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かはづ書屋「巨獣(ベヒモス)の定理」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
巨獣の定理.jpg
なかなか渋い役者さんの森尾繁弘さんが代表を勤め、
昨年から活動をしている「かはづ書屋」という劇団の、
新作公演に足を運びました。

この劇団は初見ですが、
交流のある幾つかの劇団の俳優さんの、
ユニットのような感じで、
脚本と演出は「十七戦地」という劇団の、
柳井祥緒さんが勤めています。

興味を持ったのはモチーフとなっているのが、
昔懐かしい戦前の本格ミステリー、
浜尾四郎の代表作「殺人鬼」であることで、
これは由緒ある富豪の一族が、
謎の殺人鬼によって次々と殺される、
という古めかしくも懐かしい物語ですが、
それを全て使用人の目から見た推理劇として、
仕立て直すという内容になっています。

最近江戸川乱歩などの戦前のミステリーが、
矢鱈と沢山芝居になっているのは、
その著作権が切れたので、
関係者の許可なく自由に作品を使用出来るからです。

個人的にはあまりそうした風潮は好きではなくて、
そもそも小劇場のようなジャンルは、
こんなものをパロディや素材にして良いのだろうか、
と観ていてハラハラするような物を、
敢えて取り上げて怒られる前に上演して逃げちゃう、
というようなフットワークこそが楽しいので、
誰からも叱られないことが分かった途端に、
骨董品を掘り出して、
芝居にするというのは、
あまりに守りに入っている態度のように思えます。

ただ、その一方で今の世の中は、
SNSを介したブラックメールや密告が横行し、
隙あらば誰かの足を掬おうとするような、
物凄く嫌な社会なので、
小劇場と言えども、
そのように矮小になるのは仕方のないことかも知れません。

それでも、
著作権が切れたからすぐにワッとたかって芝居にする、
と言う行為は、
ある「見えざる手」に踊らされることでもある訳で、
やや反骨というか、
お上の言うことには従わねえぞ、
というような立場を取りながら、
そうしたことには無自覚というのも、
如何なものかな、
というようには感じます。

そんな訳で、
江戸川乱歩原案みたいな芝居には、
ほぼほぼ行かないように心がけているのですが、
最近では鵺的の「奇想の前提」などは、
アングラ復活みたいな、
なかなか楽しい試みでしたし、
原作を愛して読み込んでいることが、
良く分かる内容でした。
今回の芝居は「殺人鬼」を選んだという点に、
「むむっ」という感じがしましたし、
それを全て使用人サイドから描く、
という発想にも、
斬新さを感じたので観てみることにしたのです。

浜尾四郎の「殺人鬼」は、
1935年に発表された長編ミステリーで、
戦前では数少ない本格推理小説
(伏線を張った名探偵の登場するような謎解きミステリ)
の大長編として知られています。
ヴァン・ダインやクリスティ、クイーンなどのミステリは、
戦前から紹介され翻訳はされていたものの、
日本での本格推理小説の長編は、
戦後の横溝正史の「本陣殺人事件」から始まり、
それ以前には殆ど作例がない、
というのが実際であったからです。

その中でこの「殺人鬼」は英国ミステリを思わせる、
堂々たる長編で、
ほぼ犯人が丸分かりで、
ヴァン・ダインの「グリーン家殺人事件」と、
ルル―の「黄色い部屋の秘密」を、
そのままパクったような部分が多く、
意味ありげな割にダラダラしている、
という欠点はあるのですが、
よくぞこの時代にここまで、
と感心する部分も多々あります。

僕はミステリーに溺れていた中学生の時に読んで、
それ以降読み返したことはありませんが、
内容はほぼほぼ覚えていますから、
印象深い作品でもあったのです。

このほぼ埋もれた作品である「殺人鬼」を、
今回の芝居ではほぼ設定はそのままに、
全ての場面が使用人部屋で展開する、
という小劇場ならではの発想で、
骨太の推理論理劇に仕立てています。
原作があるとは言え、
ここまで論争のみで2時間近い上演時間を支え切り、
複雑な筋立であるにも関わらず、
それを無理なく観客に絵解きする、
という手際は非常に鮮やかで、
その論理劇としての完成度の高さには感心しました。
肌触りは「パラドックス定数」辺りに似ています。
ただ、今の流行りみたいなものを、
ラストにちょいと入れて、
今上演する意味みたいなものを付加しているのですが、
如何にも取って付けたようですし、
あまり本編との結びつきがないので、
これは良くないと感じました。
個人的には一気に次を見に行く元気が失せました。

