瓦屋禅寺「十一面千手千眼観世音菩薩」(特別大開帳) [仏像]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診ですが、
終日レセプト作業の予定です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
滋賀県の東近江市にある瓦屋禅寺という歴史のある山寺で、
50年ぶりのご本尊の御開帳が本日まで行われています。
次回の御開帳は33年後ということで、
ほぼほぼ次回は伺うのは無理なので、
気合を入れて出掛けることにしました。
赤神山という神聖なお山があり、
その中腹に阿賀神社という神社があります。
山の中腹に巨大なお社が張り付くようにして建っていて、
これだけでもなかなかの奇観なのですが、
そこから更に山道を1キロほど登ったところに、
瓦屋禅寺はあります。
もともと聖徳太子が四天王寺に使う瓦をそこに求めた、
というところにその名前があり、
太子創建と伝わります。
それはまあ伝説に近いものですが、
かなりの歴史のある古寺であることは間違いがありません。
そのご本尊が本堂の厨子の中に安置されている、
十一面千手千眼観世音菩薩(お寺の記載による)で、
その扉が開くのは少なくとも33年に一度です。
こちらも聖徳太子作とされていますが、
平安時代後期の作と考えられています。
こちらはともかく雰囲気が素晴らしいんですね。
山寺ですが荒れた感じはまるでなくて、
それでいて現代化されているということでもありません。
こちらをご覧ください。
ご本尊の厨子が安置されている本堂です。
美しいでしょ。
茅葺屋根がこれ以上ないくらい端正に整えられています。
赤い毛氈も鮮やかで、御開帳の気分を盛り上げてくれます。
地方の御開帳の常で、
地域の方たちが総出で受付やお堂で出迎えてくれます。
仏像も素晴らしかったですね。
山城の寿宝寺の千手観音に近い作例で、
金箔をはらない地方仏の雰囲気が好ましく、
秘仏の霊像としての風格があります。
仏像としての出来栄えは寿宝寺と拮抗する感じですが、
その保存状態と雰囲気はこちらの方が遥かに上です。
多分造られてから、
数年くらいの期間しか、
外の風には触れていないのですね。
そのためにその外観は非常に生々しく、
全体から中世の風と香りが、
漂って来るような思いがします。
彩色は最小限度ですが、
口元の朱も鮮やかに残っています。
周辺の雰囲気はもう最高で、
厨子の載った須弥壇の四方は四天王像に守られ、
堂々たる本堂の外には、
端正に整えられた森が広がっています。
本堂でも地域の人が立ち会っているので、
じっくりと間近に寄って、
ご本尊を鑑賞することが出来るのです。
仏像の素晴らしさと御開帳というものの素晴らしさに、
心を満たされたひと時でした。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診ですが、
終日レセプト作業の予定です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
滋賀県の東近江市にある瓦屋禅寺という歴史のある山寺で、
50年ぶりのご本尊の御開帳が本日まで行われています。
次回の御開帳は33年後ということで、
ほぼほぼ次回は伺うのは無理なので、
気合を入れて出掛けることにしました。
赤神山という神聖なお山があり、
その中腹に阿賀神社という神社があります。
山の中腹に巨大なお社が張り付くようにして建っていて、
これだけでもなかなかの奇観なのですが、
そこから更に山道を1キロほど登ったところに、
瓦屋禅寺はあります。
もともと聖徳太子が四天王寺に使う瓦をそこに求めた、
というところにその名前があり、
太子創建と伝わります。
それはまあ伝説に近いものですが、
かなりの歴史のある古寺であることは間違いがありません。
そのご本尊が本堂の厨子の中に安置されている、
十一面千手千眼観世音菩薩(お寺の記載による)で、
その扉が開くのは少なくとも33年に一度です。
こちらも聖徳太子作とされていますが、
平安時代後期の作と考えられています。
こちらはともかく雰囲気が素晴らしいんですね。
山寺ですが荒れた感じはまるでなくて、
それでいて現代化されているということでもありません。
こちらをご覧ください。
ご本尊の厨子が安置されている本堂です。
美しいでしょ。
茅葺屋根がこれ以上ないくらい端正に整えられています。
赤い毛氈も鮮やかで、御開帳の気分を盛り上げてくれます。
地方の御開帳の常で、
地域の方たちが総出で受付やお堂で出迎えてくれます。
仏像も素晴らしかったですね。
山城の寿宝寺の千手観音に近い作例で、
金箔をはらない地方仏の雰囲気が好ましく、
秘仏の霊像としての風格があります。
仏像としての出来栄えは寿宝寺と拮抗する感じですが、
その保存状態と雰囲気はこちらの方が遥かに上です。
多分造られてから、
数年くらいの期間しか、
外の風には触れていないのですね。
そのためにその外観は非常に生々しく、
全体から中世の風と香りが、
漂って来るような思いがします。
彩色は最小限度ですが、
口元の朱も鮮やかに残っています。
周辺の雰囲気はもう最高で、
厨子の載った須弥壇の四方は四天王像に守られ、
堂々たる本堂の外には、
端正に整えられた森が広がっています。
本堂でも地域の人が立ち会っているので、
じっくりと間近に寄って、
ご本尊を鑑賞することが出来るのです。
仏像の素晴らしさと御開帳というものの素晴らしさに、
心を満たされたひと時でした。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
銅像阿弥陀如来坐像(百草八幡神社奉安殿安置本地仏) [仏像]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
東京日野市にある百草(もぐさ)八幡神社のお祭りが、
2023年は9月16日に催され、
それに伴って本地仏として境内の奉安殿に安置されている、
国指定重要文化財の銅像阿弥陀如来坐像が、
公開されました。
これは神社の近くの壁に貼られていたご案内です。
それからもう1枚。
こちらは奉安殿の傍に立てられていた、
解説の立て札です。
もともと古くから近くにあった、
真慈悲寺というお寺に安置されていた仏様で、
鎌倉時代の1250年に造られたことが銘文で証明されています。
真慈悲寺が廃寺となった後、
本地仏として神社の境内に安置されるようになったようです。
その由来が明確な点もあって、
国の重要文化財に指定されています。
