月刊「根本宗子」第19号 『共闘者』 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
根本宗子さんの新作公演が、
本日まで東京FMホールで上演されています。
これは女性のみの5人芝居で、
根本宗子さんも俳優で出演し、
ヒロインに前田敦子さん、
何かと話題のAマッソのお二人、
そしてお馴染みの長井短さんの5人です。
この5人が高校の演劇部の仲間を演じ、
絶対的ヒロインであった前田敦子さん演じる少女が、
根本宗子さん演じる同級生に、
最後まで明かされることはないある秘密を告げて、
それをきっかけに逃げるように姿を消し、
その後波乱万丈の人生を送って、
5人が再開するまでの物語です。
これはもう間違いのないネモシューの世界、
これまでにも何度も綴られて来た、
女性同士の誤解と友情と愛の物語を、
王道のストーリーと小劇場的演出、
そして鉄壁のキャストで描きます。
キャスティングのあざとさ、
野田秀樹や松たか子などの虚実ないまぜのアイテム、
あまりにも強い「演劇愛」と、
自分の人生を作家として肯定したニュアンス、
最後の無理矢理の時間戻しの力業まで、
これぞ今のネモシューというエネルギーが、
最初から最後までくどいくらいに漲る2時間余は、
根本さんが自分の全てをさらけ出したような、
潔さに満ちた世界でした。
キャストは抜群で、
根本さんの小劇場座長芝居、
前田さんの圧倒的ヒロイン感、
Aマッソのお二人が予想以上に達者なところを見せ、
長井短さんは、
映像のお仕事も多く経験して、
驚くほど上手い役者になっていました。
これ多分同じ時期に上演している、
「朝日のような夕日をつれて」を、
ちょっと意識していると思うのですね。
どちらも同性のみの5人芝居で、
ノンストップで小劇場的を遊びまくり、
1人のヒロインを救うため、
永遠の一瞬に回帰するというお話でしょ。
いずれにしても最近の根本さんのお芝居の中では、
間違いなく突出した出来栄えで、
ある意味根本さんの現時点での集大成と言っても、
過言ではない作品だったと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
根本宗子さんの新作公演が、
本日まで東京FMホールで上演されています。
これは女性のみの5人芝居で、
根本宗子さんも俳優で出演し、
ヒロインに前田敦子さん、
何かと話題のAマッソのお二人、
そしてお馴染みの長井短さんの5人です。
この5人が高校の演劇部の仲間を演じ、
絶対的ヒロインであった前田敦子さん演じる少女が、
根本宗子さん演じる同級生に、
最後まで明かされることはないある秘密を告げて、
それをきっかけに逃げるように姿を消し、
その後波乱万丈の人生を送って、
5人が再開するまでの物語です。
これはもう間違いのないネモシューの世界、
これまでにも何度も綴られて来た、
女性同士の誤解と友情と愛の物語を、
王道のストーリーと小劇場的演出、
そして鉄壁のキャストで描きます。
キャスティングのあざとさ、
野田秀樹や松たか子などの虚実ないまぜのアイテム、
あまりにも強い「演劇愛」と、
自分の人生を作家として肯定したニュアンス、
最後の無理矢理の時間戻しの力業まで、
これぞ今のネモシューというエネルギーが、
最初から最後までくどいくらいに漲る2時間余は、
根本さんが自分の全てをさらけ出したような、
潔さに満ちた世界でした。
キャストは抜群で、
根本さんの小劇場座長芝居、
前田さんの圧倒的ヒロイン感、
Aマッソのお二人が予想以上に達者なところを見せ、
長井短さんは、
映像のお仕事も多く経験して、
驚くほど上手い役者になっていました。
これ多分同じ時期に上演している、
「朝日のような夕日をつれて」を、
ちょっと意識していると思うのですね。
どちらも同性のみの5人芝居で、
ノンストップで小劇場的を遊びまくり、
1人のヒロインを救うため、
永遠の一瞬に回帰するというお話でしょ。
いずれにしても最近の根本さんのお芝居の中では、
間違いなく突出した出来栄えで、
ある意味根本さんの現時点での集大成と言っても、
過言ではない作品だったと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
「朝日のような夕日を連れて2024」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
鴻上尚史さんの原点にして代表作の「朝日のような夕日をつれて」が、
今小劇場のかつてのメッカ、
新宿紀伊国屋ホールで上演されています。
これはとても良かったですよ。
そこまで期待をしていなかったのですが、
あまりに素晴らしかったので、
帰りがけに受付にいた鴻上さんに、
「良かったです」と一言声を掛けてしまいました。
この作品は鴻上さんの言わずと知れた代表作で、
何度も再演されているのですが、
毎回違った見どころがあって、
前回は大高洋夫さんと小須田康人さんの、
最後の熱演が感動的でした。
アングラ以降の小劇場演劇というのは、
あまり再演が得意ではないんですね。
大体同時代性があって、
その当時の事件などを織り込むことが多かったですし、
役者もあて書きで、
別の役者が同じ役をやることを、
あまり想定していなかったからです。
中ではつかこうへいさんは、
「熱海殺人事件」などにおいて、
つかこうへい事務所時代から、
上演毎に頻繁に役者を入れ替え、
特定の定番の場面以外は、
台詞も大幅に入れ替えて、
再演を繰り返していました。
ただ、それは同じテーマの別ヴァージョンと言うべきもので、
厳密な意味では、
再演ではなかったように思います。
この「朝日のような夕日を連れて」は、
立花トーイという会社が、
新製品を開発するという筋自体は、
再演においても変わっていないのですが、
その新製品が再演の時の最先端の技術を反映したものに変わっている、
という点では、
ニューヴァージョンになっているんですね。
それでいて、作品の根幹の部分は変わっていなくて、
オープニングとエンディングを含めて、
この作品を有名にした演出の大部分は、
台詞や音効を含めてそのままに保たれています。
今回の再演はキャストを総入れ替えなのですが、
新製品をAI関連にしていて、
それはもう目新しさはないのですが、
永遠の一瞬を再現して、
自死した舞台には登場しないヒロインを蘇らせよう、という、
作品の根本部分に非常に合致していて、
今回初めて数十年の歳月を経て、
ある意味この作品の理想的な結末が降臨した、
という感慨に捉われました。
キャストは5人とも、
この作品への愛がビシビシと伝わる熱演でしたが、
特に長く小須田さんが演じていた社長役を引き継いだ、
小松準弥さんが抜群に良くて、
この作品の新しい可能性を感じさせてくれました。
僕は正直この作品の良いファンとは言えないのですが、
今回の作品には時代を超えた感銘を受けましたし、
それはこの作品がこうした形で再演を続けてきたからこその、
小劇場の奇蹟であったように思うのです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
鴻上尚史さんの原点にして代表作の「朝日のような夕日をつれて」が、
今小劇場のかつてのメッカ、
新宿紀伊国屋ホールで上演されています。
これはとても良かったですよ。
そこまで期待をしていなかったのですが、
あまりに素晴らしかったので、
帰りがけに受付にいた鴻上さんに、
「良かったです」と一言声を掛けてしまいました。
この作品は鴻上さんの言わずと知れた代表作で、
何度も再演されているのですが、
毎回違った見どころがあって、
前回は大高洋夫さんと小須田康人さんの、
最後の熱演が感動的でした。
アングラ以降の小劇場演劇というのは、
あまり再演が得意ではないんですね。
大体同時代性があって、
その当時の事件などを織り込むことが多かったですし、
役者もあて書きで、
別の役者が同じ役をやることを、
あまり想定していなかったからです。
中ではつかこうへいさんは、
「熱海殺人事件」などにおいて、
つかこうへい事務所時代から、
上演毎に頻繁に役者を入れ替え、
特定の定番の場面以外は、
台詞も大幅に入れ替えて、
再演を繰り返していました。
ただ、それは同じテーマの別ヴァージョンと言うべきもので、
厳密な意味では、
再演ではなかったように思います。
この「朝日のような夕日を連れて」は、
立花トーイという会社が、
新製品を開発するという筋自体は、
再演においても変わっていないのですが、
その新製品が再演の時の最先端の技術を反映したものに変わっている、
という点では、
ニューヴァージョンになっているんですね。
それでいて、作品の根幹の部分は変わっていなくて、
オープニングとエンディングを含めて、
この作品を有名にした演出の大部分は、
台詞や音効を含めてそのままに保たれています。
今回の再演はキャストを総入れ替えなのですが、
新製品をAI関連にしていて、
それはもう目新しさはないのですが、
永遠の一瞬を再現して、
自死した舞台には登場しないヒロインを蘇らせよう、という、
作品の根本部分に非常に合致していて、
今回初めて数十年の歳月を経て、
ある意味この作品の理想的な結末が降臨した、
という感慨に捉われました。
キャストは5人とも、
この作品への愛がビシビシと伝わる熱演でしたが、
特に長く小須田さんが演じていた社長役を引き継いだ、
小松準弥さんが抜群に良くて、
この作品の新しい可能性を感じさせてくれました。
僕は正直この作品の良いファンとは言えないのですが、
今回の作品には時代を超えた感銘を受けましたし、
それはこの作品がこうした形で再演を続けてきたからこその、
小劇場の奇蹟であったように思うのです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
「逃奔政走-嘘つきは政治家のはじまり?-」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
この作品は上演されてから、
少し時間が経っているのですが、
覚書的にご紹介させて頂きます。
シチュエーションコメディを一貫して小劇場で上演し続けている、
アガリスクエンターテイメントの富阪友さんが、
作・演出を勤め、
鈴木保奈美さんが主演したコメディで、
鈴木さんは女性の県知事役、
配下の副知事に相島一之さん、
若手政治家役に寺西拓人さん、
