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応長地蔵と二十五菩薩(元箱根石仏群) [仏像]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日は元箱根の素晴らしい石仏をご紹介します。

前回の記事で「六道地蔵」をご紹介しましたが、
今回は応長地蔵と、
元箱根石仏群の白眉である、
「二十五菩薩」の刻まれた仏像岩をご紹介します。

元箱根石仏群は戦前の遺跡を分断する道路整備や、
観光スポットとしての認知度の低さから、
半ば風化し消滅の危機にあったのですが、
1988年より10年を掛けて大規模な修復が行われて、
かつての輝きと荘厳さが復活しました。
しかし、それから更に20年が経過し、
整備された遊歩道は雑草や雑木に埋もれ、
石仏群は再び埋もれ始めているように思われます。

個人的にはその感じがとても心地良くて、
誰にも邪魔されることなく、
静かに仏様に向き合うことが出来るのです。

まずこちらをご覧下さい。
応長地蔵.jpg
死者を送る儀式の、
道しるべとして安置されたと推定される、
応長地蔵と呼ばれている仏様です。
1311年の銘文があり、
鎌倉時代後期の古仏であることが確認されています。

小さいのですが美しい造形で、
古仏の魅力に満ちています。
風化も進んでおらず、
造仏当時の姿を想像することが出来ます。

手を合わせてから先に進みます。

この応長地蔵から、
今は踏み分け道のようになった遊歩道を、
そこから更にずんずんと進んで行きます。

しばらくして、
前方に複雑に折りたたまれた、
巨大な岩が現れます。

こちらをご覧下さい。
二十五菩薩1.jpg
多くの石仏が巨大な岩のあちこちに刻まれています。
いずれも鎌倉時代の後期から刻まれて、
ある程度の長い期間を経て成立したものと思われます。

全部で26体の石仏が刻まれていることが分かっています。
その多くは地蔵菩薩ですが、
違うものも幾つか含まれています。

次にこちらをご覧下さい。
二五菩薩2.jpg
遊歩道正面右側にある、
最も造形的に優れた地蔵菩薩のお姿です。
保存も良く古仏の素晴らしさに溢れています。
地蔵菩薩の石仏としては、
全国的にも屈指のものだと思います。

次にこちらをご覧下さい、
二五菩薩3.jpg
多くの地蔵菩薩が彫り込まれています。

次に岩の裏側に回ります。
こちらをご覧下さい。
二五菩薩4.jpg
ここから更に裏に回ると、
この仏像岩で最も素晴らしい仏様に出逢います。
こちらです。
二五菩薩6.jpg
足場が少し悪いのですが、もう少し近づきます。

こちらをご覧下さい。
二五菩薩5.jpg
阿弥陀如来と思われる石仏で、
最も完成度の高いものです。
素晴らしいですよね。
鎌倉時代後期よりは、
時代はもう少し下る可能性がありますが、
いずれにしても石仏屈指の名作の1つだと思います。

石仏というのは、
あまり顧みられることもなく、
風化し消滅することが宿命の儚い藝術ですが、
それがまた魅力でもあるのです。

これからも良い石仏に出逢えることを期待したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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元箱根石仏 六道地蔵 [仏像]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

最近最も感動したのは元箱根の石仏群に出逢ったことです。

石仏マニアというような方が、
全国にどれだけいらっしゃるのか分かりませんが、
そうした方には「何を今更言っているんだ!」
と言われるかも知れません。

僕はこれまでスルーしていましたが、
石仏の古仏としては名所中の名所の1つであるからです。

箱根の国道1号沿いにひっそりと佇んでいるのが、
国内屈指の石仏群である元箱根石仏群です。

まずこちらをご覧ください。
元箱根石仏4.jpg
元箱根石仏群は1988年から1998年に掛けて、
大規模な修復と整備が行われました。
それ以前は、風化し、
ほぼ土に埋もれかけていたのです。
その時に同時に整備されたのがこの「石仏群と歴史館」の建物です。

それから20年余が経過し、
歴史館は不気味な納屋のようになり、
館内にはお化け屋敷めいた気配が漂っています。
整備された遊歩道も、
次第に草木に埋もれ始めています。

その風化の具合が、
実に実にいいのです。
石仏というものはこうでなくてはいけません。

この歴史館から国道から精進池という池のほとりに降りると、
今では踏み分け道のようにしか見えない、
遊歩道が叢の中を伸びています。
そこを少し歩くと、
トンネルが現れ、
そこを潜って国道の反対側に出ると、
元箱根石仏群の最初のクライマックスが待っています。

