清水邦夫「火のようにさみしい姉がいて」(蜷川幸雄演出版) [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は祝日で診療所は休診です。
朝からいつものように駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
1978年に初演された清水邦夫の「火のようにさみしい姉がいて」が、
蜷川幸雄の演出で再演され、
シアターコクーンで上演中です。
清水邦夫さんは正直苦手で、
ナルシスティックで不幸な主人公が、
ひさすら饒舌に苦悩するような暗い作品が多く、
主催する木冬社の公演にも何度か行きましたし、
蜷川さんが演出した作品も幾つか観ましたが、
部分的には面白くても、
トータルには重い気分だけが残るような芝居でした。
この「火のようなさみしい姉がいて」は、
清水邦夫さん自身の演出で、
1996年に再演されていて、
蟹江敬三主演のその舞台は観ていますが、
蟹江さんの芝居を観られたことは幸いでしたが、
作品自体は魅力的な題名の割には、
重くじめじめしていて感心しませんでした。
今回の再演では、
清水作品を知り尽くした蜷川幸雄の演出で、
段田安則、宮沢りえ、大竹しのぶという強力なキャストが揃い、
あの作品がどのような違った顔を見せてくれるのかに、
ちょこっと期待をして出掛けました。
結論としてはあまり弾む舞台にはなっていませんでした。
作品自体が暗く、色々と展開は不自然で、
台詞もねちっこいので、
最初は興味を持って観ていても、
段々とうんざりする気分になって来ます。
キャスト陣も特に段田さんがこの役にはミスキャストで、
貧相なオジサンのようにしか見えないので、
作品の世界が立ちあがって来ません。
まだ脇で出た山崎一さんの方が、
上手く演じたのではないかと、
個人的には思いました。
清水邦夫さんの戯曲の主役というのは、
仰々しく芝居掛かったアクの強さと、
ナルシスティックな感じが必須なので、
段田さんの芸質には合わないと思うのです。
その点謎の女に大竹しのぶ、
主人公の妻に宮沢りえというのは、
悪くないキャスティングだと思いますが、
大竹さんはいつも通りのマイペース演技で、
あまり2大女優の対決、という雰囲気にはなりませんでした。
蜷川さんの演出も、
今回はこれと言った見せ場もなく、
繊細さにも欠けていて、
あまり乗った仕事にはならなかったように感じました。
以下ネタばれを含む感想です。
主人公は中年の俳優の男で、
その妻も俳優仲間で「同士」であったのですが、
結婚を機に女優を引退しています。
しかし、俳優の男は仕事に行き詰まっていて、
妻は存在しない子供を妊娠しているという、
妄想を夫と共有しています。
行き詰まった2人は、
休養のために男の故郷の寒村を訪ねるのですが、
たまたま立ち寄った床屋で、
自分の姉や弟を名乗る、
謎めいた人々に捉われ、
最後は俳優が演じた「オセロ」と同じように、
狂気の中で妻を殺してしまいます。
作品はオセロを演じる主人公の楽屋から始まり、
楽屋の鏡が、捨てて来た故郷の床屋の鏡と繋がる、
という趣向になっています。
故郷の床屋に舞台が移ると、
今度は床屋の鏡に、
舞台の楽屋が繋がったり、
主人公の子供時代の、
見世物小屋のミラーハウスの鏡が繋がったりします。
なかなか面白い発想ではあるのですが、
良くも悪くも文学的なので、
実際に舞台で観ると、
2つの舞台装置が移動するだけのような感じになり、
2つの空間が自由に行き来する、
というような感じにはなりません。
古い日本を否定して闘いの場に身を投じた主人公が、
闘いに敗れて逃走し、
故郷に救いと安らぎを求めるのですが、
裏切った故郷から手酷い攻撃を受け、
自滅するという筋立ては、
勿論学生運動の時代を投影したもので、
清水邦夫節全開というところなのですが、
その思いは今ではとても共感の出来るものではなく、
観ていてしんどい思いばかりが募ります。
蜷川さんの演出も、
今回は新味が殆どなく、
幾つかの舞台セットを交錯させたり、
舞台に沢山の鏡を並べたりするのも、
散々これまでにあった趣向ですし、
外の雪が転換の過程で室内にも降ってしまったりと、
細部の詰めにも甘さが目立ちます。
書き割りのSLが背後を高速で走るのが、
ちょっと幻想的で面白かったくらいで、
後は凡庸な出来だったと思います。
宮沢りえさんや大竹しのぶさんが、
見られるだけで満足、というような方を除いては、
あまりお勧めは出来ない舞台のように思いました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は祝日で診療所は休診です。
朝からいつものように駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