悪徳政治家役に佐藤B作さんというのがメインキャストで、
それ以外のキャストは、
ほぼほぼアガリスクのメンバーが勤めているという布陣です。
アガリスクエンターテイメントは、
最近はあまり観ていませんが、
2015年の「紅白旗合戦」の初演で感銘を受けて、
それからしばらく新作が上演される度に足を運んでいました。
特に印象的だったのは、
三谷幸喜さんの「笑いの大学」を、
尊敬はしつつ笑いのめした「笑いの太字」という怪作で、
これはちょっと仰天しました。
その後もシチュエーションコメディに拘りながら、
ナチスドイツや大本営など、
本来笑うべきではない素材を、
かなりの力業でコメディにするという作品を発表し、
「こんなことをして大丈夫なのかしら」と少し不安には感じつつ、
新作を楽しみに出かけていました。
良いコメディ作家は必ず世に出るもので、
今回鈴木保奈美さん主演の舞台を、
新作で任されるというニュースを見た時には、
これは行かなくてはと思い、
富阪さんがどのような進歩を遂げたのか、
大きな期待を持って劇場に足を運びました。
内容は鈴木保奈美さん演じる、
市民運動出身の政治家が、
政治の刷新を訴えて、県知事選に立候補し、
見事に当選するところから始まるのですが、
自分の実現したい政策とのバーターで、
悪徳政治家と公共事業を巡る取引をしてしまう、
というところから、
次々と不正に手を染めてしまい、
それを若手議員から追求されて、
その火消しに躍起になる様を、
シチュエーションコメディの手法で描いているものです。
これね、通常の作劇であれば、
主人公は本当に止むを得ず不正に加担してしまった、
ということが、
観客に納得できるような内容にしますよね。
でも、富阪さんはそうではなくて、
主人公はかなり軽い気持ちで、
「まあいいか」みたいな感じで不正に手を染めるのですね。
確かに現実はそうだと思うのですが、
簡単に不正に手を染めるような人格を、
主役に据えて観客に共感させようというのは、
かなり難しい作業で、
正直なところ今回の作品で、
それに成功していたとは思えませんでした。
誰でも心の中に持っている小市民的なせこい「悪」を、
そのまま受け入れて、
それ自体を笑ってしまおう、というのが、
富阪さんのコメディのコンセプトで、
それはそれで面白いと思うのですが、
今の世の中はそうしたせこい「悪」を、
全て抉り出して糾弾し集団リンチにしよう、
という風潮ですから、
皆自分の心の中の悪を隠すことに必死で、
それを受け入れて笑おう、
というような気持ちにはなれないのですね。
結果としてこの作品のラストは、
悪事を告白して辞職した主人公が、
観客に向かって、
心の中の悪に向き合え、みたいな、
演説をするという趣向になるのですが、
これは小市民的「悪」を受け入れて笑うという当初のテーマとは、
かなり真逆に近い展開で、
おそらくこうせざるを得なかったのだろうな、
という推測は付くのですが、
富坂さんが最初に想定していたような展開とは、
かなり違ってしまったのではないかと、
個人的には思って観ていました。
政治をテーマにしたコメディを作ることは、
現代では至難の作業であるようです。
そんな訳で富坂さんの資質が、
十全に活きた作品にはなっていなかったことは、
残念ではあったのですが、
今後も富阪さんの日の当たる舞台での活躍は、
間違いなく続くことになると思うので、
今後の作品を楽しみに待ちたいと思います。
いつの日か、
従順に飼いならされた観客が、
度肝を抜かれるような怪作が、
一般の劇場で堂々と上演されることを期待します。
頑張って下さい。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
この作品は上演されてから、
少し時間が経っているのですが、
覚書的にご紹介させて頂きます。
シチュエーションコメディを一貫して小劇場で上演し続けている、
アガリスクエンターテイメントの富阪友さんが、
作・演出を勤め、
鈴木保奈美さんが主演したコメディで、
鈴木さんは女性の県知事役、
配下の副知事に相島一之さん、
若手政治家役に寺西拓人さん、
悪徳政治家役に佐藤B作さんというのがメインキャストで、
それ以外のキャストは、
ほぼほぼアガリスクのメンバーが勤めているという布陣です。
アガリスクエンターテイメントは、
最近はあまり観ていませんが、
2015年の「紅白旗合戦」の初演で感銘を受けて、
それからしばらく新作が上演される度に足を運んでいました。
特に印象的だったのは、
三谷幸喜さんの「笑いの大学」を、
尊敬はしつつ笑いのめした「笑いの太字」という怪作で、
これはちょっと仰天しました。
その後もシチュエーションコメディに拘りながら、
ナチスドイツや大本営など、
本来笑うべきではない素材を、
かなりの力業でコメディにするという作品を発表し、
「こんなことをして大丈夫なのかしら」と少し不安には感じつつ、
新作を楽しみに出かけていました。
良いコメディ作家は必ず世に出るもので、
今回鈴木保奈美さん主演の舞台を、
新作で任されるというニュースを見た時には、
これは行かなくてはと思い、
富阪さんがどのような進歩を遂げたのか、
大きな期待を持って劇場に足を運びました。
内容は鈴木保奈美さん演じる、
市民運動出身の政治家が、
政治の刷新を訴えて、県知事選に立候補し、
見事に当選するところから始まるのですが、
自分の実現したい政策とのバーターで、
悪徳政治家と公共事業を巡る取引をしてしまう、
というところから、
次々と不正に手を染めてしまい、
それを若手議員から追求されて、
その火消しに躍起になる様を、
シチュエーションコメディの手法で描いているものです。
これね、通常の作劇であれば、
主人公は本当に止むを得ず不正に加担してしまった、
ということが、
観客に納得できるような内容にしますよね。
でも、富阪さんはそうではなくて、
主人公はかなり軽い気持ちで、
「まあいいか」みたいな感じで不正に手を染めるのですね。
確かに現実はそうだと思うのですが、
簡単に不正に手を染めるような人格を、
主役に据えて観客に共感させようというのは、
かなり難しい作業で、
正直なところ今回の作品で、
それに成功していたとは思えませんでした。
誰でも心の中に持っている小市民的なせこい「悪」を、
そのまま受け入れて、
それ自体を笑ってしまおう、というのが、
富阪さんのコメディのコンセプトで、
それはそれで面白いと思うのですが、
今の世の中はそうしたせこい「悪」を、
全て抉り出して糾弾し集団リンチにしよう、
という風潮ですから、
皆自分の心の中の悪を隠すことに必死で、
それを受け入れて笑おう、
というような気持ちにはなれないのですね。
結果としてこの作品のラストは、
悪事を告白して辞職した主人公が、
観客に向かって、
心の中の悪に向き合え、みたいな、
演説をするという趣向になるのですが、
これは小市民的「悪」を受け入れて笑うという当初のテーマとは、
かなり真逆に近い展開で、
おそらくこうせざるを得なかったのだろうな、
という推測は付くのですが、
富坂さんが最初に想定していたような展開とは、
かなり違ってしまったのではないかと、
個人的には思って観ていました。
政治をテーマにしたコメディを作ることは、
現代では至難の作業であるようです。
そんな訳で富坂さんの資質が、
十全に活きた作品にはなっていなかったことは、
残念ではあったのですが、
今後も富阪さんの日の当たる舞台での活躍は、
間違いなく続くことになると思うので、
今後の作品を楽しみに待ちたいと思います。
いつの日か、
従順に飼いならされた観客が、
度肝を抜かれるような怪作が、
一般の劇場で堂々と上演されることを期待します。
頑張って下さい。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
「正三角関係」(NODA・MAP第27回公演) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
NODA・MAPの第27回公演として、
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を元にした、
野田さんの新作が今上演されています。
メインとなる3人兄弟に、
松本潤さん、永山瑛太さん、長澤まさみさんが扮する、
という豪華キャストです。
野田秀樹さんの作品は、
青年座に書き下ろした「大脱走」を観たのが最初で、
その次に駒場小劇場の「野獣降臨」の初演を観て、
その後は遊眠社時代に数作見逃したものがありますが、
ほぼほぼ全作品の初演に足を運んでいます。
一番感銘を受けたのは、
紀伊国屋ホールで再演した「走れメルス」で、
次の遊眠社版「大脱走」も良かったですね。
あの頃のスピード感と躍動感、
そしてラストの奇妙な抒情と余韻のようなもの、
今でも懐かしく思い出します。
それから日生劇場と組んで、
シェイクスピアなどの古典の、
野田版の読み替えを幾つかしたのですが、
あれが抜群に冴えていたんですね。
隠れた野田戯曲の傑作群ですが、
残念なことにキャストが野田さんのスピード感に不慣れで、
演劇的成果としては今一つに終わったのが残念でした。
それを復活させたのが、
SPACの「真夏の夜の夢」で、
ここに目を付けた宮城さんはさすがだと思います。
NODA・MAP以降だと、
「赤鬼」の初演、
若手を使った「ローリングストーン」辺りが、
個人的には印象に残っています。
それからかなり社会性のあるお芝居にシフトして、
どうかなあ、という感じであったのですが、
最近だと「フェイクスピア」は抜群に良くて、
あれは間違いなく野田さんを代表するお芝居の1本だと思います。
「MIWA」も意外に良かったですね。
ドストエフスキーはNODA・MAPの初期に、
「罪と罰」を江戸時代に置き換えて、
大竹しのぶさん主演でやりましたね。
結構原典に忠実で、
それがラストは将軍登場で神殺しみたいな感じになります。
まあその後の天皇制批判をテーマにしたお芝居に繋がるのですが、
当時はそうした感じは明確ではありませんでした。
「カラマーゾフの兄弟」は、
高校生の時の夏休みに読みました。
今回のお芝居は原作の舞台を終戦間近の長崎に移して、
花火師の3兄弟の話として描いています。
人間関係などは原作を踏襲していますが、
後半には原作と別個のテーマが浮上して、
スケールの大きなクライマックスに至る展開は、
最近の野田さんのお芝居の定番の流れです。
