高野山の名宝(サントリー美術館2014) [仏像]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
ちょっと今日明日と福井に出掛ける予定です。
休みの日趣味の話題です。
今日はこちら。
サントリー美術館で12月7日まで、
「高野山の名宝」と題する展覧会が開催されています。
仏像好きとしては見逃せない内容で、
一番の目玉は運慶作(らしい…)、
上記の八大童子ですが、
それ以外にも快慶作の孔雀明王像や、
四天王像など、
鎌倉仏の秀作が揃っていて、
しかもその多くがガラス越しではなく、
お堂に安置されていたのとかなり同じような環境で、
かつ美しいライティングの下に、
間近で観賞することが出来ます。
僕は今回の出品作の多くが収蔵されている、
高野山の霊宝館には行ったことがありませんが、
ほぼ間違いなくもっと拝観環境は悪いと思います。
色々な制約があるのだと思いますが、
多くのお寺でも、
文化財指定を受けた仏像の多くは、
お堂から出されて、
味気のない収蔵庫に収められていることが常です。
そして、収蔵庫のライティングは、
興福寺国宝館など少数の例外を除けば、
極めて劣悪なのです。
そんな訳で、
今回は得難い機会です。
上記画像の八大童子像は、
阿修羅像で有名な奈良時代の興福寺八部衆像を、
1つの理想として、
大仏師運慶の工房が手掛けた、
鎌倉時代の八部衆像と言うべき傑作です。
厳密には封入品から運慶作という想定が、
最近なされている、というだけなので、
少し前まではそうは言われていませんでしたし、
本当にそうなのかしら、と疑問を感じることも事実です。
「運慶」というのは仏像界最大のブランドで、
確定した真作が極めて少なく、
運慶作と言うだけで、全てが規格外の傑作、
というようなイメージがありました。
ただ、最近になって、
続々と運慶の真作とされる作品が再発見され、
少しずつそのイメージは変わりつつあります。
今回の展覧会の図録を読むと、
「運慶工房」と言うような表現で、
運慶の指示の元に造られた作品、
という解釈が取られていて、
一番出来の良い制多伽童子が、
運慶自身の作で、
それ以外は工房の弟子の作ではないか、
というニュアンスになっています。
同じ作者であっても、
意外に出来不出来はあるように思いますし、
どのような分業が行われていたのかは、
推測するしかないのですから、
何となく出来栄えのみで誰の作かを決めるという考えは、
個人的はおかしいように思います。
同時期の並び称される名人の快慶は、
作品にサインも残している上に、
端正で緻密な作風も特徴的なので、
そのような感想はあまりないのですが、
運慶については情緒的な検討が多く、
未だその技量は謎に満ちています。
いずれにしてもこの一群の彫像が、
名品であることは間違いがなく、
その保存状態も非常に良くて、
鮮やかな色彩も見事に残っています。
仏像好きには是非にと、
お勧めしたいと思います。
それではそろそろ出掛けます。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
ちょっと今日明日と福井に出掛ける予定です。
休みの日趣味の話題です。
今日はこちら。
サントリー美術館で12月7日まで、
「高野山の名宝」と題する展覧会が開催されています。
仏像好きとしては見逃せない内容で、
一番の目玉は運慶作(らしい…)、
上記の八大童子ですが、
それ以外にも快慶作の孔雀明王像や、
四天王像など、
鎌倉仏の秀作が揃っていて、
しかもその多くがガラス越しではなく、
お堂に安置されていたのとかなり同じような環境で、
かつ美しいライティングの下に、
間近で観賞することが出来ます。
僕は今回の出品作の多くが収蔵されている、
高野山の霊宝館には行ったことがありませんが、
ほぼ間違いなくもっと拝観環境は悪いと思います。
色々な制約があるのだと思いますが、
多くのお寺でも、
文化財指定を受けた仏像の多くは、
お堂から出されて、
味気のない収蔵庫に収められていることが常です。
そして、収蔵庫のライティングは、
興福寺国宝館など少数の例外を除けば、
極めて劣悪なのです。
そんな訳で、
今回は得難い機会です。
上記画像の八大童子像は、
阿修羅像で有名な奈良時代の興福寺八部衆像を、
1つの理想として、
大仏師運慶の工房が手掛けた、
鎌倉時代の八部衆像と言うべき傑作です。
厳密には封入品から運慶作という想定が、
最近なされている、というだけなので、
少し前まではそうは言われていませんでしたし、
本当にそうなのかしら、と疑問を感じることも事実です。
「運慶」というのは仏像界最大のブランドで、
確定した真作が極めて少なく、
運慶作と言うだけで、全てが規格外の傑作、
というようなイメージがありました。
ただ、最近になって、
続々と運慶の真作とされる作品が再発見され、
少しずつそのイメージは変わりつつあります。
今回の展覧会の図録を読むと、
「運慶工房」と言うような表現で、
運慶の指示の元に造られた作品、
という解釈が取られていて、
一番出来の良い制多伽童子が、
運慶自身の作で、
それ以外は工房の弟子の作ではないか、
というニュアンスになっています。
同じ作者であっても、
意外に出来不出来はあるように思いますし、
どのような分業が行われていたのかは、
推測するしかないのですから、
何となく出来栄えのみで誰の作かを決めるという考えは、
個人的はおかしいように思います。
同時期の並び称される名人の快慶は、
作品にサインも残している上に、
端正で緻密な作風も特徴的なので、
そのような感想はあまりないのですが、
運慶については情緒的な検討が多く、
未だその技量は謎に満ちています。
いずれにしてもこの一群の彫像が、
名品であることは間違いがなく、
その保存状態も非常に良くて、
鮮やかな色彩も見事に残っています。
仏像好きには是非にと、
お勧めしたいと思います。
それではそろそろ出掛けます。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
長岳寺「弥勒大石棺佛」 [仏像]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
朝から今日の準備などして、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日は奈良の石仏を見て頂きます。
こちらをご覧下さい。
奈良山の辺の道の古刹、
長岳寺の境内にひっそりと安置されている、
弥勒大石棺佛の全景です。
これは境内の奥の、小山を登った山頂に、
山の守り仏のように静かに佇んでいます。
鎌倉時代に彫られたことがはっきりしている石仏としては、
大きさも等身大を越える大きさで、
やや図像的で繊細さには欠けますが、
出来栄えも優れています。
保存状態も非常に良いのです。
これは元々古墳を構成していた石棺の蓋を再利用したもので、
浅い彫りで周辺より窪んでいるので、
風雨が直接当たり難い構造になり、
数百年を経ても風化が殆どないのです。
鎌倉時代の石仏で、
ここまでの保存状態のものはそうざらにはありません。
もう少し近付きます。
簡明ですが見事な描線で、
そばで拝むと明確な仏性を感じます。
以前ご紹介した和束弥勒磨崖仏に近いような雰囲気です。
何より保存状態が良いことに感銘を受けます。
もっと新しいものではないかしら、
と思ってしまうところですが、
間違いなく中世仏の存在感があるのです。
丁度小降りの雨が降り出した午後で、
しっとりとした風情がまた趣がありました。
拝するのに苦労するような場所にもないので、
優れた中世石仏をご覧になりたい方には、
是非お勧めしたい逸品だと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。
六号通り診療所の石原です。
朝から今日の準備などして、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日は奈良の石仏を見て頂きます。
こちらをご覧下さい。
奈良山の辺の道の古刹、
長岳寺の境内にひっそりと安置されている、
弥勒大石棺佛の全景です。
これは境内の奥の、小山を登った山頂に、
山の守り仏のように静かに佇んでいます。
鎌倉時代に彫られたことがはっきりしている石仏としては、
大きさも等身大を越える大きさで、
やや図像的で繊細さには欠けますが、
出来栄えも優れています。
保存状態も非常に良いのです。
これは元々古墳を構成していた石棺の蓋を再利用したもので、
浅い彫りで周辺より窪んでいるので、
風雨が直接当たり難い構造になり、
数百年を経ても風化が殆どないのです。
鎌倉時代の石仏で、
ここまでの保存状態のものはそうざらにはありません。
もう少し近付きます。
簡明ですが見事な描線で、
そばで拝むと明確な仏性を感じます。
