加齢に伴う誤嚥の薬物療法 [医療のトピック]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
朝から健診結果の整理などして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
今日は誤嚥の話です。
このテーマはなかなか奥が深いのですが、
今日はそのさわりとして、
特に加齢の影響による初期の嚥下機能の低下に対して、
可能性のある薬物療法についてのまとめです。
先日診療所にお出でになった80代の患者さんが、
最近食事の時に、
たまに食べた物が気管に入り、
息が出来なくなって物凄く苦しくなることがある、
というお話をされていました。
他にも同様の訴えのご高齢の方が、
複数いらっしゃいます。
こうした方は高血圧などで治療は受けていますが、
脳梗塞を起こした後であるとか、
寝たきりであるとか、
といったことはありません。
通常はお元気な方で、
無意識のうちに、
それまでにはなかった誤嚥が起こるとすれば、
それは食事を口の中から、
スムースに食道へと送り込む働きの何処かに、
問題が起こっているからに違いありません。
しかし、それはどのような問題なのでしょうか?
誤嚥というのは、
要するに声帯を超えて、
気管の方向に飲食物が侵入する現象ですが、
それを防ぐ仕組みには、
無意識にスムースに物を食道に送り込む仕組み、
すなわち嚥下反射と、
そのシステムの乱れから、
一旦声帯を超えた異物を、
再び口の方向に跳ね飛ばす、
咳反射の2つが存在します。
知らないうちに食べたものが気道に入って、
苦しくて大変だった、
という症状は、
要するにこの嚥下反射と咳反射とが、
共に充分には働いていない、
という状態を表しています。
こうした症状がたまにある、
と言う人は、
実は少量の誤嚥は常に起こしているのです。
ある程度大きな異物が気管に入り、
それがすぐに排除出来なかったから苦しかったのであり、
それが起こる背景には、
嚥下反射が充分に働かずに、
少量の食物や水分の気道への侵入が起こり、
それがすぐに咳反射で跳ね返されずにそのままになる、
という状況が必要だからです。
窒息に近いような侵入が起こって初めて、
身体は本気で反応し、
無理矢理にその異物を外に押し出そうとするから、
「死ぬほど苦しい」
という症状が出現したのです。
何故年齢と共にこうした現象が起こるのかのメカニズムは、
全てが解明されている訳ではありませんが、
その2つの反射のバランスの制御に、
脳のドーパミンとサブスタンスPと呼ばれる神経伝達物質が、
大きな役割を果たしている、
という考え方があります。
大脳の基底核という部分から放出された、
ドーパミンの刺激により、
頚部神経節という部分でサブスタンスPという、
11個のアミノ酸から成る神経伝達物質が生成され、
そのサブスタンスPは迷走神経と舌咽神経を経由して、
口の中で嚥下反射を、
気管で咳反射をそれぞれ誘発する、
という仕組みです。
それを図示したのがこちら。
この考え方を提唱したのは、
東北大学(当時)の関沢清久先生らのグループです。
一時期滅多やたらと論文が出ていて、
日本語の教科書には、
確定した事実の如く書かれていますが、
実際的にはこの先生のグループ以外からの論文というのは、
世界的にもあまりなくて、
どちらかと言うと1つの仮説の域を出るものではない、
という理解の方がより適切な気がします。
関沢先生の仮説では、
加齢によるドーパミンの低下が、
高齢者の誤嚥の大きな原因です。
ドーパミンの低下はサブスタンスPの低下を招き、
このことにより嚥下反射と咳反射の両者が低下して、
誤嚥が起こり易くなるのです。
この推論が正しければ、
脳内のドーパミンを上昇させるような薬剤に、
誤嚥を改善する効果が期待出来る、
ということになります。
この目的で使用されたのが、
パーキンソン病の治療薬の1つである、
アマンタジン(商品名シンメトレルなど)と、
血圧の薬である、
ACE阻害剤(商品名プレラン、レニベースなど)、
漢方薬の半夏厚朴湯、
抗血小板剤のシロスタゾール(商品名プレタールなど)、
といった薬剤です。
この全ての薬剤が、
一応効果があるとする論文が発表されています。
対象は主に脳梗塞後の患者さんで、
たとえばアマンタジンの研究は、
1日100mgのアマンタジンを、
使用した群としなかった群とで、
3年間の経過を観察し、
使用した群の方が肺炎のリスクが5分の1に低下した、
という結果を出しています。
