「検察側の罪人」 [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
雫井脩介さんが2013年に発表した同題のミステリーを、
木村拓哉さんと二宮和也さんの顔合わせで映画化し、
原田眞人監督がメガホンを取った話題作を、
封切りの日に観て来ました。
最初に良いところを言いますと、
メインキャスト2人の演技のぶつかり合いは、
なかなか見応えがありました。
また、シネスコの画面を斜めに切り裂くような、
工夫された映像表現もなかなかでした。
それ以外は…
申し訳ないのですが、
個人的感想としては最悪の部類です。
以下少しネタバレを含む感想になります。
映画は予備知識があってもなくても、
どちらでも変わりのないような代物ですが、
原作はなかなかの社会派ミステリーの力作なので、
是非先に原作を読まれることをお勧めします。
それでは先に進みます。
この映画版は、
おそらくは監督主導の個人プレイのように思いますが、
原作を目茶苦茶に改変して、
原作の世界からは到底容認出来ないような入れごとをしています。
主人公の1人の祖父がインバール作戦の生き残りで、
その祖父の意思を次いで、
日本の軍国主義化を画策する大物政治家を倒すために、
検事としての正義を守ろうと、
結果的に悪にも手を染める、
というようなストーリーが強引にはめ込まれていて、
そのために、結果として、
正義のためには殺人を犯しても許される、
というような意味にも取られかねない内容になってしまっています。
原作には勿論そんな内容はありません。
インバール作戦も出て来ませんし、
正義を歪めた検事の所業は、
司直の手によって最後には裁かれます。
勿論映画には映画の入れごとがあることは構いませんが、
そのために原作のストーリーの自然さが、
大きく損なわれてしまっています。
インバール作戦や日本の軍国化を糾弾したいのであれば、
もっと別の映画で、
正々堂々とテーマにすれば良いのではないでしょうか?
こんなやり方はフェアではないように思います。
ストーリーの改悪はそればかりではなく、
原作ではただのヤクザの便利屋であった松重豊さんの役を、
ダークな秘密組織みたいにして、
芦名星さんが声を失った殺し屋を演じるという、
訳の分からないおまけまで付いています。
原作では生き残る犯人を、
超法規的に殺すという映画版の趣向は、
原作のテーマを根底から踏みにじるような性質のものです。
法による正義の限界を描いた作品である筈なのに、
暗黒組織が代わりに殺してお終いでは、
あまりに原作無視のあり方ではないでしょうか。
原作では検事の完全犯罪に、
刑事コロンボ的な面白みがあったのですが、
映画は原作ではただの事務官であった吉高由里子さんの役を、
わざわざ2年ごして潜入したジャーナリストにして、
最初からほぼ事件の全貌を、
知っているような趣向にしているので、
ミステリーとしての面白みが殆どなくなってしまっています。
原作の後半は公判整理を巡る攻防が読みどころなのですが、
他の場面に尺を使っているために、
検事の話なのに公判に関わるシーンは全くない、
という何か珍妙な結果になっています。
山崎努さんの役は大物人権派弁護士で、
彼が後半登場することで公判の流れが変わるのですが、
映画ではそのくだりが完全に抹消されているので、
祝賀会でのみ登場するのが、
極めて不可解な結果となっています。
容疑者が無罪になるきっかけは、
共犯者が自首したため、
という身も蓋もない段取りになっています。
検事の犯罪が暴かれるという段取りもなく、
要するに原作のミステリーの要素はほぼ排除され、
代わりに監督の趣味の世界が展開されているのです。
それ以外にも大駱駝艦の舞踏手まで使って、
繰り出される意味不明の珍妙なダンスは、
一体何の冗談でしょうか?
舞踏好きとしては噴飯ものです。
犯人の変なタップダンスは何ですか?
