イプセン「幽霊」 [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
朝からいつものように、
駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
イプセンの「幽霊」を、
最近翻訳劇の演出で世評の高い森新太郎が演出し、
安蘭けい、忍成修吾らのキャストが揃った舞台が、
渋谷のシアターコクーンで上演中です。
ノルウェーの劇作家イプセンは、
「人形の家」や「民衆の敵」で新劇の古典という、
固く古ぼけたイメージがありましたが、
TPTのアラン・アッカーマン演出の「ヘッタガブラー」の上演などで、
肉食系のかなり異様で衝撃性の強い舞台として、
再評価された歴史があります。
実際代表作の「人形の家」自体、
かなり変態的で異様な作品です。
女性の自立というテーマ自体、
今であればまっとうな呼びかけに感じますが、
当時としてはかなり異様で変態的な行為であり、
主張であったのです。
翻訳劇は最近はしんどい思いがして、
あまり積極的には観る気がしませんし、
ホリプロの企画の舞台というのは、
概ね無理矢理な感じのキャスティングが失敗し、
予算もどうも少ないようで無理が掛かり、
あまり良い作品にならないことが多いので、
躊躇するところがあるのですが、
イプセンの「幽霊」はこれまで実際の舞台では、
観たことがなかったので、
今回はその興味で観劇することにしました。
これは矢張りさすがイプセンという、
極めて見事な戯曲で、
悪趣味で変態的でグロテスクなところも健在です。
主役の安蘭けいさんは、
宝塚調の抜けきれない芝居で、
おやおやという感じでしたが、
それ以外のキャストはまずまずで、
特に忍成さんのねっとりとした芝居は、
イプセンの肉食系の芝居に良く合っていました。
ただ、イプセンが実際の舞台で観られるだけでうれしい、
と思うような方以外には、
娯楽としてお薦め出来るような舞台ではありません。
以下ネタばれがあります。
主人公のアルヴィング夫人は、
ノルウェーの田舎町の名士であったアルヴィング大尉の未亡人で、
亡き夫を記念する孤児院を建設し、
その落成式を控えています。
アルヴィング大尉は放蕩から神経梅毒に侵され、
殆ど廃人のような生活を送っていたのですが、
その秘密は夫人によって秘されています。
夫婦にはオスヴィルという一人息子がいて、
フランスで画家として成功したのですが、
病気になって戻って来ます。
オスヴィルの病は神経梅毒で、
それは父親から母親を介しての感染だったのですが、
オスヴィル本人は、
フランスでの自由な生活が、
その原因だと信じています。
夫人は一度夫を見限って家を出たのですが、
恋人として頼ったマンデルという牧師は、
信仰と社会の秩序を理由に、
彼女の愛を拒絶して家に戻します。
しかし、その牧師は孤児院設立を機に夫人の元に戻って来ます。
アルヴィング大尉は家の召使にも手を付けて、
娘を身ごもり、
そのレギーネと名付けられた娘は成長して、
形としては町の大工のエングストランの娘ということになり、
今は夫人の召使になっています。
オスヴィルが実は異母兄妹のレギーネと愛し合い、
それを夫人が目にするところから、
運命の残酷な歯車が回り始め、
火の不始末で孤児院は燃え尽き、
夫人が真実を語ると、
レギーネはオスヴィルの元を去り、
神経梅毒の発作を起こして、
自分を殺して欲しいと母に頼むオスヴィルの狂乱で、
物語は幕を閉じます。
「人形の家」の次に書かれたこの作品は、
「人形の家」の一種の後日談で、
自立した女として家を出た女性が、
結局は夫の元に戻って、
仮面夫婦を演じるのだけれど…
という趣向になっています。
そこに当時はほぼ不治の病であった神経梅毒と、
近親相姦が絡みます。
救いの欠片もなく、陰惨極まりないドラマですが、
それでいてそう抵抗なく物語に没入出来るのは、
5人の登場人物が全て、
迷いなく1つの意思に突き動かされるように造形されていることで、
ある種の運命的な悲劇として、
距離を置いて観ることの出来るように、
