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認知症の予防と治療についての補足 [科学検証]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は第4土曜日で、
午後には心療内科の専門外来のある日です。
朝からカルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。

それでは今日の話題です。

今日は認知症の治療についての、
補足的な話です。

まず、今日もちょっと納得のいかない事例の話です。
患者さんは70代の女性です。
脳出血の既往があり、左半身の麻痺がありましたが、
それ以外の症状はありませんでした。
高血圧のため、診療所を定期的に受診されていましたが、
ある時から物忘れが強くなりました。
薬の管理が出来なくなり、
診療所で受診する日にちも、
それがいつであるのか、判然としない状態になりました。
家族の希望により、「認知症の専門医療機関」を受診。
脳血管性の認知症よりも、
アルツハイマー型認知症の要素の方が強い、
との判断で、アリセプト5mgの投与が開始されました。

その後患者さんは施設に入所されましたが、
介護職員に対して、怒鳴りつけたり、
飲んだ薬をすぐに吐き出したりといった言動が強くなり、
介護職員がその旨を専門医に告げると、
「ではアリセプトを増やしてみましょう」
と10mgに増量になりました。

僕は在宅診療の形でその患者さんを診ていたのですが、
10mgになってから、明らかに苛立ちの程度は強くなり、
暴言や暴行の傾向も高まり、
アセチルコリンの脳内での過剰による症状が疑われました。

そのためアリセプトの減量を提案し、
その時点でもう一度専門医を受診してもらいました。

ところが…

専門医の判断はそのままで良い、
とのものでした。
アリセプトの高用量での有効性は保たれており、
攻撃的な言動は認知症の進行によるものであって、
アリセプトの過剰によるものではない、
との判断だったのです。

ただ、患者さんの状態を観察すると、
僕にはどうもそうは思えません。
患者さんの歩行は急速に困難さを増し、
パーキンソニズムが進行しています。
記憶障害は決して高度ではなく、
むしろ自分の意思通りに身体が動いてくれないことへの苛立ち、
自分が望んでいないのに、
介助の手が差し伸べられ、
したくもないことをさせられることへの憤りが、
強く感じられます。

脳のバランスという観点から言えば、
記憶や情動の働きは、
むしろもう少し後退した方が、
彼女の身体に相応しいバランスになるのではないか、
と僕には感じられたのです。

確かに高用量のアリセプトを使用し続けたからこそ、
このように記憶障害が進行せず、
記憶の働きも保たれているのだ、
という言い方は出来ますし、
その観点から言えば、処方は成功なのかも知れません。

しかし、明らかに患者さんは日々苦しんでいて、
その原因の一端は、アリセプトによる、
脳のアセチルコリン系神経の、
過剰な活性化ではないかと思われます。

であるなら、減量して様子を診るような選択肢が、
むしろ望ましいのではないでしょうか。

僕にはどうしても、そう考えられてなりません。

こうした事例は正直枚挙に暇がありません。

抗うつ剤で却って心のバランスを崩し、
うつ状態が不安定に遷延している患者さんがいるのと同じように、
不必要な投薬によって、
却って脳のバランスを崩し、
本来正常な老いの症状であった筈なのに、
部分的な脳の過剰な活性化によって、
情動を抑えられず、苦しんでいる患者さんがいるのではないでしょうか。

たとえばニコチンは、
アリセプトと同じように、
脳内のアセチルコリン系を活性化させる作用があります。
厳密に言うと受容体ごとに作用は異なるので、
完全に同一ではありませんが、
アルツハイマー型認知症の予防効果のあることは、
アリセプトよりむしろ実証的なデータがあります。
喫煙者に認知症が少ないのも、
これも多くのデータが実証する事実です。

ニコチンは依存性がありますが、確かに緊張を解き、
集中力を高めてくれます。
これも喫煙者ならどなたでも実感する事実です。
しかし、長期間使用しても、
確かにニコチン中毒にはなりますが、
吸っていて苛々して、情動的に不安定になり、
他人に危害を加えるようなことは100パーセントありません

