「ハウス HOUSE」 [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は午前午後ともクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
大林宜彦監督が亡くなられました。
お悔やみ申し上げます。
大林宣彦の映画は、
色々な意味で一時期は僕の青春でした。
1977年の劇場映画処女作がこちら。
これは封切りで観ました。
僕は中学生で、
1人で映画館に行き始めた頃です。
山口百恵の映画と2本立てだったのですが、
百恵映画は見ませんでした。
その時点で大林宣彦の名前を、
知っていた訳ではありません。
ただ、他の映画を観に行った時にやっていた、
この映画の予告編が、
あまりに奇抜で衝撃的だったので、
これは観なければ、と思ったのです。
実際に観てみると、
ずっと予告編を続けて見ているようで、
いつになったら本編に入るのかな、
と思っていると、
その落ち着かないテンポのまま、
1時間ちょっとの短さで、
映画は終わってしまいました。
納得の行かない気分のまま、
映画館を後にしました。
これは当時流行っていた、
ホラーのパロディのような作品で、
怨霊の取り付いた屋敷に遊びにやってきた、
少女達のグループが、
家に食べられてしまう話です。
ホラーではあるのですが、
脈絡のない短い場面が、
次々と理解する前に流れて行くだけで、
ちっとも怖くはありません。
しかし、、
目まぐるしく旋回し続けるような、
色彩と安っぽいガジェット、
笑えない変なギャグ、
脈絡のない台詞、
そうした中に時々垣間見える、
叙情的な煌きのようなものに、
胸騒ぎのような魅力を感じました。
特にラスト近く、
唯一生き残った大場久美子が、
血が文字通り海になった中を戸板に乗って渡り、
そこで池上季実子演じる怨霊の化身の少女と、
ひしと抱き合う場面には、
理屈を超えた感情の高まりを感じました。
映画を観て、
こんな気分になったことは初めてでした。
映画を観て、
こんな気分になるのだ、
というのがとても不思議でした。
その後、「金田一耕介の冒険」という、
また極めて変な映画があって、
面白いとはとても言えない代物でしたが、
それでもそのラスト近くには、
ちゃんと胸騒ぎのするような場面が用意されていました。
監督が化けたのは、
勿論1982年の尾道物第一作の「転校生」ですが、
これは僕は封切りでは観ていません。
1985年の「さびしんぼう」を、
これはビデオで観て、
もう大学生になってからです。
下宿していたアパートで、
忘れもしませんが早朝の4時から観始めて、
終わった時には胸騒ぎどころではなく感動していました。
それはもう胸をわしづかみにして引き回されるような感じ。
それから多分20回くらいは観たと思います。
これは女性には概ね受けない映画で、
僕は女性から良い感想を聞いたことはありません。
まあ、ネタを割るといけないのでぼかした表現になりますが、
マザコン趣味の極致と、
言えないこともないので、
その女性の描き方に、
反感を覚えるのかも知れません。
総じて大林映画はフェミニズムの対極のようなところがあって、
女性には概ね他の作品も評判が悪いですね。
でも、そうした映画もあって良いかな、
というようには思います。
それから「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の3部作を、
ある年の大晦日に名画座でまとめて観ました。
「時かけ」も好きでしたが、
「転校生」はその時が初見で、
期待が大き過ぎたのか、
それほどに感じませんでした。
「時かけ」はね、大スクリーンで観ると、
テレビとは印象がまるで違う映画なんですよね。
とてもうっとりしますし、
高揚感もあるのです。
「転校生」「野ゆき山ゆき海辺ゆき」「廃市」の辺りは、
あまりに禁欲的で遊びが少ないので、
逆に物足りなく感じるのかも知れません。
監督は正攻法で観客を納得させられるタイプではなく、
「あっ、またやっちゃったな」
と思えるようなやり過ぎが何処かにないと、
その本領が発揮出来ないタイプなのだと思います。
ただ、素晴らしい作品のある一方で、
「ねらわれた学園」とか「漂流教室」とか、
どういう神経で作ったのかわからないような、
超絶的に詰まらない作品が紛れているでしょ。
これが困りますね。
「はるか、ノスタルジィ」という作品が、
あまりに酷くて、何かそれまでの作品へのイメージを、
根底から覆すようなものがあったので、
その後は怖くて観るのを止めました。
「これはあまりに異常だ」と感じたのです。
昨年久しぶりに「花筐」という作品を観て、
昔の「いつか見たドラキュラ」みたいな映画なんですよね。
あれがいい、という方もいるのですが、
正直「本気でそう思っているんですか?」
と尋ねたいような気分になります。
映像がまたビットレートの低いDVDみたいな粗悪さでした。
あれを「映画」と言って良いのかしら。
最近「ハウス」を観直すと、
処女作に監督の全てが凝集されていることに、
改めて驚かされます。
これはまあ、名作と言っていいんですよね。
当時はとてもついていけない感じがしたテンポも、
今観るとむしろ心地良いくらいです。
無駄なカットが1つもないし、
女優さんがともかく魅力的ですよね。
この映画の池上季実子さんは、
今でも僕の夢には時々登場されています。
これは内緒ですけど、
僕の夢に出て来る女性の双璧は、
「ハウス」の池上季実子さんと、
シフォンの歌姫スティーヴィー・ニックスです。
大林映画の僕の好みは、
「ハウス」に「さびしんぼう」、
そしてこれも怪作の「日本殉情伝おかしなふたり」
でベスト3、
番外で「時をかける少女」
