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イキウメ「関数ドミノ」(2014年版) [演劇]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。

雨なので走りには行かず、
今日は1日家にいる予定です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
関数ドミノ.jpg
最近では猿之助のスーパー歌舞伎にも関わるなど、
話題も多い前川知大率いるイキウメが、
その代表作の1つである「関数ドミノ」を改訂の上再演しています。

イキウメとしてはかなり回数の多い上演ですが、
僕の行った日もほぼ満席で、
それほど知名度のある役者さんが出ている訳でもないので、
前川さんへの期待の大きさを窺わせます。

「関数ドミノ」の初演は2005年で、
再演が2009年にあり、
今回が3演目になります。

僕は初演は観ていないのですが、
2009年の再演の舞台はイキウメ初体験で、
その斬新なストーリーとスタイリッシュな演出に、
非常に感銘を受けたことを覚えています。

そんな訳で今回の再演は楽しみだったのですが、
その一方前川さんは再演の度に台本に手を入れ、
それが必ずしも良い結果に結び付いていないことが多いので、
また変な改訂をするのではないかと、
その点に不安を感じていたことも事実です。

結果的にはその不安が、やや的中した感じになりました。

台本は設定やラストの落ちを含めて、
かなり大幅に書き改められ、
衝撃的なラストなど見るべき点もあるのですが、
トータルには前回の上演時の良さが、
かなり失われた結果になったことが残念でした。

以下ネタばれを含む感想です。
かなりの部分まで話を割っていますので、
かならず観劇後にお読み下さい。

奇怪な自動車事故が起こります。
左折したトラックが、
歩道を不注意で渡っていた若者をはねるのですが、
その瞬間トラックは大破し、
助手席に乗っていた運転手の妻が、
意識不明の重症を負いますが、
はねられた筈の若者は無傷のままです。

まるで透明な壁が若者を守ったようなのです。

この自動車事故の目撃者で、
人生において不運続きの中年男は、
事故の瞬間に歩道から「危ない」と声を掛けた、
歩行者の兄が、
一種の超能力で弟を助けたのではないか、
という仮説を提唱します。

彼の仮説によれば、
世の中には「ドミノ」と呼ばれる、
自分が願ったことが実現する、
という体質の人間が一定数存在していて、
ドミノではない大多数の人間は、
ドミノの影響で自分の運命が左右されます。

その中年男は、
世の中のドミノのために、
自分は不幸な目にばかり遭っている、
と主張し、
以前から今回の事故で助かった青年の兄が、
ドミノであることを知っていた、
と言うのです。

その青年の兄は予備校の国語講師なのですが、
彼が教えた生徒は高率に志望校に合格しています。

どう考えてもこじつけとしか思えませんが、
中年男の考えでは、
それは予備校講師が教え子の合格を願ったために、
ドミノの能力で実現したことだと言います。
そして、問題なのは、
そのせいで、本来合格する筈だった別の生徒が不合格になったのであり、
自分の今のみじめな境遇は、
そうしたドミノのせいだと言うのです。

その場に立ち会った他の関係者は、
最初は勿論そんな話は信じないのですが、
中年男の話があまりに確信に満ちているのと、
予備校講師の態度も、
確かに自信満々の感じなので、
中年男のストーカーめいた計画に、
何人かが協力するようになります。

その中にHIV感染者の男がいて、
彼は予備校講師に取り入り、
タイミングを見て自分がHIV感染者であることを明し、
予備校講師に同情してもらうことで、
ドミノの能力を作動させ、
HIVを消してもらおうとします。

結果として、その男の体内から、
HIVは消滅します。

それでは矢張り、予備校講師が「ドミノ」なのでしょうか?