構成されているからかも知れません。
5人だけの登場人物ですが、
それでいてこの複雑なドラマを、
その5人の台詞だけで過不足なく展開させていることに、
イプセンの卓越した技量を見ることが出来ます。
通常もう少し余計な人物を登場させないと、
作品を上手く構成出来ないと思えるところですが、
たとえば牧師に、かつての主人公の愛人としての役割と、
信仰の秩序を代表する役割、
施設の手続きを斡旋する役割などを、
全て担わせることで、
この少人数で見事に不自然さなく、
作品を成立させているのです。
極めて巧緻で見事な作劇です。
また最初から孤児院のイメージを語らせておいて、
縦横に伏線を張って、
破局の始まりである孤児院炎上に持ってゆくところなども、
天才の筆の冴えです。
森新太郎の演出は、
かつてのTPTでのアラン・アッカーマンに近いもので、
シンプルな舞台に奈落を巧みに使い、
3幕劇を幕を下ろすことなく一気に見せます。
衣装を現代に近付けたのも悪くなく、
まああまり面白みはないのですが、
繊細でなかなかの技量だと思います。
キャストは前述のように、
安蘭けいさんは大仰な演技に違和感があり、
ストレートプレイは厳しいように感じました。
忍成修吾さんは予想を越える熱演で、
この役には非常に合っていました。
松岡芙優さんと吉見一豊さんも悪くなく、
ブレーキかと思った阿藤快さんが、
意外に場の空気を変える存在感で悪くなく、
台詞はところどころ危うい感じがありましたが、
作品の質を一段高める好演でした。
こういう作品を、
日本人の作家で観たいな、
というのは常に思います。
松尾スズキさんの「悪霊」というのは、
非常にイプセンに近い世界で、
おそらく部分的には「幽霊」を下敷きにしていると思いますが、
ちょっと廻りくどく余計な台詞や場面が多くて、
出来栄えにはまだかなりの距離があると感じました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は日曜日で診療所は休診です。
朝からいつものように、
駒沢公園まで走りに行って、
それから今PCに向かっています。
休みの日は趣味の話題です。
今日はこちら。
イプセンの「幽霊」を、
最近翻訳劇の演出で世評の高い森新太郎が演出し、
安蘭けい、忍成修吾らのキャストが揃った舞台が、
渋谷のシアターコクーンで上演中です。
ノルウェーの劇作家イプセンは、
「人形の家」や「民衆の敵」で新劇の古典という、
固く古ぼけたイメージがありましたが、
TPTのアラン・アッカーマン演出の「ヘッタガブラー」の上演などで、
肉食系のかなり異様で衝撃性の強い舞台として、
再評価された歴史があります。
実際代表作の「人形の家」自体、
かなり変態的で異様な作品です。
女性の自立というテーマ自体、
今であればまっとうな呼びかけに感じますが、
当時としてはかなり異様で変態的な行為であり、
主張であったのです。
翻訳劇は最近はしんどい思いがして、
あまり積極的には観る気がしませんし、
ホリプロの企画の舞台というのは、
概ね無理矢理な感じのキャスティングが失敗し、
予算もどうも少ないようで無理が掛かり、
あまり良い作品にならないことが多いので、
躊躇するところがあるのですが、
イプセンの「幽霊」はこれまで実際の舞台では、
観たことがなかったので、
今回はその興味で観劇することにしました。
これは矢張りさすがイプセンという、
極めて見事な戯曲で、
悪趣味で変態的でグロテスクなところも健在です。
主役の安蘭けいさんは、
宝塚調の抜けきれない芝居で、
おやおやという感じでしたが、
それ以外のキャストはまずまずで、
特に忍成さんのねっとりとした芝居は、
イプセンの肉食系の芝居に良く合っていました。
ただ、イプセンが実際の舞台で観られるだけでうれしい、
と思うような方以外には、
娯楽としてお薦め出来るような舞台ではありません。
以下ネタばれがあります。
主人公のアルヴィング夫人は、
ノルウェーの田舎町の名士であったアルヴィング大尉の未亡人で、
亡き夫を記念する孤児院を建設し、