以前ご紹介した和束弥勒磨崖仏に近いような雰囲気です。
何より保存状態が良いことに感銘を受けます。
もっと新しいものではないかしら、
と思ってしまうところですが、
間違いなく中世仏の存在感があるのです。
丁度小降りの雨が降り出した午後で、
しっとりとした風情がまた趣がありました。
拝するのに苦労するような場所にもないので、
優れた中世石仏をご覧になりたい方には、
是非お勧めしたい逸品だと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
下記書籍引き続き発売中です。
よろしくお願いします。
健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! ここ10年で変わった長生きの秘訣
- 作者: 石原藤樹
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2014/05/14
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
健康で100歳を迎えるには医療常識を信じるな! [ 石原藤樹 ]
- ショップ: 楽天ブックス
- 価格: 1,296 円
長岳寺奥の院不動明王石仏 [仏像]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
ついさっき奈良から戻って来たところです。
取り敢えず無事に戻れたのが一番でした。
今回はブログ関連でお知り合いになった、
長岡京市の方とお逢いしたりもしました。
石仏では以前から一度お目に掛かりたかった、
長岳寺奥の院の不動明王石仏まで、
初めて足を運びました。
長岳寺は奈良山野辺の道の古刹で、
その境内から背後にある龍王山の山頂付近まで登ると、
元長岳寺の奥の院のあった場所に、
幾つかの石碑と共に、
鎌倉時代末期に建立された、
不動明王の見事な石仏が残っています。
不動明王の石仏や磨崖仏というのは、
江戸時代のやや漫画チックなものは、
結構多く全国に残っているのですが、
鎌倉時代以前に彫られたことが明確に分かっているものは、
そう滅多にはありません。
最も有名なのは富山大岩日石寺の磨崖仏です。
平安時代末期から鎌倉初期に完成されたと思われる傑作で、
まだ拝観させて頂く機会には恵まれていませんが、
石仏では珍しいことに重要文化財の指定を受けています。
ただ、それ以外ということになると、
あまり残っている仏様はありません。
その意味でこの不動明王は非常に貴重です。
しかも石仏としての出来が極めて良く、
その保存状態も良好なのです。
実際に拝見すると、
本物のみの持つ凄みとオーラを感じることが出来ます。
行くのは結構大変です。
スタンダードな方法は、
長岳寺の境内の脇から山を登って行くハイキングコースで、
全長は2キロくらいあるので、
1時間は優に掛かります。
勿論登山やハイキングの途中で、
石仏にお逢いする、ということであれば、
これで良いのですが、
この石仏だけが目的なのに、
この経路を取るのはかなり厳しいのです。
妻と2人の旅行で妻は足が悪いので、
それほど長時間待っていてもらう訳にもゆきません。
それであれこれ情報を収集すると、
どうやら近くまで車で行けそうなことが分かりました。
ただ、道は狭そうな上に、
あまり明確な順路が、
何処にも書いてありません。
しかし、それでもどうにか行ってみることにしました。
順路は天理市街から、
旧国道25号で天理ダムを目指します。
ここで天理ダムのバス停まで行って、
そこから右に上る方向に道があるので、
そこを少し登ると、
龍王山山頂という小さな立て札があります。
それでその方向に車を走らせます。
多分県道247号と言うのだと思いますが、
確実ではありません。
いずれにしても車がすれ違えない細い道で、
ところどころは草や岩で部分的に道が塞がれています。
その道が龍王山の山頂を巻くように進んでいて、
その途中に駐車場的なスペースがあるので、
そこに車を停めて、
それから山頂に歩を進めると、
長岳寺方向に降りる立て札が見付かります。
そこを降り、
途中で左に「長岳寺奥の院」の立て札があるので、
その踏み分け道的な道を引き返す方向に300メートルほど下るのです。
これも結構難航しました。
ちょっと降りる程度かと思うと、
15分くらいは下るのです。
特に奥の院の周辺になると、
殆ど道は消滅していて、
クモの巣と藪とぬかるみが続きます。
そして、見上げるとそこに不動明王が立っています。
こちらです。
お分かり頂けるでしょうか?
クモの巣が幾重にも張っています。
靴もズボンもグチョグチョで、
藪蚊やブヨに全身を刺されるし、
かなりグロッキーな状態でした。
頑張ってもう少し近付きます。
こちらをご覧下さい。
不動明王様の全景です。
ちょっと現代的なフォルムの彫像です。
こういうスタイルの中世以前の石仏というのは、
あまり類例がないように思います。
もう少し近付きます。
画像ではあまりそう見えないのですが、
表面は少し青く苔生しています。
画像で見るより迫るものもあるのです。
矢張り不動明王の中世石仏としては、
屈指の名品だと思います。
ハイキングで訪れた方の感想で、
「奥の院と言うので期待をしたら、
ただの石仏でガッカリした」
というようなものがあり、
価値観はそれぞれなので仕方のないことなのですが、
これだけの名作をなあ、
と思うとちょっと切ない気分になってしまいます。
多分もう2度は行けないと思いますが、
今回はどうにかお逢い出来て幸せでした。
それでは今日はこのくらいで。
もう夜ですが、
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
ついさっき奈良から戻って来たところです。
取り敢えず無事に戻れたのが一番でした。
今回はブログ関連でお知り合いになった、
長岡京市の方とお逢いしたりもしました。
石仏では以前から一度お目に掛かりたかった、
長岳寺奥の院の不動明王石仏まで、
初めて足を運びました。
長岳寺は奈良山野辺の道の古刹で、
その境内から背後にある龍王山の山頂付近まで登ると、
元長岳寺の奥の院のあった場所に、
幾つかの石碑と共に、
鎌倉時代末期に建立された、
不動明王の見事な石仏が残っています。
不動明王の石仏や磨崖仏というのは、
江戸時代のやや漫画チックなものは、
結構多く全国に残っているのですが、
鎌倉時代以前に彫られたことが明確に分かっているものは、
そう滅多にはありません。
最も有名なのは富山大岩日石寺の磨崖仏です。
平安時代末期から鎌倉初期に完成されたと思われる傑作で、
まだ拝観させて頂く機会には恵まれていませんが、
石仏では珍しいことに重要文化財の指定を受けています。
ただ、それ以外ということになると、
あまり残っている仏様はありません。
その意味でこの不動明王は非常に貴重です。
しかも石仏としての出来が極めて良く、
その保存状態も良好なのです。
実際に拝見すると、
本物のみの持つ凄みとオーラを感じることが出来ます。
行くのは結構大変です。
スタンダードな方法は、
長岳寺の境内の脇から山を登って行くハイキングコースで、
全長は2キロくらいあるので、
1時間は優に掛かります。
勿論登山やハイキングの途中で、
石仏にお逢いする、ということであれば、
これで良いのですが、
この石仏だけが目的なのに、
この経路を取るのはかなり厳しいのです。
妻と2人の旅行で妻は足が悪いので、
それほど長時間待っていてもらう訳にもゆきません。
それであれこれ情報を収集すると、
どうやら近くまで車で行けそうなことが分かりました。
ただ、道は狭そうな上に、
あまり明確な順路が、
何処にも書いてありません。
しかし、それでもどうにか行ってみることにしました。
順路は天理市街から、
旧国道25号で天理ダムを目指します。
ここで天理ダムのバス停まで行って、
そこから右に上る方向に道があるので、
そこを少し登ると、
龍王山山頂という小さな立て札があります。
それでその方向に車を走らせます。
多分県道247号と言うのだと思いますが、
確実ではありません。
いずれにしても車がすれ違えない細い道で、
ところどころは草や岩で部分的に道が塞がれています。
その道が龍王山の山頂を巻くように進んでいて、
その途中に駐車場的なスペースがあるので、
そこに車を停めて、
それから山頂に歩を進めると、
長岳寺方向に降りる立て札が見付かります。
そこを降り、
途中で左に「長岳寺奥の院」の立て札があるので、
その踏み分け道的な道を引き返す方向に300メートルほど下るのです。
これも結構難航しました。
ちょっと降りる程度かと思うと、
15分くらいは下るのです。
特に奥の院の周辺になると、
殆ど道は消滅していて、
クモの巣と藪とぬかるみが続きます。
そして、見上げるとそこに不動明王が立っています。
こちらです。
お分かり頂けるでしょうか?
