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高野山の名宝(サントリー美術館2014) [仏像]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。

ちょっと今日明日と福井に出掛ける予定です。

休みの日趣味の話題です。

今日はこちら。
高野山の名宝.jpg
サントリー美術館で12月7日まで、
「高野山の名宝」と題する展覧会が開催されています。

仏像好きとしては見逃せない内容で、
一番の目玉は運慶作(らしい…)、
上記の八大童子ですが、
それ以外にも快慶作の孔雀明王像や、
四天王像など、
鎌倉仏の秀作が揃っていて、
しかもその多くがガラス越しではなく、
お堂に安置されていたのとかなり同じような環境で、
かつ美しいライティングの下に、
間近で観賞することが出来ます。

僕は今回の出品作の多くが収蔵されている、
高野山の霊宝館には行ったことがありませんが、
ほぼ間違いなくもっと拝観環境は悪いと思います。

色々な制約があるのだと思いますが、
多くのお寺でも、
文化財指定を受けた仏像の多くは、
お堂から出されて、
味気のない収蔵庫に収められていることが常です。

そして、収蔵庫のライティングは、
興福寺国宝館など少数の例外を除けば、
極めて劣悪なのです。

そんな訳で、
今回は得難い機会です。

上記画像の八大童子像は、
阿修羅像で有名な奈良時代の興福寺八部衆像を、
1つの理想として、
大仏師運慶の工房が手掛けた、
鎌倉時代の八部衆像と言うべき傑作です。

厳密には封入品から運慶作という想定が、
最近なされている、というだけなので、
少し前まではそうは言われていませんでしたし、
本当にそうなのかしら、と疑問を感じることも事実です。

「運慶」というのは仏像界最大のブランドで、
確定した真作が極めて少なく、
運慶作と言うだけで、全てが規格外の傑作、
というようなイメージがありました。

ただ、最近になって、
続々と運慶の真作とされる作品が再発見され、
少しずつそのイメージは変わりつつあります。

今回の展覧会の図録を読むと、
「運慶工房」と言うような表現で、
運慶の指示の元に造られた作品、
という解釈が取られていて、
一番出来の良い制多伽童子が、
運慶自身の作で、
それ以外は工房の弟子の作ではないか、
というニュアンスになっています。

同じ作者であっても、
意外に出来不出来はあるように思いますし、
どのような分業が行われていたのかは、
推測するしかないのですから、
何となく出来栄えのみで誰の作かを決めるという考えは、
個人的はおかしいように思います。

同時期の並び称される名人の快慶は、
作品にサインも残している上に、
端正で緻密な作風も特徴的なので、
そのような感想はあまりないのですが、
運慶については情緒的な検討が多く、
未だその技量は謎に満ちています。

いずれにしてもこの一群の彫像が、
名品であることは間違いがなく、
その保存状態も非常に良くて、
鮮やかな色彩も見事に残っています。

仏像好きには是非にと、
お勧めしたいと思います。

それではそろそろ出掛けます。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

長岳寺「弥勒大石棺佛」 [仏像]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

朝から今日の準備などして、
それから今PCに向かっています。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日は奈良の石仏を見て頂きます。

こちらをご覧下さい。
弥勒石棺仏遠景.jpg
奈良山の辺の道の古刹、
長岳寺の境内にひっそりと安置されている、
弥勒大石棺佛の全景です。

これは境内の奥の、小山を登った山頂に、
山の守り仏のように静かに佇んでいます。

鎌倉時代に彫られたことがはっきりしている石仏としては、
大きさも等身大を越える大きさで、
やや図像的で繊細さには欠けますが、
出来栄えも優れています。
保存状態も非常に良いのです。
これは元々古墳を構成していた石棺の蓋を再利用したもので、
浅い彫りで周辺より窪んでいるので、
風雨が直接当たり難い構造になり、
数百年を経ても風化が殆どないのです。
鎌倉時代の石仏で、
ここまでの保存状態のものはそうざらにはありません。

もう少し近付きます。
弥勒石棺仏全景.jpg
簡明ですが見事な描線で、
そばで拝むと明確な仏性を感じます。
以前ご紹介した和束弥勒磨崖仏に近いような雰囲気です。
何より保存状態が良いことに感銘を受けます。
もっと新しいものではないかしら、
と思ってしまうところですが、
間違いなく中世仏の存在感があるのです。