たまたま時間的に可能だったので、
急に思い立って拝観させて頂いたのですが、
非常に素晴らしくて感銘を受けました。
地元のお祭りが盛大に行われていて、
その傍らで御開帳もある、という感じなのですが、
小さな収蔵庫の扉が開かれていて、
中に入ることは出来ませんが、
格子やガラスなどはなく、
間近からストレスなく拝観することが出来ました。
傍に懐中電灯が置かれていて、
地元の人が「それで照らして見ると良く見えますよ」
と言ってくれました。
像高は40センチですから比較的小さな仏様ですが、
実際に相対してみると、
決して小さいという感じは受けなくて、
むしろかなり堂々とした力感を感じます。
そのフォルムの繊細な美しさを含めて、
古仏の素晴らしさを堪能出来る逸品でした。
いずれにしても周囲の華やいだ雰囲気や、
近所の人達がたのしげに集う感じ、
そこで御開帳が行われるという、
その特別感が何より素晴らしく、
これこそ御開帳というものの1つの理想形ではないかしら、
という気持ちにさせられたのです。
素敵でした。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は祝日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
東京日野市にある百草(もぐさ)八幡神社のお祭りが、
2023年は9月16日に催され、
それに伴って本地仏として境内の奉安殿に安置されている、
国指定重要文化財の銅像阿弥陀如来坐像が、
公開されました。
これは神社の近くの壁に貼られていたご案内です。
それからもう1枚。
こちらは奉安殿の傍に立てられていた、
解説の立て札です。
もともと古くから近くにあった、
真慈悲寺というお寺に安置されていた仏様で、
鎌倉時代の1250年に造られたことが銘文で証明されています。
真慈悲寺が廃寺となった後、
本地仏として神社の境内に安置されるようになったようです。
その由来が明確な点もあって、
国の重要文化財に指定されています。
たまたま時間的に可能だったので、
急に思い立って拝観させて頂いたのですが、
非常に素晴らしくて感銘を受けました。
地元のお祭りが盛大に行われていて、
その傍らで御開帳もある、という感じなのですが、
小さな収蔵庫の扉が開かれていて、
中に入ることは出来ませんが、
格子やガラスなどはなく、
間近からストレスなく拝観することが出来ました。
傍に懐中電灯が置かれていて、
地元の人が「それで照らして見ると良く見えますよ」
と言ってくれました。
像高は40センチですから比較的小さな仏様ですが、
実際に相対してみると、
決して小さいという感じは受けなくて、
むしろかなり堂々とした力感を感じます。
そのフォルムの繊細な美しさを含めて、
古仏の素晴らしさを堪能出来る逸品でした。
いずれにしても周囲の華やいだ雰囲気や、
近所の人達がたのしげに集う感じ、
そこで御開帳が行われるという、
その特別感が何より素晴らしく、
これこそ御開帳というものの1つの理想形ではないかしら、
という気持ちにさせられたのです。
素敵でした。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
影向寺薬師如来座像 [仏像]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日羽日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日は久しぶりに仏像の話題です。
神奈川県川崎市の影向寺(ようごうじ)は、
神奈川県でも有数の古刹で、
その創建は奈良時代に遡り、
重要文化財のご本尊は、
平安時代後期の名品として知られています。
こちらも関東地方では有数の古仏です。
年に数回はご開帳があるのですが、
タイミングが合わなかったことと、
ガラス戸越しの拝観になる、
ということを聞いていたので、
「それじゃああな」と思ってこれまで足を向けませんでした。
今回寅年の七薬師ご開帳という、
12年に一度の機会があり、
これは行かなくてとレセプト期間中でしたが、
無理に足を運びました。
住宅地ではあるんですが、
とても不便なところにあるんですね。
行きはタクシーを使ったのですが、
帰りはもよりの駅まで、
30分くらい掛けて迷いながら歩きました。
でね、素晴らしかったですよ。
もっと早くにお逢いすれば良かったと後悔しました。
まずこちらをご覧下さい。
薬師堂という本堂です。
江戸時代の建築でなかなかの風格がありますよね。
少し近寄りましょう。
それほど大きなお寺ではないのですが、
開発は進んでいるものの周辺の田園を含めて、
奈良や京都の古寺に引けを取らない風格と趣きがあります。
控えめに言って最高です。
薬師如来はこの薬師堂のご本尊だったのですが、
文化財として貴重なものなので、
現在は本堂の裏手の収蔵庫に安置されています。
今の薬師堂にはお前立ち的な新しいお像が安置されています。
それでは裏手に廻ります。
こちらです。
画面の右が本堂の裏手で、
左にあるのが収蔵庫なんですね。
丁度元のご本尊の位置をそのまま後ろにずらすと、
今のご本尊のいらっしゃる位置になるんですね。
本堂の正面で手を合わせれば、
自然と本当のご本尊に向かい合うようになる訳です。
とても良く考えられていると感心しました。
それでは収蔵庫の仏様にお逢いします。
収蔵庫のガラス戸を開き、
その入り口から拝観するという形式です。
収蔵庫の中にはその日の檀家の当番の方が立ち会います。
お写真は撮って頂いて構わないと許可を頂きましたので、
大変失礼ではありますが撮影させて頂きました。
ご本尊のお姿がこちらです。
素晴らしいですね。
平安時代後期の特徴を強く持っている端正なお姿なのですが、
木彫りのままで金箔などはまとっていないのですね。
地方仏の素朴さも併せ持っているのがこの仏様の魅力です。
ちょっと平安時代初期の幽玄な力強さも感じられます。
素敵です。
もう一枚近接でお撮りしました。
うん。素晴らしいですね。
何度も何度も目に焼き付けるようにして、
その場を後にしました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日羽日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日は久しぶりに仏像の話題です。
神奈川県川崎市の影向寺(ようごうじ)は、
神奈川県でも有数の古刹で、
その創建は奈良時代に遡り、
重要文化財のご本尊は、
