「沈黙」(イングマール・ベルイマン監督) [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で診療は午前午後とも石原が担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
イングマール・ベルイマン監督の、
最高傑作の1つ「沈黙」です。
ベルイマン監督の作品も、
丁度僕が中学生から高校生の頃に特集上映をやっていて、
最初にこの映画を日劇文化で観て、
それから「冬の光」と「魔術師」を、
有楽町の駅前で観ました。
当時は全く分からなかったですね。
チンプンカンプンという感じ。
その後「野いちご」はテレビで観て、
意外に軽い映画だなあ、と感じて、
その後に水戸の映画館で「ファニーとアレクサンドル」を、
1日掛けて観て、
これはとても面白かったですね。
年代記的な大作ですが、
幻想的な部分も含めて、
人間ドラマの豊穣な魅力に満ちていました。
ただ、若かったので観られたので、
今ではとても観通せるという自信がありません。
この「沈黙」は他に類例のないような映画で、
間違いなく「何か凄い物を見せられている」
という感じはあるのですね。
ただ、あまりに突き放した、
とても抽象的で取りとめのない内容なので、
実際に何を見せられているのか、
ということを理解するのは、
なかなかに厄介です。
翻訳家の知的な姉と、肉感的な妹の姉妹と、
その妹の子供の少年が、
旅行中に姉が病気で倒れ、
東欧と思われる異国のホテルに、
予定外の滞在をすることになります。
言葉の全く通じない世界に、
3人は取り残されるのですが、
3人はそれぞれ言葉の通じない異国の住民とは、
コミュニケーションを取ることが出来る一方で、
言葉の通じる姉妹は互いに反発し、
秘密を抱え、攻撃し合って、
妹は病気に倒れた姉を置いて、
出て行ってしまいます。
象徴的なイメージと、
完璧な構図と光と影の絶妙な効果など、
モノクロ映画の1つの頂点を極めた圧倒的な映像美。
そして、当時としては衝撃的な性描写。
2人の女優さんの振り切れた演技の凄まじさと、
見どころは満載の作品ですが、
果たして何を表現しているのか、
ということになると、
何度観てもよく分かりません。
一応「神の沈黙」3部作の完結編ということになっていて、
神が沈黙してしまった世界での、
人間の苦悩がテーマであるとされています。
最後に「精神」と書かれたメモを、
子供から渡された妹が、
苦悩するようなラストが用意されているので、
肉体と精神の相克を表現している、
という見方が一般的なようです。
肉欲に惹かれながら、
肉体の病のために精神世界に執着せざるを得ない姉の分身のように、
姉への反発から妹は、
言葉も通じない異国で肉欲の世界に身を沈めるのですが、
姉妹は結局同じように、
身体と精神を引き裂かれるような、
異様な苦悩に身を沈めて生き続けるしかないのです。
姉妹が全く同じポーズで、
苦悩に身を沈める場面は、
このことを端的に示しているようです。
姉妹は亡くなった父親のことを口にし、
妹は姉が父と共に死ぬべきであった、
というような言葉を口にします。
ベルイマンの父親も牧師であったことから、
父親は神に繋がる存在である、
ということが匂わされているようです。
オープニングとエンディングは列車の車内なのですが、
オープニングはとても走っている列車のようには見えず、
車窓の風景も抽象的な書き割りなんですね。
それがエンディングでは外の景色がリアルに見えていて、
妹は窓を開けて外の雨を浴びます。
結局エンディングのみが現実なのではないか、
というようにも見えます。
姉は既に死んでいて、
生と死の世界の往還を、
観客は見せられていたのかも知れません。
この映画を日劇文化で観たのは、
多分中学生の時だと思います。
ただ、初公開時は成人指定であったということですから、
リバイバル公開時はおそらくカットされて一般指定になったのかな、
というように推察します。
今回観なおしてみて、
かなり刺激的な性描写に驚いたのですが、
これがそのまま公開された筈はないと思います。
それでも、子供ながらに、
妹役のグルネル・リンドブレムが好きになりました。
「血とバラ」のアネット・ヴェディムも好きで、
2人とも同じタイプの雰囲気があり、
同じフォルムのドレスを着ていました。
中学時代の秘かなマドンナであったのです。
ベルイマンの入門編としてはあまり向いていない気がしますが、
