国試問題は本当に愚問なのか? [仕事のこと]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
朝から健診結果の整理などして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
今日はこちら。
これは今年の106回医師国家試験のF問題の21番の全文です。
この問題が先日ある厚労省批判の急先鋒の方のブログに取り上げられ、
実地臨床を分かっていない出題者による愚問であり、
このような問題が出されること自体が、
厚労省の政策が現実から遊離していることの、
1つの現れである、
というような論旨になっていました。
このブログを更に取り上げた、
何処のどなたかどのような立場の方か、
全く明らかにはされない人物のブログでは、
この問題の答えはどれでも良いのであり、
このうちの1つが正解だ、
などとまともに考えるような医者がいれば、
それこそ大問題だ、
というような趣旨の感想がありました。
この方も、
最初に取り上げた方と同様、
この設問は愚問であり、
現実から遊離していて、
ある種の厚労省に都合の良い認識を、
押し付けるという観点に立っている、
という意見のようです。
本当にそうでしょうか?
皆さんは上の問題をお読みになって、
どうお考えになりますか?
正解は1つを選択するのですが、
一体どれが正しいのでしょうか?
まず選択肢は無視して、
論述問題のつもりで考えてみましょう。
そうすると、普通浮かぶ答えは、
dとeに近いものになるように思います。
aとcについては、
実際にはこうした医者の発言はあると思いますが、
設問の解答としては、
感覚的に不適切だとは誰でも思います。
そして、
bは他の解答とは異質です。
この問題が論述形式のもので、
「あなたが主治医であったら、
次回の診察の時に、
患者さんにどのようにアドバイスをしますか?」
のような問であったとして、
国家試験を受けるような立場の方に、
どのような回答が多いでしょうか?
おそらく、
「このまま体重が増加した場合に、
どのようなリスクがあるかを、
時間の許す限りにおいて丁寧に説明し、
次回までの目標体重を設定して、
それに達するように求める」
というような解答が多いのではないでしょうか?
これは要するに、
表現は違いますが、
選択肢のc~eに、
基本的には近い考え方です。
そして、
bの解答に近いような答えを書く人は、
非常に少ないのではないかと思います。
僕の思うところ、
それこそがこの問題の作成者の意図するところなのです。
この問題を批判している人は、
問題文が如何に注意深く、
多くの意味合いを含めて書かれているのかを、
おそらくは理解していません。
ちょっともう一度お読み下さい。
まず52歳という年齢ですが、
これは糖尿病の経過が長ければ、
心筋梗塞や脳卒中などの、
動脈硬化に伴う合併症が、
そろそろ発症してもおかしくはない年齢だ、
ということと共に、
これから病状を改善すれば、
その発症を予防する可能性が、
残っている年齢であることも、
同時に示しています。
それから身長と体重の記載ですが、
これはBMIを測定すると30くらいになり、
明確に肥満の域にある、
ということを示しています。
太り気味というのではなく、
明確に肥満で、
それでいて高度の肥満ではありません。
これがBMIが35を超えるような肥満であると、
別箇に肥満の要因となるような、
疾患の関与も考えられるのですが、
そうではない、ということを暗に示唆しているのです。
更にHbA1cの数値ですが、
これは今年の2月のものですから、
JDS値と思われ、
その7.6%という数値は、
所謂小血管の合併症が、
明確に進展することが示唆される、
7.5%を僅かに超えている、
というところに大きな意味があります。
また、
患者さんは糖尿病の治療をする意思を持っていて、
体重を減らすことが糖尿病の改善に結び付く、
という認識も主治医と共有しているが、
5回の受診において、
体重は少しずつ増加している、
と書かれています。
つまり、
この患者さんの糖尿病の状態は、
年齢からしてもコントロールの状態からしても、
今後の合併症の進展を予防する上で、
もう引き伸ばしは出来ないところまで差し掛かっていて、
体重を低下させることにより、
その改善がある程度見込める状況にありながら、
治療的介入としては、
外来で5回のチャンスがありながら、
有効性を見い出せていない、
ということになります。
従って、
同じことをやっていても、
駄目だという点ははっきりしています。
外来でこうした患者さんに対する時、
「流す」か「怒る」か、
対応はどちらかになることが多いのです。
「流す」というのは、
外来をいつものように行ない、
いつものように薬を出して、
「体重はどうですか?」
というような質問を軽くしますが、
「なかなか難しいですね」
というような答えが返ってくれば、
それで終わりにしてしまう、
という対応です。
「怒る」というのは、
その日の患者さんの体重を見た時点で、
増えていることに腹を立て、
どうして散々いつも減らせと言っているのに、
それが守れないんだ、
と怒ってみたり、
こんな状態が続けば大変なことになりますよ、
と脅しまがいのことを口にするのです。
ただ、これはいずれも患者さんのため、という視点に立てば、
あまり良い選択肢ではありません。
「流す」のは問題の先送り以外の何物でもありませんし、
「怒る」のは医者のキャラによっては、
意外に有効なケースもありますが、
国試問題のケースでは、
患者さんの認識は主治医と一致していて、
患者さん自身も減量の重要性を分かっているのですから、
医者がうまくいかないからといって一方的に怒るのでは、
患者さんのプライドを傷付け、
同じ問題の解決に共同して当たるという、
本来の診療の有り方を放棄するものです。
それでは、
他にどのような選択肢が有り得るのでしょうか?