クモの巣が幾重にも張っています。
靴もズボンもグチョグチョで、
藪蚊やブヨに全身を刺されるし、
かなりグロッキーな状態でした。
頑張ってもう少し近付きます。
こちらをご覧下さい。
不動明王様の全景です。
ちょっと現代的なフォルムの彫像です。
こういうスタイルの中世以前の石仏というのは、
あまり類例がないように思います。
もう少し近付きます。
画像ではあまりそう見えないのですが、
表面は少し青く苔生しています。
画像で見るより迫るものもあるのです。
矢張り不動明王の中世石仏としては、
屈指の名品だと思います。
ハイキングで訪れた方の感想で、
「奥の院と言うので期待をしたら、
ただの石仏でガッカリした」
というようなものがあり、
価値観はそれぞれなので仕方のないことなのですが、
これだけの名作をなあ、
と思うとちょっと切ない気分になってしまいます。
多分もう2度は行けないと思いますが、
今回はどうにかお逢い出来て幸せでした。
それでは今日はこのくらいで。
もう夜ですが、
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
神南融念寺「地蔵菩薩立像」 [仏像]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
朝から住所録など作って、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
奈良の斑鳩、法隆寺より南西の位置にある、
融念寺という小さなお寺に、
平安時代の古い仏様が伝わっています。
今回の奈良行きで、
お寺さんにご連絡の上、
拝観させて頂きました。
平安時代の仏像は前半を貞観時代、
後半を藤原時代と称していて、
それぞれの時代で仏像の様式も異なります。
藤原時代は様式的で画一的な仏像が多く、
貞観時代は密教彫刻などの自由な造形や、
独特のデフォルメされたような凄味に、
その特徴があります。
魅力的なのは矢張り貞観仏です。
今回ご紹介する地蔵菩薩は、
所謂「お地蔵様」のことですが、
その造形がお馴染みの剃髪した神聖化された僧侶の姿になるのは、
概ね鎌倉時代のことで、
平安時代の前期から地蔵菩薩の造形はありますが、
必ずしもまだ統一された感じではありません。
法隆寺の地蔵菩薩立像や、
元室生寺にあった安産寺の地蔵菩薩は、
平安時代の地蔵菩薩の1つの典型ですが、
この神南融念寺像のような、
また別個の造形も見られます。
ただ、この仏像の印象はインドの行者を思わせるような、
かなり特異なもので、
その神秘的で異国的なお顔も、
他の同時期の地蔵菩薩とは違っています。
そのために、これは地蔵菩薩ではなく、
別個の神像なのではないか、
と言う説も根強くあるようです。
非常に印象的なのはそのお顔のフォルムと共に、
右手で衣をつまみ上げる瞬間を切り取っているという、
その洗練された動的な造形で、
実際に拝観すると、
写真で見る柔らかな感じより、
硬質で厳しいニュアンスをより強く感じます。
住職のお話を聞かせて頂きながら、
本当に間近にこの見事な仏様を拝させて頂き、
今回の小旅行の中でも、
最も充実した一時を過ごすことが出来ました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
朝から住所録など作って、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
奈良の斑鳩、法隆寺より南西の位置にある、
融念寺という小さなお寺に、
平安時代の古い仏様が伝わっています。
今回の奈良行きで、
お寺さんにご連絡の上、
拝観させて頂きました。
平安時代の仏像は前半を貞観時代、
後半を藤原時代と称していて、
それぞれの時代で仏像の様式も異なります。
藤原時代は様式的で画一的な仏像が多く、
貞観時代は密教彫刻などの自由な造形や、
独特のデフォルメされたような凄味に、
その特徴があります。
魅力的なのは矢張り貞観仏です。
今回ご紹介する地蔵菩薩は、
所謂「お地蔵様」のことですが、
その造形がお馴染みの剃髪した神聖化された僧侶の姿になるのは、
概ね鎌倉時代のことで、
平安時代の前期から地蔵菩薩の造形はありますが、
必ずしもまだ統一された感じではありません。
法隆寺の地蔵菩薩立像や、
元室生寺にあった安産寺の地蔵菩薩は、
平安時代の地蔵菩薩の1つの典型ですが、
この神南融念寺像のような、
また別個の造形も見られます。
ただ、この仏像の印象はインドの行者を思わせるような、
かなり特異なもので、
その神秘的で異国的なお顔も、
他の同時期の地蔵菩薩とは違っています。
そのために、これは地蔵菩薩ではなく、
別個の神像なのではないか、
と言う説も根強くあるようです。
非常に印象的なのはそのお顔のフォルムと共に、
右手で衣をつまみ上げる瞬間を切り取っているという、
その洗練された動的な造形で、
実際に拝観すると、
写真で見る柔らかな感じより、
硬質で厳しいニュアンスをより強く感じます。
住職のお話を聞かせて頂きながら、
本当に間近にこの見事な仏様を拝させて頂き、
今回の小旅行の中でも、
最も充実した一時を過ごすことが出来ました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
奈良石仏オールスターズ [仏像]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
昨日は体調最悪で1日うなされていました。
今日は朝の感じでは、
昨日よりは少しいいのですが、
まだ分かりません。
久しぶりに今日は奈良近郊の石仏を見て頂きます。
まず、こちらから。
これは奈良北方の当尾にある、
大門仏谷磨崖仏です。
山道から谷底を見降ろすと、
遥か下方に石仏が見えるので、
目にした時は本当に感動的です。
昔は石仏の上に大きな桜の木があったそうで、
より感動的な景色だったと思います。
これは谷を降りて近付くことが出来るのです。
こちらが全景になります。
高さが2メートルを越える大きなもので、
所謂丈六仏です。
柔らかいラインが魅力です。
こういうタッチの石仏はあまりなく、
奈良時代の作ではないか、という説もあります。
次はこちら。
おなじみ夕日観音です。
ほぼ3年ぶりの再会でしたが、
その途端に新幹線は止まり、
具合が悪くなったので、
もうしばらくは行かないつもりです。
かなり風化が進んでいる気がしますが、
繊細なタッチが素晴らしい名品だと思います。
そばまで近づくことが出来るのですが、
このように街道から見上げて遥か上方に拝むのが、
正当だという気がします。
平安末期から鎌倉初期の作品ではないかと思います。
同じ岩の下に彫り込まれたのがこちら。
地蔵の磨崖仏で、
鎌倉時代の磨崖仏としては、
彫刻としての質も高く、
また保存状態の良いものです。
次はこちら。
奈良北方柳生街道から山を分け行ったところにある、
芳山の石仏です。
これも3年ぶりくらいに行きましたが、
山をよじのぼるような感じで、
かなり苦労しました。
非常に風格のある、独特のフォルムの石仏で、
奈良時代の作品ではないかとされています。
2尊石仏と呼ばれ、このように2面に石仏が彫り込まれています。
それでは最後はこちら。
奈良の北方で京都の南、
和束にある和束弥勒磨崖仏です。
鎌倉時代の作であることが間違いなく、
2メートルを越える大きなもので、
非常に珍しく、作品としての出来も良いものです。
優れた石仏は鎌倉時代以前に限るのですが、
現存するものは少なく、
かつ大きな石仏は更に少ないので、
今日ご紹介したものは、
いずれも奇跡的に今に残ったものなのです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
昨日は体調最悪で1日うなされていました。
今日は朝の感じでは、
昨日よりは少しいいのですが、
まだ分かりません。
久しぶりに今日は奈良近郊の石仏を見て頂きます。
まず、こちらから。
これは奈良北方の当尾にある、
大門仏谷磨崖仏です。
山道から谷底を見降ろすと、
遥か下方に石仏が見えるので、
目にした時は本当に感動的です。
