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村上春樹「アフターダーク」 [小説]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は日曜日で診療所は休診です。
朝から駒沢公園まで走りに行って、
これからまた幡ヶ谷まで在宅診療に出掛けます。

明日月曜日は健診の説明会のため、
小平まで遠征するので、
午後の診療は5時半で終了とさせて頂きます。

受診予定の方はご注意下さい。

休みの日は趣味の話題です。

今日はこちら。
アフターダーク.jpg
村上春樹さんの作品は、
全て読んでいると豪語していたのですが、
実はこれはまだ読んでいませんでした。

「海辺のカフカ」が出た時に、
それまで何作かは読んでいたのですが、
読了済みの作品も含めて、
エッセイも短編も含めて、
処女作から年代順にほぼ全て読みました。

それでちょっと油断していたので、
次の長編の「アフターダーク」は何となく読まなかったのですが、
ある時出逢った、
本当に刹那的に生きている、
ガラス玉のような眼をしているのに、
時折そこに、
信じられないような深い輝きを放つ少女が、
「本が好きなんです」
と言うので、
「誰が好きなの?」
と怖々聞くと、
「村上春樹さん」と、
いつもは質問しても、
まともに答えないか、
3分以上の沈黙の後に、
意味不明のことを答えるだけなのに、
その時だけ即答でそう言ったので、
俺は村上春樹はそこそこ詳しいぜ、
と思って、
「どの作品が好きなの?」
と聞くと、
「アフターダーク」
とこれも即答で答えたので、
「へえ…」
と言ったのですが、
実はそれだけは読んでいなかったので、
正直意表を突かれて動揺し、
これは読まなければ、
と思ったのです。

皆さんも彼女に実際逢えばお分かりになるかと思いますが、
およそ世界の全ての物に、
興味など何ら持ちそうにない、
ある種、虚無が少女という抽象的な物体に変化したような、
闇の世界との通路の入り口のような、
人間離れしたところのある女性なのです。

そんな彼女が興味を持つという小説とは、
一体どのようなものなのだろうと思い、
いやいやこれはとんでもない傑作か、
それともとんでもない駄作なのではないかしら、
と、そう思って読んでみたのです。

一読してなるほど、
と思いました。

これは間違いのない傑作なのですが、
前作の「海辺のカフカ」のようなフルコースを期待していると、
懐石弁当のようなものがひょいと出て来るので、
「これ終わり?」
と思ってしまうのです。

ただ、後半のたたみ掛けの凄みは並ではなく、
村上春樹さんとしても、
本腰を入れて、
自分より若い世代のために、
「新しい小説」を一から創ろうと、
非常に緻密な計算と、
前衛への意欲の元に、
作り上げたものなのだと思います。

それほど話題にはならず、
多くの読者からは、
やや落胆を持って受け取られたようですが、
それも村上さんとしては、
おそらくは織り込み済みの反応だったのだと思います。

以下ネタばれを含む感想です。

作品は村上さんの長編としては、
短い部類で
「国境の南、太陽の西」や「スプートニクの恋人」と、
同じくらいのサイズです。

一夜の出来事を描いているのですが、
深夜零時の手前から始まり、
朝の7時前に終わります。

深夜のデニーズの店内で、
マリという大学生が、
タカハシという大学生に出逢います。

タカハシはいつもの、
村上春樹さんの主人公と同じスタンスのキャラですが、
団塊ジュニアに設定されていて、
団塊世代の父親に、
本質的な部分で、
「自分」を台無しにされ穢された、
と感じています。

マリにはエリという姉がいて、
モデルをしている美人なのですが、
何故か2カ月前から、
自分の意思で、
こんこんと眠り続けています。

その眠りがマリを不安にするので、
彼女は自分は逆に眠らずに、
ファミレスで無為な時を過ごしているのです。

「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」以降の、
村上春樹さんの作品は、
そのほぼ全てが、
現実と多くの人が考えている世界と、
そこと重なり合うようにして存在し、
幾つかの部分では、
明確に現実世界と対立している、
もう1つの世界との、
せめぎ合いを描いているのですが、
その萌芽は、
村上さんの第一期の総決算たる傑作で、
「村上春樹版ロンググットバイ」の、
「羊をめぐる冒険」にあります。

