雪の日の決断と僕の闇の話 [フィクション]
こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。
昨日の夜は東京でも初雪でした。
路面が凍るようだと悲惨だな、
と思ったのですが、
幸い積雪は1センチ程度で、
午前中には溶けそうな様子です。
雪の日はちょっと内省的な気分になります。
それで今日はちょっと昔の雪の日の話をします。
フィクションとしてお読み下さい。
大学の医局を辞める話を、
教授にしたのは、
2月の下旬の日曜日で、
僕はその日病院の当直でした。
しかも、その日は僕の誕生日でもありました。
その日は朝から雪が降り積もり、
午前中には医局の休憩室から見る駐車場は、
一面の雪景色に覆われていました。
休憩室の隣に、教授室があります。
皆さんは教授室と言うと、
どのような立派な部屋を想像するかと思いますが、
僕の所属していた医局の教授室は、
細長く狭い部屋で、
休憩室の半分くらいの幅しかありません。
言ってみれば、迷路の行き止まりみたいな形です。
両側に医学雑誌を入れた本棚が並んでいるので、
人が1人、辛うじて通れるくらいの幅しかないのです。
その行き止まりの位置に、
教授のイスと机とがあり、
その前に小さなソファーがあります。
その日、まず7階の病棟に行き、
入院患者さんの状態を、
担当の看護婦(当時はこの表現です)から、
申し送りを受けました。
病棟は落ち着いていて、
特に問題はありませんでした。
医局を辞める話を、いつ教授に切り出そうか、
というのは少し前から迷っていました。
ただ少なくとも半年以上前には、
話をしておくのが礼儀だと思いましたし、
誕生日が日曜日で当直で、
その上雪の日だったことが、
僕の決心を固めさせました。
それで病棟から医局に降りると、
その足で教授室の前に立ち、
いつも開かれたままのそのドアに向かって、
「〇〇先生」と声を掛けたのです。
「おう、石原先生か、入れよ」
と教授はいつもの太い声で言いました。
それで中に入り、立ったままで、
「今年一杯で医局を辞めさせて下さい」
と話をしたのです。
それから、
「医者を辞めたいんです」
と言いました。
教授は殆ど顔色は変えずに、
「そっか。残念だな。でも何か、そんな気もしたよ」
と言いました。
何か色々と言いたいことがあったのですが、
結局何も言えませんでした。
そのまま教授室を出て、
当直の業務に戻りました。
午後は暇だったので、
外来の診察室の机に向かい、
レジナルド・ヒルの「骨と沈黙」を読みました。
午後の3時頃に雪が止み、
雪の日特有の奇妙な程の静けさが、
病院全体を覆っています。
空気が妙に澄んでいて、
窓から遠く北アルプスの山々が、
嫌になるほどくっきりと見えました。
夜の回診があり、それから医局に戻ると、
研究をしている数人の先生が残っています。
病棟は何事もなく、時計はその日の零時を廻りました。
午前一時に当直室の電話が鳴り、
救急隊から受け入れの要請です。
教授が診ていた糖尿病とホルモン異常のある、
50代の女性が、自宅で急に呼吸困難に陥った、
というのです。
どんな状態かも把握しないままに、
僕は受け入れにOKを出しました。
病棟にそのことを告げ、
医局に降りました。
誰か医局員がまだ実験で残っているのでは、
と思ったからです。
ところが、その日に限って、
いつもは深夜の3時でも誰か残っている医局にも、
研究室にも、人影はありません。
大学病院なのですから、
勿論人手はある訳ですが、
救急部の扱いではなく、
僕の所属している内科として受けた患者なので、
僕の内科の中で診なければいけません。
その当時は他の科に応援を頼むようなことは、
想像の中にもありませんでした。
患者さんは100キロを超える巨体で、
心肺停止の状態でした。
見た瞬間にこれは1人では無理だ、
と思いましたが、もう1人でやるしか仕方がありません。
気道確保をして血管確保をして、
心臓マッサージをして。
夜勤の看護婦と2人で、
深夜の病棟の処置室で、
出来る限りのことをしましたが、
救命は出来ませんでした。
死亡確認をしてそのまま朝を迎え、
家族にも説明をしました。
それから9時になって教授室にもう一度行き、
教授にそのことを報告しました。
「そっか。ご苦労様。俺も家族に話をしとく」
と教授は言いました。
その教授は去年辞められて、
今年は教授選が行われるのだと、
風の便りに聞きました。
僕にはあの日患者さんを救えなかったことが、
決して偶然とは思えなくて、
そんな言い方をすると、
その患者さんに失礼だとは思うのですが、
誰かが何かを僕に教えようとしたのでは、
という気がしてなりません。
僕はまだ医者を続けていて、
その何かは僕の闇の中に沈んでいます。
今日はちょっと内省的な話になりました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
六号通り診療所の石原です。
今日は胃カメラの日なので、
カルテの整理をして、
それから今PCに向かっています。
昨日の夜は東京でも初雪でした。
路面が凍るようだと悲惨だな、
と思ったのですが、
幸い積雪は1センチ程度で、
午前中には溶けそうな様子です。
