ロッシーニ「セビリアの理髪師」(2020年新国立劇場レパートリー) [オペラ]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
これはもう何度も聴いているプロダクションですが、
新国立劇場のレパートリーとして上演されている、
ロッシーニの「セビリアの理髪師」を聴いて来ました。
これはロッシーニの代表作の1つで、
かつてはロッシーニと言えば、
殆ど「セビリアの理髪師」しか上演されない、
というような時代がありました。
それがロッシーニを得意とする歌手の登場や、
指揮者や学者などによるロッシーニ研究の高まりなどがあり、
多くのロッシーニの作品が復活され、
日本でも上演されるようになりました。
それでも、
矢張り上演頻度がダントツに多いのは、
「セビリアの理髪師」です。
多くのロッシーニ作品が復活上演された時には、
「セビリアの理髪師」は面白みに乏しいな、
というような印象を持ちました。
ロッシーニのアリアの特徴である、
アジリタなどの超絶技巧や装飾歌唱が、
人工的で不自然と考えられた時代には、
一番の聴き所でもあるラストのテノールの大アリアが、
カットされて上演されていたので、
尚更その印象がありました。
それが主に名テノール、ファン・ディエゴ・フローレスの功績により、
大アリアが実演でも復活し、
その抜群の高揚感とカタルシスが再認識されると、
この作品の魅力もまた、
再認識されることになったのです。
実際新国立劇場での「セビリアの理髪師」の上演も、
最近までは大アリアをカットしたもので、
確か前回の公演から、
漸く新国立版でも大アリアが歌われるようになりました。
今回も勿論歌われています。
ただし…
こうして大アリアが歌われることが通常になると、
かつては待望していたこの難曲が、
作品の中では少し余計者で蛇足のように、
感じられることがあるのも正直な感想です。
僕は実演で大アリアを含むヴァージョンを、
7回くらいは別キャストで聴いていると思いますが、
素晴らしいと感じたのは、
前述のフローレスと、
調子の良かった時のシラグーザの2回だけで、
後は「歌えてないなあ…高揚感…ないなあ(溜息)」
とガッカリするのが通例です。
そうしてみると、
そのすぐ後のフィナーレが、
抜群に優れて心が躍る名アンサンブルなので、
へっぽこ大アリアが、
フィナーレの印象を薄めてしまう、
というようにも思えます。
そこで、
「なるほど、これで大アリアをカットしたのね」
と先人の考えに一定の理解が出来たのです。
要するに大アリアが成立するのは、
この難曲を抜群の技巧と構成力を持って、
聴衆を文句なしの陶酔に招いてこそなのです。
それが無理ならやらない方が、
作品自体としては余程まし、
ということになる訳です。
そこで今回の舞台を見ると、
テノールのルネ・バルベラは、
美声ですしアジリタもなかなか上手いんですね。
ただ、高揚感のあるような、
盛り上げのある歌い方は出来ない感じで、
長いフレーズだと、
だんだん置いているという感じになって、
尻すぼみになるという欠点があります。
今回は大アリア以外は満点に近い出来で、
アンサンブルや二重唱は素晴らしかったんですが、
大アリアは駄目でしたね。
これならカットした方が、
全体のバランス的には良かったな、
というように思いました。
ただ、今回は美声の歌手が揃って、
アンサンブルは抜群に良かったですよ。
1幕の二重唱なんて本当にウキウキしました。
ロッシーニの快楽がありました。
そして、特筆するべきは、
ロジーナを歌った脇園彩さんですね。
凄かったですよ。
バルトリのロッシーニは、
リサイタルの時に聴いたことがありますが、
今回の脇園さんのロジーナは、
大袈裟でなく若い頃のバルトリみたいでしたよ。
自然に声がするすると出て、
それほど張っているのではないのですが、
声の1つ1つが粒立っていて、
しっかり客席に届きます。
演技も悪くないし、それなりにスター性もあって、
これは相当じゃないかしら。
絶対にこれからは追いかけようと思いました。
久しぶりに凄いコロラトゥーラを聴きました。
そんな訳で大アリアは脱力でしたが、
それ以外はなかなか聴き応えのある公演で堪能しました。
明日までですが、
お薦めです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