ただ、今回は「うーん」という感じ。
後半に浮上するテーマというのが、
これまでに野田さんが何度も扱ってきたものなので、
正直「またですか?」という感じが否めません。
また2時間20分休憩なしという上演時間が如何にも長くて、
集中力が切れがちになるような展開がありました。
勿論舞台面の美しさやキャストの熱演など、
優れた点も多いお芝居ではあったのですが、
数年前に「フェイクスピア」という大傑作を観ているので、
どうしても比較すると点が辛くなります。
今回キャストは皆頑張っていたと思うのですが、
主役の3人がいずれも、
舞台で安心して見ていられる、
というレベルではないので、
どうしても演出で調整する要素が大きくなります。
スピード感重視の舞台では、
その辺りがどうしても弱いな、
という感じが今回はありました。
総じてかなり強引に、
ドストエフスキーと、
社会的なテーマを繋ぎ合わせたという作品なので、
今回はそのつなぎ目に、
かなり無理があったという印象でした。
むしろロシアと日本との関わりなどを中心に据えた方が、
より興味深い作品になっていたような気もします。
そんな訳でやや落胆を感じた今回ですが、
野田さんらしい見どころは多いお芝居で、
今後海外公演もあるようですから、
日々ブラッシュアップされて、
作品が進化することに期待したいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
NODA・MAPの第27回公演として、
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を元にした、
野田さんの新作が今上演されています。
メインとなる3人兄弟に、
松本潤さん、永山瑛太さん、長澤まさみさんが扮する、
という豪華キャストです。
野田秀樹さんの作品は、
青年座に書き下ろした「大脱走」を観たのが最初で、
その次に駒場小劇場の「野獣降臨」の初演を観て、
その後は遊眠社時代に数作見逃したものがありますが、
ほぼほぼ全作品の初演に足を運んでいます。
一番感銘を受けたのは、
紀伊国屋ホールで再演した「走れメルス」で、
次の遊眠社版「大脱走」も良かったですね。
あの頃のスピード感と躍動感、
そしてラストの奇妙な抒情と余韻のようなもの、
今でも懐かしく思い出します。
それから日生劇場と組んで、
シェイクスピアなどの古典の、
野田版の読み替えを幾つかしたのですが、
あれが抜群に冴えていたんですね。
隠れた野田戯曲の傑作群ですが、
残念なことにキャストが野田さんのスピード感に不慣れで、
演劇的成果としては今一つに終わったのが残念でした。
それを復活させたのが、
SPACの「真夏の夜の夢」で、
ここに目を付けた宮城さんはさすがだと思います。
NODA・MAP以降だと、
「赤鬼」の初演、
若手を使った「ローリングストーン」辺りが、
個人的には印象に残っています。
それからかなり社会性のあるお芝居にシフトして、
どうかなあ、という感じであったのですが、
最近だと「フェイクスピア」は抜群に良くて、
あれは間違いなく野田さんを代表するお芝居の1本だと思います。
「MIWA」も意外に良かったですね。
ドストエフスキーはNODA・MAPの初期に、
「罪と罰」を江戸時代に置き換えて、
大竹しのぶさん主演でやりましたね。
結構原典に忠実で、
それがラストは将軍登場で神殺しみたいな感じになります。
まあその後の天皇制批判をテーマにしたお芝居に繋がるのですが、
当時はそうした感じは明確ではありませんでした。
「カラマーゾフの兄弟」は、
高校生の時の夏休みに読みました。
今回のお芝居は原作の舞台を終戦間近の長崎に移して、
花火師の3兄弟の話として描いています。
人間関係などは原作を踏襲していますが、
後半には原作と別個のテーマが浮上して、
スケールの大きなクライマックスに至る展開は、
最近の野田さんのお芝居の定番の流れです。
ただ、今回は「うーん」という感じ。
後半に浮上するテーマというのが、
これまでに野田さんが何度も扱ってきたものなので、
正直「またですか?」という感じが否めません。
また2時間20分休憩なしという上演時間が如何にも長くて、
集中力が切れがちになるような展開がありました。
勿論舞台面の美しさやキャストの熱演など、
優れた点も多いお芝居ではあったのですが、
数年前に「フェイクスピア」という大傑作を観ているので、
どうしても比較すると点が辛くなります。
今回キャストは皆頑張っていたと思うのですが、
主役の3人がいずれも、
舞台で安心して見ていられる、
というレベルではないので、
どうしても演出で調整する要素が大きくなります。
スピード感重視の舞台では、
その辺りがどうしても弱いな、
という感じが今回はありました。
総じてかなり強引に、
ドストエフスキーと、
社会的なテーマを繋ぎ合わせたという作品なので、
今回はそのつなぎ目に、
かなり無理があったという印象でした。
むしろロシアと日本との関わりなどを中心に据えた方が、
より興味深い作品になっていたような気もします。
そんな訳でやや落胆を感じた今回ですが、
野田さんらしい見どころは多いお芝居で、
今後海外公演もあるようですから、
日々ブラッシュアップされて、
作品が進化することに期待したいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
「コスモス -山のあなたの空遠く-」(JIS企画 竹内銃一郎作・演出) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
竹内銃一郎さんと佐野史郎のユニット、JIS企画の、
20年ぶりの新作公演にして最終公演が、
今下北沢のスズナリで上演されています。
竹内銃一郎さんは、
1970年代の半ば頃から、
息の長い活動をされているベテランの劇作家です。
その作風は別役実さん風の前衛劇を、
つかこうへいさん風の演出を盛り込んで、
思い切って娯楽ミステリー風に再構成したもので、
そのドラマチックで意外性に富んだ展開は、
これぞ小劇場という醍醐味がありました。
特に1980年代の、
「あの大鴉さえも」と「戸惑いの午後の惨事」は、
この世にこんなに面白く衝撃的で感動的な芝居があるのかと、
高揚する気分で劇場を後にしたことを、
今でも鮮やかに覚えています。
これだけシンプルに面白いのに、
それでいてアングラ的で不条理で前衛でもあったのです。
ただ、その作風は1980年代後半には、
かなり変化を見せ、
「前衛劇のつか的情念に満ちた娯楽化」という路線は、
その後戻ることはありませんでした。
今回久しぶりに接した竹内さんのお芝居は、
1980年代のものとは勿論大きく違っていたのですが、
何と言うのか、
とても自然な「老境」のお芝居になっていて、
何かじんわりと心に滲み込むような、
良いお芝居であったと思います。
以下ネタバレがあります。
観劇予定の方は観劇後にお読みください。
オープニングから、
若い2人の女優さんが、
竹内さんが以前書いた男2人芝居「東京物語」の、
立ち稽古をしている、
という意表を付いた場面から始まります。
竹内さんの孫くらいの年齢の女優さんが、
わざわざ付け髭を付けて、
男の役の台詞を発していて、
それをベテランの佃典彦さんが見てダメ出しをするのですね。
ある意味自分の過去作の台詞を流用していて、
手抜きと言えば手抜きなのですが、
二重三重に捻った構造は、
さすが竹内さんという感じが最初からします。
舞台は佐野史郎さんが主人の時計店で、
そこに謎の男の佃さんが、
奇妙な依頼を持って来るところからも物語は始まるのですが、
佐野さんは昔小学生の少女を誘拐したという罪で、
刑務所に入っていたという過去があり、
その時の小学生が成長して20年ぶりに訪ねて来る、
という甘酸っぱい展開が待っています。
これ、ちょっと際どい、
少女への偏愛みたいなものが、
基調音としてはあるのですね。
でもそれがどうにかなる訳ではなく、
「何も出来ない年寄りの妄想なのでいいでしょ」
という感じなんですね。
秘めたる欲望を解放して、
それが満月に照らされて、
近付く死の恐怖と一体化するような、
老境の思いみたいなものに結び付くのです。
そこに演劇愛みたいなものが絡み合って、
独特の詩的な世界が形作られて行きます。
その竹内さんの思いを体現する、
老境に至りつつある、
佐野史郎さん、佃典彦さん、広岡由里子さんのトリオの、
円熟した芝居がまた素敵でした。
正直まだ、
もう少しとんがったお芝居の方がいいな、
という気分もあるのですが、
変に若ぶらない自然体のお芝居は、
一服の清涼剤という感じがありました。
こうしたものもいいですね。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
竹内銃一郎さんと佐野史郎のユニット、JIS企画の、
20年ぶりの新作公演にして最終公演が、
今下北沢のスズナリで上演されています。
竹内銃一郎さんは、
1970年代の半ば頃から、
息の長い活動をされているベテランの劇作家です。
その作風は別役実さん風の前衛劇を、
つかこうへいさん風の演出を盛り込んで、
思い切って娯楽ミステリー風に再構成したもので、
そのドラマチックで意外性に富んだ展開は、
これぞ小劇場という醍醐味がありました。
特に1980年代の、
「あの大鴉さえも」と「戸惑いの午後の惨事」は、
この世にこんなに面白く衝撃的で感動的な芝居があるのかと、
高揚する気分で劇場を後にしたことを、
今でも鮮やかに覚えています。
これだけシンプルに面白いのに、
それでいてアングラ的で不条理で前衛でもあったのです。
ただ、その作風は1980年代後半には、
かなり変化を見せ、
「前衛劇のつか的情念に満ちた娯楽化」という路線は、
その後戻ることはありませんでした。
今回久しぶりに接した竹内さんのお芝居は、
1980年代のものとは勿論大きく違っていたのですが、
何と言うのか、
とても自然な「老境」のお芝居になっていて、
何かじんわりと心に滲み込むような、
良いお芝居であったと思います。
以下ネタバレがあります。
観劇予定の方は観劇後にお読みください。
オープニングから、
若い2人の女優さんが、
竹内さんが以前書いた男2人芝居「東京物語」の、
立ち稽古をしている、
という意表を付いた場面から始まります。
竹内さんの孫くらいの年齢の女優さんが、
わざわざ付け髭を付けて、
男の役の台詞を発していて、