こちらをご覧ください。
元箱根石仏1.jpg
本当に六道の辻みたいなんですよね。
不気味な石塔があって、
石が積まれていて、
その向こうに巨大な転石を覆う、
覆い屋が建っています。

修復前には石仏が摩崖仏として剥き出しになっていたのですが、
そこに立派な覆い屋が造られたのです。

その開かれた扉の向こうに、
俗称六道地蔵がおられます。
こちらです。
元箱根石仏2.jpg
座像ですが高さは3.5メートルに及びます。
銘文があって、
1300年鎌倉時代の後期に造られてことが分かっています。

この堂々たるお姿、この幽玄な雰囲気、
素晴らしいですよね。
拝観した瞬間に鳥肌が立ちました。

石仏はね、
鎌倉時代以前のものはとても希少で、
貴重な存在であるのです。
戦国時代以降には石仏が大量生産されたのですが、
それ以降のものとそれ以前のものとは、
その魂のグレードが違います。

そして、これだけ大きなものは、
それも古仏では非常に希少です。

もう少し近づきましょう。
元箱根石仏3.jpg
お顔の感じが他と雰囲気が違いますね。
おそらく何処かで補修が加わったように思われます。
残念ではあるのですが、
実際に拝観すると、
それほどの違和感はありません。
古仏の素晴らしさに満ちているのです。

この侘び寂びの雰囲気、
打ち捨てられた感じ、
そして風化直前の美の極致。
これぞ石仏という素晴らしさです。

元箱根の石仏はまだまだありますが、
今日はこのくらいで失礼します。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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興福寺南円堂(リニューアル) [仏像]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診ですが、
レセプト作業が追い込みで間に合わないので、
泊まり込みでクリニックにいます。
泣きそうです。

日曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
南円堂.jpg
これは興福寺の南円堂です。

先日奈良に行きましたが、
その主な目的な興福寺の南円堂でした。

興福寺には南円堂と北円堂という2つの対象的なお堂があり、
北円堂は毎年春と秋の一定期間開扉されていますが、
南円堂は1年に1回10月17日にしか開扉されません。

そのために南円堂は一度は拝観したいと思いながら、
ようやくそれが叶ったのは6年前で、
この時は特別に何か名目がついて、
一定期間開扉がされたのです。

とてもとても感銘を受けました。

今回はそれ以来のもので、
10月17日から11月上旬まで開扉されました。

北円堂は運慶工房による仏像が有名ですが、
南円堂は運慶の父の康慶が主導した諸仏で有名です。

本尊は不空羂索観音の巨像で、
それを取り巻くように、
四天王像と法相六祖像という、
名僧6人の座像が安置されています。

これは鎌倉時代に作られた時からの配置です。

ただ、法相六祖像に関しては、
かなり以前に国宝館に移されて展示され、
前回6年前の御開帳の時も、
既にお堂の中にはいらっしゃいませんでした。
それが今回はお堂の中に再び安置されているのです。
感涙ものですね。

また、四天王像については、
以前から運慶工房によると思われる像が安置されていて、
おそらく四天王像の最高傑作と思われる名像ですが、
その像が再興された中金堂に移り、
以前は中金堂にあった像が、
移動する形でこちらに移されています。
これが平成29年以降のことのようです。

これは最近の研究により、
中金堂像がもともとの南円堂像であったことが、
ほぼ確認されたためで、
おそらくは100年以上ぶりに、
南円堂の諸像は元の配置に戻った、
ということになる訳です。

その成果は素晴らしく、
6年前を超える興奮と感銘を、
今回は受けることになったのです。

興福寺は、
せっかく森の中に古堂が佇むという風情が良かったのに、
どんどん樹を切り倒して、
真新しい建築をドカドカ建てるという、
薬師寺方式は気に入りませんが、
仏像の見せ方については、
LEDによるライティングや仏像の配置の歴史を踏まえた変更、
なるべく間近で拝観出来るような工夫など、
仏像マニアの心をつかむ発想と実行力が素晴らしく、
これからも幾度も足を運びたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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金屋の石仏 [仏像]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日までクリニックは夏期の休診です。
明日15日はいつも通りの診療になります。

