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喀痰ムチン濃度とCOPDとの関連について [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は午前午後ともいつも通りの診療になります。

それでは今日の話題です。

今日はこちら。
ムチンと気管支炎.jpg
今月のthe New England Journal of Medicine誌に掲載された、
慢性閉塞性肺疾患(COPD)の新たな重症度の指標として、
痰の中のムチンという粘性物質の濃度を測定している論文です。

やや特殊な測定法で濃度を評価しているので、
そのまま臨床にすぐ応用可能、
ということではないのですが、
COPDの経過に関するこれまであまり重視されて来なかった側面に、
初めて光を当てたものとして、
9月7日の紙面の巻頭を飾っています。

COPDというのは皆さんご存知のように、
主に喫煙を原因とする肺の進行性の病気で、
古典的な考えとしては、
慢性気管支炎と肺気腫という、
2つの側面があるとされていました。
肺気腫というのは気道の閉塞と、
それに伴う肺の拡張に伴う症状で、
明確な肺気腫という病態になる前に、
呼吸機能の検査においては、
1秒量という数値が低下するので、
それが初期のCOPDを発見するために、
有用な指標であるとされています。

古典的なCOPDには、
もう1つ慢性気管支炎という側面があります。

慢性気管支炎というのは、
「慢性の咳、痰が少なくとも年に3か月以上あり、
それが少なくとも連続2年以上認められ、
その症状が他の肺疾患や心疾患を原因としない」
と定義されています。

これを読むと何となく、
咳や痰が長く続いていれば慢性気管支炎なのか、
と思われがちですが、
実際には明確に感染に起因していたり、
アレルギーの関与があるようなものは除外した上でのことなので、
これはタバコを長く吸っている人での咳や痰の症状を、
基本的には意味していて、
慢性気管支炎というのは、
要するにほぼタバコ気管支炎と同等なのです。

それでは、
タバコを吸っている人で咳や痰が多いのは何故なのでしょうか?

1つの仮説は痰の主たる成分の1つである、
気道のムチンという粘液成分が多いという現象です。

ムチン(mucin)というのは、
動物の上皮細胞、粘膜、唾液腺などが産生する粘液物質の総称です。
気道のムチンはこの場合気道粘膜細胞から分泌される、
粘液物質を主に指していると思われます。

ある意味高齢者の痰というのは、
病原体などを含まないものに関しては、
むしろ健康に良い成分である訳です。

このムチンは気道や粘膜を潤滑にし、
その表面を覆って保護するような役割を持っています。

従って、適度にある分には、
健康的なムチンなのですが、
それが過剰に産生されたり、
何等かの原因によってその局所の濃度が高くなると、
気道であればそれは痰となって、
咳の原因になったり、
咽喉を詰まらせる原因になったりもするのです。

それでは何故ムチン濃度は上昇するのでしょうか?

メカニズムは必ずしも明確ではありませんが、
COPDにおいてはムチンの産生が亢進し、
また水や電解質の輸送のバランスが崩れるので、
ムチン濃度とその量の増加が生じると考えられています。

それではこの気道におけるムチン濃度と、
COPDの予後との関連はどうなのでしょうか?
その点については、
これまであまり精度の高いデータが存在していませんでした。

そこで今回の研究では、
別個のCOPDの臨床研究の参加者917例の、
喀痰の総ムチン濃度の測定を行い、
そのうちの148例においては、
特に呼吸器疾患と関連の高い、
呼吸器分泌型ムチン(MUC5AC、MUC5B)の測定を行って、
他のCOPDの指標との関連を検証しています。

その結果、
喀痰の総ムチン濃度は、
喫煙歴のないコントロールよりCOPDの患者さんで有意に高く、
年に2回以上急性増悪のある重症のCOPDでは、
そうでないCOPDより有意に高くなっていました。
また、呼吸器分泌型ムチン濃度は、
喫煙歴のないコントロールと比較して、
重症のCOPDの喫煙者では10倍、
重症のCOPDの既往喫煙者では3倍と、
有意に増加していました。

このように、
喀痰のムチン濃度が高いほど、
COPDの重症度は高く、
それは喫煙歴とも相関していました。

今回のデータのみでCOPDにおける喀痰ムチン濃度の意義を、
確定的に言うことは困難ですが、
これまでのCOPDの評価は、
気道の閉塞性変化や気腫性変化に偏っていた、
という側面はあり、
今後慢性気管支炎と患者さんの予後との関連は、
もっと検証される必要があると思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

下記書籍発売中です。
よろしくお願いします。

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(付記)
コメントでご指摘を受け、
ムチンの説明の部分に修正を加えました。
(2017年12月13日午前7時29分修正)
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かはづ書屋「巨獣(ベヒモス)の定理」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
巨獣の定理.jpg
なかなか渋い役者さんの森尾繁弘さんが代表を勤め、
昨年から活動をしている「かはづ書屋」という劇団の、
新作公演に足を運びました。

この劇団は初見ですが、
交流のある幾つかの劇団の俳優さんの、
ユニットのような感じで、
脚本と演出は「十七戦地」という劇団の、
柳井祥緒さんが勤めています。

興味を持ったのはモチーフとなっているのが、
昔懐かしい戦前の本格ミステリー、
浜尾四郎の代表作「殺人鬼」であることで、
これは由緒ある富豪の一族が、
謎の殺人鬼によって次々と殺される、
という古めかしくも懐かしい物語ですが、
それを全て使用人の目から見た推理劇として、
仕立て直すという内容になっています。

最近江戸川乱歩などの戦前のミステリーが、
矢鱈と沢山芝居になっているのは、
その著作権が切れたので、
関係者の許可なく自由に作品を使用出来るからです。

個人的にはあまりそうした風潮は好きではなくて、
そもそも小劇場のようなジャンルは、
こんなものをパロディや素材にして良いのだろうか、
と観ていてハラハラするような物を、
敢えて取り上げて怒られる前に上演して逃げちゃう、
というようなフットワークこそが楽しいので、
誰からも叱られないことが分かった途端に、
骨董品を掘り出して、
芝居にするというのは、
あまりに守りに入っている態度のように思えます。

ただ、その一方で今の世の中は、
SNSを介したブラックメールや密告が横行し、
隙あらば誰かの足を掬おうとするような、
物凄く嫌な社会なので、
小劇場と言えども、
そのように矮小になるのは仕方のないことかも知れません。

それでも、
著作権が切れたからすぐにワッとたかって芝居にする、
と言う行為は、
ある「見えざる手」に踊らされることでもある訳で、
やや反骨というか、
お上の言うことには従わねえぞ、
というような立場を取りながら、
そうしたことには無自覚というのも、
如何なものかな、
というようには感じます。