予備校講師は実際には男のHIVが消えることなど、
願ってはいなかったことが明らかになり、
実はドミノに執着し、
ドミノのせいで自分はダメになったと信じていた中年男が、
本当のドミノであったことが明らかになります。

中年男はそうした能力がありながら、
他人を羨み、自分を卑下することしかせず、
自分の能力を活かせなかったことに、
更に言えば自分が不幸なのは、
全て自分の責任であることに愕然として、
自分の消失を望み、
ラスト男が暗転中に消えて物語は終わります。

発想は非常に面白いと思うのです。

意外な人物が超能力者であった、
というラストが、
単なる意外性の仕掛けには終わっておらず、
自分の不幸を他人のせいにしている人間が、
自分の運命が全て自分自身の責任であったことに気付いた時、
どのような行動を取るべきか、
というテーマに収斂されるのが鮮やかです。
現代の人間の心の歪みを考える時、
この自己責任への気付き、
というのは本質的な問い掛けを含んでいるからです。

ただ、2009年の上演では、
本物のドミノを演じたのが中年男ではなく、
大学生くらいの無職の男で、
今時の身勝手でナルシストで他罰的な若者として描かれます。

予備校講師ももう少し若い設定になっていて、
バイトをしながら小説を書いている、
という青年です。
2009年版ではその青年自身が事故の被害者なのですが、
今回はその弟が事故に遭う、
という設定になっています。
若者同士の恋のさや当てめいたやり取りもありました。

ラストは自分がドミノであることを、
自分の恋人から突き付けられた若者が、
どうして良いか分からずに途方に暮れる姿で終わります。

それを今回はモラトリアム的に年を重ねてしまった、
45歳の中年男として描き、
ラストは「自分を消す」という決断をして、
それが実行されるまでが描かれます。

そのどちらが衝撃的で、
どちらがよりテーマを強く切実に、
観客に感じさせるでしょうか?

勿論色々な意見があると思いますが、
個人的には若者の等身大の生活に寄り添った、
2009年版の方がよりラストの衝撃は大きく
主人公が宙ぶらりんのまま取り残されるラストは、
今回の消えて終わりのラストより、
より切実にテーマを感じさせたと思います。

自分勝手で自分の失敗を他人のせいにする人物が、
2009年版では1人であったのを、
今回は中年男と予備校講師の弟という、
2人に分けているのです。
しかし、ドミノであったのは中年男だけ、
という結末なのですから、
これは構成上の失敗ではないでしょうか?

更に今回は演出が疑問です。

2009年版は今回より小さな会場ということもあって、
若者の生態をより等身大な世界として描いていました。
奇を衒わない演出でしたが、
最初の事故の再現の場面などは、
ボードや壁を透明にすることで、
面白い効果を出していました。

一方で今回の演出は、
中央に枠が設けられた正方形の舞台を置き、
その周辺に各登場人物の生活スペースを、
広く配置しています。
具象的な物も配置されているのに、
あちこちで演技が展開され、
どのような場面であるのかが明確でありません。
空間も変に解放感があるので、
作品自体の密室性が希薄になるのが、
一番の問題だと思います。

オープニングでも、
登場人物を横にずらりと並べ、
それぞれフリップを持って自己紹介をさせています。
こんな場面を作る必要が何処にあるのでしょうか?
また、予備校講師の左半身が痙攣様に動いたり、
中年男の首をチックのように動かしたりと、
変な芝居をさせています。

何かを身体で暗示させたい気持ちは、
分からなくはありませんが、
チェルフィッシュみたいなことをするのは、
前川さんの作品には合わないと思います。

この作品のように、
骨格ががっちりと出来ていて、
超自然的な現象が現実を浸食するような構造の物語は、
リアルな芝居を積み重ねていって、
最後になってそれが取り払われるところに妙味があるのです。

今回のように中途半端に抽象的な演出を付けると、
元々の物語の面白みが失われてしまいます。

前作の「片鱗」は力作であっただけに、
再演の作品における、
初演を台無しにするような改変が、
戯曲においても演出においてもなされるのは、
「イキウメ」のファンとしては納得がいかない思いがします。

その意味では今度蜷川幸雄の演出で、
「太陽」が再演されることは、
別種の興味が湧きます。

また絶叫芝居で台詞が聞こえなくなるのはうんざりですが、
極めて具象的な蜷川演出が、
意外に前川さんの世界を、
彼自身の演出よりもよりまっとうに、
具体化してくれるような気がするからです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。

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