「フィッツカラルド」 [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ドイツの鬼才ヘルツォークの代表作の1つ「フィッツカラルド」です。
ヘルツォークは以前初期作の「アギーレ・神の怒り」をご紹介しました。
この「フィッツカラルド」は1982年製作で、
ヘルツォーク作品の中では最もスケールが大きく、
彼の奇想が1つの頂点に達した観のあるマニアックな作品です。
ただ、撮影は非常に難航したようで、
キャストも何度も変わり、
監督の意図の通りには、
完成されていないと思える場面も多くあります。
つまり、完成度と言う点では、
「アギーレ・神の怒り」と比較すると、
かなり見劣りがすることは事実です。
「アギーレ」は「地獄の黙示録」の元ネタの1つですが、
「フィッツカラルド」はそのゴタゴタの面で、
「地獄の黙示録」により似ている、というようにも言えますし、
舟の周辺にカヌーの群れが現れるところなど、
「地獄の黙示録」に影響されたと思えるような場面もあります。
舞台は19世紀末のアマゾン川流域で、
ペルーに住むフィッツカラルドという、
オペラに取り憑かれた破産寸前の起業家が、
アマゾンの奥地にオペラ劇場を造る夢のため、
蒸気船でアマゾン川を渡り、
未開の地にゴム農園を造って資金を捻出するため、
原住民の協力を得て蒸気船で山を越えます。
この壮大な山越えは、
舟の移動が困難な激流を回避するためであったのですが、
原住民の企みにより結局蒸気船は激流に突っ込み、
それを生きて超えることに成功します。
結局金儲けではなく、
ただの冒険の旅に終わったのですが、
ゴム農園を経営する大金持ちの計らいによって蒸気船は売れ、
その船の上で水上オペラが演じられて幕が下ります。
フィッツカラルドの夢は、
束の間達成されたのです。
これはちょっと話がゴタゴタしているんですね。
蒸気船の山越えというのが、
映画史上にも類のない奇観であり、
この映画のシンボル的名場面なのですが、
ただ、激流を回避して支流に逃れる、
というだけの目的なので、
よく考えるとかなり無意味にも思えるのです。
しかも、その目的がお金稼ぎのためで、
別にオペラ劇場を直接建設することとは、
あまり関係がないというのがモヤモヤするんですね。
ただ、撮影にかなり難航した映画であることを考えると、
当初の構想とはかなり異なった映画に、
なってしまったのかも知れません。
男の妄執が暴走する、
という点では「アギーレ」とテーマは同じなのですが、
西洋文化の象徴のようなオペラが、
アマゾンの自然と対決する、
という発想がとてもユニークで、
最初にマナウスに建設された、
実際の歌劇場であるアマゾナス歌劇場でのオペラを、
画面に盛大に見せるでしょ。
その後で今度はフィッツカラルドが持参する蓄音機から、
名歌手カルーソーの歌声が、
現実の困難と対決するように何度も流れるのですね。
その有り様が何かちょっと滑稽で、
人間の文化というものの儚さを感じさせるのが、
また至極良いのです。
「アギーレ」のラストは悲惨の極致でしたが、
この作品はハッピーエンドとは言えないまでも、
水上オペラの実現という、
主人公の束の間の幸福が描かれていて、
これも賛否はありますが、
個人的には祝祭的で気に入っています。
この映画は何と言っても、
本物の蒸気船を巨大な滑車で引っ張って山越えをする場面が、
ともかく凄まじくて素敵です。
ラスト近くの急流を船が下る部分の一部だけ、
ミニチュアが使用されているのですが、
それ以外は本物の巨大な年季ものの船が、
アマゾン川から木を切り倒しながら山を越えます。
かなりの自然破壊が行われたことが想定されるので、
とても今では実現不可能な撮影です。
それからオープニングではヴェルディの「エルナーニ」の最後の場面が、
ラストではベッリーニの「清教徒」の1幕二重唱が、
映画のために再現されていて、
