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吉田大八「クヒオ大佐の妻」 [演劇]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は日曜日でクリニックは休診です。
午後から新国立劇場のワーグナーを聴きに行く予定です。
ワーグナーは大好きなのですが、
5時間40分は長いですね。
「指輪」は以前は「ワルキューレ」が一番と思っていましたが、
聴く回数が増えると「ジークフリード」の後半が、
「トリスタンとイゾルデ」のダイジェストのようで、
最近は一番気に入っています。
これはハッピーエンドで終わる、というところがいいのです。
それも男女の愛のハッピーエンド。
勿論連作の1つだからですが、
他のワーグナーはほぼ全てアンハッピーエンドで、
「ニュールンベルグのマイスタージンガー」は、
今ではハッピーエンドとして聴くのは、
つらい演目になってしまったからです。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
クヒオ大佐の妻.jpg
映画監督の吉田大八さんが自ら脚本を書き演出した舞台が、
今池袋のシアターウェストで上演されています。

クヒオ大佐というのは実在の日本人の結婚詐欺師で、
自分はアメリカ空軍のパイロットで、
ハワイ人とイギリスのハーフを名乗っていました。
この男は多くの日本人の女性を、
荒唐無稽な話で騙し逮捕もされましたが、
今でも何処かで平然と詐欺を続けている、
という都市伝説のような話もあります。

この奇々怪々で胸騒ぎのするような実話を、
吉田大八監督は以前映画化しています。

今回の舞台はそのクヒオ大佐の妻を、
宮沢りえさんに演じさせた4人芝居で、
あまり出来が良いとは言えませんが、
今時珍しい脳裏にこびりつくような奇怪なアングラ芝居で、
凝りに凝った美術と演出には見応えがありました。

以下ネタバレを含む感想です。

舞台にはいびつに歪んだ古いアパートの2階が緻密に再現され、
クヒオ大佐の妻を名乗る女性が、
そこで1人洋裁のミシンをガタガタと踏んでいます。

そこに岩井秀人さん演じる得体の知れない宅配便業者が訪れ、
荷物を口実にして、
クヒオ大佐の妻に尋問めいた質問を、
執拗に繰り返してゆきます。

そこにクヒオ大佐を慕う少年や、
クヒオ大佐に騙された若い女性が絡み、
クヒオ大佐自身は舞台には登場しないのに、
彼が象徴する「米軍に支配された世界」が、
屈折したたぎるような熱情として、
舞台を覆ってゆくのです。

ミシンを叩く音が銃声に聞こえてくるようになると、
もう現実の世界は遠のいて、
軍服という存在を仮衣として、
宅配業者はミシンという戦車に跨った軍人に変貌し、
アパートの外では空襲警報が鳴り響きます。
時はアメリカによるイラクの空爆で、
クヒオ大佐というただの詐欺師の幻影が、
戦時の記憶を呼び込んだようにも思われます。

そして、詮索好きな宅配業者が消えうせた後には、
またミシンの音がガタガタと鳴り響く、
「平和な」日常が訪れるのです。

この作品は構造的には唐先生の芝居に似ています。

軍服をまとった瞬間に時間は遡り変身するのは、
「透明人間」などでもお馴染みの設定ですし、
けたたましいミシンの音が過去の闇を引きずり出すというのは、
かつての名作「ベンガルの虎」を思わせます。
古びたアパートの2階に謎の女がいて、
押入れの中にも異界がある、
という辺りは「秘密の花園」を思わせます。

作品構造自体も、
リアリズムで作られたアパートのセットが異界に変貌する、
という基本プロットであるとか、
主人公が不在のままに物語が進み、
実は繋がりのある謎の闖入者が、
ねちっこく長い掛け合いの果てに、
その正体を現わすという趣向にしても、
唐先生の芝居そのままです。

ただ、台詞が舞台劇のものとしては、
あまりこなれていないのと、
台詞を梃子のようにして物語が高揚するという感じがない点、
クライマックスには結構大仕掛けが用意されているのですが、
その段取りが舞台の緊迫とあまり連動していないので、
せっかくの仕掛けが充分な効果を生んでいない、
という点など、
不満は残りますし、
結局作品の本質的な意図は何処にあったのか、
モヤモヤとして分かりにくい感じはありました。
この辺りのモヤモヤ感は、
タニノクロウさんの作品に近いような印象もありました。