以下ネタバレを含む感想です。
明日まで上演されていますから、
観劇希望の方は必ず観劇後にお読みください。

推理劇など詰まらないと思われている方は、
是非ご覧下さい。
推理や論理だけでこれだけ面白くなるのかと、
ビックリされると思います。
僕もビックリしました。

舞台は富豪の屋敷の使用人部屋に設定されていて、
奥に違い棚があり、
そこに富豪一家の持ち物の一部が、
その本人毎に分類されて置かれています。
これは使用人が自分が仕えている主人の、
持ち物の修理を行うために置いてある、
という理由付けになっていて、
大奥様の棚や旦那様の棚、
長女のお嬢様の棚、などが並んでいます。

ここで次々と、
富豪の一家が殺されるのですが、
殺される毎にそのお付きの使用人によって、
儀式のように棚の持ち物が取り去られます。
そして、徐々に空の棚が増えて行くのです。

極めて効率的で効果的で視覚的な工夫です。
クリスティーの「そして誰もいなくなった」の人形に、
ヒントはあるように思いますが、
かなり天才的な発想だと非常に感心しました。
これは凄いですよね。

登場するのは主に使用人達で、
執事がいて、長女に仕える女中頭がいて、
三女や長男に仕える女中に、雇われ運転手、
それから一公という新人の下男がいます。
それから原作の探偵役の支倉検事(劇中では書記)がいて、
一家では鼻つまみ者の腹違いの次女と、
その婚約者の書生は、
使用人ではなく富豪一家の中から唯一登場します。

これは要するに最後まで殺されない人物達で、
死んでしまう富豪一家の面々や、
殺される女中は、
一切登場せず、棚に物だけが置かれている、
という趣向です。

殺人鬼に1人殺される度に、
そこで犯人捜しの議論が戦わされます。
主にそこにいない人の話ばかりになるので、
それでは退屈になるのではないかと、
普通はそう考えますが、
それが意外にそうではなく、
観客自体が推理ものでは、
結局は噂話をしているような立場なので、
登場する使用人達の立ち位置と、
観客の立ち位置は似ているので、
スムーズに物語に入り込めるのです。

この辺りの発想も非常に面白く、
大袈裟に言えば演劇の新たな可能性を感じさせました。

ただ、これが三谷幸喜さんなら、
登場しない人物に面白おかしい肉付けとして、
それで笑いを誘ったり、
観客のイメージを膨らませたりするところですが、
今回の作品では敢くまで原作の絵解きをする、
という方針を取っているので、
そうしたデフォルメはされていません。
でも、それでも充分面白いのです。

物語は基本的に原作に沿って展開されますが、
原作にあった結末の後に、
もう1つのどんでん返し的なものが用意されていて、
その後戦争に向かう日本の姿と、
捕まらない犯人とが重ね合わされるようにして終わります。

原作に登場した一公という人物が、
実は若い頃の金田一耕助であった、
という隠れ設定も楽しく、
勿論金田一耕助は横溝正史のキャラですが、
若い頃にアメリカに渡ったことになっていて、
その前にも事件に関わっていたことになっているので、
しっかりと辻褄は合っていますし、
「しまった。遅かったか」みたいな、
お決まりの台詞も言うのが楽しいのです。

役者さんもこれまで観たことのない方ばかりですが、
なかなか堅実な芝居で見応えがありました。

ただ、どんでん返しと言うには弱い気がするのは、
そこで新たな秘密の暴露のようなものがなく、
捉え方を変えただけという感じだからだと思います。
また、戦争に向かう社会との重ね合わせというのが、
如何にも無理矢理で良くありません。
僕が考えるには、
ミステリ―はそもそも「悪」を描くジャンルで、
悪の造形こそがミステリーの根幹ではないかと思います。
そうであれば、登場する悪が、
そのまま戦争に向かう日本にある悪と、
明確に結び付いているような趣向が必要だと思うのです。
それが別にないので、
如何にも取って付けたように感じるのではないかと思います。

使用人と主人達と逆転させるという趣向は、
とても面白いのですが、
今回の作品において、
それが有効に機能をしていたかと言うと、
その点にも少し不満があります。

ミステリ―の語り口としては成功しているのですが、
発想がそこに留まっていて、
関係性が反転するような面白みがありません。
次女と書生を登場させているというのは、
構成上仕方がない面があるのですが、
次女が登場した時点で、
「使用人のみ」という設定は崩れてしまっているので、
その点が構成上の矛盾であるように感じました。
使用人が実は主人を支配している、
というような反転の発想があるべきだと思いますが、
そうしたダイナミズムが、
この作品には不足しているように思います。

色々と文句を言いましたが、
とても面白い芝居であったことは間違いがありません。
これはこれでとても良かったと思うのですが、
是非作り手の方には、
もっと上を目指して頂きたいと願います。
驚天動地の超絶論理推理劇の誕生の兆しを、
今回の舞台に垣間見たような気がしたからです。
そうした突き抜けた芝居においては、
もう取って付けたような社会性のようなものは、
必要はないのではないでしょうか。

これからも頑張って下さい。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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