回答の選択肢のbを見て下さい。
これは選択の問題なので、
その表現は解答者を混乱させるために、
やや不明確で不正確なものですが、
その趣旨は多分こういうことです。
今減量が患者さんの将来のために、
必要なことは間違いがなく、
先延ばしが出来ない時期であることも、
医者と患者さんの双方の共通認識となっています。
にも拘わらずその目的が達成されず、
むしろ悪化の方向に向かっているのは、
その方法論に誤りがあるか、
実現を阻んでいる、
何らかの障害要因があるからです。
つまり、
今やるべきことは、
先延ばしすることでもなく、
患者さんを非難することでもなくて、
減量の方法論を分析し、
その障害を取り除くように、
努力することです。
たとえば、
仕事の関係で毎日遅くなり、
深夜に食事を摂らざるを得ない、
という状況があるのなら、
その食事内容を調節するか、
仕事の合い間に食事を済ませるような方策について、
具体的に議論をします。
困難は分割せよ、という格言にあるように、
まず問題の明確さを図ることと、
それを分析し、
有効な解決法に結び付けることが大切なのです。
従って、この問題の正解はbです。
しかし、それはその内容がベストということではなく、
「流す」のでもなく「怒る」のでもない対応が、
その選択肢以外にはない、
という意味合いなのです。
そうした意味で、
この問題を作成した先生は、
臨床の問題点について深い見識をお持ちだと思いますし、
臨床医が意外に日常忘れがちな観点について、
これから医者になる人たちに、
教えようとしているのです。
僕は診療所においては、
こうしたケースの場合、
まず1回管理栄養士の栄養指導を受けて頂き、
問題の抽出の一助にするようにしています。
実際には「流したり」「怒ったり」することもあります。
しかし、そうしたことのないように、
努力だけは続けているつもりです。
この問題を愚問として批判した方は皆、
この問題が実際の臨床と乖離していると断じていますが、
僕はそうは思いません。
確かに選択肢の文章は駄目なのです。
これは本来記述問題向きの出題であり、
それを無理矢理選択問題にしている点に無理があるのです。
しかし、本質的な意味では、
この問題は一般の臨床において、
忘れがちな面を指摘しているという点において、
むしろ僕のような一般の臨床家にとって、
大きな意義を持つものです。
実際には臨床に携わっていない方が、
「この問題は実際の臨床から遊離している」
と言うのですから、
本当に馬鹿馬鹿しい話で、
こうした論評に怒りを覚えますが、
所詮「医療問題の論評」の多くは、
そうしたものなのです。
個人的な見解を言えば、
何かを非難する時には、
非難する対象に対する愛が、
奥深くには存在していなければいけないと思います。
非難や憎悪といった感情を振り向ける時、
人間は必ずそれと相反する感情、
すなわち愛情を潜在的には持っているからです。
それをないものとして憎悪のみを向ける時、
基本的にその人は自分の感情自体を否定しているのであり、
端的に言えば、
人間であることを捨てているのです。
僕は人間でないものの意見を、
傾聴しようとは思いません。
医師の国家試験の問題については、
僕も学生の頃には文句ばかり言っていましたし、
おかしな問題が多い、
と思っていました。
ただ、今回読み直してみると、
勿論試験問題という限界はあり、
人工的で恣意的な文面や、怪しい選択肢があるのですが、
基本的にはよく出来ていて、
何より出題者の受験者への愛を感じる部分が大きかったのです。
これから受験をされる皆さんも、
過去に受験をされた皆さんも、
もう一度その文面を慎重に読み直して頂くと、
出題者の意志に触れ、
何かそれまでとは別種のものを、
お感じになるのではないかと思います。
出題者の方は、
概ね国立病院の教授の方などが多いと思いますが、
将来の自分の後継者に対して、
決して安易な気持ちで設問を作るようなことは、
していないと思うからです。
今日は医師国家試験の問題から、
医療全般について少し考えました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
朝から健診結果の整理などして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