丁度小降りの雨が降り出した午後で、
しっとりとした風情がまた趣がありました。

拝するのに苦労するような場所にもないので、
優れた中世石仏をご覧になりたい方には、
是非お勧めしたい逸品だと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。

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長岳寺奥の院不動明王石仏 [仏像]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

ついさっき奈良から戻って来たところです。
取り敢えず無事に戻れたのが一番でした。

今回はブログ関連でお知り合いになった、
長岡京市の方とお逢いしたりもしました。

石仏では以前から一度お目に掛かりたかった、
長岳寺奥の院の不動明王石仏まで、
初めて足を運びました。

長岳寺は奈良山野辺の道の古刹で、
その境内から背後にある龍王山の山頂付近まで登ると、
元長岳寺の奥の院のあった場所に、
幾つかの石碑と共に、
鎌倉時代末期に建立された、
不動明王の見事な石仏が残っています。

不動明王の石仏や磨崖仏というのは、
江戸時代のやや漫画チックなものは、
結構多く全国に残っているのですが、
鎌倉時代以前に彫られたことが明確に分かっているものは、
そう滅多にはありません。

最も有名なのは富山大岩日石寺の磨崖仏です。
平安時代末期から鎌倉初期に完成されたと思われる傑作で、
まだ拝観させて頂く機会には恵まれていませんが、
石仏では珍しいことに重要文化財の指定を受けています。

ただ、それ以外ということになると、
あまり残っている仏様はありません。

その意味でこの不動明王は非常に貴重です。
しかも石仏としての出来が極めて良く、
その保存状態も良好なのです。
実際に拝見すると、
本物のみの持つ凄みとオーラを感じることが出来ます。

行くのは結構大変です。

スタンダードな方法は、
長岳寺の境内の脇から山を登って行くハイキングコースで、
全長は2キロくらいあるので、
1時間は優に掛かります。

勿論登山やハイキングの途中で、
石仏にお逢いする、ということであれば、
これで良いのですが、
この石仏だけが目的なのに、
この経路を取るのはかなり厳しいのです。
妻と2人の旅行で妻は足が悪いので、
それほど長時間待っていてもらう訳にもゆきません。

それであれこれ情報を収集すると、
どうやら近くまで車で行けそうなことが分かりました。
ただ、道は狭そうな上に、
あまり明確な順路が、
何処にも書いてありません。

しかし、それでもどうにか行ってみることにしました。
順路は天理市街から、
旧国道25号で天理ダムを目指します。
ここで天理ダムのバス停まで行って、
そこから右に上る方向に道があるので、
そこを少し登ると、
龍王山山頂という小さな立て札があります。
それでその方向に車を走らせます。

多分県道247号と言うのだと思いますが、
確実ではありません。
いずれにしても車がすれ違えない細い道で、
ところどころは草や岩で部分的に道が塞がれています。
その道が龍王山の山頂を巻くように進んでいて、
その途中に駐車場的なスペースがあるので、
そこに車を停めて、
それから山頂に歩を進めると、
長岳寺方向に降りる立て札が見付かります。
そこを降り、
途中で左に「長岳寺奥の院」の立て札があるので、
その踏み分け道的な道を引き返す方向に300メートルほど下るのです。

これも結構難航しました。
ちょっと降りる程度かと思うと、
15分くらいは下るのです。
特に奥の院の周辺になると、
殆ど道は消滅していて、
クモの巣と藪とぬかるみが続きます。

そして、見上げるとそこに不動明王が立っています。
こちらです。
長岳寺不動明王遠景.jpg
お分かり頂けるでしょうか?
クモの巣が幾重にも張っています。
靴もズボンもグチョグチョで、
藪蚊やブヨに全身を刺されるし、
かなりグロッキーな状態でした。
頑張ってもう少し近付きます。

こちらをご覧下さい。
長岳寺不動明王1.jpg
不動明王様の全景です。
ちょっと現代的なフォルムの彫像です。
こういうスタイルの中世以前の石仏というのは、
あまり類例がないように思います。

もう少し近付きます。
長岳寺不動明王拡大.jpg
画像ではあまりそう見えないのですが、
表面は少し青く苔生しています。
画像で見るより迫るものもあるのです。
矢張り不動明王の中世石仏としては、
屈指の名品だと思います。

