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感染症と差別についての一考察 [身辺雑記]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は水曜日なので、
診療は午前中で終わり、
午後は事務作業などの予定です。
夜は勿論RT-PCR検査の結果説明が待っています。

今週かなりつらいことがありました。

クリニックでは現在1階で通常診療を、
2階でトリアージの上発熱外来と、
RT-PCR検査など、
感染リスクのある検査を、
防護衣などで感染防御の上行なっています。

両者の患者さんが一緒になることがないように、
入り口のところでトリアージを行ない、
発熱以外にも頭痛や咽頭痛など、
感染症を疑わせる症状があった場合には、
取り敢えず外で待って頂き、
2階にご案内するような方針をとっています。

基本的には感染を疑わせる症状のある場合には、
いきなりクリニックに受診するのではなく、
まず電話で連絡をして頂き、
お時間を決めて2階にご案内するようにしています。
2階は原則は完全予約制としているのです。

ただ、実際には風邪症状で予約なく、
クリニックを訪れる患者さんは後を絶たないのが実際です。

オミクロン株の流行以前であれば、
37.5度以上の発熱というのを、
トリアージの1つの指標としてそう間違いのないところでしたが、
最近の傾向としては、
昨日急に熱が出たけれど今は症状がなくて平熱、
というような人が、
意外に感染しているというケースが多く、
そうした人は「今日は無症状だから大丈夫」
というような言い方で、
スルリと1階に入って来てしまうことがあるから大変です。

今週のある日の午後5時過ぎですが、
以前からクリニックを利用している、
外国人の一家(父親と子供2人)が、
クリニックを訪れました。

そのお父さんは以前から結構短気な性格の方なのですが、
自動ドアが開いた瞬間に、
看護師が「どうされましたか?」とお聞きすると、
「ちょっと頭痛がして身体がだるい」という返答でした。
日本での滞在は長く、
基本的に日本語は堪能な一家です。

それで看護師は、
「それじゃ入っては駄目です。外でお待ちください」
とそのお父さんを(言葉で)外に押し返しました。

するとお父さんはムッとして、
「おかしいじゃないか、他に何人も何も言わずに中に入ってるだろ」
と言い返しました。

確かにお父さんの目の前を1人の患者さんが、
すり抜けるようにしてクリニックの中に入りました。
ただ、その人は数日前にした血液検査の結果説明での受診で、
そのことは受付の事務も看護師も、
予め把握していたので通したのでした。

しかし、お父さんの怒りは収まりません。
「俺だけを外で待たせるのか、それは俺が外国人だからか!」
と言い募ります。
「そんなことはありません。
勿論すぐに拝見しますが、
風邪症状の疑われる方は少し外で待って頂いているだけなのです」
と説明しましたが、駄目でした。
押し問答の末、
最後には一緒に来ていた小学生の娘さんが、
「帰ろうよ、差別されてるんだからしょうがないよ」
と言って、
一家は診察は受けずに去って行きました。

「差別」
これが差別!?

その言葉は、
クリニックのスタッフ全員に、
とても強いショックを与えました。

クリニックには毎日外国人の方が受診をされています。
出身も国籍も様々で、
個人的には僕自身もスタッフも、
日本人であるかないかなどということには、
全く何の隔てもなく診療をしていたつもりでした。
少なくとも意図的にそうした選別をしたことなど、
それはもう一度もないと断言出来ます。

それなのに、
ちょっとした誤解から、
その家族は僕達を、
外国人であることから差別をしている、
というように理解したのでした。

ここから、僕達は幾つかのことを考えました。

まず、第一に考えたことは、
「差別」は簡単になくなることはないな、
という肌で感じた絶望のようなものです。

その家族との付き合いはかなり長く、
5年以上はあったのです。
その間そうしたトラブルは一度たりともありませんでした。
それで僕達としては、
自分達が決して差別意識などは持っていない、
ということを、
相手も理解しているだろうと、
ちょっと牧歌的な考えを心に持っていました。
しかし、実際にはそうではなくて、
その家族は僕達にも差別意識はあって、
それを隠しながら、表面的にはそれがないかのように、
振舞っているだけだと感じていたのです。
いや、今もそう思っているとは考えたくないのですが、
そのトリアージの瞬間には、
看護師がお父さんを(言葉で)押し返したその瞬間には、
家族はそのように直感的に感じたのだと思うのです。

