「美しい星」(2017年映画版) [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
品川神社のお祭りなので、
クリニック周辺には車が入れません。
車でお出でになる方はご注意下さい。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
吉田大八監督が三島由紀夫の「美しい星」を映画化して、
今封切り公開されています。
これはただ、原案三島由紀夫、
というくらいの感じで、
原作の雰囲気や感触のようなものとは、
全く別物の作品になっています。
三島由紀夫の「美しい星」は氏の作品の中では特異なもので、
氏は基本的にミステリーやSFを子供だましのジャンルとして、
嫌っていたのですが、
この作品はSFと言っても良いような物語になっています。
三島氏は純文学作品と並行して、
女性誌などに娯楽小説を執筆していて、
書き方も内容も両者では変えているのですが、
この「美しい星」は文芸誌への発表ですが、
娯楽性や通俗性にも富んでいて、
その中間くらいに位置するように思います。
勿論三島氏は日本を代表する文豪の1人ですが、
非常に完成度の高い耽美的で理知的な作品のある一方で、
「おやおやこれは…」と絶句するような珍妙な作品もまた書いていて、
この「美しい星」も、
とても面白く魅力的でリーダビリティの高い作品である一方、
真面目に書いたことが疑われるような、
かなり珍妙な部分もある作品となっています。
この作品は極めて俗物揃いの「宇宙人」が、
人類の未来(もしくは末路)について、
互いに口汚い罵り合いをする話ですが、
その一方で美しい詩的な部分もあります。
詩的で耽美的な表現と共に、
古都金沢の描写であるとか、
能の「道成寺」の描写であるとか、
美しいからこそ滅ぼすという美意識であるとか、
そうした三島イズムのようなものも横溢しているのですが、
映画版にはそうしたムードや美意識のようなものは、
ほぼ皆無という状態になっています。
反面原作の珍妙な部分はその多くが取り入れられていて、
気恥ずかしくなるような描写も多くあります。
そんな訳でこの映画は、
とても三島由紀夫原作と言うのは憚られますし、
三島氏が生きていたら、
絶対にこのような映画化は許さなかっただろう、
ということはほぼ間違いがないように思います。
ただ、僕は必ずもこの映画を否定するつもりはありません。
風変りで奇妙で、
ひと昔前の日本映画のような古めかしい感じがあり、
三島文学を冒涜しているとは思うのですが、
捨ておけないような、
魅力のある映画でもあるからです。
作品は自分たちが宇宙人であることに、
ある時別々に覚醒してしまった家族が、
それぞれの方法で地球を救済しようとして失敗するという物語で、
そこには知識人というものは、
自分を人間より一段高い存在のように考えている、
という揶揄があるのです。
今のように大衆の多くが、
自分を他人より優越した存在と考えて、
上から目線で評論家然として世界を語る世の中では、
その皮肉はよりリアルに感じられるように思います。
この映画は昭和30年代を舞台とした原作を、
現代に置き換えて改変しています。
原作では当時一番深刻な問題であった、
核戦争による人類の滅亡が、
主な議論の対象となり、
人間の目を覚まさせ、
核戦争の危機を回避しようとする「善い宇宙人」と、
むしろ人間は滅んだ方が良いので、
積極的に後押しをして核戦争を起こしたり、
人間を虐殺しようとする「悪い宇宙人」とが、
互いの主張を「言葉」で口汚く罵り合う、
という構成になっているのですが、
今回の映画ではそれは核戦争ではなく、
地球温暖化の危機という設定になっていて、
主人公は自分が火星人であることに目覚めた、
お天気キャスターのおじさん、
ということになっています。
この改変がどうも個人的には釈然としません。
世界が核戦争によって破滅する未来は、
まだ決して遠のいたようには思えず、
ややその様相は変えながらも、
現代の危機としての重みは、
決して軽くなってはいないと思います。
それに比較しての地球温暖化というのは、
勿論これも重要な地球規模の危機ではありますが、
全否定するような見解も根強くあり、
テーマとしては弱いと感じました。
総じて、
一家の母親がマルチ商法に引っかかったり、
お天気キャスターや、
新党結成を目論む若手政治家など、
今回の映画が「現在」として捉えている世界は、
どうも全てが周回遅れのような古めかしさで、
それが意図的なものなのかどうかは、
何とも言えないのですが、
その点があまり納得がいきませんでした。
ただ、原作にもある肌がぞわぞわするような奇妙な感じと言うか、
高尚な野暮ったさと言うか、
そうした不思議な雰囲気は、
映画にも濃厚に漂っていて、
ラストの不思議な余韻や登場人物の演技の面白さと含めて、
奇妙で胸騒ぎのするような映画にはなっていたと思います。
全ての方にお勧めとは言えませんが、
出来れば旧仮名遣いの原作を読まれた上で、
鑑賞されることをお勧めします。
原作は矢張り力があって、
僕のようなものでも、
読了後は少し思索的になってしまいました。
吉田大八監督の次作は「羊の木」で、
これはもう原作も極め付きの怪作ですから、
とても楽しみにして待ちたいと思います。
吉田監督は同世代ですし、
相当得体の知れないところがあるので当面目が離せません。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