休みの日は趣味の話題です。
今日は昨日に続いて奈良の石仏を観て頂きます。

今日はこちら。
金屋の石仏.jpg
俗に「金屋の石仏」として知られている石仏で、
石仏として稀少で重要文化財の指定を受けています。

非常に高い技術で作られた、
線描に近い浅い浮き彫りの、
藝術性の高い石仏です。

石仏としては非常に有名なものの1つですが、
あまりご縁がなく、
今回初めて拝観しました。

場所は奈良の桜井市で、
山辺の道の途中大神神社のそばにあります。

もとは近くの平等寺というお寺にあり、
明治の廃仏毀釈で周辺の村人が守り伝えて現代に至る、
というところは判明していますが、
一体どのような目的で誰が彫り上げたのか、
といった点については明確なことが分かっていません。

石棺の蓋が利用されているようで、
こうした作例は長岳寺の石棺仏など、
他にも存在していますが、
その目的は矢張り不明です。

作られた年代についても、
奈良時代から鎌倉時代と、
極めて幅のある推測しかされていません。

こうした線描の絵画的な石仏というもの自体、
極めて作例が少ないので、
年代の推測も困難です。
大きなものは大野寺の磨崖仏や、
その元になった笠置寺の、
今は後背の形のみ残る磨崖仏などがありますが、
もっと大味で別種のものです。
唯一柳生街道地獄谷の石窟にある磨崖仏が、
かなり近い絵画的なフォルムの線描仏で、
おそらく同じ年代のものと考えると、
平安時代の後期というのが、
妥当なところかも知れません。

ただ、そのフォルムの風格は、
天平仏や当時の絵画に近い雰囲気があり。
奈良時代と言われても否定はしがたいものがあります。

石仏は2駆あり、
右側のものが釈迦如来、
左が阿弥陀如来と言われています。

お顔の部分をもう少し拡大してみましょう。
こちらから。
金屋の石仏釈迦如来.jpg
こちらはお釈迦様で、
お顔の細かい部分まで見て取ることが出来ます。
ただ、下の方はかなりカビが覆っていて、
衣紋など判別し難くなっています。

それでは次を。
金屋の石仏阿弥陀仏.jpg
こちらは阿弥陀様ですが、
お顔は殆ど判別が出来ない状態に摩耗しています。
ただ、お身体のカビはむしろお釈迦様により被害は少ない印象です。

この石仏は小さなお堂の中にあって、
格子を通して拝観するという格好になっています。

採光は良く、格子の大きさも結構大きいので、
それほどストレスを感じることなく拝観することが出来ます。

ただ、以前拝観した方のお話などを見ると、
摩耗は最近になってより進行しているようで、
異常気象の昨今を考えると、
そろそろ室内で換気なども配慮された場所にお移り頂くのが、
望ましいようにも思いました。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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夕日観音再訪(2019年8月定点観測) [仏像]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

クリニックは明日14日まで休診です。
15日木曜日は通常通りの診療になります。
ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。

毎年のことで妻と一緒に奈良に行って、
今帰って来たところです。

今日は奈良を訪れる度に一度はお参りをしている、
最も偏愛する石の仏様を観て頂きます。

こちらです。
夕日観音遠景2019.jpg
柳生街道の滝坂道の街道沿いの岩に刻まれた、
通称「夕日観音」と呼ばれている磨崖仏のお姿です。

平安後期から鎌倉前期のものと思われます。

石仏の場合正確な年代判定というのは、
非常に困難ですが、
室町時代の前期くらいまでのものと、
それ以降特に戦国時代以降のものでは、
全く意味合いは変わっていて、
戦国時代以降は石仏の工房のようなものがあり、
亡くなった武士の供養の側面もあったのでしょう、
同じフォルムのお地蔵様や観音様などが量産され、
一種の大量生産品として流通するようになります。

作品としては安定する一方で、
藝術性はかなり後退していますし、
その仏様に対する思いというようなものも、
あまり強いものではなくなっている、という気がします。

ご覧頂いたこちらは、
正真正銘の古仏の風格のあるものです。

もう1枚近景のお姿を観て頂きます。
こちらです。
夕日観音近景2019.jpg

素晴らしいでしょ。

今回誰かは存じませんが、
表面を丁寧に洗ってくれた方がいたようで、
遠方からでも金色に近く仏様のお姿が輝いていました。

とても奇特なことです。

ただ、この岩自体はいつ崩落してもおかしくはないもので、
実際この場所の少し下で、
昨年の大雨で土砂崩れが発生していました。

最近の異常気象の影響は恐るべきもので、
柳生街道の始まりの場所にある2駆の石灯籠のうちの1つも、
災害後には崩れ落ちてしまっていました。

この夕日観音と同じ岩の別の側面にある、
こちらも素晴らしいフォルムの地蔵磨崖仏のお姿は、
今回はもう立木に紛れて、
完全に見えなくなっていました。

このようにとても儚く、
消滅していつかは無に帰す宿命であるからこそ、
何よりも美しく心に迫るのが、
石仏の魅力なのです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