ハイキングで訪れた方の感想で、
「奥の院と言うので期待をしたら、
ただの石仏でガッカリした」
というようなものがあり、
価値観はそれぞれなので仕方のないことなのですが、
これだけの名作をなあ、
と思うとちょっと切ない気分になってしまいます。

多分もう2度は行けないと思いますが、
今回はどうにかお逢い出来て幸せでした。

それでは今日はこのくらいで。

もう夜ですが、
今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

神南融念寺「地蔵菩薩立像」 [仏像]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

朝から住所録など作って、
それから今PCに向かっています。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
融念寺.jpg
奈良の斑鳩、法隆寺より南西の位置にある、
融念寺という小さなお寺に、
平安時代の古い仏様が伝わっています。
今回の奈良行きで、
お寺さんにご連絡の上、
拝観させて頂きました。

平安時代の仏像は前半を貞観時代、
後半を藤原時代と称していて、
それぞれの時代で仏像の様式も異なります。

藤原時代は様式的で画一的な仏像が多く、
貞観時代は密教彫刻などの自由な造形や、
独特のデフォルメされたような凄味に、
その特徴があります。

魅力的なのは矢張り貞観仏です。

今回ご紹介する地蔵菩薩は、
所謂「お地蔵様」のことですが、
その造形がお馴染みの剃髪した神聖化された僧侶の姿になるのは、
概ね鎌倉時代のことで、
平安時代の前期から地蔵菩薩の造形はありますが、
必ずしもまだ統一された感じではありません。

法隆寺の地蔵菩薩立像や、
元室生寺にあった安産寺の地蔵菩薩は、
平安時代の地蔵菩薩の1つの典型ですが、
この神南融念寺像のような、
また別個の造形も見られます。

ただ、この仏像の印象はインドの行者を思わせるような、
かなり特異なもので、
その神秘的で異国的なお顔も、
他の同時期の地蔵菩薩とは違っています。
そのために、これは地蔵菩薩ではなく、
別個の神像なのではないか、
と言う説も根強くあるようです。

非常に印象的なのはそのお顔のフォルムと共に、
右手で衣をつまみ上げる瞬間を切り取っているという、
その洗練された動的な造形で、
実際に拝観すると、
写真で見る柔らかな感じより、
硬質で厳しいニュアンスをより強く感じます。

住職のお話を聞かせて頂きながら、
本当に間近にこの見事な仏様を拝させて頂き、
今回の小旅行の中でも、
最も充実した一時を過ごすことが出来ました。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

奈良石仏オールスターズ [仏像]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

昨日は体調最悪で1日うなされていました。
今日は朝の感じでは、
昨日よりは少しいいのですが、
まだ分かりません。

久しぶりに今日は奈良近郊の石仏を見て頂きます。

まず、こちらから。
大門仏谷魔崖仏遠景.jpg
これは奈良北方の当尾にある、
大門仏谷磨崖仏です。

山道から谷底を見降ろすと、
遥か下方に石仏が見えるので、
目にした時は本当に感動的です。
昔は石仏の上に大きな桜の木があったそうで、
より感動的な景色だったと思います。

これは谷を降りて近付くことが出来るのです。
大門仏谷魔崖仏近景.jpg
こちらが全景になります。
高さが2メートルを越える大きなもので、
所謂丈六仏です。

柔らかいラインが魅力です。
こういうタッチの石仏はあまりなく、
奈良時代の作ではないか、という説もあります。

次はこちら。
夕日観音2014全景.jpg
おなじみ夕日観音です。
ほぼ3年ぶりの再会でしたが、
その途端に新幹線は止まり、
具合が悪くなったので、
もうしばらくは行かないつもりです。

かなり風化が進んでいる気がしますが、
繊細なタッチが素晴らしい名品だと思います。

夕日観音2014遠景.jpg
そばまで近づくことが出来るのですが、
このように街道から見上げて遥か上方に拝むのが、
正当だという気がします。

平安末期から鎌倉初期の作品ではないかと思います。

同じ岩の下に彫り込まれたのがこちら。
仏像岩地蔵菩薩.jpg
地蔵の磨崖仏で、
鎌倉時代の磨崖仏としては、
彫刻としての質も高く、
また保存状態の良いものです。

次はこちら。
芳山の石仏一方.jpg
奈良北方柳生街道から山を分け行ったところにある、
芳山の石仏です。

これも3年ぶりくらいに行きましたが、
山をよじのぼるような感じで、
かなり苦労しました。

非常に風格のある、独特のフォルムの石仏で、
奈良時代の作品ではないかとされています。
芳山の石仏2方向.jpg
2尊石仏と呼ばれ、このように2面に石仏が彫り込まれています。

