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日本のアングラ(その3) [フィクション]

アングラの生き字引という人がいました。

聞いた話によると、
初期の天井桟敷に在籍していて、
野外劇にも出演し、
演出助手のようなことをしてから、
実家の電気屋を継ぐために長野に戻ったということでした。

それから電気屋の傍らビデオ店を経営し、
当時流通していなかった、
天井桟敷の舞台を撮った、
プライベートフィルムを違法にダビングして売っていました。

それは僕が大学の頃の話で、
まだインターネットもなく、
その情報は世間に広がることはありませんでした。

レンタルビデオすら、
まだ始まったばかりの時期で、
レンタルビデオ店の多くは、
違法にダビングしたテレビなどの録画を、
貸出したり売ったりしていたのです。

演劇に関して言えば、
戯曲そのものも非常に貴重で、
ボロボロの戯曲本を、
皆で廻し読みしているような案配でした。
従って、アングラ最盛期の映像など、
夢のまた夢だったのです。

僕はその映像が物凄く欲しかったのですが、
1本3万円という高額で、
とても下宿生の出せるような金額ではありません。

それでも、欲しくて欲しくてたまらかなかった僕は、
ともかくそのアングラの生き字引に、
お近付きになろうと色々画策をしました。

彼が長野市の素人劇団に、
ちょこちょこ指導のようなことをしていると聞き付けると、
その劇団に入りたくもないのに入って、
アングラの生き字引に会える機会を探りました。

詰まらない芝居をする詰まらない劇団でした。
公務員がメンバーの主体で、
ヒマそうにしているのも嫌でしたし、
役所の伝手で補助金のようなものが出ていて、
プロでもないのに儲かっているというのにもびっくりしました。

入団して半年してようやく、
僕はそのアングラの生き字引に会う機会が訪れました。

それは劇団の打ち上げで、
偉そうな顔をしてその場に現れたアングラの生き字引は、
ただ酒を飲みに来たのが明らかに分かる風情でした。

その劇団には、
アングラの魂はひと欠片もありませんでした。
陳腐で説教臭く、
中途半端に政治家の悪口みたいなものが入っていました。

それなのに、
アングラの生き字引は芝居を褒めていたので、
僕は心底その男を軽蔑する気分になりました。

それから二次会みたいな感じになり、
アングラの生き字引と劇団の演出など主要メンバ-は、
ディープな演劇談義に花を咲かせました。
まあ、彼が天井桟敷時代の話や、
当時の状況劇場との交流の話などして、
それに興味深げに皆が聞き入る、
というような感じだったのです。

僕も酔って、
アングラとは「変容」である、
というようないつもの演説をぶちました。
それからそらんじていた、
唐十郎の「二都物語」のセリフを、
1人で10分くらい大声で語ったりもしました。

気に入ってくれたのかどうかは良く分かりません。

三次会は数人でアングラの生き字引の自宅に行きました。

冬のことで、
炬燵に足を突っ込んで雑魚寝をしました。

ふと見ると、
書棚に天井桟敷のビデオが並んでいて、
その中には僕の一番好きだった、
「疫病流行記」もあります。

早朝でアングラの生き字引もいびきを掻いています。

僕は誘惑に抗い難く、
そのビデオをそっと手に取りました。
もう少しそのまま時間があったら、
こっそり持ち帰っていたかも知れません。

と、「おい」と低い声がして、
振り返ると今までいびきを掻いていた筈の、
アングラの生き字引のギョロリとした目が大きく開いていて、
僕の顔を睨み付けていました。

顔から火が出る思いとはまさにこのことで、
僕はすぐにビデオを炬燵の上に置くと、
そのまま彼の部屋を出て家に戻りました。

別に実際に盗みをしたのではなかったのですが、
彼の前でもの欲しげな様子を見せたことが、
僕には非常に恥ずかしく思え、
その後劇団も辞め、
彼に会うこともなくなりました。

それからしばらく経って、
寺山修司のビデオの上映会が中野であり、
僕は待望の「疫病流行記」のビデオ映像に対面しました。
それはアングラの生き字引が持っていたのと、
同じ映像の完全版である筈でした。

しかし、映像の状態は悪く、
肝心の「大滅亡」の場面や、
民間治療機のディテールなどが、
全く映っていなかったので、
さすがの僕の脳内でも補完出来る情報はなく、
大きな失望を感じることになったのです。

アングラ幻想の1つは、
切なくもこうして打ち破られたのでした。
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