古沢良太「趣味の部屋」(2015年パルコ劇場上演版) [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
朝から健診結果の整理などして、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
気鋭の脚本家の古沢良太が書き下ろして、
映画監督の行定勲が演出し、
中井貴一ら演技派のキャストが顔を揃えた、
日本では珍しい本格的な「推理劇」が、
今渋谷のパルコ劇場で上演中です。
2013年の再演ですが、
練り上げられた滅多にないレベルの、
素晴らしい舞台で、
DVDもありますからそれでも良いのですが、
是非一度ご覧頂きたいと思います。
初演は何となく期待が出来ずに行きませんでした。
日本で「推理劇」が成功することなど滅多にないからです。
しかし、今回観て、初演を観なかったことを、
本当に後悔しました。
先入観で芝居を判断してはいけません。
これは日本では稀有の、
本物のオリジナル「推理劇(ミステリー・プレイ)」です。
推理劇というのは、
その名の通り、
ミステリー(推理小説)の世界を舞台化したもので、
その知的な謎解きの妙味を、
ライブで味わおう、というものです。
欧米、特にイギリスでは伝統のあるジャンルで、
多くの名作が上演され、
その一部は映画になり、
また翻訳劇としての上演も行われています。
1人2役や意外な犯人、
錯覚によるトリックや人間入れ替わりなど、
小説では使い古しのシンプルなトリックも、
実際に舞台で演じられることで、
別種の魅力と驚きが現れます。
また、人間がその場で変貌し、
善人であったと思ったキャラが、
殺人者としての正体を見せる瞬間など、
ライブならではの面白みがあり、
また演技者としても遣り甲斐のあるところです。
しかし、紙のミステリーとはまた別箇の技術を要するので、
ミステリー作家が推理劇を書ける、
というものでもありませんし、
プロの劇作家が推理劇を緻密に書くことも、
またハードルが高いのです。
勿論、
有名なミステリー小説を舞台化したからと言って、
それが優れた推理劇になる、
というものでもありません。
ミステリー作家として有名なクリスティの、
「ねずみとり」や「検察側の証人」は、
古典的な良く出来た推理劇の代表で、
今日日本でも上演されるものとしては、
フランスのトマの「罠」や、
「死の罠(デス・トラップ」、
「毒薬と老嬢」、
「探偵(スルース)」などがあります。
また、
その多くが映画化されていて、
ヒッチコックの「ダイヤルMをまわせ」
原作者自身が監修した「スルース」や「デス・トラップ」
キャプラの名作「毒薬と老嬢」、
ワイルダーの傑作「検察側の証人」、
トマの「罠」を元にした、
「生きていた男」などが有名です。
しかし、外国産の推理劇を、
翻訳劇として上演しても、
通常はあまり面白いものにはなりません。
演出は古めかしくせざるを得ませんし、
その多くが古い作品なので、
使用されているトリックなども、
今の観客にはすぐに分かってしまうのです。
アングラや小劇場にも推理劇めいたものはあります。
ただ、その多くは不条理劇としての推理劇なので、
まともに意外な犯人が登場したり、
観客が膝を打つようなトリックが登場することはありません。
要するに、ミステリーファンが観て、
感心するような作品ではありません。
その中では、
竹内銃一郎(何度か改名あり)さんが上演した、
「Z」や「ドッペルゲンガー殺人事件」、
「SF大冗談」などは、
不条理とミステリーのギリギリのラインを縫うような快作で、
まともに事件が解決するものではありませんが、
如何にも小劇場テイストの推理劇として印象に残っています。
ただ、これは極めて例外的で、
多くの劇作家の「ミステリーめいた芝居」は、
極めて杜撰でダラダラして、
ラストで感心するようなことは滅多にない凡作が殆どです。
竹内さん自身も、
その後に書いた「ミステリーめいた芝居」の多くは、
少なくともミステリー的な興趣は全くない凡作でした。
三谷幸喜さんは、
ミステリー・プレイを愛している方だと思いますが、
実作では観客を感心させるような、
正統的な推理劇は、
書いていないと思います。
日本でのオリジナルな台本による推理劇というのは、
かなりハードルが高いジャンルなのです。
そこで今回の作品ですが、
これは本当に稀有のオリジナル推理劇です。
台本を書いたのはプロパーの劇作家ではなく、
芝居も少数書いていますが、
主戦場はテレビドラマと映画の脚本家です。
「キサラギ」や「相棒」、「リーガル・ハイ」など、
ミステリー・マインドのある作品も多く、
舞台劇と映像メディアは、
かなり発想の違う部分があるのですが、
1幕劇的な設定は得意としていることもあって、
今回は緻密で見事な仕上がりの推理劇になっています。
