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中高年からの筋力トレーニングの有効性 [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は午前午後ともいつも通りの診療になります。

それでは今日の話題です。
今日はこちら。
高齢からの運動の効果.jpg
2019年のFrontiers in Physiology誌に掲載された、
高齢になってから開始された運動の効果についての論文です。

世界的に進行している高齢化社会において重要となるのは、
高齢になっても、
身の回りのことが自力で出来るような健康状態を、
可能な限り長く保つということです。

そのために必要なことは認知症の予防など多くありますが、
筋肉量(骨格筋の量)を維持するということが非常に重要です。

運動などをあまり意識せずに生活していれば、
中年以降筋肉量は減少してゆきます。
これをサルコペニアと呼び、
50歳以降では年に0.5から1%筋肉量は減少し、
筋力はその3から5倍大きく低下するとされています。

筋肉量が低下すれば、
呼吸や消化、嚥下や歩行などの機能は低下し、
転倒して骨折なども起こりやすくなりますし、
食事量も低下するので、
それがより筋肉量の低下に拍車を駆けてしまいます。

それでは、サルコペニアを予防するには、
どうすればいいのでしょうか?

筋力トレーニングのような運動は、
筋肉に負荷を掛けることによって、
その後筋肉量の増加に結び付くシグナルを活性化させます。

それが運動により筋肉量が増加する仕組みです。

しかし、筋肉量が減少し続けている高齢者では、
若い人と同じように筋トレをしても、
その効果はより少ないものになることが知られています。

それでは、この高齢者が筋トレをした時の筋肉の増加反応は、
全く運動習慣のないような高齢者と、
プロのアスリートのように、
普段から運動を継続している高齢者との間では、
差があるものでしょうか?

アスリートの方がより筋肉の増加反応は大きい、
というのが従来の定説ですが、
その根拠となるデータはそれほど多くはありませんでした。

そこで今回の研究ではイギリスにおいて、
運動経験のない60から80歳の高齢者8人と、
年齢などをマッチングさせた、
自転車競技などを行っていた引退したアスリート7名に、
同じ筋トレをやったもらい、
その前後で筋生検を行って、
筋肉の増加につながる、
筋原線維蛋白質の合成率を比較しています。

その結果、筋肉の合成に繋がる反応には、
アスリートでも運動経験のない人でも、
同じ高齢者であれば差はありませんでした。

つまり、筋トレの効果というものも、
年齢とともに低下する性質のものなので、
60歳以上の高齢者においては、
運動初心者であってもアスリートであっても、
その筋肉増加につながる反応には差はなく、
同程度の効果しか期待は出来ないということになり、
言い方を変えれば、
たとえ運動経験のない高齢者であっても、
筋トレをすることで、
アスリートと遜色のない効果が期待出来る、
ということになります。

加齢により低下する筋肉の機能が何であり、
運動習慣の継続によりそのうちの何が予防可能なのか、
といった点についてはまだ不明の点が多く、
互いに相反する結果もあるので、
1つの研究だけで軽率な結論には至れませんが、
今回の結果は運動経験のないまま年を重ねた方にとっては、
勇気づけられる結果ではないかと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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「記憶にございません!」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
記憶にございません.jpg
三谷幸喜さんの新作映画「記憶にございません!」を観て来ました。

これはね、
どうせ詰まらないだろうな、という、
かなり低い期待で観に行って、
始まってみると期待の通りと言うのか、
格別笑えるという訳でもない、
低レベルの政治ギャグみたいなものが続くので、
こんな感じか…と、目を半分開くような感じで見ていたのですが、
ラストになってある仕掛が明らかになると、
なるほどそういうことなのね、
とそのテーマ性に素直に感銘を受け、
仕掛というか筋のひねり加減が、
決してただのどんでん返しのようなものではなくて、
僕たちがそれまで先入観で見ていたものを、
問い直されるような気分になるのが鮮やかでした。

なかなかやるじゃん。

素直にそう思えた一作で、
それが分かるきっかけが、
小学生の時の作文というのも面白く、
ラストの台詞の複雑な意味合いも、
三谷さんの真骨頂と言って良いものでした。