平安時代後期の名品として知られています。
こちらも関東地方では有数の古仏です。
年に数回はご開帳があるのですが、
タイミングが合わなかったことと、
ガラス戸越しの拝観になる、
ということを聞いていたので、
「それじゃああな」と思ってこれまで足を向けませんでした。
今回寅年の七薬師ご開帳という、
12年に一度の機会があり、
これは行かなくてとレセプト期間中でしたが、
無理に足を運びました。
住宅地ではあるんですが、
とても不便なところにあるんですね。
行きはタクシーを使ったのですが、
帰りはもよりの駅まで、
30分くらい掛けて迷いながら歩きました。
でね、素晴らしかったですよ。
もっと早くにお逢いすれば良かったと後悔しました。
まずこちらをご覧下さい。
薬師堂という本堂です。
江戸時代の建築でなかなかの風格がありますよね。
少し近寄りましょう。
それほど大きなお寺ではないのですが、
開発は進んでいるものの周辺の田園を含めて、
奈良や京都の古寺に引けを取らない風格と趣きがあります。
控えめに言って最高です。
薬師如来はこの薬師堂のご本尊だったのですが、
文化財として貴重なものなので、
現在は本堂の裏手の収蔵庫に安置されています。
今の薬師堂にはお前立ち的な新しいお像が安置されています。
それでは裏手に廻ります。
こちらです。
画面の右が本堂の裏手で、
左にあるのが収蔵庫なんですね。
丁度元のご本尊の位置をそのまま後ろにずらすと、
今のご本尊のいらっしゃる位置になるんですね。
本堂の正面で手を合わせれば、
自然と本当のご本尊に向かい合うようになる訳です。
とても良く考えられていると感心しました。
それでは収蔵庫の仏様にお逢いします。
収蔵庫のガラス戸を開き、
その入り口から拝観するという形式です。
収蔵庫の中にはその日の檀家の当番の方が立ち会います。
お写真は撮って頂いて構わないと許可を頂きましたので、
大変失礼ではありますが撮影させて頂きました。
ご本尊のお姿がこちらです。
素晴らしいですね。
平安時代後期の特徴を強く持っている端正なお姿なのですが、
木彫りのままで金箔などはまとっていないのですね。
地方仏の素朴さも併せ持っているのがこの仏様の魅力です。
ちょっと平安時代初期の幽玄な力強さも感じられます。
素敵です。
もう一枚近接でお撮りしました。
うん。素晴らしいですね。
何度も何度も目に焼き付けるようにして、
その場を後にしました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
応長地蔵と二十五菩薩(元箱根石仏群) [仏像]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日は元箱根の素晴らしい石仏をご紹介します。
前回の記事で「六道地蔵」をご紹介しましたが、
今回は応長地蔵と、
元箱根石仏群の白眉である、
「二十五菩薩」の刻まれた仏像岩をご紹介します。
元箱根石仏群は戦前の遺跡を分断する道路整備や、
観光スポットとしての認知度の低さから、
半ば風化し消滅の危機にあったのですが、
1988年より10年を掛けて大規模な修復が行われて、
かつての輝きと荘厳さが復活しました。
しかし、それから更に20年が経過し、
整備された遊歩道は雑草や雑木に埋もれ、
石仏群は再び埋もれ始めているように思われます。
個人的にはその感じがとても心地良くて、
誰にも邪魔されることなく、
静かに仏様に向き合うことが出来るのです。
まずこちらをご覧下さい。
死者を送る儀式の、
道しるべとして安置されたと推定される、
応長地蔵と呼ばれている仏様です。
1311年の銘文があり、
鎌倉時代後期の古仏であることが確認されています。
小さいのですが美しい造形で、
古仏の魅力に満ちています。
風化も進んでおらず、
造仏当時の姿を想像することが出来ます。
手を合わせてから先に進みます。
この応長地蔵から、
今は踏み分け道のようになった遊歩道を、
そこから更にずんずんと進んで行きます。
しばらくして、
前方に複雑に折りたたまれた、
巨大な岩が現れます。
こちらをご覧下さい。
多くの石仏が巨大な岩のあちこちに刻まれています。
いずれも鎌倉時代の後期から刻まれて、
ある程度の長い期間を経て成立したものと思われます。
全部で26体の石仏が刻まれていることが分かっています。
その多くは地蔵菩薩ですが、
違うものも幾つか含まれています。
次にこちらをご覧下さい。
遊歩道正面右側にある、
最も造形的に優れた地蔵菩薩のお姿です。
保存も良く古仏の素晴らしさに溢れています。
地蔵菩薩の石仏としては、
全国的にも屈指のものだと思います。
次にこちらをご覧下さい、
多くの地蔵菩薩が彫り込まれています。
次に岩の裏側に回ります。
こちらをご覧下さい。
ここから更に裏に回ると、
この仏像岩で最も素晴らしい仏様に出逢います。
こちらです。
足場が少し悪いのですが、もう少し近づきます。
こちらをご覧下さい。
阿弥陀如来と思われる石仏で、
最も完成度の高いものです。
素晴らしいですよね。
鎌倉時代後期よりは、
時代はもう少し下る可能性がありますが、
いずれにしても石仏屈指の名作の1つだと思います。
石仏というのは、
あまり顧みられることもなく、
風化し消滅することが宿命の儚い藝術ですが、
それがまた魅力でもあるのです。
これからも良い石仏に出逢えることを期待したいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日は元箱根の素晴らしい石仏をご紹介します。
前回の記事で「六道地蔵」をご紹介しましたが、
今回は応長地蔵と、
元箱根石仏群の白眉である、
「二十五菩薩」の刻まれた仏像岩をご紹介します。
元箱根石仏群は戦前の遺跡を分断する道路整備や、
観光スポットとしての認知度の低さから、
半ば風化し消滅の危機にあったのですが、
1988年より10年を掛けて大規模な修復が行われて、
かつての輝きと荘厳さが復活しました。
しかし、それから更に20年が経過し、
整備された遊歩道は雑草や雑木に埋もれ、
石仏群は再び埋もれ始めているように思われます。
個人的にはその感じがとても心地良くて、
誰にも邪魔されることなく、
静かに仏様に向き合うことが出来るのです。
まずこちらをご覧下さい。
死者を送る儀式の、
道しるべとして安置されたと推定される、
応長地蔵と呼ばれている仏様です。
1311年の銘文があり、
鎌倉時代後期の古仏であることが確認されています。
小さいのですが美しい造形で、
古仏の魅力に満ちています。
風化も進んでおらず、