その落成式を控えています。
アルヴィング大尉は放蕩から神経梅毒に侵され、
殆ど廃人のような生活を送っていたのですが、
その秘密は夫人によって秘されています。
夫婦にはオスヴィルという一人息子がいて、
フランスで画家として成功したのですが、
病気になって戻って来ます。
オスヴィルの病は神経梅毒で、
それは父親から母親を介しての感染だったのですが、
オスヴィル本人は、
フランスでの自由な生活が、
その原因だと信じています。
夫人は一度夫を見限って家を出たのですが、
恋人として頼ったマンデルという牧師は、
信仰と社会の秩序を理由に、
彼女の愛を拒絶して家に戻します。
しかし、その牧師は孤児院設立を機に夫人の元に戻って来ます。
アルヴィング大尉は家の召使にも手を付けて、
娘を身ごもり、
そのレギーネと名付けられた娘は成長して、
形としては町の大工のエングストランの娘ということになり、
今は夫人の召使になっています。
オスヴィルが実は異母兄妹のレギーネと愛し合い、
それを夫人が目にするところから、
運命の残酷な歯車が回り始め、
火の不始末で孤児院は燃え尽き、
夫人が真実を語ると、
レギーネはオスヴィルの元を去り、
神経梅毒の発作を起こして、
自分を殺して欲しいと母に頼むオスヴィルの狂乱で、
物語は幕を閉じます。
「人形の家」の次に書かれたこの作品は、
「人形の家」の一種の後日談で、
自立した女として家を出た女性が、
結局は夫の元に戻って、
仮面夫婦を演じるのだけれど…
という趣向になっています。
そこに当時はほぼ不治の病であった神経梅毒と、
近親相姦が絡みます。
救いの欠片もなく、陰惨極まりないドラマですが、
それでいてそう抵抗なく物語に没入出来るのは、
5人の登場人物が全て、
迷いなく1つの意思に突き動かされるように造形されていることで、
ある種の運命的な悲劇として、
距離を置いて観ることの出来るように、
構成されているからかも知れません。
5人だけの登場人物ですが、
それでいてこの複雑なドラマを、
その5人の台詞だけで過不足なく展開させていることに、
イプセンの卓越した技量を見ることが出来ます。
通常もう少し余計な人物を登場させないと、
作品を上手く構成出来ないと思えるところですが、
たとえば牧師に、かつての主人公の愛人としての役割と、
信仰の秩序を代表する役割、
施設の手続きを斡旋する役割などを、
全て担わせることで、
この少人数で見事に不自然さなく、
作品を成立させているのです。
極めて巧緻で見事な作劇です。
また最初から孤児院のイメージを語らせておいて、
縦横に伏線を張って、
破局の始まりである孤児院炎上に持ってゆくところなども、
天才の筆の冴えです。
森新太郎の演出は、
かつてのTPTでのアラン・アッカーマンに近いもので、
シンプルな舞台に奈落を巧みに使い、
3幕劇を幕を下ろすことなく一気に見せます。
衣装を現代に近付けたのも悪くなく、
まああまり面白みはないのですが、
繊細でなかなかの技量だと思います。
キャストは前述のように、
安蘭けいさんは大仰な演技に違和感があり、
ストレートプレイは厳しいように感じました。
忍成修吾さんは予想を越える熱演で、
この役には非常に合っていました。
松岡芙優さんと吉見一豊さんも悪くなく、
ブレーキかと思った阿藤快さんが、
意外に場の空気を変える存在感で悪くなく、
台詞はところどころ危うい感じがありましたが、
作品の質を一段高める好演でした。
こういう作品を、
日本人の作家で観たいな、
というのは常に思います。
松尾スズキさんの「悪霊」というのは、
非常にイプセンに近い世界で、
おそらく部分的には「幽霊」を下敷きにしていると思いますが、
ちょっと廻りくどく余計な台詞や場面が多くて、
出来栄えにはまだかなりの距離があると感じました。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2014-03-23 10:33
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