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長楽寺秘仏准胝観音 [仏像]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日までクリニックは連休の休診です。
明日は通常通りの診療になります。

それでは今日の話題です。
今日はこちら。
長楽寺 秘仏准てい観音看板.jpg
京都の未公開文化財特別公開の、
今年春の目玉の1つとして、
長楽寺の御本尊で、
改元の時にしか開扉されないという、
かなり特殊な秘仏である、
准胝観音菩薩がめでたく御開帳されました。

特に文化財指定などは受けておられない仏様なので、
こうした場合は、
文化財としての仏像マニアとしては、
あまり感銘を受けるようなものではないのだろうなあ、
とは思いながらも、
滅多にない機会であるので、
お参りをして来ました。

この仏様は、
最澄が唐に行く際に嵐に遭い、
危うく波の呑まれかけた時に、
2体の龍にまたがるこの観音様が忽然と現れて、
最澄を救ったことがきっかけとなり、
最澄自らが彫った仏像である、
という説明になっています。

ただ、実際に拝見したそのお姿は、
明らかにかなり時代の下るもので、
光背と台座はほぼ近世のものと思いますし、
仏様自体も古く見積もって室町時代は遡らない、
と思われます。
一緒に祀られている御前立の仏様の方が、
より古いのではないか、
という印象です。

その厨子は江戸時代初期の細工のほどこされた豪華なもので、
おそらくはその厨子と一緒に、
御本尊自体も新調されたのではないかと推測されます。

ただ、これは別に特殊なことではなくて、
仏像は所詮は偶像に過ぎないのですから、
その魂はその場所にあるとして、
新しい形を作った、
ということなのだと思います。

従って、その文化財的な価値のみを見れば、
江戸時代の厨子の方が、
優れていると言って良いように思います。

御本尊の祀られたお堂は、
そう古くはないもののなかなか風情のある建築で、
混み合っている割には、
じっくりと拝観も出来、
鑑賞もすることが出来ました。

御朱印もこの時期だけのものなので、
まあ大変な人気で、
最初に番号札を渡されて朱印帖を預け、
その間にお参りをするという段取りの良いもので、
お坊さんが6人がかりで書かれていましたが、
それでも1時間くらいはお待ちしました。

今の御朱印人気にはまあビックリで、
1時間待つのはざらで断念することもしばしばありました。
ただ、長楽寺はお坊さんだけで6人で書かれていて、
非常に良心的で感心しました。

そんな訳で美術品としての仏像を鑑賞するという意味合いでは、
あまり感銘はありませんでしたが、
素朴な信仰の場所としてはなかなか素晴らしく、
無理を押して拝観する価値はあったと思えたのです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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安祥寺十一面観音立像 [仏像]

こんばんは。
北品川藤クリニックの石原です。

明日までクリニックはゴールデンウィークの休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
安祥寺特別公開.jpg
今回休みを利用して京都、奈良に足を運びました。

毎年春と秋の時期に、
非公開文化財の特別公開があり、
今回は令和への改元もあって、
天皇家と関連の深い寺院の公開が多い、
という特徴があります。

そのうちの幾つかに足を運びました。

安祥寺もそうしたお寺の1つで、
今は山科の小さな山寺ですが、
往時を物語る幾つかの優れた文化財を今に伝えています。

今年国宝指定となった平安時代の五智如来様はその代表で、
今は京都国立博物館に収蔵されていますが、
今回一般公開されたご本尊の十一面観音様も、
奈良時代に遡ることが明らかになって、
重要文化財の指定を最近受けた注目の仏様です。

実際に大混雑の堂内で拝観させて頂くと、
2メートルを超える木造漆箔の堂々たるお姿で、
南山城の観音寺の十一面観音や、
桜井の聖林寺の十一面観音という、
高名な天平仏と非常に似通ったその美しいフォルムは、
確かに奈良時代の仏像であることを感じさせます。

ただ、聖林寺や観音寺の観音様の、
完成度の高い見事な造形と比較すると、
やや緩みが感じられるのは、
おそらく後年の修復が、
かなり加わっていることを感じさせます。

それでも素晴らしい仏様であることは間違いなく、
それがお寺のご本尊として、
本堂の厨子の中にしっかり守られている、
というのは奇跡に近いことで、
とても楽しい充実した気分で拝観を終えることが出来たのです。