造仏当時の姿を想像することが出来ます。
手を合わせてから先に進みます。
この応長地蔵から、
今は踏み分け道のようになった遊歩道を、
そこから更にずんずんと進んで行きます。
しばらくして、
前方に複雑に折りたたまれた、
巨大な岩が現れます。
こちらをご覧下さい。
多くの石仏が巨大な岩のあちこちに刻まれています。
いずれも鎌倉時代の後期から刻まれて、
ある程度の長い期間を経て成立したものと思われます。
全部で26体の石仏が刻まれていることが分かっています。
その多くは地蔵菩薩ですが、
違うものも幾つか含まれています。
次にこちらをご覧下さい。
遊歩道正面右側にある、
最も造形的に優れた地蔵菩薩のお姿です。
保存も良く古仏の素晴らしさに溢れています。
地蔵菩薩の石仏としては、
全国的にも屈指のものだと思います。
次にこちらをご覧下さい、
多くの地蔵菩薩が彫り込まれています。
次に岩の裏側に回ります。
こちらをご覧下さい。
ここから更に裏に回ると、
この仏像岩で最も素晴らしい仏様に出逢います。
こちらです。
足場が少し悪いのですが、もう少し近づきます。
こちらをご覧下さい。
阿弥陀如来と思われる石仏で、
最も完成度の高いものです。
素晴らしいですよね。
鎌倉時代後期よりは、
時代はもう少し下る可能性がありますが、
いずれにしても石仏屈指の名作の1つだと思います。
石仏というのは、
あまり顧みられることもなく、
風化し消滅することが宿命の儚い藝術ですが、
それがまた魅力でもあるのです。
これからも良い石仏に出逢えることを期待したいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
元箱根石仏 六道地蔵 [仏像]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
最近最も感動したのは元箱根の石仏群に出逢ったことです。
石仏マニアというような方が、
全国にどれだけいらっしゃるのか分かりませんが、
そうした方には「何を今更言っているんだ!」
と言われるかも知れません。
僕はこれまでスルーしていましたが、
石仏の古仏としては名所中の名所の1つであるからです。
箱根の国道1号沿いにひっそりと佇んでいるのが、
国内屈指の石仏群である元箱根石仏群です。
まずこちらをご覧ください。
元箱根石仏群は1988年から1998年に掛けて、
大規模な修復と整備が行われました。
それ以前は、風化し、
ほぼ土に埋もれかけていたのです。
その時に同時に整備されたのがこの「石仏群と歴史館」の建物です。
それから20年余が経過し、
歴史館は不気味な納屋のようになり、
館内にはお化け屋敷めいた気配が漂っています。
整備された遊歩道も、
次第に草木に埋もれ始めています。
その風化の具合が、
実に実にいいのです。
石仏というものはこうでなくてはいけません。
この歴史館から国道から精進池という池のほとりに降りると、
今では踏み分け道のようにしか見えない、
遊歩道が叢の中を伸びています。
そこを少し歩くと、
トンネルが現れ、
そこを潜って国道の反対側に出ると、
元箱根石仏群の最初のクライマックスが待っています。
こちらをご覧ください。
本当に六道の辻みたいなんですよね。
不気味な石塔があって、
石が積まれていて、
その向こうに巨大な転石を覆う、
覆い屋が建っています。
修復前には石仏が摩崖仏として剥き出しになっていたのですが、
そこに立派な覆い屋が造られたのです。
その開かれた扉の向こうに、
俗称六道地蔵がおられます。
こちらです。
座像ですが高さは3.5メートルに及びます。
銘文があって、
1300年鎌倉時代の後期に造られてことが分かっています。
この堂々たるお姿、この幽玄な雰囲気、
素晴らしいですよね。
拝観した瞬間に鳥肌が立ちました。
石仏はね、
鎌倉時代以前のものはとても希少で、
貴重な存在であるのです。
戦国時代以降には石仏が大量生産されたのですが、
それ以降のものとそれ以前のものとは、
その魂のグレードが違います。
そして、これだけ大きなものは、
それも古仏では非常に希少です。
もう少し近づきましょう。
お顔の感じが他と雰囲気が違いますね。
おそらく何処かで補修が加わったように思われます。
残念ではあるのですが、
実際に拝観すると、
それほどの違和感はありません。
古仏の素晴らしさに満ちているのです。
この侘び寂びの雰囲気、
打ち捨てられた感じ、
そして風化直前の美の極致。
これぞ石仏という素晴らしさです。
元箱根の石仏はまだまだありますが、
今日はこのくらいで失礼します。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
最近最も感動したのは元箱根の石仏群に出逢ったことです。
石仏マニアというような方が、
全国にどれだけいらっしゃるのか分かりませんが、
そうした方には「何を今更言っているんだ!」
と言われるかも知れません。
僕はこれまでスルーしていましたが、
石仏の古仏としては名所中の名所の1つであるからです。
箱根の国道1号沿いにひっそりと佇んでいるのが、
国内屈指の石仏群である元箱根石仏群です。
まずこちらをご覧ください。
元箱根石仏群は1988年から1998年に掛けて、
大規模な修復と整備が行われました。
それ以前は、風化し、
ほぼ土に埋もれかけていたのです。
その時に同時に整備されたのがこの「石仏群と歴史館」の建物です。
それから20年余が経過し、
歴史館は不気味な納屋のようになり、
館内にはお化け屋敷めいた気配が漂っています。
整備された遊歩道も、
次第に草木に埋もれ始めています。
その風化の具合が、
実に実にいいのです。
石仏というものはこうでなくてはいけません。
この歴史館から国道から精進池という池のほとりに降りると、
今では踏み分け道のようにしか見えない、
遊歩道が叢の中を伸びています。
そこを少し歩くと、
トンネルが現れ、
そこを潜って国道の反対側に出ると、
元箱根石仏群の最初のクライマックスが待っています。
こちらをご覧ください。
本当に六道の辻みたいなんですよね。
不気味な石塔があって、
石が積まれていて、
その向こうに巨大な転石を覆う、
覆い屋が建っています。
修復前には石仏が摩崖仏として剥き出しになっていたのですが、
そこに立派な覆い屋が造られたのです。
その開かれた扉の向こうに、
俗称六道地蔵がおられます。
こちらです。
座像ですが高さは3.5メートルに及びます。
銘文があって、
1300年鎌倉時代の後期に造られてことが分かっています。
この堂々たるお姿、この幽玄な雰囲気、