そんな訳で、
江戸川乱歩原案みたいな芝居には、
ほぼほぼ行かないように心がけているのですが、
最近では鵺的の「奇想の前提」などは、
アングラ復活みたいな、
なかなか楽しい試みでしたし、
原作を愛して読み込んでいることが、
良く分かる内容でした。
今回の芝居は「殺人鬼」を選んだという点に、
「むむっ」という感じがしましたし、
それを全て使用人サイドから描く、
という発想にも、
斬新さを感じたので観てみることにしたのです。

浜尾四郎の「殺人鬼」は、
1935年に発表された長編ミステリーで、
戦前では数少ない本格推理小説
(伏線を張った名探偵の登場するような謎解きミステリ)
の大長編として知られています。
ヴァン・ダインやクリスティ、クイーンなどのミステリは、
戦前から紹介され翻訳はされていたものの、
日本での本格推理小説の長編は、
戦後の横溝正史の「本陣殺人事件」から始まり、
それ以前には殆ど作例がない、
というのが実際であったからです。

その中でこの「殺人鬼」は英国ミステリを思わせる、
堂々たる長編で、
ほぼ犯人が丸分かりで、
ヴァン・ダインの「グリーン家殺人事件」と、
ルル―の「黄色い部屋の秘密」を、
そのままパクったような部分が多く、
意味ありげな割にダラダラしている、
という欠点はあるのですが、
よくぞこの時代にここまで、
と感心する部分も多々あります。

僕はミステリーに溺れていた中学生の時に読んで、
それ以降読み返したことはありませんが、
内容はほぼほぼ覚えていますから、
印象深い作品でもあったのです。

このほぼ埋もれた作品である「殺人鬼」を、
今回の芝居ではほぼ設定はそのままに、
全ての場面が使用人部屋で展開する、
という小劇場ならではの発想で、
骨太の推理論理劇に仕立てています。
原作があるとは言え、
ここまで論争のみで2時間近い上演時間を支え切り、
複雑な筋立であるにも関わらず、
それを無理なく観客に絵解きする、
という手際は非常に鮮やかで、
その論理劇としての完成度の高さには感心しました。
肌触りは「パラドックス定数」辺りに似ています。
ただ、今の流行りみたいなものを、
ラストにちょいと入れて、
今上演する意味みたいなものを付加しているのですが、
如何にも取って付けたようですし、
あまり本編との結びつきがないので、
これは良くないと感じました。
個人的には一気に次を見に行く元気が失せました。

以下ネタバレを含む感想です。
明日まで上演されていますから、
観劇希望の方は必ず観劇後にお読みください。

推理劇など詰まらないと思われている方は、
是非ご覧下さい。
推理や論理だけでこれだけ面白くなるのかと、
ビックリされると思います。
僕もビックリしました。

舞台は富豪の屋敷の使用人部屋に設定されていて、
奥に違い棚があり、
そこに富豪一家の持ち物の一部が、
その本人毎に分類されて置かれています。
これは使用人が自分が仕えている主人の、
持ち物の修理を行うために置いてある、
という理由付けになっていて、
大奥様の棚や旦那様の棚、
長女のお嬢様の棚、などが並んでいます。

ここで次々と、
富豪の一家が殺されるのですが、
殺される毎にそのお付きの使用人によって、
儀式のように棚の持ち物が取り去られます。
そして、徐々に空の棚が増えて行くのです。

極めて効率的で効果的で視覚的な工夫です。
クリスティーの「そして誰もいなくなった」の人形に、
ヒントはあるように思いますが、
かなり天才的な発想だと非常に感心しました。
これは凄いですよね。

登場するのは主に使用人達で、
執事がいて、長女に仕える女中頭がいて、
三女や長男に仕える女中に、雇われ運転手、
それから一公という新人の下男がいます。
それから原作の探偵役の支倉検事(劇中では書記)がいて、
一家では鼻つまみ者の腹違いの次女と、
その婚約者の書生は、
使用人ではなく富豪一家の中から唯一登場します。

これは要するに最後まで殺されない人物達で、
死んでしまう富豪一家の面々や、
殺される女中は、
一切登場せず、棚に物だけが置かれている、
という趣向です。

殺人鬼に1人殺される度に、
そこで犯人捜しの議論が戦わされます。
主にそこにいない人の話ばかりになるので、
それでは退屈になるのではないかと、
普通はそう考えますが、
それが意外にそうではなく、
観客自体が推理ものでは、
結局は噂話をしているような立場なので、
登場する使用人達の立ち位置と、
観客の立ち位置は似ているので、
スムーズに物語に入り込めるのです。

この辺りの発想も非常に面白く、
大袈裟に言えば演劇の新たな可能性を感じさせました。

ただ、これが三谷幸喜さんなら、
登場しない人物に面白おかしい肉付けとして、
それで笑いを誘ったり、
観客のイメージを膨らませたりするところですが、
今回の作品では敢くまで原作の絵解きをする、
という方針を取っているので、
そうしたデフォルメはされていません。
でも、それでも充分面白いのです。

物語は基本的に原作に沿って展開されますが、
原作にあった結末の後に、
もう1つのどんでん返し的なものが用意されていて、
その後戦争に向かう日本の姿と、
捕まらない犯人とが重ね合わされるようにして終わります。

原作に登場した一公という人物が、
実は若い頃の金田一耕助であった、
という隠れ設定も楽しく、
勿論金田一耕助は横溝正史のキャラですが、
若い頃にアメリカに渡ったことになっていて、
その前にも事件に関わっていたことになっているので、
しっかりと辻褄は合っていますし、
「しまった。遅かったか」みたいな、
お決まりの台詞も言うのが楽しいのです。

役者さんもこれまで観たことのない方ばかりですが、
なかなか堅実な芝居で見応えがありました。

ただ、どんでん返しと言うには弱い気がするのは、
そこで新たな秘密の暴露のようなものがなく、
捉え方を変えただけという感じだからだと思います。
また、戦争に向かう社会との重ね合わせというのが、
如何にも無理矢理で良くありません。
僕が考えるには、
ミステリ―はそもそも「悪」を描くジャンルで、
悪の造形こそがミステリーの根幹ではないかと思います。
そうであれば、登場する悪が、
そのまま戦争に向かう日本にある悪と、
明確に結び付いているような趣向が必要だと思うのです。
それが別にないので、
如何にも取って付けたように感じるのではないかと思います。

使用人と主人達と逆転させるという趣向は、
とても面白いのですが、
今回の作品において、
それが有効に機能をしていたかと言うと、
その点にも少し不満があります。

ミステリ―の語り口としては成功しているのですが、
発想がそこに留まっていて、
関係性が反転するような面白みがありません。
次女と書生を登場させているというのは、
構成上仕方がない面があるのですが、
次女が登場した時点で、
「使用人のみ」という設定は崩れてしまっているので、
その点が構成上の矛盾であるように感じました。
使用人が実は主人を支配している、
というような反転の発想があるべきだと思いますが、
そうしたダイナミズムが、
この作品には不足しているように思います。

