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反対語の思想 [身辺雑記]

こんにちは。
六号通り診療所の石原です。
今日は休みで家にいるつもりです。

今日は休みなので、
ちょっと雑談的な話題です。

「戦争を選ぶのか、平和を選ぶのか、それが問題なんです」
みたいな言い方がありますよね。
テレビのディベートなんかでよく出て来るフレーズです。

こう言われれば、
「平和」としか言いようがないですね。

でも、ちょっと待って下さい。

「戦争と平和」と言う時、
「戦争」というのは現実に存在するものですけれど、
「平和」というのは一種の観念ですよね。
突き詰めて考えれば、
「戦争」の反対語として作り上げられた架空のものです。
「戦争」という観念は
「平和」なしでも有り得るけれど、
「平和」という観念は「戦争」なしでは有り得ないからです。
だから、この言い方には最初から一種のトリックがあるんです。
それが意外と自然に感じられてしまうのは、
人間の思考の中には、
本質的に反対概念を用意して物事を捉える、
というシステムがあるからだ、
と僕には思えます。

何故戦争があるかと言えば、
それは人間が対立を好むからですね。
暴力衝動というより以前の問題として、
その嗜好は存在しているのだと思います。

反対語というのは、
多分どの言語にも存在するものなのでしょうね。
そして、その思考の枠組みこそが、
対立を好む嗜好と結び付いているように思われるのです。

ある言葉が分かり難い時に、
反対語で考えてみるといい、
というのは議論を好む人間の、
常套的な理屈ですね。

でも、本当にそうでしょうか。

反対語で考えるというのは、
そこに対立の図式を持ち込むということです。
対立の図式を持ち込んだ時点で、
それは暴力的な思考になっているのではないか、
というのが僕の考えです。

「戦争」というものを考えるのと、
「戦争と平和」という枠組みを考えるのとは、
基本的に違う思考なのです。
対立概念で考え始めた時点で、
それは戦争の側の理屈に、
結局はなってしまうのですね。

対立の原理というのは、
煎じ詰めれば民主主義の原理でもあります。

対立する意見を提示して、
意見を戦わせ、
多数決をする訳でしょう。

その時のスローガンとして
「戦争か平和か」とか、
「自由か束縛か」とか、
「左か右か」といった、
反対概念が使われるのですね。

そう考えると、
僕は民主主義と称するものの、
胡散臭さを感じるのです。

本来の民主主義というものが、
どんなものであるかはひとまず置くとして、
現在僕達が接している、
民主主義と称して行なわれているものは、
本質的に対立の思考をその中に持っている。
とすれば、民主主義を振りかざしているうちは、
戦争がなくなることはないような気がします。

極論でしょうか。

その昔プラトンは名著「国家」の中で、
「真の正義とは何か?」と論じ、
その帰結として、中庸という概念を持ち込みました。
どちらにも偏らないこと、
それはおそらく対立の枠組みからの、
解放を志向していたような気がします。

対立概念というものから解放された時、
人間は真の意味で新たな知性を、
手にすることが出来るのではないかと思うのです。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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acco

*☆*☆*☆ 祝一周年 ☆*☆*☆*

まだ今日の記事は拝見してませんが、
12時回ったので、良いですよね (・∀・)ノ
一年間、お疲れ様でした ☆
お忙しい中、一日も休まず書かれていて、
断然、リスペクトしちゃいます !
これからも、楽しみにさせて頂きますね ♪
では、おやすみなさぁい。

☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆*☆

by acco (2009-03-30 01:21) 

fujiki

accoさんへ
星を沢山付けて頂いて、
ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
by fujiki (2009-03-30 08:17) 

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