デヴィッド・ヘア「ストレイト・ライン・クレイジー」(2023年燐光群上演版) [演劇]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は院長の石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
イギリスの社会派演劇の大家デヴィット・ヘアが、
2022年に初演した新作「ストレイト・ライン・クレイジー」が、
今下北沢のスズナリで上演されています。
劇団の創立40周年記念公演です。
これはアメリカで公共事業を推し進め、
多くの高速道路を建設した、
ニューヨークの行政官ロバート・モーゼスを、
主人公とした作品です。
前半と後半の2つのパートに分かれ、
前半では1920年代に最初のハイウェイの建設を、
裕福な地主達の反発と戦って成し遂げる様を描き、
後半は1950年代に今度はマンハッタンを分断する高速道路を計画して、
住民運動の反対などに遭い、
失敗する姿を描きます。
これは物凄く面白かったですよ。
戯曲が何と言っても素晴らしいですよね。
アメリカの社会意識の変遷と、
所謂リベラルと中産階級の勝利を描いているのですが、
単純にそれだけの作品ではなくて、
当然その後の反動やトランプの出現なども踏まえた上で、
正義も敵も時代によって変わってゆく、
という人間と時間と社会の不思議さの奥へ切り込んでいます。
構成も素晴らしいですし、
人物描写が魅力的で深いのですね。
主人公はまあ現在の評価においては、
「悪党」なんですね。
でも、過去には「偉人」としての評価もあったのです。
その正反対の評価を矛盾なく、
1人の人間の造形の中に浮かび上がらせていて、
結果として人間というものの魅力と不思議とに帰着しています。
これぞ芝居というものですよね。
素晴らしいと思います。
坂手洋二さんの演出が、
また翻訳劇の何たるかを知り尽くした的確なもので、
この異国の戯曲を見事に日本人の観客が理解出来るように、
演劇的に翻訳している作業に感銘を受けました。
奥行のあるシンプルなセット、
舞台装置はほぼなく、
机などの具体物を少し置くだけなのですが、
それが却って観客の想像力を刺激して、
その素晴らしい台詞劇の魅力に浸ることを手助けしています。
オープニングとラスト以外、
殆ど照明の変化もなく、音効もありません。
キャストも戯曲の勘所をしっかり理解した芝居で好ましく、
特に大西孝洋さんのモーゼスと、
森尾舞さんのフィヌーラの熱演は心に残りました。
唯一黒人の若い女性が登場するのですが、
ほぼほぼ普通の衣装とメイクで演技をして、
台詞のみで「黒人」ということが分かるというのが、
正直苦しいな、と感じました。
これは少し前であれば、ドーランで顔を黒く塗ったと思うのですが、
今はそうした演出が適切ではない、とされているので、
この役のみアフリカ系の人種の役者さんが演じるのも、
翻訳劇としては難しいですし、
どうしてもこうしたことになってしまいます。
今後は人種がテーマとなるような演劇については、
翻訳劇の上演は難しいのかも知れません。
正直もっとお金を掛けた舞台としても、
こうした台詞劇を観てみたいな、という思いもあるのですが、
今回の上演は小劇場の気概を感じる素晴らしいもので、
さすが燐光群という思いで劇場を後にすることが出来ました。
もし、良質の芝居を今観たい、というお気持ちの方がいれば、
これはもう是非にとお勧めしたいと思います。
台詞劇の傑作です。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前中は石田医師が、
午後2時以降は院長の石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
イギリスの社会派演劇の大家デヴィット・ヘアが、
2022年に初演した新作「ストレイト・ライン・クレイジー」が、
今下北沢のスズナリで上演されています。
劇団の創立40周年記念公演です。
これはアメリカで公共事業を推し進め、
多くの高速道路を建設した、
ニューヨークの行政官ロバート・モーゼスを、
主人公とした作品です。
前半と後半の2つのパートに分かれ、
前半では1920年代に最初のハイウェイの建設を、
裕福な地主達の反発と戦って成し遂げる様を描き、
後半は1950年代に今度はマンハッタンを分断する高速道路を計画して、
住民運動の反対などに遭い、
失敗する姿を描きます。
これは物凄く面白かったですよ。
戯曲が何と言っても素晴らしいですよね。
アメリカの社会意識の変遷と、
所謂リベラルと中産階級の勝利を描いているのですが、
単純にそれだけの作品ではなくて、
当然その後の反動やトランプの出現なども踏まえた上で、
正義も敵も時代によって変わってゆく、
という人間と時間と社会の不思議さの奥へ切り込んでいます。
構成も素晴らしいですし、
人物描写が魅力的で深いのですね。
主人公はまあ現在の評価においては、
「悪党」なんですね。
でも、過去には「偉人」としての評価もあったのです。
その正反対の評価を矛盾なく、
1人の人間の造形の中に浮かび上がらせていて、
結果として人間というものの魅力と不思議とに帰着しています。
これぞ芝居というものですよね。
素晴らしいと思います。
坂手洋二さんの演出が、
また翻訳劇の何たるかを知り尽くした的確なもので、
この異国の戯曲を見事に日本人の観客が理解出来るように、
演劇的に翻訳している作業に感銘を受けました。
奥行のあるシンプルなセット、
舞台装置はほぼなく、
机などの具体物を少し置くだけなのですが、
それが却って観客の想像力を刺激して、
その素晴らしい台詞劇の魅力に浸ることを手助けしています。
オープニングとラスト以外、
殆ど照明の変化もなく、音効もありません。
キャストも戯曲の勘所をしっかり理解した芝居で好ましく、
特に大西孝洋さんのモーゼスと、
森尾舞さんのフィヌーラの熱演は心に残りました。
唯一黒人の若い女性が登場するのですが、
ほぼほぼ普通の衣装とメイクで演技をして、
台詞のみで「黒人」ということが分かるというのが、
正直苦しいな、と感じました。
これは少し前であれば、ドーランで顔を黒く塗ったと思うのですが、
今はそうした演出が適切ではない、とされているので、
この役のみアフリカ系の人種の役者さんが演じるのも、
翻訳劇としては難しいですし、
どうしてもこうしたことになってしまいます。
今後は人種がテーマとなるような演劇については、
翻訳劇の上演は難しいのかも知れません。
正直もっとお金を掛けた舞台としても、
こうした台詞劇を観てみたいな、という思いもあるのですが、
今回の上演は小劇場の気概を感じる素晴らしいもので、
さすが燐光群という思いで劇場を後にすることが出来ました。
もし、良質の芝居を今観たい、というお気持ちの方がいれば、
これはもう是非にとお勧めしたいと思います。
台詞劇の傑作です。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。