五智如来様も、
本当はお寺で拝観したいところです。
保存のことを考えれば博物館の管理は、
やむを得ないと思うのですが、
京都国立博物館は照明がとても悪くて、
お寺で拝観するより数段悪条件なのです。
せめてライティングの良い、
奈良国立博物館か東京国立博物館にして欲しいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「旧燈明寺蔵 五観音像」 [仏像]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

11月2日から奈良に行っていて、
今戻って来たところです。

今日はそんな訳で奈良・京都の話題です。

奈良では興福寺の中金堂が再建され、
一般拝観も始まっています。

真新しく無機的な感じで、
緑も多く伐採されて消えましたから、
あまり良い印象はありませんが、
1つの方向性として、
仕方のないことなのかも知れません。
お寺というのは昔は近代建築の都市であった訳で、
自然とはむしろ拮抗する存在であった部分も、
特に興福寺のような大寺ではあったので、
それが長い年月の中で次第に朽ちて、
自然と一体化したような雰囲気を、
僕達はかつての昭和の時代に興福寺において、
愛していたのですが、
お寺さんとしてはかつてのような「都市」に、
復活させたいというようなお気持ちを持つのも、
それもまあ無理からぬところなのかな、
というようには思います。
しかし、かつてのような政治や文化の中心には、
勿論なり得ないのですから、
あの昭和の懐かしい雰囲気が、
ほぼ一掃されたような今の興福寺を観るのは、
切ない思いがするのもまた確かなことなのです。

中金堂には少し前まで南円堂に安置されていた、
運慶の工房によると思われる見事な四天王像が、
1つの目玉として安置されています。

この仏様は僕は大好きで、
鎌倉期の四天王像としては、
仏像としても藝術作品としても技術的にも、
最高の仏様と思っているのですが、
明るい日差しの中で細部まで観られるのは嬉しい反面、
この無機的な空間にはあまりに場違いな感じがすることと、
須弥壇に配置されてしまうと、
後方の2駆の仏様が見づらくなってしまうので、
今回は少し残念に感じました。

まあこの興福寺の「薬師寺化」は、
もうストップは利かないものなのだと思いますから、
なるべく良い点に目を向けるようにして、
あまりにつらい感じになれば、
足を向けなければ良いのかな、
というようには思います。

さて、今日の話題は極めて地味な仏様です。
京都南方、奈良北方の木津川流域、南山城と呼ばれる地域には、
多くの人知れぬ社寺があり、
国宝から全く無名の地方仏まで、
仏像の宝庫のような場所です。

毎年秋には秘宝秘仏特別開扉という企画が、
木津川市の肝いりで行われていて、
多くの社寺がその時だけ、
文化財や仏様の一般拝観を許しています。

今回はその中から、
旧燈明寺の観音様を観て頂きます。

燈明寺(東明寺)は奈良時代に開山されたと伝わる古寺ですが、
紆余曲折を経て昭和27年に廃寺となっています。

本堂と三重塔が横浜の三渓園に移築されていて、
5駆の観音様の仏像(いずれも鎌倉期)が、
本堂跡に建てられた収蔵庫に保管されています。
ただ、通常の一般公開はされていません。
今のところ今回のような特別拝観時のみに、
周辺の方々の協力で公開されているようです。

こちらをご覧下さい。
旧燈明寺千手観音.jpg
こちらが旧燈明寺の本尊であったとされる、
鎌倉時代後期の千手観音様のお姿です。
収蔵庫の前で売られていた、
ブロマイド(絵はがき)の画像です。

この仏様のみ金箔が貼られていて、
特別だということが分かります。
当時の水準作という感じで、
文化財指定を受けてもおかしくはない出来映えですが、
かなり補修が入っていて、
しかもかなり適当な補修であるようなので、
そうならないのが地方仏の悲しさでもあり、
魅力でもあります。
「人知れぬ美」というようなものです。

次にこちらをご覧下さい。
旧燈明寺不空羂索観音.jpg
こちらは不空羂索観音のお姿です。
こちらは如何にも地方仏というスタイルで、
金箔はなく木の素地を活かした仏像です。
画像はお示ししませんが、
他の3駆の観音様も同じスタイルです。

完成度はそう高いものではないのですが、
素朴な良さが地方仏の魅力です。
こうした地味な(失礼)仏様が、
地方でしっかり守られているのが、
日本の仏教美術の素晴らしさなのです。