素晴らしいですよね。
拝観した瞬間に鳥肌が立ちました。
石仏はね、
鎌倉時代以前のものはとても希少で、
貴重な存在であるのです。
戦国時代以降には石仏が大量生産されたのですが、
それ以降のものとそれ以前のものとは、
その魂のグレードが違います。
そして、これだけ大きなものは、
それも古仏では非常に希少です。
もう少し近づきましょう。
お顔の感じが他と雰囲気が違いますね。
おそらく何処かで補修が加わったように思われます。
残念ではあるのですが、
実際に拝観すると、
それほどの違和感はありません。
古仏の素晴らしさに満ちているのです。
この侘び寂びの雰囲気、
打ち捨てられた感じ、
そして風化直前の美の極致。
これぞ石仏という素晴らしさです。
元箱根の石仏はまだまだありますが、
今日はこのくらいで失礼します。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
興福寺南円堂(リニューアル) [仏像]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診ですが、
レセプト作業が追い込みで間に合わないので、
泊まり込みでクリニックにいます。
泣きそうです。
日曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
これは興福寺の南円堂です。
先日奈良に行きましたが、
その主な目的な興福寺の南円堂でした。
興福寺には南円堂と北円堂という2つの対象的なお堂があり、
北円堂は毎年春と秋の一定期間開扉されていますが、
南円堂は1年に1回10月17日にしか開扉されません。
そのために南円堂は一度は拝観したいと思いながら、
ようやくそれが叶ったのは6年前で、
この時は特別に何か名目がついて、
一定期間開扉がされたのです。
とてもとても感銘を受けました。
今回はそれ以来のもので、
10月17日から11月上旬まで開扉されました。
北円堂は運慶工房による仏像が有名ですが、
南円堂は運慶の父の康慶が主導した諸仏で有名です。
本尊は不空羂索観音の巨像で、
それを取り巻くように、
四天王像と法相六祖像という、
名僧6人の座像が安置されています。
これは鎌倉時代に作られた時からの配置です。
ただ、法相六祖像に関しては、
かなり以前に国宝館に移されて展示され、
前回6年前の御開帳の時も、
既にお堂の中にはいらっしゃいませんでした。
それが今回はお堂の中に再び安置されているのです。
感涙ものですね。
また、四天王像については、
以前から運慶工房によると思われる像が安置されていて、
おそらく四天王像の最高傑作と思われる名像ですが、
その像が再興された中金堂に移り、
以前は中金堂にあった像が、
移動する形でこちらに移されています。
これが平成29年以降のことのようです。
これは最近の研究により、
中金堂像がもともとの南円堂像であったことが、
ほぼ確認されたためで、
おそらくは100年以上ぶりに、
南円堂の諸像は元の配置に戻った、
ということになる訳です。
その成果は素晴らしく、
6年前を超える興奮と感銘を、
今回は受けることになったのです。
興福寺は、
せっかく森の中に古堂が佇むという風情が良かったのに、
どんどん樹を切り倒して、
真新しい建築をドカドカ建てるという、
薬師寺方式は気に入りませんが、
仏像の見せ方については、
LEDによるライティングや仏像の配置の歴史を踏まえた変更、
なるべく間近で拝観出来るような工夫など、
仏像マニアの心をつかむ発想と実行力が素晴らしく、
これからも幾度も足を運びたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は日曜日でクリニックは休診ですが、
レセプト作業が追い込みで間に合わないので、
泊まり込みでクリニックにいます。
泣きそうです。
日曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
これは興福寺の南円堂です。
先日奈良に行きましたが、
その主な目的な興福寺の南円堂でした。
興福寺には南円堂と北円堂という2つの対象的なお堂があり、
北円堂は毎年春と秋の一定期間開扉されていますが、
南円堂は1年に1回10月17日にしか開扉されません。
そのために南円堂は一度は拝観したいと思いながら、
ようやくそれが叶ったのは6年前で、
この時は特別に何か名目がついて、
一定期間開扉がされたのです。
とてもとても感銘を受けました。
今回はそれ以来のもので、
10月17日から11月上旬まで開扉されました。
北円堂は運慶工房による仏像が有名ですが、
南円堂は運慶の父の康慶が主導した諸仏で有名です。
本尊は不空羂索観音の巨像で、
それを取り巻くように、
四天王像と法相六祖像という、
名僧6人の座像が安置されています。
これは鎌倉時代に作られた時からの配置です。
ただ、法相六祖像に関しては、
かなり以前に国宝館に移されて展示され、
前回6年前の御開帳の時も、
既にお堂の中にはいらっしゃいませんでした。
それが今回はお堂の中に再び安置されているのです。
感涙ものですね。
また、四天王像については、
以前から運慶工房によると思われる像が安置されていて、
おそらく四天王像の最高傑作と思われる名像ですが、
その像が再興された中金堂に移り、
以前は中金堂にあった像が、
移動する形でこちらに移されています。
これが平成29年以降のことのようです。
これは最近の研究により、
中金堂像がもともとの南円堂像であったことが、
ほぼ確認されたためで、
おそらくは100年以上ぶりに、
南円堂の諸像は元の配置に戻った、
ということになる訳です。
その成果は素晴らしく、
6年前を超える興奮と感銘を、
今回は受けることになったのです。
興福寺は、
せっかく森の中に古堂が佇むという風情が良かったのに、
どんどん樹を切り倒して、
真新しい建築をドカドカ建てるという、
薬師寺方式は気に入りませんが、
仏像の見せ方については、
LEDによるライティングや仏像の配置の歴史を踏まえた変更、
なるべく間近で拝観出来るような工夫など、
仏像マニアの心をつかむ発想と実行力が素晴らしく、
これからも幾度も足を運びたいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
金屋の石仏 [仏像]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日までクリニックは夏期の休診です。
