ムリーリョ「無原罪の御宿り」 [絵画]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は休みだった筈なのですが、
昨日急遽勉強会に行くことになったので、
6時起きになりました。
ちょっとしんどいです。
上の写真はムリーリョの「無原罪の御宿り」という絵画です。
ムリーリョは17世紀スペインの画家で、
セビリアを中心に活躍。
心の奥底が疼くような、
多くの情緒に訴える絵を残しました。
この絵はムリーリョの最高傑作の1つで、
画像で見てもご覧の通りの素晴らしい作品ですが、
勿論現物はもっと美しく心を揺さぶる名作です。
スペインのプラド美術館の所蔵品ですね。
「無原罪の御宿り」というのは、
17世紀後半にスペインの民衆の間で流行した、
「マリア信仰」を表現した題材です。
ムリーリョ自身同じ題材で多くの絵を描き、
そのうちの何枚かが、
現在まで残されています。
上の1枚は王室に贈られたものと考えられていますが、
それ以外に祭壇画として描かれた作品も、
複数残されています。
僕は1993年(1994年だったかも知れません)に、
一度だけスペインに行きました。
まだ大学にいた時で、
スペインで学会があり、
その前後に観光でマドリードやトレド、
そしてセビリアを廻ったのです。
セビリアには多くのムリーリョの絵が残されています。
特に感銘を受けたのは、
県立美術館で見た、
この画像とは違う「無原罪の御宿り」でした。
セビリアの美術館というのは、
中世の修道院を改築した建物で、
それ自体非常に風情のある空間です。
順路の最後に吹き抜けのホールが用意されていて、
そこに、祭壇を思わせる装飾の元に、
「無原罪の御宿り」が展示されています。
見上げた瞬間に心がときめいて、
懐かしい誰かに再会したような、
甘酸っぱく切ない気分になりました。
僕はこういう「偶像としての」藝術が好きです。
作る側の覚悟も違いますし、
多くの時を経て、
その本来の宗教的な意味合いからは離れ、
人間の祈りの集積としての何かが、
そこに宿るような気がするからです。
こうした作品は多くの人間が、
外界に投影した「神」の姿です。
それを見る人間は、
そこに自ずと自分の内なる神を見る訳です。
またスペインに行きたいなとは思いますが、
無理かも知れません。
でもセビリアの旧市街の隘路と、
トレドの坂の多い街並みの石畳の感触は、
僕の心の底に、
染み付いて離れることはないような気がします。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は休みだった筈なのですが、
昨日急遽勉強会に行くことになったので、
6時起きになりました。
ちょっとしんどいです。
上の写真はムリーリョの「無原罪の御宿り」という絵画です。
ムリーリョは17世紀スペインの画家で、
セビリアを中心に活躍。
心の奥底が疼くような、
多くの情緒に訴える絵を残しました。
この絵はムリーリョの最高傑作の1つで、
画像で見てもご覧の通りの素晴らしい作品ですが、
勿論現物はもっと美しく心を揺さぶる名作です。
スペインのプラド美術館の所蔵品ですね。
「無原罪の御宿り」というのは、
17世紀後半にスペインの民衆の間で流行した、
「マリア信仰」を表現した題材です。
ムリーリョ自身同じ題材で多くの絵を描き、
そのうちの何枚かが、
現在まで残されています。
上の1枚は王室に贈られたものと考えられていますが、
それ以外に祭壇画として描かれた作品も、
複数残されています。
僕は1993年(1994年だったかも知れません)に、
一度だけスペインに行きました。
まだ大学にいた時で、
スペインで学会があり、
その前後に観光でマドリードやトレド、
そしてセビリアを廻ったのです。
セビリアには多くのムリーリョの絵が残されています。
特に感銘を受けたのは、
県立美術館で見た、
この画像とは違う「無原罪の御宿り」でした。
セビリアの美術館というのは、
中世の修道院を改築した建物で、
それ自体非常に風情のある空間です。
順路の最後に吹き抜けのホールが用意されていて、
そこに、祭壇を思わせる装飾の元に、
「無原罪の御宿り」が展示されています。
見上げた瞬間に心がときめいて、
懐かしい誰かに再会したような、
甘酸っぱく切ない気分になりました。
僕はこういう「偶像としての」藝術が好きです。
作る側の覚悟も違いますし、
多くの時を経て、
その本来の宗教的な意味合いからは離れ、
人間の祈りの集積としての何かが、
そこに宿るような気がするからです。
こうした作品は多くの人間が、
外界に投影した「神」の姿です。
それを見る人間は、
そこに自ずと自分の内なる神を見る訳です。
またスペインに行きたいなとは思いますが、
無理かも知れません。
でもセビリアの旧市街の隘路と、
トレドの坂の多い街並みの石畳の感触は、
僕の心の底に、
染み付いて離れることはないような気がします。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2009-04-19 11:33
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キリスト教の信仰箇条である『ニケア・コンスタンチノープル信条』にあるとおり、マリアは、「神」である「聖霊」によって、「神の子」イエズスを宿し、「神(イエズス)」の母となりましたから、「神の母」ではありますが、マリアは100%人間であり、当然「神」ではありません。
ただ他の人間と違い、生まれながらにして(正確には母アンナの胎内に宿った時から)罪が無かった、…つまりこれが「無原罪の御宿り(おんやどり)」です。
また信者にとって、このような絵画は、もちろん「偶像」ではなく「神を思い起こすためのイメージ」です。
キリスト教徒が「崇拝」するのは「三位一体の神」のみで、マリアに対しては「崇敬」です。
by 一信者 (2009-04-19 13:23)
一信者様
すいません。
キリスト教の教義に関して、
特別触れるつもりはなかったのですが、
不正確な記述だったと思います。
その部分は僕の分かる範囲で修正しました。
絵の個人的な印象の話として、
お読み頂ければ幸いです。
by fujiki (2009-04-19 14:03)
本当に遅いペースですが、やっと絵画をコンプ致しました。
私は、聖衣の朱色に心を奪われたのですが、宗教画の奥深さは、色々な見聞があるので、本当に興味深いです。
残念なことに、私の好みはあまりに一般的なところの2位がダ・ヴィンチです。1位は・・・。
この作品は、誰にも評価はして頂きたくありませんので、公共の場では、言えませんけれど、もし機会があれば、先生とお話しすることができればと願います。
by ゆうな (2011-03-04 23:26)
ゆうなさんへ
いつもお読み頂きありがとうございます。
この記事は画像が表示されなくなっていますね。
今度修正しておきたいと思います。
by fujiki (2011-03-05 17:11)