね。
大体同時代性があって、
その当時の事件などを織り込むことが多かったですし、
役者もあて書きで、
別の役者が同じ役をやることを、
あまり想定していなかったからです。
中ではつかこうへいさんは、
「熱海殺人事件」などにおいて、
つかこうへい事務所時代から、
上演毎に頻繁に役者を入れ替え、
特定の定番の場面以外は、
台詞も大幅に入れ替えて、
再演を繰り返していました。
ただ、それは同じテーマの別ヴァージョンと言うべきもので、
厳密な意味では、
再演ではなかったように思います。
この「朝日のような夕日を連れて」は、
立花トーイという会社が、
新製品を開発するという筋自体は、
再演においても変わっていないのですが、
その新製品が再演の時の最先端の技術を反映したものに変わっている、
という点では、
ニューヴァージョンになっているんですね。
それでいて、作品の根幹の部分は変わっていなくて、
オープニングとエンディングを含めて、
この作品を有名にした演出の大部分は、
台詞や音効を含めてそのままに保たれています。
今回の再演はキャストを総入れ替えなのですが、
新製品をAI関連にしていて、
それはもう目新しさはないのですが、
永遠の一瞬を再現して、
自死した舞台には登場しないヒロインを蘇らせよう、という、
作品の根本部分に非常に合致していて、
今回初めて数十年の歳月を経て、
ある意味この作品の理想的な結末が降臨した、
という感慨に捉われました。
キャストは5人とも、
この作品への愛がビシビシと伝わる熱演でしたが、
特に長く小須田さんが演じていた社長役を引き継いだ、
小松準弥さんが抜群に良くて、
この作品の新しい可能性を感じさせてくれました。
僕は正直この作品の良いファンとは言えないのですが、
今回の作品には時代を超えた感銘を受けましたし、
それはこの作品がこうした形で再演を続けてきたからこその、
小劇場の奇蹟であったように思うのです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
「逃奔政走-嘘つきは政治家のはじまり?-」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
この作品は上演されてから、
少し時間が経っているのですが、
覚書的にご紹介させて頂きます。
シチュエーションコメディを一貫して小劇場で上演し続けている、
アガリスクエンターテイメントの富阪友さんが、
作・演出を勤め、
鈴木保奈美さんが主演したコメディで、
鈴木さんは女性の県知事役、
配下の副知事に相島一之さん、
若手政治家役に寺西拓人さん、
悪徳政治家役に佐藤B作さんというのがメインキャストで、
それ以外のキャストは、
ほぼほぼアガリスクのメンバーが勤めているという布陣です。
アガリスクエンターテイメントは、
最近はあまり観ていませんが、
2015年の「紅白旗合戦」の初演で感銘を受けて、
それからしばらく新作が上演される度に足を運んでいました。
特に印象的だったのは、
三谷幸喜さんの「笑いの大学」を、
尊敬はしつつ笑いのめした「笑いの太字」という怪作で、
これはちょっと仰天しました。
その後もシチュエーションコメディに拘りながら、
ナチスドイツや大本営など、
本来笑うべきではない素材を、
かなりの力業でコメディにするという作品を発表し、
「こんなことをして大丈夫なのかしら」と少し不安には感じつつ、
新作を楽しみに出かけていました。
良いコメディ作家は必ず世に出るもので、
今回鈴木保奈美さん主演の舞台を、
新作で任されるというニュースを見た時には、
これは行かなくてはと思い、
富阪さんがどのような進歩を遂げたのか、
大きな期待を持って劇場に足を運びました。
内容は鈴木保奈美さん演じる、
市民運動出身の政治家が、
政治の刷新を訴えて、県知事選に立候補し、
見事に当選するところから始まるのですが、
自分の実現したい政策とのバーターで、
悪徳政治家と公共事業を巡る取引をしてしまう、
というところから、
次々と不正に手を染めてしまい、
それを若手議員から追求されて、
その火消しに躍起になる様を、
シチュエーションコメディの手法で描いているものです。
これね、通常の作劇であれば、
主人公は本当に止むを得ず不正に加担してしまった、
ということが、
観客に納得できるような内容にしますよね。
でも、富阪さんはそうではなくて、
主人公はかなり軽い気持ちで、
「まあいいか」みたいな感じで不正に手を染めるのですね。
確かに現実はそうだと思うのですが、
簡単に不正に手を染めるような人格を、
主役に据えて観客に共感させようというのは、
かなり難しい作業で、
正直なところ今回の作品で、
それに成功していたとは思えませんでした。
誰でも心の中に持っている小市民的なせこい「悪」を、
そのまま受け入れて、
それ自体を笑ってしまおう、というのが、
富阪さんのコメディのコンセプトで、
それはそれで面白いと思うのですが、
今の世の中はそうしたせこい「悪」を、
全て抉り出して糾弾し集団リンチにしよう、
という風潮ですから、
皆自分の心の中の悪を隠すことに必死で、
それを受け入れて笑おう、
というような気持ちにはなれないのですね。
結果としてこの作品のラストは、