昔は石仏の上に大きな桜の木があったそうで、
より感動的な景色だったと思います。
これは谷を降りて近付くことが出来るのです。
こちらが全景になります。
高さが2メートルを越える大きなもので、
所謂丈六仏です。
柔らかいラインが魅力です。
こういうタッチの石仏はあまりなく、
奈良時代の作ではないか、という説もあります。
次はこちら。
おなじみ夕日観音です。
ほぼ3年ぶりの再会でしたが、
その途端に新幹線は止まり、
具合が悪くなったので、
もうしばらくは行かないつもりです。
かなり風化が進んでいる気がしますが、
繊細なタッチが素晴らしい名品だと思います。
そばまで近づくことが出来るのですが、
このように街道から見上げて遥か上方に拝むのが、
正当だという気がします。
平安末期から鎌倉初期の作品ではないかと思います。
同じ岩の下に彫り込まれたのがこちら。
地蔵の磨崖仏で、
鎌倉時代の磨崖仏としては、
彫刻としての質も高く、
また保存状態の良いものです。
次はこちら。
奈良北方柳生街道から山を分け行ったところにある、
芳山の石仏です。
これも3年ぶりくらいに行きましたが、
山をよじのぼるような感じで、
かなり苦労しました。
非常に風格のある、独特のフォルムの石仏で、
奈良時代の作品ではないかとされています。
2尊石仏と呼ばれ、このように2面に石仏が彫り込まれています。
それでは最後はこちら。
奈良の北方で京都の南、
和束にある和束弥勒磨崖仏です。
鎌倉時代の作であることが間違いなく、
2メートルを越える大きなもので、
非常に珍しく、作品としての出来も良いものです。
優れた石仏は鎌倉時代以前に限るのですが、
現存するものは少なく、
かつ大きな石仏は更に少ないので、
今日ご紹介したものは、
いずれも奇跡的に今に残ったものなのです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
国宝興福寺仏頭展 [仏像]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は祝日で診療所は休診です。
朝から訪問診療に行って、
それから神奈川の実家に帰る予定です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
国宝興福寺仏頭展と題する展覧会が、
東京上野の東京藝術大学大学美術館で開催中です。
仏頭というのは、
山田寺仏頭とも呼ばれ、
白鳳時代(奈良時代前期)に造立された、
銅製の釈迦如来像の頭部で、
一時興福寺に運ばれて東金堂の本尊となり、
その後おそらくは落雷に撃たれて破壊され、
頭部のみが現存している仏様のことです。
室町時代に再度造られた釈迦如来像の、
台座の中に収められていたことが、
1937年に発見されるまで、
500年間は所在不明という、
不思議な運命を辿っています。
今回の展覧会は、
仏像好きには絶対の贈り物ですが、
それは仏頭そのものもさることながら、
かつて仏頭の周囲に安置されたと推測される、
鎌倉時代の見事な十二神将像と、
東京深大寺の白鳳時代の釈迦如来像が、
非常に素晴らしい展示環境で、
拝観出来るという点にあります。
仏頭自体も、
興福寺の国宝館で常時拝観は可能ですが、
ガラス越しではないものの、
少し距離があり、
また背後に廻ることは出来ない展示環境になっています。
それが今回の展覧会では、
かなり近距離からガラスなしに拝観することが出来、
背後に廻ることも可能です。
鎌倉時代の十二神将像は、
同時代の十二神将としては珍しく、
全てが国宝に指定されています。
保存状態も良く、非常に優れた仏像です。
これも常時興福寺の東金堂で、
拝観が可能ですが、
台座の上でかなり距離があり、
おまけに後方や他の仏様の背後に安置されているので、
全体像を見ることは非常に困難で、
数体は完全に隠れてしまっています。
それが今回の展覧会では、
広いスペースに余裕を持って安置され、
全ての仏像を、
360度ガラス越しではなく、
非常に近い距離で観賞が可能です。
平成9年の興福寺国宝展以来の東京お目見えですが、
展示環境は今回の方が遥かに良いと思います。
ライティングがややセンスのないのが残念ですが、
それ以外はこれ以上はないほどの、
素晴らしい観賞環境です。
更に深大寺の釈迦如来様も、
日頃はガラス越しの拝観で、
正面からしか拝観は出来ないのですが、
今回はこれもガラス越しではなく、
近接で背後にも廻って観賞が可能になっています。
他にも通常はあまり見られない、
興福寺の寺宝が展示され、
うっとりとした時間を過ごすことが出来ました。
お薦めです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は祝日で診療所は休診です。
朝から訪問診療に行って、
それから神奈川の実家に帰る予定です。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
国宝興福寺仏頭展と題する展覧会が、
東京上野の東京藝術大学大学美術館で開催中です。
仏頭というのは、
山田寺仏頭とも呼ばれ、
白鳳時代(奈良時代前期)に造立された、
銅製の釈迦如来像の頭部で、
一時興福寺に運ばれて東金堂の本尊となり、
その後おそらくは落雷に撃たれて破壊され、
頭部のみが現存している仏様のことです。
室町時代に再度造られた釈迦如来像の、
台座の中に収められていたことが、
1937年に発見されるまで、
500年間は所在不明という、
不思議な運命を辿っています。
今回の展覧会は、
仏像好きには絶対の贈り物ですが、
それは仏頭そのものもさることながら、
かつて仏頭の周囲に安置されたと推測される、
鎌倉時代の見事な十二神将像と、
東京深大寺の白鳳時代の釈迦如来像が、
非常に素晴らしい展示環境で、
拝観出来るという点にあります。
仏頭自体も、
興福寺の国宝館で常時拝観は可能ですが、
ガラス越しではないものの、
少し距離があり、
また背後に廻ることは出来ない展示環境になっています。
それが今回の展覧会では、
かなり近距離からガラスなしに拝観することが出来、
背後に廻ることも可能です。
鎌倉時代の十二神将像は、
同時代の十二神将としては珍しく、
全てが国宝に指定されています。
保存状態も良く、非常に優れた仏像です。
これも常時興福寺の東金堂で、
拝観が可能ですが、
台座の上でかなり距離があり、
おまけに後方や他の仏様の背後に安置されているので、
全体像を見ることは非常に困難で、
数体は完全に隠れてしまっています。
それが今回の展覧会では、
広いスペースに余裕を持って安置され、
全ての仏像を、
360度ガラス越しではなく、
非常に近い距離で観賞が可能です。
平成9年の興福寺国宝展以来の東京お目見えですが、
展示環境は今回の方が遥かに良いと思います。
ライティングがややセンスのないのが残念ですが、
それ以外はこれ以上はないほどの、
素晴らしい観賞環境です。
更に深大寺の釈迦如来様も、
日頃はガラス越しの拝観で、
正面からしか拝観は出来ないのですが、
今回はこれもガラス越しではなく、
近接で背後にも廻って観賞が可能になっています。
他にも通常はあまり見られない、
興福寺の寺宝が展示され、
うっとりとした時間を過ごすことが出来ました。
お薦めです。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
王龍禅寺「十一面観音菩薩磨崖仏」 [仏像]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
さっき奈良から戻って来ました。
今朝は東大寺の講堂跡まで走って、
柔軟やしょぼい腹筋、腕立てなどしました。
万城目学の「鹿男あをによし」で、
主人公が最初に鹿に話し掛けられる場所です。
話し掛けて欲しかったのですが、
そう上手くはいきませんでした。
芝生が多くて最高のロケーションなのですが、
鹿のフンだらけで気軽に横になれないのが困ります。
今日はまた奈良の石仏を観て頂きます。
王龍寺(正式には王龍禅寺)の十一面観音磨崖仏様です。
王龍寺は奈良市の西方、