色々と文句を言いましたが、
とても面白い芝居であったことは間違いがありません。
これはこれでとても良かったと思うのですが、
是非作り手の方には、
もっと上を目指して頂きたいと願います。
驚天動地の超絶論理推理劇の誕生の兆しを、
今回の舞台に垣間見たような気がしたからです。
そうした突き抜けた芝居においては、
もう取って付けたような社会性のようなものは、
必要はないのではないでしょうか。

これからも頑張って下さい。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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「エル」 [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で午前午後とも石原が外来を担当します。

今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
エル.jpg
オランダの鬼才ポール・バーホーベンが、
フランスでメガホンを撮り、
名女優のイバベル・ユベールが主役を演じた、
エロチック・サスペンスの「エル」が、
今ロードショー公開中です。

バーホーベンと言えば、
「ロボコップ」は公開当時は衝撃的で斬新で、
「マッド・マックス」と共に、
近未来バイオレンスの歴史を塗り替えた傑作でしたし、
「氷の微笑」は全編「思わせぶり」しかない、
という一種独特のある意味滅茶苦茶なサスペンスで、
公開当時は大宣伝もあって、
物凄くワクワクして劇場に足を運び、
狐につままれたような気分で劇場を後にしてことを、
今もありありと覚えています。
また「スターシップ・トゥルーパーズ」も、
CGを駆使した怪物の群れとの激闘が凄まじく、
未だにあれを超えるSFモンスターアクション映画はないと、
誰もが否定出来ないジャンル物の大傑作でした。

ただ、バーホーベンの特徴は、
その変態性にこそあって、
おそらく本人も絶対変態だと思うのですが、
登場するのは主人公を含めて、
性根が歪み、異常な性的嗜好を持った変態ばかりで、
その変態性が好きな人には抜群の魅力です。

そんな彼も70代の後半となって、
もういい加減枯れて来たのではないかと想像され、
実際に割と平凡な作品が多くなっていたのですが、
今回の新作はところがどうして、
変態節さく裂の怪作で、
これが白鳥の歌にならなければ良いと、
密かに不安に思うほど、
元気一杯変態度抜群の作品でした。

基本的にはかつての「氷の微笑」に似ているところがあって、
エッチで変態的なサスペンスなのですが、
後半はこれまでにない異次元に突入する、
ある意味「氷の微笑」を超えるサスペンスになっていました。
また、作り手も過去作を意識していて、
音楽や女の挑発的な媚態などは、
「氷の微笑」を明らかになぞっていました。

内容はイザベル・ユベール演じる主人公の中年女性が、
自宅でいきなりスキーマスクを被った謎の男に、
レイプされるという衝撃的な場面から始まります。
その主人公というのが、
オタク向けのエロチックで残酷なRPGを作っている、
ゲーム会社のCEOなのですが、
父親が20年前に数十人を惨殺した殺人鬼で、
自身もその時のトラウマを持ち、
母親は若いムキムキの男性の虜になっている性欲の奴隷で、
自身も女性パートナーとレズの関係にありながら、
その夫とも不倫の関係を持ち、
更には隣のイケメンの妻がいるトレーダーにも惹かれている、
という変態ぶりです。

主人公はレイプをされてから、
得体の知れない妄想に悩まされ、
精神の均衡を失ってゆくので、
ははあ、これはサイコスリラーのパターンで、
トラウマのある主人公が、
自分も殺人鬼になってゆく、
というような話なのね、
と予想するのですが、
その予想は大きく外れ、
レイプ犯の正体が判明した辺りから、
変態達の暴走は止まることはなく、
予測不可能な方向へと転がり始めます。

これはもうバーホーベンにしか描けない、
変態性の世界で、
好き好きはあるので受け付けない方もいらっしゃると思いますが、
僕はこうしたものは大好物なので、
途中からはもうのめり込むようにして観ていました。
特に後半の盛り上がりは素晴らしく、
ラストの帳尻の合わせ方もケチの付けようはありません。

キャストは主人公以外も非常に充実していて、
如何にもフランス映画という、
コクのある競演を見せてくれます。
惜しむらくは映像で、
全編ぼんやりとしたソフトフォーカスで画質も荒く、
何かレンタル屋に置かれた古いビデオを見ているようでした。
これがそもそも原版の画質なのか、
それとも日本で公開されているバージョンに問題があるのかは、
良く分かりませんでした。

何にせよ今年一番の変な映画であることは間違いがなく、
こうした変態映画の好きな人には、
抜群の贈り物で、
バーホーベンの映画のファンであれば、
失望することはないと断言しても良いと思います。

下品で変態で胃もたれするような濃厚さですが、
とてもとても面白いです。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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血友病の新しい治療法の効果について [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は金曜日なのでクリニックは休診ですが、
老人ホームの診療などには廻る予定です。

それでは今日の話題です。

今日は血友病という遺伝性の血液の難病の、
新しい治療についての臨床試験の結果を、
2つご紹介します。

いずれも先月のthe New England Journal of Medicine誌の同じ紙面に、
特集的に掲載されたものです。

血友病というのは、
遺伝性の出血素因を持つ病気で、
出血が止まりにくい原因は、
血液を固める凝固因子の一部が、
生まれつき非常に少なくしか作られないことによっています。

血液凝固第8因子の障害を血友病Aと言い、
血液凝固第9因子の障害を血友病Bと言います。
いずれもX染色体連鎖性という遺伝形式を取り、
通常X染色体が1つしかない男性に発症し、
女性は保因者となります。
ただ、稀に遺伝子型が女性の患者さんも存在しています。
血友病の80から85%は血友病Aの患者さんです。

血友病の治療は不足している凝固因子を、
注射で補充することです。
これは定期的な静脈注射ですが、
この病気に限っては自宅での本人や家族による注射も認められています。
血液製剤の定期的な使用は高額医療ですが、
難病として日本では公費負担の適応疾患となっています。

凝固因子製剤の定期的な注射により、
血友病の患者さんの予後は格段に改善しましたが、
週に数回の静脈注射を、
継続しなければならない、
というのは患者さんにとって看過出来ない大きな負担です。
また、この凝固因子の補充を継続していると、
血友病A患者の10から15%、
血友病B患者の1から3%に、
投与した凝固因子に対する自己抗体が産生され、
それが凝固因子の活性を低下させてしまう、
という大きな問題があります。
この自己抗体のことを、
インヒビターと呼んでいます。
(New England…の解説記事では、
重症の血友病Aの患者さんのおよそ3割に、
凝固因子に対する自己免疫反応が見られる、
と記載されています)

通常人間の身体が産生するのと同じ凝固因子を、
そのまま注射するのですから、
拒絶反応が起こるとは考えにくいのですが、
凝固に関わる遺伝子の変異が血友病の患者さんにはしばしば認められるので、
それが自己抗体を生じやすくさせているようです。

それでは、インヒビターを生じさせず、
静脈注射を繰り返さなくても良いような、
血友病の治療というのはないのでしょうか?