それでは最後はこちら。
和束弥勒磨崖仏全景.jpg
奈良の北方で京都の南、
和束にある和束弥勒磨崖仏です。

鎌倉時代の作であることが間違いなく、
2メートルを越える大きなもので、
非常に珍しく、作品としての出来も良いものです。

優れた石仏は鎌倉時代以前に限るのですが、
現存するものは少なく、
かつ大きな石仏は更に少ないので、
今日ご紹介したものは、
いずれも奇跡的に今に残ったものなのです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

国宝興福寺仏頭展 [仏像]

こんにちは。

六号通り診療所の石原です。

今日は祝日で診療所は休診です。
朝から訪問診療に行って、
それから神奈川の実家に帰る予定です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
国宝興福寺仏頭展.jpg
国宝興福寺仏頭展と題する展覧会が、
東京上野の東京藝術大学大学美術館で開催中です。

仏頭というのは、
山田寺仏頭とも呼ばれ、
白鳳時代(奈良時代前期)に造立された、
銅製の釈迦如来像の頭部で、
一時興福寺に運ばれて東金堂の本尊となり、
その後おそらくは落雷に撃たれて破壊され、
頭部のみが現存している仏様のことです。

室町時代に再度造られた釈迦如来像の、
台座の中に収められていたことが、
1937年に発見されるまで、
500年間は所在不明という、
不思議な運命を辿っています。

今回の展覧会は、
仏像好きには絶対の贈り物ですが、
それは仏頭そのものもさることながら、
かつて仏頭の周囲に安置されたと推測される、
鎌倉時代の見事な十二神将像と、
東京深大寺の白鳳時代の釈迦如来像が、
非常に素晴らしい展示環境で、
拝観出来るという点にあります。

仏頭自体も、
興福寺の国宝館で常時拝観は可能ですが、
ガラス越しではないものの、
少し距離があり、
また背後に廻ることは出来ない展示環境になっています。

それが今回の展覧会では、
かなり近距離からガラスなしに拝観することが出来、
背後に廻ることも可能です。

鎌倉時代の十二神将像は、
同時代の十二神将としては珍しく、
全てが国宝に指定されています。
保存状態も良く、非常に優れた仏像です。
これも常時興福寺の東金堂で、
拝観が可能ですが、
台座の上でかなり距離があり、
おまけに後方や他の仏様の背後に安置されているので、
全体像を見ることは非常に困難で、
数体は完全に隠れてしまっています。

それが今回の展覧会では、
広いスペースに余裕を持って安置され、
全ての仏像を、
360度ガラス越しではなく、
非常に近い距離で観賞が可能です。
平成9年の興福寺国宝展以来の東京お目見えですが、
展示環境は今回の方が遥かに良いと思います。

ライティングがややセンスのないのが残念ですが、
それ以外はこれ以上はないほどの、
素晴らしい観賞環境です。

更に深大寺の釈迦如来様も、
日頃はガラス越しの拝観で、
正面からしか拝観は出来ないのですが、
今回はこれもガラス越しではなく、
近接で背後にも廻って観賞が可能になっています。

他にも通常はあまり見られない、
興福寺の寺宝が展示され、
うっとりとした時間を過ごすことが出来ました。

お薦めです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

王龍禅寺「十一面観音菩薩磨崖仏」 [仏像]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

さっき奈良から戻って来ました。
今朝は東大寺の講堂跡まで走って、
柔軟やしょぼい腹筋、腕立てなどしました。
万城目学の「鹿男あをによし」で、
主人公が最初に鹿に話し掛けられる場所です。
話し掛けて欲しかったのですが、
そう上手くはいきませんでした。