いずれにしても面白いとは言えないですし、
何度も睡魔には襲われたのですが、
今後も目を離せない作家であり演出家であることは確かで、
映画と共に今後の舞台も期待をしたいと思います。
超弩級の傑作が、
今後生まれる可能性は孕んでいると思うからです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

「美しい星」(2017年映画版) [映画]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。

品川神社のお祭りなので、
クリニック周辺には車が入れません。
車でお出でになる方はご注意下さい。

今日は土曜日なので趣味の話題です。

今日はこちら。
美しい星.jpg
吉田大八監督が三島由紀夫の「美しい星」を映画化して、
今封切り公開されています。

これはただ、原案三島由紀夫、
というくらいの感じで、
原作の雰囲気や感触のようなものとは、
全く別物の作品になっています。

三島由紀夫の「美しい星」は氏の作品の中では特異なもので、
氏は基本的にミステリーやSFを子供だましのジャンルとして、
嫌っていたのですが、
この作品はSFと言っても良いような物語になっています。

三島氏は純文学作品と並行して、
女性誌などに娯楽小説を執筆していて、
書き方も内容も両者では変えているのですが、
この「美しい星」は文芸誌への発表ですが、
娯楽性や通俗性にも富んでいて、
その中間くらいに位置するように思います。

勿論三島氏は日本を代表する文豪の1人ですが、
非常に完成度の高い耽美的で理知的な作品のある一方で、
「おやおやこれは…」と絶句するような珍妙な作品もまた書いていて、
この「美しい星」も、
とても面白く魅力的でリーダビリティの高い作品である一方、
真面目に書いたことが疑われるような、
かなり珍妙な部分もある作品となっています。

この作品は極めて俗物揃いの「宇宙人」が、
人類の未来(もしくは末路)について、
互いに口汚い罵り合いをする話ですが、
その一方で美しい詩的な部分もあります。
詩的で耽美的な表現と共に、
古都金沢の描写であるとか、
能の「道成寺」の描写であるとか、
美しいからこそ滅ぼすという美意識であるとか、
そうした三島イズムのようなものも横溢しているのですが、
映画版にはそうしたムードや美意識のようなものは、
ほぼ皆無という状態になっています。

反面原作の珍妙な部分はその多くが取り入れられていて、
気恥ずかしくなるような描写も多くあります。
そんな訳でこの映画は、
とても三島由紀夫原作と言うのは憚られますし、
三島氏が生きていたら、
絶対にこのような映画化は許さなかっただろう、
ということはほぼ間違いがないように思います。

ただ、僕は必ずもこの映画を否定するつもりはありません。

風変りで奇妙で、
ひと昔前の日本映画のような古めかしい感じがあり、
三島文学を冒涜しているとは思うのですが、
捨ておけないような、
魅力のある映画でもあるからです。

作品は自分たちが宇宙人であることに、
ある時別々に覚醒してしまった家族が、
それぞれの方法で地球を救済しようとして失敗するという物語で、
そこには知識人というものは、
自分を人間より一段高い存在のように考えている、
という揶揄があるのです。
今のように大衆の多くが、
自分を他人より優越した存在と考えて、
上から目線で評論家然として世界を語る世の中では、
その皮肉はよりリアルに感じられるように思います。

この映画は昭和30年代を舞台とした原作を、
現代に置き換えて改変しています。
原作では当時一番深刻な問題であった、
核戦争による人類の滅亡が、
主な議論の対象となり、
人間の目を覚まさせ、
核戦争の危機を回避しようとする「善い宇宙人」と、
むしろ人間は滅んだ方が良いので、
積極的に後押しをして核戦争を起こしたり、
人間を虐殺しようとする「悪い宇宙人」とが、
互いの主張を「言葉」で口汚く罵り合う、
という構成になっているのですが、
今回の映画ではそれは核戦争ではなく、
地球温暖化の危機という設定になっていて、
主人公は自分が火星人であることに目覚めた、
お天気キャスターのおじさん、
ということになっています。

