ままごと「わが星」 [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
朝から紹介状など書いて、
ちょっと悶々として、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
柴幸男さんの作・演出により2009年に初演された、
ままごとの「わが星」が、
2011年の再演に続き、
今三鷹市芸術センター星のホールで、
3演目の舞台として上演されています。
これはままごとの代表作で岸田戯曲賞受賞作ですが、
僕は今回が初見です。
いや、本当に何と言うのか、
心の底から感動して、心が洗われました。
僕のもう擦れたボロボロの感性に、
これほど打ち震えるような感動を覚える心が、
残っていたとは思いませんでした。
小演劇史上に間違いなく永遠に残る大傑作で、
日本の小劇場史の中で、
代表作を10本挙げろと言われても、
この作品をその1つに選ぶことを躊躇しません。
それほどの傑作です。
戯曲そのものも素晴らしく前例のないものですが、
キャストと音楽、演出がまた素晴らしく、
演劇というのは一期一会の部分がありますが、
物凄く奇跡的で、幸福な多くの出会いが合わさった、
真の舞台藝術と言える1本だと思います。
作品傾向としては、
児童劇的なスタンスやラップ語りの趣向などは、
あまり好きではない世界なのですが、
この作品に関しては好き嫌いの問題ではないのです。
演劇ファンであってもそうでなくても、
まさに必見の舞台であり、
これを観ないで終わる人生は、
確実に損失であると断言して憚りません。
ともかくご覧下さい。
90分という凝縮した時間の中で、
舞台上では100億年という時間が無雑作に流れ、
会える筈のなかった少年と少女が、
最後に奇跡的な出会いを果たします。
絶品です。
以下ネタバレを含む感想です。
円形の白い舞台を囲んで客席があり、
8人のキャストは最初は客席に観客として座っています。
それから4秒後に暗転する、
という舞台進行の肉声アナウンスがあり、
ほぼ完全暗転に近い暗転から、
舞台が始まります。
最初に10分間弱で、
壮大でかつ家庭的な物語を、
キャストがリズムを刻み、
ラップのように語りながら、
簡単なダンスを交えて構成して行きます。
それが、太陽系の消滅で一旦終わったところで、
今度は日常の極小の物語としてもう一度演じ直されます。
2人の姉妹と両親、そして祖母からなる家族がいて、
主人公である妹の友達の少女がいて、
それから10万光年も離れたところで、
望遠鏡でその一家をいつも見ている少年と、
その成長した姿の先生がいます。
家族は極小の家族であると共に、
地球や火星という星でもあります。
隣の少女は月です。
少年の望遠鏡の先にある星の光は、
もう既に滅んで消滅した星のものなのですが、
その星(家族の妹のこと)に恋した少年は、
必死で(!)時空を超え、光速(校則)を超え、
消滅する直前の妹、
要するに死ぬ直前の妹に、
最後に極小の団地の蛍光灯の光の下で、
出会うことに成功します。
家族の営みがそのまま星の営みに直結し、
逃れえない終末があって、
しかし、少年は少女に出会うために時空を超えます。
大甘のメロドラマなのですが、
根源的で詩的で、
観るだけで頭の中に広大な宇宙が広がり、
日頃の悩みなどが如何に卑小で愚かなものかを思い知らされます。
何処かキャラメルボックスの舞台を思わせる世界で、
ヴォネガットの「スローターハウス5」を彷彿とさせる部分もあります。
極小と極大が同じものとして反転を繰り返すという趣向は、
遊眠社時代の野田秀樹にも似ています。
時間軸を縦横に横切りながら家族を描く姿勢は、
元ネタの1つであるワイルダーの「わが町」が、
巧みに利用されています。
複雑なリズムと動きの一糸乱れぬ連動は、
維新派を思わせますし、
勿論師匠筋の平田オリザさんから始まる、
家庭劇の趣向も活きています。
2人でリズムのある台詞を交互に語るパートは、
歌舞伎の割台詞を換骨奪胎した趣向です。
演出も円形の舞台を役者が旋回することで、
巧みに時間の流れの速度変化を表現し、
暗転の効果や質感の異なる複数の光源を使用する辺りも繊細で巧みです。
このように、
凝縮された90分に、
これまでの日本の演劇の英知が結集されています。
それが不自然でなく統合され、
掛け値なしの感動に昇華されるのです。
キャストの演技もこの作品に賭ける意気込みが感じられる、
充実した熱演で、
ちょっとケチの付けようがありません。
公演はまだ6月中旬までありますから、
ご興味のある方は是非お出で下さい。
小劇場の英知を結集した珠玉のような作品で、
劇場からお帰りの際には、
心が綺麗にクリーニングされていることをお約束します。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
朝から紹介状など書いて、
ちょっと悶々として、
それから今PCに向かっています。
今日は土曜日なので趣味の話題です。
今日はこちら。
柴幸男さんの作・演出により2009年に初演された、
ままごとの「わが星」が、
2011年の再演に続き、
今三鷹市芸術センター星のホールで、
3演目の舞台として上演されています。
これはままごとの代表作で岸田戯曲賞受賞作ですが、
僕は今回が初見です。
いや、本当に何と言うのか、
心の底から感動して、心が洗われました。
僕のもう擦れたボロボロの感性に、
これほど打ち震えるような感動を覚える心が、
残っていたとは思いませんでした。
小演劇史上に間違いなく永遠に残る大傑作で、
日本の小劇場史の中で、
代表作を10本挙げろと言われても、
この作品をその1つに選ぶことを躊躇しません。
それほどの傑作です。
戯曲そのものも素晴らしく前例のないものですが、
キャストと音楽、演出がまた素晴らしく、
演劇というのは一期一会の部分がありますが、