芝生が多くて最高のロケーションなのですが、
鹿のフンだらけで気軽に横になれないのが困ります。

今日はまた奈良の石仏を観て頂きます。

王龍寺(正式には王龍禅寺)の十一面観音磨崖仏様です。

王龍寺は奈良市の西方、
奈良公園から車で20分くらいの位置にあります。

あまり観光寺化はされていない山寺で、
今日も参拝者は殆どお盆のお墓参りの地元の方でした。

ゴルフ場に囲まれたような場所にあり、
ゴルフ場開場時は、
かなりガッカリの雰囲気だったと思うのですが、
今ではゴルフ場もかなり寂れた感じなので、
結構景色が馴染んで来た印象です。

このお寺は一旦廃寺となり、
江戸時代に再興されたので、
本堂や山門など、今に残るお寺の建物は、
殆ど江戸時代以降のものなのですが、
御本尊は、時代は遡る南北朝時代に、
大岩に彫り込まれた、
磨崖仏の観音様である、
という点がユニークです。

こちらをご覧下さい。
王龍寺本堂.jpg
山中にある王龍寺の本堂です。
江戸時代の建築です。

前もってお寺の方にお願いして、
お堂のカギを開けて頂き、
中に入りました。

では次を。
王龍寺本堂内陣.jpg
本堂の内陣です。
奥に蝋燭の明かりで、
浮かび上がっているのが御本尊様です。

まずお参りをしてから、
更に奥へと進みます。
勿論お寺の方に撮影の許可は頂いています。

では次です。
王龍寺本尊遠景.jpg
これが御本尊様です。
大岩は高さ4.5メートルで幅が5.5メートル。
崖に沿って覆い堂が建っているのではなく、
仏様の彫られた岩を切り出して、
その上にお堂が建てられています。

お堂の後ろは崖になっていて、
そこの岩を削り取るようにして、
お堂を建てたのかな、と思いますが、
詳細は分かりません。

正面に十一面観音様がいらっしゃり、
その右手には不動明王様が小さく彫り込まれています。

時代は南北朝時代ですが、
まだ鎌倉の石仏の流麗で神秘的な雰囲気を残す、
見事な造形です。

すぐ前に一本の蝋燭が灯り、
横には小さな窓が作られていて、
そこからも自然光が差し込みます。
その2種類の明かりが交錯して、
神秘的な風情を作り出します。
この雰囲気は完璧です。

それではもう少し近付きましょう。
王龍寺本尊全景.jpg
素晴らしいですよよね。
江戸時代からこうして守られているので、
磨崖仏としては非常に保存状態が良いのです。

最後はアップでどうぞ。
王龍寺本尊近接.jpg
今日はお寺の御本尊としてまつられる、
磨崖の仏様を観て頂きました。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

仏像のライティングについて [仏像]

こんにちは。

六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。

まだどうも調子が仕事モードに戻りません。

気持ちを少しずついつものモードに、
切り替えていかないといけないですね。

それでは今日の話題です。

今日もちょっと仏像の話をさせて下さい。

仏像は矢張り、
博物館や美術館のガラスケースの中などではなく、
お寺の御堂の中で拝観したい、
とは仏像ファンなら誰でも思うところです。

ただ、
所謂観光寺院においては、
仏様の扱いが、
かなりぞんざいに感じられ、
信仰の対象どころか、
単なるお金の取れる置物めいた、
感じに思えることが多々あります。

また、
仏様の上には埃が糊のようにこびり付き、
どす黒く表面が変色していて、
実物を拝観すると、
ええっ、あの画集にあった写真は、
一体どうやって撮ったんだ!
と驚くようなことがよくあります。

実物の方が素晴らしいと信じて、
拝観をさせて頂くのに、
写真と比べて実物は見る影もないのを実感した時の、
切ない思いは、
仏像好きの方ならお分かりになるのではないかと思います。

奈良の新薬師寺のご本尊は、
平安初期の素晴らしい薬師如来で、
ある種の「魔」を感じる優れた仏様ですが、
数年前に訪問した時には、
お堂の中の照明は全て蛍光灯で、
蝋燭も一切なく、
お堂のの端には大きなモニターが鎮座していて、
けたたましい音量で、
お寺についてのビデオをエンドレスで流している、
という悪夢のような状況でした。

