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イキウメ「新しい祝日」 [演劇]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は祝日で診療所は休診です。
朝は施設から呼ばれて、
看取りをして、
今戻って来たところです。

体調が悪いので、
今日も1日静養の予定です。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
イキウメ「新しい祝日」.jpg
前川知大作・演出による、
劇団イキウメの新作「新しい祝日」が、
先日池袋の東京芸術劇場で上演されました。

今年はスーパー歌舞伎の台本を手掛けるなど、
活躍の場を広げる前川知大さんですが、
ホームグラウンドのイキウメの公演は、
作品的には試行錯誤が続いている感じです。

今回の作品は人間の関係性をテーマに、
純然たる抽象的な世界を展開していて、
新傾向と言う感じの意欲作ですが、
理詰めの作品なのでギスギスしていて、
演劇としての自由度が少ないのと、
作品のベースにある価値観のようなものに、
どうしても納得が出来なかったので、
あまり評価は出来ませんでした。

1時間半程度の短い作品でしたが、
それでいてかなり見続けるのには忍耐を要しました。

以下ネタばれを含む感想です。

やや辛口の感想になりますので、
観て良かったと思われた方は、
ご不快に思われたら申し訳ありません。

こうした作品は観る方の心の持ちようによって、
かなりの振り幅で感じ方が変わるものなのだと思います。
敢くまで個人的な感想として、
ご理解頂ければ幸いです。

素舞台に、段ボールに椅子や机などが書かれた、
安っぽい装置が置かれて、
ちょっと抽象的な会社の事務フロアが作られています。

そこで浜田信也扮する主人公の冴えない会社員が、
1人で残業をしています。

と、安井順平扮するピエロの格好をした「道化」が、
机に見立てた段ボールを崩して現れ、
ここは虚構の世界なのだから、
人生をもう一度やり直して、
何が本当に大切なのかを再検証しよう、
というような意味のことを言います。

主人公は裸にされ、
それから「慈悲」や「権威」などと名付けられた、
「役者」によって主人公の人生が最初から再現されます。

そこに道化が介入し、
概ねことなかれで、
集団に合わせて生きようとする主人公を、
挑発して世界の実在を疑わせようとします。

この「生き直し」は、
父母との関係を問い直す乳幼児期から始まり、
小学校でのボールゲームでの友達とのやり取り、
そして学生時代のサークルでの集団行動と続き、
最後は会社での仕事のやり取りにまで進みますが、
再現される仕事は愚劣なもので、
主人公は最後に道化が去り、
解体された会社のセットを、
自分から再度組み上げて、
机に座ったところで幕が下ります。

人生の問い直しは、
主に集団行動の関係性が中心となっていて、
たとえばサークルのパートでは、
準備運動だけを延々と繰り返すサークルが描かれ、
実際に何をするサークルなのかを、
問うことが禁じられている、
という不条理が描かれ、
それに反したサークル員は、
仲間外れにされて自殺します。

人間の関係性の観点から、
今の社会の不条理を批判する、
という趣旨は分かります。

しかし、個人的に評価出来ないのは、
戯曲と作者による演出の方法論が、
テーマを十全に生かすようには機能せず、
ちぐはぐな感じがすることと、
作者の考える現代社会の問題とされるものに、
個人的には全く共感が出来ない、
という点にあります。

まず、戯曲と演出についてですが、
主人公と道化以外のキャストはジャージ姿で、
常に舞台の下に待機していて、
出番があると舞台に上がる、
という趣向になっています。

彼らは具体的な存在ではなく、
抽象的な役割のみの存在なので、
そのことは分かるのですが、
舞台面としては単調で面白みに欠けます。

最初に使用されるセットも、
ただの段ボールだと言うことが、
最初から分かるような作りなので、
それが解体される光景に、
主人公は驚くのですが、
その驚きに観客は共感が出来ません。

理詰めで抽象的な物語を、
シンプルかつ様式的に演出することは、
1つのあり方とは思いますが、
今回の手法は野田秀樹などもしばしば行なっている、
極めて手垢の付いた凡庸な手法なので、
むしろリアルな「お芝居」として造形した方が、
その意図が観客に伝わり易かったのではないか、
と思いました。

もう1つの不満は作品のテーマについてですが、
現代の社会の閉塞感の根源を、
全て過去の因習によるものと考え、
それを打破すれば新しい世界が生まれる、
というような、この作品の価値観は、
僕には極めて視野の狭いもののように思いました。

作品で描かれた会社も学校も家庭も、
全てその存在意義を失い、
揺らいでいるのが現在なのですから、
因習はある意味既に打破されているのです。

問題はそれに代わる人生における活動の価値を、
見い出せずに漂流している状態にこそ、
あるのではないでしょうか?

作品に描かれているのは、
要するに「自分探し」で、
全てがもう崩壊仕掛けた、
この切迫した世界で、
のんびり自分探しをしていると言うのが、
僕にはどうにも見当違いに思えて仕方がなかったのです。

主人公が残業しながら、
ふと自分の人生を振り返るその瞬間にも、
壁を隔てた世界は、
崩壊の危機にさらされているので、
それに全く無関心という感じのあり方には、
素朴に疑問を感じたのです。

世界の全てが段ボールで出来ているのなら良いのですが、
実際にはそれは当たれば血が出て皮膚も裂ける、
硬い金属や凶器の類で出来ているからです。

ただ、これは勿論僕の今の感覚なので、
観る方の立場や考えによって、
自分が生きている世界に対しての、
捉え方も違う筈ですし、
それによって、
作品の捉え方もまた異なるような気がします。

総じて新しいテーマに取り組んだ、
意欲的な作品だと思いますが、
まだまだ練り込みが必要なのではないかと思いますし、
作品の質をむしろ低めるような、
やや見当違いに思える演出には、
大きな疑問を感じました。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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