それをベテランの佃典彦さんが見てダメ出しをするのですね。
ある意味自分の過去作の台詞を流用していて、
手抜きと言えば手抜きなのですが、
二重三重に捻った構造は、
さすが竹内さんという感じが最初からします。
舞台は佐野史郎さんが主人の時計店で、
そこに謎の男の佃さんが、
奇妙な依頼を持って来るところからも物語は始まるのですが、
佐野さんは昔小学生の少女を誘拐したという罪で、
刑務所に入っていたという過去があり、
その時の小学生が成長して20年ぶりに訪ねて来る、
という甘酸っぱい展開が待っています。
これ、ちょっと際どい、
少女への偏愛みたいなものが、
基調音としてはあるのですね。
でもそれがどうにかなる訳ではなく、
「何も出来ない年寄りの妄想なのでいいでしょ」
という感じなんですね。
秘めたる欲望を解放して、
それが満月に照らされて、
近付く死の恐怖と一体化するような、
老境の思いみたいなものに結び付くのです。
そこに演劇愛みたいなものが絡み合って、
独特の詩的な世界が形作られて行きます。
その竹内さんの思いを体現する、
老境に至りつつある、
佐野史郎さん、佃典彦さん、広岡由里子さんのトリオの、
円熟した芝居がまた素敵でした。
正直まだ、
もう少しとんがったお芝居の方がいいな、
という気分もあるのですが、
変に若ぶらない自然体のお芝居は、
一服の清涼剤という感じがありました。
こうしたものもいいですね。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
「ふくすけ2024-歌舞伎町黙示録-」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
松尾スズキさんが1991年に「悪人会議」として、
下北沢のスズナリで上演し、
1998年には「日本総合悲劇協会」として、
今度は三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで再演、
更にシアターコクーンで2012年に再再演された、
松尾さんの代表作の1つが、
新宿歌舞伎町のTHEATER MILANO-Zaで
戯曲も改訂の上で再演されています。
僕はこの作品は、
初演は未見で、
1998年2021年の再演は観ています。
1998年は大人計画が上昇気流に乗っていた時期でしたが、
場所が中途半端に広い感じのある世田谷パブリックシアターで、
キャストも大人計画以外の外部出演が多く、
演技の統一が取れていない、という感じがありました。
また、群衆に演劇ゼミの学生を使うなど、
演技レベルが戯曲の本来の水準に、
達していなかったことも問題と感じました。
要するにちょっとガッカリの公演であったのです。
2012年のコクーンでの再演は、
98年版と比較するとレベルが格段に高いものとなっていて、
特にエスダマス役の大竹しのぶさんは、
非常に豪華な感じがしましたし、
彼女ならではスケールの大きな芝居でした。
またラストの余韻も非常に深いものになっていて、
コオロギという男が、
自分が殺した女と一緒に、
静謐な感じで殺した瞬間の8ミリを見るという、
おそらく松尾戯曲の中でも屈指の名場面が、
見事に可視化されていたのに感動しました。
ただ、初演からコオロギを演じていた松尾さんが脇に廻って、
オクイシュージさんが同役を演じたのですが、
正直少し弱いな、という感じが残りました。
マスの夫役に古田新太さんというのも、
キャスト的に疑問でした。
今回の上演は基本的には2012年版に近いニュアンスですが、
コオロギとサカエを主軸にした、
という松尾さんの言葉通り、
この戯曲の最も印象的なキャラである2人に、
スポットの当てられた舞台でした。
戯曲も最初の部分が大きく改変されていて、
元の戯曲はスエの裁判のパートから始まるのですが、
今回新たにコオロギとサカエの出逢いの場面と、
スエと2人が出逢う場面が新たに書き足されていて、
そこで既に主役が誰であるかが明確化されています。
演じるのは阿部サダヲさんと黒木華という演技派2人ですから、
これはもう期待せずにはいられません。
以下、ネタバレがあります。
物語は複雑な群像劇で、
簡単に説明をすることは難しいのですが、
バットマンの出て来ない、
バットマンの映画の、
ゴッサムシティの群像劇みたいな話です。
主軸になるのは、
2組の夫婦で、
エスダヒデイチとその妻のマスと、
コオロギという名の男と、
その妻のサカエです。
北九州の田舎でメッキ工場を営む、
冴えない中年男のヒデイチは、
吃音のために幼少期から12人の同級生にいじめられ、
その妻のマスは、
ミスミ製薬の薬害のために、
ヒデイチとの子供を、
重度の障害児として出産すると狂気に陥り、
欝状態となると、
夫を昔いじめた12人の同級生と、
毎年代わりばんこにセックスをして、
生まれた12人の子供を殺して土に埋め、
躁転して失踪します。
病院の警備員をしている、
出生と生い立ちに闇を抱えたコオロギは、
刹那的で暴力的な男で、
その妻のサカエは盲目の捨て子で、
コオロギに純愛を捧げていますが、
コオロギはその愛に、
暴力と裏切りで報いることしかせず、
それでいてサカエには、
自分への「盲目的」な愛情を求めています。
失踪したマスは、
東京の歌舞伎町で、
その町の暗部を牛耳る、
性倒錯の三姉妹に取り入り、
「輪廻転生プレイ」という、
新しい性風俗を考案して、
莫大な富を得ます。
マスを探して東京に出た夫のヒデイチは、
得体の知れないジャーナリストと、
自傷を繰り返す風俗嬢の少女と共に、
マスを探し続けます。
同じ東京では、
薬害のミスミ製薬の御曹司の男爵が、
薬害による重度の障害児を、
死産と偽って自邸の地下室に、
閉じ込めて愛玩していたことが発覚し、
その障害児の1人である異相の「ふくすけ」が、
コオロギの勤める病院に運ばれます。
コオロギは、
ふくすけが精神的な障害を詐病していることを見抜き、
病院からふくすけを誘拐すると、
最初は見世物小屋で芸人として働かせますが、
コオロギからふくすけとの仲を疑われて、
狂気に陥ったサカエが、
神の言葉を話し出すので、
ふくすけを教祖とした、
新興宗教を興して成功させ、
その宗教が、
不浄なものとして、
歌舞伎町の三姉妹と敵対するところから、
2組の夫婦とそれを取り巻く2つの集団は、
否応なく対立することになり、
そして松尾戯曲でも屈指の、
スケールの大きなクライマックスを迎えるのです。
作品のテーマは「人生のリセット」です。
この作品の登場人物の殆どは、
自分の生き様に不満を持ち、
自分が不幸で満たされないことの責任を、
自分の出自や自分の容姿、
身体や精神の障害、
家庭環境や性格などのせいにして、
それが無になるような、
人生のリセットを求めています。
ダークヒロインのマスは、
毎年夫をかつていじめた男と寝て、
生まれた子供を殺すことで、
人生のリセットを図り、
それでも満たされないと、
躁転して自分自身から逃走します。
盲目のサカエは、
コオロギへの純愛の成立が危うくなると、
狂気の世界でリセットして、
神がかりになります。
しかし、それでも現実は彼女達の逃避を許さず、
マスもサカエも再び元の自分に戻り、
最後にマスは自分の息子であったふくすけと寝て、
その最中に不発弾で吹き飛び、
サカエは自分とふくすけとの情事を告白して、
コオロギに殺されます。
この作品の天才的な点は、
その2人の悲劇的な死を、
同時に描き、
かつ、イメージの中でのマス一家の幸福な生活と、
コオロギによるサカエ殺しを、
死後の2人が殺しの光景の8ミリフィルムを、
幸福そうに並んで見ている、
という静謐で感動的な情景に昇華させていることです。
ラストのオチとして、
マスの夫のヒデイチが、
自分をかつていじめた12人の同級生を呼んで、
毒殺するというカタストロフがあり、
僕は98年の上演時にはその意味がピンと来なかったのですが、
2012年の上演時に再見して、
これは要するにヒデイチの人生最初のリセットだったのだ、
と思い至りました。
このように、
この作品は、
表面的な悪趣味さと扇情的な印象とは裏腹に、
際めて緻密かつ繊細に出来ています。
ラストにチェホフが引用され、
歌舞伎町の倒錯3人姉妹が、
多くの部分でチェホフを下敷きにしていたり、
埋められる子供は、
サム・シェパードだったりと、
過去の演劇作品からの引用も多彩です。
今回の上演は、僕が観た3回の舞台の中では、
演劇的完成度は最も高く、
松尾さんの作品としては、
観易い作品になっていました。
昔の松尾さんの芝居は、良くも悪くも、
もっとタラタラしていたんですよね。
それは当時のお芝居の主流が野田秀樹さんや鴻上尚史さんの、
スピード感のある早口のお芝居だったので、
それに反発するようなところもあったのだと思います。
それが最近はエンタメの王道に近い感じに修正されてきていて、
今回など 部分的には野田秀樹さん的感じがあったり、
ケラさんチックであったり、
劇団☆新感線的感じがあったりと、
演劇表現のど真ん中、という感じの強いものになっていました。
キャストは豪華さでは隋一という感じで、
それも名前だけの売れっ子という感じの人は1人もいなくて、
その道のスペシャリストが配された布陣でした。
一番驚いたのは、
初演で温水洋一さん、再演で阿部サダヲさんが演じた、
異形の暴れん坊のフクスケを、
岸井ゆきのさんが演じたことで、
彼女のある種「普通ではない部分」に着目して、
キャスティングした松尾さんの眼力には感心させられました。
ただ、多少の無理があったことは確かです。
素晴らしかったのはマスの夫ヒデイチを演じた荒川良々さんで、
役柄的には初演の山崎一さん、再演の綾田俊樹さんが雰囲気なのですが、
それを強引に自分に引き寄せた感じの怪演で、
その悲しみの芝居に心を打たれました。
眼目の阿部サダヲさんと黒木華さんは、
勿論安定感抜群であったのですが、
正直ラストの8ミリを見る名シーンの感銘は、
前回と比べるとやや薄いものになっていました。
その点はとても残念だったのですが、
どうなのかなあ、
ちょっと出て、またすぐ引っ込んで、
またちょっと出て、という感じの、
モザイクみたいな感じのお芝居が、
黒木さんにはあまり合わないように感じました。
演技を持続することで凄味があり、
本領を発揮するタイプの女優さんだと思うので、
今回のような芝居は、
彼女の見事な演技を、
十全に活かせるものではなかったのではないでしょうか?