今日はこちら。
これは今年の106回医師国家試験のF問題の21番の全文です。
この問題が先日ある厚労省批判の急先鋒の方のブログに取り上げられ、
実地臨床を分かっていない出題者による愚問であり、
このような問題が出されること自体が、
厚労省の政策が現実から遊離していることの、
1つの現れである、
というような論旨になっていました。
このブログを更に取り上げた、
何処のどなたかどのような立場の方か、
全く明らかにはされない人物のブログでは、
この問題の答えはどれでも良いのであり、
このうちの1つが正解だ、
などとまともに考えるような医者がいれば、
それこそ大問題だ、
というような趣旨の感想がありました。
この方も、
最初に取り上げた方と同様、
この設問は愚問であり、
現実から遊離していて、
ある種の厚労省に都合の良い認識を、
押し付けるという観点に立っている、
という意見のようです。
本当にそうでしょうか?
皆さんは上の問題をお読みになって、
どうお考えになりますか?
正解は1つを選択するのですが、
一体どれが正しいのでしょうか?
まず選択肢は無視して、
論述問題のつもりで考えてみましょう。
そうすると、普通浮かぶ答えは、
dとeに近いものになるように思います。
aとcについては、
実際にはこうした医者の発言はあると思いますが、
設問の解答としては、
感覚的に不適切だとは誰でも思います。
そして、
bは他の解答とは異質です。
この問題が論述形式のもので、
「あなたが主治医であったら、
次回の診察の時に、
患者さんにどのようにアドバイスをしますか?」
のような問であったとして、
国家試験を受けるような立場の方に、
どのような回答が多いでしょうか?
おそらく、
「このまま体重が増加した場合に、
どのようなリスクがあるかを、
時間の許す限りにおいて丁寧に説明し、
次回までの目標体重を設定して、
それに達するように求める」
というような解答が多いのではないでしょうか?
これは要するに、
表現は違いますが、
選択肢のc~eに、
基本的には近い考え方です。
そして、
bの解答に近いような答えを書く人は、
非常に少ないのではないかと思います。
僕の思うところ、
それこそがこの問題の作成者の意図するところなのです。
この問題を批判している人は、
問題文が如何に注意深く、
多くの意味合いを含めて書かれているのかを、
おそらくは理解していません。
ちょっともう一度お読み下さい。
まず52歳という年齢ですが、
これは糖尿病の経過が長ければ、
心筋梗塞や脳卒中などの、
動脈硬化に伴う合併症が、
そろそろ発症してもおかしくはない年齢だ、
ということと共に、
これから病状を改善すれば、
その発症を予防する可能性が、
残っている年齢であることも、
同時に示しています。
それから身長と体重の記載ですが、
これはBMIを測定すると30くらいになり、
明確に肥満の域にある、
ということを示しています。
太り気味というのではなく、
明確に肥満で、
それでいて高度の肥満ではありません。
これがBMIが35を超えるような肥満であると、
別箇に肥満の要因となるような、
疾患の関与も考えられるのですが、
そうではない、ということを暗に示唆しているのです。
更にHbA1cの数値ですが、
これは今年の2月のものですから、
JDS値と思われ、
その7.6%という数値は、
所謂小血管の合併症が、
明確に進展することが示唆される、
7.5%を僅かに超えている、
というところに大きな意味があります。
また、
患者さんは糖尿病の治療をする意思を持っていて、
体重を減らすことが糖尿病の改善に結び付く、
という認識も主治医と共有しているが、
5回の受診において、
体重は少しずつ増加している、
と書かれています。
つまり、
この患者さんの糖尿病の状態は、
年齢からしてもコントロールの状態からしても、
今後の合併症の進展を予防する上で、
もう引き伸ばしは出来ないところまで差し掛かっていて、
体重を低下させることにより、
その改善がある程度見込める状況にありながら、
治療的介入としては、
外来で5回のチャンスがありながら、
有効性を見い出せていない、
ということになります。
従って、
同じことをやっていても、
駄目だという点ははっきりしています。
