市川海老蔵 第三回自主公演 「ABKAI2015」 [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日2本目の記事は歌舞伎の話題です。
それがこちら。
市川海老蔵の自主公演ABKAI(エビカイ)の、
第三回公演が明日まで、
渋谷のシアターコクーンで上演中です。
これは僕は観るのは今回が初めてです。
今回は新作歌舞伎2本の組み合わせで、
いずれも宮沢章夫さんの戯曲に、
宮本亜門さんが演出に当たり、
海老蔵丈が主演しています。
いずれも日本の昔話をベースにした作品で、
1本目は浦島太郎が下敷きになり、
2本目は桃太郎が下敷きとなっています。
昔話で新作歌舞伎、と言われると、
何か気恥ずかしい感じもあり、
他に素材がなかったのかしら、という思いも湧くのですが、
実際に舞台を観ると、
それなりの工夫があり、
また単なる昔話のなぞりにはならない趣向もあるので、
矢張り他に何かなかったのか、
という不満はあるのですが、
楽しめる舞台には仕上がっていたと思います。
以下ネタバレを含む感想です。
最初の浦島太郎は、
海老蔵が凶悪な妖怪のような乙姫を演じ、
鏡花の「天守物語」を書き替えたような趣向です。
玉三郎のような役は海老蔵では無理だと思うのですが、
無理を承知でやってみたかったのだと思います。
外連味のある怪演で対する浦島太郎の右近が、
本物の芝居だったので、
微妙なバランスで、
何とか解体せずに踏み止まった、
と言う感じの舞台でした。
2番目の桃太郎は、
碇知盛のような岩山の鬼が島のセットを組み、
鬼が島の鬼達の方が主役という、
面白い趣向です。
鬼が島の鬼は、
かつては悪いことをしたのですが、
今は何も悪さはせず、
平和な暮らしを続けています。
しかし、
「過去の過ち」を決して許さない「人間」は、
鬼を成敗すると攻撃を繰り返し、
元々鬼が住んでいた鬼が島さえも、
「人間の領土だ」と主張して立ち退きを求めているのです。
困った鬼達は、
鬼の神様の岩にすがる神頼み派と、
人間と戦おうという好戦派、
人間と無駄でも話し合おうという穏健派などに分かれて、
議論をしますが結論は出ず、
結局攻めて来る人間と、
最後は戦わざるを得なくなります。
これは冴えた書き替えですよね。
ただ、この作品は別に社会派ドラマでも何でもなく、
海老蔵丈が一貫して志向している、
荒事をメインにした元禄歌舞伎の復活です。
最初の鬼達の個性ある登場から、
歌舞伎の香気がふんだんに漂い、
人間との立ち回りがあり、
大音声を上げ、見得を切り、
「白波五人男」をもじった勢揃いがあり、
結局全員が死んでから、
地獄の鬼が死に方を述べる口上が付いて、
最後は踊りで締め括ります。
「白波五人男」自体は、
江戸末期から明治に掛けての作品ですが、
こうした勢揃いの連ねなどの趣向は、
そもそもは元禄歌舞伎のような、
江戸中期の歌舞伎の趣向です。
海老蔵は他の歌舞伎役者とは異なり、
一貫してこの元禄歌舞伎の復活を、
理想としていると僕は理解しています。
元禄歌舞伎というのは、
ストーリーには主眼はなく、
歌舞伎役者の独特の技芸や特に荒事を、
純粋に楽しむのがポイントで、
湿っぽいところの微塵もない、
おおらかで豪快な世界です。
現存している作品では、
「助六」があり、
あのおおらかさと楽しさは、
それ以降、特に幕末のドロドロした物語の世界や、
義太夫狂言の、
筋の入り乱れたごちゃごちゃした世界とは、
同じ歌舞伎でも一線を画するものなのです。
この後半の桃太郎では、
元禄歌舞伎を新作で書き換える、
と言う試みが、
なかなか上手く作品化されていて、
とても楽しい気分で観ることが出来ました。
役者では今回は市川右近が共演していて、
浦島太郎ではタイトルロールを演じ、
鬼が島では海老蔵の赤鬼に対して青鬼を演じるという、
がっぷり四つの競演が楽しめました。
海老蔵の藝については、
色々なことを言われる方がいますが、
その存在自体が江戸歌舞伎のDNAを感じさせる、
稀有の歌舞伎役者あることは間違いがなく、
これからもこの道と定めて、
迷いなく突き進んで欲しいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日2本目の記事は歌舞伎の話題です。
それがこちら。
市川海老蔵の自主公演ABKAI(エビカイ)の、
第三回公演が明日まで、
渋谷のシアターコクーンで上演中です。
これは僕は観るのは今回が初めてです。
