「アラビアのロレンス」 [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
1962年に公開されたデヴィッド・リーンの代表作、
「アラビアのロレンス」です。
これは僕にとっては、
映画のオールタイムベストの1本。
小学校の時から大作映画やスペクタクル映画、
というのが大好きで、
「ベン・ハー」、「十誡」、「ポセイドン・アドベンチャー」、
皆70ミリかシネラマで渋谷パンテオンか渋谷東急、
テアトル東京あたりの映画館で、
母親と一緒に小学生の時に観ています。
その中でも、
最初に観た時から、
これはちょっと普通の歴史大作とは違うぞ、
と子供ながらに思ったのがこの「アラビアのロレンス」で、
それでも小学生が観て、
分かるような映画ではないですよね。
正直、あらすじは理解出来ても、
その言わんとするところは、
あまり理解はしていませんでした。
その後高校生くらいの時に観直して、
「これは傑作」と思って、
映画館のスクリーンで観たのは都合2回ですね。
その後は何度かビデオやDVD、テレビなどで観直しています。
これね、本当に堂々たる風格のある映画ですよね。
単にお金を掛けているというだけではなく、
美術品のような立派さがありますね。
大画面を意識した構図がね、
また堂々たるもので本当に素晴らしいですね。
こういう映画は今絶対に作れません。
今の映画は変にアップを入れるでしょ。
この映画はそういうことを全くしていないんですよね。
とても上品です。
脚本がね、非常に哲学的で文学的なんですよね。
きちんとリアルな歴史物語としての構造を保ちながら、
随所にちょっと抽象的で記号的な表現を入れているでしょ。
そうした台詞がキャストの言葉として、
決して浮いていない、という点がまた凄いんですね。
たとえば拳銃であるとか、
象徴的な小道具の使い方も非常に上手いですね。
この辺り名人芸というか、
映画脚本術の、歴史的に1つの頂点である、
という気がします。
特筆するべきは砂漠の自然を捉えた映像の美しさで、
最初のロレンスが消したマッチの炎から、
砂漠の地平線に上る朝日に繋げるショットの鮮やかさ、
オマー・シャリフが登場する、
地平線から陽炎が浮かび、それがみるみる近づく場面、
砂嵐や風紋、駆け抜ける駱駝兵の大群など、
思わず息を呑む美しさです。
炎から砂漠へのジャンプショットは、
その後の「2001年宇宙の旅」を呼び込んだと思いますし、
動物に跨がった群衆による砂漠の戦闘は、
「スターウォーズ」の原型になっています。
つまり、映像において、
この映画は多くのその後のヒット作の、
母であり父なのです。
内容的には歴史大作という体裁を取りながら、
この映画はロレンスというロマンチックな幼児性を持つ若者の、
別世界での冒険を描いた、
ファンタジーに近い構造を持っています。
「ネバー・エンディング・ストーリー」や「オズの魔法使い」と、
同じ構造の物語なのですね。
しかし、ファンタジーであれば、
ラストは元の世界に戻ってめでたしめでたしで、
置いて来た架空の世界のことを、
主人公は顧みる必要はありません。
しかし、この映画のアラビアは、
ロレンスの幻想ではなく生身の人間の棲む世界なので、
それを架空の冒険世界のように生きてしまったロレンスは、
映画のラストで当然の如く、
「アラブの現実」に復讐されるのです。
これまでにこのように厳しく、
男のロマンと現実との相克を描いた映画があったでしょうか?