テーマは要するに「人間は変われる!」ということなのですが、
それをこうしたストーリーの中で表現して、
老若男女を問わずそれぞれのレベルで受け止められるような、
心に響く作品に仕上げるというのは、
なかなか通常の創作者に出来ることではないと思います。

しかも、その作品を、
実際に試写会で現職の総理大臣に見せているでしょ。
これは凄いですよね。
力がなければ出来ることではないですし、
こうして人間の心に1つの爪痕を残すというのが、
本当の意味で藝術家がやらなくてはいけないことではないかしら。

三谷さん本当に凄いと思います。

ただ、作品としては、
いつものメンバーがいつものお芝居をして、
いつものクスグリをしているけれど笑えない、
という感じはありますね。

今回予備知識なく見たので、
何人かどうしても誰なのか分からないようなキャストがあり、
それがエンドクレジットで明かされて、
「よく化けたのね」と感心するようなお楽しみはありました。

でも、それだけがお楽しみじゃね、という気はしました。

作品の舞台はちょっとレトロな日本で、
現代とは言っていないのがミソです。
今は日本の立ち位置も微妙で、
地勢的に食うか食われるかというところがあり、
政治の世界を舞台に取って、
日本の中だけで面白おかしく描く、
というのは難しいというか、
おそらくフィクションとしては不可能ですよね。

その辺の配慮がこうした設定につながったのかな、
という気はします。
これは仕方がないですね。

そんな訳で、
個人的には三谷幸喜さんの映画としては、
最良と思える1本で、
いつもの不満はいつも通りにあるのですが、
そのテーマ性とある種の心意気のようなもの、
そして何より1人の藝術家としての矜持のようなものに、
とても感銘を受けた作品でした。

面白さは保証できません。
ただ、今見る価値のある映画であることは断言出来ます。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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大島真寿美「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」 [小説]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも中村医師が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
渦.jpg
第161回直木賞を受賞した、
大島真寿美さんの「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び」を先日読了しました。

人形浄瑠璃の全盛期から少し遅れて登場して、
極めてマニアックで技巧的で複雑怪奇で魅力的な作品を多く残した、
希代の天才戯作者、近松半二の人生を、
連作短編的な形式で、
語り物的な上方訛りの軽快な文体で活写した作品です。

どんなものかなあ、と思いながら、
恐る恐る読み始めたのですが、
その文体のリズムに魅せられつつ、あら不思議、
2日掛からずにほぼ一気に読んでしまいました。

とても面白い小説であることは間違いがありません。

どちらかと言えば、
歌舞伎や文楽について一定の知識はあった方が、
楽しめる作品であることは確かです。

題名にもあるように、
近松半二の代表作の1つである「妹背山婦女庭訓」が、
完成するまでのいきさつが、
全編のクライマックスといって良いので、
それが実際にどのような作品であるのかを知っていた方が、
より作品の勘所が、
深く鑑賞出来ることは事実です。

近松半二は人形浄瑠璃の戯作者ですが、
「妹背山婦女庭訓」の後半部分は歌舞伎味が強く、
それがこの小説では、
後半の完成に歌舞伎の戯作者が加わるという設定を作って、
マニアがなるほどと思うような物語にしています。
さすがと感じました。

ただ、一読後に振り返ってみると、
少し疑問に思うようなところもあります。

近松半二の代表作の1つが、
「妹背山婦女庭訓」であることは間違いがありませんが、
その成立の2年前には、
「一ノ谷嫩軍記」をより複雑化して、
万華鏡のような唯一無二の壮絶な自己犠牲の連鎖を完成させた、
「近江源氏先陣館」と、
翌年にはその後編に当たる「鎌倉三代記」があり、
その3年前にはミステリー的構成に耽美趣味を絡めた、
「本朝廿四孝」という名作があります。
つまり、この間の8年余りは半二の全盛期で、
どれが代表作と言っても過言ではありません。

