「ジャンニ・スキッキ」(2019年新国立劇場レパートリー) [オペラ]
こんにちは。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前中は石田医師が外来を担当し、
午後は石原が担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
新国立劇場のレパートリーとして、
ツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」と、
プッチーニの「ジャンニ・スキッキ」が二本立て(ダブル・ビル)として、
先日新国立劇場で上演されました。
これは以前二期会が同じ組み合わせの上演をしていますが、
上演自体はかなり珍しくて、
僕自身はどちらの作品も今回生で聴くのは初めてです。
「ジャンニ・スキッキ」はプッチーニが比較的後期に作曲した、
60分くらいの上演時間の短い1幕劇です。
中に出て来る「私のお父さん」があまりにも有名で、
マリア・カラス以来リサイタルのアンコールの定番ですが、
全体が上演されることは非常に稀です。
これはプッチーニ唯一の喜劇で、
遺産相続の遺言状を巡る騒動を、
伴奏に乗った合唱主体で軽快に描いた作品です。
ほぼ鳴り止む瞬間のない音楽は、
全編が快適なリズムとスピード感を持っていて、
心地良く一気に聴くことが出来る完成度の高い作品です。
「私のお父さん」を初めとする、
間に挟まれたアリアがあまりに美しいメロディなので、
ちょっと浮いている感じもするのが、
唯一の瑕というのが面白いところです。
ただ、この20世紀初頭の、
古典的オペラの最後の時代の作品は、
ほぼミュージカルと言って良い構造になっていて、
ここまで来ると、必然的にミュージカルと映画の時代になり、
古典的オペラは終焉を迎えるのです。
今回の上演は1幕で同じ程度の上演時間の悲劇である、
「フィレンツェの悲劇」との二本立てで、
こちらもシュトラウス的音楽をベースとした、
現代音楽と演劇の融合に繋がる、
こちらも古典的オペラの最後の時期の作品です。
演出は最初の「フィレンツェの悲劇」は、
テーマを具現するような、
中央で破壊された巨大な屋敷のオブジェが舞台中央に陣取り、
その家の外の舞台前方に、
家の内部が拡大されて表現されている、
というかなり抽象的なものです。
2本目の「ジャンニ・スキッキ」になると、
紗幕の向こうでオブジェが左右に割れて、
その向こうから全ての家具や小道具が、
巨大に作られたポップな舞台が姿を現します。
「フィレンツェの悲劇」は原作と同じ時代設定で、
「ジャンニ・スキッキ」では1950年代が舞台の読み替え演出です。
舞台面はなかなか美しくて良いのですが、
「フィレンツェの悲劇」はオブジェが舞台を狭くしているだけで、
最後まで何ら動きがないのが詰まらないと思います。
舞台が動くのは紗幕の向こうの転換というのは、
これも如何にも詰まらないのです。
「ジャンニ・スキッキ」をポップな舞台にしたのは、
2つの作品の対比を明確にしたかったのだと思いますが、
この作品が上演される機会は、
そう多くはないのですから、
原作通りの設定で上演して欲しかったな、
というのが正直なところでした。
キャストはまずまずの充実度で、
特に「ジャンニ・スキッキ」は、
一点豪華主義でタイトルロールにカルロス・アルバレスを導入し、
後は実力派の日本人歌手で固めて、
絶妙のアンサンブルを実現しています。
砂川涼子さんの「私のお父さん」は抜群の完成度ですし、
村上敏明さんとの二重唱も日本人歌手の良さが出ていたと思います。
押しは強くありませんが、完成度が高く繊細です。
そんな訳でなかなか楽しめる上演でした。
もう日本のオペラは、
新国立を楽しむくらいしかないですからね。
バブルは遠くなりにけり、という感じです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
北品川藤クリニックの石原です。
今日は土曜日で、
午前中は石田医師が外来を担当し、
午後は石原が担当する予定です。
土曜日は趣味の話題です。
今日はこちら。
新国立劇場のレパートリーとして、
ツェムリンスキーの「フィレンツェの悲劇」と、
プッチーニの「ジャンニ・スキッキ」が二本立て(ダブル・ビル)として、
先日新国立劇場で上演されました。
これは以前二期会が同じ組み合わせの上演をしていますが、
上演自体はかなり珍しくて、
僕自身はどちらの作品も今回生で聴くのは初めてです。
「ジャンニ・スキッキ」はプッチーニが比較的後期に作曲した、
60分くらいの上演時間の短い1幕劇です。
中に出て来る「私のお父さん」があまりにも有名で、
マリア・カラス以来リサイタルのアンコールの定番ですが、
全体が上演されることは非常に稀です。
これはプッチーニ唯一の喜劇で、
遺産相続の遺言状を巡る騒動を、
伴奏に乗った合唱主体で軽快に描いた作品です。
ほぼ鳴り止む瞬間のない音楽は、
全編が快適なリズムとスピード感を持っていて、
心地良く一気に聴くことが出来る完成度の高い作品です。
「私のお父さん」を初めとする、
間に挟まれたアリアがあまりに美しいメロディなので、
ちょっと浮いている感じもするのが、
唯一の瑕というのが面白いところです。
ただ、この20世紀初頭の、
古典的オペラの最後の時代の作品は、
ほぼミュージカルと言って良い構造になっていて、
ここまで来ると、必然的にミュージカルと映画の時代になり、
古典的オペラは終焉を迎えるのです。
今回の上演は1幕で同じ程度の上演時間の悲劇である、
「フィレンツェの悲劇」との二本立てで、
こちらもシュトラウス的音楽をベースとした、
現代音楽と演劇の融合に繋がる、
こちらも古典的オペラの最後の時期の作品です。
演出は最初の「フィレンツェの悲劇」は、
テーマを具現するような、
中央で破壊された巨大な屋敷のオブジェが舞台中央に陣取り、
その家の外の舞台前方に、
家の内部が拡大されて表現されている、
というかなり抽象的なものです。
2本目の「ジャンニ・スキッキ」になると、
紗幕の向こうでオブジェが左右に割れて、
その向こうから全ての家具や小道具が、
巨大に作られたポップな舞台が姿を現します。
「フィレンツェの悲劇」は原作と同じ時代設定で、
「ジャンニ・スキッキ」では1950年代が舞台の読み替え演出です。
舞台面はなかなか美しくて良いのですが、
「フィレンツェの悲劇」はオブジェが舞台を狭くしているだけで、
最後まで何ら動きがないのが詰まらないと思います。
舞台が動くのは紗幕の向こうの転換というのは、
これも如何にも詰まらないのです。
「ジャンニ・スキッキ」をポップな舞台にしたのは、
2つの作品の対比を明確にしたかったのだと思いますが、
この作品が上演される機会は、
そう多くはないのですから、
原作通りの設定で上演して欲しかったな、
というのが正直なところでした。
キャストはまずまずの充実度で、
特に「ジャンニ・スキッキ」は、
一点豪華主義でタイトルロールにカルロス・アルバレスを導入し、
後は実力派の日本人歌手で固めて、
絶妙のアンサンブルを実現しています。
砂川涼子さんの「私のお父さん」は抜群の完成度ですし、
村上敏明さんとの二重唱も日本人歌手の良さが出ていたと思います。
押しは強くありませんが、完成度が高く繊細です。
そんな訳でなかなか楽しめる上演でした。
もう日本のオペラは、
新国立を楽しむくらいしかないですからね。
バブルは遠くなりにけり、という感じです。
それでは今日はこのくらいで。
今日が皆さんにとっていい日でありますように。
石原がお送りしました。
2019-04-20 06:02
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