これもある意味蒸気船の山越えに匹敵するくらい、
手間暇とお金の掛かった撮影であったと思います。
「エルナーニ」はヴェルディのオペラとしては、
比較的上演頻度の少ない初期の作品で、
日本では滅多に上演はされません。
僕も生では一度も聴いたことがありません。
「清教徒」はそれに比べるとポピュラーですが、
歌手に超絶技巧が要求されるため、
上演頻度はこちらもそれほど多くはありません。
僕は幸い2回生で聴いています。
これは名作です。
この2つのセレクションだけで、
ヘルツォークのセンスの良さが感じられます。
ラスト近くにフィッツカラルドがゴム成金から、
「近くにオペラが来るらしいぜ。新しい話題作らしい」
と言うので、
「話題の新作ならワーグナーだろ」
と言うと、
「『清教徒』という作品らしい」
と言うので、
「そりゃベッリーニだ」というやり取りがあります。
これもオペラ好きならニヤリとする感じですよね。
巻頭の「エルナーニ」は、
19世紀末の名テノールであったカルーソーと、
名女優のサラ・ベルナールが共演するという趣向になっていて、
そんな共演はどうやらなかったらしいのですが、
サラ・ベルナールは吹替で口パクの演技のみをする、
という演出になっています。
カルーソーの声は一線級のテノールが、
映画のために録音していて、
如何にもそれらしい美声です。
これも豪華ですし、普通はやりませんね。
音楽も地元のオケにちゃんと演奏させているのです。
オペラの場面が浮いてる、みたいな批評もあるのですが、
それは違いますよね。
ヘルツォークは間違いなくオペラ好きなので、
このある意味不格好なオペラと世俗や自然との対比こそが、
その浮いている感じこそが、
まさにこの映画の狙いなのだと思います。
そんな訳でこれはオペラ好きにも必見の、
藝術と自然と世俗との軋轢を描いた、
二度と実現することはないし、
実現させてはいけない、
禁断の映画なのです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
ドイツの鬼才ヘルツォークの代表作の1つ「フィッツカラルド」です。
ヘルツォークは以前初期作の「アギーレ・神の怒り」をご紹介しました。
この「フィッツカラルド」は1982年製作で、
ヘルツォーク作品の中では最もスケールが大きく、
彼の奇想が1つの頂点に達した観のあるマニアックな作品です。
ただ、撮影は非常に難航したようで、
キャストも何度も変わり、
監督の意図の通りには、
完成されていないと思える場面も多くあります。
つまり、完成度と言う点では、
「アギーレ・神の怒り」と比較すると、
かなり見劣りがすることは事実です。
「アギーレ」は「地獄の黙示録」の元ネタの1つですが、
「フィッツカラルド」はそのゴタゴタの面で、
「地獄の黙示録」により似ている、というようにも言えますし、
舟の周辺にカヌーの群れが現れるところなど、
「地獄の黙示録」に影響されたと思えるような場面もあります。
舞台は19世紀末のアマゾン川流域で、
ペルーに住むフィッツカラルドという、
オペラに取り憑かれた破産寸前の起業家が、
アマゾンの奥地にオペラ劇場を造る夢のため、
蒸気船でアマゾン川を渡り、
未開の地にゴム農園を造って資金を捻出するため、
原住民の協力を得て蒸気船で山を越えます。
この壮大な山越えは、
舟の移動が困難な激流を回避するためであったのですが、
原住民の企みにより結局蒸気船は激流に突っ込み、
それを生きて超えることに成功します。
結局金儲けではなく、
ただの冒険の旅に終わったのですが、
ゴム農園を経営する大金持ちの計らいによって蒸気船は売れ、
その船の上で水上オペラが演じられて幕が下ります。
フィッツカラルドの夢は、
束の間達成されたのです。
これはちょっと話がゴタゴタしているんですね。
蒸気船の山越えというのが、
映画史上にも類のない奇観であり、
この映画のシンボル的名場面なのですが、