それを「妹背山婦女庭訓」1作に、
集約してしまったところに、
この小説の作為のようなものがあるのです。

この作品は演劇の戯作者というより、
小説家の苦悩と孤独を掘り下げたものだと言って良いと思います。

孤独な創作の現場という点では、
とても説得力を持ち、
人生と創作との葛藤のようなものに、
そのしみじみとした哀感に、
心が揺さぶられるのですが、
人形浄瑠璃の集団創作の現場として見ると、
いささか現実離れをしているようにも思えます。

これはあくまで作家の想像力の範疇の物語で、
集団創作の実際とは異なる世界なのです。

そうした不満は少しあるのですが、
人形浄瑠璃という語りの世界を、
現代的な語り物の技巧の中で再現した、
一気読み必死のリーダビリティに溢れた1作で、
小説ファンと文楽・歌舞伎ファンのいずれにも、
自信を持ってお薦め出来る逸品です。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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ビタミンDのサプリメントと死亡リスク(2019年のメタ解析) [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は金曜日でクリニックは休診ですが、
老人ホームの診療などには廻る予定です。

それでは今日の話題です。
今日はこちら。
ビタミンDと癌死亡.jpg
2019年のBritish Medicl Journal誌に掲載された、
ビタミンDのサプリメントの使用と、
各種病気の死亡リスクとの関連を検証した、
メタ解析の論文です。

基礎実験や動物実験のレベルでは、
ビタミンDは細胞の成長や分化を調節し、
癌の発症を抑制するような効果があると報告されています。

ただ、実際にビタミンD濃度が高いことが、
癌の発症を抑制するかどうかは、
まだ明確ではありません。

観察研究のメタ解析のデータによると、
25(OH)D濃度が高いと大腸癌のリスクが低い、
という結果が報告されています。
乳癌と前立腺癌についても、
それを示唆するデータが報告されています。
ただ、癌になって消耗した状態では。
血液のビタミンD濃度も低くはなることが想定されるので、
これが本当にビタミンDが高いことの影響であるとは、
これだけでは言えません。

2017年に大規模な遺伝子解析のデータを活用した、
メンデル無作為化解析という手法による、
ビタミンD濃度と癌リスクとの関連を検証した研究が、
British medical journal誌に掲載されました。
前立腺癌、乳癌、肺癌、大腸癌、卵巣癌、膵臓癌、神経芽細胞腫の、
7種類の癌での検証において、
ビタミンDが低下する遺伝子変異と、
癌のリスクとの間には明確な関連は認められませんでした。
弱い関連のある可能性は残るものの、
現時点でビタミンD濃度を測定して癌のリスクを判断したり、
ビタミンDの補充を癌予防のために行うという治療の妥当性は、
現時点では低い、という結果です。

今回の研究は、
これまでで最新のシステマティックレビューとメタ解析で、
2018年末までの主だった臨床データがまとめて解析されています。

これまでの52の臨床研究の、
トータルで75454名のデータをまとめて解析したところ、
ビタミンDのサプリメントは、
総死亡のリスクにも、心血管疾患による死亡のリスクにも、
有意な影響を与えていませんでした。
一方で癌による死亡リスクについては、
16%(95%CI: 0.74から0.95)有意に低下させていました。

今回のデータでは、
ビタミンDのサプリメントの効果は、
癌による死亡リスクの低下についてのみ示されていました。

ただ、実際にはこれまで複数回報告されているメタ解析において、
それぞれ異なった結果が得られているということもあり、
この問題はこうした方法で簡単に白黒が付く、
というものではなさそうです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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アスピリンの一次予防の有効性とリスクについて [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は午前午後ともいつも通りの診療になります。

それでは今日の話題です。
今日はこちら。
アスピリンの一次予防の有効性.jpg
2019年のAnnals of Internal Medicine誌に掲載された、
アスピリンの一次予防の有効な対象者が、
どのくらいいるのかを検証した論文です。

1日80から100mg程度のアスピリンを継続的に飲むことに、
心血管疾患や腺癌というタイプの癌の、
予防効果のあることは、
多くの疫学データや精度の高い臨床試験においても、
実証されている事実です。