この改変がどうも個人的には釈然としません。

世界が核戦争によって破滅する未来は、
まだ決して遠のいたようには思えず、
ややその様相は変えながらも、
現代の危機としての重みは、
決して軽くなってはいないと思います。
それに比較しての地球温暖化というのは、
勿論これも重要な地球規模の危機ではありますが、
全否定するような見解も根強くあり、
テーマとしては弱いと感じました。

総じて、
一家の母親がマルチ商法に引っかかったり、
お天気キャスターや、
新党結成を目論む若手政治家など、
今回の映画が「現在」として捉えている世界は、
どうも全てが周回遅れのような古めかしさで、
それが意図的なものなのかどうかは、
何とも言えないのですが、
その点があまり納得がいきませんでした。

ただ、原作にもある肌がぞわぞわするような奇妙な感じと言うか、
高尚な野暮ったさと言うか、
そうした不思議な雰囲気は、
映画にも濃厚に漂っていて、
ラストの不思議な余韻や登場人物の演技の面白さと含めて、
奇妙で胸騒ぎのするような映画にはなっていたと思います。

全ての方にお勧めとは言えませんが、
出来れば旧仮名遣いの原作を読まれた上で、
鑑賞されることをお勧めします。
原作は矢張り力があって、
僕のようなものでも、
読了後は少し思索的になってしまいました。

吉田大八監督の次作は「羊の木」で、
これはもう原作も極め付きの怪作ですから、
とても楽しみにして待ちたいと思います。
吉田監督は同世代ですし、
相当得体の知れないところがあるので当面目が離せません。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

蜂窩織炎に対する抗生物質の選択について [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は金曜日でクリニックは休診ですが、
老人ホームの診療などには廻る予定です。

それでは今日の話題です。

今日はこちら。
蜂窩織炎に対する抗生物質の選択.jpg
今年のJAMA誌に掲載された、
一般的な皮膚の感染症に対する、
抗生物質の選択についての論文です。

蜂窩織炎(Cellulitis)というのは、
皮膚に付いた傷などをきっかけにして、
皮膚が赤く腫れあがって痛みを伴うような状態で、
主に細菌による皮膚の化膿性の炎症です。
細菌感染に伴う炎症が、
真皮から皮下の脂肪組織まで広がった状態と考えられています。

この病気は細菌感染症なので、
その治療には抗生物質が使用されます。

通常こうした細菌感染で最も原因菌としての頻度が高いのは、
β溶連菌というタイプの細菌と考えられています。
そのため、
現行のアメリカ感染症学会のガイドランにおいては、
β溶連菌のみに抗菌力を持つ抗生物質の使用を推奨しています。

その一方で、
抗生物質の耐性菌であるMRSAが、
最近のアメリカの皮膚感染症の原因としては最も多くなっている、
という報告もあります。

ただ、実際に蜂窩織炎の原因菌として、
どの程度MRSAが影響をしているか、
というような点については、
明確ではありません。
蜂窩織炎を起こしている皮膚などの細菌培養を行なっても、
培養されている菌が実際に炎症の原因であるかどうかは、
判断が非常に難しいからです。

そして、MRSAが増加している、
という先入観があるためか、
実臨床においては、蜂窩織炎に対して、
MRSAに有効な抗生物質を、
使用する医師が増加している、
という傾向があるようです。

それでは、
通常のガイドライン通りの治療と比較して、
MRSAを原因として想定した治療は、
蜂窩織炎の予後を改善するのでしょうか?