また、演出も後半はちょっと急いだ感じで、
8ミリのシーンも、淡泊に流したような感じがあって、
これはもう本当に残念だな、
アングラ史に残るような素晴らしい演劇的瞬間であったのに、
というような思いはありました。
コケティッシュなホテトル嬢のフタバさんは、
多分松尾さん的にも拘りのある、
執着を感じさせる役柄で、
出番はさほど多くないのですが、
とても印象に残るキャストです。
再演は美加理さん、再再演は多部未華子さんで、
2人とも素晴らしく魅力的で眼福だったのですが、
今回の松本穂香さんは、
その2人を超える抜群のコケティッシュさで、
こちらも本当に素晴らしかったと思います。
ただ、矢張り、後半ちょっと出を繰り返して、
死んだり、過去に戻ったりするのは、
ちょっと観ている側としては欲求不満になりますし、
おそらく演じていても、
演技の持続が難しいのではないでしょうか。
この辺りの構造は、
ちょっと松尾さんの当時の戯曲の、
限界であり欠点でもある、という気はします。
それでも松尾さんを代表するお芝居の1本であることは間違いはなく、
今回もその魅力に溢れた、
今回は中劇場での上演ではありますが、
小劇場の愉楽を感じさせてくれる舞台に仕上がっていたと思います。
悪趣味でグロテスクな芝居ですから、
全ての方にお勧め出来るものではありませんが、
最近の松尾スズキはちょっとなあ…
という向きには、
絶対のお勧め品です。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
松尾スズキさんが1991年に「悪人会議」として、
下北沢のスズナリで上演し、
1998年には「日本総合悲劇協会」として、
今度は三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで再演、
更にシアターコクーンで2012年に再再演された、
松尾さんの代表作の1つが、
新宿歌舞伎町のTHEATER MILANO-Zaで
戯曲も改訂の上で再演されています。
僕はこの作品は、
初演は未見で、
1998年2021年の再演は観ています。
1998年は大人計画が上昇気流に乗っていた時期でしたが、
場所が中途半端に広い感じのある世田谷パブリックシアターで、
キャストも大人計画以外の外部出演が多く、
演技の統一が取れていない、という感じがありました。
また、群衆に演劇ゼミの学生を使うなど、
演技レベルが戯曲の本来の水準に、
達していなかったことも問題と感じました。
要するにちょっとガッカリの公演であったのです。
2012年のコクーンでの再演は、
98年版と比較するとレベルが格段に高いものとなっていて、
特にエスダマス役の大竹しのぶさんは、
非常に豪華な感じがしましたし、
彼女ならではスケールの大きな芝居でした。
またラストの余韻も非常に深いものになっていて、
コオロギという男が、
自分が殺した女と一緒に、
静謐な感じで殺した瞬間の8ミリを見るという、
おそらく松尾戯曲の中でも屈指の名場面が、
見事に可視化されていたのに感動しました。
ただ、初演からコオロギを演じていた松尾さんが脇に廻って、
オクイシュージさんが同役を演じたのですが、
正直少し弱いな、という感じが残りました。
マスの夫役に古田新太さんというのも、
キャスト的に疑問でした。
今回の上演は基本的には2012年版に近いニュアンスですが、
コオロギとサカエを主軸にした、
という松尾さんの言葉通り、
この戯曲の最も印象的なキャラである2人に、
スポットの当てられた舞台でした。
戯曲も最初の部分が大きく改変されていて、
元の戯曲はスエの裁判のパートから始まるのですが、
今回新たにコオロギとサカエの出逢いの場面と、
スエと2人が出逢う場面が新たに書き足されていて、
そこで既に主役が誰であるかが明確化されています。
演じるのは阿部サダヲさんと黒木華という演技派2人ですから、
これはもう期待せずにはいられません。
以下、ネタバレがあります。
物語は複雑な群像劇で、
簡単に説明をすることは難しいのですが、
バットマンの出て来ない、
バットマンの映画の、
ゴッサムシティの群像劇みたいな話です。
主軸になるのは、
2組の夫婦で、
エスダヒデイチとその妻のマスと、
コオロギという名の男と、
その妻のサカエです。
北九州の田舎でメッキ工場を営む、
冴えない中年男のヒデイチは、
吃音のために幼少期から12人の同級生にいじめられ、
その妻のマスは、
ミスミ製薬の薬害のために、
ヒデイチとの子供を、
重度の障害児として出産すると狂気に陥り、
欝状態となると、
夫を昔いじめた12人の同級生と、
毎年代わりばんこにセックスをして、
生まれた12人の子供を殺して土に埋め、
躁転して失踪します。
病院の警備員をしている、
出生と生い立ちに闇を抱えたコオロギは、
刹那的で暴力的な男で、
その妻のサカエは盲目の捨て子で、
コオロギに純愛を捧げていますが、
コオロギはその愛に、
暴力と裏切りで報いることしかせず、
それでいてサカエには、
自分への「盲目的」な愛情を求めています。
失踪したマスは、
東京の歌舞伎町で、
その町の暗部を牛耳る、
性倒錯の三姉妹に取り入り、
「輪廻転生プレイ」という、
新しい性風俗を考案して、
莫大な富を得ます。
マスを探して東京に出た夫のヒデイチは、
得体の知れないジャーナリストと、
自傷を繰り返す風俗嬢の少女と共に、
マスを探し続けます。
同じ東京では、
薬害のミスミ製薬の御曹司の男爵が、
薬害による重度の障害児を、
死産と偽って自邸の地下室に、
閉じ込めて愛玩していたことが発覚し、
その障害児の1人である異相の「ふくすけ」が、
コオロギの勤める病院に運ばれます。
コオロギは、
ふくすけが精神的な障害を詐病していることを見抜き、
病院からふくすけを誘拐すると、
最初は見世物小屋で芸人として働かせますが、
コオロギからふくすけとの仲を疑われて、
狂気に陥ったサカエが、
神の言葉を話し出すので、
ふくすけを教祖とした、
新興宗教を興して成功させ、
その宗教が、
不浄なものとして、
歌舞伎町の三姉妹と敵対するところから、
2組の夫婦とそれを取り巻く2つの集団は、
否応なく対立することになり、
そして松尾戯曲でも屈指の、
スケールの大きなクライマックスを迎えるのです。
作品のテーマは「人生のリセット」です。
この作品の登場人物の殆どは、
自分の生き様に不満を持ち、
自分が不幸で満たされないことの責任を、
自分の出自や自分の容姿、
身体や精神の障害、
家庭環境や性格などのせいにして、
それが無になるような、
人生のリセットを求めています。
ダークヒロインのマスは、
毎年夫をかつていじめた男と寝て、
生まれた子供を殺すことで、
人生のリセットを図り、
それでも満たされないと、
躁転して自分自身から逃走します。
盲目のサカエは、
コオロギへの純愛の成立が危うくなると、
狂気の世界でリセットして、
神がかりになります。
しかし、それでも現実は彼女達の逃避を許さず、
マスもサカエも再び元の自分に戻り、
最後にマスは自分の息子であったふくすけと寝て、
その最中に不発弾で吹き飛び、
サカエは自分とふくすけとの情事を告白して、
コオロギに殺されます。
この作品の天才的な点は、
その2人の悲劇的な死を、
同時に描き、
かつ、イメージの中でのマス一家の幸福な生活と、
コオロギによるサカエ殺しを、
死後の2人が殺しの光景の8ミリフィルムを、
幸福そうに並んで見ている、
という静謐で感動的な情景に昇華させていることです。
ラストのオチとして、
マスの夫のヒデイチが、
自分をかつていじめた12人の同級生を呼んで、
毒殺するというカタストロフがあり、
僕は98年の上演時にはその意味がピンと来なかったのですが、
2012年の上演時に再見して、
これは要するにヒデイチの人生最初のリセットだったのだ、
と思い至りました。
このように、
この作品は、
表面的な悪趣味さと扇情的な印象とは裏腹に、
際めて緻密かつ繊細に出来ています。
ラストにチェホフが引用され、
歌舞伎町の倒錯3人姉妹が、
多くの部分でチェホフを下敷きにしていたり、
埋められる子供は、
サム・シェパードだったりと、
過去の演劇作品からの引用も多彩です。
今回の上演は、僕が観た3回の舞台の中では、
演劇的完成度は最も高く、
松尾さんの作品としては、
観易い作品になっていました。
昔の松尾さんの芝居は、良くも悪くも、
もっとタラタラしていたんですよね。
それは当時のお芝居の主流が野田秀樹さんや鴻上尚史さんの、
スピード感のある早口のお芝居だったので、
それに反発するようなところもあったのだと思います。
それが最近はエンタメの王道に近い感じに修正されてきていて、
今回など 部分的には野田秀樹さん的感じがあったり、
ケラさんチックであったり、
劇団☆新感線的感じがあったりと、
演劇表現のど真ん中、という感じの強いものになっていました。
キャストは豪華さでは隋一という感じで、
それも名前だけの売れっ子という感じの人は1人もいなくて、
その道のスペシャリストが配された布陣でした。
一番驚いたのは、
初演で温水洋一さん、再演で阿部サダヲさんが演じた、
異形の暴れん坊のフクスケを、
岸井ゆきのさんが演じたことで、
彼女のある種「普通ではない部分」に着目して、
キャスティングした松尾さんの眼力には感心させられました。
ただ、多少の無理があったことは確かです。
素晴らしかったのはマスの夫ヒデイチを演じた荒川良々さんで、
役柄的には初演の山崎一さん、再演の綾田俊樹さんが雰囲気なのですが、
それを強引に自分に引き寄せた感じの怪演で、
その悲しみの芝居に心を打たれました。
眼目の阿部サダヲさんと黒木華さんは、
勿論安定感抜群であったのですが、
正直ラストの8ミリを見る名シーンの感銘は、
前回と比べるとやや薄いものになっていました。
その点はとても残念だったのですが、
どうなのかなあ、
ちょっと出て、またすぐ引っ込んで、
またちょっと出て、という感じの、
モザイクみたいな感じのお芝居が、
黒木さんにはあまり合わないように感じました。
演技を持続することで凄味があり、
本領を発揮するタイプの女優さんだと思うので、
今回のような芝居は、
彼女の見事な演技を、
十全に活かせるものではなかったのではないでしょうか?