つまり、差別は、
差別的な行為が実際に行われた時にも感じられるけれど、
実際にはそうでなくても、
受け止めた側にそうした意識が生まれた瞬間にも、
感じられてしまうことがある、
という厄介な代物なのです。

それでは何故そうした気持ちを、
その外国人の家族は持ったのでしょうか?

それはおそらく、
トリアージの行為の中には、
外国人に対する差別ではなく、
感染者に対する差別の意識が、
存在はしていたからだと思います。

これが僕達の考えたことの2点目です。

すなわち、新型コロナウイルス感染症の流行期における、
感染者の差別、という問題です。

トリアージは差別なのです。
ただ、感染流行期には社会的に止むを得ない差別です。

クリニックに来た患者さんを選別し、
感染というその時点では推測に過ぎない状態を疑い、
それに沿って疑った患者さんの、
自由を奪うような行為に至るからです。

昔大学の時にイリイチという学者にかぶれている人がいて、
そうした思想に近づきになったこともありました。
学校と病院と監獄は同じ構造を持っている、
中にいる人は必ず監視され選別され、
自由を奪われる、というような考え方です。

それは一理あるのですが、
勿論そうせざるを得ない理由というものもある訳です。

医療機関の場合は、
こうした感染症流行の時期においては、
患者さんへの感染拡大を抑えることが、
全てに優先される事項となる訳です。
そのためには、
少しでも疑いのある患者さんを選別する、
言い換えれば差別する必要が生じるのです。

それは仕方のないことですが、
差別された当人にとっては、
時に理不尽で自分という存在を傷つけられたように、
感じることもまた当然ではあると思います。

僕達にはそのことに対する理解が不足していました。

当日は予約をして来院される感染疑いの患者さんも多く、
その合間に、
発熱しているのにクリニックにそのまま入ろうとするような、
フリーの患者さんも多く来院されました。

中には90代のおばあちゃんが、
激しい咳込みをして車椅子で家族と一緒に、
予約なしに受診をされ、
外で待ってもらうのは寒くて無理だし、
車椅子でクリニックのビルにはエレベーターがないので、
2階に上がることも無理、
かと言って帰ってもらうことも忍びないし、
家が遠いので出直してもらうことも出来ない、
というような不可能と思えるような事案もありました。
結局、処置室に一旦隔離して、
窓を開け放って迅速に検査を行ない、
待合室を最短時間で通り抜けて帰って頂きましたが、
そんなことが続けばスタッフも疲弊しますし、
「人を見れば何とやら」と言うのか、
誰でも感染者のように見えてしまい、
外へと押し返す言葉にも、
ややエキセントリックな感じ、
差別的な感じが強くなっていることは否めませんでした。

つまり、僕達は知らず知らずに、
少し冷静さを失っていて、
その感情が相手にも伝わったので、
それが「差別」として認識されたのではないか、
というように理解したのです。

多分同じようなことをスタッフの皆が感じたのだと思います。
特別ミーティングなどはしなかったのですが、
翌日の患者さん対応は、
少しだけそうした刺々しさが、
減っていたように僕には感じられました。
外で待ってもらって申し訳ない、
不自由な思いをさせて申し訳ない、
というような思いが、
言外に感じられるだけでも、
手前味噌かも知れませんが、
患者さんのイライラも、
少しは軽減されたように感じました。

その外国人の一家は、
多分もう二度とクリニックを受診することはないと思いますが、
こうしたことを繰り返さないように、
まずは気を引き締めて、
患者さん1人1人の対応には当たろうとは思っています。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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