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放射線誘発甲状腺癌の遺伝子マーカーの話 [医療のトピック]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。

今日は水曜日なので、
診療は午前中で終わり、
午後は終日レセプトのチェックの予定です。

それでは今日の話題です。

今日はこちら。
放射線誘発甲状腺癌.jpg
先月に発表された、
ドイツの研究者の論文ですが、
これは要するにチェルノブイリの低線量の被曝により生じた、
甲状腺乳頭癌の組織を検査したところ、
被曝によらない同じ乳頭癌には見られない遺伝子異常が、
被曝による癌の組織には高率に認められた、
という内容です。

今日はこの論文の内容と、
その意味合いについて考えます。

チェルノブイリの被曝により、
特に被曝時に乳幼児であったお子さんにおいて、
高率に甲状腺乳頭癌が発症したことは、
皆さんもご存じの通りです。

この小児の甲状腺癌は、
比較的被曝から短い期間で発症していて、
通常の成人の甲状腺乳頭癌とは、
異なる性質を持っているのでは、
と当初から考えらえていました。

そのため、
被曝による放射線誘発性の甲状腺癌と、
それ以外の甲状腺癌とを、
見分けるためのマーカーのようなものがないのか、
という点が、
以前から議論になっていたのです。

皮肉なことに、
その甲状腺癌の発癌メカニズムについて、
多くの論文を書かれているのは、
今御用学者の代表のように言われ(実際にその通りだと思いますが)、
原発事故の当初から、
「放射線は安全だ」と繰り返し語っている、
放射線安全教の大幹部の先生と、
その子分の方々です。
便宜的にこの先生のことを(勿論失礼な意味ではなく)
「安全大魔王」とお呼びします。

さて、当初甲状腺発癌との関係が指摘されたのが、
ret/PTCと呼ばれる遺伝子の再配列の異常です。
本来は発現していない細胞分裂に係わる遺伝子が、
過剰に発現することにより、
甲状腺の発癌を促すのではないか、
と指摘されました。
特にret/PTC3と呼ばれる再配列が、
乳幼児期の被曝後早い時期の発癌の事例に、
特徴的とされました。

しかし、その後検討が進んでみると、
実際にはその年齢ではそうした再配列異常の検出が多く、
必ずしもそれが放射線の影響により、
誘発されるものとは言えない、
ということが分かって来ました。

この結果を受けて「安全大魔王」は、
そうした再配列異常を持つ個体が、
放射線の影響を受けると、
甲状腺の幹細胞に変異が起こり易くなり、
癌化の進行に繋がり易いのでは、
という仮説を論文で発表しています。

一方でBrafという遺伝子の突然変異が、
成人の甲状腺乳頭癌ではよくみられることが分かっていますが、
これは低線量放射線の乳幼児の被曝による発癌とは、
無関係の可能性が高いのです。

今回上記の論文の研究者は、
CGH法という技法を用いて、
放射線に誘発された可能性の高い、
チェルノブイリの被曝後の小児甲状腺癌の患者さんの、
提供された癌の組織を用いて、
その染色体のどの部分に、
正常細胞とは異なる遺伝子異常が見られるのかを、
複数例解析しました。

CGH法というのは、
一度の検査で染色体の全領域を、
検索出来るという優れた方法です。

特定の染色体の特定の部分に、
発癌に結び付く遺伝子があったとしましょう。
その部分の遺伝子コピー数は、
正常より多くなっているので、
その部分のみが緑の蛍光で表示される、
という仕掛けです。

ただ、それで分かるのは、
特定の場所の遺伝子が、
正常より増加しているかそれとも欠損しているか、
という違いだけです。

これは要するに染色体のどの場所に異常があるのかを、
指し示す地図を作るような検査です。

異常が検出されれば、
今度は正常の染色体のその場所には、
どういう遺伝子が存在しているかを、
ゲノム地図から確認し、
その遺伝子個々が実際に変異しているのか、
異常な蛋白を作っているのか、
といったことを、
検討する必要があるのです。