小学校の頃に訪れた時には、
蝋燭の揺らぎの中に、
そのお顔を美しく拝したことを、
懐かしく思い出すのですが、
あれは幻だったのだろうか、
と思ってしまいます。

今回再度訪問すると、
ビデオの上映は庫裏に変わり、
数本ですが蝋燭が灯されていました。
これだけでも大分イメージが変わります。

ただ、
蛍光灯は同じで、
そののっぺりした明かりは、
仏様の素晴らしさを、
相当減じているように思いました。

興福寺は、
僕が小学校の頃に訪れた時には、
有名な阿修羅像はガラスケースに入れられ、
蛍光灯の照明も非常に無粋な、
名前だけは国宝館という、
収蔵庫の中に埃に塗れて無雑作に安置されていました。

それでも素晴らしくはありましたが、
これは一体どうなのだろう、
とガッカリしたことを覚えています。

当時の国宝館は、
全ての仏様がいつも安置されている、
ということはなく、
高名な八部衆も、
常時は2~3駆しか、
公開はされていませんでした。

今では国宝館はリニューアルされ、
建物はそのままですが、
ミニ美術館というようなムードになっています。

特にライティングは素晴らしく、
八部衆も現存する全ての仏様が、
一列にズラリと並んで安置されています。
しかも、
以前のようなガラス越しではなく、
そのままに間近で拝観することが出来ます。

これはある意味、
1000年ぶりくらいの快挙かも知れません。

ただ、
以前は阿修羅像の背面に、
廻り込むことが出来たのですが、
今は正面からしか拝むことは出来ません。

問題は元々非常に狭い収蔵庫に、
美術館的な通路を作ったので、
通路の幅が非常に狭く、
混雑していると、
とても我慢して中に入ろう、
という気分にはなれないことです。

せっかくお寺に仏様がいらっしゃるのに、
美術館のようにしか拝観出来ないというのは、
何か本末転倒のようにも思えます。

同じ収蔵庫の方式で、
宝物は物凄く充実しているのに、
実際に観るとガッカリの代表は法隆寺で、
ここには以前には大宝蔵殿という収蔵庫があり、
それが平成10年にリニューアルされ、
百済観音堂を中心にした施設に、
再編されたのですが、
正直昔の収蔵庫と、
全く印象は変わりなく、
むしろ狭苦しくなった感じです。

百済観音様も、
ガラスケースに入れられて味気なく安置されているので、
これじゃ全く昔の収蔵庫と変わりないな、
という気がします。

照明は蛍光灯で味も素っ気もなく、
仏様も全てガラスケース入りで、
光がガラスに反射して、
物凄く観辛いのです。

日本を代表する文化遺産で、
あの酷さは信じられません。

法隆寺のすぐそばにある、
愛すべき古寺の法輪寺は、
非常にムードのあるお寺で、
その収蔵庫には古い優れた仏様が、
ズラリと並ぶ至福の空間ですが、
木彫の仏様は皆水を含んだように黒ずんでいて、
写真集の木目の浮いた美しい感じなどは、
微塵も感じられませんし、
お顔の表情も窺うことが出来ません。

秋篠寺の本堂には、
有名な伎芸天がおられ、
非常に雰囲気のあるお堂ですが、
先日伺うと、
ライティングは幸い蛍光灯ではありませんでしたが、
お堂のご本尊の背面には、
無雑作に色々な荷物が埃に塗れて積まれ、
仏様も埃に塗れ、
とても大切にはされてはいないことが分かって、
胸が痛いような気分になります。

仏様を大事にされているお寺には、
そうした無雑作な感じはないのです。

しかし、
観光寺院の多くでは、
そうした雰囲気は失われて久しいので、
そうであれば、
文化財としての仏様を、
如何に美しく十全な状態で鑑賞出来る環境を用意するか、
そのことに心を砕く方が、
より正しい道のようにも思えます。

仏様は勿論、
ほの暗い堂内で、
蝋燭の明かりの揺らめきの中に、
拝観させて頂くのが、
一番良いに決まっているのですが、
火災のリスクを考えれば、
今日昔のようにじゃんじゃん蝋燭を点けるようなことは、
不可能なのは明らかなので、
美術館に近いようなライティングを、
お寺にも持ち込むのも、
1つの考えですし、
蝋燭に近いような照明を用いて、
昔のムードを、
極力再現する方向に進むのも、
もう1つの考えではないかと思います。