今日ご紹介するのは、
その2つの試みです。

まず最初のものがこちらです。
血友病の抗体療法.jpg
これはエミシズマブ(emicizumab)という薬剤の、
第3相臨床試験の結果をまとめた論文です。

エミシズマブというのはIgG4に分類される、
人工的に作られた抗体で、
血液凝固第9因子と第10因子の両者に結合し、
その橋渡しをする格好で、
間接的に血友病Aで欠乏している第8因子の効果を、
補完するような働きを持っています。

この抗体を定期的に使用することで、
第8因子自体は補充しなくても、
出血傾向の改善が期待出来るのです。

この抗体は1週間に1回の皮下注射で投与が可能です。

今回の臨床試験では、
インヒビターが陽性の血友病Aの患者さん、
トータル109名をクジ引きで、
エミシズマブの予防投与群と未使用群に分け、
以前にバイパス止血製剤と呼ばれる、
複数の凝固因子を含む製剤の、
予防的使用歴があるかどうかで更に2つの分類して、
最短でも24週間の治療を継続しています。

その結果、
バイパス止血製剤未使用群では87%、
使用群でも79%の出血イベントの抑制が、
エミシズマブにより有意に認められました。
具体的にはバイパス止血製剤未使用群で、
エミシズマブ未使用では63%の22例に出血が認められたのに対して、
使用群では6%に当たる1例しか出血は認められませんでした。

ご覧のように、その効果はかなり画期的なものです。
インヒビター陽性でも効果があり、
しかも週1回の皮下注射で良いという投与経路は、
血友病の患者さんのADLを格段に改善するものです。

ただ、これ自体が抗体製剤なので、
長期の使用により、
この薬剤に対する抗体が出来てしまう、
という可能性は否定は出来ません。
また、第9因子の存在が前提となっているので、
血友病Aのみに有効で、
血友病Bには効果がありません。

もう1つの試みはこちらです。
血友病のRNA干渉療法.jpg
こちらはフィツシラン(fitusiran)という注射薬の臨床試験の結果の報告です。
この薬はRNAの遺伝子製剤で、
最新技術であるRNA干渉という現象を利用して、
特定の遺伝子の活性を低下させることにより、
血液の凝固を阻害するアンチトロンビンの活性を低下させ、
それにより間接的に血液の凝固を促進して、
出血を予防しよう、
というメカニズムです。

RNA干渉というのは、
標的となる遺伝子と同じ塩基配列の二本鎖RNAを、
細胞内に注入すると、
それがその標的部位に結合して、
その部分の遺伝子が発現することを阻止する、
という現象のことで、
この場合アンチトロンビンの遺伝子を不活化して、
出血を予防しようという試みです。

この遺伝子製剤も、
週1回もしくは月1回の皮下注射の製剤です。

エミシズマブと比較すると、
まだ治験段階の成績ですが、
インヒビターのない血友病AもしくはBの患者さんにおいて、
月に1回の皮下注射で、
アンチトロンビン濃度を低下させ、
それによりトロンビン産生が亢進して、
凝固が誘導されることが確認されています。

こちらの薬剤の方が、
まだ実現には時間が掛かりそうですが、
1か月に一度の皮下注射で効果が持続する、
と言う点には魅力があります。
血友病AでもBでも効果があり、
RNAの製剤なので、
それに対する抗体が産生される、
という心配もなさそうです。

このようにまだ治験や臨床試験の段階ではありますが、
凝固因子製剤の補充に代わる、
血友病の治療を抜本的に変革するような治療薬が、
実現に向かっていることは非常に期待の持てる創薬の進歩で、
今後の進捗を待ちたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

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よろしくお願いします。

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リラグルチドの腎症予後改善効果 [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は午前午後ともいつも通りの診療になります。

それでは今日の話題です。

今日はこちら。
GLP1アナログの腎症改善効果.jpg
先月のthe New England Journal of Medicine誌に掲載された、
リラグルチドという注射の糖尿病治療薬の、
糖尿病性腎症に対する効果を検証した論文です。

2型糖尿病において、
糖尿病性腎症やその他の原因による腎機能の低下は、
海外データですが、
患者さんの35%に発症するという頻度の高い合併症で、
その有無は患者さんの生命予後にも大きく影響をします。

糖尿病には小血管の合併症と大血管の合併症があると言われます。

小血管の合併症というのは、
通常3大合併症と呼ばれる網膜症と神経症と腎症で、
大血管合併症は、
動脈硬化の進行による、
心筋梗塞や脳卒中などの心血管疾患です。

このうちで小血管の合併症については、
血糖コントロールを強化して、
HbA1cが7%を切るくらいにすると、
その発症が予防されることが確認されています。
その一方でより厳格なコントロールを行なっても、
大血管の合併症は十分には抑制されません。

糖尿病に合併する腎機能低下は、
腎症による部分もありますが、
動脈硬化が影響している部分もあります。

従って、
尿中アルブミンなどのマーカーを利用した試験では、
血糖コントロールにより一定の予防効果が確認されるのですが、
腎機能自体の低下を、
血糖コントロールのみで充分に予防出来るかというと、
その知見は限られていて、
明確な結論が得られていません。

最近になりSGLT2阻害剤という、
尿にブドウ糖を排泄するタイプの糖尿病治療薬エンパグリフロジンで、
微小アルブミン尿の出現と、
血液の腎機能の指標であるクレアチニン濃度が2倍になるリスク、
そして透析導入や腎臓病による死亡、
つまり糖尿病性腎症の発症と進行とを併せたリスクが、
トータルで39%(95%CI;0.53から0.70)有意に低下した、
という画期的な結果が報告されました。

今回の研究は、
これまでの報告ではエンパグリフロジンと、
ほぼ同等の心血管疾患抑制効果が見られている、
インクレチン関連の注射薬リラグルチドにおいて、
同様の腎症予後改善効果が見られるかどうかを検証したものです。

エンパグリフロジンの腎症予後改善効果も、
心血管疾患の予後を検証した臨床試験のサブ解析でしたが、
今回のリラグルチドも、
同様に以前施行された臨床試験のサブ解析となっています。

心血管疾患のリスクの高い2型糖尿病の患者さん、
トータル9340例をクジ引きで2つの群に分け、
一方はリラグルチドの注射を施行し、
もう一方は偽薬を注射して、
中央値で3.84年の経過観察を行っています。

エンパグリフロジンの試験と同じように、
糖尿病性腎症の転帰を、
新たな微小アルブミン尿の持続のリスク、
血液のクレアチニンが登録時の2倍になるリスク、
そして透析が必要になるような末期腎障害と、
腎臓病による死亡のリスクを合算したリスクとして算出すると、
リラグルチドの使用により、
糖尿病性腎症の発症及び進行のリスクは、
22%(95%CI;0.67から0.92)有意に低下していました。