明日15日はいつも通りの診療になります。
休みの日は趣味の話題です。
今日は昨日に続いて奈良の石仏を観て頂きます。
今日はこちら。
俗に「金屋の石仏」として知られている石仏で、
石仏として稀少で重要文化財の指定を受けています。
非常に高い技術で作られた、
線描に近い浅い浮き彫りの、
藝術性の高い石仏です。
石仏としては非常に有名なものの1つですが、
あまりご縁がなく、
今回初めて拝観しました。
場所は奈良の桜井市で、
山辺の道の途中大神神社のそばにあります。
もとは近くの平等寺というお寺にあり、
明治の廃仏毀釈で周辺の村人が守り伝えて現代に至る、
というところは判明していますが、
一体どのような目的で誰が彫り上げたのか、
といった点については明確なことが分かっていません。
石棺の蓋が利用されているようで、
こうした作例は長岳寺の石棺仏など、
他にも存在していますが、
その目的は矢張り不明です。
作られた年代についても、
奈良時代から鎌倉時代と、
極めて幅のある推測しかされていません。
こうした線描の絵画的な石仏というもの自体、
極めて作例が少ないので、
年代の推測も困難です。
大きなものは大野寺の磨崖仏や、
その元になった笠置寺の、
今は後背の形のみ残る磨崖仏などがありますが、
もっと大味で別種のものです。
唯一柳生街道地獄谷の石窟にある磨崖仏が、
かなり近い絵画的なフォルムの線描仏で、
おそらく同じ年代のものと考えると、
平安時代の後期というのが、
妥当なところかも知れません。
ただ、そのフォルムの風格は、
天平仏や当時の絵画に近い雰囲気があり。
奈良時代と言われても否定はしがたいものがあります。
石仏は2駆あり、
右側のものが釈迦如来、
左が阿弥陀如来と言われています。
お顔の部分をもう少し拡大してみましょう。
こちらから。
こちらはお釈迦様で、
お顔の細かい部分まで見て取ることが出来ます。
ただ、下の方はかなりカビが覆っていて、
衣紋など判別し難くなっています。
それでは次を。
こちらは阿弥陀様ですが、
お顔は殆ど判別が出来ない状態に摩耗しています。
ただ、お身体のカビはむしろお釈迦様により被害は少ない印象です。
この石仏は小さなお堂の中にあって、
格子を通して拝観するという格好になっています。
採光は良く、格子の大きさも結構大きいので、
それほどストレスを感じることなく拝観することが出来ます。
ただ、以前拝観した方のお話などを見ると、
摩耗は最近になってより進行しているようで、
異常気象の昨今を考えると、
そろそろ室内で換気なども配慮された場所にお移り頂くのが、
望ましいようにも思いました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日までクリニックは夏期の休診です。
明日15日はいつも通りの診療になります。
休みの日は趣味の話題です。
今日は昨日に続いて奈良の石仏を観て頂きます。
今日はこちら。
俗に「金屋の石仏」として知られている石仏で、
石仏として稀少で重要文化財の指定を受けています。
非常に高い技術で作られた、
線描に近い浅い浮き彫りの、
藝術性の高い石仏です。
石仏としては非常に有名なものの1つですが、
あまりご縁がなく、
今回初めて拝観しました。
場所は奈良の桜井市で、
山辺の道の途中大神神社のそばにあります。
もとは近くの平等寺というお寺にあり、
明治の廃仏毀釈で周辺の村人が守り伝えて現代に至る、
というところは判明していますが、
一体どのような目的で誰が彫り上げたのか、
といった点については明確なことが分かっていません。
石棺の蓋が利用されているようで、
こうした作例は長岳寺の石棺仏など、
他にも存在していますが、
その目的は矢張り不明です。
作られた年代についても、
奈良時代から鎌倉時代と、
極めて幅のある推測しかされていません。
こうした線描の絵画的な石仏というもの自体、
極めて作例が少ないので、
年代の推測も困難です。
大きなものは大野寺の磨崖仏や、
その元になった笠置寺の、
今は後背の形のみ残る磨崖仏などがありますが、
もっと大味で別種のものです。
唯一柳生街道地獄谷の石窟にある磨崖仏が、
かなり近い絵画的なフォルムの線描仏で、
おそらく同じ年代のものと考えると、
平安時代の後期というのが、
妥当なところかも知れません。
ただ、そのフォルムの風格は、
天平仏や当時の絵画に近い雰囲気があり。
奈良時代と言われても否定はしがたいものがあります。
石仏は2駆あり、
右側のものが釈迦如来、
左が阿弥陀如来と言われています。
お顔の部分をもう少し拡大してみましょう。
こちらから。
こちらはお釈迦様で、
お顔の細かい部分まで見て取ることが出来ます。
ただ、下の方はかなりカビが覆っていて、
衣紋など判別し難くなっています。
それでは次を。
こちらは阿弥陀様ですが、
お顔は殆ど判別が出来ない状態に摩耗しています。
ただ、お身体のカビはむしろお釈迦様により被害は少ない印象です。
この石仏は小さなお堂の中にあって、
格子を通して拝観するという格好になっています。
採光は良く、格子の大きさも結構大きいので、
それほどストレスを感じることなく拝観することが出来ます。
ただ、以前拝観した方のお話などを見ると、
摩耗は最近になってより進行しているようで、
異常気象の昨今を考えると、
そろそろ室内で換気なども配慮された場所にお移り頂くのが、
望ましいようにも思いました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
夕日観音再訪(2019年8月定点観測) [仏像]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
クリニックは明日14日まで休診です。
15日木曜日は通常通りの診療になります。
ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。
毎年のことで妻と一緒に奈良に行って、
今帰って来たところです。
今日は奈良を訪れる度に一度はお参りをしている、
最も偏愛する石の仏様を観て頂きます。
こちらです。
柳生街道の滝坂道の街道沿いの岩に刻まれた、
通称「夕日観音」と呼ばれている磨崖仏のお姿です。
平安後期から鎌倉前期のものと思われます。
石仏の場合正確な年代判定というのは、
非常に困難ですが、
室町時代の前期くらいまでのものと、
それ以降特に戦国時代以降のものでは、
全く意味合いは変わっていて、
戦国時代以降は石仏の工房のようなものがあり、
亡くなった武士の供養の側面もあったのでしょう、