昔は仏像は金ぴかだったのだ、
というような意見があります。

確かに金色の仏様が、
ほの暗い中に蝋燭で揺らめく姿は、
本当に神秘的で素晴らしいものです。

こうした風景はしかし、
今では新興宗教の神殿のような場所でしか、
見ることは出来ません。

ただ、
たとえば鎌倉時代には、
仏像のお手本は奈良時代の天平彫刻で、
ルネサンスにおけるギリシャ彫刻のような存在であった訳ですが、
その古びて金箔が剥がれ、
黒ずんだ素地や、
下の木目の浮いたその姿を、
必ずしも全て、
金ぴかに塗りなおし、
修復するようなことはしなかったのです。

そうした修復も一方ではされましたが、
非常に古い仏様に対しては、
その古びた姿そのものに、
美を見るという姿勢も、
同時にあったのです。

ヨーロッパの大聖堂においても、
結構優れた宗教画が、
埃塗れになっていることがありますから、
お金の問題もありますし、
これは日本だけの問題ではないのだと思いますが、
個人的には少なくとも日々の埃などの対策と、
そのライティングには注意を払い、
画集などを見て、
この仏様に対面したい、
という熱い思いを、
踏みにじるようなことはして欲しくはないな、
と切に願います。

今日は仏像についての、
ややマニアックな話題でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

和束弥勒磨崖仏 [仏像]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

診療所は明日4日までは休診となります。

皆さんも良いお正月をお過ごしのことと思います。

休みの日は趣味の話題です。

今日は京都の南で奈良県との境に近い、
和束町にある石仏を観て頂きます。

奈良の北方、
木津川市の方向から、
和束川という山間の川に沿って、
和束町の中心部へと向かう細い国道を走ると、
左手の川の向こうに立つ大きな岩に、
見事な磨崖仏が刻まれているのが目に止まります。

奈良県の近郊には多くの磨崖仏がありますが、
時代を鎌倉時代より以前に限って言えば、
その中でも最も大きく、
最も優れたものの1つです。

それが通称和束弥勒磨崖仏です。

国道を少し先に進み、
和束川に掛かった狭い橋を渡ると、
お茶の畑が広がり、
郵便局員の方が、
スクーターでのんびりと、
年賀状の配達に廻っています。

こんなのどかな正月に、
ただ磨崖仏を拝みたいだけのために、
うろうろしているのも不審者のようですが、
この辺りかと目星を付けて車を停め、
そこから畑の中の道を歩いて行きます。

道はしばらくするとただ雑草を刈り取っただけの、
踏み分け道のようになり、
途中で小川を越えるところでは、
ただの太い竹が、
渡してあるだけのところを渡ります。

そこから再び踏み分け道を辿ると、
遂に前方に磨崖仏が姿を現わします。
この時の感動は、
とても言葉では言い表わせません。
こちらです。
和束弥勒磨崖仏遠景.jpg
磨崖仏の正面には簡易の足場のようなものが組まれています。

そこに立ち、
間近に弥勒菩薩様を見上げ、
静かに手を合わせます。

それでは、
弥勒菩薩様の全景を観て頂きます。
こちらです。
和束弥勒磨崖仏全景.jpg
大きさのイメージが、
画像では掴み難いかも知れません。

この岩の高さが6~7メートルほどあり、
仏様自体の高さも3メートルを優に越えます。

丈六というにはサイズが小さいですが、
それに近いスケールのもので、
間近で仰ぎ見ると、
かなりの迫力があります。
仰ぎ見るとこんな感じになります。
和束弥勒磨崖仏見上げ.jpg
丁度陽の光が後光のように、
そのお顔に当たって、
掛け値なしに金色のように輝いています。
非常に風化が少なく、
彫り込まれた時の状態を、
かなり美麗に保っています。
それでいて、
周囲の苔生した感じが、
神性を静かに感じさせるのです。

次にこちらをご覧下さい。

和束弥勒磨崖仏銘文.jpg
写真では分かり辛いのですが、
仏様の右側に、
はっきりと銘文が彫り込んであって、
鎌倉時代後期の1300年に像立されたことが分かっています。