ただ、その内訳を見ると、
微小アルブミン尿の持続のリスクが、
26%(95%CI;0.60から0.91)有意に低下していた以外は、
透析導入もクレアチニン増加もやや低下の傾向はあるものの有意ではなく、
死亡リスクについてはむしろリラグルチド群が多くなっていました。

エンパグリフロジンの同様のサブ解析では、
微小アルブミン尿のリスク低下は、
明確ではなかった一方、
透析導入とクレアチニン増加のリスクは有意に低下していました。
(更にその後再解析があり、アルブミン尿についても、
アルブミン排泄量毎に見ると一定の抑制効果が報告されています)

この解釈はちょっと微妙で、
予後の改善と言う面では、
エンパグリフロジンが勝っていて、
リラグルチドは腎症の予後を改善しているとは言えないのですが、
3年程度という期間は、
腎臓病による死亡や透析導入などのリスクを見るには、
短過ぎるという気がしますから、
むしろ明確なアルブミン尿出現の予防効果があるという点では、
リラグルチドの方が、
より長期の観察を行なえば、
予後改善に結び付くのでは、
という推測も可能です。

このように、
現状は今回の結果をもって、
腎症の予後改善にリラグルチドが有効とは、
まだ言い切るのは時期尚早という気がしますが、
トータルに心血管疾患の予防という観点では、
SGLT2阻害剤とGLP1アナログが、
他剤と比較して良い結果を示していることは間違いがなく、
今後の更なる検証に期待をしたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

下記書籍発売中です。
よろしくお願いします。

誰も教えてくれなかった くすりの始め方・やめ方: ガイドラインと文献と臨床知に学ぶ

誰も教えてくれなかった くすりの始め方・やめ方: ガイドラインと文献と臨床知に学ぶ

  • 作者: 石原藤樹
  • 出版社/メーカー: 総合医学社
  • 発売日: 2016/10/28
  • メディア: 単行本


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第24回健康教室のお知らせ [告知]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は水曜日で外来は午前中で終わり、
午後は終日レセプトの事務作業の予定です。

今日はいつもの告知です。
こちらをご覧下さい。
24回健康教室.jpg
次回の健康教室は、
9月16日(土)の午前10時から11時まで(時間は目安)、
いつも通りにクリニック2階の健康スクエアにて開催します。

テーマの今回は「運動は何故健康に良いのか?」です。

運動は食事と並んで健康法の大きな柱ですが、
身体を酷使するスポーツ選手が、
必ずしも健康ではなく、
むしろ一般の人より病気や怪我に苦しんでいるように、
健康にとっての運動のあり方というのは、
そう単純なものではありません。

運動の効能というものについても、
研究され尽くされているようで、
必ずしもそうではなく、
新しい知見が今でも報告され続けています。

マイオカインと称されるような、
運動する筋肉から分泌される一種のホルモンが、
脂肪の分解に働いている、
というような知見も注目されています。

今回もいつものように、
分かっていることと分かっていないこととを、
なるべく最新の知見を元に、
整理してお話したいと思っています。
ご参加は無料です。

参加希望の方は、
9月14日(木)18時までに、
メールか電話でお申し込み下さい。
ただ、電話は通常の診療時間のみの対応とさせて頂きます。

皆さんのご参加をお待ちしています。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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眠前のタンパク質摂取の筋肉蛋白産生増加作用 [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は午前午後ともいつも通りの診療になります。

それでは今日の話題です。

今日はこちら。
タンパク質の寝る前の摂取と筋肉量.jpg
今年のthe Journal of Nutrition誌に掲載された、
寝る前や寝ている間に蛋白質を補充すると、
寝ている間にタンパク合成が進行して、
高齢者の筋肉量の低下を予防出来るのでは、
というかなり特殊な感じの報告です。

純度の高い蛋白質(プロテイン)を、
運動しながら摂ることで、
筋肉量が増加することは、
ボディビルの選手などがされていることで、
それが健康的かどうかはともかくとして、
一定の有効性のあることは間違いがありません。

健康上筋肉量が問題となるのは、
高齢者や寝たきり、癌など消耗性疾患の患者さんの場合で、
同じ量の蛋白質を摂取していても、
そうした方では充分な効果が得られない、
ということが知られています。

若年者で20グラムのプロテインを摂ることにより、
筋蛋白合成は75%程度増加すると報告されていますが、
これが高齢者になると、
同じ筋蛋白産生率を達成するには、
倍の40グラムのプロテインの摂取が必要であった、
という報告もあります。

ボディビルで筋肉をつける時には、
プロテインを運動の前後と寝る前に、
摂取することが多いようです。

運動の前後においては、
効率の良い運動の実現と、
その後の筋蛋白産生の増加を見越して、
プロテインを補充することで筋蛋白の産生率を増加させる、
という理屈があります。

それでは、何故寝る前にプロテインを摂るのかと言うと、
寝ている間には成長が促進されるので、
その時に充分な量のプロテインを補充することで、
その効率をより上げようという狙いがあります。
また、寝ている間には筋肉組織は少し減少するのですが、
プロテインの摂取によりそれを最小限に抑えよう、
という考えもあるようです。

消化や吸収の観点から考えると、
寝ている間に食事が胃腸に入るのは、
胃腸に負担が掛かってあまり良いことではない、
というように思います。
実際食べてすぐ寝れば翌朝は体調が悪く、
げっぷが出て胃もたれがして、
便通も悪い状態となることが殆どです。

また、寝る前に食べると太る、
というのもしばしば言われる事実で、
寝ている間はカロリー消費は最小限に抑えられていますから、
そこでカロリーが過剰に入れば、
脂肪の蓄積が増すこともまた理の当然です。

ただ、見方を変えると、
寝ている間は太りやすいというのは、
それだけ効率的にカロリーや栄養素が身体に取り込まれる、
ということです。

そうは言っても脂肪のみが増えるのであれば、
健康上のメリットのあることではありませんが、
これまでの研究により、
寝る前や寝ている間にプロテインを摂取すると、
比較的効率的に筋蛋白の合成率が高まり、
筋肉量が増加することが証明されています。

自然な状態ということで考えれば、
1日の中で半分の12時間くらいはカロリー摂取がなくなり、
少し身体が異化に傾くこと自体は、
そちらの方が自然な状態であって、
無理にその時間帯にプロテインの摂取を行うことは、
かなり自然の理に反したことのように思います。

ただ、その一方で、普通に食事を摂っていても、
体重や筋肉量が低下するような、
消耗疾患の患者さんや高齢者では、
効率良く吸収が行われる夜間に、
プロテインの補充を行うことは、
悪くないプランであるようにも思います。