ただ、その一方でアスピリンには出血系の合併症があり、
使用を継続することで、
消化管出血や脳出血などのリスクは増加します。

従って、アスピリンを服用することが、
その人にとって有益であるかどうかは、
その作用と有害事象とのバランスに掛かっています。

その有効性は一度そうした病気になった人の、
再発予防効果としては確立されていますが、
まだ病気にはなっていない場合の、
一次予防効果については、
どのような対象者を選ぶかによっても、
その結果は様々で統一した見解とはなっていません。

2018年のthe New England Journal of Medicine誌に掲載された、
糖尿病の患者さんにおけるアスピリンの一次予防効果を検証した論文では、
アスピリンを使用することにより、
心血管疾患は12%減少し、
その一方で出血系の合併症は29%増加していました。

2019年のJAMA誌に掲載された、
システマティック・レビューとメタ解析の論文では、
これまでの13の介入試験のトータル164225名のデータをまとめて解析した結果として、
アスピリンは心血管疾患のリスクを相対リスクで11%(95%CI: 0.84から0.95)、
絶対リスクで0.38%(95%CI: 0.20から0.55)、
それぞれ有意に低下させていました。
これは265人にアスピリンを使用することで、
1人の心血管疾患を予防出来る、
という確率と推計されます。

一方でアスピリンを使用することによる、
重篤な出血系合併症のリスクは、
相対リスクで1.43倍(95%CI: 1.30から1.56)、
絶対リスクで0.47%(95%CI: 0.34から0.62)、
それぞれ有意に増加していました。
これは210名にアスピリンを使用すると、
1人が出血系の合併症を発症する、
というくらいの確率と推計されます。

こうした予防効果と有害事象のバランスを、
どのように考えれば良いのでしょうか?

今回の研究では、
これまでのこうした心血管疾患のリスクの推計と、
出血系の有害事象の生じるリスクの推計を元に、
ニュージーランドにおいて、
30から79歳でこれまでに心血管疾患の既往のない、
トータル245028名の心血管疾患のリスクの算出を行い、
アスピリンの一次予防がどの程度に有効であるかを検証しています。

これはやや大雑把な仮定になりますが、
5年間に1つの心疾患疾患を発症するリスクを、
重篤な血管系の合併症を発症するリスクと、
ほぼ同じとして計算すると、
今回の対象者のうち、
女性の2.5%と男性の12.1%では、
アスピリンの一次予防としての使用が、
メリットがあると計算されました。

もし同じ5年間に1つの心血管疾患を発症するリスクを、
重篤な出血系の合併症を2つ発症するリスクと同じとして計算すると、
女性の21.4%と男性の40.7%で、
アスピリンの一次予防のメリットがあると計算されました。

今回の推計の前提はかなり大雑把なものなので、
これをそのまま適応してアスピリンの一次予防の対象を決定することは、
現時点ではあまり実際的とは言えませんが、
こうしたデータを積み重ねることで、
より実際的なアスピリンの適応が、
決められることを期待したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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脳卒中から間もない時期の運動療法のリスク [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は水曜日で診療は午前中で終わり、
午後は別件の仕事で都内を廻る予定です。

それでは今日の話題です。
今日はこちら。
脳卒中後の運動の効果.jpg
2019年のBritish Medical Journal誌に掲載された、
脳卒中から間もない時期に運動をすることの、
病気の予後への効果を検証した論文です。

脳卒中を起こすと、
回復しても身体の麻痺などの後遺症が残り、
生活の質が大きく低下することが稀ではありません。

同じ動脈硬化に関わる血管の病気である心筋梗塞においては、
受傷後の早期から運動を開始し、
徐々に身体に負荷を掛けてゆくことが、
その後の回復をサポートする上で重要であると考えられています。

その一方で脳卒中においては、
通常のリハビリテーションに加えて、
受傷後の早期から有酸素運動を行なうことで、
より患者さんの予後が改善するかどうかは、
明確な結論が出ていません。