雪の日はちょっと内省的な気分になります。
それで今日はちょっと昔の雪の日の話をします。
フィクションとしてお読み下さい。
大学の医局を辞める話を、
教授にしたのは、
2月の下旬の日曜日で、
僕はその日病院の当直でした。
しかも、その日は僕の誕生日でもありました。
その日は朝から雪が降り積もり、
午前中には医局の休憩室から見る駐車場は、
一面の雪景色に覆われていました。
休憩室の隣に、教授室があります。
皆さんは教授室と言うと、
どのような立派な部屋を想像するかと思いますが、
僕の所属していた医局の教授室は、
細長く狭い部屋で、
休憩室の半分くらいの幅しかありません。
言ってみれば、迷路の行き止まりみたいな形です。
両側に医学雑誌を入れた本棚が並んでいるので、
人が1人、辛うじて通れるくらいの幅しかないのです。
その行き止まりの位置に、
教授のイスと机とがあり、
その前に小さなソファーがあります。
その日、まず7階の病棟に行き、
入院患者さんの状態を、
担当の看護婦(当時はこの表現です)から、
申し送りを受けました。
病棟は落ち着いていて、
特に問題はありませんでした。
医局を辞める話を、いつ教授に切り出そうか、
というのは少し前から迷っていました。
ただ少なくとも半年以上前には、
話をしておくのが礼儀だと思いましたし、
誕生日が日曜日で当直で、
その上雪の日だったことが、
僕の決心を固めさせました。
それで病棟から医局に降りると、
その足で教授室の前に立ち、
いつも開かれたままのそのドアに向かって、
「〇〇先生」と声を掛けたのです。
「おう、石原先生か、入れよ」
と教授はいつもの太い声で言いました。
それで中に入り、立ったままで、
「今年一杯で医局を辞めさせて下さい」
と話をしたのです。
それから、
「医者を辞めたいんです」
と言いました。
教授は殆ど顔色は変えずに、
「そっか。残念だな。でも何か、そんな気もしたよ」
と言いました。
何か色々と言いたいことがあったのですが、
結局何も言えませんでした。
そのまま教授室を出て、
当直の業務に戻りました。
午後は暇だったので、
外来の診察室の机に向かい、
レジナルド・ヒルの「骨と沈黙」を読みました。
午後の3時頃に雪が止み、
雪の日特有の奇妙な程の静けさが、
病院全体を覆っています。
空気が妙に澄んでいて、
窓から遠く北アルプスの山々が、
嫌になるほどくっきりと見えました。
夜の回診があり、それから医局に戻ると、
研究をしている数人の先生が残っています。
病棟は何事もなく、時計はその日の零時を廻りました。
午前一時に当直室の電話が鳴り、
救急隊から受け入れの要請です。
教授が診ていた糖尿病とホルモン異常のある、
50代の女性が、自宅で急に呼吸困難に陥った、
というのです。
どんな状態かも把握しないままに、
僕は受け入れにOKを出しました。
病棟にそのことを告げ、
医局に降りました。
誰か医局員がまだ実験で残っているのでは、
と思ったからです。
ところが、その日に限って、
いつもは深夜の3時でも誰か残っている医局にも、
研究室にも、人影はありません。
大学病院なのですから、
勿論人手はある訳ですが、
救急部の扱いではなく、
僕の所属している内科として受けた患者なので、
僕の内科の中で診なければいけません。
その当時は他の科に応援を頼むようなことは、
想像の中にもありませんでした。
患者さんは100キロを超える巨体で、
心肺停止の状態でした。
見た瞬間にこれは1人では無理だ、
と思いましたが、もう1人でやるしか仕方がありません。
気道確保をして血管確保をして、
心臓マッサージをして。
夜勤の看護婦と2人で、
深夜の病棟の処置室で、
出来る限りのことをしましたが、
救命は出来ませんでした。
死亡確認をしてそのまま朝を迎え、
家族にも説明をしました。
それから9時になって教授室にもう一度行き、
教授にそのことを報告しました。
「そっか。ご苦労様。俺も家族に話をしとく」
と教授は言いました。
その教授は去年辞められて、
今年は教授選が行われるのだと、
風の便りに聞きました。
僕にはあの日患者さんを救えなかったことが、
決して偶然とは思えなくて、
そんな言い方をすると、
その患者さんに失礼だとは思うのですが、
誰かが何かを僕に教えようとしたのでは、
という気がしてなりません。
僕はまだ医者を続けていて、
その何かは僕の闇の中に沈んでいます。
今日はちょっと内省的な話になりました。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2010-02-02 08:47
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コメント(2)
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朝から何度も読ませていただいてます.
いろいろと考えてしまいました.
by midori (2010-02-02 14:50)
midori さんへ
コメントありがとうございます。
何となく思い出してしまったので書きました。
by fujiki (2010-02-03 08:25)