今回の研究では、
65歳以上の糖尿病などの基礎疾患のない高齢者48名を、
くじ引きで本人にも実施者にも分からないように4つの群に分け、
第1群は40グラムのカゼインプロテインを、
第2群は20グラムのカゼインプロテインを、
第3群は20グラムのカゼインプロテインと1.5グラムの必須アミノ酸のロイシンを、
第4群は偽の栄養剤を、
それぞれ寝る前に摂取して、
その後の筋肉のアミノ酸の取り込みと筋蛋白の合成率を、
放射能の標識をしたアミノ酸を使用することで解析しています。
実際の筋組織における標識アミノ酸の分布は、
前後2回の筋生検をすることで確認しています。

1日だけの試験とは言え、
健康な人の筋生検を2回も行い、
放射能も使用してアミノ酸の分布を解析するというのは、
通常は倫理的に問題があるとされても、
おかしくはないレベルの、
かなり過激な研究デザインです。
研究はオランダで行われています。

その結果、
プロテインの寝る前の摂取により、
偽の栄養剤と比較して、
有意な筋肉へのアミノ酸の取り込みの増加と、
筋蛋白産生の増加が確認されました。
この筋肉増強効果は、
40グラムという高用量のプロテインにおいて、
他の用量やロイシンの併用よりも、
高いレベルで認められました。

従って、高齢者の筋肉量の減少が、
充分に昼間食事を摂っていても、
進行してしまうようなケースでは、
寝る前もしくは眠中に、
プロテインの摂取を行うことが、
一定の有効性が期待出来る方法であることが、
理論的には確認されました。

ただ、これがあまり健康的な方法とは思えませんし、
これを繰り返した場合の身体への弊害も、
現時点では未知の部分が大きいように思います。

今後の検証にもまた期待をしたいと思いますが、
現状安易に飛びつくような栄養療法ではないように、
個人的には思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

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癌幹細胞の性質と癌根治の可能性について [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は午前午後ともいつも通りの診療になります。

それでは今日の話題です。

今日は今年Nature誌に発表された、
癌幹細胞についての2つの画期的な知見をご紹介したいと思います。

その面白さに、
ちょっと興奮させられましたし、
こんな研究が出来たらいいな、
と羨望の思いにも囚われました。

癌の根治が難しいのは、
99%の癌細胞を手術などの方法で除去したり、
抗癌剤で死滅させても、
僅かに残った細胞から、
再び癌が再発してしまうようなことが、
往々にしてあるからです。

全ての癌にそうした細胞があるかどうかは、
まだ確定したことではありませんが、
このように1個でも残っていれば、
そこからがんの組織が復活出来てしまうような細胞、
自分自身の複製を無限に繰り返し、
分化した細胞も生み出すような能力をもつ細胞を、
「癌幹細胞」と呼んでいます。

癌幹細胞にコントロールされて増殖している癌の場合、
99%の癌の組織を手術で取り除いたとしても、
1個でも癌幹細胞が残っていれば、
そこから癌は再発してしまうので根治には至りません。

また、抗癌剤は癌幹細胞だけをターゲットにしているのではなく、
全ての癌細胞を一様に攻撃するので、
結果として身体全体にもダメージを与えてしまい、
癌幹細胞全てを死滅させることは困難です。
従って、使用している間は癌は縮小しますが、
使用を止めればまた癌は進行してしまいます。

このいたちごっこを解決する方法として、
可能性があるのは、
癌幹細胞だけをターゲットにして、
それを選択的に死滅させるような治療です。

しかし、そうしたことが実現可能なのでしょうか?

こちらをご覧下さい。
がん幹細胞の可視化.jpg
今日ご紹介する1つ目の論文です。
今年のNature誌に掲載されたもので、
慶應大学の佐藤俊朗先生のグループによる研究です。

癌幹細胞を退治する方法を見出すには、
癌幹細胞の性質を知る必要があります。

従来の研究は癌の組織をバラバラの細胞にして、
それを動物に移植して癌を作るような方法でした。
しかし、それでは癌幹細胞からどのようにして癌の組織が作られるのか、
その詳細は解明することが困難でした。

佐藤先生らの研究グループでは、
オルガノイド技術という特殊な培養法により、
大腸癌の患者さんから採取した癌幹細胞を、
培養して癌組織に似た構造を作ることに成功し、
それをネズミの移植して実験を行っています。

大腸癌の組織には、
増殖と分化が無限に可能な癌幹細胞と、
それよりは分化した細胞が混ざっています。
これまでの研究により、
癌幹細胞にはLGR5という、
幹細胞にしかない遺伝子領域のあることが分かっていて、
その一方で分化した癌細胞には、
LGR5はなく、その代わりにKRT20という遺伝子が発現しています。

ここで取り出した癌幹細胞のLGR5領域に、
蛍光を発するような蛋白質の遺伝子を組み込むと、
癌幹細胞だけが特殊な光に対して緑色に発光するようになり、
何処にどれだけの癌幹細胞が発現しているのか、
一目で分かるようになります。

これが癌幹細胞の可視化という技術です。

さて、こうした技術でネズミに移植した、
人間の大腸癌の組織を観察すると、
癌幹細胞から癌の組織が作られ大きくなることが確認されました。

次に癌幹細胞のLGR5領域に、
自殺遺伝子を埋め込み、
ある抗癌剤の刺激により、
その自殺遺伝子が発動するような仕組みを構築します。

この癌幹細胞は、
特定の薬剤を使用することにより、
選択的に殺すことが可能となった訳です。

そこでネズミに人間の大腸癌を作り、
自殺遺伝子を発動させて癌幹細胞のみを選択的に殺す、
という実験を行います。

すると、
一旦は癌の組織は縮小しましたが、
抗癌剤を中止すると再び癌は増殖してしまいました。

癌幹細胞は全て自殺した筈なのに、
何故癌は再発したのでしょうか?

遺伝子の解析を行って明らかになったことは、
LGR5陽性の癌幹細胞が全て死滅すると、
その近傍のKRT20陽性の分化した細胞が、
脱分化してLDR5陽性細胞に変化している、
ということが確認されました。

つまり、ある時点で癌幹細胞であった細胞を全部殺しても、
分化した癌細胞自体が生き残っていると、
そこから癌幹細胞が再び生まれ、
いずれは癌は再発してしまうのです。

それではどうすれば良いのでしょうか?