同じフォルムのお地蔵様や観音様などが量産され、
一種の大量生産品として流通するようになります。
作品としては安定する一方で、
藝術性はかなり後退していますし、
その仏様に対する思いというようなものも、
あまり強いものではなくなっている、という気がします。
ご覧頂いたこちらは、
正真正銘の古仏の風格のあるものです。
もう1枚近景のお姿を観て頂きます。
こちらです。
素晴らしいでしょ。
今回誰かは存じませんが、
表面を丁寧に洗ってくれた方がいたようで、
遠方からでも金色に近く仏様のお姿が輝いていました。
とても奇特なことです。
ただ、この岩自体はいつ崩落してもおかしくはないもので、
実際この場所の少し下で、
昨年の大雨で土砂崩れが発生していました。
最近の異常気象の影響は恐るべきもので、
柳生街道の始まりの場所にある2駆の石灯籠のうちの1つも、
災害後には崩れ落ちてしまっていました。
この夕日観音と同じ岩の別の側面にある、
こちらも素晴らしいフォルムの地蔵磨崖仏のお姿は、
今回はもう立木に紛れて、
完全に見えなくなっていました。
このようにとても儚く、
消滅していつかは無に帰す宿命であるからこそ、
何よりも美しく心に迫るのが、
石仏の魅力なのです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
クリニックは明日14日まで休診です。
15日木曜日は通常通りの診療になります。
ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。
毎年のことで妻と一緒に奈良に行って、
今帰って来たところです。
今日は奈良を訪れる度に一度はお参りをしている、
最も偏愛する石の仏様を観て頂きます。
こちらです。
柳生街道の滝坂道の街道沿いの岩に刻まれた、
通称「夕日観音」と呼ばれている磨崖仏のお姿です。
平安後期から鎌倉前期のものと思われます。
石仏の場合正確な年代判定というのは、
非常に困難ですが、
室町時代の前期くらいまでのものと、
それ以降特に戦国時代以降のものでは、
全く意味合いは変わっていて、
戦国時代以降は石仏の工房のようなものがあり、
亡くなった武士の供養の側面もあったのでしょう、
同じフォルムのお地蔵様や観音様などが量産され、
一種の大量生産品として流通するようになります。
作品としては安定する一方で、
藝術性はかなり後退していますし、
その仏様に対する思いというようなものも、
あまり強いものではなくなっている、という気がします。
ご覧頂いたこちらは、
正真正銘の古仏の風格のあるものです。
もう1枚近景のお姿を観て頂きます。
こちらです。
素晴らしいでしょ。
今回誰かは存じませんが、
表面を丁寧に洗ってくれた方がいたようで、
遠方からでも金色に近く仏様のお姿が輝いていました。
とても奇特なことです。
ただ、この岩自体はいつ崩落してもおかしくはないもので、
実際この場所の少し下で、
昨年の大雨で土砂崩れが発生していました。
最近の異常気象の影響は恐るべきもので、
柳生街道の始まりの場所にある2駆の石灯籠のうちの1つも、
災害後には崩れ落ちてしまっていました。
この夕日観音と同じ岩の別の側面にある、
こちらも素晴らしいフォルムの地蔵磨崖仏のお姿は、
今回はもう立木に紛れて、
完全に見えなくなっていました。
このようにとても儚く、
消滅していつかは無に帰す宿命であるからこそ、
何よりも美しく心に迫るのが、
石仏の魅力なのです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
長楽寺秘仏准胝観音 [仏像]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日までクリニックは連休の休診です。
明日は通常通りの診療になります。
それでは今日の話題です。
今日はこちら。
京都の未公開文化財特別公開の、
今年春の目玉の1つとして、
長楽寺の御本尊で、
改元の時にしか開扉されないという、
かなり特殊な秘仏である、
准胝観音菩薩がめでたく御開帳されました。
特に文化財指定などは受けておられない仏様なので、
こうした場合は、
文化財としての仏像マニアとしては、
あまり感銘を受けるようなものではないのだろうなあ、
とは思いながらも、
滅多にない機会であるので、
お参りをして来ました。
この仏様は、
最澄が唐に行く際に嵐に遭い、
危うく波の呑まれかけた時に、
2体の龍にまたがるこの観音様が忽然と現れて、
最澄を救ったことがきっかけとなり、
最澄自らが彫った仏像である、
という説明になっています。
ただ、実際に拝見したそのお姿は、
明らかにかなり時代の下るもので、
光背と台座はほぼ近世のものと思いますし、
仏様自体も古く見積もって室町時代は遡らない、
と思われます。
一緒に祀られている御前立の仏様の方が、
より古いのではないか、
という印象です。
その厨子は江戸時代初期の細工のほどこされた豪華なもので、
おそらくはその厨子と一緒に、
御本尊自体も新調されたのではないかと推測されます。
ただ、これは別に特殊なことではなくて、
仏像は所詮は偶像に過ぎないのですから、
その魂はその場所にあるとして、
新しい形を作った、
ということなのだと思います。
従って、その文化財的な価値のみを見れば、
江戸時代の厨子の方が、
優れていると言って良いように思います。
御本尊の祀られたお堂は、
そう古くはないもののなかなか風情のある建築で、
混み合っている割には、
じっくりと拝観も出来、
鑑賞もすることが出来ました。
御朱印もこの時期だけのものなので、
まあ大変な人気で、
最初に番号札を渡されて朱印帖を預け、
その間にお参りをするという段取りの良いもので、
お坊さんが6人がかりで書かれていましたが、
それでも1時間くらいはお待ちしました。
今の御朱印人気にはまあビックリで、
1時間待つのはざらで断念することもしばしばありました。
ただ、長楽寺はお坊さんだけで6人で書かれていて、
非常に良心的で感心しました。
そんな訳で美術品としての仏像を鑑賞するという意味合いでは、
あまり感銘はありませんでしたが、
素朴な信仰の場所としてはなかなか素晴らしく、
無理を押して拝観する価値はあったと思えたのです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日までクリニックは連休の休診です。
明日は通常通りの診療になります。
それでは今日の話題です。
今日はこちら。
京都の未公開文化財特別公開の、