悪事を告白して辞職した主人公が、
観客に向かって、
心の中の悪に向き合え、みたいな、
演説をするという趣向になるのですが、
これは小市民的「悪」を受け入れて笑うという当初のテーマとは、
かなり真逆に近い展開で、
おそらくこうせざるを得なかったのだろうな、
という推測は付くのですが、
富坂さんが最初に想定していたような展開とは、
かなり違ってしまったのではないかと、
個人的には思って観ていました。
政治をテーマにしたコメディを作ることは、
現代では至難の作業であるようです。
そんな訳で富坂さんの資質が、
十全に活きた作品にはなっていなかったことは、
残念ではあったのですが、
今後も富阪さんの日の当たる舞台での活躍は、
間違いなく続くことになると思うので、
今後の作品を楽しみに待ちたいと思います。
いつの日か、
従順に飼いならされた観客が、
度肝を抜かれるような怪作が、
一般の劇場で堂々と上演されることを期待します。
頑張って下さい。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
この作品は上演されてから、
少し時間が経っているのですが、
覚書的にご紹介させて頂きます。
シチュエーションコメディを一貫して小劇場で上演し続けている、
アガリスクエンターテイメントの富阪友さんが、
作・演出を勤め、
鈴木保奈美さんが主演したコメディで、
鈴木さんは女性の県知事役、
配下の副知事に相島一之さん、
若手政治家役に寺西拓人さん、
悪徳政治家役に佐藤B作さんというのがメインキャストで、
それ以外のキャストは、
ほぼほぼアガリスクのメンバーが勤めているという布陣です。
アガリスクエンターテイメントは、
最近はあまり観ていませんが、
2015年の「紅白旗合戦」の初演で感銘を受けて、
それからしばらく新作が上演される度に足を運んでいました。
特に印象的だったのは、
三谷幸喜さんの「笑いの大学」を、
尊敬はしつつ笑いのめした「笑いの太字」という怪作で、
これはちょっと仰天しました。
その後もシチュエーションコメディに拘りながら、
ナチスドイツや大本営など、
本来笑うべきではない素材を、
かなりの力業でコメディにするという作品を発表し、
「こんなことをして大丈夫なのかしら」と少し不安には感じつつ、
新作を楽しみに出かけていました。
良いコメディ作家は必ず世に出るもので、
今回鈴木保奈美さん主演の舞台を、
新作で任されるというニュースを見た時には、
これは行かなくてはと思い、
富阪さんがどのような進歩を遂げたのか、
大きな期待を持って劇場に足を運びました。
内容は鈴木保奈美さん演じる、
市民運動出身の政治家が、
政治の刷新を訴えて、県知事選に立候補し、
見事に当選するところから始まるのですが、
自分の実現したい政策とのバーターで、
悪徳政治家と公共事業を巡る取引をしてしまう、
というところから、
次々と不正に手を染めてしまい、
それを若手議員から追求されて、
その火消しに躍起になる様を、
シチュエーションコメディの手法で描いているものです。
これね、通常の作劇であれば、
主人公は本当に止むを得ず不正に加担してしまった、
ということが、
観客に納得できるような内容にしますよね。
でも、富阪さんはそうではなくて、
主人公はかなり軽い気持ちで、
「まあいいか」みたいな感じで不正に手を染めるのですね。
確かに現実はそうだと思うのですが、
簡単に不正に手を染めるような人格を、
主役に据えて観客に共感させようというのは、
かなり難しい作業で、
正直なところ今回の作品で、
それに成功していたとは思えませんでした。
誰でも心の中に持っている小市民的なせこい「悪」を、
そのまま受け入れて、
それ自体を笑ってしまおう、というのが、
富阪さんのコメディのコンセプトで、
それはそれで面白いと思うのですが、
今の世の中はそうしたせこい「悪」を、
全て抉り出して糾弾し集団リンチにしよう、
という風潮ですから、
皆自分の心の中の悪を隠すことに必死で、
それを受け入れて笑おう、
というような気持ちにはなれないのですね。
結果としてこの作品のラストは、
悪事を告白して辞職した主人公が、
観客に向かって、
心の中の悪に向き合え、みたいな、
演説をするという趣向になるのですが、
これは小市民的「悪」を受け入れて笑うという当初のテーマとは、
かなり真逆に近い展開で、
おそらくこうせざるを得なかったのだろうな、
という推測は付くのですが、
富坂さんが最初に想定していたような展開とは、
かなり違ってしまったのではないかと、
個人的には思って観ていました。
政治をテーマにしたコメディを作ることは、
現代では至難の作業であるようです。
そんな訳で富坂さんの資質が、
十全に活きた作品にはなっていなかったことは、
残念ではあったのですが、
今後も富阪さんの日の当たる舞台での活躍は、
間違いなく続くことになると思うので、
今後の作品を楽しみに待ちたいと思います。
いつの日か、
従順に飼いならされた観客が、
度肝を抜かれるような怪作が、
一般の劇場で堂々と上演されることを期待します。
頑張って下さい。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。