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仏像のライティングについて [仏像]

こんにちは。

六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。

まだどうも調子が仕事モードに戻りません。

気持ちを少しずついつものモードに、
切り替えていかないといけないですね。

それでは今日の話題です。

今日もちょっと仏像の話をさせて下さい。

仏像は矢張り、
博物館や美術館のガラスケースの中などではなく、
お寺の御堂の中で拝観したい、
とは仏像ファンなら誰でも思うところです。

ただ、
所謂観光寺院においては、
仏様の扱いが、
かなりぞんざいに感じられ、
信仰の対象どころか、
単なるお金の取れる置物めいた、
感じに思えることが多々あります。

また、
仏様の上には埃が糊のようにこびり付き、
どす黒く表面が変色していて、
実物を拝観すると、
ええっ、あの画集にあった写真は、
一体どうやって撮ったんだ!
と驚くようなことがよくあります。

実物の方が素晴らしいと信じて、
拝観をさせて頂くのに、
写真と比べて実物は見る影もないのを実感した時の、
切ない思いは、
仏像好きの方ならお分かりになるのではないかと思います。

奈良の新薬師寺のご本尊は、
平安初期の素晴らしい薬師如来で、
ある種の「魔」を感じる優れた仏様ですが、
数年前に訪問した時には、
お堂の中の照明は全て蛍光灯で、
蝋燭も一切なく、
お堂のの端には大きなモニターが鎮座していて、
けたたましい音量で、
お寺についてのビデオをエンドレスで流している、
という悪夢のような状況でした。

小学校の頃に訪れた時には、
蝋燭の揺らぎの中に、
そのお顔を美しく拝したことを、
懐かしく思い出すのですが、
あれは幻だったのだろうか、
と思ってしまいます。

今回再度訪問すると、
ビデオの上映は庫裏に変わり、
数本ですが蝋燭が灯されていました。
これだけでも大分イメージが変わります。

ただ、
蛍光灯は同じで、
そののっぺりした明かりは、
仏様の素晴らしさを、
相当減じているように思いました。

興福寺は、
僕が小学校の頃に訪れた時には、
有名な阿修羅像はガラスケースに入れられ、
蛍光灯の照明も非常に無粋な、
名前だけは国宝館という、
収蔵庫の中に埃に塗れて無雑作に安置されていました。

それでも素晴らしくはありましたが、
これは一体どうなのだろう、
とガッカリしたことを覚えています。

当時の国宝館は、
全ての仏様がいつも安置されている、
ということはなく、
高名な八部衆も、
常時は2~3駆しか、
公開はされていませんでした。

今では国宝館はリニューアルされ、
建物はそのままですが、
ミニ美術館というようなムードになっています。

特にライティングは素晴らしく、
八部衆も現存する全ての仏様が、
一列にズラリと並んで安置されています。
しかも、
以前のようなガラス越しではなく、
そのままに間近で拝観することが出来ます。

これはある意味、
1000年ぶりくらいの快挙かも知れません。

ただ、
以前は阿修羅像の背面に、
廻り込むことが出来たのですが、
今は正面からしか拝むことは出来ません。

問題は元々非常に狭い収蔵庫に、
美術館的な通路を作ったので、
通路の幅が非常に狭く、
混雑していると、
とても我慢して中に入ろう、
という気分にはなれないことです。

せっかくお寺に仏様がいらっしゃるのに、
美術館のようにしか拝観出来ないというのは、
何か本末転倒のようにも思えます。

同じ収蔵庫の方式で、
宝物は物凄く充実しているのに、
実際に観るとガッカリの代表は法隆寺で、
ここには以前には大宝蔵殿という収蔵庫があり、
それが平成10年にリニューアルされ、
百済観音堂を中心にした施設に、
再編されたのですが、
正直昔の収蔵庫と、
全く印象は変わりなく、
むしろ狭苦しくなった感じです。

百済観音様も、
ガラスケースに入れられて味気なく安置されているので、
これじゃ全く昔の収蔵庫と変わりないな、
という気がします。

照明は蛍光灯で味も素っ気もなく、
仏様も全てガラスケース入りで、
光がガラスに反射して、
物凄く観辛いのです。

日本を代表する文化遺産で、
あの酷さは信じられません。

法隆寺のすぐそばにある、
愛すべき古寺の法輪寺は、
非常にムードのあるお寺で、
その収蔵庫には古い優れた仏様が、
ズラリと並ぶ至福の空間ですが、
木彫の仏様は皆水を含んだように黒ずんでいて、
写真集の木目の浮いた美しい感じなどは、
微塵も感じられませんし、
お顔の表情も窺うことが出来ません。