ただ、激流を回避して支流に逃れる、
というだけの目的なので、
よく考えるとかなり無意味にも思えるのです。
しかも、その目的がお金稼ぎのためで、
別にオペラ劇場を直接建設することとは、
あまり関係がないというのがモヤモヤするんですね。
ただ、撮影にかなり難航した映画であることを考えると、
当初の構想とはかなり異なった映画に、
なってしまったのかも知れません。
男の妄執が暴走する、
という点では「アギーレ」とテーマは同じなのですが、
西洋文化の象徴のようなオペラが、
アマゾンの自然と対決する、
という発想がとてもユニークで、
最初にマナウスに建設された、
実際の歌劇場であるアマゾナス歌劇場でのオペラを、
画面に盛大に見せるでしょ。
その後で今度はフィッツカラルドが持参する蓄音機から、
名歌手カルーソーの歌声が、
現実の困難と対決するように何度も流れるのですね。
その有り様が何かちょっと滑稽で、
人間の文化というものの儚さを感じさせるのが、
また至極良いのです。
「アギーレ」のラストは悲惨の極致でしたが、
この作品はハッピーエンドとは言えないまでも、
水上オペラの実現という、
主人公の束の間の幸福が描かれていて、
これも賛否はありますが、
個人的には祝祭的で気に入っています。
この映画は何と言っても、
本物の蒸気船を巨大な滑車で引っ張って山越えをする場面が、
ともかく凄まじくて素敵です。
ラスト近くの急流を船が下る部分の一部だけ、
ミニチュアが使用されているのですが、
それ以外は本物の巨大な年季ものの船が、
アマゾン川から木を切り倒しながら山を越えます。
かなりの自然破壊が行われたことが想定されるので、
とても今では実現不可能な撮影です。
それからオープニングではヴェルディの「エルナーニ」の最後の場面が、
ラストではベッリーニの「清教徒」の1幕二重唱が、
映画のために再現されていて、
これもある意味蒸気船の山越えに匹敵するくらい、
手間暇とお金の掛かった撮影であったと思います。
「エルナーニ」はヴェルディのオペラとしては、
比較的上演頻度の少ない初期の作品で、
日本では滅多に上演はされません。
僕も生では一度も聴いたことがありません。
「清教徒」はそれに比べるとポピュラーですが、
歌手に超絶技巧が要求されるため、
上演頻度はこちらもそれほど多くはありません。
僕は幸い2回生で聴いています。
これは名作です。
この2つのセレクションだけで、
ヘルツォークのセンスの良さが感じられます。
ラスト近くにフィッツカラルドがゴム成金から、
「近くにオペラが来るらしいぜ。新しい話題作らしい」
と言うので、
「話題の新作ならワーグナーだろ」
と言うと、
「『清教徒』という作品らしい」
と言うので、
「そりゃベッリーニだ」というやり取りがあります。
これもオペラ好きならニヤリとする感じですよね。
巻頭の「エルナーニ」は、
19世紀末の名テノールであったカルーソーと、
名女優のサラ・ベルナールが共演するという趣向になっていて、
そんな共演はどうやらなかったらしいのですが、
サラ・ベルナールは吹替で口パクの演技のみをする、
という演出になっています。
カルーソーの声は一線級のテノールが、
映画のために録音していて、
如何にもそれらしい美声です。
これも豪華ですし、普通はやりませんね。
音楽も地元のオケにちゃんと演奏させているのです。
オペラの場面が浮いてる、みたいな批評もあるのですが、
それは違いますよね。
ヘルツォークは間違いなくオペラ好きなので、
このある意味不格好なオペラと世俗や自然との対比こそが、
その浮いている感じこそが、
まさにこの映画の狙いなのだと思います。
そんな訳でこれはオペラ好きにも必見の、
藝術と自然と世俗との軋轢を描いた、
二度と実現することはないし、
実現させてはいけない、
禁断の映画なのです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。