1978年に初演された清水邦夫の「火のようにさみしい姉がいて」が、
蜷川幸雄の演出で再演され、
シアターコクーンで上演中です。
清水邦夫さんは正直苦手で、
ナルシスティックで不幸な主人公が、
ひさすら饒舌に苦悩するような暗い作品が多く、
主催する木冬社の公演にも何度か行きましたし、
蜷川さんが演出した作品も幾つか観ましたが、
部分的には面白くても、
トータルには重い気分だけが残るような芝居でした。
この「火のようなさみしい姉がいて」は、
清水邦夫さん自身の演出で、
1996年に再演されていて、
蟹江敬三主演のその舞台は観ていますが、
蟹江さんの芝居を観られたことは幸いでしたが、
作品自体は魅力的な題名の割には、
重くじめじめしていて感心しませんでした。
今回の再演では、
清水作品を知り尽くした蜷川幸雄の演出で、
段田安則、宮沢りえ、大竹しのぶという強力なキャストが揃い、
あの作品がどのような違った顔を見せてくれるのかに、
ちょこっと期待をして出掛けました。
結論としてはあまり弾む舞台にはなっていませんでした。
作品自体が暗く、色々と展開は不自然で、
台詞もねちっこいので、
最初は興味を持って観ていても、
段々とうんざりする気分になって来ます。
キャスト陣も特に段田さんがこの役にはミスキャストで、
貧相なオジサンのようにしか見えないので、
作品の世界が立ちあがって来ません。
まだ脇で出た山崎一さんの方が、
上手く演じたのではないかと、
個人的には思いました。
清水邦夫さんの戯曲の主役というのは、
仰々しく芝居掛かったアクの強さと、
ナルシスティックな感じが必須なので、
段田さんの芸質には合わないと思うのです。
その点謎の女に大竹しのぶ、
主人公の妻に宮沢りえというのは、
悪くないキャスティングだと思いますが、
大竹さんはいつも通りのマイペース演技で、
あまり2大女優の対決、という雰囲気にはなりませんでした。
蜷川さんの演出も、
今回はこれと言った見せ場もなく、
繊細さにも欠けていて、
あまり乗った仕事にはならなかったように感じました。
以下ネタばれを含む感想です。
主人公は中年の俳優の男で、
その妻も俳優仲間で「同士」であったのですが、
結婚を機に女優を引退しています。
しかし、俳優の男は仕事に行き詰まっていて、
妻は存在しない子供を妊娠しているという、
妄想を夫と共有しています。
行き詰まった2人は、
休養のために男の故郷の寒村を訪ねるのですが、
たまたま立ち寄った床屋で、
自分の姉や弟を名乗る、
謎めいた人々に捉われ、
最後は俳優が演じた「オセロ」と同じように、
狂気の中で妻を殺してしまいます。
作品はオセロを演じる主人公の楽屋から始まり、
楽屋の鏡が、捨てて来た故郷の床屋の鏡と繋がる、
という趣向になっています。
故郷の床屋に舞台が移ると、
今度は床屋の鏡に、
舞台の楽屋が繋がったり、
主人公の子供時代の、
見世物小屋のミラーハウスの鏡が繋がったりします。
なかなか面白い発想ではあるのですが、
良くも悪くも文学的なので、
実際に舞台で観ると、
2つの舞台装置が移動するだけのような感じになり、
2つの空間が自由に行き来する、
というような感じにはなりません。
古い日本を否定して闘いの場に身を投じた主人公が、
闘いに敗れて逃走し、
故郷に救いと安らぎを求めるのですが、
裏切った故郷から手酷い攻撃を受け、
自滅するという筋立ては、
勿論学生運動の時代を投影したもので、
清水邦夫節全開というところなのですが、
その思いは今ではとても共感の出来るものではなく、
観ていてしんどい思いばかりが募ります。
蜷川さんの演出も、
今回は新味が殆どなく、
幾つかの舞台セットを交錯させたり、
舞台に沢山の鏡を並べたりするのも、
散々これまでにあった趣向ですし、
外の雪が転換の過程で室内にも降ってしまったりと、
細部の詰めにも甘さが目立ちます。
書き割りのSLが背後を高速で走るのが、
ちょっと幻想的で面白かったくらいで、
後は凡庸な出来だったと思います。
宮沢りえさんや大竹しのぶさんが、
見られるだけで満足、というような方を除いては、
あまりお勧めは出来ない舞台のように思いました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2014-09-15 09:14
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こんにちは。心気症の為、先生にご相談させてもらっている者です。
大変お世話になっております。
9/8頃にメールをお送りしたのですが、お返事は頂けるのでしょうか?
by 心配ママ (2014-09-15 11:11)
心配ママさんへ
本日メールを返送させて頂きました。
by fujiki (2014-09-16 08:34)