今回は新作歌舞伎2本の組み合わせで、
いずれも宮沢章夫さんの戯曲に、
宮本亜門さんが演出に当たり、
海老蔵丈が主演しています。
いずれも日本の昔話をベースにした作品で、
1本目は浦島太郎が下敷きになり、
2本目は桃太郎が下敷きとなっています。
昔話で新作歌舞伎、と言われると、
何か気恥ずかしい感じもあり、
他に素材がなかったのかしら、という思いも湧くのですが、
実際に舞台を観ると、
それなりの工夫があり、
また単なる昔話のなぞりにはならない趣向もあるので、
矢張り他に何かなかったのか、
という不満はあるのですが、
楽しめる舞台には仕上がっていたと思います。
以下ネタバレを含む感想です。
最初の浦島太郎は、
海老蔵が凶悪な妖怪のような乙姫を演じ、
鏡花の「天守物語」を書き替えたような趣向です。
玉三郎のような役は海老蔵では無理だと思うのですが、
無理を承知でやってみたかったのだと思います。
外連味のある怪演で対する浦島太郎の右近が、
本物の芝居だったので、
微妙なバランスで、
何とか解体せずに踏み止まった、
と言う感じの舞台でした。
2番目の桃太郎は、
碇知盛のような岩山の鬼が島のセットを組み、
鬼が島の鬼達の方が主役という、
面白い趣向です。
鬼が島の鬼は、
かつては悪いことをしたのですが、
今は何も悪さはせず、
平和な暮らしを続けています。
しかし、
「過去の過ち」を決して許さない「人間」は、
鬼を成敗すると攻撃を繰り返し、
元々鬼が住んでいた鬼が島さえも、
「人間の領土だ」と主張して立ち退きを求めているのです。
困った鬼達は、
鬼の神様の岩にすがる神頼み派と、
人間と戦おうという好戦派、
人間と無駄でも話し合おうという穏健派などに分かれて、
議論をしますが結論は出ず、
結局攻めて来る人間と、
最後は戦わざるを得なくなります。
これは冴えた書き替えですよね。
ただ、この作品は別に社会派ドラマでも何でもなく、
海老蔵丈が一貫して志向している、
荒事をメインにした元禄歌舞伎の復活です。
最初の鬼達の個性ある登場から、
歌舞伎の香気がふんだんに漂い、
人間との立ち回りがあり、
大音声を上げ、見得を切り、
「白波五人男」をもじった勢揃いがあり、
結局全員が死んでから、
地獄の鬼が死に方を述べる口上が付いて、
最後は踊りで締め括ります。
「白波五人男」自体は、
江戸末期から明治に掛けての作品ですが、
こうした勢揃いの連ねなどの趣向は、
そもそもは元禄歌舞伎のような、
江戸中期の歌舞伎の趣向です。
海老蔵は他の歌舞伎役者とは異なり、
一貫してこの元禄歌舞伎の復活を、
理想としていると僕は理解しています。
元禄歌舞伎というのは、
ストーリーには主眼はなく、
歌舞伎役者の独特の技芸や特に荒事を、
純粋に楽しむのがポイントで、
湿っぽいところの微塵もない、
おおらかで豪快な世界です。
現存している作品では、
「助六」があり、
あのおおらかさと楽しさは、
それ以降、特に幕末のドロドロした物語の世界や、
義太夫狂言の、
筋の入り乱れたごちゃごちゃした世界とは、
同じ歌舞伎でも一線を画するものなのです。
この後半の桃太郎では、
元禄歌舞伎を新作で書き換える、
と言う試みが、
なかなか上手く作品化されていて、
とても楽しい気分で観ることが出来ました。
役者では今回は市川右近が共演していて、
浦島太郎ではタイトルロールを演じ、
鬼が島では海老蔵の赤鬼に対して青鬼を演じるという、
がっぷり四つの競演が楽しめました。
海老蔵の藝については、
色々なことを言われる方がいますが、
その存在自体が江戸歌舞伎のDNAを感じさせる、
稀有の歌舞伎役者あることは間違いがなく、
これからもこの道と定めて、
迷いなく突き進んで欲しいと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2015-06-20 08:09
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提 言
1. BMIが16未満の低栄養状態の人は、
Refeeding syndromeを発症するリスクが高いことを
まず知ること!です。
2. Refeeding syndromeは、積極的な栄養補給の開始後
1~2週間までに発症して、重篤な心肺機能を引き起こし
死に至る可能性が高い症候群ですから、
その発症を予防するためには、カロリー投与は少量から
開始するのが重要です。
by 久松篤子 (2019-07-26 10:12)