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松尾スズキ「業音」(2017年再演版) [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前中は石田医師が外来を担当し、
午後は石原が担当する予定です。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
業音.jpg
2002年に荻野目慶子さんの主演で初演された「業音」が、
キャストも新たに今回再演されました。

これはもう素晴らしくて、
現代最高のアングラ女優(筆者認定)である平岩紙さんが、
ほぼ出ずっぱりの熱演というだけで最高ですし、
他のメンバーも大人計画のレジェンドが揃い、
極めて完成度の高い、
松尾スズキの極私的な世界が存分に繰り広げられていました。
時間が許せば毎日通い詰めたいような、
いつまでも観続けていたいような、
そんな至福の2時間でした。

この「業音」は松尾スズキさんが、
大人計画以外にプロデュース公演的に上演していた、
日本総合悲劇協会というユニットの1作で、
初演の2002年は松尾スズキさんと大人計画の人気が沸騰していた反面、
2000年の「キレイ」という、
ある意味松尾さんのそれまでの劇作の、
集大成的な傑作の上演以降、
おそらくはプライベートに生じた問題などもあって、
劇作という意味ではかなり煮詰まっていた時期だと思います。

実際その後1人芝居などの傑作はあっても、
松尾さんの戯曲としてのヒットは、
「キレイ」以降はなく、
純粋に戯曲として傑作と言える作品も、
今のところこの「業音」が最後のように思います。

この作品は草月ホールの初演を観たのですが、
かなりやぶれかぶれの感じがして、
「ヘブンズサイン」辺りの焼き直しの印象があったのと、
最初の「神の存在は是か非か?」という命題が、
結局「答えを聞いたけど歩いている間に忘れてしまった」
という脱力系の結論に至るので、
正直あまり感心はしませんでした。
当時はもっともっと先の世界を見せて欲しい、
という期待があったのだと思います。

ただ、今にして思うと、
この作品は松尾さんの劇作の中で、
最も個人的なギリギリの思いに溢れた、
限界点に近いような私小説的な作品で、
松尾さんが設定は違うものの「松尾スズキ」を演じ、
作中のその人物は死に取り憑かれていて、
超人的で支配的な女性に、
自殺を止めるという形で支配されている、
という物語なので、
それまでの大人計画の芝居とは一線を画した、
当時の松尾さんの遺書のような芝居であったのだと思います。

それを徹底した悪ふざけと猥雑な妄想、
中年男性に時間と共に変貌する老女や、
脳を切り取られ便器と一体化する女性、
自分のコピーを増殖させることが生きがいのゲイの怪人など、
グロテスクで奇怪なキャラクター達、
お騒がせ女優であった荻野目慶子さんを、
本人として出演させ、
自分の愛人役を演じさせるという、
虚実ないまぜの危険極まりない趣向を含めて、
極私的に生と死と演劇を突き詰めた、
怪作として成立させていたのです。

今にしても思うと壮絶な芝居でした。

さて、15年後の再演となった今回ですが、
松尾スズキさんの役柄は本人が演じているものの、
役名は「松尾」ではなく「堂本コウイチ」と変えられています。
皆川猿時さんや伊勢志摩さんも初演と同じ役を演じていますが、
役柄は矢張り架空のものに変更されています。

これはつまり純粋な虚構として、
今回は距離を取って作品を再構成しよう、
ということなのだと思います。

初演の荻野目慶子さんの役は、
今回は平岩紙さんが演じています。

それ以外のキャストも松尾さんが信頼する、
古くからの大人計画のメンバーで固められていて、
ややノスタルジックな感じのする、
非常に豪華で鉄壁な布陣です。

ある意味「最高の大人計画の芝居」を、
今の観客に見せよう、
というのが今回の眼目の1つであったように思われます。

そして、その目的なかなり高いレベルで、
果たされていたのではないかと思いました。

平岩紙さんは世が世であれば白石加代子になっていたのではないか、
とも思えるようなアングラ演技の逸材で、
聖女から狂女、
チンピラ女子高生から不倫するエロチックな人妻、
世界支配を企むSM女王様まで、
あらゆる役柄を変幻自在に演じ分け、
その一方で能面のように完全に表情を殺して、
物体として存在することも出来る技巧の持ち主です。

今回の舞台はある意味彼女のワンマンショーで、
その存在自体の素敵さと、
惚れ惚れとするような演技術には、
女優さんを観る喜びを、
心より堪能することが出来ました。

唯一不満は前回荻野目慶子さんは舞台上でほぼ全裸になったのですが、
平岩さんはラストまでシュミーズ姿のままだったことで、
平岩さんはCMもされていますし、
おそらくはそうした事情によるものなのかな、
と思いました。

基本的な戯曲の構造に変更はありませんが、
台詞は初演よりかなり分かりやすくなり、
現代を意識した細部の変化もあります。
演出も初演とほぼ同じでしたが、
キャストも変わった分、
とてもスタイリッシュで完成度の高いものになっていました。

以下は僕の勝手は推測なので、
そのつもりでお読み頂きたいのですが、
松尾スズキさんは実際にこの作品の初演の頃には、
死に取り憑かれていたのだと思いますし、
それを周囲の人や劇団員などによって、
監視され止められることによって生きていたのではないかと推察します。
そんな生活の中で、
神の存在を哲学的に思考し、
肉体のない精神だけの女性に、
支配されて生かされる自分を、
夢見ていたのではないかと思うのです。

この作品にはその頃の血を吐くような思いが、
吐露されているのだと思いますし、
それがグロテスクで甘美で奇怪な妄想の力を借りて、
唯一無二の演劇として成立している点が、
素晴らしいと思うのです。

是非ご覧ください。
これぞ掛け値なしの「演劇」です。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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