この「アフターダーク」もその例には洩れず、
永遠の虚構の眠りを選択したエリは、
その眠りの回路を通じて、
もう1つの「闇の世界」に入り込みます。

そこは白川という、
エリートビジネスマンの心の奥の虚無の世界と、
「暗い部屋」を通じて繋がっていて、
エリの侵入が、
白川の心を乱し、
彼はその2つの世界の揺らぎを、
現実世界での中国人娼婦への暴力行為という形で、
解消しようとします。

現実世界に生じたその暴力は、
それ自体が理不尽なものなので、
現実世界にも暴力の連鎖を生み、
その連鎖が現実世界における白川の存在を、
消滅させることが、
「暗い部屋」の彼の不在により暗示されます。

白川に暴力を振るわれた娼婦のバックにいる闇の組織が、
白川を追い詰めて、
彼が捨てた娼婦の携帯に、
「どこまで逃げても逃げられないぞ」
というメッセージを入れるのですが、
その携帯自体はコンビニに置かれていて、
それを取り上げる無関係の人間全員に、
その「逃げられないぞ」という脅しのメッセージが拡散されます。

一方で何かから逃げているのは、
タカハシもそうで、
他にもラブホテルの女性従業員も、
過去の何かから逃げているのですが、
要するに彼らを追っているのも、
闇の世界と繋がった、
同じ携帯からの声であるかも知れないのです。

闇の世界と現実世界との通路が、
こうした携帯やモニターという、
情報伝達の道具でもたらされる点が、
この作品のユニークな点の1つで、
こうした通路の集合体として、
「私たち」という視点が小説技巧上設定され、
その視点から、
俯瞰されるように世界は記述されます。

現実世界においても、
マリは中国への留学を控えていて、
白川が暴力を振るった中国人娼婦の、
通訳として関わり、
中国という存在も、
もう1つの異界として機能しています。

それでは、
現実として描かれている世界が、
そのまま現実なのかと言うと、
必ずしもそうではありません。

何となく読んでいると、
まずオープニングのデニーズの描写が、
「ええっ、こんな言い方をしないよ」
というようなところがあちこちにあって、
村上さんもリサーチ不足だな、
そうだよね、デニーズになんか、
行く訳がないもんね、
と思うのですが、
中段で「ある愛の詩」という、
「凡作を宣伝で名作に変化させて大ヒット」
という日本の映画興行史に残る作品が、
タカハシの台詞で紹介され、
それが全くのデタラメの筋になっている辺りから、
これは要するに本物の現実なのではなく、
映画をある人が途中までしか見ないで、
勝手な想像で筋を語れば、
同じものでも別物になるように、
この世界の事物も、
そうした「揺らぎ」の中にあり、
そこに「闇」が侵入して来る、
という話なのだと合点がゆくのです。

このように全ては極めて緻密に、
重層的に仕組まれていて、
現実とは別個の小説的な世界を、
新しい記述法で構築しようとする、
村上さんの腕は冴えています。

「アフターダーク」の好きな少女には姉がいて、
両親との折り合いは悪く、
それを考えると、
なるほど彼女も、
自分の身近な人が、
自分を眠ってしまっていることに気付き、
目覚めを期待しているのだな、
と改めて感じました。

ラストはある意味当たり前の展開ですが、
シンプルで心底感動的で、
誰だって大切な人の眠りを、
覚まさせたいと祈っているので、
それが大甘の結末であっても、
虚無の少女の心さえ、
深く揺さぶることが出来たのではないかと思うのです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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コメント 2

うなぎ

尖閣騒動の煽りで中国の書店から自分の作品が消えたと嘆く、朝日新聞への寄稿を読んで、加害国と被害国との区別もつかぬ村上春樹の幼稚なレベルに驚いた。
丹念に読むと「騒ぎを煽る政治家や論客」への注意を呼びかけるなど、暗に尖閣の国有化を進めた自国を批判している。だから中国メディアはこれを歓迎し、全訳まで配信した。
その直後にノーベル文学賞を逃したのはよかった。
by うなぎ (2013-06-10 21:16) 

fujiki

うなぎさんへ
貴重なご意見ありがとうございました。
by fujiki (2013-06-11 08:40) 

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