また、演出も後半はちょっと急いだ感じで、
8ミリのシーンも、淡泊に流したような感じがあって、
これはもう本当に残念だな、
アングラ史に残るような素晴らしい演劇的瞬間であったのに、
というような思いはありました。
コケティッシュなホテトル嬢のフタバさんは、
多分松尾さん的にも拘りのある、
執着を感じさせる役柄で、
出番はさほど多くないのですが、
とても印象に残るキャストです。
再演は美加理さん、再再演は多部未華子さんで、
2人とも素晴らしく魅力的で眼福だったのですが、
今回の松本穂香さんは、
その2人を超える抜群のコケティッシュさで、
こちらも本当に素晴らしかったと思います。
ただ、矢張り、後半ちょっと出を繰り返して、
死んだり、過去に戻ったりするのは、
ちょっと観ている側としては欲求不満になりますし、
おそらく演じていても、
演技の持続が難しいのではないでしょうか。
この辺りの構造は、
ちょっと松尾さんの当時の戯曲の、
限界であり欠点でもある、という気はします。
それでも松尾さんを代表するお芝居の1本であることは間違いはなく、
今回もその魅力に溢れた、
今回は中劇場での上演ではありますが、
小劇場の愉楽を感じさせてくれる舞台に仕上がっていたと思います。
悪趣味でグロテスクな芝居ですから、
全ての方にお勧め出来るものではありませんが、
最近の松尾スズキはちょっとなあ…
という向きには、
絶対のお勧め品です。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
「あばれヤーコン」(ゴキブリコンビナート第38回公演) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
日本に残る最後のアングラ、
ゴキブリコンビナートの本公演に参加しました。
今回は僕の大好きな「順路演劇」、
つまり迷路のような、お化け屋敷のようなセットを作って、
そこに観客が1人ずつ入り、
そこで展開される物語の主人公となって、
その世界を体感する、というタイプの演劇です。
これはその昔寺山修司の天井桟敷が、
「迷路演劇」や「暗闇演劇」という、
それに近いことをやっていたのですね。
それから昔OM2という劇団が、
観客を小さなケージ(檻)の中に閉じ込めて、
迷路のようなセットを巡回する、
というような作品もありました。
ただ、こうした少数の例外はあっても、
演劇集団がこうした「順路演劇」の試みを、
何度も上演するというのは、
ほぼゴキブリコンビナートの独壇場、
と言って間違いはないと思います。
今はリアル脱出ゲームみたいなものもありますから、
昔と比べるとこうしたスタイルの演劇も、
受け入れやすくなっていると思うのです。
ただ、僕は基本的に演劇のマニアなので、
ただのゲームでは詰まらなくて、
そこに演劇の血肉がないと駄目だと思うのですね。
普通のお芝居というのは、
客席という安全な空間に座って、
遠くの額縁の中で繰り広げられる、
役者さんのお芝居を遠見する、
という性質のものでしょ。
順路演劇は自分が主人公になって物語の中に入り込み、
目の前で役者さんの演技を体感する、
という贅沢な趣向なのですね。
そこに何かに憑依して何かを演じている「役者」という存在があるかどうか、
その役者が表現する物語があるかどうか、
それがそのパフォーマンスが演劇であるかどうかの、
分かれ目であるのです。
僕は9年前のゴキブリコンビナートの順路演劇、
「ゴキブリハートカクテル」を体験して、
その虜になったのですが、
今回の作品はそれをよりスケールアップした感じのもので、
舞台は北千住の多目的スペースBUoYの地下に設定され、
あそこは元風呂屋の野趣溢れる大空間なので、
そこに設営された暗黒迷路は、
間違いなく前回より大規模なもので、
特に迷路に入ってから隘路を延々と引き回される感じは、
異世界への導入として、
これ以上のものはありませんでした。
内容は「ゴキブリハートカクテル」とかなり似ていて、
最初に逃げて来る女性と、
襲い掛かる巨根男と対峙する、
というくだりや、
その後で排便塗れになるという趣向、
インチキジェットコースターのようなものに載せられて、
脱出に失敗して散々な目に遭うという趣向などは、
ほぼ同一でした。
前回は中東の内戦的世界観であったのですが、
今回は未知のウイルスによって、
人間がミュータント化した世界になっていて、
観客はその世界を救う救世主に見立てられ、
前回は4人1組で始まって、
途中でバラバラになり、
その後再会するという流れであったのが、
今回は最初は1人ずつで参加して、
途中1人だけでは敵を倒せないという話になり、
闇の中で次の観客を待って、
その見ず知らずの観客と「合体」し、
一緒に敵に立ち向かうという趣向になっています。
最後にはエピローグとして、
敵を倒した後で勇者を称える歌と踊りを覚えさせられ、
後から来る観客2人が合体したことを称えて、
冒険は終わるという筋書きになっています。
今回は結構アスレチック的なところがあって、
日頃の運動不足が祟り、
途中で恥骨を打って、
1週間ほど腰から臀部の痛みが残りました。
また参加するためには、
日頃の精進が必要と再確認しました。
今回もとても楽しかったですし、
唯一無二の体験でしたが、
演劇的な妙味というか、
ドラマ的な部分の魅力は、
前回の「ゴキブリハートカクテル」の方が優れていました。
前回は血肉の姉妹対決みたいなものがあって、
そうしたものが心を躍らせるのですね。
これは構造的に難しいのだと思いますが、
観客側のドラマと並行して、
役者さん達の間にもドラマがあって、
それが拮抗するような感じがあると、
より盛り上がるし余韻も残るのではないか、
というようには感じました。
いずれにしても現在唯一無二の体感型のお芝居で、
アングラを愛する方には、
もう公演は終わっていますが、
次の機会を是非にお勧めしたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
日本に残る最後のアングラ、
ゴキブリコンビナートの本公演に参加しました。
今回は僕の大好きな「順路演劇」、
つまり迷路のような、お化け屋敷のようなセットを作って、
そこに観客が1人ずつ入り、
そこで展開される物語の主人公となって、
その世界を体感する、というタイプの演劇です。
これはその昔寺山修司の天井桟敷が、
「迷路演劇」や「暗闇演劇」という、
それに近いことをやっていたのですね。
それから昔OM2という劇団が、
観客を小さなケージ(檻)の中に閉じ込めて、
迷路のようなセットを巡回する、
というような作品もありました。
ただ、こうした少数の例外はあっても、
演劇集団がこうした「順路演劇」の試みを、
何度も上演するというのは、
ほぼゴキブリコンビナートの独壇場、
と言って間違いはないと思います。
今はリアル脱出ゲームみたいなものもありますから、
昔と比べるとこうしたスタイルの演劇も、
受け入れやすくなっていると思うのです。
ただ、僕は基本的に演劇のマニアなので、
ただのゲームでは詰まらなくて、
そこに演劇の血肉がないと駄目だと思うのですね。
普通のお芝居というのは、
客席という安全な空間に座って、
遠くの額縁の中で繰り広げられる、
役者さんのお芝居を遠見する、
という性質のものでしょ。
順路演劇は自分が主人公になって物語の中に入り込み、
目の前で役者さんの演技を体感する、
という贅沢な趣向なのですね。
そこに何かに憑依して何かを演じている「役者」という存在があるかどうか、
その役者が表現する物語があるかどうか、
それがそのパフォーマンスが演劇であるかどうかの、
分かれ目であるのです。
僕は9年前のゴキブリコンビナートの順路演劇、
「ゴキブリハートカクテル」を体験して、
その虜になったのですが、
今回の作品はそれをよりスケールアップした感じのもので、
舞台は北千住の多目的スペースBUoYの地下に設定され、
あそこは元風呂屋の野趣溢れる大空間なので、
そこに設営された暗黒迷路は、
間違いなく前回より大規模なもので、
特に迷路に入ってから隘路を延々と引き回される感じは、
異世界への導入として、
これ以上のものはありませんでした。
内容は「ゴキブリハートカクテル」とかなり似ていて、
最初に逃げて来る女性と、
襲い掛かる巨根男と対峙する、
というくだりや、
その後で排便塗れになるという趣向、
インチキジェットコースターのようなものに載せられて、
脱出に失敗して散々な目に遭うという趣向などは、
ほぼ同一でした。
前回は中東の内戦的世界観であったのですが、
今回は未知のウイルスによって、
人間がミュータント化した世界になっていて、
観客はその世界を救う救世主に見立てられ、
前回は4人1組で始まって、
途中でバラバラになり、
その後再会するという流れであったのが、
今回は最初は1人ずつで参加して、
途中1人だけでは敵を倒せないという話になり、
闇の中で次の観客を待って、
その見ず知らずの観客と「合体」し、
一緒に敵に立ち向かうという趣向になっています。
最後にはエピローグとして、
敵を倒した後で勇者を称える歌と踊りを覚えさせられ、
後から来る観客2人が合体したことを称えて、
冒険は終わるという筋書きになっています。
今回は結構アスレチック的なところがあって、
日頃の運動不足が祟り、
途中で恥骨を打って、
1週間ほど腰から臀部の痛みが残りました。
また参加するためには、