上記文献においては、
既存の癌治療薬と癌幹細胞への標的治療を組み合わせて、
著明な癌の縮小効果が得られたことを示し、
今後の治療の方向性としての有用性を示唆しています。

ただ、結局既存の治療に併用するのであれば…
というモヤモヤ感が何となく残ることも確かです。

同時期にもう1つの癌幹細胞に関する論文が、
同じNature誌に掲載されています。
それがこちらです。
がん幹細胞に見る転移と原発の差.jpg
こちらはアメリカの研究グループによるもので、
やや方法は違いますが、
人間の大腸癌の細胞をネズミに移植して、
癌幹細胞の動態を遺伝子レベルで検証、
治療によりLGR5が陽性の細胞のみを死滅させて、
その効果を検証している、
と言う点は同じです。

その結果も、
矢張り一旦癌幹細胞を根絶させても、
癌組織自体は再び増殖に向かう、
と言う点は同じです。

このように別個の一流の研究グループにより、
同一の結果が得られるということが、
その研究が真実であることの大きな根拠となるのです。
「私にしか作れない細胞」みたいなものは、
実際には「科学的」ではないのですが、
一般の方はどうしてもそうした見栄えの良さとある種の特別感に、
惑わされることが多いようです。

さてこの研究の最初の研究との違いは、
この研究では原発巣と、
その肝臓への転移巣が共に観察の対象となっている点にあります。

そこで、
一旦癌幹細胞を根絶させると、
原発巣では癌は再び増殖しますが、
転移巣ではそうした現象は起こらず、
転移は縮んだままの状態が維持された、
という非常に興味深い知見が得られています。

つまり、
細胞が脱分化して再度癌幹細胞が増殖する、
というような仕組みは、
どうやら原発巣のみで起こる現象で、
一旦癌幹細胞が死滅すると、
それで転移巣については根治に至る、
という結果が判明したのです。

癌の原発巣と転移巣に、
その性質の違いがあるのでは、
というような知見はこれまでにもありましたが、
治療に直結する形で、
こうした知見が得られたのは初めてのことで、
今後の癌治療に役立つことは、
間違いのないことのように思います。

癌根治の道のりは、
決して平坦なものではありませんが、
癌の性質を見てその根治への道筋を付ける意味で、
今回の癌幹細胞に関する新しい知見の持つ意味は大きく、
今後の研究の積み重ねを大いに期待して待ちたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

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ナカゴー特別劇場「地元のノリ」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
ナカゴーの河童.jpg
唯一無二の世界を繰り広げるナカゴーが、
特別劇場として「地元のノリ」という作品を、
南阿佐ヶ谷にある小さな劇場で上演しています。

相変わらずハイペースで上演を続けるナカゴーで、
以前は視聴覚室や会議室みたいなスペースでの上演が多かったのですが、
最近は比較的設備のある小劇場での公演が多いのは、
ファンとしては嬉しいところです。

前回は本公演として浅草九劇で「ていで」という公演が、
7月の下旬にあったばかりなのですが、
1か月後にはもう次の上演が行われています。

前回の「ていで」にも、
勿論足を運んでいるのですが、
ブログで記事にしていないのは、
正直あまり感心しなかったからです。
ちょっと文学に傾斜した感じで、
そうしたものもあって悪くないのですが、
本領発揮とは言えないかな、
というように感じてしまいました。

今回は、チラシにあるように、
ENBUゼミナールの発表会として作った作品を膨らませたもので、
河童などがジャンジャン登場する得意の「妖怪もの」の、
とてもとても楽しい作品でした。
アイデンティティや自分の本性を隠すという、
現代的なテーマを深いところで追及しているのですが、
それが知性の嫌味や底の浅い政治色などを、
全く持たないところで成立しているのが素晴らしく、
エチュードを組み合わせたような作り方を、
おそらくはしているせいもあるのでしょうが、
何処に転がるやら、
先が全く読めない展開は、
怪人鎌田順也さんの面目躍如の感のある快作でした。

毎日こうしたものが観られれば、
正直他の娯楽など何も要らないですね。

以下ネタバレを含む感想です。

公演は本日までですが、
観劇予定の方は必ず観劇後にお読み下さい。

物語は河童の三平(懐かしいですね)が、
幼馴染の女性の河童のお父さんが重病のために、
行方知れずの彼女を探して、
牛久の沼から東京に出て来たところから始まります。

出逢った女性は阿佐ヶ谷の闇医者の手術で、
人間の皮を移植されて見た目は人間になっています。
彼女は乱暴者の河童と不幸な結婚をして、
娘を1人設けていたのですが、
彼女はまだ自分を人間だと思っていて、
その場での母親のカミングアウトに衝撃を受けます。
更には娘の友達の不良少女が、
その場を目撃して家に戻り、
友達が河童であったことを、
ろくでなしの両親に告げるのですが、
それがまた実は…
という感じで次々とお話は連鎖して、
人間の皮を被って生活を続ける、
河童の実体が明らかになってゆきます。

物語はその河童の三平を中心とした前半と、
パスタの店の店長と店員を巡る人間関係から始まり、
驚天動地の誰にも予想出来ないクライマックスを迎える、
ナカゴーお馴染みの設定の後半とに二分されています。
ただ、前半と後半の筋も、
共通に関わるキャラが複数用意されていて、
両方は連鎖する構造になっています。

オープニングに男優さんが1人前説に登場して、
「今回の作品に登場する人間は自分だけです」
とネタバレをします。

前回公演の「ていで」でも、
あらすじを最初に説明してしまい、
台詞の練習風景も見せてしまうという、
同じような趣向が使われていました。

確かに分かっていても面白いのが、
ナカゴーのお芝居ではあるのですが、
分からないに越したことはありませんし、
今回の場合には「全員が実は妖怪」というのは、
ちょっと見れば推測のつくことではあっても、
わざわざ最初に言う意味が、
何処にあったのかな、というのは疑問に感じました。
この辺は鎌田さんは常人ではないので、
おそらく鎌田さんなりの理屈があるのだとは思います。

ただ、物語が始まってしまうと、
一気呵成に観客の思考を先取りするようにして、
軽快に進むのがいつもながら心地良く、
オープニングの10秒で、
もう物語の骨格が説明されて、
一気のその世界に入り込める、
という無駄のなさがさすがと思います。

小劇場の重鎮の方で、
本筋が始まる前に、
ダラダラとダンスもどきの退屈な場面を、
連ねたりするような人がいますが、
鎌田さんの爪の垢でも飲ませたいと、
本気で思います。

今回はナカゴー勢は、
スターの暴れん坊篠原正明さんと、
最近加入した土田有未さんの2人だけで、
後は素人に近いような方も多いのですが、
あまり「やらされ感」がなく、
上手く演出されているのにも感心します。

篠原さんは、さすがのクオリティで、
大暴れも歌もしっかりあり、
最後は凛々しい河童姿も見せてくれます。

上演時間は1時間20分ですが、
充実度があります。

とても楽しい時間を過ごさせてもらいましたし、
これからも本当に楽しみです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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倉持裕「鎌塚氏、腹におさめる」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
診療は午前午後とも石原が担当しています。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
鎌塚氏.jpg
M&Oplaysプロデュースとして、
倉持裕さんの新作が、
先日まで下北沢の本多劇場で上演されました。

最初に申し上げますと、
今日もあまり褒めていません。
むしろ否定的な感想となっていますので、
この作品をお好きな方は、
多分ご不快になるかと思いますので、
以下はお読みにならないで下さい。
色々な意見があるということで、
ご容赦頂ければ幸いです。