しかし、重度の認知症の人が喫煙をしたからといって、
別に認知症が劇的に改善することはないでしょう。
あれば大ニュースになっている筈です。

僕が何を言いたいのかというと、
アルツハイマーの予防には、
タバコからその毒性と依存性とを取り除いたような薬剤が、
一番望ましいのです。
それに比べればアリセプトはもっとリスクの高い薬です。
それを予防的にも、初期治療としても、
重症例の治療にも、
同じように使用するという考え方自体に、
問題があるのではないかと思うのです。
アリセプトにはおそらく、
低下したアセチルコリンを補う、
というメカニズム以外の何かがある筈です。
そうでなければ、時に劇的に効果があったり、
過度の興奮をもたらしたりすることの理屈が合いません。
しかし、問題はそのメカニズムが分かっていないのに、
リスクのある薬を「人体実験」的に使用するのは適切な行為なのか、
ということです。
僕はそれはあまり適切な行為ではないと思います。

ちょっと極端なたとえかも知れませんが、
性欲を強力に刺激する薬があったとしましょう。
初老期の患者さんが精力の減退を感じ、
その薬を飲むことによって若返ったと感じ、
お気持ちも前向きになられたら、
それはそれで良いことかも知れません。
しかし、もう体力は衰え、歩くのもままならない状態であり、
そのこと自体を改善する方法は存在しないのに、
その性欲刺激剤のみを飲み続けたら、
一体どうなるでしょうか。
性欲のみが人工的に過剰に刺激され、
それを満たす方法は存在しないのです。
これは却ってその方の精神をずたずたに切り裂き、
その方を不幸にすることになるのではないでしょうか。
問題はバランスなのです。
何かの数値が低下しているからといって、
バランスを考えずにそれのみを刺激することは、
決して人間を幸福にすることにはならないのではないでしょうか。

心も身体も自然な衰えというのはある筈です。
現代の医療はその境界を見失い、
骨が少し減れば骨粗鬆症の薬、
記憶力が低下すればすぐアリセプトと、
別に万能薬でもなく、
若返りの薬でもなく、
それなりのリスクもあり、
予期せぬ副作用もある薬に対して、
あまりに安易に治療を行なってはいないでしょうか。
もしそれが却って自然な老いを妨害し、
身体や心のバランスを崩しているのだとすれば、
それは既に治療とすら言えないと、
僕は思います。

皆さんはどうお考えになりますか?

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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田舎医者

本日は度々すみません。

またまた以前の文章を目にさせていただき反応してしまいました。認知症専門外来とやらや、認知症の方々の往診なども細々とさせていただいている中で感じることは、薬はつかってみて利益がなさそうなら引っ込める、つかってみて少しでも不安・不満があり利益の方が大きいと感じるなら素直に中止すると言うことです(そのためなのか??何故か西洋薬的な漢方薬の使用が多くなってしまっております)。

脳は本当によくわからないのだなと思わせられることが多く、原因が血管性なのか、変性によるものなのか(いずれも何らかの機序による脳の変化に変わりはないのでしょうが・・・)をわかるまも能力もなく、強い症状の対応に振り回される、または家族の方やご本人の??苦労に寄り添いきれないでいることも多いです。

 薬もしかり、ご家族や周りの対応もしかり状況への対応を仕切れないで徐々に弱りながら経過していくのは頭以外の体でも同じですがそれが生き物としてのヒトの避けられない道だと思われてしまいます。しかしそれがヒトの生き物として生き死んでいく道だと思うと自然そんなものかと受け入れていける気持ち空気になっていくのですが、様々な連携や人同士の関係性がないと現実は支えるのが厳しいなと感じること多いです。
by 田舎医者 (2010-02-04 19:35) 

fujiki

田舎医者さんへ
本当にそうですね。
矢張り「薬を出すためだけの診療」が、
多過ぎるような気はしています。
そうした情報しか、耳に入る機会は少ないですよね。
by fujiki (2010-02-04 23:08) 

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