市川猿之助と歌舞伎の世界 [演劇]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は診療所は休みなので、
ちょっと趣味の話題です。
市川猿之助の歌舞伎には、
一時期は非常に入れ込んでいて、
わざわざ大阪まで、
地方巡業の公演を見に行ったこともあります。
上の本は彼が「芸術新潮」誌の連載を本にしたもので、
安っぽいムックのように見えますが、
彼の歌舞伎の演出論が緻密に書かれた、
非常に読み応えのある1冊です。
彼の歌舞伎は際物のように言われることもあり、
実際に不出来な舞台はそうとしか見えないものもありますが、
その見識の高さと歌舞伎への愛情、
そして新しい歌舞伎を生み出そうという情熱については、
彼は間違いなく一流であり、
彼が病に倒れてから、
歌舞伎は多くの物を失い、
大相撲と同じように、
僕の見解としては、
確実に滅びの道を進んでいると思います。
歌舞伎役者は花形の役者であれば、
彼自身演出家でなくてはなりません。
歌舞伎の舞台というのは、
それほど練習をして造り上げるものではなく、
本番の一発勝負的な所があるからです。
そして、それで良いのです。
皆さんの中には、
練習を積めばそれだけ良い舞台が出来る、
と思われる方が多いかも知れません。
しかし、舞台藝術というのは、
本来はそうしたものではなく、
優れた役者が集まれば、
その中で自然に出来上がる部分こそに、
その藝術性があるのであり、
勿論ある程度の練習は必要ですが、
それはあくまで「段取り」であり、
「段取り」に習熟したから、
それだけ良い舞台が出来る訳ではありません。
そこで一番のポイントは、
個々の歌舞伎役者が演出家の目を持っている、
ということであり、
その舞台の要となる座頭役者が、
そのまとめを行なう技量があるかどうかです。
僕は敢えて断定的に言いますが、
猿之助は今の歌舞伎役者の中では、
演出家としての力量を持つ最後の役者でした。
そして、もう1つの優れた歌舞伎役者の条件を言えば、
それは歌舞伎を愛しているか、ということで、
その意味でも猿之助は歌舞伎を愛する歌舞伎役者として、
数少ない1人であったと思います。
勘三郎は優れた歌舞伎の演技者ですが、
演出家ではなく、演出を自らする気持ちもなく、
自らの演出を串田和美や野田秀樹などの外部の演出家に、
丸投げしています。
そして、彼自身には歌舞伎への愛が、
若干はあるとしても、
串田和美や野田秀樹にはそうしたものは微塵もなく、
彼らの手によって、
歌舞伎という形象は、
無残に破壊され、
実際には彼らの舞台に現在では歌舞伎味は殆どありません。
菊五郎と吉右衛門は歌舞伎役者としては、
当代で髄一だと思いますが、
残念ながら演出家として、
新たな舞台を創造することが出来ず、
歌舞伎味が崩壊する現状に対して、
それに抗う力もなく、そうした現状に追従しつつ、
滅びの道を歩んでいるように僕には思えます。
玉三郎は当代髄一の女形ではありますが、
彼の演技は通常の歌舞伎とは異なる、
彼独自の一代限りのもので、
彼は自分の肉体の「形」に頼るタイプの演技者で、
また彼の志向するものは、
むしろ新派の舞台に近く、
歌舞伎味とは別種のものです。
僕が歌舞伎に入れ込んでいたのは、
平成7年から8年頃で、
歌舞伎座には毎月必ず一度は足を運びました。
猿之助もその頃はまだ元気で、
彼の出演は7月と10月と12月、
というようにほぼ決まっていたので、
それが一番の楽しみでした。
彼の歌舞伎は所謂古典と、
復活狂言と呼ばれる、過去の作品を彼流に読み替えて、
けれんみを加えたもの、
そしてスーパー歌舞伎と呼ばれる、
歌舞伎と通常の舞台の中間に属するものの、
3種類に分けられます。
彼の残した財産として、
最も重要なものは、
古典の「義経千本桜」の「四の切り」の演出であり、
また復活狂言における、
古典を現在の観客に伝えるための、
早代わりや宙乗りを含めた、
多くの演出の工夫です。
しかし、その彼の工夫の多くは、
勘三郎の舞台に横領され、
その歌舞伎味を剥ぎ取られた無残な姿で、
観客の低俗な嗜好の餌食となっています。
猿之助は最近、彼の演出を当代海老蔵に伝えていて、
この8月にも新橋演舞場で、
「義経千本桜」の「四の切り」の舞台があります。
あの舞台は「天才」しか十全には演じられないもので、
その「天才」として猿之助が選んだのが、
当代海老蔵である、というところに、
猿之助の見識の高さが現われている、
と僕は思います。
海老蔵は色々と問題はあっても、
その肉体は歌舞伎味そのものであり、
歌舞伎の未来の希望というものが、
僅かでもあるとしたら、
彼の肉体以外には存在しないと思うからです。
そんな訳で久しぶりにこれはちょっと観に行きます。
それでは今日はこのくらいで。
皆さんも良い休日をお過ごし下さい。
石原がお送りしました。
2010-08-08 09:44
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おほほ・・・歌舞伎大好きです。
でも、10年ぐらい観に行ってません。
中高生の頃はよく行きました。友達には内緒にしていましたけどね。
実は、母が玉三郎と勘九郎に夢中だったので、
母に連れられて行っていたのです。
玉三郎の舞台を初めて見たとき、素晴らしく美しいのに
「何じゃこの声は・・・」透き通る様な声を想像していたのにショックでした。
でも、玉三郎の舞台を繰り返し観ていくうちに私は性に興味を持つようになりました。
>しかし、その彼の工夫の多くは、勘三郎の舞台に横領され、その歌舞伎味を剥ぎ取られた無残な姿で、観客の低俗な嗜好の餌食となっています。
うー厳しいお言葉・・・
私は、低俗な嗜好を持った観客だったのですねw^^w
さて、10年ぶりに歌舞伎でも観に行きますかね。。。
by yuuri37 (2010-08-09 00:42)
yuuri37 さんへ
コメントありがとうございます。
玉ちゃんは好きなのですが、
矢張り色々な意味で衰えが感じられて、
また正統的な女形芸ではないのに、
そうしたやや老いた役を演じるようになって、
それもそぐわない感じがして、
最近は殆ど見ていません。
あの声は多分、比較的正統派の女形の発声だと思います。
by fujiki (2010-08-09 08:28)