そこで今回の検証では、
ドイツの複数施設において、
中等度以上の重症度の脳卒中を起こしてから、
5日から45日の間という亜急性期の患者さん、
200名をくじ引きで2つの群に分けると、
通常のリハビリテーションに加えて、
一方は自立訓練法のようなリラクゼーションのプログラムを行ない、
もう一方は積極的な運動療法のトレーニングを、
いずれも週に5日25分ずつ行い、
3か月後の状態を比較検証しています。

その結果、
運動耐容能の指標や患者さんの症状には両群で差がなく、
脳卒中の再発や入院などの頻度は、
有意ではないものの積極的な運動療法群で高くなっていました。

つまり、
積極的な運動は、
必ずしも脳卒中の患者さんの予後を改善しなかった、
という結果です。

この問題は今後より詳細な検証が必要と思いますが、
現時点では脳卒中発症から45日以内という時期に、
積極的な運動療法は危険な可能性の方が高い、
と考えておいた方が良いようです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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腎機能低下時のメトホルミンの有効性について [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は午前午後ともいつも通りの診療になります。

それでは今日の話題です。
今日はこちら。
メトホルミンの腎機能低下における有効性.jpg
2019年のJAMA誌に掲載された、
腎機能低下時のメトホルミンの有効性を、
SU剤と比較して検証した論文です。

メトホルミンはインスリン抵抗性を改善する作用を持つ、
飲み薬の血糖降下剤で、
血糖を低下させると共に、
糖尿病の患者さんの長期予後にも良い影響を与えることが、
精度の高い多くの臨床試験で実証されていることから、
2型糖尿病の基礎薬としての位置が、
世界的に確立されている薬です。

ただ、その副作用である乳酸アシドーシスのリスクが増加する懸念から、
腎機能の低下している患者さんに対しては、
慎重投与という対応が取られています。

腎機能は血液のクレアチニンという数値から推算される、
糸球体濾過量(eGFR)という指標で臨床的には区分けされます。

アメリカのFDAは、
現在ではこの指標が30mL/min/1.73㎡未満は、
メトホルミンの禁忌で、
45未満の時は新規導入は不可としています。

別のガイドラインにおいては、
30から60は慎重投与という扱いであったり、
30から45では低用量で使用する、
というように記載されているものもあります。

2018年のJAMA Internal Medicine誌に掲載された論文では、
eGFRが30未満で乳酸アシドーシスのリスクが増加する、
という結果が得られていて、
現行のガイドラインを支持する内容となっています。

ただ、これは薬の安全性における検討であって、
腎機能が低下している患者さんでも、
低下していない患者さんと同等の有効性があるかどうか、
というような点については、
あまり明確なことが分かっていませんでした。

そこで今回の研究では、
アメリカの退役軍人を対象とした疫学データを活用して、
腎機能の指標であるeGFRの数値が60mL/min/1.73㎡未満であるか、
もしくは血液のクレアチニンの数値が、
男性で1.5mg/dL以上、女性で1.4mg/dL以上という、
顕性の腎機能低下のある2型糖尿病の患者さんにおいて、
メトホルミンとSU剤による単剤の治療が、
その後の心血管疾患の発症に与える影響を比較検証しています。

対象となっているのは、
上記基準による腎機能低下のある2型糖尿病の患者さんで、
メトホルミンを使用している24679名と、
SU剤を使用している2時以降を4799名です。
中間値でメトホルミン群が1.0年、SU剤群が1.2年の経過観察を行なったところ、
急性心筋梗塞や脳卒中などの心血管疾患の発症リスクは、
SU剤と比較してメトホルミン群において、
20%(95%CI: 0.75から0.86)有意に低下していました。

このように、
軽度から中等度の腎機能低下において、
従来広く使用されていたSU剤と比較して、
メトホルミンは安全性に遜色がないばかりか、
その心血管疾患予防の有効性も、
優れていることが確認されたのです。

