SSブログ

1994年の初夏の出来事 [フィクション]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は診療所は休みですが、
八王子で健康教室のような催しがあり、
そこで講演を頼まれたので、
これから八王子まで出掛けます。

今日の話は1994年の初夏の頃の出来事です。

僕はその年の春に糖尿病の研究で、
医学博士の学位を取り、
春からは内科の臨床の傍ら、
カルシウムの吸収についての研究を始めていました。

午前中は外来に出たり、
心エコーなどの検査をして、
午後は研究と病棟の業務に追われました。

長野県の松本は蔵の多い街で、
僕のその時の住居は、
蔵を改造した旧家の裏庭にある下宿でした。

蔵は1階と2階とに分かれていて、
僕が借りているのは2階だけです。
賃貸料は確か一月7000円でした。
破格の安さとも言えましたが、
風呂は勿論ありませんし、
流しは1階に共同で、下の住人と一緒に使います。
トイレも共同で、庭の片隅にあるだけです。

大学病院へと続く道路から、
塀と塀とに挟まれた、
人一人斜めになって辛うじて通れるような通路を抜けると、
母屋の庭に出ます。
その中程に和式のトイレがあり、
そこに座って、丁度目の高さにある小さな窓から外を見ると、
庭の向こう、母屋の和室で、囲碁盤に向かって、
何か定石を並べている、もう70代後半と思しき、
大家のご主人の姿が、決まって目に留まりました。

その情景を、僕は今でも不意に思い出すことがあります。
妙に懐かしく、それでいて切なく、
永遠に帰ることのない、
子供の頃の夏の夕暮れと同じ匂いがします。

その年の6月27日は月曜日でした。
僕の所属していた内科の教室では、
毎週月曜日の夜に医局会議があり、
その会議の後で製薬会社の勉強会があります。
医局会議が、確か5時からだったと思います。
それが1時間くらいで終わって、
その後が勉強会です。
製薬会社の担当者が、
医局員の前で薬の説明をして、
医局員の質問を受けます。
何故こんな時間に勉強会をするのかと言えば、
製薬会社が医局員の人数分の、
お弁当を用意してくれるのです。
それを食べてから、
多くの医局員は研究に入ります。

僕はその時「弁当隊長」でした。
製薬会社の担当者と、
予め話し合い、日程を決めると共に、
お弁当の数と種類とを相談するのです。
僕はお弁当の選択がうまいと、
医局員には概ね好評でした。

その日のお弁当が何であったかは、
さすがにもう忘れてしまいましたが、
その日説明された薬の名前はメモが残っています。
薬の名前は「モダシン」。
これは当時発売したばかりの、
注射で使う抗生物質でした。

説明会が終わってから、
僕は病棟に行って、
入院されている患者さんの診察に廻りました。
特に重症の患者さんはなく、
病棟はのんびりとした雰囲気の中にありました。

そののんびりとした雰囲気が、
ちょっと不謹慎な提案に繋がります。
僕が後輩の医局員に声を掛け、
その後輩がナースステーションにいた、
非番の看護婦さん2人に声を掛けて、
4人で街に飲みに行こうという話になりました。
(わざわざ説明するまでもありませんが、
この当時は看護師という名称はありませんでした)

多くの医局員が研究室で遺伝子を抽出したり、
ネズミの息の根を止めたり、培養液を調整したりしている時間に、
僕達4人はこっそり、しかし堂々と、
病院の外に出ました。

蒸し暑い薄曇りの日だったような記憶がありますが、
これは記憶違いだったかも知れません。
でも、雨は降ってはいませんでした。

大学病院からゆっくりと20分程歩くと、
裏町という飲食街に出ます。
そこにある民家風の居酒屋に入り、
2時間ほどそこにいてから、
ほろ酔い気分で外に出ました。
時間はもう11時を廻っていたと思います。

翌日も仕事ですから、それほど遅くなる訳にも行きません。
途中まで病院の方向に向かって、
4人で歩きました。
後輩は1人の看護婦さんのことが好きであるのは、
何となく分かりました。
相手の看護婦さんも、満更ではない様子でした。

それで自然と、その2人が離れる格好になり、
もう1人の看護婦さんと僕とが一緒になりました。
彼女は僕より確か2歳くらい年上で、
まだ独身でした。
背が低く、ちょこちょこと、
ちょっとペンギンみたいな歩き方をします。

そのペンギンの家は松本城の方向で、
僕も何となく途中まで後に続きました。

歩くには心地良い深夜でした。
僕は別にペンギン歩きの彼女と、
付き合っていた訳ではありませんでしたし、
別に彼女の家まで付いて行くつもりもありませんでした。
ただ、道は次第に暗く狭くなって行きましたし、
彼女も「もうここでいいわ」とも言いませんでした。
それで何となく2人は歩き続けたのです。

ある四つ辻に来たところで、
彼女は不意に立ち止まり、
「怖いわ」とポツリと言いました。
「どうしたの?」と僕が言うと、
「あそこで今何か動いたの」
と言って、暗い路地の向こうを指差します。
路地は殆ど闇の中に沈んでいて、
何も僕には不審なものは見えません。

僕も何となく不安な気分になりましたが、
ほろ酔いの気楽さもあって、
先に立って路地を進みました。

結局道には何も不審なものはなく、
そこから少し進んだ場所で、
僕はペンギン歩きの彼女と別れ、
松本城を経由して自分の蔵に帰り、
すぐに泥のような眠りに就きました。

その翌日、1つのニュースが流れました。

原因不明の毒ガスにより、前夜松本市内で7名の死者が出たのです。

その毒ガスの発生地点は、ペンギン歩きの彼女の家の、
すぐ傍だったのです。
勿論彼女は無事でしたが、
後少し時間が遅ければ、
僕も彼女も、事件に遭遇していたかも知れないタイミングでした。

その後ペンギン歩きの彼女とは何度も話はしましたが、
その夜のことには触れませんでした。
ですから、彼女がその夜一体何を見て、
何に怯えたのか、
それが事件と関係のあることだったのかなかったのか、
それも今でも不明のままです。

後に「松本サリン事件」と呼ばれる事件の、
当日のパーソナルな出来事でした。

それではそろそろ出掛けます。

皆さんは良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
nice!(2)  コメント(4)  トラックバック(0) 

nice! 2

コメント 4

さすらいの

私は南木佳士氏の作品が好きで(全著作は読んだ)、底流に流れる人生についての深い洞察に再読するたびに感銘を受けます。今日の先生の文をそれらを彷彿するものがありました。
by さすらいの (2009-07-26 10:19) 

チャッキー

はじめまして。
何かを検索していた時にヒットした事がきっかけで、先生の語り口に惹かれて、いつも読ませてもらっています。

今日の記事で、松本とあったのでついコメントしてしまいました。
私は今年の3月まで信大の学生として松本におり、大学病院の内分泌代謝内科(旧老年科)にもかかっていました。
文面から察するに、先生がいらした科と同じ気がしまして、研究に励んでおられた私の主治医(S先生)と重ねて、記事を読ませて頂きました。

時々難しい内容もありますが、新型インフルエンザの解釈などに、なるほどと感心させられています。
またちょこちょこと読みにきます。
by チャッキー (2009-07-26 16:13) 

fujiki

さすらいのさんへ
コメントありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
by fujiki (2009-07-26 20:16) 

fujiki

チャッキーさんへ
コメントありがとうございます。
最近は殆ど松本に行くことはありません。
懐かしい気もしますし、
ほろ苦い思いもあります。
これからもよろしくお願いします。

by fujiki (2009-07-26 20:20) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0