秋篠寺の本堂には、
有名な伎芸天がおられ、
非常に雰囲気のあるお堂ですが、
先日伺うと、
ライティングは幸い蛍光灯ではありませんでしたが、
お堂のご本尊の背面には、
無雑作に色々な荷物が埃に塗れて積まれ、
仏様も埃に塗れ、
とても大切にはされてはいないことが分かって、
胸が痛いような気分になります。

仏様を大事にされているお寺には、
そうした無雑作な感じはないのです。

しかし、
観光寺院の多くでは、
そうした雰囲気は失われて久しいので、
そうであれば、
文化財としての仏様を、
如何に美しく十全な状態で鑑賞出来る環境を用意するか、
そのことに心を砕く方が、
より正しい道のようにも思えます。

仏様は勿論、
ほの暗い堂内で、
蝋燭の明かりの揺らめきの中に、
拝観させて頂くのが、
一番良いに決まっているのですが、
火災のリスクを考えれば、
今日昔のようにじゃんじゃん蝋燭を点けるようなことは、
不可能なのは明らかなので、
美術館に近いようなライティングを、
お寺にも持ち込むのも、
1つの考えですし、
蝋燭に近いような照明を用いて、
昔のムードを、
極力再現する方向に進むのも、
もう1つの考えではないかと思います。

昔は仏像は金ぴかだったのだ、
というような意見があります。

確かに金色の仏様が、
ほの暗い中に蝋燭で揺らめく姿は、
本当に神秘的で素晴らしいものです。

こうした風景はしかし、
今では新興宗教の神殿のような場所でしか、
見ることは出来ません。

ただ、
たとえば鎌倉時代には、
仏像のお手本は奈良時代の天平彫刻で、
ルネサンスにおけるギリシャ彫刻のような存在であった訳ですが、
その古びて金箔が剥がれ、
黒ずんだ素地や、
下の木目の浮いたその姿を、
必ずしも全て、
金ぴかに塗りなおし、
修復するようなことはしなかったのです。

そうした修復も一方ではされましたが、
非常に古い仏様に対しては、
その古びた姿そのものに、
美を見るという姿勢も、
同時にあったのです。

ヨーロッパの大聖堂においても、
結構優れた宗教画が、
埃塗れになっていることがありますから、
お金の問題もありますし、
これは日本だけの問題ではないのだと思いますが、
個人的には少なくとも日々の埃などの対策と、
そのライティングには注意を払い、
画集などを見て、
この仏様に対面したい、
という熱い思いを、
踏みにじるようなことはして欲しくはないな、
と切に願います。

今日は仏像についての、
ややマニアックな話題でした。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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コメント 4

今野祥山

明けましておめでとう御座います。
今年もよろしくお願い致します。

彫り手の特権ですが、完成して直ぐに工房の電気を消して窓から注ぐ月光の中に浮かび上がった仏像は素晴らしいものです。
仏様の輪郭が燐光を発して、お顔は何かを語りかけているがごとく微笑、至福の時間を与えてくれます。
この現象は幾つかの条件がそろって初めてめぐり合うことが出来ます。
適度な樹脂が載った尾州桧を使い、よく研げた刀で仕上げられ、冴え渡った空に満月の光が工房の窓から注がれる3日間ほどしか見ることが出来ません。
私自身も年に1,2度しか遭遇できませんが、一番最初にこれを見た時は本当に信じられないほど驚いたものです。
by 今野祥山 (2013-01-06 15:03) 

fujiki

今野祥山さんへ
明けましておめでとうございます。
素敵なお話をありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。
by fujiki (2013-01-06 15:14) 

A・ラファエル

漫画家 永久保貴一氏が現在連載中の修行僧のお話を読んでいると、
仏像はお坊さんといえどみだりに触ることも出来ないことがあるようです。
もしかすると、そのようなことがあって埃も払えない場合があるかもしれません。
by A・ラファエル (2013-01-07 15:11) 

fujiki

A・ラファエルさんへ
コメントありがとうございます。
色々と事情は確かにありそうですね。
by fujiki (2013-01-08 08:10) 

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