今回の論文では、
同様の検討を2回別箇の集団で行なっています。

まず最初の集団は、
チェルノブイリの放射線誘発癌の可能性の高い33例の、
甲状腺癌の組織と、
放射線の被曝はしていない、
同じ年齢層の甲状腺癌の19例とを比較し、
その染色体の差を検証しています。

2番目の集団も、
同じ組み合わせで、
被曝後の誘発癌の可能性の高い16例の組織と、
被曝をしていない12例の癌の組織とを、
同様に比較しています。

チェルノブイリの被曝は、
概ねお子さんが生後数か月から、
4歳くらいまでの間に起こっています。
被曝の事例の平均の甲状腺被曝量(甲状腺の等価線量)は、
概ね150mSvと計算されています。
これは実効線量では6~7.5mSvに相当します。

ここで放射線誘発癌の可能性が高いとされた事例は、
疫学的にはその被曝量から考えて、
85%が誘発癌と推測されます。

勿論、その甲状腺乳頭癌が、
放射線の影響によるものか、
それ以外の原因によるものかを、
現時点で明確に示すようなマーカーは存在しないのです。
従って、この実験の区分も多分に便宜的なもので、
実際には放射線誘発癌とされた事例の中にも、
そうでない事例が含まれている訳です。

この研究ではそのために、
なるべく放射線の被曝以外には、
差のない患者さんの癌の組織を複数選択し、
しかもそれを独立して2回行なうことによって、
その精度を高めています。

2回の検討のどちらにおいても、
放射線被曝後の甲状腺癌の組織と、
被曝と無関係な甲状腺癌の組織との間に、
同じ遺伝子領域の差が存在すれば、
その差は放射線の被曝により起こった、
という可能性を強く示唆するものになるからです。

その結果は…

表題にもあるように、
第7染色体の長腕という場所に、
1回目の検討では33例中13例に(39.4%)、
2回目の検討では16例中6例に(37.5%)、
いずれも放射線被曝のない事例では、
1例も認められなかった、
その部分の遺伝子コピー数の増加が認められました。

4割弱という数字は、
ちょっと物足りなく感じられるかも知れません。

ただ、被曝のない事例では1例も、
そうした異常は見つかっていないのですから、
この異常は放射線被曝と関連した、
何らかの事象を見ていることは、
間違いがないと思います。

その後実際にその部位の遺伝子について、
その過剰発現の有無なども検討されていますが、
今の所複数の遺伝子の異常が見つかっていて、
その意味合いはまだ現時点ではクリアな結論にはなっていません。

この文献の意味合いを、
現時点であまり過剰に捉えてはいけないと思います。

あるマーカーを使用すれば、
たちどころに放射線の被曝による癌か、
そうでないかが分かる、
というようなものではないですし、
実際には半数異常は異常を指摘されていないのです。

この遺伝子地図の異常のある事例だけが、
放射線誘発癌でそれが見付からなければそうではない、
というような判断に使われれば、
却って被害を少なく見積もる道具にもされそうです。

ただ、これまで明確に放射線の影響による甲状腺の発癌と、
そうでない発癌とを区別する手段はなかったので、
その方法の確立への1つの前進である、
という見方は出来るのではないかと思うのです。

今後の研究の成果を待ちたいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

今日が皆さんにとっていい日でありますように。

石原がお送りしました。
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コメント 15

森島和

興味深く、拝読しました。「5年後、確実に日本で放射線の被曝による小児の甲状腺乳頭癌は増加する」とのことですが、実効線量では6~7.5mSvあったとの認識でしょうか?