今日はあまり話題にされることのない、
珍しい地方仏を観て頂きました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

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新薬師寺夜間拝観 [仏像]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日はもう1本奈良の話です。

新薬師寺は仏像好きには欠かせない名寺で、
本尊の薬師如来は貞観彫刻の傑作で凄みのある仏様ですし、
周辺で睨みを利かす天平時代の十二神将も、
東大寺戒壇院の四天王像や元法華堂の日光月光菩薩と並ぶ、
天平塑像の代表作です。

ただ、数年前までお堂の照明が、
全て蛍光灯という無粋なもので、
火災のリスクもあって昔のように蝋燭も殆ど点けませんから、
とても扁平な印象でガッカリでした。
それが1、2年前に遅ればせにLED照明となり、
面目が一新されました。

今年から更に夏の燈花会に合わせて、
夜間拝観が始まりました。

こちらをご覧下さい。
2018年新薬師寺遠景.jpg
本堂前に190個の燈火が並べられ、
本堂正面の3枚の扉が開かれて、
外からご本尊を直接拝むことが可能となっています。

これまであまり新薬師寺ではなかった、
とても幽玄で素敵な光景です。

もう少し近づいてみます。
2018新薬師寺近景.jpg
これはお寺の方に、
外からの撮影であればOKと、
確認して撮ったものです。

こうして見ると、
仏像というのは当たり前のことですが、
外からこうして拝むのが最も素晴らしい、
ということが分かります。

今回の夜間拝観では、
外からだけではなく、
いつものように堂内での拝観も、
同時に出来るようになっていました。

これは今回の奈良行きの中で、
最も感銘の深いひとときでした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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夕日観音再訪(2018年夏定点観測) [仏像]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日までクリニックは夏期の休診となります。
明日からはいつも通りの診療になります。

今日は僕が最も好きな石仏の話題です。
今年もお逢いして来ました。

こちらです。
2018夏夕日観音1.jpg
奈良の北方柳生街道の滝坂道にいらっしゃる、
鎌倉期と思われる古い磨崖仏、
一般に夕日観音と呼ばれている仏様のお姿です。

この仏様には30年ほど前に初めてお逢いして、
間近に拝ませて頂いて非常な感銘を受けました。

それ以前に小学校の頃から、
カラーブックスの「柳生の里」を愛読していて、
いつかは柳生街道を歩いてみたいと思っていました。

それが初めて適ったのが大学生の時に春休みで、
それから大分時が経ってから、
2011年の夏に震災後で妻も入院して、
というようなタイミングで再訪することになりました。
それからは定期的に奈良に行くたびに再訪していたのですが、
2012年にはうっかり山道を駆け下りていて転倒し、
左肘の骨折と手首の靱帯損傷で、
生まれて初めて手術をすることになってしまいました。

それから数年はさすがに行かなかったのですが、
この数年は再び訪問を続けています。

もう1枚画像をアップで見て頂きます。
2018年夕日観音2.jpg
素晴らしいフォルムですよね。
この威厳と風格が、
室町以降の大量生産の石仏にはない、
古仏の味わいなのです。

ただ古い写真と比べると、
ここ数十年の間に、
岩自体に出来た亀裂や雨水の浸食による変色が増え、
風化自体も確実に進んでいることが分かります。

それ以上に深刻なのは、
ここ数年の豪雨による周辺の岩盤の崩落で、
この仏様が刻まれた岩のすぐ下でも、
新しい崩落が確認出来ました。

石仏特に岩に刻まれた磨崖仏というのは、
いつかはなく消えてなくなることが必定の、
はかなくも美しい藝術ですから、
これはもう仕方がないこととも言えるのですが、
最近の異常気象とそれに伴う多くの破壊や、
生活や文化、藝術の消滅については、
改めて暗澹たる思いに囚われざるを得ないのです。

最後にもう1つこの夕日観音と同じ岩の別の面にある、
もう1つの素晴らしい仏様を見て頂きます。
こちらです。
2014年地蔵菩薩石仏.jpg
鎌倉時代後期から室町時代の、
非常に完成度の高い磨崖仏です。
ただ、これは2014年の写真です。

今はこちら。
2018年夏地蔵菩薩石仏.jpg
周辺の木々が生い茂ってしまい、
おそらく2011年以降で、
最も街道から見えづらい状態となっています。

このように日々変わり続ける柳生街道ですが、
可能な限りこれからも再訪を繰り返したいと思います。

今日はもう1本奈良の記事が続きます。
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