その点を検証する目的で今回の研究では、
アメリカの5つの救急医療機関において、
膿瘍の形成を伴うなどの合併症はなく、
12歳を超える年齢の蜂窩織炎の患者さん、
トータル500名を、
本人にも主治医にも分からないようにクジ引きで2つの群に分け、
一方は標準治療として、
第一世代のセフェム系抗生物質であるセファレキシンを、
1回500ミリグラムで1日4回使用し、
もう一方はそれに加えてMRSAに有効なST合剤を上乗せして、
7日間の治療を行ない、その有効性の違いを検証しています。
勿論偽薬を使用して、
どちらの治療かは判別は出来ないように工夫がされています。

その結果、
各々の群で最期まで治療が継続された事例のみで比較
(per-protocol analysis)すると、
臨床的な治癒は、
セファレキシン単独群の85.5%に認められたのに対して、
セファレキシンとST合剤併用群では83.5%に認められていて、
両群には最初に設定した効果の差は認められませんでした。

一方で、
途中で脱落したような事例も含めて比較
(intention-to-treat amalysis)したところ、
臨床的な治癒はセファレキシン単独群の69.0%に認められたのに対して、
セファレキシンとST合剤併用群では76.2%に認められていて、
その差は7.3%と有意ではないものの、
併用群でやや予後の良い傾向を認めました。

両群の有害事象には差はありませんでした。

今回の結果は微妙なもので、
臨床試験としては当初設定した有効性の指標を満たしていないので、
蜂窩織炎に対する併用療法は、
従来の治療と比較して優れているとは言えないのですが、
より実地の臨床に近い比較を行うと、
有意ではないものの一定の有用性が認められました。

また今後の検証を注視したいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

下記書籍発売中です。
よろしくお願いします。

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医師の年齢と急性期病院の患者の死亡リスクとの関連 [医療のトピック]

こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。

今日は午前午後ともいつも通りの診療になります。

それでは今日の話題です。

今日はこちら。
医師の年齢と死亡リスク.jpg
先月のBritish Medical Journal誌に掲載された、
医師の年齢と患者さんの死亡率を比較した、
ユニークな発想の論文です。
週刊誌や新聞、SNSなどでも取り上げられ、
ちょっとした話題になっています。

ハーバード大学の研究チームによる発表で、
筆頭著者の津川友介先生は、
最近SNSなどでも盛んに発信をされています。

医者も人間ですから、
その技量や瞬時の冷静さや判断力において、
年齢の影響を受けることは間違いがありません。

臨床医の場合、
経験を積むことによって、
患者さんへの対応力が向上する、
所謂「年の功」もある一方で、
体力や記憶力、運動神経などは間違いなく低下し、
自分がトレーニングを受けた時の「常識」に左右されるので、
新しい治療のガイドラインなどに、
対応することが難しい、
というような側面も考えられます。

医師の場合、その仕事内容も多岐に渡っていて、
その全てが年齢に大きく影響をするとは言えません。
ただ、たとえば細かい作業を持続することが必要とされる、
難易度の高い手術や体力を要する手技、
救急での一刻を争う患者さんへの対応などは、
明らかに年齢と共にその能力は低下する、
というように考えられ、
それが診療の結果に影響するという可能性も否定は出来ません。

ただ、自動車の運転などでもそうですが、
スキルがあってそれを常に磨いていれば、
同じ年齢であっても、
運転の技量やその安全性には、
かなりの差があるようにも思います。

それでは、医師の場合はどうなのでしょうか?

当然の疑問でありながら、
あまりそうした研究はこれまで、
それほど行われては来ませんでした。

今回の研究では、
アメリカで65歳以上の年齢の医療制度である、
メディケアのデータを解析し、
救急病院に入院した内科の患者さんの30日間の予後が、
主治医の年齢によりどのように違うかを比較検証しています。

アメリカではホスピタリストという制度があり、
掛かりつけ医が幅広く一般診療を外来で行うように、
病院における入院患者の一次診療を、
幅広く受け持つというコンセプトのようです。
(この辺は詳しくはないので自信がありません。
もし誤りがありましたがご指摘をお願いします)
今回の検証はホスピタリストの技量を判定する、
という意味合いもあるようです。

今回のデータは18854人のホスピタリストの医師による、
736537名の患者さんの事例が対象となっています。

前述の車の運転の例のように、
その医師の経験やその時点の技量を測る物差しとして、
今回は1年に担当した入院患者数が使用されています。
具体的には年件90例未満が患者さんをあまり診ていない医師で、
年間90から200件がまあまあ診ている医師、
そして201年以上が多くの患者さんを診ている医師、
という区分になっています。