(アマンタジン使用と比較した、
未使用群の相対リスクが5.92)
アマンタジンのドーパミン増加作用が、
嚥下の機能の維持に働き、
誤嚥性肺炎を減らしたのではないか、
という主張です。
これは矢張り関沢先生のグループによるもので、
文献はLancet誌に掲載されましたが、
アマンタジンはA型インフルエンザの治療薬でもあるので、
その効果を見ているだけではないのか、
という意見もあります。
ACE阻害剤はサブスタンスPの分解を妨害する作用があるので、
そのためにサブスタンスPの減少が抑えられ、
誤嚥が減るのではないか、という理屈です。
漢方薬は元の文献は読んでいませんが、
これも何らかのメカニズムでサブスタンスPを増やすのでは、
という推測によるものだと思います。
シロスタゾールは最近言及されることの多い、
脳代謝の改善作用を併せ持つ可能性のある、
抗血小板剤ですが、
おそらくは脳内のドーパミン系の賦活により、
これも誤嚥性肺炎を減らす、
というデータがあります。
いずれも話だけ聞くと、
これだけ治療薬のバリエーションがあるのだから素晴らしい、
という気分になりますが、
実際に引用されている文献を読んでみると、
殆どが日本の幾つかのグループで、
ある期間にドッと出た論文ばかりで、
その後にあまりまっとうな追試はされておらず、
学会発表や日本の医学誌の文献などでは、
「使ってはみたけれどあまり効果なし」
のような報告がちらほら載る程度です。
アマンタジンの文献はLancet誌に掲載されており、
Lancet誌は勿論一流の医学誌ですが、
実際に読んで見ると、
原文は半ページもない分量のもので、
きちんとした文献ではなく、
「簡易報告」のような体裁のものです。
他の引用文献も、
一流誌のものはそうした体裁のものが殆どなのです。
アマンタジンの使用で肺炎の発症が、
5分の1以下になるというのは、
ちょっと出来過ぎの気がしますし、
それと同等の効果が、
その後に報告されたことはありません。
漢方薬を漫然と出すのは僕は反対です。
ACE拮抗薬は優れた薬なので、
迷った時には降圧剤としてこちらを選択する、
ということはあります。
ただ、嚥下機能の改善のためにACE拮抗剤を使用する、
というのはかなりの冒険です。
アマンタジンは意外にせん妄などの副作用が多く、
これもパーキンソン症状や意欲低下に補助的に使用し、
嚥下にも良い影響があれば幸い、
という程度に考えていて、
嚥下機能の改善のみのために、
アマンタジンを使用する、
というのはあまり適切ではないと思います。
シロスタゾールは意欲低下に効果のある場合があり、
僕自身も食事の殆ど摂れなくなったお年寄りが、
シロスタゾールの使用により、
食事が可能になった事例を経験しています。
これは嚥下機能自体の改善と言うより、
意欲低下の改善による効果ではないかと思われます。
ドネペジル(アリセプト)にも同様の効果のある場合があり、
僕は意欲低下で食事の摂れなくなった患者さんでは、
シロスタゾールとドネペジルを、
一度は試してみるようにしています。
ドーパミンとサブスタンスPの仮説は、
非常に魅力的ですが、
嚥下機能の低下は、
どちらかと言えば意欲低下と低栄養状態とに、
大きく依存した現象で、
その両者の改善が、
より重要なのではないかと僕は思います。
今日は嚥下機能の低下と、
その薬物治療についての話でした。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
朝から健診結果の整理などして、
それから今PCに向かっています。
それでは今日の話題です。
今日は誤嚥の話です。
このテーマはなかなか奥が深いのですが、
今日はそのさわりとして、
特に加齢の影響による初期の嚥下機能の低下に対して、
可能性のある薬物療法についてのまとめです。
先日診療所にお出でになった80代の患者さんが、
最近食事の時に、
たまに食べた物が気管に入り、
息が出来なくなって物凄く苦しくなることがある、
というお話をされていました。
他にも同様の訴えのご高齢の方が、
複数いらっしゃいます。
こうした方は高血圧などで治療は受けていますが、
脳梗塞を起こした後であるとか、
寝たきりであるとか、
といったことはありません。
通常はお元気な方で、
無意識のうちに、
それまでにはなかった誤嚥が起こるとすれば、
それは食事を口の中から、
スムースに食道へと送り込む働きの何処かに、
問題が起こっているからに違いありません。
しかし、それはどのような問題なのでしょうか?