といったところです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は午前午後ともクリニックは休診です。
休みの日は趣味の話題です。
大林宜彦監督が亡くなられました。
お悔やみ申し上げます。
大林宣彦の映画は、
色々な意味で一時期は僕の青春でした。
1977年の劇場映画処女作がこちら。
これは封切りで観ました。
僕は中学生で、
1人で映画館に行き始めた頃です。
山口百恵の映画と2本立てだったのですが、
百恵映画は見ませんでした。
その時点で大林宣彦の名前を、
知っていた訳ではありません。
ただ、他の映画を観に行った時にやっていた、
この映画の予告編が、
あまりに奇抜で衝撃的だったので、
これは観なければ、と思ったのです。
実際に観てみると、
ずっと予告編を続けて見ているようで、
いつになったら本編に入るのかな、
と思っていると、
その落ち着かないテンポのまま、
1時間ちょっとの短さで、
映画は終わってしまいました。
納得の行かない気分のまま、
映画館を後にしました。
これは当時流行っていた、
ホラーのパロディのような作品で、
怨霊の取り付いた屋敷に遊びにやってきた、
少女達のグループが、
家に食べられてしまう話です。
ホラーではあるのですが、
脈絡のない短い場面が、
次々と理解する前に流れて行くだけで、
ちっとも怖くはありません。
しかし、、
目まぐるしく旋回し続けるような、
色彩と安っぽいガジェット、
笑えない変なギャグ、
脈絡のない台詞、
そうした中に時々垣間見える、
叙情的な煌きのようなものに、
胸騒ぎのような魅力を感じました。
特にラスト近く、
唯一生き残った大場久美子が、
血が文字通り海になった中を戸板に乗って渡り、
そこで池上季実子演じる怨霊の化身の少女と、
ひしと抱き合う場面には、
理屈を超えた感情の高まりを感じました。
映画を観て、
こんな気分になったことは初めてでした。
映画を観て、
こんな気分になるのだ、
というのがとても不思議でした。
その後、「金田一耕介の冒険」という、
また極めて変な映画があって、
面白いとはとても言えない代物でしたが、
それでもそのラスト近くには、
ちゃんと胸騒ぎのするような場面が用意されていました。
監督が化けたのは、
勿論1982年の尾道物第一作の「転校生」ですが、
これは僕は封切りでは観ていません。
1985年の「さびしんぼう」を、
これはビデオで観て、
もう大学生になってからです。
下宿していたアパートで、
忘れもしませんが早朝の4時から観始めて、
終わった時には胸騒ぎどころではなく感動していました。
それはもう胸をわしづかみにして引き回されるような感じ。
それから多分20回くらいは観たと思います。
これは女性には概ね受けない映画で、
僕は女性から良い感想を聞いたことはありません。
まあ、ネタを割るといけないのでぼかした表現になりますが、
マザコン趣味の極致と、
言えないこともないので、
その女性の描き方に、
反感を覚えるのかも知れません。
総じて大林映画はフェミニズムの対極のようなところがあって、
女性には概ね他の作品も評判が悪いですね。
でも、そうした映画もあって良いかな、
というようには思います。
それから「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の3部作を、
ある年の大晦日に名画座でまとめて観ました。
「時かけ」も好きでしたが、
「転校生」はその時が初見で、
期待が大き過ぎたのか、
それほどに感じませんでした。
「時かけ」はね、大スクリーンで観ると、
テレビとは印象がまるで違う映画なんですよね。
とてもうっとりしますし、
高揚感もあるのです。
「転校生」「野ゆき山ゆき海辺ゆき」「廃市」の辺りは、
あまりに禁欲的で遊びが少ないので、
逆に物足りなく感じるのかも知れません。
監督は正攻法で観客を納得させられるタイプではなく、
「あっ、またやっちゃったな」
と思えるようなやり過ぎが何処かにないと、
その本領が発揮出来ないタイプなのだと思います。
ただ、素晴らしい作品のある一方で、
「ねらわれた学園」とか「漂流教室」とか、
どういう神経で作ったのかわからないような、
超絶的に詰まらない作品が紛れているでしょ。
これが困りますね。
「はるか、ノスタルジィ」という作品が、
あまりに酷くて、何かそれまでの作品へのイメージを、
根底から覆すようなものがあったので、
その後は怖くて観るのを止めました。
「これはあまりに異常だ」と感じたのです。
昨年久しぶりに「花筐」という作品を観て、
昔の「いつか見たドラキュラ」みたいな映画なんですよね。
あれがいい、という方もいるのですが、
正直「本気でそう思っているんですか?」
と尋ねたいような気分になります。
映像がまたビットレートの低いDVDみたいな粗悪さでした。
あれを「映画」と言って良いのかしら。
最近「ハウス」を観直すと、
処女作に監督の全てが凝集されていることに、
改めて驚かされます。
これはまあ、名作と言っていいんですよね。
当時はとてもついていけない感じがしたテンポも、
今観るとむしろ心地良いくらいです。
無駄なカットが1つもないし、
女優さんがともかく魅力的ですよね。
この映画の池上季実子さんは、
今でも僕の夢には時々登場されています。
これは内緒ですけど、
僕の夢に出て来る女性の双璧は、
「ハウス」の池上季実子さんと、
シフォンの歌姫スティーヴィー・ニックスです。
大林映画の僕の好みは、
「ハウス」に「さびしんぼう」、
そしてこれも怪作の「日本殉情伝おかしなふたり」
でベスト3、
番外で「時をかける少女」
といったところです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。