どうして皆で作品の格を下げたいのか、
訳が分かりません。
おそらくは色々な思惑が錯綜して、
こうした珍妙な作品になったのだと思いますが、
編集次第で、
もっと正攻法の社会派ミステリードラマの力作に、
なった映像素材であると思うので、
こんな結果になったのは本当に残念でなりません。
この監督の作品は、
多分一生観ることはないと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
雫井脩介さんが2013年に発表した同題のミステリーを、
木村拓哉さんと二宮和也さんの顔合わせで映画化し、
原田眞人監督がメガホンを取った話題作を、
封切りの日に観て来ました。
最初に良いところを言いますと、
メインキャスト2人の演技のぶつかり合いは、
なかなか見応えがありました。
また、シネスコの画面を斜めに切り裂くような、
工夫された映像表現もなかなかでした。
それ以外は…
申し訳ないのですが、
個人的感想としては最悪の部類です。
以下少しネタバレを含む感想になります。
映画は予備知識があってもなくても、
どちらでも変わりのないような代物ですが、
原作はなかなかの社会派ミステリーの力作なので、
是非先に原作を読まれることをお勧めします。
それでは先に進みます。
この映画版は、
おそらくは監督主導の個人プレイのように思いますが、
原作を目茶苦茶に改変して、
原作の世界からは到底容認出来ないような入れごとをしています。
主人公の1人の祖父がインバール作戦の生き残りで、
その祖父の意思を次いで、
日本の軍国主義化を画策する大物政治家を倒すために、
検事としての正義を守ろうと、
結果的に悪にも手を染める、
というようなストーリーが強引にはめ込まれていて、
そのために、結果として、
正義のためには殺人を犯しても許される、
というような意味にも取られかねない内容になってしまっています。
原作には勿論そんな内容はありません。
インバール作戦も出て来ませんし、
正義を歪めた検事の所業は、
司直の手によって最後には裁かれます。
勿論映画には映画の入れごとがあることは構いませんが、
そのために原作のストーリーの自然さが、
大きく損なわれてしまっています。
インバール作戦や日本の軍国化を糾弾したいのであれば、
もっと別の映画で、
正々堂々とテーマにすれば良いのではないでしょうか?
こんなやり方はフェアではないように思います。
ストーリーの改悪はそればかりではなく、
原作ではただのヤクザの便利屋であった松重豊さんの役を、
ダークな秘密組織みたいにして、
芦名星さんが声を失った殺し屋を演じるという、
訳の分からないおまけまで付いています。
原作では生き残る犯人を、
超法規的に殺すという映画版の趣向は、
原作のテーマを根底から踏みにじるような性質のものです。
法による正義の限界を描いた作品である筈なのに、
暗黒組織が代わりに殺してお終いでは、
あまりに原作無視のあり方ではないでしょうか。
原作では検事の完全犯罪に、
刑事コロンボ的な面白みがあったのですが、
映画は原作ではただの事務官であった吉高由里子さんの役を、
わざわざ2年ごして潜入したジャーナリストにして、
最初からほぼ事件の全貌を、
知っているような趣向にしているので、
ミステリーとしての面白みが殆どなくなってしまっています。
原作の後半は公判整理を巡る攻防が読みどころなのですが、
他の場面に尺を使っているために、
検事の話なのに公判に関わるシーンは全くない、
という何か珍妙な結果になっています。
山崎努さんの役は大物人権派弁護士で、
彼が後半登場することで公判の流れが変わるのですが、
映画ではそのくだりが完全に抹消されているので、
祝賀会でのみ登場するのが、
極めて不可解な結果となっています。
容疑者が無罪になるきっかけは、
共犯者が自首したため、
という身も蓋もない段取りになっています。
検事の犯罪が暴かれるという段取りもなく、
要するに原作のミステリーの要素はほぼ排除され、
代わりに監督の趣味の世界が展開されているのです。
それ以外にも大駱駝艦の舞踏手まで使って、
繰り出される意味不明の珍妙なダンスは、
一体何の冗談でしょうか?
舞踏好きとしては噴飯ものです。
犯人の変なタップダンスは何ですか?
どうして皆で作品の格を下げたいのか、
訳が分かりません。
おそらくは色々な思惑が錯綜して、
こうした珍妙な作品になったのだと思いますが、
編集次第で、
もっと正攻法の社会派ミステリードラマの力作に、
なった映像素材であると思うので、
こんな結果になったのは本当に残念でなりません。
この監督の作品は、
多分一生観ることはないと思います。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。