日頃の精進が必要と再確認しました。
今回もとても楽しかったですし、
唯一無二の体験でしたが、
演劇的な妙味というか、
ドラマ的な部分の魅力は、
前回の「ゴキブリハートカクテル」の方が優れていました。
前回は血肉の姉妹対決みたいなものがあって、
そうしたものが心を躍らせるのですね。
これは構造的に難しいのだと思いますが、
観客側のドラマと並行して、
役者さん達の間にもドラマがあって、
それが拮抗するような感じがあると、
より盛り上がるし余韻も残るのではないか、
というようには感じました。
いずれにしても現在唯一無二の体感型のお芝居で、
アングラを愛する方には、
もう公演は終わっていますが、
次の機会を是非にお勧めしたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
ナイロン100℃ 49th SESSION 「江戸時代の思い出」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ケラさんの新作が今下北沢の本多劇場で上演されています。
非常に多彩な作品を発表されているケラさんですが、
個人的に一番好きだったのは、
ナンセンスコメディの「ウチハソバヤジャナイ」で、
今回の作品はかなりナンセンスコメディに振れていて、
円熟した役者さんのやり取りも楽しく、
充実した「ハチャメチャ」に仕上がっていました。
ただ、完全なハチャメチャという感じではなくて、
途中で飢饉と疫病の流行が描かれるのは、
新型コロナが下敷きになっているのだと思いますし、
井戸で2つの世界が往還するのは、
村上春樹さんの世界を彷彿とさせる感じもあります。
以前「世田谷カフカ」という作品があって、
結構好きだったのですが、
これはカフカの幾つかの作品のモチーフをオムニバス的に並べて、
そこに寺山修司的な観客参加の趣向や、
ナンセンスコメディ的な趣向を絡めたものでした。
今回の作品はかなりそれに近くて、
「江戸時代の思い出」という、
「真夜中の弥次さん喜多さん」的な、
シュールでグロテスク味のある時代劇パートを骨格に、
ナンセンスコメディ的趣向と、
観客参加的趣向を絡めたものです。
基本的にはオムニバス形式で、
最初に大倉孝二さん演じる、
参勤交代からはぐれてしまった武士を、
三宅弘城さん演じる謎の町人が、
呼び止めるところから、
三宅さんが自分の思い出を語る、
というスタイルで、
3話の物語とエピローグで構成されます。
「未来の思い出」として、
そこにタイムカプセルを掘り出そうとする、
現代の中年グループも登場するのですが、
今回その現代パートはやや弱くて、
これなら全て江戸時代で統一した方が、
良かったように感じました。
最初の熟練した2人の掛け合いから、
とても面白いのですが、
それがかなり延々と続くので、
観る側に相当体力がないと、
しんどくなってしまう、という感じはありました。
僕もこうしたものが大好物ではあったのですが、
年のせいもあって、
今回は途中で疲れたしまった、
というのが正直なところです。
最初に素晴らしい歌があって、
画像でお侍さんの首がビュンビュン飛んだりするので、
本編でもそうした、
モンティパイソンの残酷描写みたいなものや、
「真夜中の弥次さん喜多さん」的な、
強烈な悪夢的世界が展開されるのではないか、
という勝手な期待をしてしまったのですが、
実際には本編は意外にウェルメイドなもので、
過激な展開などはなかったので、
やや肩透かしをくった、という感じもありました。
キャラ的には、
良い意味で人間とは思えない孤高の存在である、
奥菜恵さんが、
久しぶりに登場して、
相変わらずの人間離れした存在感で眼福でした。
ケラ作品に登場した時の奥菜さんは、
本当に素晴らしいと思いますし、
松尾さんの「キレイ」の初演が傑作だったのも、
奥菜さんが主役を演じたからだと思います。
再演以降は普通の作品でした。
そんな訳でナイロンのスター総出演で奥菜さんも出る、
という豪華版の舞台で、
とても充実感はあったのですが、
内容的にはもう一押し欲しかったな、
というのが正直な感想でした。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ケラさんの新作が今下北沢の本多劇場で上演されています。
非常に多彩な作品を発表されているケラさんですが、
個人的に一番好きだったのは、
ナンセンスコメディの「ウチハソバヤジャナイ」で、
今回の作品はかなりナンセンスコメディに振れていて、
円熟した役者さんのやり取りも楽しく、
充実した「ハチャメチャ」に仕上がっていました。
ただ、完全なハチャメチャという感じではなくて、
途中で飢饉と疫病の流行が描かれるのは、
新型コロナが下敷きになっているのだと思いますし、
井戸で2つの世界が往還するのは、
村上春樹さんの世界を彷彿とさせる感じもあります。
以前「世田谷カフカ」という作品があって、
結構好きだったのですが、
これはカフカの幾つかの作品のモチーフをオムニバス的に並べて、
そこに寺山修司的な観客参加の趣向や、
ナンセンスコメディ的な趣向を絡めたものでした。
今回の作品はかなりそれに近くて、
「江戸時代の思い出」という、
「真夜中の弥次さん喜多さん」的な、
シュールでグロテスク味のある時代劇パートを骨格に、
ナンセンスコメディ的趣向と、
観客参加的趣向を絡めたものです。
基本的にはオムニバス形式で、
最初に大倉孝二さん演じる、
参勤交代からはぐれてしまった武士を、
三宅弘城さん演じる謎の町人が、
呼び止めるところから、
三宅さんが自分の思い出を語る、
というスタイルで、
3話の物語とエピローグで構成されます。
「未来の思い出」として、
そこにタイムカプセルを掘り出そうとする、
現代の中年グループも登場するのですが、
今回その現代パートはやや弱くて、
これなら全て江戸時代で統一した方が、
良かったように感じました。
最初の熟練した2人の掛け合いから、
とても面白いのですが、
それがかなり延々と続くので、
観る側に相当体力がないと、
しんどくなってしまう、という感じはありました。
僕もこうしたものが大好物ではあったのですが、
年のせいもあって、
今回は途中で疲れたしまった、
というのが正直なところです。
最初に素晴らしい歌があって、
画像でお侍さんの首がビュンビュン飛んだりするので、
本編でもそうした、
モンティパイソンの残酷描写みたいなものや、
「真夜中の弥次さん喜多さん」的な、
強烈な悪夢的世界が展開されるのではないか、
という勝手な期待をしてしまったのですが、
実際には本編は意外にウェルメイドなもので、
過激な展開などはなかったので、
やや肩透かしをくった、という感じもありました。
キャラ的には、
良い意味で人間とは思えない孤高の存在である、
奥菜恵さんが、
久しぶりに登場して、
相変わらずの人間離れした存在感で眼福でした。
ケラ作品に登場した時の奥菜さんは、
本当に素晴らしいと思いますし、
松尾さんの「キレイ」の初演が傑作だったのも、
奥菜さんが主役を演じたからだと思います。
再演以降は普通の作品でした。
そんな訳でナイロンのスター総出演で奥菜さんも出る、
という豪華版の舞台で、
とても充実感はあったのですが、
内容的にはもう一押し欲しかったな、
というのが正直な感想でした。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
唐組・第73回公演「泥人魚」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
唐組の春公演に足を運びました。
2003年に初演され世評の高かった「泥人魚」の再演です。
奇しくも東京公演初日の前日、
寺山修司の逝去と同じ日に、
唐先生は亡くなりました。
この作品は勿論初演も観ているのですが、
それほど強い記憶としては残っていません。
当時はもっとスペクタクルな唐芝居を、
まだ期待する気持ちがあったので、
こじんまりとした印象を持ったのだと思います。
ただ、今回改めて観直してみると、
諫早湾の対立が小さなブリキ店に再現される、
という構成や、泥の海の人魚姫という趣向など、
如何にも唐先生という奇想が密度濃く処理されていて、
即興劇のような闊達さが、
オープニングからラストまで、
緩むことなく展開されるテンポも心地良く、
この時代の唐先生を代表する作品の1本であったことを、
理解することが出来ました。
今回はセットも良く、演出も冴えていましたし、
何より役者の力の漲り方が素晴らしく、
唐先生を送るに相応しい、
熱の籠った舞台になっていたと思います。
是非役者の熱演を観に、
テントに足をお運び頂きたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
唐組の春公演に足を運びました。
2003年に初演され世評の高かった「泥人魚」の再演です。
奇しくも東京公演初日の前日、
寺山修司の逝去と同じ日に、
唐先生は亡くなりました。
この作品は勿論初演も観ているのですが、
それほど強い記憶としては残っていません。
当時はもっとスペクタクルな唐芝居を、
まだ期待する気持ちがあったので、
こじんまりとした印象を持ったのだと思います。
ただ、今回改めて観直してみると、
諫早湾の対立が小さなブリキ店に再現される、
という構成や、泥の海の人魚姫という趣向など、