その点が僕の考える、
この映画の最も素晴らしい点だと思います。
大学生の時に友達と一緒にテレビで観たら、
最初のアラブ人の道案内と2人でロレンスが旅をするところで、
食事を左手で食べる場面があるんですね。
海外に詳しい友達が、
「不浄な左手でイスラム教徒が食べる訳ないじゃん。いい加減だな」
と指摘したので、
「名画だよ」と言って見せた手前、
何か恥ずかしい気持ちになって、
最後まで観ないで止めてしまいました。
今回その場面を観直してみたのですが、
左手で食べたのは、
アラブ人ではなくてロレンスでした。
アラブ人は右手だけを使って食べています。
なので、現地の事情に詳しい筈のロレンスですから、
それでもおかしいと言えばおかしいのですが、
はっきり大きなミス、
というほどでもないのかな、
というようには思いました。
ただ、1962年としては、
しっかり時代考証をしている映画だと思うのですが、
当然の如くアラブ人も主要キャストは皆英語を喋っていますし、
リアルというのとはほど遠いですよね。
この映画のアラブというのは、
プッチーニのオペラで描かれる「ラ・ボエーム」のフランスや、
「蝶々夫人」の日本と同じように、
1つの異世界との交流を描くための道具立てであって、
リアルな世界とは違うと捉えるべきなのではないかと思います。
いずれにしても、
映画という藝術が最も文化の先端であった幸福な時代の、
最良の果実の1つと言って間違いのない名作だと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
1962年に公開されたデヴィッド・リーンの代表作、
「アラビアのロレンス」です。
これは僕にとっては、
映画のオールタイムベストの1本。
小学校の時から大作映画やスペクタクル映画、
というのが大好きで、
「ベン・ハー」、「十誡」、「ポセイドン・アドベンチャー」、
皆70ミリかシネラマで渋谷パンテオンか渋谷東急、
テアトル東京あたりの映画館で、
母親と一緒に小学生の時に観ています。
その中でも、
最初に観た時から、
これはちょっと普通の歴史大作とは違うぞ、
と子供ながらに思ったのがこの「アラビアのロレンス」で、
それでも小学生が観て、
分かるような映画ではないですよね。
正直、あらすじは理解出来ても、
その言わんとするところは、
あまり理解はしていませんでした。
その後高校生くらいの時に観直して、
「これは傑作」と思って、
映画館のスクリーンで観たのは都合2回ですね。
その後は何度かビデオやDVD、テレビなどで観直しています。
これね、本当に堂々たる風格のある映画ですよね。
単にお金を掛けているというだけではなく、
美術品のような立派さがありますね。
大画面を意識した構図がね、
また堂々たるもので本当に素晴らしいですね。
こういう映画は今絶対に作れません。
今の映画は変にアップを入れるでしょ。
この映画はそういうことを全くしていないんですよね。
とても上品です。
脚本がね、非常に哲学的で文学的なんですよね。
きちんとリアルな歴史物語としての構造を保ちながら、
随所にちょっと抽象的で記号的な表現を入れているでしょ。
そうした台詞がキャストの言葉として、
決して浮いていない、という点がまた凄いんですね。
たとえば拳銃であるとか、
象徴的な小道具の使い方も非常に上手いですね。
この辺り名人芸というか、
映画脚本術の、歴史的に1つの頂点である、
という気がします。
特筆するべきは砂漠の自然を捉えた映像の美しさで、
最初のロレンスが消したマッチの炎から、
砂漠の地平線に上る朝日に繋げるショットの鮮やかさ、
オマー・シャリフが登場する、
地平線から陽炎が浮かび、それがみるみる近づく場面、
砂嵐や風紋、駆け抜ける駱駝兵の大群など、
思わず息を呑む美しさです。
炎から砂漠へのジャンプショットは、
その後の「2001年宇宙の旅」を呼び込んだと思いますし、
動物に跨がった群衆による砂漠の戦闘は、
「スターウォーズ」の原型になっています。
つまり、映像において、
この映画は多くのその後のヒット作の、
母であり父なのです。
内容的には歴史大作という体裁を取りながら、
この映画はロレンスというロマンチックな幼児性を持つ若者の、
別世界での冒険を描いた、
ファンタジーに近い構造を持っています。
「ネバー・エンディング・ストーリー」や「オズの魔法使い」と、
同じ構造の物語なのですね。
しかし、ファンタジーであれば、
ラストは元の世界に戻ってめでたしめでたしで、
置いて来た架空の世界のことを、
主人公は顧みる必要はありません。
しかし、この映画のアラビアは、
ロレンスの幻想ではなく生身の人間の棲む世界なので、
それを架空の冒険世界のように生きてしまったロレンスは、
映画のラストで当然の如く、
「アラブの現実」に復讐されるのです。
これまでにこのように厳しく、
男のロマンと現実との相克を描いた映画があったでしょうか?
その点が僕の考える、
この映画の最も素晴らしい点だと思います。
大学生の時に友達と一緒にテレビで観たら、
最初のアラブ人の道案内と2人でロレンスが旅をするところで、
食事を左手で食べる場面があるんですね。
海外に詳しい友達が、
「不浄な左手でイスラム教徒が食べる訳ないじゃん。いい加減だな」
と指摘したので、
「名画だよ」と言って見せた手前、
何か恥ずかしい気持ちになって、
最後まで観ないで止めてしまいました。
今回その場面を観直してみたのですが、
左手で食べたのは、
アラブ人ではなくてロレンスでした。
アラブ人は右手だけを使って食べています。
なので、現地の事情に詳しい筈のロレンスですから、
それでもおかしいと言えばおかしいのですが、
はっきり大きなミス、
というほどでもないのかな、
というようには思いました。
ただ、1962年としては、
しっかり時代考証をしている映画だと思うのですが、
当然の如くアラブ人も主要キャストは皆英語を喋っていますし、
リアルというのとはほど遠いですよね。
この映画のアラブというのは、
プッチーニのオペラで描かれる「ラ・ボエーム」のフランスや、
「蝶々夫人」の日本と同じように、
1つの異世界との交流を描くための道具立てであって、
リアルな世界とは違うと捉えるべきなのではないかと思います。
いずれにしても、
映画という藝術が最も文化の先端であった幸福な時代の、
最良の果実の1つと言って間違いのない名作だと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。