「異人たち」 [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
山田太一さんの「異人たちとの夏」を原作とした映画が、
イギリス版として今公開されています。
これは1988年に市川森一さんが脚本、
大林宜彦監督の日本版があって、
封切りの時に映画館で観ています。
これは多くの方が言っているように、
すき焼き屋さんの別れの場面など、
大林監督のフィルモグラフィの中でも、
屈指の名場面がありながら、
ラストがゴーストバスターズみたいになって、
安っぽいSFXシーンが繰り広げられるので、
とてもとてもガッカリしたことを、
今でも鮮明に覚えています。
30年前なのにこれだけリアルに再現出来る記憶もあまりなく、
その意味では強烈な映画体験の1つでした。
でもまあ、それこそ大林監督らしい、
と言えなくもありません。
物凄く愛していて、物凄く感動させられて、
それでいて無意味に間抜けで、
何度も裏切られるというのが、
大林映画の唯一無二の魅力であり、
欠点でもあるからです。
「ここまでこんなに頑張ったのに、
何で肝心のところでこんなに滅茶苦茶にしちゃうの」
という映画が沢山あります。
ただ、この映画に関してはちょっと気の毒な部分があるのは、
原作自体も最後のオカルトパートは、
そのまま忠実に映画化したとしても、
少しお間抜けな印象はあるのです。
今回のイギリス版は、
映画ということではなく、
山田太一さんの小説の映画化で、
大林映画のような急なラストの転調はないのですが、
最後はちょっとビックリする感じになっていて、
これは言ってしまっても良いと思うのですが、
懐メロが大音響で流れる中、
主人公が星になるんですね。
真面目に空の星になるのです。
このラストに感動された方もいらっしゃると思うので、
これはもう個人の感性と好みの問題なのですが、
個人的には相当脱力しました。
ある意味大林版とおなじくらいビックリです。
これ、70年代のロックオペラみたいな終わり方ですよね。
それまでとても抑制的なタッチで展開していて、
いいな、いいなと思っていたのに、
これはどうなのかしら。
もっと静かな終わりで良かったのではないかと、
個人的には思いました。
これ、原作をゲイの話にしているんですね。
まあ、今映画化するとすれば、
こうした感じになりますよね。
ロンドンの人気のない集合住宅に、
酒とドラッグとセックスの退廃的な日々というのは、
「トレインスポッティング」みたいな感じもありますね。
まあそれがイギリスで映画化する意味、
ということなのかも知れません。
この物語の「異人」というのは、
足もあるし鏡にも映るし、昼間も平気だし、
全く普通なんですね。
異常なのは、両親と息子が同じ年まわり、
ということで、
その異常さだけで異界を成立させてしまう、
というのがこのお話の一番のオリジナリティである、
という気がします。
結局生きている人間の方が狂わざるを得なくなるんですね。
それがこの話の不気味さの本質だと思います。
イギリス的な濃密さに満ちた佳品で、
まずまずの見応えがありますが、
かなり特異な感性で成立している映画なので、
好き嫌いは分かれると思います。
鈴木亮平さんの「エゴイスト」に近い感じもありますね。
孤独故の熱情を、偏執狂的に描いた映画です。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
山田太一さんの「異人たちとの夏」を原作とした映画が、
イギリス版として今公開されています。
これは1988年に市川森一さんが脚本、
大林宜彦監督の日本版があって、
封切りの時に映画館で観ています。
これは多くの方が言っているように、
すき焼き屋さんの別れの場面など、
大林監督のフィルモグラフィの中でも、
屈指の名場面がありながら、
ラストがゴーストバスターズみたいになって、
安っぽいSFXシーンが繰り広げられるので、
とてもとてもガッカリしたことを、
今でも鮮明に覚えています。
30年前なのにこれだけリアルに再現出来る記憶もあまりなく、
その意味では強烈な映画体験の1つでした。
でもまあ、それこそ大林監督らしい、
と言えなくもありません。
物凄く愛していて、物凄く感動させられて、
それでいて無意味に間抜けで、
何度も裏切られるというのが、
大林映画の唯一無二の魅力であり、
欠点でもあるからです。
「ここまでこんなに頑張ったのに、
何で肝心のところでこんなに滅茶苦茶にしちゃうの」
という映画が沢山あります。
ただ、この映画に関してはちょっと気の毒な部分があるのは、
原作自体も最後のオカルトパートは、
そのまま忠実に映画化したとしても、
少しお間抜けな印象はあるのです。
今回のイギリス版は、
映画ということではなく、
山田太一さんの小説の映画化で、
大林映画のような急なラストの転調はないのですが、
最後はちょっとビックリする感じになっていて、
これは言ってしまっても良いと思うのですが、
懐メロが大音響で流れる中、
主人公が星になるんですね。
真面目に空の星になるのです。
このラストに感動された方もいらっしゃると思うので、
これはもう個人の感性と好みの問題なのですが、
個人的には相当脱力しました。
ある意味大林版とおなじくらいビックリです。
これ、70年代のロックオペラみたいな終わり方ですよね。
それまでとても抑制的なタッチで展開していて、
いいな、いいなと思っていたのに、
これはどうなのかしら。
もっと静かな終わりで良かったのではないかと、
個人的には思いました。
これ、原作をゲイの話にしているんですね。
まあ、今映画化するとすれば、
こうした感じになりますよね。
ロンドンの人気のない集合住宅に、
酒とドラッグとセックスの退廃的な日々というのは、
「トレインスポッティング」みたいな感じもありますね。
まあそれがイギリスで映画化する意味、
ということなのかも知れません。
この物語の「異人」というのは、
足もあるし鏡にも映るし、昼間も平気だし、
全く普通なんですね。
異常なのは、両親と息子が同じ年まわり、
ということで、
その異常さだけで異界を成立させてしまう、
というのがこのお話の一番のオリジナリティである、
という気がします。
結局生きている人間の方が狂わざるを得なくなるんですね。
それがこの話の不気味さの本質だと思います。
イギリス的な濃密さに満ちた佳品で、
まずまずの見応えがありますが、
かなり特異な感性で成立している映画なので、
好き嫌いは分かれると思います。
鈴木亮平さんの「エゴイスト」に近い感じもありますね。
孤独故の熱情を、偏執狂的に描いた映画です。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。