大将軍神像と妖怪ストリート [仏像]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
クリニックは今日まで夏季の休診です。
また奈良と京都に行って来たので、
今日はその話です。
こちらをご覧下さい。
京都は北野天満宮にほど近い場所にある、
大将軍八神社(だいしょうぐんはちじんじゃ)という、
古い神社をお参りして来ました。
その本殿正面の写真です。
京都には六道珍皇寺など、
陰陽道に深い関わりのある場所がありますが、
こちらの神社もその1つで、
そもそもは西暦794年の平安京遷都の年に、
御所の天門の地に大将軍を祀る大将軍堂を開いたのが、
その始まりとされています。
大将軍というのは陰陽道の神様で、
星や方位をつかさどるとされています。
天文学に深い関わりを持つ星の神様です。
要するに仏教や神道とは全くの別物で、
別個の信仰として存在していたのですが、
明治になって陰陽道がはっきり異端とされたので、
多くのこうした信仰は失われ、
そもそもなきもののようにされたのです。
この神社は後付けで聖武天皇と桓武天皇をお祀りし、
辛くも存続することに成功して現在に至っています。
仏像好きとしては、
80体の大将軍神像群が残されていることが極めて貴重で、
元は大将軍堂の中に、
数百体の神像が立体曼荼羅を成していたということなのですが、
規模は小さいにしても宝物館の一室には、
立体曼荼羅が再現されていて、
その凄みと迫力は、
他に日本ではちょっと類のないものだと思います。
こちらをご覧下さい。
宝物館の入り口です。
神像のレプリカが安置されています。
中に入ると一階の殆どのスペースを使って、
80体余りの大将軍神像群が立体曼荼羅を構成していて、
2階には主に天文学関連の古い資料が展示されています。
「天地明察」で有名な江戸時代の天文学者澁川春海が作った、
天球儀の実物などもそこにあります。
こちらをご覧下さい。
内部の撮影は禁止ですので、
こちらは神社のパンフレットにある画像です。
こちらが中央でここから部屋を取り巻くようにして、
80体余りの姿かたちの異なる神像がズラリと並びます。
実際には照明は暗く、
朧に神像が浮かび上がるという感じで、
もっと凄みがあるのです。
次をご覧ください。
5号像とされている、
立体曼荼羅に中心に安置された神像です。
こちらは神社で購入した、
絵葉書の写真になります。
最も完成度が高く、
保存状態も良いものです。
次をご覧下さい。
44号像とされているものです。
西洋の悪魔を思わせるような、
かなり日本の古代彫刻としては特異な造形です。
一連の神像は平安時代から鎌倉時代に掛けて造られているのですが、
こうしたものを見ると、
今残っている仏像や神像は、
長い年月において「正統」とされたもののみで、
実際にはもっと自由自在な多くの仏や神の形が、
人間の手によって造られていたことが推測されます。
大将軍八神社もさることながら、
その周辺の街並みもなかなか個性的です。
こちらをご覧下さい。
周辺の商店街は、
その昔百鬼夜行が通ったらしく、
妖怪ストリートとなっています。
この看板をもう少し引きで見ます。
このように2階からは愛嬌のある妖怪が覗いています。
街を少し歩くとこんなところもあります。
イベントスペースのようですが閉まっていました。
こちらをご覧下さい。
百鬼夜行の資料館があるようなのですが、
そこも閉まっていました。
本来お盆には妖怪ストリートは、
開いていないといけないような気がするのですが、
人間様の都合の方が優先されているのかも知れません。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
クリニックは今日まで夏季の休診です。
また奈良と京都に行って来たので、
今日はその話です。
こちらをご覧下さい。
京都は北野天満宮にほど近い場所にある、
大将軍八神社(だいしょうぐんはちじんじゃ)という、
古い神社をお参りして来ました。
その本殿正面の写真です。
京都には六道珍皇寺など、
陰陽道に深い関わりのある場所がありますが、
こちらの神社もその1つで、
そもそもは西暦794年の平安京遷都の年に、
御所の天門の地に大将軍を祀る大将軍堂を開いたのが、
その始まりとされています。
大将軍というのは陰陽道の神様で、
星や方位をつかさどるとされています。
天文学に深い関わりを持つ星の神様です。
要するに仏教や神道とは全くの別物で、
別個の信仰として存在していたのですが、
明治になって陰陽道がはっきり異端とされたので、
多くのこうした信仰は失われ、
そもそもなきもののようにされたのです。
この神社は後付けで聖武天皇と桓武天皇をお祀りし、
辛くも存続することに成功して現在に至っています。
仏像好きとしては、
80体の大将軍神像群が残されていることが極めて貴重で、
元は大将軍堂の中に、
数百体の神像が立体曼荼羅を成していたということなのですが、
規模は小さいにしても宝物館の一室には、
立体曼荼羅が再現されていて、
その凄みと迫力は、
他に日本ではちょっと類のないものだと思います。
こちらをご覧下さい。
宝物館の入り口です。
神像のレプリカが安置されています。
中に入ると一階の殆どのスペースを使って、
80体余りの大将軍神像群が立体曼荼羅を構成していて、
2階には主に天文学関連の古い資料が展示されています。
「天地明察」で有名な江戸時代の天文学者澁川春海が作った、
天球儀の実物などもそこにあります。
こちらをご覧下さい。
内部の撮影は禁止ですので、
こちらは神社のパンフレットにある画像です。
こちらが中央でここから部屋を取り巻くようにして、
80体余りの姿かたちの異なる神像がズラリと並びます。
実際には照明は暗く、
朧に神像が浮かび上がるという感じで、
もっと凄みがあるのです。
次をご覧ください。
5号像とされている、
立体曼荼羅に中心に安置された神像です。
こちらは神社で購入した、
絵葉書の写真になります。
最も完成度が高く、
保存状態も良いものです。
次をご覧下さい。
44号像とされているものです。
西洋の悪魔を思わせるような、
かなり日本の古代彫刻としては特異な造形です。
一連の神像は平安時代から鎌倉時代に掛けて造られているのですが、
こうしたものを見ると、
今残っている仏像や神像は、
長い年月において「正統」とされたもののみで、
実際にはもっと自由自在な多くの仏や神の形が、
人間の手によって造られていたことが推測されます。
大将軍八神社もさることながら、
その周辺の街並みもなかなか個性的です。
こちらをご覧下さい。
周辺の商店街は、
その昔百鬼夜行が通ったらしく、
妖怪ストリートとなっています。
この看板をもう少し引きで見ます。
このように2階からは愛嬌のある妖怪が覗いています。
街を少し歩くとこんなところもあります。
イベントスペースのようですが閉まっていました。
こちらをご覧下さい。
百鬼夜行の資料館があるようなのですが、
そこも閉まっていました。
本来お盆には妖怪ストリートは、
開いていないといけないような気がするのですが、
人間様の都合の方が優先されているのかも知れません。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。