外来でこうした患者さんに対する時、
「流す」か「怒る」か、
対応はどちらかになることが多いのです。
「流す」というのは、
外来をいつものように行ない、
いつものように薬を出して、
「体重はどうですか?」
というような質問を軽くしますが、
「なかなか難しいですね」
というような答えが返ってくれば、
それで終わりにしてしまう、
という対応です。
「怒る」というのは、
その日の患者さんの体重を見た時点で、
増えていることに腹を立て、
どうして散々いつも減らせと言っているのに、
それが守れないんだ、
と怒ってみたり、
こんな状態が続けば大変なことになりますよ、
と脅しまがいのことを口にするのです。
ただ、これはいずれも患者さんのため、という視点に立てば、
あまり良い選択肢ではありません。
「流す」のは問題の先送り以外の何物でもありませんし、
「怒る」のは医者のキャラによっては、
意外に有効なケースもありますが、
国試問題のケースでは、
患者さんの認識は主治医と一致していて、
患者さん自身も減量の重要性を分かっているのですから、
医者がうまくいかないからといって一方的に怒るのでは、
患者さんのプライドを傷付け、
同じ問題の解決に共同して当たるという、
本来の診療の有り方を放棄するものです。
それでは、
他にどのような選択肢が有り得るのでしょうか?
回答の選択肢のbを見て下さい。
これは選択の問題なので、
その表現は解答者を混乱させるために、
やや不明確で不正確なものですが、
その趣旨は多分こういうことです。
今減量が患者さんの将来のために、
必要なことは間違いがなく、
先延ばしが出来ない時期であることも、
医者と患者さんの双方の共通認識となっています。
にも拘わらずその目的が達成されず、
むしろ悪化の方向に向かっているのは、
その方法論に誤りがあるか、
実現を阻んでいる、
何らかの障害要因があるからです。
つまり、
今やるべきことは、
先延ばしすることでもなく、
患者さんを非難することでもなくて、
減量の方法論を分析し、
その障害を取り除くように、
努力することです。
たとえば、
仕事の関係で毎日遅くなり、
深夜に食事を摂らざるを得ない、
という状況があるのなら、
その食事内容を調節するか、
仕事の合い間に食事を済ませるような方策について、
具体的に議論をします。
困難は分割せよ、という格言にあるように、
まず問題の明確さを図ることと、
それを分析し、
有効な解決法に結び付けることが大切なのです。
従って、この問題の正解はbです。
しかし、それはその内容がベストということではなく、
「流す」のでもなく「怒る」のでもない対応が、
その選択肢以外にはない、
という意味合いなのです。
そうした意味で、
この問題を作成した先生は、
臨床の問題点について深い見識をお持ちだと思いますし、
臨床医が意外に日常忘れがちな観点について、
これから医者になる人たちに、
教えようとしているのです。
僕は診療所においては、
こうしたケースの場合、
まず1回管理栄養士の栄養指導を受けて頂き、
問題の抽出の一助にするようにしています。
実際には「流したり」「怒ったり」することもあります。
しかし、そうしたことのないように、
努力だけは続けているつもりです。
この問題を愚問として批判した方は皆、
この問題が実際の臨床と乖離していると断じていますが、
僕はそうは思いません。
確かに選択肢の文章は駄目なのです。
これは本来記述問題向きの出題であり、
それを無理矢理選択問題にしている点に無理があるのです。
しかし、本質的な意味では、
この問題は一般の臨床において、
忘れがちな面を指摘しているという点において、
むしろ僕のような一般の臨床家にとって、
大きな意義を持つものです。
実際には臨床に携わっていない方が、
「この問題は実際の臨床から遊離している」
と言うのですから、
本当に馬鹿馬鹿しい話で、
こうした論評に怒りを覚えますが、
所詮「医療問題の論評」の多くは、
そうしたものなのです。
個人的な見解を言えば、
何かを非難する時には、
非難する対象に対する愛が、
奥深くには存在していなければいけないと思います。
非難や憎悪といった感情を振り向ける時、
人間は必ずそれと相反する感情、
すなわち愛情を潜在的には持っているからです。