奈良公園から車で20分くらいの位置にあります。
あまり観光寺化はされていない山寺で、
今日も参拝者は殆どお盆のお墓参りの地元の方でした。
ゴルフ場に囲まれたような場所にあり、
ゴルフ場開場時は、
かなりガッカリの雰囲気だったと思うのですが、
今ではゴルフ場もかなり寂れた感じなので、
結構景色が馴染んで来た印象です。
このお寺は一旦廃寺となり、
江戸時代に再興されたので、
本堂や山門など、今に残るお寺の建物は、
殆ど江戸時代以降のものなのですが、
御本尊は、時代は遡る南北朝時代に、
大岩に彫り込まれた、
磨崖仏の観音様である、
という点がユニークです。
こちらをご覧下さい。
山中にある王龍寺の本堂です。
江戸時代の建築です。
前もってお寺の方にお願いして、
お堂のカギを開けて頂き、
中に入りました。
では次を。
本堂の内陣です。
奥に蝋燭の明かりで、
浮かび上がっているのが御本尊様です。
まずお参りをしてから、
更に奥へと進みます。
勿論お寺の方に撮影の許可は頂いています。
では次です。
これが御本尊様です。
大岩は高さ4.5メートルで幅が5.5メートル。
崖に沿って覆い堂が建っているのではなく、
仏様の彫られた岩を切り出して、
その上にお堂が建てられています。
お堂の後ろは崖になっていて、
そこの岩を削り取るようにして、
お堂を建てたのかな、と思いますが、
詳細は分かりません。
正面に十一面観音様がいらっしゃり、
その右手には不動明王様が小さく彫り込まれています。
時代は南北朝時代ですが、
まだ鎌倉の石仏の流麗で神秘的な雰囲気を残す、
見事な造形です。
すぐ前に一本の蝋燭が灯り、
横には小さな窓が作られていて、
そこからも自然光が差し込みます。
その2種類の明かりが交錯して、
神秘的な風情を作り出します。
この雰囲気は完璧です。
それではもう少し近付きましょう。
素晴らしいですよよね。
江戸時代からこうして守られているので、
磨崖仏としては非常に保存状態が良いのです。
最後はアップでどうぞ。
今日はお寺の御本尊としてまつられる、
磨崖の仏様を観て頂きました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
さっき奈良から戻って来ました。
今朝は東大寺の講堂跡まで走って、
柔軟やしょぼい腹筋、腕立てなどしました。
万城目学の「鹿男あをによし」で、
主人公が最初に鹿に話し掛けられる場所です。
話し掛けて欲しかったのですが、
そう上手くはいきませんでした。
芝生が多くて最高のロケーションなのですが、
鹿のフンだらけで気軽に横になれないのが困ります。
今日はまた奈良の石仏を観て頂きます。
王龍寺(正式には王龍禅寺)の十一面観音磨崖仏様です。
王龍寺は奈良市の西方、
奈良公園から車で20分くらいの位置にあります。
あまり観光寺化はされていない山寺で、
今日も参拝者は殆どお盆のお墓参りの地元の方でした。
ゴルフ場に囲まれたような場所にあり、
ゴルフ場開場時は、
かなりガッカリの雰囲気だったと思うのですが、
今ではゴルフ場もかなり寂れた感じなので、
結構景色が馴染んで来た印象です。
このお寺は一旦廃寺となり、
江戸時代に再興されたので、
本堂や山門など、今に残るお寺の建物は、
殆ど江戸時代以降のものなのですが、
御本尊は、時代は遡る南北朝時代に、
大岩に彫り込まれた、
磨崖仏の観音様である、
という点がユニークです。
こちらをご覧下さい。
山中にある王龍寺の本堂です。
江戸時代の建築です。
前もってお寺の方にお願いして、
お堂のカギを開けて頂き、
中に入りました。
では次を。
本堂の内陣です。
奥に蝋燭の明かりで、
浮かび上がっているのが御本尊様です。
まずお参りをしてから、
更に奥へと進みます。
勿論お寺の方に撮影の許可は頂いています。
では次です。
これが御本尊様です。
大岩は高さ4.5メートルで幅が5.5メートル。
崖に沿って覆い堂が建っているのではなく、
仏様の彫られた岩を切り出して、
その上にお堂が建てられています。
お堂の後ろは崖になっていて、
そこの岩を削り取るようにして、
お堂を建てたのかな、と思いますが、
詳細は分かりません。
正面に十一面観音様がいらっしゃり、
その右手には不動明王様が小さく彫り込まれています。
時代は南北朝時代ですが、
まだ鎌倉の石仏の流麗で神秘的な雰囲気を残す、
見事な造形です。
すぐ前に一本の蝋燭が灯り、
横には小さな窓が作られていて、
そこからも自然光が差し込みます。
その2種類の明かりが交錯して、
神秘的な風情を作り出します。
この雰囲気は完璧です。
それではもう少し近付きましょう。
素晴らしいですよよね。
江戸時代からこうして守られているので、
磨崖仏としては非常に保存状態が良いのです。
最後はアップでどうぞ。
今日はお寺の御本尊としてまつられる、
磨崖の仏様を観て頂きました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
仏像のライティングについて [仏像]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
まだどうも調子が仕事モードに戻りません。
気持ちを少しずついつものモードに、
切り替えていかないといけないですね。
それでは今日の話題です。
今日もちょっと仏像の話をさせて下さい。
仏像は矢張り、
博物館や美術館のガラスケースの中などではなく、
お寺の御堂の中で拝観したい、
とは仏像ファンなら誰でも思うところです。
ただ、
所謂観光寺院においては、
仏様の扱いが、
かなりぞんざいに感じられ、
信仰の対象どころか、
単なるお金の取れる置物めいた、
感じに思えることが多々あります。
また、
仏様の上には埃が糊のようにこびり付き、
どす黒く表面が変色していて、
実物を拝観すると、
ええっ、あの画集にあった写真は、
一体どうやって撮ったんだ!
と驚くようなことがよくあります。
実物の方が素晴らしいと信じて、
拝観をさせて頂くのに、
写真と比べて実物は見る影もないのを実感した時の、
切ない思いは、
仏像好きの方ならお分かりになるのではないかと思います。
奈良の新薬師寺のご本尊は、
平安初期の素晴らしい薬師如来で、
ある種の「魔」を感じる優れた仏様ですが、
数年前に訪問した時には、
お堂の中の照明は全て蛍光灯で、
蝋燭も一切なく、
お堂のの端には大きなモニターが鎮座していて、
けたたましい音量で、
お寺についてのビデオをエンドレスで流している、
という悪夢のような状況でした。
小学校の頃に訪れた時には、
蝋燭の揺らぎの中に、
そのお顔を美しく拝したことを、
懐かしく思い出すのですが、
あれは幻だったのだろうか、
と思ってしまいます。
今回再度訪問すると、
ビデオの上映は庫裏に変わり、
数本ですが蝋燭が灯されていました。
これだけでも大分イメージが変わります。
ただ、
蛍光灯は同じで、
そののっぺりした明かりは、
仏様の素晴らしさを、
相当減じているように思いました。
興福寺は、
僕が小学校の頃に訪れた時には、
有名な阿修羅像はガラスケースに入れられ、
蛍光灯の照明も非常に無粋な、
名前だけは国宝館という、
収蔵庫の中に埃に塗れて無雑作に安置されていました。
それでも素晴らしくはありましたが、
これは一体どうなのだろう、
とガッカリしたことを覚えています。
当時の国宝館は、
全ての仏様がいつも安置されている、
ということはなく、
高名な八部衆も、
常時は2~3駆しか、
公開はされていませんでした。
今では国宝館はリニューアルされ、
建物はそのままですが、
ミニ美術館というようなムードになっています。
特にライティングは素晴らしく、
八部衆も現存する全ての仏様が、
一列にズラリと並んで安置されています。
しかも、
以前のようなガラス越しではなく、
そのままに間近で拝観することが出来ます。
これはある意味、
1000年ぶりくらいの快挙かも知れません。
ただ、
以前は阿修羅像の背面に、
廻り込むことが出来たのですが、
今は正面からしか拝むことは出来ません。
問題は元々非常に狭い収蔵庫に、
美術館的な通路を作ったので、
通路の幅が非常に狭く、
