「卒業」 [映画]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
1967年のアメリカ映画で、
結婚式場から花嫁をさらうラストが、
あまりにも有名な青春映画です。
これは僕にとっては、
一時期一番好きな映画の1本だったんですよね。
高校生から大学に入ったくらいの時まで。
今は別にそんな風には思えないのですが、
昔を思い出して何かほろ苦い気分にはなります。
これね、最初に観たのが高校生の時かな。
京橋のテアトル東京でリバイバル上映があったんですね。
当時の洋画のロードショーは、
ビデオもDVDもネット配信もなかったので、
2から3割は旧作のリバイバルだったんですよね。
高校生の時には僕的には一番映画にのめり込んでいて、
映画史上の名作と呼ばれるものを、
全て観尽くしてやろう、
くらいの気分でいたのですが、
なかなか旧作はやってくれないのです。
だから、念願の作品を観ることが出来た、
というような時には、
観られた、というだけでもう感動するんですね。
映画自体の出来は二の次で、
「観ることが出来て良かった!」という気分に満たされるのです。
当時はまたテレビでね、
「映画の名シーン100」みたいな番組を、
ゴールデンタイムのスペシャルでやっていたんですよね。
ただ、映画の場面をランキング形式で流すだけの、
何の工夫もない番組なのですが、
そこで「感動のラストベスト10」みたいな時には、
必ずこの「卒業」の、
結婚式から花嫁を連れ出すところを流すんですね。
観たいなあ、と思いながら、
観られないという時間が続いて、
ようやく…という感じでリバイバルがあったので、
これはもう、観る前から感動することは決まっていたようなものなのです。
これね、奥手の青年の筆下ろしものなのですね。
セックスシーンをフィーチャーすれば、
B級ポルノになるようなお話なんですね。
それがレコードのA面とB面みたいに(これ自体レトロな喩えですね)、
途中で夢から覚めるように変換されるのです。
性的な空想の物語が、
現実の恋愛に変換されるのですが、
それがまたラストで現実をちょっと超える、
という感じになる訳です。
この「最後にちょっと超える」という辺りが、
この映画が公開当時多くの観客の心に、
強く響いた理由だと思います。
前半はただの筆下ろし物語なのに、
物憂げな表情のダスティ・ホフマンがいて、
そこにオープニングで「サウンド・オブ・サイレンス」が流れると、
何かちょっと深淵で、不思議な雰囲気が醸成されるでしょ。
当時の僕にとってはそれだけで、
何だろう、青春というものの陰の部分が、
クローズアップされたような気分になりました。
この映画はサイモン&ガーファンクルのこの曲がなければ、
成功しなかったと思います。
ただ、サイモン&ガーファンクル自体も、
この映画がなければそこまでビッグにはならなかったのですね。
両者にとって相互補完的な名曲なのです。
ある意味薄っぺらな物語が、
その謎めいた曲のおかげで、
深淵な何かを感じさせたのだと思います。
世間知らずのインテリ青年が、
社会の仕組みと本物の恋愛を知るまで、
みたいなお話でしょ。
高校生の頃はこの主人公を、
自分に重ね合わせて観ていたんですよね。
今にして思うと、
傲慢というのか恥ずかしい感じがしますが、
青春というのはそうしたものかも知れません。
ネットの感想など見ると、
今の人はこのくらいのお話でも、
倫理的に抵抗を感じるみたいなんですね。
まあ、時代は変わっているということなのだと思います。
そんな訳で今では成立しないようなお話なのかも知れませんが、
僕にとっては一時期この映画が、
間違いなく偏愛の対象ではあったのです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前午後とも石原が外来を担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
1967年のアメリカ映画で、
結婚式場から花嫁をさらうラストが、
あまりにも有名な青春映画です。
これは僕にとっては、
一時期一番好きな映画の1本だったんですよね。
高校生から大学に入ったくらいの時まで。
今は別にそんな風には思えないのですが、
昔を思い出して何かほろ苦い気分にはなります。
これね、最初に観たのが高校生の時かな。
京橋のテアトル東京でリバイバル上映があったんですね。
当時の洋画のロードショーは、
ビデオもDVDもネット配信もなかったので、
2から3割は旧作のリバイバルだったんですよね。
高校生の時には僕的には一番映画にのめり込んでいて、
映画史上の名作と呼ばれるものを、
全て観尽くしてやろう、
くらいの気分でいたのですが、
なかなか旧作はやってくれないのです。
だから、念願の作品を観ることが出来た、
というような時には、
観られた、というだけでもう感動するんですね。
映画自体の出来は二の次で、
「観ることが出来て良かった!」という気分に満たされるのです。
当時はまたテレビでね、
「映画の名シーン100」みたいな番組を、
ゴールデンタイムのスペシャルでやっていたんですよね。
ただ、映画の場面をランキング形式で流すだけの、
何の工夫もない番組なのですが、
そこで「感動のラストベスト10」みたいな時には、
必ずこの「卒業」の、
結婚式から花嫁を連れ出すところを流すんですね。
観たいなあ、と思いながら、
観られないという時間が続いて、
ようやく…という感じでリバイバルがあったので、
これはもう、観る前から感動することは決まっていたようなものなのです。
これね、奥手の青年の筆下ろしものなのですね。
セックスシーンをフィーチャーすれば、
B級ポルノになるようなお話なんですね。
それがレコードのA面とB面みたいに(これ自体レトロな喩えですね)、
途中で夢から覚めるように変換されるのです。
性的な空想の物語が、
現実の恋愛に変換されるのですが、
それがまたラストで現実をちょっと超える、
という感じになる訳です。
この「最後にちょっと超える」という辺りが、
この映画が公開当時多くの観客の心に、
強く響いた理由だと思います。
前半はただの筆下ろし物語なのに、
物憂げな表情のダスティ・ホフマンがいて、
そこにオープニングで「サウンド・オブ・サイレンス」が流れると、
何かちょっと深淵で、不思議な雰囲気が醸成されるでしょ。
当時の僕にとってはそれだけで、
何だろう、青春というものの陰の部分が、
クローズアップされたような気分になりました。
この映画はサイモン&ガーファンクルのこの曲がなければ、
成功しなかったと思います。
ただ、サイモン&ガーファンクル自体も、
この映画がなければそこまでビッグにはならなかったのですね。
両者にとって相互補完的な名曲なのです。
ある意味薄っぺらな物語が、
その謎めいた曲のおかげで、
深淵な何かを感じさせたのだと思います。
世間知らずのインテリ青年が、
社会の仕組みと本物の恋愛を知るまで、
みたいなお話でしょ。
高校生の頃はこの主人公を、
自分に重ね合わせて観ていたんですよね。
今にして思うと、
傲慢というのか恥ずかしい感じがしますが、
青春というのはそうしたものかも知れません。
ネットの感想など見ると、
今の人はこのくらいのお話でも、
倫理的に抵抗を感じるみたいなんですね。
まあ、時代は変わっているということなのだと思います。
そんな訳で今では成立しないようなお話なのかも知れませんが、
僕にとっては一時期この映画が、
間違いなく偏愛の対象ではあったのです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2020-05-16 06:06
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