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長塚圭史「あかいくらやみ~天狗党幻譚~」 [演劇]

こんにちは。

六号通り診療所の石原です。

観劇メモ的なものを今日はもう1本お読み下さい。
あかいくらやみ.jpg
阿佐ヶ谷スパイダースの長塚圭史の作演出による、
新作の舞台が今渋谷のシアターコクーンで上演中です。

かつては、
かなりグロテスクで暴力的で、
扇情的な舞台を特徴としていた長塚圭史ですが、
海外留学後の最近は、
海外のスタイリッシュな前衛劇を模したような、
別個の作風にシフトしていて、
正直それがあまり成功しているようには思えないので、
やや方向性を見失いつつあるように、
個人的には感じていました。

今回の作品は、
久しぶりに原点に戻ったという感じがあり、
これまでにも何度か手がけている、
過去に題材を取った歴史劇のスタイルですが、
過去の亡霊がゾロゾロと出現する雰囲気であったり、
生首がドカドカと落ちて来る即物的な描写であったり、
過去から現在を照射するという設定や、
望まれない赤子の存在、
怨念が時空を越える生々しさなど、
矢張り長塚圭史はこれだよね、
と膝を打つようなところが随所にありました。

ただ、
一方で内容は未整理で、
あまり観客の生理に配慮しているとは言い難く、
構成を複雑化し過ぎて、
物語に没入出来ない点や、
暴力の描き方も以前より穏当で迫力を欠き、
それに代わるような見せ場もないので、
中途半端な作品に終わったきらいもありました。

長塚圭史の迷いは、
まだふっきれた、という感じには程遠いようです。

以下ネタばれがあります。

天狗党の話は、
幕末の水戸藩での、
血で血を洗う一種の内戦の顛末ですが、
その一部始終を、
生存者の語りで描いた、
山田風太郎の歴史小説を、
原作にはない、
風太郎が生きた戦後すぐに設定し、
風太郎が取材に訪れた、
天狗党と所縁のある旅館で、
小栗旬演じる闇屋の若者とそのガールフレンドが、
風太郎もろとも幕末にタイムスリップする、
というような捻った設定になっています。
(純粋なタイムスリップというより、
過去の亡霊がかつての場面を再現する、
というような雰囲気です)

それだけでも分かり難いのですが、
更に原作の語り手の甥である、
武田金次郎役の小日向文世が、
戦後の時点で老人として生きていて、
そのままの姿で同時に幕末にタイムスリップし、
それぞれの事件に論評を加えたりするので、
話はより難解になります。

時間が複雑に交錯するのは、
こうした物語に付き物の構成ですが、
同じ天狗党が京都に向かう旅の場面が、
何度となく同じように再現されるので、
舞台面としては単調で、
緊迫感やスリルに欠ける面があります。

時代に翻弄される天狗党の顛末は、
充分大河ドラマ1年分の密度を持つものですが、
時間の流れが一方向であるからこそ、
その悲劇性も際立つ道理で、
今回のように悲劇の前後で時間が頻繁に逆行し、
それをまた未来の立ち位置から論評したりすると、
物語の生々しさや切実さが、
少なからず減じてしまうように思います。

キャストは非常に豪華ですが、
その魅力が十全に引き出されているとは、
とても思えません。

主役は一応小栗旬さんの筈ですが、
実際には出番が少なく、
特に天狗党の悲劇の間は、
それを傍観者的に見ているだけなので、
設定そのものに対する大きな疑問を持ちます。

これは小栗さんの役と、
風太郎を元にした小説家の役とを、
一緒にしてしまった方が、
より物語が集約的になったのではないでしょうか?
終戦時には風太郎は23歳ですから、
帳尻は合うように思うのです。

更には天狗党を構成する、
非常に魅力的な筈の人物群が、
ただの描き割りのような役割しか演じていないのにも、
がっかりします。

もっと個々の人物のドラマを、
時間軸に沿って展開し、
それが集束して悲劇に至るような、
もっと切実なドラマが、
求められていたのではないでしょうか?

ここ数年の長塚さんの作品の中では、
僕は今回の作品が彼の資質に、
一番見合ったものだと思いますが、
まだまだお行儀が良過ぎて、
頭でっかちな部分のみが目立ち、
かつての彼の破天荒な芝居に魅力を感じていた者としては、
物足りなさは感じざるを得ません。

次回はもっと突き抜けた作品を、
この、それ自体薄っぺらな地獄の書き割りのような現実世界に、
拮抗するような極彩色の地獄絵を、
長塚さんには是非描き切って欲しいと思います。

それでは今日はこのくらいで。

皆さんも良い休日をお過ごし下さい。

石原がお送りしました。
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