物凄く奇跡的で、幸福な多くの出会いが合わさった、
真の舞台藝術と言える1本だと思います。
作品傾向としては、
児童劇的なスタンスやラップ語りの趣向などは、
あまり好きではない世界なのですが、
この作品に関しては好き嫌いの問題ではないのです。
演劇ファンであってもそうでなくても、
まさに必見の舞台であり、
これを観ないで終わる人生は、
確実に損失であると断言して憚りません。
ともかくご覧下さい。
90分という凝縮した時間の中で、
舞台上では100億年という時間が無雑作に流れ、
会える筈のなかった少年と少女が、
最後に奇跡的な出会いを果たします。
絶品です。
以下ネタバレを含む感想です。
円形の白い舞台を囲んで客席があり、
8人のキャストは最初は客席に観客として座っています。
それから4秒後に暗転する、
という舞台進行の肉声アナウンスがあり、
ほぼ完全暗転に近い暗転から、
舞台が始まります。
最初に10分間弱で、
壮大でかつ家庭的な物語を、
キャストがリズムを刻み、
ラップのように語りながら、
簡単なダンスを交えて構成して行きます。
それが、太陽系の消滅で一旦終わったところで、
今度は日常の極小の物語としてもう一度演じ直されます。
2人の姉妹と両親、そして祖母からなる家族がいて、
主人公である妹の友達の少女がいて、
それから10万光年も離れたところで、
望遠鏡でその一家をいつも見ている少年と、
その成長した姿の先生がいます。
家族は極小の家族であると共に、
地球や火星という星でもあります。
隣の少女は月です。
少年の望遠鏡の先にある星の光は、
もう既に滅んで消滅した星のものなのですが、
その星(家族の妹のこと)に恋した少年は、
必死で(!)時空を超え、光速(校則)を超え、
消滅する直前の妹、
要するに死ぬ直前の妹に、
最後に極小の団地の蛍光灯の光の下で、
出会うことに成功します。
家族の営みがそのまま星の営みに直結し、
逃れえない終末があって、
しかし、少年は少女に出会うために時空を超えます。
大甘のメロドラマなのですが、
根源的で詩的で、
観るだけで頭の中に広大な宇宙が広がり、
日頃の悩みなどが如何に卑小で愚かなものかを思い知らされます。
何処かキャラメルボックスの舞台を思わせる世界で、
ヴォネガットの「スローターハウス5」を彷彿とさせる部分もあります。
極小と極大が同じものとして反転を繰り返すという趣向は、
遊眠社時代の野田秀樹にも似ています。
時間軸を縦横に横切りながら家族を描く姿勢は、
元ネタの1つであるワイルダーの「わが町」が、
巧みに利用されています。
複雑なリズムと動きの一糸乱れぬ連動は、
維新派を思わせますし、
勿論師匠筋の平田オリザさんから始まる、
家庭劇の趣向も活きています。
2人でリズムのある台詞を交互に語るパートは、
歌舞伎の割台詞を換骨奪胎した趣向です。
演出も円形の舞台を役者が旋回することで、
巧みに時間の流れの速度変化を表現し、
暗転の効果や質感の異なる複数の光源を使用する辺りも繊細で巧みです。
このように、
凝縮された90分に、
これまでの日本の演劇の英知が結集されています。
それが不自然でなく統合され、
掛け値なしの感動に昇華されるのです。
キャストの演技もこの作品に賭ける意気込みが感じられる、
充実した熱演で、
ちょっとケチの付けようがありません。
公演はまだ6月中旬までありますから、
ご興味のある方は是非お出で下さい。
小劇場の英知を結集した珠玉のような作品で、
劇場からお帰りの際には、
心が綺麗にクリーニングされていることをお約束します。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2015-06-06 08:11
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コメント(8)
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家内のおいもアングラ劇団の座長です。
by Silvermac (2015-06-06 08:42)
Silvermacさんへ
差し支えなければ、どちらですか?
by fujiki (2015-06-06 08:47)
紹介状を書かれるときは、悶々ですか。
いろんな先生に安易にしょっちゅう紹介状を書いてもらっているので、反省しています。
御机下派と御侍史派の先生がいらっしゃいますが、先生はどちら派でいらっしゃるのでしょうか。
by ひでほ (2015-06-06 20:20)
聞きづらいので申し訳ありません。
by Silvermac (2015-06-06 22:15)
ひでほさんへ
悶々としたのは他に悩みごとがあるためで、
紹介状を書いたからではありません。
紛らわしい書き方ですいませんでした。
必要な紹介状はどしどし頼んで頂いて、
問題はないと思います。
当然の医師の仕事です。
私は「御机下」とすることが多く、
それは師事していた先生の影響です。
どちらが良いのかは分かりません。
by fujiki (2015-06-06 23:25)
Silvermacさんへ
興味が湧いたものですから、
ご面倒なことに食い付いてしまってすいません。
了解しました。
by fujiki (2015-06-06 23:26)
紹介状を書くのを嫌がる先生もおられます。
患者の立場としては頼みづらいのですが、
「当然の医師の仕事」ときっぱり言ってくださり安心しました。
ありがとうございます。
by たかまき (2015-06-07 19:49)
たかまきさんへ
コメントありがとうございます。
偉そうなことは言えませんし、
頼まれて嫌な顔をすることも、
多分あると思うのですが、
そうした心がけだけは、
常に意識したいとは思っています。
by fujiki (2015-06-08 06:03)