品川神社のお祭りなので、
クリニック周辺には車が入れません。
車でお出でになる方はご注意下さい。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
吉田大八監督が三島由紀夫の「美しい星」を映画化して、
今封切り公開されています。
これはただ、原案三島由紀夫、
というくらいの感じで、
原作の雰囲気や感触のようなものとは、
全く別物の作品になっています。
三島由紀夫の「美しい星」は氏の作品の中では特異なもので、
氏は基本的にミステリーやSFを子供だましのジャンルとして、
嫌っていたのですが、
この作品はSFと言っても良いような物語になっています。
三島氏は純文学作品と並行して、
女性誌などに娯楽小説を執筆していて、
書き方も内容も両者では変えているのですが、
この「美しい星」は文芸誌への発表ですが、
娯楽性や通俗性にも富んでいて、
その中間くらいに位置するように思います。
勿論三島氏は日本を代表する文豪の1人ですが、
非常に完成度の高い耽美的で理知的な作品のある一方で、
「おやおやこれは…」と絶句するような珍妙な作品もまた書いていて、
この「美しい星」も、
とても面白く魅力的でリーダビリティの高い作品である一方、
真面目に書いたことが疑われるような、
かなり珍妙な部分もある作品となっています。
この作品は極めて俗物揃いの「宇宙人」が、
人類の未来(もしくは末路)について、
互いに口汚い罵り合いをする話ですが、
その一方で美しい詩的な部分もあります。
詩的で耽美的な表現と共に、
古都金沢の描写であるとか、
能の「道成寺」の描写であるとか、
美しいからこそ滅ぼすという美意識であるとか、
そうした三島イズムのようなものも横溢しているのですが、
映画版にはそうしたムードや美意識のようなものは、
ほぼ皆無という状態になっています。
反面原作の珍妙な部分はその多くが取り入れられていて、
気恥ずかしくなるような描写も多くあります。
そんな訳でこの映画は、
とても三島由紀夫原作と言うのは憚られますし、
三島氏が生きていたら、
絶対にこのような映画化は許さなかっただろう、
ということはほぼ間違いがないように思います。
ただ、僕は必ずもこの映画を否定するつもりはありません。
風変りで奇妙で、
ひと昔前の日本映画のような古めかしい感じがあり、
三島文学を冒涜しているとは思うのですが、
捨ておけないような、
魅力のある映画でもあるからです。
作品は自分たちが宇宙人であることに、
ある時別々に覚醒してしまった家族が、
それぞれの方法で地球を救済しようとして失敗するという物語で、
そこには知識人というものは、
自分を人間より一段高い存在のように考えている、
という揶揄があるのです。
今のように大衆の多くが、
自分を他人より優越した存在と考えて、
上から目線で評論家然として世界を語る世の中では、
その皮肉はよりリアルに感じられるように思います。
この映画は昭和30年代を舞台とした原作を、
現代に置き換えて改変しています。
原作では当時一番深刻な問題であった、
核戦争による人類の滅亡が、
主な議論の対象となり、
人間の目を覚まさせ、
核戦争の危機を回避しようとする「善い宇宙人」と、
むしろ人間は滅んだ方が良いので、
積極的に後押しをして核戦争を起こしたり、
人間を虐殺しようとする「悪い宇宙人」とが、
互いの主張を「言葉」で口汚く罵り合う、
という構成になっているのですが、
今回の映画ではそれは核戦争ではなく、
地球温暖化の危機という設定になっていて、
主人公は自分が火星人であることに目覚めた、
お天気キャスターのおじさん、
ということになっています。
この改変がどうも個人的には釈然としません。
世界が核戦争によって破滅する未来は、
まだ決して遠のいたようには思えず、
ややその様相は変えながらも、
現代の危機としての重みは、
決して軽くなってはいないと思います。
それに比較しての地球温暖化というのは、
勿論これも重要な地球規模の危機ではありますが、
全否定するような見解も根強くあり、
テーマとしては弱いと感じました。
総じて、
一家の母親がマルチ商法に引っかかったり、
お天気キャスターや、
新党結成を目論む若手政治家など、
今回の映画が「現在」として捉えている世界は、
どうも全てが周回遅れのような古めかしさで、
それが意図的なものなのかどうかは、
何とも言えないのですが、
その点があまり納得がいきませんでした。
ただ、原作にもある肌がぞわぞわするような奇妙な感じと言うか、
高尚な野暮ったさと言うか、
そうした不思議な雰囲気は、
映画にも濃厚に漂っていて、
ラストの不思議な余韻や登場人物の演技の面白さと含めて、
奇妙で胸騒ぎのするような映画にはなっていたと思います。
全ての方にお勧めとは言えませんが、
出来れば旧仮名遣いの原作を読まれた上で、
鑑賞されることをお勧めします。
原作は矢張り力があって、
僕のようなものでも、
読了後は少し思索的になってしまいました。
吉田大八監督の次作は「羊の木」で、
これはもう原作も極め付きの怪作ですから、
とても楽しみにして待ちたいと思います。
吉田監督は同世代ですし、
相当得体の知れないところがあるので当面目が離せません。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。