混雑していると、
とても我慢して中に入ろう、
という気分にはなれないことです。
せっかくお寺に仏様がいらっしゃるのに、
美術館のようにしか拝観出来ないというのは、
何か本末転倒のようにも思えます。
同じ収蔵庫の方式で、
宝物は物凄く充実しているのに、
実際に観るとガッカリの代表は法隆寺で、
ここには以前には大宝蔵殿という収蔵庫があり、
それが平成10年にリニューアルされ、
百済観音堂を中心にした施設に、
再編されたのですが、
正直昔の収蔵庫と、
全く印象は変わりなく、
むしろ狭苦しくなった感じです。
百済観音様も、
ガラスケースに入れられて味気なく安置されているので、
これじゃ全く昔の収蔵庫と変わりないな、
という気がします。
照明は蛍光灯で味も素っ気もなく、
仏様も全てガラスケース入りで、
光がガラスに反射して、
物凄く観辛いのです。
日本を代表する文化遺産で、
あの酷さは信じられません。
法隆寺のすぐそばにある、
愛すべき古寺の法輪寺は、
非常にムードのあるお寺で、
その収蔵庫には古い優れた仏様が、
ズラリと並ぶ至福の空間ですが、
木彫の仏様は皆水を含んだように黒ずんでいて、
写真集の木目の浮いた美しい感じなどは、
微塵も感じられませんし、
お顔の表情も窺うことが出来ません。
秋篠寺の本堂には、
有名な伎芸天がおられ、
非常に雰囲気のあるお堂ですが、
先日伺うと、
ライティングは幸い蛍光灯ではありませんでしたが、
お堂のご本尊の背面には、
無雑作に色々な荷物が埃に塗れて積まれ、
仏様も埃に塗れ、
とても大切にはされてはいないことが分かって、
胸が痛いような気分になります。
仏様を大事にされているお寺には、
そうした無雑作な感じはないのです。
しかし、
観光寺院の多くでは、
そうした雰囲気は失われて久しいので、
そうであれば、
文化財としての仏様を、
如何に美しく十全な状態で鑑賞出来る環境を用意するか、
そのことに心を砕く方が、
より正しい道のようにも思えます。
仏様は勿論、
ほの暗い堂内で、
蝋燭の明かりの揺らめきの中に、
拝観させて頂くのが、
一番良いに決まっているのですが、
火災のリスクを考えれば、
今日昔のようにじゃんじゃん蝋燭を点けるようなことは、
不可能なのは明らかなので、
美術館に近いようなライティングを、
お寺にも持ち込むのも、
1つの考えですし、
蝋燭に近いような照明を用いて、
昔のムードを、
極力再現する方向に進むのも、
もう1つの考えではないかと思います。
昔は仏像は金ぴかだったのだ、
というような意見があります。
確かに金色の仏様が、
ほの暗い中に蝋燭で揺らめく姿は、
本当に神秘的で素晴らしいものです。
こうした風景はしかし、
今では新興宗教の神殿のような場所でしか、
見ることは出来ません。
ただ、
たとえば鎌倉時代には、
仏像のお手本は奈良時代の天平彫刻で、
ルネサンスにおけるギリシャ彫刻のような存在であった訳ですが、
その古びて金箔が剥がれ、
黒ずんだ素地や、
下の木目の浮いたその姿を、
必ずしも全て、
金ぴかに塗りなおし、
修復するようなことはしなかったのです。
そうした修復も一方ではされましたが、
非常に古い仏様に対しては、
その古びた姿そのものに、
美を見るという姿勢も、
同時にあったのです。
ヨーロッパの大聖堂においても、
結構優れた宗教画が、
埃塗れになっていることがありますから、
お金の問題もありますし、
これは日本だけの問題ではないのだと思いますが、
個人的には少なくとも日々の埃などの対策と、
そのライティングには注意を払い、
画集などを見て、
この仏様に対面したい、
という熱い思いを、
踏みにじるようなことはして欲しくはないな、
と切に願います。
今日は仏像についての、
ややマニアックな話題でした。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
まだどうも調子が仕事モードに戻りません。
気持ちを少しずついつものモードに、
切り替えていかないといけないですね。
それでは今日の話題です。
今日もちょっと仏像の話をさせて下さい。
仏像は矢張り、
博物館や美術館のガラスケースの中などではなく、
お寺の御堂の中で拝観したい、
とは仏像ファンなら誰でも思うところです。
ただ、
所謂観光寺院においては、
仏様の扱いが、
かなりぞんざいに感じられ、
信仰の対象どころか、
単なるお金の取れる置物めいた、
感じに思えることが多々あります。
また、
仏様の上には埃が糊のようにこびり付き、
どす黒く表面が変色していて、
実物を拝観すると、
ええっ、あの画集にあった写真は、
一体どうやって撮ったんだ!
と驚くようなことがよくあります。
実物の方が素晴らしいと信じて、
拝観をさせて頂くのに、
写真と比べて実物は見る影もないのを実感した時の、
切ない思いは、
仏像好きの方ならお分かりになるのではないかと思います。
奈良の新薬師寺のご本尊は、
平安初期の素晴らしい薬師如来で、
ある種の「魔」を感じる優れた仏様ですが、
数年前に訪問した時には、
お堂の中の照明は全て蛍光灯で、
蝋燭も一切なく、
お堂のの端には大きなモニターが鎮座していて、
けたたましい音量で、
お寺についてのビデオをエンドレスで流している、
という悪夢のような状況でした。
小学校の頃に訪れた時には、
蝋燭の揺らぎの中に、
そのお顔を美しく拝したことを、
懐かしく思い出すのですが、
あれは幻だったのだろうか、
と思ってしまいます。
今回再度訪問すると、
ビデオの上映は庫裏に変わり、
数本ですが蝋燭が灯されていました。
これだけでも大分イメージが変わります。
ただ、
蛍光灯は同じで、
そののっぺりした明かりは、
仏様の素晴らしさを、
相当減じているように思いました。
興福寺は、
僕が小学校の頃に訪れた時には、
有名な阿修羅像はガラスケースに入れられ、
蛍光灯の照明も非常に無粋な、
名前だけは国宝館という、
収蔵庫の中に埃に塗れて無雑作に安置されていました。
それでも素晴らしくはありましたが、
これは一体どうなのだろう、
とガッカリしたことを覚えています。
当時の国宝館は、
全ての仏様がいつも安置されている、
ということはなく、
高名な八部衆も、
常時は2~3駆しか、
公開はされていませんでした。
今では国宝館はリニューアルされ、
建物はそのままですが、
ミニ美術館というようなムードになっています。
特にライティングは素晴らしく、
八部衆も現存する全ての仏様が、
一列にズラリと並んで安置されています。
しかも、
以前のようなガラス越しではなく、
そのままに間近で拝観することが出来ます。
これはある意味、
1000年ぶりくらいの快挙かも知れません。
ただ、
以前は阿修羅像の背面に、
廻り込むことが出来たのですが、
今は正面からしか拝むことは出来ません。
問題は元々非常に狭い収蔵庫に、
美術館的な通路を作ったので、
通路の幅が非常に狭く、
混雑していると、
とても我慢して中に入ろう、
という気分にはなれないことです。
せっかくお寺に仏様がいらっしゃるのに、
美術館のようにしか拝観出来ないというのは、
何か本末転倒のようにも思えます。
同じ収蔵庫の方式で、
宝物は物凄く充実しているのに、
実際に観るとガッカリの代表は法隆寺で、
ここには以前には大宝蔵殿という収蔵庫があり、
それが平成10年にリニューアルされ、
百済観音堂を中心にした施設に、
再編されたのですが、
正直昔の収蔵庫と、
全く印象は変わりなく、
むしろ狭苦しくなった感じです。
百済観音様も、
ガラスケースに入れられて味気なく安置されているので、
これじゃ全く昔の収蔵庫と変わりないな、
という気がします。
照明は蛍光灯で味も素っ気もなく、
仏様も全てガラスケース入りで、
光がガラスに反射して、
物凄く観辛いのです。
日本を代表する文化遺産で、
あの酷さは信じられません。
法隆寺のすぐそばにある、
愛すべき古寺の法輪寺は、
非常にムードのあるお寺で、
その収蔵庫には古い優れた仏様が、
ズラリと並ぶ至福の空間ですが、
木彫の仏様は皆水を含んだように黒ずんでいて、
写真集の木目の浮いた美しい感じなどは、
微塵も感じられませんし、