今年春の目玉の1つとして、
長楽寺の御本尊で、
改元の時にしか開扉されないという、
かなり特殊な秘仏である、
准胝観音菩薩がめでたく御開帳されました。
特に文化財指定などは受けておられない仏様なので、
こうした場合は、
文化財としての仏像マニアとしては、
あまり感銘を受けるようなものではないのだろうなあ、
とは思いながらも、
滅多にない機会であるので、
お参りをして来ました。
この仏様は、
最澄が唐に行く際に嵐に遭い、
危うく波の呑まれかけた時に、
2体の龍にまたがるこの観音様が忽然と現れて、
最澄を救ったことがきっかけとなり、
最澄自らが彫った仏像である、
という説明になっています。
ただ、実際に拝見したそのお姿は、
明らかにかなり時代の下るもので、
光背と台座はほぼ近世のものと思いますし、
仏様自体も古く見積もって室町時代は遡らない、
と思われます。
一緒に祀られている御前立の仏様の方が、
より古いのではないか、
という印象です。
その厨子は江戸時代初期の細工のほどこされた豪華なもので、
おそらくはその厨子と一緒に、
御本尊自体も新調されたのではないかと推測されます。
ただ、これは別に特殊なことではなくて、
仏像は所詮は偶像に過ぎないのですから、
その魂はその場所にあるとして、
新しい形を作った、
ということなのだと思います。
従って、その文化財的な価値のみを見れば、
江戸時代の厨子の方が、
優れていると言って良いように思います。
御本尊の祀られたお堂は、
そう古くはないもののなかなか風情のある建築で、
混み合っている割には、
じっくりと拝観も出来、
鑑賞もすることが出来ました。
御朱印もこの時期だけのものなので、
まあ大変な人気で、
最初に番号札を渡されて朱印帖を預け、
その間にお参りをするという段取りの良いもので、
お坊さんが6人がかりで書かれていましたが、
それでも1時間くらいはお待ちしました。
今の御朱印人気にはまあビックリで、
1時間待つのはざらで断念することもしばしばありました。
ただ、長楽寺はお坊さんだけで6人で書かれていて、
非常に良心的で感心しました。
そんな訳で美術品としての仏像を鑑賞するという意味合いでは、
あまり感銘はありませんでしたが、
素朴な信仰の場所としてはなかなか素晴らしく、
無理を押して拝観する価値はあったと思えたのです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
安祥寺十一面観音立像 [仏像]
こんばんは。
北品川藤クリニックの石原です。
明日までクリニックはゴールデンウィークの休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
今回休みを利用して京都、奈良に足を運びました。
毎年春と秋の時期に、
非公開文化財の特別公開があり、
今回は令和への改元もあって、
天皇家と関連の深い寺院の公開が多い、
という特徴があります。
そのうちの幾つかに足を運びました。
安祥寺もそうしたお寺の1つで、
今は山科の小さな山寺ですが、
往時を物語る幾つかの優れた文化財を今に伝えています。
今年国宝指定となった平安時代の五智如来様はその代表で、
今は京都国立博物館に収蔵されていますが、
今回一般公開されたご本尊の十一面観音様も、
奈良時代に遡ることが明らかになって、
重要文化財の指定を最近受けた注目の仏様です。
実際に大混雑の堂内で拝観させて頂くと、
2メートルを超える木造漆箔の堂々たるお姿で、
南山城の観音寺の十一面観音や、
桜井の聖林寺の十一面観音という、
高名な天平仏と非常に似通ったその美しいフォルムは、
確かに奈良時代の仏像であることを感じさせます。
ただ、聖林寺や観音寺の観音様の、
完成度の高い見事な造形と比較すると、
やや緩みが感じられるのは、
おそらく後年の修復が、
かなり加わっていることを感じさせます。
それでも素晴らしい仏様であることは間違いなく、
それがお寺のご本尊として、
本堂の厨子の中にしっかり守られている、
というのは奇跡に近いことで、
とても楽しい充実した気分で拝観を終えることが出来たのです。
五智如来様も、
本当はお寺で拝観したいところです。
保存のことを考えれば博物館の管理は、
やむを得ないと思うのですが、
京都国立博物館は照明がとても悪くて、
お寺で拝観するより数段悪条件なのです。
せめてライティングの良い、
奈良国立博物館か東京国立博物館にして欲しいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
明日までクリニックはゴールデンウィークの休診です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
今回休みを利用して京都、奈良に足を運びました。
毎年春と秋の時期に、
非公開文化財の特別公開があり、
今回は令和への改元もあって、
天皇家と関連の深い寺院の公開が多い、
という特徴があります。
そのうちの幾つかに足を運びました。
安祥寺もそうしたお寺の1つで、
今は山科の小さな山寺ですが、
往時を物語る幾つかの優れた文化財を今に伝えています。
今年国宝指定となった平安時代の五智如来様はその代表で、
今は京都国立博物館に収蔵されていますが、
今回一般公開されたご本尊の十一面観音様も、
奈良時代に遡ることが明らかになって、
重要文化財の指定を最近受けた注目の仏様です。
実際に大混雑の堂内で拝観させて頂くと、
2メートルを超える木造漆箔の堂々たるお姿で、
南山城の観音寺の十一面観音や、
桜井の聖林寺の十一面観音という、
高名な天平仏と非常に似通ったその美しいフォルムは、
確かに奈良時代の仏像であることを感じさせます。
ただ、聖林寺や観音寺の観音様の、
完成度の高い見事な造形と比較すると、
やや緩みが感じられるのは、
おそらく後年の修復が、
かなり加わっていることを感じさせます。
それでも素晴らしい仏様であることは間違いなく、
それがお寺のご本尊として、
本堂の厨子の中にしっかり守られている、
というのは奇跡に近いことで、
とても楽しい充実した気分で拝観を終えることが出来たのです。
五智如来様も、
本当はお寺で拝観したいところです。
保存のことを考えれば博物館の管理は、
やむを得ないと思うのですが、
京都国立博物館は照明がとても悪くて、
お寺で拝観するより数段悪条件なのです。
せめてライティングの良い、
奈良国立博物館か東京国立博物館にして欲しいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。