私は3/11〜31までの発表された線量から、実行線量がそこまでなかったのではないかと考えております。今、避難されている多くの方が、放射線の誤情報に苦しみ、心労を募らせています。

石原先生が「確実に増える」と推測する理由は、なんでしょうか?
by 森島和 (2011-06-01 11:23) 

fujiki

森島和さんへ
コメントありがとうございます。
「確実に…」というのは言い過ぎでした。
お示し出来るような確たる根拠はなく、
当該部分は削除させて頂きました。

避難されている方の、
ご不安を煽るような記載であったことを、
お詫びして訂正させて頂きます。

チェルノブイリでの実際の被ばく量も、
どの線量で甲状腺乳頭癌が誘発されるのか、
という点についても、
一定した結論が、
現時点では得られていない問題だと思います。
by fujiki (2011-06-01 11:40) 

福島の読者

先生そろそろ「放射線安全教」とかいう言葉を使って溜飲を下げるの、おやめになってはいかがですか?
山下俊一教授が震災後に福島県内各所で行った講演と質疑応答の動画をご覧になったこと有ります?
わたしは立派な「普通の」お医者さんだと思いましたがね。
一度、質疑応答の動画だけでもご覧になってみてはいかがでしょうか。
by 福島の読者 (2011-06-01 20:45) 

fujiki

福島の読者さんへ
ご忠告ありがとうございます。
1つのレトリックとして、
ご容赦頂きたいのですが、
ご不快に思われたら申し訳ありませんでした。
控え目にしたいと思います。
大魔王は尊称のつもりですし、
特定の実在のモデルはないものと、
お考え頂ければ幸いです。
by fujiki (2011-06-01 21:18) 

ide

代理ミュンヒハウゼン症候群という病気がはやっているそうですが、今の日本は行政だけでなくいたるところで罹患しているような気がします。知っていれば有罪知らなければ無罪だけど無能、無能とされるくらいなら有罪になる道を選ぶ専門家は皆無でしょうし国家社会主義路線まっしぐらの超借金福祉国家では代理ミュンヒハウゼンやらなければ生活していけないのかも。
戦前のその時代を経験した人たちはテクノクラートが世を滅ぼすとか私たちの世代にしつけてきたんですけどその世代がもう絶滅してしまって専門家免責制度蔓延してます。
先生のブログはその問題を具体的な事例で指摘してくれるので私は好きなんです、大魔王ぐらいなんでもないですよ代理ミュンヒハウゼン症候群医師団とか言ったら問題ですけど。
by ide (2011-06-02 00:56) 

fujiki

ide さんへ
コメントありがとうございます。
何も差し上げることは出来ませんが、
感謝しています。

科学の専門家もその立場と地位によっては、
立派な権力者だと思いますが、
一般にその人達には、
権力者である、という自覚が乏しく、
その点に僕は違和感を覚えます。
権力者の自覚があり、
責任を取る自覚があれば、
別に善人である必要などないと思いますが、
彼らは常に善人であり、
良心的で冷静なので、
そのために責任にも無自覚なのではないでしょうか?

本来「放射線の安全性」のような概念は、
科学の問題であると同時に政治的な問題なので、
拮抗する考えがほぼ同数あるような状況が、
本来は健全ではないかと思いますが、
「変わり者」以外は殆どの方が、
同じ立場に立つ、というのも、
僕はいつも異様に思います。
違う立場に対する攻撃も、
陰湿で執拗なものです。
そうした状況は科学というより、
宗教的な関係に、
僕は思えるのです。

ただ、僕がこうした考えになるのは、
自分が権力に無縁な立場にあるための、
ある種の僻みで、
立場が変われば考え方も多分変わると思います。
しかし、その時々の感情に正直なことは、
決して悪いこととは思わないのです。
by fujiki (2011-06-02 06:30) 

森島和

石原様 回答ありがとうございます。

放射線と甲状腺癌に関しての資料のご照会です。

下記資料では、甲状腺機能低下のしきい値は甲状腺の等価線量で5Gy(=5,000mSv)と記載されています。
http://kokai-gen.org/information/6_027-1-3.html#2-1

by 森島和 (2011-06-02 11:14) 

fujiki

森島和さんへ
ありがとうございます。
これは甲状腺の細胞が破壊される閾値のことで、
甲状腺乳頭癌の誘発自体は、
もっと低線量でも起こり得る、
という判断だと思います。
発癌の閾値があるのか、
あるとすればそれは等価線量で100mSvなのか、
それより低いのか、
被ばく量を外部被ばくと内部被ばくの合算で議論するべきか、
内部被ばくのみで議論するべきか、
等については、
まだ結論は出ていないと思います。
放射性ヨードの半減期は短いので、
チェルノブイリの被曝量も、
推測の域を出ていないと思います。