お顔の表情も窺うことが出来ません。
秋篠寺の本堂には、
有名な伎芸天がおられ、
非常に雰囲気のあるお堂ですが、
先日伺うと、
ライティングは幸い蛍光灯ではありませんでしたが、
お堂のご本尊の背面には、
無雑作に色々な荷物が埃に塗れて積まれ、
仏様も埃に塗れ、
とても大切にはされてはいないことが分かって、
胸が痛いような気分になります。
仏様を大事にされているお寺には、
そうした無雑作な感じはないのです。
しかし、
観光寺院の多くでは、
そうした雰囲気は失われて久しいので、
そうであれば、
文化財としての仏様を、
如何に美しく十全な状態で鑑賞出来る環境を用意するか、
そのことに心を砕く方が、
より正しい道のようにも思えます。
仏様は勿論、
ほの暗い堂内で、
蝋燭の明かりの揺らめきの中に、
拝観させて頂くのが、
一番良いに決まっているのですが、
火災のリスクを考えれば、
今日昔のようにじゃんじゃん蝋燭を点けるようなことは、
不可能なのは明らかなので、
美術館に近いようなライティングを、
お寺にも持ち込むのも、
1つの考えですし、
蝋燭に近いような照明を用いて、
昔のムードを、
極力再現する方向に進むのも、
もう1つの考えではないかと思います。
昔は仏像は金ぴかだったのだ、
というような意見があります。
確かに金色の仏様が、
ほの暗い中に蝋燭で揺らめく姿は、
本当に神秘的で素晴らしいものです。
こうした風景はしかし、
今では新興宗教の神殿のような場所でしか、
見ることは出来ません。
ただ、
たとえば鎌倉時代には、
仏像のお手本は奈良時代の天平彫刻で、
ルネサンスにおけるギリシャ彫刻のような存在であった訳ですが、
その古びて金箔が剥がれ、
黒ずんだ素地や、
下の木目の浮いたその姿を、
必ずしも全て、
金ぴかに塗りなおし、
修復するようなことはしなかったのです。
そうした修復も一方ではされましたが、
非常に古い仏様に対しては、
その古びた姿そのものに、
美を見るという姿勢も、
同時にあったのです。
ヨーロッパの大聖堂においても、
結構優れた宗教画が、
埃塗れになっていることがありますから、
お金の問題もありますし、
これは日本だけの問題ではないのだと思いますが、
個人的には少なくとも日々の埃などの対策と、
そのライティングには注意を払い、
画集などを見て、
この仏様に対面したい、
という熱い思いを、
踏みにじるようなことはして欲しくはないな、
と切に願います。
今日は仏像についての、
ややマニアックな話題でした。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
和束弥勒磨崖仏 [仏像]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
診療所は明日4日までは休診となります。
皆さんも良いお正月をお過ごしのことと思います。
休みの日は趣味の話題です。
今日は京都の南で奈良県との境に近い、
和束町にある石仏を観て頂きます。
奈良の北方、
木津川市の方向から、
和束川という山間の川に沿って、
和束町の中心部へと向かう細い国道を走ると、
左手の川の向こうに立つ大きな岩に、
見事な磨崖仏が刻まれているのが目に止まります。
奈良県の近郊には多くの磨崖仏がありますが、
時代を鎌倉時代より以前に限って言えば、
その中でも最も大きく、
最も優れたものの1つです。
それが通称和束弥勒磨崖仏です。
国道を少し先に進み、
和束川に掛かった狭い橋を渡ると、
お茶の畑が広がり、
郵便局員の方が、
スクーターでのんびりと、
年賀状の配達に廻っています。
こんなのどかな正月に、
ただ磨崖仏を拝みたいだけのために、
うろうろしているのも不審者のようですが、
この辺りかと目星を付けて車を停め、
そこから畑の中の道を歩いて行きます。
道はしばらくするとただ雑草を刈り取っただけの、
踏み分け道のようになり、
途中で小川を越えるところでは、
ただの太い竹が、
渡してあるだけのところを渡ります。
そこから再び踏み分け道を辿ると、
遂に前方に磨崖仏が姿を現わします。
この時の感動は、
とても言葉では言い表わせません。
こちらです。
磨崖仏の正面には簡易の足場のようなものが組まれています。
そこに立ち、
間近に弥勒菩薩様を見上げ、
静かに手を合わせます。
それでは、
弥勒菩薩様の全景を観て頂きます。
こちらです。
大きさのイメージが、
画像では掴み難いかも知れません。
この岩の高さが6~7メートルほどあり、
仏様自体の高さも3メートルを優に越えます。
丈六というにはサイズが小さいですが、
それに近いスケールのもので、
間近で仰ぎ見ると、
かなりの迫力があります。
仰ぎ見るとこんな感じになります。
丁度陽の光が後光のように、
そのお顔に当たって、
掛け値なしに金色のように輝いています。
非常に風化が少なく、
彫り込まれた時の状態を、
かなり美麗に保っています。
それでいて、
周囲の苔生した感じが、
神性を静かに感じさせるのです。
次にこちらをご覧下さい。
写真では分かり辛いのですが、
仏様の右側に、
はっきりと銘文が彫り込んであって、
鎌倉時代後期の1300年に像立されたことが分かっています。
勿論銘文などは後から刻むことも出来るのですが、
この仏様の場合、
様式としても鎌倉時代以前のもので、
ほぼ間違いがないので、
銘文自体の信頼性も高いのです。
図像的には、
僕の敬愛する柳生街道の夕日観音に、
非常に良く似ています。
あちらも観音様と通称されていますが、
実際には弥勒菩薩なのです。
彫りはシンプルですが、
素朴な中に霊的なものが確かに感じられ、
こうした荘厳なムードは、
室町時代以降の、
工芸品的な石仏には決して感じられないものです。
お顔も優しい中に、
人間ならざる厳しさを湛えていて、
古代の人の風格があります。
次にこちらをご覧下さい。
岩の上方です。
前に立つ僕の上を覆うように、
木々が生えています。
では次を。
岩の下側ですが、
昔のままではなく、
一旦は大きな岩が上方から滑り落ちたことが分かります。
700年以上の月日が、
ここにこうして重ねられ、
本当に奇跡のように、
ほぼ同じお姿のままで、
こうした神格が存在し続けていることに、
素直に感動します。
しばらくはその場にいて、
去り難い思いでその場を後にしました。
この半分忘れ去られたような雰囲気が、
この磨崖仏の魅力の1つなのですが、
和束町と京都府の方針として、
昨年磨崖仏への道を整備し、
駐車場も設けるような予算が、
計上されたそうです。
磨崖仏を後世に残すためには、
そうした対策が必要なのだと思います。
ただ、
そうなるとこの今の磨崖仏の密やかな感じは、
近いうちに失われることになりそうです。
ちょっと残念ですが、
仕方のないことなのかも知れませんね。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い新年をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
診療所は明日4日までは休診となります。
皆さんも良いお正月をお過ごしのことと思います。
休みの日は趣味の話題です。
今日は京都の南で奈良県との境に近い、
和束町にある石仏を観て頂きます。
奈良の北方、
木津川市の方向から、
和束川という山間の川に沿って、
和束町の中心部へと向かう細い国道を走ると、
左手の川の向こうに立つ大きな岩に、
見事な磨崖仏が刻まれているのが目に止まります。
奈良県の近郊には多くの磨崖仏がありますが、
時代を鎌倉時代より以前に限って言えば、
その中でも最も大きく、
最も優れたものの1つです。
それが通称和束弥勒磨崖仏です。
国道を少し先に進み、
和束川に掛かった狭い橋を渡ると、
お茶の畑が広がり、
郵便局員の方が、
スクーターでのんびりと、
年賀状の配達に廻っています。
こんなのどかな正月に、
ただ磨崖仏を拝みたいだけのために、
うろうろしているのも不審者のようですが、
この辺りかと目星を付けて車を停め、
そこから畑の中の道を歩いて行きます。
道はしばらくするとただ雑草を刈り取っただけの、
踏み分け道のようになり、