誤嚥というのは、
要するに声帯を超えて、
気管の方向に飲食物が侵入する現象ですが、
それを防ぐ仕組みには、
無意識にスムースに物を食道に送り込む仕組み、
すなわち嚥下反射と、
そのシステムの乱れから、
一旦声帯を超えた異物を、
再び口の方向に跳ね飛ばす、
咳反射の2つが存在します。
知らないうちに食べたものが気道に入って、
苦しくて大変だった、
という症状は、
要するにこの嚥下反射と咳反射とが、
共に充分には働いていない、
という状態を表しています。
こうした症状がたまにある、
と言う人は、
実は少量の誤嚥は常に起こしているのです。
ある程度大きな異物が気管に入り、
それがすぐに排除出来なかったから苦しかったのであり、
それが起こる背景には、
嚥下反射が充分に働かずに、
少量の食物や水分の気道への侵入が起こり、
それがすぐに咳反射で跳ね返されずにそのままになる、
という状況が必要だからです。
窒息に近いような侵入が起こって初めて、
身体は本気で反応し、
無理矢理にその異物を外に押し出そうとするから、
「死ぬほど苦しい」
という症状が出現したのです。
何故年齢と共にこうした現象が起こるのかのメカニズムは、
全てが解明されている訳ではありませんが、
その2つの反射のバランスの制御に、
脳のドーパミンとサブスタンスPと呼ばれる神経伝達物質が、
大きな役割を果たしている、
という考え方があります。
大脳の基底核という部分から放出された、
ドーパミンの刺激により、
頚部神経節という部分でサブスタンスPという、
11個のアミノ酸から成る神経伝達物質が生成され、
そのサブスタンスPは迷走神経と舌咽神経を経由して、
口の中で嚥下反射を、
気管で咳反射をそれぞれ誘発する、
という仕組みです。
それを図示したのがこちら。
この考え方を提唱したのは、
東北大学(当時)の関沢清久先生らのグループです。
一時期滅多やたらと論文が出ていて、
日本語の教科書には、
確定した事実の如く書かれていますが、
実際的にはこの先生のグループ以外からの論文というのは、
世界的にもあまりなくて、
どちらかと言うと1つの仮説の域を出るものではない、
という理解の方がより適切な気がします。
関沢先生の仮説では、
加齢によるドーパミンの低下が、
高齢者の誤嚥の大きな原因です。
ドーパミンの低下はサブスタンスPの低下を招き、
このことにより嚥下反射と咳反射の両者が低下して、
誤嚥が起こり易くなるのです。
この推論が正しければ、
脳内のドーパミンを上昇させるような薬剤に、
誤嚥を改善する効果が期待出来る、
ということになります。
この目的で使用されたのが、
パーキンソン病の治療薬の1つである、
アマンタジン(商品名シンメトレルなど)と、
血圧の薬である、
ACE阻害剤(商品名プレラン、レニベースなど)、
漢方薬の半夏厚朴湯、
抗血小板剤のシロスタゾール(商品名プレタールなど)、
といった薬剤です。
この全ての薬剤が、
一応効果があるとする論文が発表されています。
対象は主に脳梗塞後の患者さんで、
たとえばアマンタジンの研究は、
1日100mgのアマンタジンを、
使用した群としなかった群とで、
3年間の経過を観察し、
使用した群の方が肺炎のリスクが5分の1に低下した、
という結果を出しています。
(アマンタジン使用と比較した、
未使用群の相対リスクが5.92)
アマンタジンのドーパミン増加作用が、
嚥下の機能の維持に働き、
誤嚥性肺炎を減らしたのではないか、
という主張です。
これは矢張り関沢先生のグループによるもので、
文献はLancet誌に掲載されましたが、
アマンタジンはA型インフルエンザの治療薬でもあるので、
その効果を見ているだけではないのか、
という意見もあります。
ACE阻害剤はサブスタンスPの分解を妨害する作用があるので、
そのためにサブスタンスPの減少が抑えられ、
誤嚥が減るのではないか、という理屈です。
漢方薬は元の文献は読んでいませんが、
これも何らかのメカニズムでサブスタンスPを増やすのでは、
という推測によるものだと思います。
シロスタゾールは最近言及されることの多い、
脳代謝の改善作用を併せ持つ可能性のある、
抗血小板剤ですが、
おそらくは脳内のドーパミン系の賦活により、
これも誤嚥性肺炎を減らす、
というデータがあります。
いずれも話だけ聞くと、
これだけ治療薬のバリエーションがあるのだから素晴らしい、
という気分になりますが、
実際に引用されている文献を読んでみると、
殆どが日本の幾つかのグループで、
ある期間にドッと出た論文ばかりで、