その結果…

患者さんの状態などの偏りを補正した結果として、
40歳未満のホスピタリストの医師の診療を受けた患者さんの、
30日間の死亡リスクが10.8%(95%CI;10.7から10.9)であったのに対して、
40から49歳の医師では死亡リスクが11.1%(95%CI;11.1から11.3)、
50から59歳の医師では11.3%(95%CI;11.1から11.5)、
60歳以上の医師では12.1%(95%CI;11.6から12.5)となっていました。

ただ、これを年間の患者さんを診ている数で解析すると、
年間201件以上の患者さんを診ている医師では、
40歳未満の医師の死亡リスクが10.7%で、
60歳以上の医師の死亡リスクも10.9%ですから、
医師の年齢による予後には全く違いがない一方で、
年間90件以下しか患者さんを診ていない医師では、
40歳未満でも死亡リスクは12.7%と高く、
60歳以上では17.0%という最も高い死亡リスクを示しました。

患者さんの再入院や医療コストには、
医師の年齢による明確な違いは見られませんでした。

要するに年齢は上であっても、
患者さんを多く診ている医師では、
あまり患者さんの予後には差はなく、
年齢はこうした医師ではそれほど影響を与えていないのですが、
患者さんをあまり診ていない医師では、
そもそも若くても死亡リスクは高く、
年齢による影響もより大きくなる、
と言う結果です。

上記論文の解説では、
以前は地域の掛かりつけ医が総合診療医として、
患者さんが入院した際には、
病院に出向いて診療を行う、
というような方針が一般的でしたが、
1990年代からホスピスタリストの養成が本格化し、
病院での総合診療を行う医師が主流になった、
というような経緯があるようです。
従って、40歳以下の年齢の医師は、
ホスピタリストとしキャリアを開始しているので、
その知識や経験が豊富なのですが、
60歳以上の医師は、
そうした教育は受けずにホスピタリストにスライドしているので、
その分野での知識が充分ではないのではないか、
というような考察も記載をされています。

この研究は日本でも波紋を呼んでいるようですが、
知識のない一般の方は、
結論だけを見て、
60歳を超えるような医者に掛かると殺される、
というように短絡的に思ってしまうというリスクがあり、
また医師の年齢と技量との関連を測るという意味では、
年間の患者数や30日以内の死亡リスクを指標に使うというのが、
ややラディカルな感じはするのです。
短期間の「死亡」を指標とするのが、
ちょっとインパクトが強すぎますし、
医師の技量を単純に受け持っている患者数で評価するのも、
それもちょっとなあ、と言う気がどうしてもしてしまいます。
他にもっと穏当で妥当な指標はなかったのでしょうか?

論文の考察の後半には次のような件もあります。

同じ病院において、
患者さんが60歳以上の医師に診療を受けるのと比較して、
40歳未満の主治医を持つことにより、
その死亡リスクは11%低下するということになり、
これはスタチンによる心血管疾患の死亡リスクの低下にほぼ一致する。
(つまり年寄りの医者に掛かってスタチンを飲むよりは、
飲まないで若い医者に掛かれば同じこと)
また、年齢が原因で死亡リスクが増加していると仮定すると、
60歳以上の医師にかかって死亡した患者さん77人のうち、
1人は40歳未満の医師にかかれば命が救われた患者だと推計される。

幾ら専門医向けの医学誌の解説とは言え、
こうした冷徹さは如何なものかなあ、
という感じは、どうしても持ってしまうところです。
末端の臨床医の端くれとしては、
絶望的な気分にもなってしまいます。

ただ、こうした研究が必要であること自体は間違いがなく、
今後どのような能力や技術が、
最も年齢の影響を受けるのか、
その場合年齢と医師の配置をどう考えるべきかなど、
患者さんの予後改善を真の目標と考えた時に、
最適の環境作りに向けた取り組みとなれば、
それは患者さんにとっても医師にとっても、
非常にメリットは大きいことなのだと思います。

今後の更なる検証を、
是非期待をしたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。

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