倉持裕さんは、
現在最も活躍をされている、
劇作家で演出家の1人と言って良いと思います。

ペンギンプルペイルパイルズという劇団を、
主な活動場所としていた頃には、
かなりシュールでとらえどころのない作風で、
「246番地の雰囲気」という、
ケラ風のテイストのハードボイルド活劇があったかと思うと、
「機械」のような娯楽味を排したような、
不条理劇もありました。
その頃の傑作と言えば、
岸田戯曲賞にも輝いた「ワンマン・ショー」で、
これは別役風の設定を取りながら、
奇怪でグロテスクでシュールな不条理劇で、
後半現実と思われた世界が急速にその現実味を失い、
円環が閉じるように世界が縮んでゆく辺りは、
これまでの演劇にはあまりないようなタイプの、
現実感覚が根底から揺らぐような凄みがありました。

最近別の団体での再演もありましたが、
小劇場演劇を代表する戯曲の1つ、
と言って過言ではない傑作でした。

その後倉持さんは急速に仕事が増え、
有名な俳優さんや映像のスターを主役に据えた舞台や、
漫画の舞台化などの企画ものの舞台に重用されるようになります。
ちょっと不思議な気もしますが、
こうした職人芸的な商売人的な世界が、
意外に合っていたのかも知れません。
その一方で趣味的な仕事もこなしていて、
たとえば昨年上演された「家族の基礎~大道寺家の人々~」は、
ケラの年代記を思わせるマジック・リアリズムの世界を、
心躍るようなドラマにしていて見応えがありましたし、
竹中直人さんと組んだ「磁場」という芝居は、
三島由紀夫を彷彿とさせる美と藝術を追及した台詞劇で、
こんなものも書ける人なんだ、
と非常に感心させられました。

さて、今回の芝居は三宅弘城さんが執事を演じる、
浮世離れした設定のコメディのシリーズの1本で、
マドンナ的な女優さんが毎回登場し、
今回は二階堂ふみさんが貴族のお嬢様を演じています。

これは正直あまり乗れませんでした。

内容は今回は推理劇となっていて、
今時絶対ないような家柄の良いお金持ちの屋敷があって、
そこの執事を三宅さんが勤めている、
という設定です。
お嬢様の二階堂ふみさんは大の推理好きで、
事件のないところも事件にしてしまうような勢いなのですが、
父親である屋敷の当主が、
背中にナイフを突き立てられた死体として発見されたことから、
三宅さんと二階堂さんの、
推理合戦の様相を呈するようになります。

このメンバーから言って、
それほどドロドロした展開にはなる筈もなく、
悪人は誰も登場しないままで、
「殺人事件」は終了します。

これはまあ、三宅弘城さんを主人公にして、
ベタでマンネリ上等の、
シリーズもののコメディを作ろう、
ということなのだと思います。

従って、安心して観られるようなものを、
ということが大前提なので、
話は極めて予定調和的に展開されますし、
随所に笑いはありますが、
その場でちょっと笑う、と言う感じで、
良く出来たシチュエーションコメディのような、
連鎖的な笑いなどはありません。
映画の「ピンクパンサー」がモチーフとして使われていますが、
「暗闇でどっきり」のような、
ブラックなコメディになっている、
という訳ではありません。
極めて穏当で、不必要な遊びもなく、
意表を突くような展開や、
やり過ぎという部分もありません。

これが倉持さんの作品でなければ、
「パンチは利かないけど、これで良いのかな」
と思うところです。

でも、倉持さんが作・演出で、
昨年は「磁場」のような傑作も作っているのですから、
もう少し今上演する意味のある作品というか、
もっと破天荒なところや規格外のところのある作品を、
期待してしまうのです。

そもそも貴族のお屋敷や執事というものを、
今の時代に作品にする意味は何でしょうか?

「謎解きはディナーのあとで」もありましたし、
「貴族探偵」もありました。
「貴族探偵」の原作は、
もっとひねりのあるものですが、
両者ともドラマ版として考えると、
貴族や良家のお嬢様、
というような現実には存在しないし、
むしろ現実には否定的な文脈でしか、
批評されることのないような世界を描き、
そこでもミステリーを成立させています。

こうしたものが恒常的にあるということは、
別にもう貴族社会などは存在しないし、
金持ちも隙あらば引き摺り下ろせ、
というような殺伐した気分しかないような世の中で、
ある種のロマンをそこに感じる「気分」が、
あるということを示しているような気がします。

たとえば昭和初期くらいに時代を取れば、
一応日本にもそれらしい貴族社会はあったと思いますし、
お嬢様的な人もいたと思います。
しかし、通常今回の芝居もそうですが、
こうしたものはわざわざ現代に時代を取るか
時代不明のモヤモヤした設定にすることが殆どです。

つまり、観客や読者に、
何となく素敵だな、うらやましいな、
と思わせればそれで良い訳で、
そう思う観客や読者の心の中には、
実際にはもっとドロドロした醜悪な部分があるように思いますが、
その部分には気づかない振りをして、
偽善的に物語に没入してもらいたいのだと思うのです。

こうした思考停止を前提とした娯楽、
それも作者はそのことを知っていて、
それを観客や読者には、
なるべく自覚しないでもらおう、
というようなやや観客や読者を下に見た、
小馬鹿にしたような感覚が、
僕は嫌いなのです。

それからもう1つ不満なのは二階堂ふみさんの扱いです。

今回の舞台の二階堂さんは、
確かに愛らしくて可愛くて、
ラストには大堀こういちさんのギター伴奏で、
三宅さんと一緒に、
懐かしい「リンゴ殺人事件」を歌い踊る、
というサービスまであります。
ここまでされれば感心するしかないのですが、
二階堂さんの本領はこうした芝居でしょうか?

かつての演技派女優めいた感じ、
ギラギラした緊張感の漲る感じが、
最近の二階堂さんからは消えてしまいました。
それはそれで良いのかも知れませんが、
せめて舞台では、
もう少し二階堂さんの情念的な部分というか、
生の舞台ならではの演技を見たかった、
というのが正直な気持ちでした。

それで思い起こすのは岩松了さんの「不道徳教室」での、
緊迫感溢れる二階堂さんの舞台姿で、
こうして比較すると岩松さんというのは、
女優さんの何を舞台で引き出すべきかを、
本当の意味で心得ている稀有の演出家なのだ、
ということを改めて感じます。

要するに、
僕は倉持さんのことも二階堂さんのことも大好きなので、
もっと二階堂さんが活きる芝居、
そして本人はもっと舞台上で苦しんでいるような芝居が見たかったですし、
絵空事の大衆の消費材みたいな設定を使いながらも、
その設定自体に復讐するような芝居を、
倉持さんには見せて欲しかったのです。

脇の猫背椿さんだって、
もっともっと面白い役者さんの筈ですし、
色々な意味で今回の作品は、
個人的にはとても残念でした。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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