その後にあまりまっとうな追試はされておらず、
学会発表や日本の医学誌の文献などでは、
「使ってはみたけれどあまり効果なし」
のような報告がちらほら載る程度です。
アマンタジンの文献はLancet誌に掲載されており、
Lancet誌は勿論一流の医学誌ですが、
実際に読んで見ると、
原文は半ページもない分量のもので、
きちんとした文献ではなく、
「簡易報告」のような体裁のものです。
他の引用文献も、
一流誌のものはそうした体裁のものが殆どなのです。
アマンタジンの使用で肺炎の発症が、
5分の1以下になるというのは、
ちょっと出来過ぎの気がしますし、
それと同等の効果が、
その後に報告されたことはありません。
漢方薬を漫然と出すのは僕は反対です。
ACE拮抗薬は優れた薬なので、
迷った時には降圧剤としてこちらを選択する、
ということはあります。
ただ、嚥下機能の改善のためにACE拮抗剤を使用する、
というのはかなりの冒険です。
アマンタジンは意外にせん妄などの副作用が多く、
これもパーキンソン症状や意欲低下に補助的に使用し、
嚥下にも良い影響があれば幸い、
という程度に考えていて、
嚥下機能の改善のみのために、
アマンタジンを使用する、
というのはあまり適切ではないと思います。
シロスタゾールは意欲低下に効果のある場合があり、
僕自身も食事の殆ど摂れなくなったお年寄りが、
シロスタゾールの使用により、
食事が可能になった事例を経験しています。
これは嚥下機能自体の改善と言うより、
意欲低下の改善による効果ではないかと思われます。
ドネペジル(アリセプト)にも同様の効果のある場合があり、
僕は意欲低下で食事の摂れなくなった患者さんでは、
シロスタゾールとドネペジルを、
一度は試してみるようにしています。
ドーパミンとサブスタンスPの仮説は、
非常に魅力的ですが、
嚥下機能の低下は、
どちらかと言えば意欲低下と低栄養状態とに、
大きく依存した現象で、
その両者の改善が、
より重要なのではないかと僕は思います。
今日は嚥下機能の低下と、
その薬物治療についての話でした。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2011-07-30 08:16
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コメント(4)
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誤嚥のメカニズムにサブ-Pが関与している可能性があるとは存じませんでした。
タナトリルが確か、誤嚥に対してエビデンスがあるということで、
かなり前にその作用にはブラジキニンが関与しているとメーカーさんが
言っていた気がします。
でも、それはBKによる咳誘発によるものということなのでちょっと
違うんですかね~。
高齢化に伴って確実に増えるであろう症例なので有効な予防薬が
あればいいですけど・・・。
先生はプレタールとアリセプトは患者さんが食事を摂れるようになったら
いったん休薬されますか?
それとも継続しますか?
半夏厚朴湯は咽中炙臠が使用目標の方剤なので、ほんまに
効くんかなぁと思います。
あんまり単独で使うこともないし…。
唾液中のサブ-Pが増えると今調べたらありましたが、半夏が異様に
不味いからでその刺激で出てくるのでは疑ってしまいます。
あと、誤嚥性肺炎予防でカプサイシン(唐辛子)と書いてありましたが、
どうしろというんですかね。毎日食べて下さいということでしょうか?
食道癌のリスクが高まりそうですけど。
by ごぶりん (2011-07-30 23:12)
ごぶりんさんへ
コメントありがとうございます。
他に問題がなければ休薬しますが、
概ね認知症や脳梗塞はある方が多いので、
そのまま継続する方が多いのが現状です。
漢方の西洋医学的見方での論文の類は、
僕は殆ど信用していません。
by fujiki (2011-08-01 08:15)
最近多いんですよ、あ先生こんにちわ。
何かの拍子とか、もののはずみとかで、
うっかり唾飲み込んで気管に入りそうになり
「オヘオヘオヘっ」となることが。
先週だけで3回、同僚に「風邪?」と訊かれました。
そうですか加齢ですね。
肺炎にならないように気をつけよう。
by midori (2011-08-01 12:40)
midori さんへ
コメントありがとうございます。
僕も駄目で最近はよくむせます。
by fujiki (2011-08-02 08:00)