ネタばれは避けたいので、
簡略な記述に留めますが、
妻子もある男達が、
密かにマンションの一室に、
自分達の秘密基地めいた趣味の部屋を作っているのですが、
そこに通っていた1人の男が、
行方不明になったところから、
1人の警官が部屋に入って尋問めいた遣り取りとなり、
物語は二転三転予想外な方向に進みます。
それほど目新しい趣向とは言えないのですが、
4人の男が議論する中で、
状況が次々と変化してゆく経緯が、
さすが「キサラギ」の作者と言う感じで、
極めて巧みに描出されてゆきます。
同じ設定で売れっ子の劇作家が書けば、
絶対にこんな密度にはなりません。
水増しで、変に分り難く、
ダラダラして中途半端な芝居になることが確実なのです。
台本を依頼したのは中井さんだそうですから、
その慧眼には脱帽する思いがします。
僕の想像では、
中井さんは他の多くの売れっ子劇作家と仕事をして、
彼らには緻密な推理劇は書けないと、
見抜いていたのではないか、
という気がします。
そして、その作品を活かしたのが、
行定さんの演出と4人の男優陣の踏ん張りです。
演出は特別なことをするのではないのですが、
35ミリフィルムで画面を切り取る、というようなコンセプトで、
不用意に役者の立ち位置が変わらないのが観易く、
微妙な陰影を付けた照明も、
音響とリンクして場面の雰囲気がさっと変わる感じも、
演劇プロパーの演出家とは、
ちょっと違った視点があるのが面白いのです。
特に最初に川平慈英の台詞から、
場の雰囲気がガラリと変わる当たりは秀逸でした。
キャストは何と言っても、
プロデューサー的な役割も兼ねたと言う、
中井貴一さんの芝居が抜群で、
見事な座長芝居という感じです。
つくづく中井さんは良い役者になったと思いますし、
舞台の作品はそう多くはないのですが、
その選択眼の鋭さと、
自分の見せ方はまさにプロという気がします。
映像でも良いので、
これは是非観て頂きたいと思います。
中井さんの芝居だけで、
充分元が取れる公演だと思いますし、
これだけの演技が、
短いライブとして消えてしまうことを、
本当に残念に思います。
これで終わらず、
是非第二弾も期待したいと思いますし、
こうした優れた成果をきっかけに、
日本でも優れた推理劇が定着することを、
ミステリーと演劇の両方のファンとしては、
強く期待したいと思います。
今日はもう1本演劇の記事があります。
次に続きます。
六号通り診療所の石原です。
朝から健診結果の整理などして、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
気鋭の脚本家の古沢良太が書き下ろして、
映画監督の行定勲が演出し、
中井貴一ら演技派のキャストが顔を揃えた、
日本では珍しい本格的な「推理劇」が、
今渋谷のパルコ劇場で上演中です。
2013年の再演ですが、
練り上げられた滅多にないレベルの、
素晴らしい舞台で、
DVDもありますからそれでも良いのですが、
是非一度ご覧頂きたいと思います。
初演は何となく期待が出来ずに行きませんでした。
日本で「推理劇」が成功することなど滅多にないからです。
しかし、今回観て、初演を観なかったことを、
本当に後悔しました。
先入観で芝居を判断してはいけません。
これは日本では稀有の、
本物のオリジナル「推理劇(ミステリー・プレイ)」です。
推理劇というのは、
その名の通り、
ミステリー(推理小説)の世界を舞台化したもので、
その知的な謎解きの妙味を、
ライブで味わおう、というものです。
欧米、特にイギリスでは伝統のあるジャンルで、
多くの名作が上演され、
その一部は映画になり、
また翻訳劇としての上演も行われています。
1人2役や意外な犯人、
錯覚によるトリックや人間入れ替わりなど、
小説では使い古しのシンプルなトリックも、
実際に舞台で演じられることで、
別種の魅力と驚きが現れます。
また、人間がその場で変貌し、
善人であったと思ったキャラが、
殺人者としての正体を見せる瞬間など、
ライブならではの面白みがあり、
また演技者としても遣り甲斐のあるところです。
しかし、紙のミステリーとはまた別箇の技術を要するので、
ミステリー作家が推理劇を書ける、
というものでもありませんし、
プロの劇作家が推理劇を緻密に書くことも、
またハードルが高いのです。
勿論、
有名なミステリー小説を舞台化したからと言って、
それが優れた推理劇になる、
というものでもありません。
ミステリー作家として有名なクリスティの、
「ねずみとり」や「検察側の証人」は、
古典的な良く出来た推理劇の代表で、
今日日本でも上演されるものとしては、
フランスのトマの「罠」や、
「死の罠(デス・トラップ」、
「毒薬と老嬢」、
「探偵(スルース)」などがあります。
また、
その多くが映画化されていて、
ヒッチコックの「ダイヤルMをまわせ」