それをないものとして憎悪のみを向ける時、
基本的にその人は自分の感情自体を否定しているのであり、
端的に言えば、
人間であることを捨てているのです。
僕は人間でないものの意見を、
傾聴しようとは思いません。
医師の国家試験の問題については、
僕も学生の頃には文句ばかり言っていましたし、
おかしな問題が多い、
と思っていました。
ただ、今回読み直してみると、
勿論試験問題という限界はあり、
人工的で恣意的な文面や、怪しい選択肢があるのですが、
基本的にはよく出来ていて、
何より出題者の受験者への愛を感じる部分が大きかったのです。
これから受験をされる皆さんも、
過去に受験をされた皆さんも、
もう一度その文面を慎重に読み直して頂くと、
出題者の意志に触れ、
何かそれまでとは別種のものを、
お感じになるのではないかと思います。
出題者の方は、
概ね国立病院の教授の方などが多いと思いますが、
将来の自分の後継者に対して、
決して安易な気持ちで設問を作るようなことは、
していないと思うからです。
今日は医師国家試験の問題から、
医療全般について少し考えました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2012-07-09 08:15
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コメント(4)
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先生こんにちは。
その問題は素人でもわかりそうですね。
a,c,dは突き放すような発言なので、他の選択肢と比べた場合「適切」とは言えないでしょうし、
eはやや強引で一方的な感じがします。
bが最も患者目線で、解決の糸口を探ろうという建設的な発言です。
選択問題で、「適切なのはどれか」とのことですから、迷うことなくbになると思いますね。
今年の国試問題では、106H-7もややこしいと噂になっていましたね。
(「長期入院中の中学生に最も大事なことは何か」という問題)
この問題も、5つの中で何が一番本質的に必要かと考えれば、間違いなく「学業の支援」になるかと思いますね。
先生は、「ドクターG」という番組をご覧になったことはありますか?
最近のテレビ番組の中では、かなり良い充実した番組だと思います。
先日の放送はややわかりずらくて、問題の出し方に違和感を感じましたが。。
誘導の末、無理やり正解にたどり着いていましたね!
by 恵子 (2012-07-10 00:04)
医師の国家試験にこのような問題が出題されいることにまず驚きました・・・
現場ではaやcのような感じで言われることが多く・・・
私が大昔に受けた「看護婦」の国家試験も
選択肢の中に正解がなさそうなのがいくつもあり
(どれも微妙で)
かなり混乱しました。
問題を作る方々も苦労されていらっしゃるのでしょうね。
by こはく (2012-07-10 07:49)
恵子さんへ
コメントありがとうございます。
「ドクターG」は以前録画したりはしました。
長く見ていると具合が悪くなるので、
飛ばしてチラ見した程度です。
一時期、海外のドラマの影響でしょうか、
そうした「診断を推理する」という形式のドラマも、
結構ありましたね。
ただ、仕事の内容を、
クイズのようにされるのは、
正直あまり楽しい感じではなく、
見るのは苦痛です。
特に「研修医」と称する人達の雰囲気が、
吐き気を催しました。
あれは何と言うのか、
進学塾の、
学生に人気のある教師の授業のようなものですね。
僕はバラエティが苦痛なので、
まだドラマの方が、
すんなり見ることが出来ます。
by fujiki (2012-07-10 08:28)
こはくさんへ
コメントありがとうございます。
日本中から患者さんの集まる、
名医とされるような先生は、
最初に、
「これこれの条件が守れますか?
守れるなら診察しますが、
守れないならお帰り下さい」
のようなことが言えるので、
こうしたことは起こらないのです。
要はその立場に合わせた対応がある、
ということかも知れません。
資格試験には、
こういう知識なしで解くような問題が、
ある程度の比率でありますね。
by fujiki (2012-07-10 08:33)