如何にも唐先生という奇想が密度濃く処理されていて、
即興劇のような闊達さが、
オープニングからラストまで、
緩むことなく展開されるテンポも心地良く、
この時代の唐先生を代表する作品の1本であったことを、
理解することが出来ました。
今回はセットも良く、演出も冴えていましたし、
何より役者の力の漲り方が素晴らしく、
唐先生を送るに相応しい、
熱の籠った舞台になっていたと思います。
是非役者の熱演を観に、
テントに足をお運び頂きたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
「Le Fils 息子」 [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
フランスの劇作家で映画監督のフロリアン・ゼレールの作品2作品が、
今池袋の芸術劇場で同時上演されています。
これは家族3部作として知られるもので、
発表順に「母」、「父」、「息子」の3作が書かれ、
そのうちの「母」と「息子」が、
メインキャストは同一で上演されています。
ゼレールを知ったのは、
「父」を映画化した「ファーザー」で感銘を受けたことが最初で、
認知症の「父」の内面世界を、
現実と幻想が入り混じる、
心理ミステリーのように描いた傑作でした。
戯曲は日本でも既に上演されていたのですが、
未見であったことをとても後悔しました。
「息子」も作者自身の監督で「The Son 息子」として、
2022年に映画化され、2023年に日本公開されています。
これは観るかどうか非常に迷ったのですが、
矢張り戯曲はまず舞台で観たいという思いが強かったので、
映画は敢えて鑑賞せず、
今回の舞台を観てから、
改めて配信で映画版も観ました。
これはどう考えても舞台版の方が素晴らしくて、
映画は「ファーザー」のような成功はしていませんでした。
戯曲は家族3部作の中でも完成度は抜群に高くて、
現実と幻想が混合するような感じは、
「母」や「父」のようには強くなく、
ラストにちょっとある程度で、
一番古典的な構成を取っています。
チェホフをかなり意識したような作劇で、
ラストの「人生が続いてゆく」という台詞はモロにそうですし、
クライマックスも、
一時的に幸福な対話を交わす元夫婦の背後で、
突然銃声が鳴り響くという、
極めて古典劇的な手法を取っています。
枠組みは古典的な家族の悲劇ですが、
実体のない不安に苛まれ、
それを「親のせい」という社会的言語に置き換えて、
ただひたすらに親を責め続ける息子や、
父という枠組みや「不倫は悪」という観念に苛まれ、
人間性を失ってゆく父親の姿には、
間違いなく現代の不安と恐怖とが息づいています。
人物の掘り下げが極めて緻密かつ巧みで、
チェホフの構成美にイプセンの暴力性が、
差し挟まれているという感じです。
極めて現代的にリニューアルされた、
古典劇的傑作だと思います。
今回の上演は岡本健一さんと圭人さんという、
実際の親子が劇中の親子を演じるという趣向が、
なかなか上手く機能していて良かったと思います。
精神科医を演じた浜田信也さんが儲け役で、
正論を言っているのに何処か胡散臭い、
というおそらく作品の元イメージを超えたディテールが、
作品に膨らみを与えていたと思います。
映画版は正直あまり良くありませんでした。
多くの方が思っていたように、
ヒュー・ジャクマンは明らかなミスキャストで、
とてもエリート弁護士には見えませんでしたし、
ラストは戯曲をそのままやっているのですが、
演劇なら終われても、
映画ではとても終われないようなラストになっていて、
これじゃ駄目だと思いました。
また、よりリアルさが要求される映像に向けて、
ディテールの作りも甘いと感じました。
ただ、それでは今回の翻訳上演が舞台として素晴らしかったかと言うと、
演出と翻訳に関しては疑問もありました。
母が息子に対して「私の愛しい人」みたいなことを、
平気で言うような台本になっていて、
これはもうちょっとこなれた日本語になるように、
検討する必要があったように感じました。
上演台本としては、
もっと自由度のある翻訳で良かったのではないでしょうか?
また演出が場の終わりに、
場面自体を説明するような音効をダラダラと流しながら、
ゆっくり場面転換するような趣向を取っていて、
それが役者の感情を説明してしまっているので、
観客の想像力を奪う感じとなって、
個人的には逆効果であるように感じました。
この作品はともかく台詞が素晴らしいので、
それをシンプルに伝えることが、
最良の演出ではないのかと思うのです。
海外の演出家は、
往々にしてやり過ぎ感があって、
日本語の台詞をネイティブとして聞くことが出来ないので、
当然と言えなくもないのですが、
視覚面のみ派手で、
台詞が大事にされていないと感じることが多いのですが、
今回も同じような印象を持ちました。
そんな訳でまた是非上演を重ねて欲しい傑作で、
次回は別のプロダクションでの上演も、
観たいと思いました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
フランスの劇作家で映画監督のフロリアン・ゼレールの作品2作品が、
今池袋の芸術劇場で同時上演されています。
これは家族3部作として知られるもので、
発表順に「母」、「父」、「息子」の3作が書かれ、
そのうちの「母」と「息子」が、
メインキャストは同一で上演されています。
ゼレールを知ったのは、
「父」を映画化した「ファーザー」で感銘を受けたことが最初で、
認知症の「父」の内面世界を、
現実と幻想が入り混じる、
心理ミステリーのように描いた傑作でした。
戯曲は日本でも既に上演されていたのですが、
未見であったことをとても後悔しました。
「息子」も作者自身の監督で「The Son 息子」として、
2022年に映画化され、2023年に日本公開されています。
これは観るかどうか非常に迷ったのですが、
矢張り戯曲はまず舞台で観たいという思いが強かったので、
映画は敢えて鑑賞せず、
今回の舞台を観てから、
改めて配信で映画版も観ました。
これはどう考えても舞台版の方が素晴らしくて、
映画は「ファーザー」のような成功はしていませんでした。
戯曲は家族3部作の中でも完成度は抜群に高くて、
現実と幻想が混合するような感じは、
「母」や「父」のようには強くなく、
ラストにちょっとある程度で、
一番古典的な構成を取っています。
チェホフをかなり意識したような作劇で、
ラストの「人生が続いてゆく」という台詞はモロにそうですし、
クライマックスも、
一時的に幸福な対話を交わす元夫婦の背後で、
突然銃声が鳴り響くという、
極めて古典劇的な手法を取っています。
枠組みは古典的な家族の悲劇ですが、
実体のない不安に苛まれ、
それを「親のせい」という社会的言語に置き換えて、
ただひたすらに親を責め続ける息子や、
父という枠組みや「不倫は悪」という観念に苛まれ、
人間性を失ってゆく父親の姿には、
間違いなく現代の不安と恐怖とが息づいています。
人物の掘り下げが極めて緻密かつ巧みで、
チェホフの構成美にイプセンの暴力性が、
差し挟まれているという感じです。
極めて現代的にリニューアルされた、
古典劇的傑作だと思います。
今回の上演は岡本健一さんと圭人さんという、
実際の親子が劇中の親子を演じるという趣向が、
なかなか上手く機能していて良かったと思います。
精神科医を演じた浜田信也さんが儲け役で、
正論を言っているのに何処か胡散臭い、
というおそらく作品の元イメージを超えたディテールが、
作品に膨らみを与えていたと思います。
映画版は正直あまり良くありませんでした。
多くの方が思っていたように、
ヒュー・ジャクマンは明らかなミスキャストで、
とてもエリート弁護士には見えませんでしたし、
ラストは戯曲をそのままやっているのですが、
演劇なら終われても、
映画ではとても終われないようなラストになっていて、
これじゃ駄目だと思いました。
また、よりリアルさが要求される映像に向けて、
ディテールの作りも甘いと感じました。
ただ、それでは今回の翻訳上演が舞台として素晴らしかったかと言うと、
演出と翻訳に関しては疑問もありました。
母が息子に対して「私の愛しい人」みたいなことを、
平気で言うような台本になっていて、
これはもうちょっとこなれた日本語になるように、
検討する必要があったように感じました。
上演台本としては、
もっと自由度のある翻訳で良かったのではないでしょうか?
また演出が場の終わりに、
場面自体を説明するような音効をダラダラと流しながら、
ゆっくり場面転換するような趣向を取っていて、
それが役者の感情を説明してしまっているので、
観客の想像力を奪う感じとなって、
個人的には逆効果であるように感じました。
この作品はともかく台詞が素晴らしいので、
それをシンプルに伝えることが、
最良の演出ではないのかと思うのです。
海外の演出家は、
往々にしてやり過ぎ感があって、
日本語の台詞をネイティブとして聞くことが出来ないので、
当然と言えなくもないのですが、
視覚面のみ派手で、
台詞が大事にされていないと感じることが多いのですが、
今回も同じような印象を持ちました。
そんな訳でまた是非上演を重ねて欲しい傑作で、
次回は別のプロダクションでの上演も、
観たいと思いました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。