原作者自身が監修した「スルース」や「デス・トラップ」
キャプラの名作「毒薬と老嬢」、
ワイルダーの傑作「検察側の証人」、
トマの「罠」を元にした、
「生きていた男」などが有名です。
しかし、外国産の推理劇を、
翻訳劇として上演しても、
通常はあまり面白いものにはなりません。
演出は古めかしくせざるを得ませんし、
その多くが古い作品なので、
使用されているトリックなども、
今の観客にはすぐに分かってしまうのです。
アングラや小劇場にも推理劇めいたものはあります。
ただ、その多くは不条理劇としての推理劇なので、
まともに意外な犯人が登場したり、
観客が膝を打つようなトリックが登場することはありません。
要するに、ミステリーファンが観て、
感心するような作品ではありません。
その中では、
竹内銃一郎(何度か改名あり)さんが上演した、
「Z」や「ドッペルゲンガー殺人事件」、
「SF大冗談」などは、
不条理とミステリーのギリギリのラインを縫うような快作で、
まともに事件が解決するものではありませんが、
如何にも小劇場テイストの推理劇として印象に残っています。
ただ、これは極めて例外的で、
多くの劇作家の「ミステリーめいた芝居」は、
極めて杜撰でダラダラして、
ラストで感心するようなことは滅多にない凡作が殆どです。
竹内さん自身も、
その後に書いた「ミステリーめいた芝居」の多くは、
少なくともミステリー的な興趣は全くない凡作でした。
三谷幸喜さんは、
ミステリー・プレイを愛している方だと思いますが、
実作では観客を感心させるような、
正統的な推理劇は、
書いていないと思います。
日本でのオリジナルな台本による推理劇というのは、
かなりハードルが高いジャンルなのです。
そこで今回の作品ですが、
これは本当に稀有のオリジナル推理劇です。
台本を書いたのはプロパーの劇作家ではなく、
芝居も少数書いていますが、
主戦場はテレビドラマと映画の脚本家です。
「キサラギ」や「相棒」、「リーガル・ハイ」など、
ミステリー・マインドのある作品も多く、
舞台劇と映像メディアは、
かなり発想の違う部分があるのですが、
1幕劇的な設定は得意としていることもあって、
今回は緻密で見事な仕上がりの推理劇になっています。
ネタばれは避けたいので、
簡略な記述に留めますが、
妻子もある男達が、
密かにマンションの一室に、
自分達の秘密基地めいた趣味の部屋を作っているのですが、
そこに通っていた1人の男が、
行方不明になったところから、
1人の警官が部屋に入って尋問めいた遣り取りとなり、
物語は二転三転予想外な方向に進みます。
それほど目新しい趣向とは言えないのですが、
4人の男が議論する中で、
状況が次々と変化してゆく経緯が、
さすが「キサラギ」の作者と言う感じで、
極めて巧みに描出されてゆきます。
同じ設定で売れっ子の劇作家が書けば、
絶対にこんな密度にはなりません。
水増しで、変に分り難く、
ダラダラして中途半端な芝居になることが確実なのです。
台本を依頼したのは中井さんだそうですから、
その慧眼には脱帽する思いがします。
僕の想像では、
中井さんは他の多くの売れっ子劇作家と仕事をして、
彼らには緻密な推理劇は書けないと、
見抜いていたのではないか、
という気がします。
そして、その作品を活かしたのが、
行定さんの演出と4人の男優陣の踏ん張りです。
演出は特別なことをするのではないのですが、
35ミリフィルムで画面を切り取る、というようなコンセプトで、
不用意に役者の立ち位置が変わらないのが観易く、
微妙な陰影を付けた照明も、
音響とリンクして場面の雰囲気がさっと変わる感じも、
演劇プロパーの演出家とは、
ちょっと違った視点があるのが面白いのです。
特に最初に川平慈英の台詞から、
場の雰囲気がガラリと変わる当たりは秀逸でした。
キャストは何と言っても、
プロデューサー的な役割も兼ねたと言う、
中井貴一さんの芝居が抜群で、
見事な座長芝居という感じです。
つくづく中井さんは良い役者になったと思いますし、
舞台の作品はそう多くはないのですが、
その選択眼の鋭さと、
自分の見せ方はまさにプロという気がします。
映像でも良いので、
これは是非観て頂きたいと思います。
中井さんの芝居だけで、
充分元が取れる公演だと思いますし、
これだけの演技が、
短いライブとして消えてしまうことを、
本当に残念に思います。
これで終わらず、
是非第二弾も期待したいと思いますし、
こうした優れた成果をきっかけに、
日本でも優れた推理劇が定着することを、
ミステリーと演劇の両方のファンとしては、
強く期待したいと思います。
今日はもう1本演劇の記事があります。
次に続きます。
2015-03-28 07:55
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