これはもう何度も聴いているプロダクションですが、
新国立劇場のレパートリーとして上演されている、
ロッシーニの「セビリアの理髪師」を聴いて来ました。
これはロッシーニの代表作の1つで、
かつてはロッシーニと言えば、
殆ど「セビリアの理髪師」しか上演されない、
というような時代がありました。
それがロッシーニを得意とする歌手の登場や、
指揮者や学者などによるロッシーニ研究の高まりなどがあり、
多くのロッシーニの作品が復活され、
日本でも上演されるようになりました。
それでも、
矢張り上演頻度がダントツに多いのは、
「セビリアの理髪師」です。
多くのロッシーニ作品が復活上演された時には、
「セビリアの理髪師」は面白みに乏しいな、
というような印象を持ちました。
ロッシーニのアリアの特徴である、
アジリタなどの超絶技巧や装飾歌唱が、
人工的で不自然と考えられた時代には、
一番の聴き所でもあるラストのテノールの大アリアが、
カットされて上演されていたので、
尚更その印象がありました。
それが主に名テノール、ファン・ディエゴ・フローレスの功績により、
大アリアが実演でも復活し、
その抜群の高揚感とカタルシスが再認識されると、
この作品の魅力もまた、
再認識されることになったのです。
実際新国立劇場での「セビリアの理髪師」の上演も、
最近までは大アリアをカットしたもので、
確か前回の公演から、
漸く新国立版でも大アリアが歌われるようになりました。
今回も勿論歌われています。
ただし…
こうして大アリアが歌われることが通常になると、
かつては待望していたこの難曲が、
作品の中では少し余計者で蛇足のように、
感じられることがあるのも正直な感想です。
僕は実演で大アリアを含むヴァージョンを、
7回くらいは別キャストで聴いていると思いますが、
素晴らしいと感じたのは、
前述のフローレスと、
調子の良かった時のシラグーザの2回だけで、
後は「歌えてないなあ…高揚感…ないなあ(溜息)」
とガッカリするのが通例です。
そうしてみると、
そのすぐ後のフィナーレが、
抜群に優れて心が躍る名アンサンブルなので、
へっぽこ大アリアが、
フィナーレの印象を薄めてしまう、
というようにも思えます。
そこで、
「なるほど、これで大アリアをカットしたのね」
と先人の考えに一定の理解が出来たのです。
要するに大アリアが成立するのは、
この難曲を抜群の技巧と構成力を持って、
聴衆を文句なしの陶酔に招いてこそなのです。
それが無理ならやらない方が、
作品自体としては余程まし、
ということになる訳です。
そこで今回の舞台を見ると、
テノールのルネ・バルベラは、
美声ですしアジリタもなかなか上手いんですね。
ただ、高揚感のあるような、
盛り上げのある歌い方は出来ない感じで、
長いフレーズだと、
だんだん置いているという感じになって、
尻すぼみになるという欠点があります。
今回は大アリア以外は満点に近い出来で、
アンサンブルや二重唱は素晴らしかったんですが、
大アリアは駄目でしたね。
これならカットした方が、
全体のバランス的には良かったな、
というように思いました。
ただ、今回は美声の歌手が揃って、
アンサンブルは抜群に良かったですよ。
1幕の二重唱なんて本当にウキウキしました。
ロッシーニの快楽がありました。
そして、特筆するべきは、
ロジーナを歌った脇園彩さんですね。
凄かったですよ。
バルトリのロッシーニは、
リサイタルの時に聴いたことがありますが、
今回の脇園さんのロジーナは、
大袈裟でなく若い頃のバルトリみたいでしたよ。
自然に声がするすると出て、
それほど張っているのではないのですが、
声の1つ1つが粒立っていて、
しっかり客席に届きます。
演技も悪くないし、それなりにスター性もあって、
これは相当じゃないかしら。
絶対にこれからは追いかけようと思いました。
久しぶりに凄いコロラトゥーラを聴きました。
そんな訳で大アリアは脱力でしたが、
それ以外はなかなか聴き応えのある公演で堪能しました。
明日までですが、
お薦めです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2020-02-15 06:06
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