今回のデータのような検討は、
その1つの道筋を示す意味合いは、
あるような気がします。
by fujiki (2011-06-02 11:37) 

kobayasi

先生の放射線に関する話はとても参考になります。

「科学の専門家もその立場と地位によっては、
立派な権力者だと思います」」という先生の話は
医学の関係者ではなくもちろん科学の専門家でもない
自分にとっては少し意外でした。

放射線による発がんの閾値については世の中では直線仮説で
話される人が多いように思われますが先生の見解はどちらが
有力とお思いでしょうか。

門外漢のつまらない質問ですみません。
by kobayasi (2011-06-02 17:12) 

こねこねこ

http://www.geocities.jp/hyodo89/exposure.html
兵頭俊夫のホームページ 放射線の被ばく
http://www.remnet.jp/lecture/b05_01/4_1.html
内部被ばくに関する線量換算係数

内部被ばくをした場合、等価線量ではなく、実効線量で計算するようです

ところで、このブログのどこかでチェルノブイリ事故の被ばく線量が記載されていたように思うのですが、そのデーターはどこから手に入れてきたのでしょうか
くぐっても見つからないので教えてほしいです
by こねこねこ (2011-06-02 20:16) 

fujiki

kobayasi さんへ
コメントありがとうございます。
僕は基本的には直線的に考えるのが筋だと思います。
ただ、実際には低線量になると、
電磁波や自然放射線などの影響も無視出来ず、
その関連性の立証は、
非常に困難になります。
個体の放射線への抵抗力には、
実際にはかなりの差異があると思うので、
もし標準人のようなものを設定すれば、
閾値の仮説の方が合理的ですが、
そこから洩れた抵抗力の弱い方を、
どう考えるのか、
という点が問題になります。

要するにそれはもう、
科学的な問題と言うより、
政治的な問題になってしまうのではないか、
というのが僕の意見です。
by fujiki (2011-06-02 22:39) 

fujiki

こねこねこさんへ
コメントありがとうございます。

甲状腺癌のリスクを考える場合には、
甲状腺の吸収線量が問題となるので、
どちらかと言えば、
甲状腺の等価線量で議論するのが、
僕は適切ではないかと思います。
被ばく直後であれば、
これは実際に計測が可能だからです。
実効線量はあくまで仮定の数値であって、
組織加重係数が変更されれば、
数値自体が変わってしまうからです。

チェルノブイリの被ばく量は、
日本核医学会の、
「小児甲状腺ブロックに関する情報」に、
簡単に書かれています。
この記事で紹介した論文では、
2006年のJacobらの論文が引用されています。
国立がんセンターの最近発表したリスクの数値には、
それとはまた別の文献が引用されています。
引用文献によっても、
その被ばく線量の数値は異なります。
by fujiki (2011-06-02 22:49) 

こねこねこ

ソースありがとうございます
チェルノブイリでがんになった子供たちが吸収した線量は相当高い値のようですね
それを考えると今の福島程度では増えなさそうです
by こねこねこ (2011-06-02 23:36) 

タカギ

原論文の概要は何とか読んだのですが、専門家でないと本文はお手上げなので、医師の方の解説は助かります。
この論文のマーカーは被曝癌患者での発現比率と非被曝癌患者で全く見られないことから、このマーカーに関しては閾値の存在を仮定した方がモデル化しやすそうに思います。それ以下の線量の影響は、逆に明確に被曝して「いない」ごく低線量の自然被曝グループにも低い比率で現れるような別のマーカーが必要ではないでしょうか。放射線以外にも原因はあるでしょうし、判定精度を上げる研究は先が長そうです。研究が進むことを望む一方で、福島が研究を加速したなどという評価が将来でないことを切に願っております。
by タカギ (2011-07-20 00:03) 

fujiki

タカギさんへ
コメントありがとうございます。
ご指摘のようにこれで全てが分かる、
というようなレベルの発見ではないと思います。
by fujiki (2011-07-20 08:25) 

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