途中で小川を越えるところでは、
ただの太い竹が、
渡してあるだけのところを渡ります。
そこから再び踏み分け道を辿ると、
遂に前方に磨崖仏が姿を現わします。
この時の感動は、
とても言葉では言い表わせません。
こちらです。
磨崖仏の正面には簡易の足場のようなものが組まれています。
そこに立ち、
間近に弥勒菩薩様を見上げ、
静かに手を合わせます。
それでは、
弥勒菩薩様の全景を観て頂きます。
こちらです。
大きさのイメージが、
画像では掴み難いかも知れません。
この岩の高さが6~7メートルほどあり、
仏様自体の高さも3メートルを優に越えます。
丈六というにはサイズが小さいですが、
それに近いスケールのもので、
間近で仰ぎ見ると、
かなりの迫力があります。
仰ぎ見るとこんな感じになります。
丁度陽の光が後光のように、
そのお顔に当たって、
掛け値なしに金色のように輝いています。
非常に風化が少なく、
彫り込まれた時の状態を、
かなり美麗に保っています。
それでいて、
周囲の苔生した感じが、
神性を静かに感じさせるのです。
次にこちらをご覧下さい。
写真では分かり辛いのですが、
仏様の右側に、
はっきりと銘文が彫り込んであって、
鎌倉時代後期の1300年に像立されたことが分かっています。
勿論銘文などは後から刻むことも出来るのですが、
この仏様の場合、
様式としても鎌倉時代以前のもので、
ほぼ間違いがないので、
銘文自体の信頼性も高いのです。
図像的には、
僕の敬愛する柳生街道の夕日観音に、
非常に良く似ています。
あちらも観音様と通称されていますが、
実際には弥勒菩薩なのです。
彫りはシンプルですが、
素朴な中に霊的なものが確かに感じられ、
こうした荘厳なムードは、
室町時代以降の、
工芸品的な石仏には決して感じられないものです。
お顔も優しい中に、
人間ならざる厳しさを湛えていて、
古代の人の風格があります。
次にこちらをご覧下さい。
岩の上方です。
前に立つ僕の上を覆うように、
木々が生えています。
では次を。
岩の下側ですが、
昔のままではなく、
一旦は大きな岩が上方から滑り落ちたことが分かります。
700年以上の月日が、
ここにこうして重ねられ、
本当に奇跡のように、
ほぼ同じお姿のままで、
こうした神格が存在し続けていることに、
素直に感動します。
しばらくはその場にいて、
去り難い思いでその場を後にしました。
この半分忘れ去られたような雰囲気が、
この磨崖仏の魅力の1つなのですが、
和束町と京都府の方針として、
昨年磨崖仏への道を整備し、
駐車場も設けるような予算が、
計上されたそうです。
磨崖仏を後世に残すためには、
そうした対策が必要なのだと思います。
ただ、
そうなるとこの今の磨崖仏の密やかな感じは、
近いうちに失われることになりそうです。
ちょっと残念ですが、
仕方のないことなのかも知れませんね。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い新年をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
一乗谷朝倉氏遺跡石仏群 [仏像]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
少し前に福井から帰って来たところです。
今朝は結構な雪で心配しましたが、
特に列車の遅れはなく、
無事に時間通りに戻れました。
そんな訳で今日は福井県内の石仏を見て頂きます。
一乗谷に朝倉氏の遺跡が残されていて、
その2か所のお寺の跡に、
石仏が残されています。
いずれも室町時代に造られたもので、
合戦で戦死した将兵を弔うためのものと、
考えられています。
まずはこちらをご覧下さい。
これは盛源寺というお寺の跡に、
残されている石仏です。
中央の地蔵菩薩が最も大きく、
次に大きいのがその左におられる、
不動明王です。
地蔵菩薩の像高は2.7メートルあります。
それでは次を。
地蔵菩薩の近接です。
なかなか趣のある良いお顔をされています。
風化と苔むした感じが、
またなかなか良いのです。
もう1か所、
西山光照寺というお寺の跡にも、
石仏が残されています。
こちらをご覧下さい。
発掘された石仏を、
このように修復して安置し、
覆い屋を造って保護しています。
40躯近くありますから、
かなり壮観です。
丁度霰が降っていて、
立っているのも辛いコンディションなので、
長居は出来ませんでしたが、
晴れていればじっくり見ていたい雰囲気でした。
代表的なものを見て頂きます。
まずこちら。
盛源寺とほぼ同じ造形の地蔵菩薩です。
像高もほぼ同じくらいあります。
土の中に長くあったので、
あまり風化が進んでいません。
ただ、苔むした盛源寺像の方が、
今では趣を感じるのが石仏の不思議さです。
造形的には矢張り最も優れていると思います。
では次を。
遺跡中でも最も大きな不動明王です。
ただ、見てお分かりになるように、
ちょっと造形はアニメチックで、
あまり繊細さはありません。
最後はこちらです。
千手観音の石仏で、
あまり石仏としては作例のないものだと思います。
ただ、ちょっと千本の手の表現には、
無理があるように思います。
石仏は鎌倉時代までと、
室町以降ではかなりの差があり、
鎌倉までは仏教彫刻としての品格がありますが、
室町以降は石屋さんの工房の石造作品、
という感じが濃厚になります。
その点では物足りない部分があるのですが、
これだけまとまって同時期の石仏が拝める場所はそうはなく、
周囲のロケーション良さも相まって、
捨て難い雰囲気のある場所でした。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
少し前に福井から帰って来たところです。
今朝は結構な雪で心配しましたが、
特に列車の遅れはなく、
無事に時間通りに戻れました。
そんな訳で今日は福井県内の石仏を見て頂きます。
一乗谷に朝倉氏の遺跡が残されていて、
その2か所のお寺の跡に、
石仏が残されています。
いずれも室町時代に造られたもので、
合戦で戦死した将兵を弔うためのものと、
考えられています。
まずはこちらをご覧下さい。
これは盛源寺というお寺の跡に、
残されている石仏です。
中央の地蔵菩薩が最も大きく、
次に大きいのがその左におられる、
不動明王です。
地蔵菩薩の像高は2.7メートルあります。
それでは次を。
地蔵菩薩の近接です。
なかなか趣のある良いお顔をされています。
風化と苔むした感じが、
またなかなか良いのです。
もう1か所、
西山光照寺というお寺の跡にも、
石仏が残されています。
こちらをご覧下さい。
発掘された石仏を、
このように修復して安置し、
覆い屋を造って保護しています。
40躯近くありますから、
かなり壮観です。
丁度霰が降っていて、
立っているのも辛いコンディションなので、
長居は出来ませんでしたが、
晴れていればじっくり見ていたい雰囲気でした。
代表的なものを見て頂きます。
まずこちら。
盛源寺とほぼ同じ造形の地蔵菩薩です。
像高もほぼ同じくらいあります。
土の中に長くあったので、
あまり風化が進んでいません。
ただ、苔むした盛源寺像の方が、
今では趣を感じるのが石仏の不思議さです。
造形的には矢張り最も優れていると思います。
では次を。
遺跡中でも最も大きな不動明王です。
ただ、見てお分かりになるように、
ちょっと造形はアニメチックで、
あまり繊細さはありません。
最後はこちらです。
千手観音の石仏で、
あまり石仏としては作例のないものだと思います。
ただ、ちょっと千本の手の表現には、
無理があるように思います。
石仏は鎌倉時代までと、
室町以降ではかなりの差があり、
鎌倉までは仏教彫刻としての品格がありますが、
室町以降は石屋さんの工房の石造作品、
という感じが濃厚になります。
その点では物足りない部分があるのですが、
これだけまとまって同時期の石仏が拝める場所はそうはなく、
周囲のロケーション良さも相まって、
捨て難い雰囲気のある場所でした。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。