孤高の傑作で一見の価値は間違いなくあると思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で診療は午前午後とも石原が担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
イングマール・ベルイマン監督の、
最高傑作の1つ「沈黙」です。
ベルイマン監督の作品も、
丁度僕が中学生から高校生の頃に特集上映をやっていて、
最初にこの映画を日劇文化で観て、
それから「冬の光」と「魔術師」を、
有楽町の駅前で観ました。
当時は全く分からなかったですね。
チンプンカンプンという感じ。
その後「野いちご」はテレビで観て、
意外に軽い映画だなあ、と感じて、
その後に水戸の映画館で「ファニーとアレクサンドル」を、
1日掛けて観て、
これはとても面白かったですね。
年代記的な大作ですが、
幻想的な部分も含めて、
人間ドラマの豊穣な魅力に満ちていました。
ただ、若かったので観られたので、
今ではとても観通せるという自信がありません。
この「沈黙」は他に類例のないような映画で、
間違いなく「何か凄い物を見せられている」
という感じはあるのですね。
ただ、あまりに突き放した、
とても抽象的で取りとめのない内容なので、
実際に何を見せられているのか、
ということを理解するのは、
なかなかに厄介です。
翻訳家の知的な姉と、肉感的な妹の姉妹と、
その妹の子供の少年が、
旅行中に姉が病気で倒れ、
東欧と思われる異国のホテルに、
予定外の滞在をすることになります。
言葉の全く通じない世界に、
3人は取り残されるのですが、
3人はそれぞれ言葉の通じない異国の住民とは、
コミュニケーションを取ることが出来る一方で、
言葉の通じる姉妹は互いに反発し、
秘密を抱え、攻撃し合って、
妹は病気に倒れた姉を置いて、
出て行ってしまいます。
象徴的なイメージと、
完璧な構図と光と影の絶妙な効果など、
モノクロ映画の1つの頂点を極めた圧倒的な映像美。
そして、当時としては衝撃的な性描写。
2人の女優さんの振り切れた演技の凄まじさと、
見どころは満載の作品ですが、
果たして何を表現しているのか、
ということになると、
何度観てもよく分かりません。
一応「神の沈黙」3部作の完結編ということになっていて、
神が沈黙してしまった世界での、
人間の苦悩がテーマであるとされています。
最後に「精神」と書かれたメモを、
子供から渡された妹が、
苦悩するようなラストが用意されているので、
肉体と精神の相克を表現している、
という見方が一般的なようです。
肉欲に惹かれながら、
肉体の病のために精神世界に執着せざるを得ない姉の分身のように、
姉への反発から妹は、
言葉も通じない異国で肉欲の世界に身を沈めるのですが、
姉妹は結局同じように、
身体と精神を引き裂かれるような、
異様な苦悩に身を沈めて生き続けるしかないのです。
姉妹が全く同じポーズで、
苦悩に身を沈める場面は、
このことを端的に示しているようです。
姉妹は亡くなった父親のことを口にし、
妹は姉が父と共に死ぬべきであった、
というような言葉を口にします。
ベルイマンの父親も牧師であったことから、
父親は神に繋がる存在である、
ということが匂わされているようです。
オープニングとエンディングは列車の車内なのですが、
オープニングはとても走っている列車のようには見えず、
車窓の風景も抽象的な書き割りなんですね。
それがエンディングでは外の景色がリアルに見えていて、
妹は窓を開けて外の雨を浴びます。
結局エンディングのみが現実なのではないか、
というようにも見えます。
姉は既に死んでいて、
生と死の世界の往還を、
観客は見せられていたのかも知れません。
この映画を日劇文化で観たのは、
多分中学生の時だと思います。
ただ、初公開時は成人指定であったということですから、
リバイバル公開時はおそらくカットされて一般指定になったのかな、
というように推察します。
今回観なおしてみて、
かなり刺激的な性描写に驚いたのですが、
これがそのまま公開された筈はないと思います。
それでも、子供ながらに、
妹役のグルネル・リンドブレムが好きになりました。
「血とバラ」のアネット・ヴェディムも好きで、
2人とも同じタイプの雰囲気があり、
同じフォルムのドレスを着ていました。
中学時代の秘かなマドンナであったのです。
ベルイマンの入門編としてはあまり向いていない気がしますが、
孤高の傑作で一見の価値は間違いなくあると思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。