勿論銘文などは後から刻むことも出来るのですが、
この仏様の場合、
様式としても鎌倉時代以前のもので、
ほぼ間違いがないので、
銘文自体の信頼性も高いのです。

図像的には、
僕の敬愛する柳生街道の夕日観音に、
非常に良く似ています。
あちらも観音様と通称されていますが、
実際には弥勒菩薩なのです。

彫りはシンプルですが、
素朴な中に霊的なものが確かに感じられ、
こうした荘厳なムードは、
室町時代以降の、
工芸品的な石仏には決して感じられないものです。

お顔も優しい中に、
人間ならざる厳しさを湛えていて、
古代の人の風格があります。
次にこちらをご覧下さい。
和束弥勒磨崖仏上方.jpg
岩の上方です。
前に立つ僕の上を覆うように、
木々が生えています。

では次を。
和束弥勒磨崖仏 岩の下.jpg
岩の下側ですが、
昔のままではなく、
一旦は大きな岩が上方から滑り落ちたことが分かります。

700年以上の月日が、
ここにこうして重ねられ、
本当に奇跡のように、
ほぼ同じお姿のままで、
こうした神格が存在し続けていることに、
素直に感動します。

しばらくはその場にいて、
去り難い思いでその場を後にしました。

この半分忘れ去られたような雰囲気が、
この磨崖仏の魅力の1つなのですが、
和束町と京都府の方針として、
昨年磨崖仏への道を整備し、
駐車場も設けるような予算が、
計上されたそうです。

磨崖仏を後世に残すためには、
そうした対策が必要なのだと思います。

ただ、
そうなるとこの今の磨崖仏の密やかな感じは、
近いうちに失われることになりそうです。

ちょっと残念ですが、
仕方のないことなのかも知れませんね。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い新年をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

一乗谷朝倉氏遺跡石仏群 [仏像]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

少し前に福井から帰って来たところです。

今朝は結構な雪で心配しましたが、
特に列車の遅れはなく、
無事に時間通りに戻れました。

そんな訳で今日は福井県内の石仏を見て頂きます。

一乗谷に朝倉氏の遺跡が残されていて、
その2か所のお寺の跡に、
石仏が残されています。

いずれも室町時代に造られたもので、
合戦で戦死した将兵を弔うためのものと、
考えられています。

まずはこちらをご覧下さい。
福井石仏1.jpg
これは盛源寺というお寺の跡に、
残されている石仏です。

中央の地蔵菩薩が最も大きく、
次に大きいのがその左におられる、
不動明王です。
地蔵菩薩の像高は2.7メートルあります。

それでは次を。
福井石仏2.jpg

地蔵菩薩の近接です。
なかなか趣のある良いお顔をされています。
風化と苔むした感じが、
またなかなか良いのです。

もう1か所、
西山光照寺というお寺の跡にも、
石仏が残されています。

こちらをご覧下さい。
福井の石仏3.jpg
発掘された石仏を、
このように修復して安置し、
覆い屋を造って保護しています。
40躯近くありますから、
かなり壮観です。
丁度霰が降っていて、
立っているのも辛いコンディションなので、
長居は出来ませんでしたが、
晴れていればじっくり見ていたい雰囲気でした。

代表的なものを見て頂きます。
まずこちら。
福井の石仏4.jpg
盛源寺とほぼ同じ造形の地蔵菩薩です。
像高もほぼ同じくらいあります。

土の中に長くあったので、
あまり風化が進んでいません。
ただ、苔むした盛源寺像の方が、
今では趣を感じるのが石仏の不思議さです。

造形的には矢張り最も優れていると思います。

では次を。
福井の石仏5.jpg
遺跡中でも最も大きな不動明王です。
ただ、見てお分かりになるように、
ちょっと造形はアニメチックで、
あまり繊細さはありません。

最後はこちらです。
福井の石仏6.jpg
千手観音の石仏で、
あまり石仏としては作例のないものだと思います。
ただ、ちょっと千本の手の表現には、
無理があるように思います。

石仏は鎌倉時代までと、
室町以降ではかなりの差があり、
鎌倉までは仏教彫刻としての品格がありますが、
室町以降は石屋さんの工房の石造作品、
という感じが濃厚になります。

その点では物足りない部分があるのですが、
これだけまとまって同時期の石仏が拝める場所はそうはなく、
周囲のロケーション良さも相まって、
捨て難い雰囲気のある場所でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。