「彼女の人生は間違いじゃない」 [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は午前午後ともいつも通りの診療になります。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
ベテランの廣木隆一監督が、
自らの処女小説を映画化した「彼女の人生は間違いじゃない」を、
新宿の武蔵野館で観て来ました。
これは福島原発事故で人生を狂わされた人々の群像劇で、
舞台はいわき市に設定され、
主人公の滝内公美さん演じる20代の女性は、
避難指示区域となったいわき市に隣接する地域に自宅があり、
今はいわき市にある仮設住宅に住んで、
いわき市の市役所の職員として働きながら、
週末は高速深夜バスで東京に出て、
渋谷のデリヘルで働いている、
という設定になっています。
主人公の母親は病死していて、
光石研さん演じる父親は、
農業をしていた土地が避難区域となって戻ることが出来ず、
保証金で毎日パチンコだけをしている、
無為な日々を送っています。
物語は主にこの親子と、
同じ市役所の職員で、
原発の処理に関わる役所の業務に携わっている、
柄本時生さん演じる主人公の同僚の3人を軸にして展開されます。
原作も読みましたが、
映画のあらすじのような感じの薄味の小説で、
小説の方が成立は先ですが、
独立した小説という感じは、
あまりないものになっています。
内容はほぼ原作通りですが、
幾つかの違いはあります。
小説版では主人公の親子と柄本時生さんの役柄との間に、
一定の関係があるのですが、
映画ではその部分をバッサリ切って、
殆どすれ違う程度の独立した筋にしています。
また小説の成立から時間が経っているので、
いわき市を巡る状況などにも変化があり、
それを汲んでカットされている部分も映画にはあります。
主人公の父親が妻の遺品の洋服を、
福島原発近くの海に捨てる場面なども、
原作にはない映画オリジナルの設定です。
映画を観ていると、
何故主人公がデリヘル嬢をしているのかが、
あまり明確ではないのですが、
原作を読む限り、
かつて福島の原発の電気が東京に送られたように、
自分も東京から何かを奪われ奪い返したい、
という思いが根底にはあるようです。
はっきりは語られませんが、
男の性に奉仕する女性に聖性を見るような、
昔の日本映画によくあったテーマが、
沈潜しているようにも思われます。
もうちょっとドロドロした物語にもなりそうなところを、
主人公は結局デリヘルも辞めて、
福島で新たな生活を模索しますし、
父親は過去の自分に一区切りを付けて、
農業の再開に向けて行動を開始しますし、
柄本時生さん演じる若者も、
自分の仕事にやりがいを見出すような感じになりますから、
皆がポジティブな気づきを得て幕が下りるという、
前向きの物語になっています。
もう少し規格外の展開があったり、
切ない抒情のようなものがあっても良いのに、
とは思いますが、
テーマがテーマですから、
あまり遊びは出来なかったのかも知れません。
何と言ってもこの映画の値打ちは、
原発事故後のいわき市周辺の現実が、
しっかりと映像として写し取られていることで、
海から見た福島原発の全景や、
実際にそのすぐ沖合で、
主人公の父親が妻の遺品を捨てる場面が撮影されていたり、
除染の光景や汚染土の積まれた風景、
仮設住宅の様子や避難指示区域の情景などが、
美しく冷徹なキャメラで、
的確に写し取られていて、
多分それこそがこの映画の本質であったように、
個人的には感じました。
描かれたやや月並みな物語は、
言ってみればその背景として成立しているだけなのです。
従って1本の映画として観た時には、
少し彫り込み不足で中途半端な印象があるのですが、
意義のある映画であったことは、
「間違いじゃない」と思いました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は午前午後ともいつも通りの診療になります。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
ベテランの廣木隆一監督が、
自らの処女小説を映画化した「彼女の人生は間違いじゃない」を、
新宿の武蔵野館で観て来ました。
これは福島原発事故で人生を狂わされた人々の群像劇で、
舞台はいわき市に設定され、
主人公の滝内公美さん演じる20代の女性は、
避難指示区域となったいわき市に隣接する地域に自宅があり、
今はいわき市にある仮設住宅に住んで、
いわき市の市役所の職員として働きながら、
週末は高速深夜バスで東京に出て、
渋谷のデリヘルで働いている、
という設定になっています。
主人公の母親は病死していて、
光石研さん演じる父親は、
農業をしていた土地が避難区域となって戻ることが出来ず、
保証金で毎日パチンコだけをしている、
無為な日々を送っています。
物語は主にこの親子と、
同じ市役所の職員で、
原発の処理に関わる役所の業務に携わっている、
柄本時生さん演じる主人公の同僚の3人を軸にして展開されます。
原作も読みましたが、
映画のあらすじのような感じの薄味の小説で、
小説の方が成立は先ですが、
独立した小説という感じは、
あまりないものになっています。
内容はほぼ原作通りですが、
幾つかの違いはあります。
小説版では主人公の親子と柄本時生さんの役柄との間に、
一定の関係があるのですが、
映画ではその部分をバッサリ切って、
殆どすれ違う程度の独立した筋にしています。
また小説の成立から時間が経っているので、
いわき市を巡る状況などにも変化があり、
それを汲んでカットされている部分も映画にはあります。
主人公の父親が妻の遺品の洋服を、
福島原発近くの海に捨てる場面なども、
原作にはない映画オリジナルの設定です。
映画を観ていると、
何故主人公がデリヘル嬢をしているのかが、
あまり明確ではないのですが、
原作を読む限り、
かつて福島の原発の電気が東京に送られたように、
自分も東京から何かを奪われ奪い返したい、
という思いが根底にはあるようです。
はっきりは語られませんが、
男の性に奉仕する女性に聖性を見るような、
昔の日本映画によくあったテーマが、
沈潜しているようにも思われます。
もうちょっとドロドロした物語にもなりそうなところを、
主人公は結局デリヘルも辞めて、
福島で新たな生活を模索しますし、
父親は過去の自分に一区切りを付けて、
農業の再開に向けて行動を開始しますし、
柄本時生さん演じる若者も、
自分の仕事にやりがいを見出すような感じになりますから、
皆がポジティブな気づきを得て幕が下りるという、
前向きの物語になっています。
もう少し規格外の展開があったり、
切ない抒情のようなものがあっても良いのに、
とは思いますが、
テーマがテーマですから、
あまり遊びは出来なかったのかも知れません。
何と言ってもこの映画の値打ちは、
原発事故後のいわき市周辺の現実が、
しっかりと映像として写し取られていることで、
海から見た福島原発の全景や、
実際にそのすぐ沖合で、
主人公の父親が妻の遺品を捨てる場面が撮影されていたり、
除染の光景や汚染土の積まれた風景、
仮設住宅の様子や避難指示区域の情景などが、
美しく冷徹なキャメラで、
的確に写し取られていて、
多分それこそがこの映画の本質であったように、
個人的には感じました。
描かれたやや月並みな物語は、
言ってみればその背景として成立しているだけなのです。
従って1本の映画として観た時には、
少し彫り込み不足で中途半端な印象があるのですが、
意義のある映画であったことは、
「間違いじゃない」と思いました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。