現状日本においても、
eGFRが30mL/min/1.73㎡を超えていれば、
メトホルミンの継続治療には大きな問題はなく、
腎機能が低下すれば適宜減量しつつ継続し、
45を超えていれば新規の開始にも大きな問題はない、
というように考えて良いようです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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劇団「地蔵中毒」第十一回公演「ずんだ or not ずんだ」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は祝日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
地蔵中毒.jpg
無教訓意味なし演劇と題した公演を、
最近精力的に上演して人気急上昇中の劇団「地蔵中毒」の、
高田馬場での公演に足を運びました。

この劇団は観るのは初めてです。

これは想像していたより、
かっちりとした出来のお芝居で、
括りで言えばナンセンス・コメディという感じのものです。

一番個人的に似ていると思うのは、
ブルー&スカイさんのお芝居で、
以前の「演劇弁当猫ニャー」というのは、
こんな感じのお芝居でした。

友達であったり、
子弟であったり、家族であったりの、
数人の組み合わせで演じる、
シチュエーションコント的なものが並列で展開されて、
それが次第に絡み合って、
日本を揺るがすような大騒動に発展する、
というようなお話です。

全員出演の大騒ぎがあってから、
最後は女優さんの独白で締め括られるなど、
起承転結は小劇場的にはしっかり出来ていて、
役者さんも小劇場的にはなかなか達者な人が多く、
とても安定感があります。

ただ、上演時間は2時間15分くらいと、
こうした作品としてはかなり長尺で、
正直後半はかなりしんどく感じる部分もありました。
意外にストーリーがカッチリと出来ていて、
それを説明した上で、
そこにギャグが乗っかる、という感じになるので、
ミュージカルが歌の分長くなるのと一緒で、
ギャグの分長くなってしまうのです。

役者さんも作者も真面目な感じが伝わるので、
こんなに真面目でなくてもいいのに、
というようには少し思ってしまいました。

この集団がどのように進んでゆくのかは分かりませんが、
勢いのあることは間違いがなく、
今後のお芝居にも期待したいと思いました。

頑張って下さい。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごしください。

石原がお送りしました。
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阿佐ヶ谷スパイダース「桜姫」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
桜姫.jpg
阿佐ヶ谷スパイダースが歌舞伎の「桜姫東文章」を元にしたお芝居を、
吉祥寺シアターで上演しています。

元々シアターコクーン向けに書かれて未上演となった台本を、
今回使用して初めての公演とのことです。

これは南北の「桜姫東文章」とほぼ同じ筋立てを、
時代を第二次大戦後すぐくらいに移して、
生演奏を入れた音楽劇にしています。
芝居小屋かレビューっぽい雰囲気もありますし、
かつての黒テントのレビュー形式のお芝居に、
とてもよく似たスタイルです。

歌舞伎の原作はヒロインが仇討をしてめでたし、
という感じになりますが、
この作品ではその部分はもっと身もふたもない感じになり、
ヒロインは無雑作に殺されて、
戦地を潜り抜けた殺人マシーンのような虚無的な権助が、
キャストを皆殺しにして終わります。

ただ、どうなのだろう。
それほどショッキングでもないですし、
即物的に人が死んだり不幸になるのも、
悪くはないのですが、
それだけを延々と見せられても、
いささかゲンナリするような気分が否めません。

黒テントのまだ精力的に活動していた頃のお芝居などを、
観たことのない方には、
今回のような演出や古典の再構築は新鮮に見えるかも知れませんが、
僕などはさんざんにその洗礼は受けているので、
あまり新味は感じませんでしたし、
かと言って懐かしさも感じませんでした。

それでも、
内省的な作家の自分探しのような舞台よりは、
長塚さんの本領に近いお芝居というようには感じました。

もっとやるなら過激にやって欲しいな。

何か欲求不満気味の観劇でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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長塚圭史「アジアの女」(2019年吉田鋼太郎演出版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は石原が外来を担当する予定です。

土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
アジアの女.jpg
2006年に新国立劇場の演劇公演として初演された、
「アジアの女」というお芝居が、
シアターコクーンで吉田鋼太郎さんの演出の元に、
装いも新たに再演されています。

これは東京で大震災が起こって東京が隔離され、
そこに取り残された兄妹と、
そこに関わる作家を中心とした物語です。

立ち入り禁止区域の廃屋に住み続ける兄妹であるとか、
そこに入り込んだボランティアや、
住みついた外国人とのトラブルなど、
今観るとどう考えても東日本大震災後のドラマなのですが、
実際にはずっと以前に書かれたものです。

僕は初演版も観ていますが、
初演観劇当時は大袈裟で曖昧な設定に、
釈然としない気分になったのが実際でした。

ただ、今改めて再見してみると、
当時の長塚さんの先見性というか予見性のようなものに、
「冴えていたのね」と素直に感心しました。

この作品は欧米の台詞劇に近いスタイルを狙ったもので、
初演の作家役は岩松了さんでしたから、
岩松さんの劇作のスタイルに、
長塚さんが挑戦した、というニュアンスもありました。
食い詰めた若者の殺し合いのような、
暴力性やすさんだ情感が長塚さんの初期のスタイルでしたが、
この作品では暴力は舞台の外でしか起こらないので、
長塚さんの過激な芝居を見慣れていた当時は、
物足りない気分になったことも事実です。
ただ、その後の長塚さんの劇作は、
どちらかと言えば過激を封印した作家の自分探しのドラマに、
傾斜していったように思います。

これは言ってみれば、
フィクションに何が出来るかに葛藤し苦悩する、
長塚さんの自分探しのドラマの原点のような意味合いの作品なのです。

初演は新国立劇場の小劇場で、
登場人物も5人と少人数ですから、
元々小劇場向けに書かれたお芝居です。

それを今回は中劇場でもやや大きい部類のシアターコクーンで、
石原さとみさんがヒロインを演じ、
吉田鋼太郎さんが主演を勤めて演出にも当たるという、
豪華版の再演を行なっています。

吉田鋼太郎さんの演出は果たして…
と思って観ていると、
いきなりバーバーの「弦楽のためのアダージョ」が流れて、
崩れかけた家々の大セットに、
多方向から万華鏡のような照明が当たり、
真っ赤な衣装のヒロインが、
強烈な白いスポットに照らし出されて、
芽の出る筈のないコンクリの地面に、
種を播き水を撒いているので、
「これ、蜷川幸雄じゃん」と、
驚き半分、納得半分という気持ちになりました。

その後もラストの外開きを含めて、
まごうことなき蜷川演出で、
多分スタッフも同じなのだと思いますし、
懐かしい蜷川芝居が展開されたのです。

こうなると、吉田鋼太郎さんは今回の企画の中で、
どの程度の役割を果たしていたのかしら、
というのは疑問に感じるところです。
主役で普段より演技にも力が入っている感じでしたから、
演出に傾注したというようにも思えませんし、
「これは蜷川芝居でやりますね」
という企画意図に乗っかって、
お任せでこんな感じになったのではないかな、
というように推察はされますが、
それが事実であるかどうかは分かりません。

トータルな舞台の感想としては、
初演より色々な意味でスケールアップしていて、
キャストも数段豪華で見応えがありました。

石原さとみさんは声が悪いのが、
舞台ではやや難点ですが、
さすがに華がありますし、
役柄にも合っていました。
その兄を演じた山内圭哉さんはおそらく今回のMVPで、
心優しいろくでなしのアルコール中毒者を、
リアルかつ繊細に演じていました。
良かったですよね。
特に後半石原さとみさんとの2人の場面は、
「ガラスの動物園」を彷彿させるような、
繊細な名場面になっていました。
才能のない作家を演じた吉田鋼太郎さんも、
最近は明らかに置いているような、
手抜きのお芝居が多かったのですが、
今回はなかなか力が入っていました。

正直コクーンの芝居としては矢張り地味な点は否めないのですが、
スターと演技派の競演は見応えがあり、
蜷川風演出もそうしたものと割り切れば、
楽しむことが出来ました。

初演よりこの作品の真価が感じられる舞台でした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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